二人のホムンクルス◆z9JH9su20Q






 かつて少年には、願いがあった。

 それはささやかな、しかし彼自身に言わせれば余りに大逸れた、たった一つの切なる望み。

 元を正せば。少年はただ創造主のために必要とされるだけの魔力(いのち)を供給し、干枯らびれば廃棄するためだけに大量生産された、消耗品の一つに過ぎなかった。
 故に、何かを成し遂げるにはまったくの無力。差し出せる財の貯蓄一つもなく、積み重ねた歴史すらない無価値な存在(じぶん)。
 ただ奇跡的な確率の、何ら必然性のない偶然で自我が芽生えただけ。余りに儚い己には、願いを口にする権利などないと少年は認識していた。

 しかし、それでも一人の英雄が、少年に願いを訊いたから。
 願いの実現する確率がどれだけ絶望的なのかを認識したまま、それでも諦観することなく足掻いた末に、彼はその英雄と出会えたのだから。

 たすけて、と。

 生きたいという『願い(言葉)』を、少年はその時、確かに口にしてみせた。



      ◆



 ここは殺し合いの舞台となった、島の一角。

 そこに、かつて願いを叶えた少年がいた。
 細く優美な顔立ちは中性的で、肩まで届く灰色の髪が一層その印象を際立たせている。
 紅玉を思わせる無機質な瞳には、それでも疑問の色が浮かんでいた。

「……俺は死んだ、と思っていたが」

 精緻な造形美とは裏腹に、男性的な一人称を用いてホムンクルスの少年――恩人に肖り、自らをジークと名づけた彼は、現状への戸惑いを顕にしていた。
 つい先程、ジークは敵対者との騙し合いに敗れ、この胸に銃撃を受けた。それは認めざるを得ない事実のはずだった。
 だが事態は更に予想を覆し、気づいた時にはジークの肉体は全快して、謎の老人の眼前に突き出されていた。
 状況把握もままならぬまま、ジークは自身がポーキー主催の殺し合いの参加者、その補充要員に選ばれたことを知らされ、こうして戦地へと放り込まれていた。
 一瞬、寸前まで敵対していた黒のアサシンが展開した何らかの宝具の影響で幻覚を見ているのかとも思ったが、そんなことを可能とするような逸話はジャック・ザ・リッパーにはない。
 余りにも急過ぎる展開ではあるが、これも現実として起こった事象なのだと受け入れるしかないとジークは結論を下す。

 殺し合い。


 ジーク自身の境遇、加えてこの島に飛ばされる前に見せられた開幕セレモニーとやらの様子から察するに、このバトルロワイアルは聖杯戦争とは根本的に異なる。
 聖杯戦争の参加者は、ほとんどの場合において自ら聖杯を求め馳せ参じた者達で構成される。彼らは事前にどのような戦いであるかを理解した上で、それでも各々の願いのために身を投じるのだ。

 だが、これは違う。まるで異質だと断じて良い。
 これはただのポーキーの戯れであり、事情も知らぬ者達を掻き集め、その命を娯楽のために使い潰そうとしているのだ。
 何しろ外部に助けを求めることはできないと、ポーキー自身が開幕のセレモニーで宣言していたのだから。
 おそらくは島にいる全員が、巻き込まれた被害者であると見るべきだろう。

 その一人として、ジークはどんな選択をするべきなのか?

「……因果線(ライン)が切れている」
 全快したとはいっても、どうやら万全というわけではないらしいということを、ジークは悟る。
 恩人の一人、ライダーのクラスで現界したシャルルマーニュ十二勇士のアストルフォ。現在はジーク自身がマスターとなり、現世に留まるための魔力供給を行っていた彼との繋がりが、ない。
 討ち取られた、とは考えない。考えたくない、というのも正確だが、あの状況からライダーが脱落する可能性は低いだろう。おそらくはポーキーの仕業だろうと推測できる。
 単独行動のスキルを持つライダーならば、因果線が切れたとしても再契約まで猶予はある。だからその身を心配してはいなかったが……
(また泣かせてしまうな)
 つい昨日の騒動を思い出して、ジークは何とも申し訳ない心地となる。
 いや、泣かせるだけならまだ良い方か。
 彼はジークのことを、己が全てとまで言ってくれたサーヴァントだ。もしも命を落としたなら、跡を追うのが当然とも言っていた。
 これはライダーが思い詰めた真似をしてしまう前に、早急に彼らの元へ帰らなければならないだろう。

 だが、だからと言って……と、ジークは自らに嵌められた首輪に触れる。
 この場所には、これを付けられた者が他にも大勢いる。
 未来の確定事項として死が運命づけられているのは、全ての生命において共通している――それはわかっている。
 しかし。セレモニーでポーキーと言葉を交わしていた幼子までもがこうして自由を奪われ、確かにあったはずの未来への可能性に挑むことすらできないまま、こんな孤島で終わってしまうことが確定しているというのは――あまりに理不尽で、あまりに悲しい。
 それは何を為す自由も与えられないまま、ただ消費されて死ぬことが確定していた、かつてのジーク自身の姿にも重なる。
 彼ら全てを救うことは、限りなく困難だ。仮令脱出する手段があるとしても、他の者達も一緒にとなればポーキーに勘付かれてしまう可能性も高まる。

 仕方ない、と一言で済ますことは簡単だ。その一言で、自分は簡単に余計な重荷を切り捨てられる。

 それでも、ジークは仕方ないなどと言うつもりはない。それはジークが絶対に口にしてはならない言葉だ。
 何もなかった自分の願いに応えてくれた、綺羅星のような英霊達と、主に背いてまで自分を見逃してくれた同胞(ホムンクルス)達の慈悲と助力のお陰で、ジークは今、こうして夢を叶え生きている。彼らの内、誰か一人でも「仕方ない」と割り切っていたら、ジークはただの石くれとなっていたのに。
 助けを伸ばして差し出した手を、掴んで貰えたということ。それがどれほどの幸運であり、どれほど喜ばしいことであったのか、ジークは鮮明に記憶している。この胸に、確かにそれを刻んでいる。

 かつて彼らに救われたように、今度は己が誰かを救いたい――それが最初の生きたいという願いを叶えた、ジークの次の夢だった。

 既に、残してきてしまっていたホムンクルス達を、創造主の消耗品という立場から解放することには成功した。
 しかし、それでジークは全て良しとはできない。それで後は知ったことかと、安穏と暮らしては行けない。故にその後は恩人達に報いるために戦っていたが、ここにはその対象がいない。

 ならば、ここでは恩人に恥じない選択をしよう。


 彼らは咎めないかもしれない。だが他の誰が赦そうと、ジーク自身が見過ごせない。
 故に、どれだけ急いで戻らなければならないのだとしても――仮令それが、与えられる報酬はなく、報われることすらない行為だとしても。

 ジークは決して、この島に閉じ込められた被害者達を見捨てない。

「すまない、ライダー。少し帰りが遅れそうだ」

 きっと、自棄になることなど自分は望んでいないとライダーはわかってくれている、持ち堪えてくれていると信じながらも、ジークはここにはいない恩人へと謝罪を残す。
 だが君なら、ルーラーなら、そしてセイバーならこうするだろうと、胸の内で続けながら。
 少年は、新たな戦いの舞台へと歩き出した。 



      ◆



 願いを諦めた少年がいた。

 彼は何世紀と生き、兄弟達の中でも最も父に近かった。
 彼ら兄弟は、父の願いのために働いた。働き続けた。だって親子なのだから。
 父の願いが彼の願い――途中、弟が一人背いてどこかに行っても、それは変わらなかった。
 変わらなかった、はずだった。

 彼には偽りの家族がいた。弟が父親役という、奇妙な家族ごっこだった。
 母親役は、これがごっこ遊びだと言うことも知らない部外者だった。
 知らなかった、からだろうか――彼女は少年のことを、実の息子のように可愛がってくれた。
 ただのごっこ遊びのはずなのに、少年もそこに居心地の良さを覚えてはいた。
 けれど、所詮は偽り。彼女もやがては本物の父の糧となる家畜の一匹に過ぎない。

 好きだけれど、そうでしかない。仕方がないと、少年は割り切っていた。

 けれど。

 本当は――――――――――――――――




      ◆



 さて、どうしたものか。
 始まりのホムンクルス、プライドはランタンを片手に夜の道を一人歩きながら、少しばかりの思案に耽っていた。
 謎の襲撃者に襲われてから、再生するまでに時間を要したことは誤算だった。その時は気にかけなかったが、よくよく考えてみれば少しだけ面倒な事態となっている。
 名簿に載っていないセリム・ブラッドレイの名を使うこと自体は、ポーキーが後から連れてくると言っていた五人の参加者の誰かだということにしてしまえば問題はない。万が一、次の放送で虚偽が露呈してしまったとしても――その頃には、プライドは本来の力を十分に揮うことができるようになっているのなら、致命的な不利とまではならないはずだ。

 プライドを悩ませたのは、野原しんのすけの存在だ。
 再生直後は気づかなかったが、探索してみると周辺に彼が殺されたと思しき形跡が一切なかった。襲撃者はかなり高い殺傷力を有していたために、幼児であるしんのすけが無事に逃げ果せるとは想定外だった。
 あるいはポーキーが言っていた正義の味方気取りが乱入でもしたのかもしれないが、仮にそうであるならより困る。もしも通りがかった誰かが助けたというのなら、その際自分が回収されていないことから、その人物もセリムは死んでいたと認識したはずだ。
 であれば、きっとしんのすけやその保護者は喧伝しているはずだ――セリム・ブラッドレイを殺した危険人物が近くにいるぞ、気をつけろと。
 幼児であるしんのすけでは、仮に肉体的に優れた同行者が居たとしてもそう遠くへは移動できないはずだ。そうなると、プライド自身と遭遇する可能性の高い近隣の参加者達にもしも彼らが先に出会い、その情報を伝えていた場合――セリムは死んでいなければならない。
 それでも外見的特徴なら、まだいくらでも誤魔化せるだろう。名前を告げても、しんのすけ達の情報が誤っていたと誘導できないとも限らない。
 だがもしも、他の参加者と合流している本人達と遭遇してしまったら――さすがに言い逃れが効く状況ではないだろう。人間ではないと看破される事態はまだ、避けたい。
 貴重な情報源を潰す事態は避けたいが、再び逃げられても厄介だ。再会してしまった時は、即座に始末できるよう“影”を使う心積もりをしておくべきだろうか。
 ただ、あの奇襲に対処しきれる相手に対しては、夜の中という制限下では油断できないか。
 全く面倒な事態だ。約束の日は近い。お父様のために、早く帰らなければ。
 だがだからこそ、確実に帰還するには慎重を期さなければならないだろう。

 ……家族ごっこの終わりも、もう近いというのに。

 そんな取り留めもない思考が中断したのは、前方から届く、自身の物とは別の灯りに気がついたためだった。

 先程の己の思考をなぞる。今プライドが出会う可能性が高い相手として、真っ先に野原しんのすけの名が想起される。
 知らず、ランタンを握る手の位置が高くなり、眦が鋭さを増す。

「――何者だ」
「わぁああああああああああああああああああああああああああっ!?」
 硬い誰何の声が投げられて来たと同時に、プライドは悲鳴を上げた。
「た、助けてください! 殺さないでください!」
 手放したランタンが転がる音と共に、プライドは頭を抱えて縮こまる。
 そのまま震え出すがその実、然程恐怖しているわけではない。しかし、まずはこう振舞うのが一番だろうと無力な子供を演じる。
 この状況で、まずはこちらの素性を尋ねてきた相手だ。胆力は最低限ある以上、悲鳴を聞いて逃げ出しはしまい。
 危険人物だとしても、無差別に襲いかかってくる相手ではない。また先程懸念した相手に該当するとしても、まずは状況を理解するために情報を引き出すには、これが良い。
 ――ランタンで照らせる範囲が狭い以上、戦うにしても接近して貰ってからでなければ。

「嫌だ……僕、怖い……っ! お父さん、お母さん……っ!」
「……脅かして悪かった。落ち着いてくれ」
 プライドの悲鳴を受けて、声の主は足早に駆けつけて来たようだ。穏やかな声で、無用な危険を呼び込みかねないプライドを諭そうとする。
「……怖い人じゃ、ないんですか?」
 恐る恐るといった演技を保ったまま、プライドは顔の半分を振り返る。
「他人から見てどう映るのかは、俺自身には判断しかねる」
 そこにいたのは、中性的な容貌をした一人の少年だ。下方からの光源に照らされた表情に乏しい顔には妙な影ができ、美しいがなるほど、見方によっては恐怖を覚える人間もいるかもしれない。
 彼以外に、人の姿や気配はないらしい。そこまで見聞していた最中に、造り物めいた口を開いて少年は続ける。
「だが、無闇に誰かを傷つけたいとは思わないし、殺し合えと言われて従うつもりもない」
 律儀が過ぎるのか、妙に回りくどい言い回しではあるが、一先ずは無害な相手のようだとプライドは安心した。
「あぁ、良かったぁ……」
 その感情はそのまま本気で恐怖から逃れられた子供の姿を演出するのには流用できなかったが、大きく息を吐いて落ち着こうとする仕草を見せると、向こうから気遣って来た。
「大丈夫か?」
「は、はい……ご、ごめんなさい、ご心配をおかけしました」
「いや。こんな状況だ、君のような幼い子供なら恥じることはない」
 私の方がずっと年上ですけどね、という言葉は呑み込んで。
 ぎこちない笑顔の後に、プライドはセリム・ブラッドレイの名を使うことにした。
 反応次第では少々骨が折れる事態になるかもしれないが、その場合にもしんのすけの情報を得ることができるかもしれないと考えたためだ。
 結局のところ、少年はセリムの名に小さく反応したが、それは別の理由に因る物だった。
「どうやらセリムも俺と同じ、名簿には載っていない参加者のようだな」
 勝手に納得した少年は、むしろ手間が省けると言った様子で、そのままジークと名乗った。
「立てるか、セリム?」
 頷いたが、それでもジークの差し出した手をプライドは素直に借りることにした。あれだけ怯えていたセリムが、すぐ気丈になるのは不自然だろうという判断だ。
 改めて立ち上がってみると、ジークは鋼の錬金術師よりも背が高かった。にも関わらず平気でランドセルを背負っているのは少々滑稽ではある。
 佩剣しているが、その重みに振り回されていた様子はない。となると今初めて剣に触れたわけではなく、それなりに扱いには慣れているのかもしれない。
 同行者としては悪くないか――と冷静に値踏みしていたプライドに対し、立ち上がったこちらの姿を見たジークはギョッとした表情を浮かべていた。
「……何があった?」
 彼の視線を辿ると、ちょうどプライドの胸元――乱雑に食い千切られたかのように破れた服の穴があった。
 そういえばこの服は、エンヴィー達のそれと異なり、プライドの体の一部ではなく義母であるブラッドレイ夫人に与えられた物だ。賢者の石による自動再生も、そこまではカバーしていなかった。

 そう――すっかり忘れていたが、これはブラッドレイ夫人から貰った服だったのに。

 知らず湧き上がった微かな苛立ちを抑えながら、プライドはセリムとしての仮面を被って、怯えた声でジークに応じる。
 もちろん殺されたが生き返った、という事実は伏せて、ただ同行者であった野原しんのすけと歩いていたところを襲撃者に襲われて、彼とはぐれながらも命からがら逃げ延びて来たと説明した。
 すると人形のように感情に乏しかった顔に、それでも明確な怒りを滲ませた後、深呼吸したジークはプライドの頭に手を置いた。
「よく頑張った。もう大丈夫だ」
 今度は、穏やかな声音で。人形のようだと感じた相手だったが、意外にもそれなりに感情豊からしい。
 ただ、それを表すために作れる表情の種類が、まだ少ないと見るべきか。
 馴れ馴れしく置かれる掌をやや鬱陶しく感じながら、プライドはジークに答える。
「はい……でも、早く逃げないと」
「危険な芽は、早急に刈り取って置きたいが」


 儚げな外見からはなかなか想像し難いほどに強気かつ好戦的な言葉をジークは吐くが、考え込むように逸していた視線をプライドに戻し、頷く。
「確かに、君を連れたまま向かうべきではないな」
 ジークの選んだ方針を、少しだけ、惜しく感じたのは気のせいだろう。



 それから二人は、プライドが襲われたのとは反対方向かつ、縁のあるアメストリス軍中央本部を目指すことにした。
 ただ、ブラッドレイの名に反応がなかったことから予測できたように――やはりジークも、アメストリスという国に覚えがないらしい。故にプライドは、敢えてセリムがアメストリス大総統の息子である事実を今は伏せ、ただ中央部を目指すだけであるかのように振舞った。

「――君を襲った相手のことを、思い出すことはできるか?」

 道中、ランタン片手にジークがそんなことを尋ねてきた。
 プライドはセリムとして頷く。突然のことだったから、細かいことには自信がない――実際のところは、その間死んでいたから知覚していないのだが――と伝えると、そうか、とだけ答えた。
「心当たりがあるんですか?」
 プライドの問いに、こちらを向いて少し間を置いた後、ジークは「いや、ない。忘れてくれ」ときっぱり否定するが、怪しい。
「では、どうしてそんな質問を?」
 そんなプライドの問いかけの、どこにそんなに驚いたのか。一瞬だけ目を丸くし、真顔――おそらく、表情に感情を上手く反映できていないのだろう――になった後、ジークは小さく首を振る。
「仮に発見した時に、対応が遅れては拙いと思っただけだ」
 はっきり言って嘘臭い。だがこれ以上突っかかるのは、平時ならともかくジークの前で見せたセリム・ブラッドレイにはそぐわない。
 故に黙って、大人しくジークの少し後ろを歩いた。幸いこちらの歩幅を考慮してくれているので、ペースには余裕がある。
「セリム」
 沈黙してから十秒を数えるといったところで、こちらを見もせず、しかし力強くジークが告げてきた。
「さっきの襲撃者のような手合いからは、俺が君を守る。だから心配しなくても構わない」
 ボロを出さないようにと黙っていたのを、ジークは拒絶されたと考え落ち込んでいる、とでも思ったのだろう。
 直球なのにどこか不器用な励ましに、プライドは苦笑しそうになった。

 ジークが何か隠し事をしているのは明白だ。しかし、やはり鋼の錬金術達のように、ジークもまたポーキーが言うところの正義も味方気取りのようだ。
 ポーキーは愚かだと断じたが、プライドはそうとばかりは思わない。大切なものを守るためなら自分の命すら厭わず、時に絶望的な状況すら覆す人間の信念というものを、自分達ホムンクルスにはない価値観として高く評価――あるいは好いてすらいる。
 だがその一方で、やはりプライドは人間セリム・ブラッドレイではないのだ。仮令評価できるものであっても、プライドに共有できる価値観ではない以上、利用するということに何ら疑問は生じない。
 だから、ジークという存在は好ましい。その在り方は嫌いではないし、何より秘密を隠していたところで扱い易いのだから。
「――ありがとうございます」
 私の懐に、入ってきてくれて。

 今はまだ、それに適しているとは言えないが……様子を見て追々、アメストリスを知らないという彼らの認識する世界の情報を引き出させて貰うとしよう。

 自身を人間と相入れぬ化物と認識する始まりのホムンクルスは、好ましい人間だと認識した彼が――あるいは自分とは、対極のホムンクルスであることを知らないまま。
 ただ、影の中でだけ笑っていた。




      ◆



 足元を隠した暗闇を、ランタンの灯りで払いながら、ジークは小さく歩を進める。
 気遣い歩幅を合わせてこそいるが、そろそろ一時間は夜道を歩いていることになる。大英雄から受け継いだ竜の心臓を持つジークには些かの苦もないが、セリムのような幼い子供――それも一度、命懸けの逃走劇を終えてそう時間が経っていないはずの疲弊した状態で、まだ弱音の一つも吐きはしない。
 それは気を遣わせまいとする、小さき紳士の健気さ故か。それとも外見から伺えるほど、彼が脆弱な存在ではないためか。

 ジークはセリム・ブラッドレイと名乗ったこの子供に、体に纏わりついて来るような警戒心を抱いていた。

 そうなるに至った理由は、大きく分けて二つある。一つはつい先程、セリムを襲った襲撃者について尋ねた際のこと。
 名簿にジークの心当たりのある名前は多くはなかったが、それでも無視できない名前はあった。

 その一つが、仇敵たる黒のアサシン――ジャック・ザ・リッパー。

 仇敵とは言っても、ジークは黒のアサシンのことを何一つ覚えていない。それは正体不明の殺人鬼という伝説が、アサシンに与えた能力――戦闘終了と同時に、こちらの得たアサシンに関する情報が全て抹消されるという、恐るべき作用によるもの。
 辛うじて機械の目はその効果を掻い潜り、アサシンが存命した当時のロンドンを覆っていた“霧”を再現する宝具を持つことのみが明らかになっているが、それ以外は直接向かい合い、殺してやると互いに宣言した間柄のジークでさえ、顔も武器も、何もかもを忘れている。
 だが、犠牲者までは忘れられなかった。
 ただそこにいただけで、ホムンクルスが一人死んだ。名前も知らなければ言葉を交わしたこともない相手ではあった。しかし、やっと自由に生きる権利を手にしたばかりの同胞が、何の理由も必然性もなく、ただ巻き込まれて殺されたのだ。その事実が、どうしようもなくジークに黒々とした熱情を煮えたぎらせている。
 そんな個人的事情を抜きにしても、相手は伝説の殺人鬼を再現した現象。その存在理由はただ一つ殺戮であり、このバトルロワイアルにおいても放置し続けるのは余りに危険。一刻も早い打倒が必要だ。

 だから、もしもセリムを襲ったのが黒のアサシンであったなら、ジークは彼を安全な場所に置き次第、踵を返して討伐に向かうつもりであった。
 しかし、セリムは襲撃者についての記憶の欠落がなかった。襲ったのはまた別の、危険な相手ということになる。

 そこでジークとしては話が終わったのだが、セリムの好奇心を呼んでしまった。
 だが彼は、おそらく聖杯戦争とは何の関わりもない子供である。神秘の秘匿は魔術の大原則であり、無用な危険に巻き込まないためにも一般と魔術師の世界は棲み分けされるべきだ。何よりそのために心を砕く、大切な恩人も一人いる。
 彼女に余計な負担はかけたくない。そう考えたジークは暗示をかけて、セリムがこれ以上この話題に言及しないようにしようとしたのだが――それが効かなかったのだ。

 これはポーキーの手による“制限”という物なのか。それとも、セリム自身に何らかの耐性があるのか――

 もしかすれば、セリムには魔術の心得があるのかもしれない。だが話はそう簡単な物ではないのではないか、とジークが感じるのがもう一つの理由。
 それは最初にセリムと出会った時、顔を合わせる直前に感じたもの。
 恐怖に肌を灼かれるようだった、真っ黒い殺気。

 微かに漏れ出ただけだが、あれは人に出せる物ではなかった。どちらかといえば、そう。夢の中でだけ出会ってしまう、あの邪悪な竜の気配にも似通った――

 すぐに霧散したそれは、ジークの錯覚だったのではないかとも感じていたが……暗示が通じなかったのが制限ではなく、セリムがただの子供でないことに起因していたとすれば。
 一つ一つの疑念は、そう気に留めるほどでもない物だ。しかし二つ重なれば、それはジークに警戒を促すに十分な要素となった。


 だが、それがただの思い過ごしである可能性も捨てきれない。
 ルーラーから他人の気持ちを理解するよう努力すべき、と咎められたのはつい昨日のことだ。
 疑う要素はあるが、もしもセリムが本当にただの子供であったなら――不用意に傷つけるのも、望ましくはない。

 だから、悪い奴に襲われた時には君を守ると、できり限り励ました。

 ポーキーは両親に助けを求めることはできないと言った。ジークには……ある意味父親と呼べる存在だけはいると言っても良いが、彼よりも自分の方が強い以上、よりにもよって彼に助けを請うという発想はあまり出て来ない。
 しかし、セリムは呼んでいた。父と母に、助けを求めていた。
 残念ながら、ポーキーの言葉が真実なら、彼の両親が助けに来てくれるという可能性は望み薄だろう。

 それでも、助けを求める声を自分は聞いてしまった。

 求められたのは、自分ではないかもしれない。
 だが届かないはずの声を聞いたのは、紛れもない自分なのだから。
 そこから目を背けることに、きっと自分は耐えられない。
 だから、その嘆きが本物であるのなら――せめてそれを止められるよう、ほんの少しだけでも力になってやりたい。

 どんな場所だろうと、必ず助けは来るのだと思わせてやりたい――そんな気持ちもまた、真実だった。

 庇護欲と警戒心という、相克する二つの感情を抱えながら。
 ジークはセリムと共に、夜の中を歩んで行く。



 互いに同族と気づかぬまま。
 父たる創造主に叛逆し願いを叶えた少年と、父たる創造主のために己の欲望を押し込める少年と。
 きっと相容れない二体の人造の命(ホムンクルス)達は、それでも今は同じ足並みで。
 この先に待つ、胎動する運命へと向かっていた。


【C-3/深夜】


【プライド@鋼の錬金術師】
[状態]:健康、苛立ち(極小)
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、ランダム支給品1~3
[思考・行動]
基本方針:未定。少なくとも今はまだ動かない。
1:ジークを利用する。
2:無害な参加者に紛れ情報を集める。
3:光源の確保。
4:しんのすけと再会してしまった時は状況を見極め、冷静に対処する。


【ジーク@Fate/Apocrypha】
[状態]:健康
[装備]:アストルフォの剣@Fate/Apocrypha
[道具]:基本支給品一式、ランダム支給品0~2
[思考・行動]
基本方針:参加者を保護し、殺し合いを打破する。
1:セリムと同行するが、警戒は解かない。
2:黒のアサシンは早急に排除する。
3:魔術の秘匿についてどこまで徹底するかは、もう少し情報を集めてから考える。
※原作第三巻終了時点からの参戦です。
※『竜告令呪――デッドカウント・シェイプシフター――』残り三画。
※暗示の魔術は制限されています。


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最終更新:2014年03月12日 23:56