第6-27章.
(バガヴァッド・ギーター第三章)
アルジュナは言った、「ジャナルダナよ、もし献身が仕事よりも優れているとあなたが見なされるのであれば、ケーサヴァよ、なぜあなたはそのような恐ろしい仕事に私を従事させるのですか?曖昧な言葉で、あなたは私の理解を混乱させるようです。それゆえ、私が善いものに到達することができるように、一つのことをはっきりと教えてください』」。
アルジュナは言った、「ジャナルダナよ、もし献身が仕事よりも優れているとあなたが見なされるのであれば、ケーサヴァよ、なぜあなたはそのような恐ろしい仕事に私を従事させるのですか?曖昧な言葉で、あなたは私の理解を混乱させるようです。それゆえ、私が善いものに到達することができるように、一つのことをはっきりと教えてください』」。
聖なる者は言った、「罪なき者よ、この世界には二つの種類の帰依がある。人は、仕事をしないことによって、仕事からの自由を得ることはできない。また、(労働の)放棄のみによって最終的な解放を得ることもない。誰も、仕事をすることなしに一瞬たりとも留まることはできない。 惑わされた魂の持ち主で、感覚の器官を抑制し、感覚の対象を大切にして精神的に生きている者は、惑わされ者と言われる。しかし、アルジュナよ、自分の心によって感覚を抑制し、仕事の器官を使って仕事という献身に従事し、執着から自由である者は、(すべての者の中で)際立っている。(それゆえ)汝は常に仕事に打ち込みなさい。汝の身体を支えることさえも、仕事なしには成し遂げられない。 この世は、サクリファイスのために行われる以外のすべての仕事によって束縛されている。(それゆえ)クンティの子よ、執着から解き放たれて、そのために仕事を行いなさい。 昔、天地創造の主は、人と生贄を共に創造し、こう仰せられた。これ(生贄)を、あなた方(すべて)にとって、あなた方が大切にしているすべてのものの分配者としなさい。これで神々を育て、神々にあなた方を育てさせなさい。こうして互いの利益を満たすことで、あなた方は(自分にとって)有益なものを得るだろう。 生贄を捧げれば、神々はあなたが望む快楽を授けるであろう。神々が与えたものを与えることなく楽しむ者は
盗人である。いけにえの残りを食べる善い者は、凡ての罪から解放される。不義を行う者は、自分のために食物を着せることで罪を犯す。 仕事はヴェーダから生じることを知りなさい。ヴェーダは朽ちることのない御方から生じたものである。それゆえ、すべてを貫く至高の存在は、犠牲の中に据えられている。 パルタよ、このように回転している車輪に従わない者、感覚を楽しむ罪深い生活の者は、無駄に生きている。 しかし、自己にのみ執着し、自己に満足し、自己に満足する人間には、何の仕事もない。彼はここでの行為にも省略にも何の関心もない。また、すべての被造物の中で、彼の利益を左右する者はいない。 それゆえ、常に執着することなく、なすべき仕事をせよ。執着なく仕事を行う者は至高に到達する。ヤナカと他の者たちは、仕事のみによって、その目的を達成した。人がその義務を守ることにも留意し、汝は働くべきである。偉大な人がすることは、卑俗な人もすることである。凡夫は彼ら(偉大な人)が定めた理想に従う。 パルタよ、私には三界でなすべきことは何もない。 パルタよ、もし私がいつでも、怠けることなく行動に移さなければ、人々は四方八方から私の道に従うだろう。もし私が仕事をしなければ、世界は滅び、私はカーストの混血を引き起こし、これらの人々を破滅させるだろう。バーラタよ、無知な者が仕事をするように、執着して仕事をするように、賢者は執着することなく仕事をし、人々に義務を守らせることを望むべきである。賢者は、仕事そのものに執着する無知な人々の間に理解の混乱を引き起こしてはならない。すべての仕事は、どのような形であれ、自然の特質によってなされるものである。心がエゴイズムに惑わされている者は
しかし、エゴイズムに惑わされている者は、自分自身を行為者とみなす。 しかし、強靭な腕の持ち主よ、(自己と)資質と仕事との区別を知っている者は、仕事に執着しない。 自然の特質に惑わされる者は、特質によってなされる仕事に執着する。完全な知識を持つ者は、不完全な知識を持つ者を困惑させてはならない。 すべての仕事を私に捧げ、(汝の)心を自己に向け、欲望もなく、愛情もなく、汝の(心の)弱さを払拭して戦いに臨め。 私のこの意見に、常に信念をもって、へつらうことなく従う者は、仕事によってさえも最終的な解放に到達する。しかし、私のこの意見を軽んじて従わない者は、あらゆる知識を失い、分別もなく、破滅することを知っている。賢者であっても、自らの本性に従って行動する。すべての生きとし生けるものは、(自らの)本性に従う。では、自制など何の役に立つというのか。感覚は、感覚の対象に関して、愛情か嫌悪のどちらかを固定している。人はこれらに従うべきでない。 自分の義務は、たとえ不完全に遂行されたとしても、たとえうまく遂行されたとしても、他の者に遂行されるよりはましである。自分の義務を果たすために死ぬことは好ましいことである。(他人の義務を採用することは)恐怖を伴う。
アルジュナは言った、「ヴリシュニ族の子よ、人は誰に強制されて罪を犯すのか。
「それは欲望であり、怒りであり、情熱の属性から生まれたものである。これがこの世の敵であることを知りなさい。 火が煙に包まれ、鏡が塵に包まれ、胎児が子宮に包まれるように、これは欲望に包まれている。クンティの子よ、知識は、飽くことなく炎のような欲望という形で、賢者たちの絶えざる敵に包まれている。感覚、心、理解がその住処であると言われる。欲望はこれらによって、具現化された自己を欺き、(その)知識を包み込む。それゆえ、バーラタの牡牛よ、まず感覚を抑制し、この邪悪なものを捨て去りなさい。 感覚は(不活性な肉体より)優れていると言われてきた。感覚に優るのは心である。心に優るものは
心に優るものは知識である。しかし、知識に優るものは彼である。 こうして、知識に優るものを知り、自己によって自己を抑制し、強靭な腕の持ち主よ、征服するのが困難な欲望の形をした敵を倒せ。