第6-32章.
(バガヴァッド・ギーター第八章)
アルジュナは言った、「最高の男たちよ、ブラフマンとは何か、アディヤートマとは何か、行為とは何か。また、何がアドヒフタと言われ、何がアドヒダイヴァと呼ばれているのか?マドゥの殺害者よ、この肉体において、誰がどのようにアドヒヤジナなのか。そして、どのように出発の時に、あなたは自己を抑制したものによって知られるようになりますか?
アルジュナは言った、「最高の男たちよ、ブラフマンとは何か、アディヤートマとは何か、行為とは何か。また、何がアドヒフタと言われ、何がアドヒダイヴァと呼ばれているのか?マドゥの殺害者よ、この肉体において、誰がどのようにアドヒヤジナなのか。そして、どのように出発の時に、あなたは自己を抑制したものによって知られるようになりますか?
「ブラフマンは至高であり、不滅である。アディヤートマはそれ自身の現れであると言われる。あらゆるものの生成と発展を引き起こす(生贄としてあらゆる神格に)捧げること、これを行為という。 最後の瞬間に私だけを思い出し、肉体を捨てて旅立つ者は、私の本質に入る。このことに疑いの余地はない。クンテーの子よ、どの(神格の)形であれ、最後に(肉体を)捨てる時に思い出すのは、常にその形である。それゆえ、常に私を思い、戦いに臨みなさい。汝の心と理解を我に定めよ、汝は疑いなく我に至るであろう。他の対象に走らない心で(至高者を)思い、中断のない適用という形の抽象に満たされた者は、プリター(クンティー)の子よ、神的で至高の男性存在のもとへ行く。出発の時、安定した心で、敬虔に満たされ、抽象化する力を持ち、プラーナと呼ばれる生命呼吸を眉間に向ける者は、(すべての)支配者であり、最も微細な原子よりも微細であり、すべての命令者であり、形において想像できない者である、古代の先見者のことを考える、 ヴェーダに精通した者が不滅であると宣言し、あらゆる憧れから解き放たれた修行僧が入り、それを期待して(人々が)バラモン教の誓いを実践するその座について、簡潔にあなたに告げよう。この)肉体を捨て、旅立つ者は、すべての扉を閉ざし、心をハートの中に閉じ込め、プラーナと呼ばれる自らの生命呼吸を眉間に置き、瞑想を続けることに安住する、
ブラフマンであるこの一音節のオームを発し、私を思うことで、最高のゴールに到達する。 他のすべての対象から心を離し、常に私を思う者、常に瞑想に励むその帰依者に、パルタよ、私は近づきやすい。アルジュナよ、ブラフマンの住処から下界はすべて、生まれ変わりを繰り返さなければならないが、クンティの子よ、私に到達すれば、生まれ変わりはない。 ブラフマンの一日が千のユーガの後に終わり、(ブラフマンの)一夜が千のユーガの後に終わることを知っている者は、昼と夜を知っている者である。 ブラフマンの)昼が訪れると、顕現しているものはすべて顕現していないものから生じ、(ブラフマンの)夜が訪れると、すべてのものは顕現していないと呼ばれるものの中に消え去る。そして、プリター(クンティー)の子よ、昼が来ると、(作用などの力によって)拘束されて(再び)湧き出る。しかし、無現であり永遠である別の実体があり、それはその無現を超えたものであり、すべての実体が滅んでも滅びないものである。それは、無現であり破壊されないと言われている。彼らはそれを最高のゴールと呼び、そこに到達すれば誰も戻ってくることはない。それが私の至高の座である。プリター(クンティー)の息子よ、その至高の存在は、すべての実体がその内にあり、このすべてが浸透している方であり、他のいかなる対象にも向けられることのない敬虔さによって到達すべきものである。バーラタの種族の雄牛よ、(現世から)旅立つ帰依者たちが、決して戻ることなく、また戻ってくることなく行く時代を、あなたに告げよう。火、光、日、光の二週間、北至の六ヶ月、ここから出発し、梵天を知る者はこの道を通って梵天へと向かう。 煙、夜、また暗黒の二週間(と)南至の半年、(出発して)この道を通って、帰依者は月の光に到達し、戻る。明るい道と暗い道、これら2つの道は、宇宙の永遠の(2つの)道と見なされる。一方によって、(人は)決して戻ることなく行き、他方によって、(人は)戻ってくる。プリター(クンティー)の子よ、この二つの道を知っていれば、帰依者は惑わされることはない。それゆえ、アルジュナよ、常に帰依に耐えなさい。ヴェーダを学ぶこと、犠牲を捧げること、修行をすること、贈り物をすることに定められた功徳の果実は、帰依者はこれらすべてを知っている、
至高の原初の座に到達する。