第3-210章.
マルカンデーヤは続けた、「バーラタよ、ブラフマナは、このように徳の高い鳥使いによって質問され、心にとても楽しいこの談話を再び再開した。ブラーフマナは言った、『宗教を守る最高の者よ、五大元素があると言われている。地、水、火、空気、空はすべて互いに重なり合う性質を持っています。それらをあなたに説明しましょう。ブラーフマナよ、大地には5つの性質があり、水には4つ、火には3つ、空気と空には3つの性質がある。音、タッチ、フォーム、臭いと味 - これらの5つの資質は、地球に属し、音、タッチ、フォーム、味、厳格なブラーフマナよ、水のプロパティとしてあなたに説明されており、音、タッチ、フォームは火の3つのプロパティであり、空気は2つのプロパティの音とタッチを持っており、音は空のプロパティです。そしてブラフマナよ、5つの要素に内在するこれら15の性質は、この宇宙が構成するすべての物質の中に存在する。そしてそれらは互いに対立しているのではなく、適切な組み合わせで存在しているのだ。この宇宙全体が混乱の状態に投げ込まれた時、時間の充満の中で、あらゆる肉体を持つ存在は別の肉体を持つようになる。それは正当な順序で生じ、滅びる。そして、すべての動く世界と動かない世界が構成されている5つの素粒子が存在する。感覚によって知覚できるものはすべて「ヴィヤクタ」(知ることができる、理解できる)と呼ばれ、感覚の及ばないもの、推測によってのみ知覚できるものはすべて「アヴィヤクタ」(ヴィヤクタではない)と呼ばれる。音や形などの外的な条件において、それ自体が客観的な役割を担っている感覚を鎮めた後、自己検証の訓練に取り組むとき、彼は宇宙を貫く自分自身の精神と、それ自体に映し出される宇宙を見る。自分の以前のカルマに縛られている人は、最高のスピリチュアルな知恵に長けているとはいえ、自分の魂の客観的な存在だけを認識している。人が幻想の支配を克服したとき、霊的な知恵の本質からなるその人の人徳は、衆生の知性を照らす霊的な悟りに変わる。そのような人は、全能の知性ある霊によって、始まりも終わりもなく、自存し、不変で、無体で、比類なき者として称えられる。ブラーフマナよ、あなたが私に尋ねたことは、自己鍛錬の結果にすぎない。そしてこの自己鍛錬は、感覚を抑制することによってのみ獲得できる。天国も地獄も感覚に依存しているのだから。感覚を抑制すれば天国に導かれ、耽溺すれば滅びに至る。この感覚を抑制することが、霊的な光を得るための最高の手段なのだ。私たちの感覚は、私たちの精神的進歩の(原因)根源であると同時に、私たちの精神的堕落の根源でもある。感覚に耽溺することによって、人は間違いなく悪徳を犯し、それを抑制することによって救いを得る。人間の本性に内在する6つの感覚を支配する自制心のある人は、決して罪に染まることはなく、その結果、悪はその人を支配することはない。人間の肉体的な自己は戦車、魂は戦車手、感覚は馬に例えられる。器用な人は、よく慣れた馬を操る静かな戦車手のように、混乱することなく走り回る。その人は、野生の馬の手綱を辛抱強く振り回す方法を知っている優れた運転手である。私たちの感覚が王道の馬のように制御不能になったら、忍耐強く手綱を引き締めなければならない。このような感覚のどれかが暴走して人の心が圧倒されると、人は理性を失い、大海原で嵐に翻弄される船のようになってしまう。人は錯覚に惑わされ、これら六つのものの果実を得ようとしている。"その効果は、霊的洞察力のある人が研究し、それによって明晰な知覚の果実を得るのである。