第2-63章.
ドゥルヨーダナは言った、「クシャッタよ、あなたはいつも我々の敵の名声を自慢し、ドリタラーシュトラの息子たちを軽蔑している。ヴィドゥラよ、われわれは知っている。汝は常に我らを子供のように軽んじる」「あの男は、自分に近い者には成功を願い、自分の寵愛を受けない者には敗北を願う。彼の賞賛と非難はそれに応じて適用される。汝の舌と心は汝の心を裏切る。だが、汝が口に出して示す敵意は、汝の心にあるものよりもさらに大きい。汝はわれわれの膝の上の蛇のように、われわれにかわいがられてきた。猫のように、汝は汝を大切にする者に悪を望む。賢者は言った、主人を傷つけることほど重い罪はないと。クシャッタよ、汝はこの罪を恐れないのか?私たちは敵を打ち破り、大きな利益を得ました。私たちに対して厳しい言葉を使わないでください。汝は常に敵との和平を望んでいる。汝が常に我らを憎むのはこのためである。人は赦されざる言葉を口にすることによって敵となる。また、敵を賛美する際には、自党の秘密を漏らしてはならない。(しかし、あなたはこの規則を犯している)。それゆえ、寄生虫よ、なぜそうまでしてわれわれを妨害するのか。汝は好き勝手なことを言う。我々を侮辱するな。我々は汝の心を知っている。行って、年寄りの足元に座って学びなさい。汝が勝ち取った名声を鋭くせよ。他人のことに干渉するな。汝が我らの長であると思い上がるな。ヴィドゥラよ、常に厳しい言葉を語るな。我らは汝に何が我らのためになるかを問わない。止まれ、汝の手ですでに多くのことを背負った者を刺激するな。支配者はただ一人、二人目はいない。彼は母の胎内にいる子でさえも支配する。私は彼に支配されている。常に下向きに流れる水のように、私は主が指示しておられるとおりに正確に行動している。石垣に頭をぶつける者も、蛇に餌をやる者も、自分の知性によってその行為を導かれる。(それゆえ、この問題において、私は自分の知性によって導かれている)。力によって他者を支配しようとする者は敵となる。しかし、忠告が友好的な精神でなされるとき、学識ある者はそれに耐える。また、樟脳のような非常に燃えやすいものに火をつけた者は、その灰を見ない。もしその者がすぐに火を消しに走るならば。敵の味方である者、庇護者に嫉妬する者、悪意を持つ者に庇護を与えてはならない。それゆえ、ヴィドゥラよ、汝の好きなところへ行きなさい。貞節でない妻は、どんなに待遇がよくても、夫を見捨てるものだ』」。
ヴィドゥラはドリタラーシュトラに向かって言った、『君主よ、このように召使いを見捨てて教えを与える者の行いを、あなたはどうお考えか、証人のように(公平に)お聞かせください。王の心は実に気まぐれである。最初は庇護を与えるが、最後には棍棒で打つ。王子(ドゥルヨーダナ)よ、汝は己を知性の成熟した者と見なし、悪しき心の持ち主よ、汝は私を子供と見なす。しかし、最初に友としてある者を受け入れたのに、その後にその者に非を見出すのは、その者が子供であることを考えなさい。心の邪悪な者は、決して正しい道に導かれることはない。確かに、このバーラタ族の雄牛にとって、若い乙女に対する60歳の夫のような指導は好ましくない。この後、王よ、汝が汝に好都合な言葉を聞きたければ、善悪の全ての行為に関して、汝は女、馬鹿者、不具者、またはそのような者に尋ねよ。罪深い人間が、同意できる言葉を語ることは、この世でもあるかもしれない。しかし、養生法としては健全であっても、不快な言葉を話す者、あるいは同じ言葉を聞く者は、非常にまれである。主人にとって好ましいこと、好ましくないことを無視して、自分自身を高潔に保ち、好ましくないかもしれないが、養生として必要なことを口にする者は、実に王の真の味方である。偉大なる王よ、汝は正直者が飲み、不正直者が敬遠するものを飲め。それは謙遜であり、苦く、刺激的で、灼熱で、無毒で、不快で、反吐が出る薬のようなものである。王よ、それを飲んで、汝は節制を取り戻せ。私は常にドリタラーシュトラとその息子たちの豊かさと名声を願っている。汝に何が起ころうとも、私はここで汝に頭を下げよう。ブラーフマナたちに私の幸せを祈らせてください。クルの息子よ、これが私が大切に教え込んでいる教訓である。賢い者は、その眼差しに毒を秘めた葦のような者を、決して激怒させてはならないのだ。