第12-161章.
ビーシュマは言った、『知識のある者たちは、すべての根源には苦行があると言う。懺悔をしない愚かな者は、自分の行いさえも報われない。偉大な創造主は、懺悔の助けを借りてこの宇宙をすべて創造された。同じように、リシたちは懺悔の力によってヴェーダを手に入れた。大帝が食物、果実、根を創造したのも、懺悔の力によるものである。禁欲的な成功の栄冠を得た者が、恍惚とした魂で3つの世界を眺めるのも、懺悔によるものである。薬や有害な物質に対するあらゆる解毒剤、そして(ここに見られる)さまざまな行為は、懺悔の助けによって意図した結果をもたらす。あらゆる目的の達成は、懺悔にかかっている。一見達成不可能に見えるものでも、懺悔の助けによって必ず達成される。間違いなく、リシたちは懺悔によって六重の神聖な属性を得た。アルコール性刺激物を飲む者、同意なしに他人の所有物を横領する者、姦淫の罪を犯す者、戒壇を犯す者は、すべて正しく実践された懺悔によって浄化される。懺悔にはさまざまな種類がある。懺悔はさまざまな形で現れる。しかし、あらゆる種類の懺悔の中で、快楽と享楽を断ってから実践することができるのは、食物の断食である。王よ、食物の断絶に伴う懺悔は、慈悲、真実の言葉、贈り物、感覚の抑制にさえも勝るものである。贈り物ほど難しい行為はない。母に仕えることに勝る生活様式はない。3つのヴェーダに通じている者に勝る生き物はない。同様に、離俗は最高の苦行である。人々は、自分の美徳と天国を守るために、自分の感覚をコントロールする。このように感覚をコントロールすることに関しても、徳を得ることに関しても、断食以上の苦行はない。リシも、神々も、人間も、獣も鳥も、その他、動くものも動かないものも、あらゆる生き物はすべて懺悔に専念しており、彼らが勝ち取る成功はすべて懺悔によって勝ち取られたものである。このように、神々がその優越性を獲得したのは懺悔によるものであった これらの(大空に輝く)光明が幸福の分け前を得たのは、常に懺悔の結果である。疑いなく、懺悔によって神格の地位そのものを得ることができる。