第12-13章.
サハデーヴァは言った、「バーラタよ、すべての外的なものを捨てるだけでは、人は成功に到達しない。精神的な執着さえ捨て去れば、成功の達成は疑わしい。 その宗教的功徳と幸福は、外的なものを捨て去っても、その心がまだ内的にそれらを欲しがっている人のものであり、私たちの敵の分身となりなさい!一方、内的な執着をすべて捨てて地上を治める者の宗教的な功徳と幸福は、われわれの友人のものでありましょう。2文字からなるママ(私の)という言葉は、死の自分自身であり、3文字からなる反対のナ・ママ(私のものではない)という言葉は、永遠の梵天である。 王よ、梵と死は、すべての魂に目に見えない形で入り込み、疑いなく、すべての生き物を行動させる。バラタよ、魂と呼ばれるこの存在が、決して破壊の対象にならないのであれば、生き物の身体を破壊することによって、殺戮の罪を犯すことはできない。一方、魂と肉体が一緒に生まれたり破壊されたりして、肉体が破壊されると魂も破壊されるのであれば、(聖典に規定されている)儀式や行為は無益なものとなる。それゆえ、魂の不滅性についてのあらゆる疑念を追い払い、知性のある人は、古今東西の義人たちが踏みしめてきた道を選ぶべきである。可動・不動の生き物を擁する大地全体を手に入れたにもかかわらず、それを享受しない王の人生は、確かに実りのないものである。また、森の中で野生の果実や根を食べて暮らしながら、大地のものへの執着がやまない者については、王よ、そのような者は死の顎の中に生きている。バーラタよ、すべての生き物の心も外見上の姿も、汝自身の現れでしかないことを見よ。すべての生き物を自分自身として見る者は、(破壊の)大きな恐怖から逃れる。 汝は我が主であり、我が庇護者であり、我が兄弟であり、我が先輩であり戒師である。それゆえ、汝は、悲嘆に暮れる者の悲嘆に暮れるこの支離滅裂な言葉を赦すべきである。地上の主よ、汝が発したこの言葉は、真実であろうと嘘であろうと、汝を敬愛する気持ちから発せられたものである。