第6-39章.
(バガヴァッド・ギーター第十五章)
「アスワッタは上に根を張り、下に枝を張り、永遠であり、その葉はチャンダである。それを知る者はヴェーダを知る。 その枝は、資質によって拡大され、その新芽は感覚の対象である。その根は下へ下へと伸びており、作用へとつながり、この人間の世界へと伸びている。 その形は、ここ(下)では知ることができない。
「アスワッタは上に根を張り、下に枝を張り、永遠であり、その葉はチャンダである。それを知る者はヴェーダを知る。 その枝は、資質によって拡大され、その新芽は感覚の対象である。その根は下へ下へと伸びており、作用へとつながり、この人間の世界へと伸びている。 その形は、ここ(下)では知ることができない。
(その終わりも、始まりも、支えも。この根のアスワッタを堅固に固定された無頓着という硬い武器で切断し、人は再び戻ることのない修繕の場所を求めるべきである。 慢心と妄想から解放され、執着の悪を鎮め、至高と個々の自己との関係の観想に堅固であり、欲望がそこから離れ、快楽と苦痛の名で知られる対立の対から解放された者は、惑わされることなく、その永遠の座へと向かう。太陽はその[座]を照らさず、月も火も照らさない。誰一人帰ることなく、そこがわが至高の座である。私の永遠の部分とは、生命の世界において個々の魂となり、すべてが自然に依存する、心を第六とする(五つの)感覚を自らに引き寄せるものである。この肉体の)主権者が(肉体を)引き受ける時、あるいは(肉体を)離れる時、風が香水をその席から(持ち去る)ように、これらを持ち去る。耳、目、触覚、味覚、嗅覚の器官を支配し、また心を支配して、あらゆる感覚を享受する。惑わされた者たちは,(肉体を)離れている時も,(肉体に)留まっている時も,資質を楽しんでいる時も,資質と結びついている時も,(かれを)見ない。しかし、知識の目を持つ者には見える。 その目的のために)努力する帰依者は、自分自身の中に宿るかれを見る。しかし)無分別で、心が抑制されていない者たちは、(自らに)力を尽くしている時でさえ、彼を見ない。 大宇宙を照らす太陽に宿る輝き,月に宿る輝き,火に宿る輝きは,わたしのものである。私は大地に入り、私の力で生き物を支え、私はジューシーな月となり、すべてのハーブを養う。 私自身は、呼吸する生き物の体に宿る生命熱(毘沙門天)となり、(そして)上向きと下向きの生命呼吸と一体となり、私は四種の食物を消化する。 私はすべての者の心の中に座っている。記憶も知識も、そしてその両方を失うことも、私からである。私はすべてのヴェーダによって知られるべき知識の対象である。私はヴェーダンタの作者であり、私だけがヴェーダンタを知る者である。
ヴェーダを知る者である。 この世界には、変幻自在のものと不変のものという二つの実体がある。変幻自在のものは、すべての(これらの)被造物である。不変のものは不変のものと呼ばれる。 しかし、もう一人、パラマートマンと呼ばれる至高の存在がいる。パラマートマンは永遠の主であり、三界を貫き、(それらを)支えている。惑わされることなく、この最高の存在として私を知る者は、すべてを知る者であり、バーラタよ、あらゆる方法で私を礼拝する。 このように、罪なき者よ、最大の神秘を形成するこの知識は、わたくしによって(あなたに)宣言された。バーラタよ、これを知れば、人は知性を授かり、なすべきことをすべてなし遂げるであろう』。