第6-36章.
(バガヴァッド・ギーター第十二章)
アルジュナは言った、『絶え間なく献身し、あなたを崇拝する礼拝者たちのうちで、あなたを不変にして顕現しないものとして(瞑想する)礼拝者たちは、献身に最も精通している者である』。
アルジュナは言った、『絶え間なく献身し、あなたを崇拝する礼拝者たちのうちで、あなたを不変にして顕現しないものとして(瞑想する)礼拝者たちは、献身に最も精通している者である』。
聖なる御方は言われた、『(心を)わたしに向け、絶えずわたしを崇拝する者たちは、(その上)最高の信仰に満たされ、わたしによって最も献身的であるとみなされる。しかしながら、不変のもの、顕れざるもの、すべてを貫くもの、理解しがたいもの、無関心なもの、不変のもの、永遠なるものを崇拝する者、感覚をすべて抑制し、周囲のすべてに平等な心を持ち、すべての生き物の善に従事する者は、(また)私に到達する。無我に心を向けている者にとっては、その悩みはより大きなものである。すべての行いを私に預け、私を最高の目標とし、私を崇拝し、他の何ものにも向けられることなく、献身的に私を瞑想する者たち、そのような者たちのうち、(このように)私に心を留める者たち、私は、遅滞なく、(この)死すべき世界の海から救い出す者となる。汝の心を私だけに向け、汝の理解を私に置きなさい。 しかし、もし汝が私に心をしっかりと留めることができないならば、ダーナンジャヤよ、継続的な献身によって私を得るよう努力しなさい。もし汝が(この)継続的な努力にさえ劣るならば、私のために行う行いを汝の最高の目的としなさい。汝のすべての行いを私のために行っても、汝は完全を得るであろう。もしそれさえもできないのであれば、汝は私のために帰依し、汝の魂を鎮め、すべての行いの果実を捨てよ。知識は(献身における)応用に優れ、瞑想は知識に優れ、反作用の果実の放棄は瞑想に優れ、放棄から直ちに静寂が(得られる)。いかなる被造物に対しても憎しみを持たず、友好的で慈悲深く、エゴイズムから自由であり、虚栄心や執着を持たず、快楽にも苦痛にも同じである者。
寛容で、満足し、常に献身的で、魂が沈着し、目的が堅固で、心と理解が私に固定されている者は、私にとっても親愛なる者である。世を煩わすことのない者、(そして)世に煩わされることのない者、喜び、怒り、恐れ、不安から解放された者、その者さえも私に愛しい。無関心で、純粋で、勤勉で、(世俗的なものと)無縁で、(心の)苦悩から解放され、(果実のために)あらゆる行いを放棄する私の帰依者は、その人さえも私に親愛である。 喜びもなく、嫌悪もなく、憂いもなく、欲望もなく、善も悪も捨て、わたしへの信仰に満ちている者は、わたしにとって大切な者である。敵にも味方にも,また名誉にも不名誉にも,寒さにも暑さにも(快楽にも苦痛にも)同じで,執着がなく,非難も称賛も同じで,寡黙で,(自分に)来るものなら何でも満足する者,家なく,堅固な心を持ち,信仰に満ちた者,そのような者さえも,わたしの大切な者である。すでに宣言された)不死を導くこの正義に頼る者たち、すなわち信仰に満ち、私を最高の対象としている帰依者たちは、私にとって最も親愛なる者である』。