ロードス島RPGキャンペーン用Wiki

マン・テァオ日記2

最終更新:

lodoss

- view
だれでも歓迎! 編集

Top > マン・テァオ日記2

マン・テァオ日記2

3月1日

風水を嗜むというズオ・チー老人がガヤンに再び来訪した。

なんでもこの地も含め妖魔どもの流した血や糞尿、死体により土壌が汚染されつつあるという。

俄かには信じられないが農地監察を主に担当するヒペリオン殿の見立てではおかしい箇所が

随所にあるという報告が以前からあり、私やユも懸念していた。

そのため、ティエル殿が大地の王という霊を招き儀式を行う手筈となる。

儀式は以前ズオ・チー老が建てた祠と祭壇を使い奇妙な香をたてるという代物だった。

私は遠めからしか見ていないが香の煙の中におぼろげにゆらゆらと動いた気がしたの憶えている。

ティエル殿は不可思議な言葉を発していたがあれが精霊の言葉なのだろうか?

当初、婆殿に対するようなイラついた表情を見せたような気もしたが・・・。

儀式は2時間ほど行われたのだがその結果、この地に大地の王を奉る社を建築しその中に銀の彫像を置くという。

私はキョロ山で採掘しているドワーフ達の村落に赴き銀細工の職人を世話してもらう用件を伝えに赴く。

丁度その際、ドワーフら鉱夫は新たな鉱脈を発見したということでお祭り騒ぎであった。

これでさらなる税収が期待できる。良い兆しだ。

3月2日

ガヤン1の長寿であり村々の顔役であるウー長老が評定所に赴き今年の豊作の祭りを開きたいと申し出る。

この祭りは豊作だけでなく難民と我ら植民との交流にも必要不可欠というのだ。

確かに最近、土地の問題で裁判を申し出る件数も高まってきている。

そのこともあって城代殿は快く引き受けた。

最近、発展著しいガヤンにおいて税収も概ね良好であるため盛大に行うことを各町村通達した。

ここに来て半年ほどとなるがここまで発展しているのはやはり仁政の賜物であろう。

評定のほうはというと祭りの際に行われる演舞をレスリー殿が出演することとなった。

婆殿もレスリー殿と同じ演目に参加するという・・・多少不安があるのだが。

私は商業地区の整備、城主殿は祭りの際に遊説、トーマス殿とリーは巡察、ヒペリオン殿とティエル殿は農地整備となる。

今月からフェリル君も役につきユと共に寺小屋整備と相成った。

3月3日

祭りの下準備に大忙しである。祭りを聞きつけ旅芸人達も近隣から続々とやってきた。

レスリー殿は随分と張り切っておられるようだが・・・嫌な予感がする。

3月5日

祭りが盛大に開催される。今日から9日までは領民も心行くまで楽しんでくれることであろう。

レスリー殿は随分と張り切ったのは良いものの観客の歓声を良いことに途中で深酒をし舞台を壊してしまった。

弁償のため税収は期待できんな・・・。

婆殿はというと夜の部で・・・まぁ、私事の記述とは言え控えておこう。

ユは目の保養になったと豪快に笑っておったが・・・。

3月6日

祭りとあってスリを働く不逞な輩もいたようだがトーマス殿とリーの巡察もあってさほど深刻な被害は出ていないようだ。

城代殿は顔役たちと共に祭りを楽しみながら今後のガヤンについて語り明かしたそうだ。

展望は明るいようだがワンシャン湖(南部にある湖)付近で土豪の衆が塞を築いているという。

現時点では何の動きもないようだが一応注意しておいたほうがよいだろう。

3月7日

祭りは獅子舞や京劇などといったムディールの文化を象徴する出し物も多い。

そのため、各地から見物客が随分と集まってきている。

私が祭りを楽しんでいると私の肩を叩く者がいた。

友人のギュン・ユである。

ギュン・ユは秀才ではあるが今でも書生に落ち着いており主を決めていない。

中央のシャールでも問題はない筈なのだが「肩が凝るから」といってあっさり仕官を断ったという。

私はここを薦めたのだが当人は「気が向いたらまた来る」というやはり素っ気無い返答であった。

彼がこの地に来てくれればさらなる発展が期待できるのだが・・・。

3月8日

新たなる特産品の尖晶石(スピネル)を使った装飾品もこの地の資金に一役買っていることは言うまでもないであろう。

この祭りに来た土産として買っていく者も多いようだ。

とはいっても豪商や貴族しかほとんど買えないのが現状ではある。

私も妻になるであろう人に贈ることができるかどうか・・・まぁ、まずは相手を見つけないことにはな。

3月9日

盛大な祭りも今日で最終日となる。

この半年で飛躍的な発展を遂げたという証にもなったと言っても過言ではあるまい。

問題は隣のミンスターであるが・・・果たして強欲なあのうつけ伯爵が黙っているであろうか・・・。

3月13日

ティエル殿とヒペリオン殿が開墾の報告として参内する。

先日の儀式によって異臭がしていた土地が開発可能になったということだ。

しかし、大地の王の像を完成させないと元の木阿弥どころかさらに酷いことになるとティエル殿は言う。

ドワーフらに急ぐよう手配せねばなるまい。

3月14日

シャール中央府から城代殿に招集がかけられ一ヶ月ほど留守になることにあいなった。

丁度半年とのことでガヤンと周辺の状況についての報告とのことである。

で、トーマス殿が留守居役として任命されたのだが。

ちと不安ではあるが補佐役として仕事するだけである。

3月16日

ロータス殿が不在の中、議長をトーマス殿とし評定が行われる。

まだ、旅芸人一座がこの地に留まっているためレスリー殿はまた舞台にあがりたいらしい。

やめたほうが良いとは思うのだが拳が飛んでくる恐れがあるので申すことを控えた。

ティエル殿は引き続き開墾事業に専念し、ヒペリオン殿は商業地の整備に担当を変更。

留守居のトーマス殿はリーと共に城代殿がいないこの地の巡察役となる。

フェリル君とユ、そして婆殿は大学を整備することになった。

婆殿とユは暴走して何やらよからぬことを広めようとしているらしいが意外なことにフェリル君が止め役になっている。

私は城代殿がいない間、各農村に出向き城代殿がいない不安を除くことに専念することとなった。

3月17日

ようやくベヒモスの銀の彫像と社が完成する。

私はベヒモスというものを見たことないので何とも言えないが像からは龍にも似た威厳があるように見える。

ティエル殿はさして威厳があるとは思えないと素っ気無かったが。

3月18日

予想通り・・・と面と向かっていったら殴られるだろうからここで。

レスリー殿が今度は舞台ではなく衣装を破りすてるという暴挙に出た。

衣装といっても高価な絹や装飾品がある品物である。

当然、弁償となり興行税は雀の涙ほどとなったが・・・致し方ない。

3月20日

開墾事業は良好との知らせあり。ティエル殿のご尽力もあってか農地はさらに増えることであろう。

先日、シャールのほうから改良種の稲籾が取り寄せられた。

味もさることながら病気や害虫にも強いとのこと、秋が楽しみだ。

3月23日

大学創設も順調に進んでいるとのこと。婆殿はじめ、ユやフェリル君も忙殺しておるらしい。

まぁ、婆殿はユと一緒になって思春期の若者に随分なことを教えているらしいと聞くが・・・。

3月24日

祭りは終わったが、各地からまだまだ旅人や行商が来訪する。

同時にやはりスリや置き引きといった良からぬことをする輩も来るため巡察は欠かせない。

より大きな商業都市を目指す以上、当然のことである。

3月27日

ヒペリオン殿のシュリの新整備であるがこれも順調だそうだ。

ただ、彼女が言うには行商人や旅人達の間にはミンスターと紛争が起こっておかしくないという噂もあるという。

確かに隣とは事は構えたくはないが・・・。

他にも新たな提案として町を一つ設けたいという。

キュロ山とホルヴェン山の中間で街道にあたる部分で歓楽街を開いたらどうかというのだが・・・はたして。

3月29日

各農村への見回りを終える。城代殿はいないのがちと不安と思っている民もやはりいるようだ。

ただ、隣からこちらに急な兵が向かってくる心配はないことを話すと大概の者は安堵する。

まぁ、無駄な戦さで一番の割りを食らうのは民だからな。

4月1日

めでたい日である! 実にめでたい!

評定所開くため登城すると城の屋根に朝日を浴びた鳳凰がいるではないか!

我らだけでなく兵や民もその美しき姿に魅了されたといっていいだろう。

この鳥は極まれに善政を布くと現れるという伝説の吉兆(吉鳥)である。

ムディールだけでなくここロードスにも舞い降りるとは驚いたが。

惜しむらくは城代殿がいないことである。

そのせいもあってか些か鳳凰は少し寂しそうな表情をしていた気もするが・・・どうであろう?

鳳凰は5分ほど城の頂に居たがすぐに飛んで行ってしまったので今となっては真意はわからぬが。

4月2日

改めて評定の日。昨日は鳳凰の件があって評定は出来なかった。

民も大騒ぎだったしそれどころではなかったからな。

私はこの件を広めるために各農村に赴くことを留守居役トーマス殿に申し出て快諾された。

内需は申し分なく順調であるが問題はミンスターのミモラムという厄介な奴もいる。

さらには周辺に中立を維持している土豪衆、山賊、妖魔帝国軍の残党など挙げればキリがない。

城代殿が留守である不安もあり民兵(屯田兵)を再訓練することになった。

民兵(屯田兵)から兵卒(常備兵)にすると給与を出さないといけないため支出は増える。

だが、最近の内需拡大で税収は鰻登りである。問題はないだろう。

指揮はレスリー殿が担当することとなった。

訓練中には民兵が町内の警備に働けないためリーとトーマス殿が巡察を行う。

他はユとフェリル君、婆殿は大学整備、ティエル殿は農地拡大、ヒペリオン殿はキュロ山の運搬道整備となった。

4月3日

レスリー殿の訓練(しごき)が開始される。

だが、鳳凰の出現により民兵の士気は高く多くの若者は猛特訓についてきているようだ。

期待出来るのは言うまでもない。

4月4日

キュロ山への運搬道整備にヒペリオン殿がついたのだが崖崩れがおこったためその復旧にかかるという。

今回の運搬道整備は残念ながら見送りせざるをえないだろう。

4月6日

フェリル君と話したが大学整備だが頗る好調とのこと。

算術を学ぶ若者も多く将来は明るそうだ。

算術に長けた者が多くなれば測量なども今以上に捗ることになるであろう。

4月7日

開墾事情だが順調のようである。

ティエル殿は農地整備だけでなく森林地区(ガヤンの森)の拡大も行いたいというのだが・・・。

森林地区と開墾地区で被らない土地を探すのは難しいかもしれぬ。

良い案がないものか一度正式に評定所で議題としてあげてもいいであろう。

その時には森のほうからもエルフの代表者たちを招くことになるが・・・果たして。

4月8日

巡察は問題なく犯罪らしい犯罪は随分減った。

鳳凰が舞い降りたのもあいまってか民衆の道徳心が向上しているのも一因であろうな。

4月12日

土豪の衆(侠客などの類)が最近街に出没しているとのこと。

賭場を開いているらしいが・・・。

一応、法に照らすと違法となるものの現在のところ見て見ぬフリをしている有様である。

忍んで探りにいったがユとレスリー殿、婆殿が酒を飲みながら興じていた・・・。

・・・・・・・まぁ、いいか。

4月14日

レスリー殿が訓練を終える。想像以上に選ばれた新兵が多く驚きを隠せない。

無論、出来損ないの新兵だらけなら驚きもしないが武器の扱いも問題ない兵である。

ただ、分母となる民兵があまり多くないのでそろそろ民兵の徴兵も行いたいところである。

各農村は若者が減ることに反対なのでどう折り合いをつけるかだが・・・。

4月15日

城代殿が帰還する。鳳凰が来訪した祝いも兼ねて盛大に宴を開こうとしたのだがいらぬ邪魔が入った。

ミンスターのミモラム・ゲルシター伯爵が急な来訪したのである。

かの痴れ者は我らや民をこの地からすぐに出て行けという貴族とは程遠い下品な言葉混じりで喚いておった。

滅茶苦茶な発言でレスリー殿だけでなくリーやユも隙あらば斬って捨てようと思ったに違いあるまい。

幸いにも新しくミモラムの家宰となったラーダの司教メッツェルダー殿が割って入ったため事なきを得た。

メッツェルダー司教はまだ30代の若さながら政務、軍務にも明るく次期ラーダ枢機卿との呼び声が高い人物。

事を構えることになればかなり手ごわい人物となるであろう。

ミモラムが退席した後に改めてメッツェルダー司教は行商人たちのために相互通商条例を発布したいという。

城代殿はこれを快諾。より商業が発展する上でも良いことではあるからな。

勿論、我らも願っていない申し出ではあるが油断は出来ない。

ヒペリオン殿は「何か裏があるかもしれぬ」と呟いていたのも気になるが・・・。

メッツェルダー殿が退席すると改めて宴が催された。

一番飲んだ人物は・・・一々書くことでもないであろう。

4月16日

本日は評定の日である。

城代殿は先日の件でミモラムがこの土地を狙っていることを受けガヤン城の増築を行うことになった。

また、レスリー殿は引き続き民兵を鍛えるとのこと。

ミモラムの件もさることながら北部では未だに帝国軍残党があちこちで蜂起していることもある。

ユとフェリル君、婆殿は引き続き大学整備や農村部の私塾投資を行う。

ティエル殿は農地整備、ヒペリオン殿はキュロ山の運搬路整備、リーとトーマス殿は巡察となる。

私はシュリとガヤンの城下町に相互通商条例の旨を町長たちに知らせさらなる発展の談合を担当する。

4月17日

先日来訪したメッツェルダー殿はゲルシター家がこの地へある人物を代官として派遣しようとしているとのこと。

その人物はボードウィン家の次男でテイラー家の跡取りとなったオーウェン・テイラー男爵である。

当初、よくこの地へ来ていたベリンダ殿の実の兄ということになる。

ちと、トーマス殿が気がかりであるが・・・どうであろうな。

4月18日

ガヤン城の増築が開始される。

幸い、この地には以前レスリー殿の友人リメス殿が連れてきたドワーフの石職人達もいるのでかなり捗るようだ。

各農村の私塾整備はというとこれも良好とのこと。

民衆に算術が出来る者が多くなれば役人の税の横流しといった不正も少なくなるだろうからな。

勿論、現時点ではそのようなことないのだが魔がさすということもある。

4月20日

ヒペリオン殿のキュロ山運搬道整備も頗る好調のようだ。

キュロ山には多くのドワーフ達がいるため尖晶石の運搬だけでなく酒や食料の運搬は重要なのである。

ただ、ここでの一番の大酒のみはというと・・・。

ティエル殿の農地整備のほうは荒れ地が多く邪魔な葦などが多いとのこと。

湿地帯も多いだけに梃子摺っているらしい。

治安のほうは巡察を絶えず行っているが行商も多くなっているはいるが今の所、問題はない。

ただ、さらなる商業発展となると悪徳商人の類も多くなるだろうし些か不安ではある。

4月27日

レスリー殿の訓練が終わる。先日よりは合格者が少ないものの充分といっていいだろう。

ただ、そろそろ民兵のほうも増やしたほうが良いとは思う。

城代殿は村長らに遠慮しているのであろうか未だに徴兵を行っていないが・・・。

4月29日

予定よりも早くガヤン城の増築が終わる。

増築祝いに当然タダ酒が振舞われたのだがどこから聞きつけたのか・・・。

誰が来たのは特に記述しないでもいいだろう。

5月1日

大変なことがおこる。リウ・ジュ殿が来訪されたのだ。

聞けばこの地で仕官をしたいとのこと。大変光栄なことである。

リウ殿はムディール王国の正統な血筋であり80年ほど前の皇位継承戦争に敗れ亡命してきた3代目にあたる人物だ。

気品もあり人徳厚くどこぞの隣の領主とは雲泥の差の人物である。

当然の如くながら城代殿を始め、我らは諸手で歓迎いたした。

早速、リウ殿は評定に出席なされ鳳凰が舞い降りたことを宣伝したいという。

リウ殿は書家、詩人、篆刻家としても著名な人物で内外に書を送りたいとのこと。

事実、リウ殿の書を家宝として持っている名主なども少なくないという噂を聞き及んでいる。

また、ムディールの文化に憧れているロードス島の貴族も少なからずいるとか。

このことを内外だけでなく後世に伝える人物としてはまず紛れもない第一人者であろう。

この日はリウ殿の歓待で宴を催すことになり評定は翌日となった。

一番喜んだのは城代殿ではくレスリー殿ということに・・・なるのだろうか?

5月2日

翌日に繰り上げられた評定の日である。

リウ殿は城代殿と共に各地へ文を飛ばすため鳳凰が舞い降りた証拠として記念の印章を作りたいとのこと。

また、他にも墨や硯、上質の紙などを購入するということになる。

これは周辺各地へ鳳凰が舞い降りたという証拠作りの一環でもある。

全てが高価なため費用はかかるが私から見れば安いものと思う。

というのも、まずこの書を授かった村名主などは客に見せ、自慢し経緯を述べるだろう。

さすれば自ずと城代殿のことがその客の耳に入る訳である。

城代殿はそのため墨や硯、筆の選定及びシャールにある貿易商への買い付けなどを行うことになった。

物が物だけに城代殿も自ら品を見ておきたいとのことである。

さらに貴重品ゆえレスリー殿も輸送隊の任につくことになった。

他に決まった事項としてティエル殿は引き続き農地拡大、ユとフェリル君、婆殿は私塾増設。

私はリウ殿を迎えたことを各農村に知らせる役となる。

トーマス殿は私塾で算術に長け検地を補佐出来る人物に目星がついたとのことでそれらの者の選定役となった。

ヒペリオン殿はリーと共に砦をホルヴェンの東の麓へ増設となった。

5月4日

リウ殿とユやリーを交え談笑した。

実は鳳凰がこの地へ舞い降りた際にリウ殿もこのガヤンに偶然にも来訪していたのだという。

その時はリウ殿の学問の師であるル・チ殿の邸に訪ねる途中だったそうだ。

ル・チ殿は隠棲して既に3年は過ぎるが学術だけでなく軍事にも秀でた歴戦の士である。

リウ殿はこの地で仕官をしたいと述べると、なんとル殿も再仕官を希望する者としてこのガヤンにやってくるとのこと。

ル殿が我らの下へ来て頂けることになれば数万の味方を得たと言っていいだろう。

5月5日

ティエル殿の農地拡大もそれなりに順調とのこと。まずまずである。

私塾の発展のほうも問題なくこの地の民の識字率は鰻登りである。

リウ殿は印章造りに精を出しておられ、ロータス殿はレスリー殿と数人の供を引き連れポー ト・シャールへと向かった。

全ては順調のようだ。あとは砦建築と新たな役人登用次第である。

5月9日

トーマス殿がやってきて私に会わせたい者がいるという。

ヤン・マーと名乗る農夫であるが算術が得意とのこと。

文字も読めるらしく幾つか題を出して見たが及第点であったし人柄も良さそうである。

私も推薦出来ると思った人物なので次の評定までに仕事を覚えてもらうことにしよう。

とはいっても決めるのは当然城代殿ではあるがね。

5月10日

ロータス殿らが無事ポート・シャールから帰還する。

リウ殿も満足がいく筆や硯、墨などが見つかったようだ。

早速リウ殿は書を作る任についた。印章のほうはドワーフの職人が引き続き行うということ。

5月13日

ホルヴェン砦が完成する。思った以上に早い工期であった。

砦を見てみたが質素で無骨という本当に必要最低限に抑えた代物である。

まぁ、確かに砦に見栄えは必要ないのではあるが・・・。

ヒペリオン殿曰く 「守れればそれでいい代物だし、もしさらに金をかけるのであれば防備をあげる工夫は如何様にも出来る」とか。

どうにもこの人物は女性とは思えないような・・・。

まぁ、他にも女性とは思えないような人物はいるので良いのであろう。

リウ殿の書も出来上がり次第各地に送られているようだ。

我らの分は最後ということになるが致し方あるまい。

5月14日

ル・チ殿がガヤン城に来訪された。前述通りリウ殿の紹介である。

城代殿を始め我らもル殿の再仕官に不満はない。

ル殿は老齢ではあるものの眼光は以前鋭く衰えをみせていないようだ。

だが先日、ロンゲヴィティーポーションという若返る薬をティエル殿から聞いたがもうないのが悔やまれる。

まぁ、こればかりは仕方ないか。歳をとるというのは自然の理だからな。

5月15日

評定の日である。ル殿は私とリー、ユのうちの誰かを特別に再教育したいと願い出た。

再教育には秘伝書をはじめとするかなりの額の出費であるようだが城代殿は二つ返事で了承なさった。

熟考の末に再教育を受ける者は我らの中で年長者でもあるユに決まった。

何時もは皮肉を言うユであるがこの時は諸手をあげて喜んだ。まぁ、当然であろうな。

ユとル殿は特訓とも修行とも言える能力開発(?)で2週間は行動できないのがちと痛いが長い目で見れば有益である。

トーマス殿は巡察や人材吟味などでよくシュリなどにも赴くのだが先日、ある膏薬売りの武芸者の噂を聞いたそうだ。

凄腕の武芸を披露し膏薬を売るという者らしくタダ者ではないとのこと。

城代殿はトーマス殿に命じ、その者の探索、素性などを探らせることになった。

私とリウ殿、そして城代殿、レスリー殿は村落や鉱山に赴き民達の声を直に聞くことになった。

そろそろ徴兵しないとまずいこともあるのでそれらの説得なども含む形となる。

村から兵を出すのに渋る村は多いがこれまでの我らの実績があれば説得に応じてくれるであろう。

リーは先日に相互通商条例を発布したことで行商の数が増えたことでさらに巡察を命ぜられた。

また、ティエル殿は先日登用したヤン・マーと共に農地拡大へ、ヒペリオン殿は商業地拡大にそのまま尽力する事となる。

婆殿とフェリル君は私塾整備拡大のためシェリに赴くこととなった。

5月17日

各農村の徴兵への反応だがやはり渋る村長は多いものの城代殿とリウ殿の説得もあり了承する動きとなりつつある。

リウ殿が感謝する旨の書を贈ったら二つ返事で快く引き受けた村もあったのでそろそろ徴兵しても良いだろう。

リウ殿の書についてここで確認するためにも詳細を書いておこうと思う。

ムディール語とはアレクラストでも特異な文字である。

これはムディールの地域自体が独特の文化を発展させたのによるもので

古代王国(カストゥール)時代にもあまり干渉されなかったことも一因と思われる。

アレクラストの極東に位置していたのが幸いだったのであろう。

さらに我らは黄色系というアレクラストの中では珍しい人種という点も忘れてはならない。

この独特の文化から派生したムディール文字は絵から派生した文字と聞く。

そのため、文字が通常の言語に比べ殊更多く学ぶ者も少ない。

だが、この特異な質である文字を絵画のように思う者がカストゥール時代にあったらしく

優れた書や印章には芸術品として扱われていたのである。

現在、ムディ-ル語による書や印章というのはその名残もあり絵画のように見る好事家も少なくないということだ。

また、書の道具である硯、筆、硯箱なども彫刻されたり蒔絵を施されたりして同じく芸術品のように扱われる。

私としてはこの文化をこのロードスにおいて更なる発展をさせていきたいものである。

5月19日

リーと話したのだが今のところ行商の数は倍近く膨れ上がったもののさほど問題はおきてないようだ。

ヒペリオン殿のキュロ山運搬道整備も良好で道を延長して南部の耕作地の基点としたという。

ただ、南部は独立勢力である土豪の集落が犇いており多少の難があるかもしれない。

ティエル殿とヤンの農地拡大も順調でこのままいけば西北部の耕作地も完全に整備されることになるだろう。

婆殿とフェリル君の私塾整備も良好とのこと。婆殿が変な暴走しなければ良いのだが・・・。

5月22日

トーマス殿が武芸者を伴って登城した。

身なりは浮浪者同然であったが眼光鋭く佇まいも尋常ならざるものは一目でわかった。

来て早々、腕ためしとばかりにレスリー殿と軽く模擬試合をした。

レスリー殿が勝ったものの実践ではどうかはわからない。

その後、歓迎する宴会となり色々話してみたのだが、そこで素性が明らかになった。

チャン・レンと申す武芸者は以前、ムディールの禁門で近衛兵の副師範をしていたという。

訳あって流浪の身となりムディールでは仕官の職がないためこの地へ流れ着いたとのことだ。

本当かどうかはわからないが後日、その腕並みを拝見することにいたそう。

5月23日

快晴が続くのはいいのだがこの時期にあまり雨が降らないのはちと不安である。

行商人の話では全体的に雨が降らないとのことだ。

昨日はようやく小雨程度降ったがこれから稲作を重点的に行おうとしている矢先に旱魃などは困る。

早めに灌漑事業を行うのも一つの手段ではあろう。

ただ、灌漑事業を行うためにはかなりの資金が必要というのもあるが南部にいる土豪達の協力も必要となってくる。

その土豪たちであるが侠客も多く、もし下手に戦さともなれば甚大な被害が出る可能性もある。

また、ウェン・ビ殿やユ・クィン殿の領土にも土豪の勢力が多く存在しており

かなりの広範囲に分布しているため一斉蜂起したら目もあてられない。

そろそろ評定で土豪達への指針も決めないといけない時期に来ているようだ。

5月24日

チャン・レン殿と改めて酒を飲む機会があったので失礼ながら経緯を色々聞いてみた。

なんでも、高官の一人に賄賂の要求をしつこく求められ、断ったらあらぬ濡れ衣を着せられたとか。

その為に罷免され浪人となり諸国を巡り歩く羽目になったということだ。

オランやハームなどの新興国には興味なかったのかと聞くとハーム王国は先が見えているとのこと。

さらに自身がムディール人なので下手をするとハームで捕まり闘奴になる恐れもあったらしい。

オランに渡りたくても渡れない事情であったという。

幸いにもこのガヤンで仕官出来たのでシャールにいる家族を呼びたいとのことだ。

5月26日

チャン殿が兵士たちの師範となり訓練ことになったので拝見してみた。

レスリー殿は個人戦の訓練しか行わないがレスリー殿と違い陣形を迅速に変えることに重きをおいた訓練である。

その流儀なのだが昔、書で読んだ禁門の近衛兵の訓練の仕方に沿ったもの確かに間違いない。

彼がこのまま兵を鍛え続ければさらなる戦力となるであろう。

徴兵するにしても数に限度があるのは必定であろうから質に重点を置けるのは心強い。

ウィキ募集バナー