第12-104章.
ユディシュティラは言った、『自分の将校に反対され、国庫も軍隊ももはや自分の支配下になく、富もない正しい王は、幸福を得るためにどのように身を処すべきか』。
ビーシュマは言った、『これに関連して、クシェマダーシンの物語がよく語られる。私はその物語をあなたに語ろう。ユディシュティラよ、聞きなさい!その昔、クシェマダーシン王子が衰弱し、大きな苦難に陥ったとき、彼は賢者カラカヴリクシヤのもとを訪れ、謙虚に敬礼して次のように言ったと、私たちは聞いています」。
王は言った、「私のように富に値するが、何度努力しても王国を取り戻せなかった者は、自殺、泥棒や強盗、他者への避難の受け入れ、その他同種の卑劣な行為を除いて、ブラーフマナよ、何をすべきでしょうか?最高の人間よ、教えてくれ。汝のように道徳に通じ、感謝に満ちた者は、精神的、肉体的な病気に苦しむ者の帰依者である。人間は欲望を捨てるべきだ。そのように行動し、喜びや悲しみを捨て、知識の富を得ることによって、人は成功する。
幸福を得ることができる。 私は、この世の幸福を富に依存していると固執する人々を悲しむ。しかし、そのすべては夢のように消えてしまう。莫大な富を捨てることができる者は、非常に困難な偉業を成し遂げる。私たち自身について言えば、もはや存在しない富を捨てることはできない。 私は繁栄から見放され、惨めで喜びのない窮地に陥っています。ブラーフマナよ、私にどのような幸福を求めればよいのか教えてください」。こうしてコーサラ国の聡明な王子に話しかけられた、偉大な輝きを放つ賢者カラカヴリクシヤは、次のように答えた」。
賢者は言った、『汝はすでに理解しているようだ。汝は知識を持っているのだから、考えたとおりに行動すべきである。汝の信念は正しい、すなわち、私が見ているものはすべて不安定であり、私自身も、私が持っているものもすべて不安定である。王子よ、汝が存在すると見なしているものは、実際には存在しないということを知れ。知恵ある者はこのことを知っているので、どんな苦悩に打ちひしがれても、決して苦しまない。起こったことも、これから起こることも、すべて非現実なのだ。万人が知るべきこのことを汝が知るとき、汝は不義から解放されるであろう。先に来た者たちによって獲得され、手に入れたものは何であれ、後に続く者たちによって獲得され、手に入れたものは何であれ、すべて滅びた。このことを顧みて、悲しみに屈する者があろうか。かつてあったものはもうない。今あるものは、再び(もう)ない。悲しみには、それらを回復する力はない。それゆえ、人は悲しみに耽ってはならない。王よ、あなたの主君は今日どこにいるのか、あなたの孫はどこにいるのか。あなたは今日、彼らを見ていないし、彼らは今、あなたを見ていない。汝自身の不安定さを顧みて、彼らを悲しむのは誰か。汝の知性の助けを借りて反省しなさい、そうすれば汝は理解するであろう、本当に汝は存在しなくなるのだと。私自身も、汝自身も、王よ、汝の友も、汝の敵も、間違いなく、消滅するであろう。実に、あらゆるものが消滅する。現在二十歳、三十歳の者も、間違いなく、今後百年以内に皆死ぬだろう。もし莫大な財産を手放す勇気が持てないなら、自分の財産は自分のものではないと考え、それによって自分自身に良いことをしようと努めるべきである。 将来手に入れるものは、自分のものではないと考えるべきである。消えてしまった財産も、自分のものではないと考えるべきである。運命は万能であると考えるべきである。このように考える人は知恵があると言われる。このようなものの見方の習慣は、善人の特質である。知性と努力において汝と同等かそれ以上の多くの人物は、富を奪われてはいるが、生きているだけでなく、決して王国を治めてはいない。彼らはあなたのようではない。彼らはあなたのように悲しみにふけることはない。それゆえ、汝はこのように悲しむことをやめよ。汝はそのような者たちよりも優れているか、少なくとも知性と努力において彼らと同等ではないか』」。王は言った。
と言った。しかし、万能の時は、再生した者よ、それを一掃した。しかし、私の王国が時の流れに押し流された結果、私は(慈善によって)手に入れたものすべてを扶養しなければならなくなった。
賢者は言った、『(人生における)真実の知識に動かされ、過去も未来も決して悲しんではならない。そのような心構えでいなさい。コーサラ国の王子よ、汝の関心を引くあらゆる出来事に関して。得られるものだけを得ようとし、得られないものを得ようとしない。コーサラ国の王子よ、汝は容易に獲得することに成功したものは何でも喜びなさい。たとえ繁栄から見放されても、悲しむことはない。愚かな理解者である不幸な男だけが、かつての繁栄を奪われた時、現在の財産に満足することなく、最高の命令者を非難する。そのような者は、たとえ不相応であっても、他人を繁栄に恵まれた者とみなす。このため、悪意と虚栄心に取り憑かれ、自分の重要性に満たされた者は、さらに悲惨な目に遭う。しかし王よ、汝はそのような悪徳に染まってはいない。汝自身は栄華を失ったが、他者の栄華に耐えよ。器用さを持つ者は、他者に与えられた繁栄を享受することに成功する。 他人を憎む者から繁栄は去る。正しい行いと知恵を持ち、ヨーガの義務に精通している者は、自ら進んで繁栄と息子や孫を捨てる。また、地上の富は非常に不安定で達成不可能であり、絶え間ない行動と努力に左右されるものであるとして、それを放棄する者もいる。 汝は英知に恵まれているように見える。それなのに、なぜあなたは、望むべきでないもの、不安定なもの、他人に依存するものを望んで、悲痛に嘆くのか。汝は、(財産を失ってもなお幸福を享受できるような)特別な心のあり方を探求したいと望んでいる。私が汝に与える助言は、そうした欲望の対象をすべて捨てることである。避けるべき対象は、努力すべき対象の装いで現れ、努力すべき対象は、避けるべき対象の装いで現れる。ある者は富を追い求めるあまり富を失う。また、富を無限の幸福の根源と考え、熱心に追い求める者もいる。また、富を喜び、富に勝るものはないと考える者もいる。富を得ようとする熱心な欲望のために、そのような人は人生の他のすべての対象を失ってしまう。コーサラ国の王子よ、もしある人が、苦労して得た、自分の欲望に比例していた富を失うと、その人は絶望の無為に打ちのめされ、富への欲望をすべて捨ててしまう。善良な魂と高貴な生まれの人の中には、徳の獲得に身を投じる者もいる。彼らは、あの世で幸福を得たいという願望から、この世のあらゆる幸福を放棄する。
あの世での幸福を得たいという願望から、この世のあらゆる幸福を放棄する。富を得たいという欲望に動かされ、人生そのものを捨てる者もいる。これらの人々は、富から切り離された人生に何の意味もないと考えている。彼らの哀れな状態を見よ。彼らの愚かさを見よ。人生がこれほど短く不確かなものであるにもかかわらず、無知に突き動かされた者たちは、富に目を向ける。破壊がその終末であるときに蓄財に心を向け、死がその終末であるときに生に心を向け、分離がその終末であるときに結合に心を向ける者がいるだろうか。富を失って悲しむような知識を持った人間がいるだろうか?富を失い、友を失う者は、この世に他にも大勢いる。王よ、汝の知性をもって見よ、そうすれば汝は、人を襲う災難はすべて人自身の行いによるものであることを理解するであろう。それゆえ、汝は(救済策として)、汝の感覚と心と言葉を抑制せよ。なぜなら、もしそれらが弱くなり、悪を生み出すようになれば、常に取り囲まれている外的対象からの誘惑から身を守ることができる者はいなくなるからである。誰も過去について十分な考えを形成することができず、また未来を予見することもできないように、時間と場所には多くの間隔があるのだから、汝のような知恵と技巧を持つ者は、結合と分離、善悪のために悲嘆にふけることはない。そのような温和な性格、よく抑制された魂、落ち着いた結論を持ち、ブラフマチャリヤの誓いを守っている人は、決して悲しみにふけることはなく、小さな価値のものを得ようとしたり失ったりすることを恐れて落ち着きを失うこともない。そのような者が、人を欺くような托鉢生活、罪深く邪悪で残酷な、人の中の哀れな者にしかふさわしくない生活を送るのはふさわしくない。汝は大いなる森に帰り、そこで幸福な生活を送りなさい。たった一人で、果実と根を糧とし、言霊を慎み、すべての被造物に対する慈愛に満ちた生活を送りなさい。森の中で、大きな牙を持つ象を伴侶とし、傍らに人間を置かず、荒野の産物で満足しながら、そのような生活を陽気に送る者は、賢者の作法に倣って行動していると言われる。大きな湖が濁ると、それ自体が静寂を取り戻す。同じように、知恵のある人は、そのような事柄に心を乱されても、自らは静寂になる。汝のような窮地に陥った者は、こうしてでも幸福に生きることができるのだな。汝の繁栄がほとんど回復不可能なとき、そして汝が大臣も助言者もいないとき、このような道が汝に開かれている。汝は運命に頼って、何か利益を得ることを望むのか』」。