Chapter 10-2 : 包 ~Sladgehammer~

(投稿者:怨是)




「説明はこれくらいで充分でしょう。さぁ、帝国よ、さようなら! さようなら、全ての掃き溜めの国!」

 殺意が炸裂し、剣を構えたシュヴェルテスィルトネート側を目掛けて弾丸のように飛び込んでくる。
 目標が多すぎて目移りしているのか。彼女の視線は一人ではなくランスロット隊の全員や、スィルトネートの間を行き来していた。
 驚いた兵士の一人が短機関銃を足元に掃射するが、弾丸は彼女の進行方向の僅か後ろを追うだけだった。

「――撃つな!」

 フュールケが止めるや否や、スィルトネートが鎖付き短剣、グレイプニールを張り巡らせた。
 腰の鎖は両方とも千切ってしまったので、両腕から一本ずつの計二本で足元を狙う。
 幸いにして、銃弾の回避に夢中になっている彼女なら、やれるかもしれない。

 しかして鎖は見事に足首を絡め取り、シュヴェルテはその推進力を大きく削がれる。
 上半身と頭脳だけは「前へ、前へ!」と命令するが、下半身、両脚はそうも行かない。

 シュヴェルテの体が宙に浮かび、視界にスローモーションがかかる。




 スィルトネートは、つい先週の作戦にて木の根に足を引っ掛けて盛大に転倒した事を思い出した。
 あの煮え湯を飲ませたのは黒旗だ。八つ当たりと云われればそこまでだが、目を覚ましてもらうがてらに練習台となってもらうのも悪くは無い。
 仮にも当時ジークフリートに追いつくか追いつかないかと云われていた程のスコアを出していたのだ。
 ならば、後で厄介な事になる前に、ここでもう一度考え直して欲しい。
 そしてその打算よりも、何より彼女は大事な戦友だった。


 シュヴェルテは身体を捻り、前方へと一回転、地面に足跡の線を残す。
 その勢いで鎖を手繰り寄せられた為か、今度はスィルトネート側が防戦へと転じる事となった。
 ぎり、ぎりり、と音を立て、距離がゆっくりと縮まる。

「スィルトネート……そういえば貴女も削除対象に含まれていましたね」

「貴女の悲しみは伝わりました。ですが、この国を守るためにも、力ずくでも止めさせていただきます!」

「解ったような口を」

 シュヴェルテを拘束していた鎖は、大剣によって叩き切られる。
 その反動でスィルトネートは吹き飛び、後ろの樹木との衝突によって、未だ鈍痛の引かない背中にもう一度痛みを与える事となった。
 咳き込みながら、唯一無事な右手の短剣へと持ち替え、滲む視界に映った青髪の女性へと精一杯の反論を突き付ける。

「げぅッ――! ……貴女こそ帝国のすべてを知っているという訳ではないでしょうに!」

「蠢く悪が救いようのない類のものであるという事くらいは心得ていますし、それで充分であるとも思っています。
 貴女の崇拝していらっしゃるギーレン宰相は何を考えているのやら。あっさり私というものを切り捨てて、挙句アシュレイをああなるまで放って置いて。
 元凶をどうするかも考えていないのでしょう、どうせ。難儀なるかなギーレン・ジ・エントリヒ! 救い難いクズとは彼奴の事だ!」

「私の前で宰相閣下の悪口を云うな!」

 スィルトネートとシュヴェルテとが、互いに肉薄する。
 鍔迫り合いをするにはこちらの短剣は心許無いが、何、左腕に残った鎖が盾の代わりになってくれる。

「さんざ私の悪口は放置したくせに! そうですよね、貴女は所詮彼の人形でしかない、貴女が見過ごしてきた悪は、すぐそこに手を伸ばしているというのに!
 でも安心してください。あなた方が毎日のうのうとした顔で過ごしてきた悪の代行人となり、それらを断罪してさしあげますから」

 剣戟、そしてまた剣戟。
 シュヴェルテは何もかもを抉り取るような強引な一撃を振り回し、対するスィルトネートは重たい一撃を回避し、短剣による突きを行う。
 火花が飛び散る前に、周辺の草木に猛獣の爪のような跡が刻み込まれ、その度に地面はぐしゃぐしゃになっていった。
 スィルトネートは何度も、木の根さえもバターのように両断される様子を間近で見る。

 ランスロット隊は誤射を恐れてか、かつての戦友を撃つ事に躊躇いを感じるのか――恐らくは後者であり、スィルトネートとて彼女を殺したくはなかった――射撃による援護を行わないようだった。
 同時に黒旗の面子も、武器を失って立ち往生している。
 そうこうしている間に、左腕の鎖にシュヴェルテの大剣が喰らい込んだ。
 骨から響く鈍痛が、鎖抜きで受け止めてはならないという事を雄弁に語っていた。
 金属の潰れるような音と、火花と共に鎖が弾ける様子に冷や汗を流しつつ、スィルトネートは反撃の機会を伺う。

「くだらない復讐が新しい憎悪を生むと知っていながら……」

「その当たり前の摂理を知らぬまま生きる多くの無知蒙昧な者達に、私はそれを知らしめてやろうというのです。いわば復讐を兼ねた啓蒙活動ですよ」

 ――今、弱まったか。
 スィルトネートはシュヴェルテの顔面に張り手を浴びせ、叱責する。

「何と傲慢な!」

 その行為にシュヴェルテは激昂したのか、空いている左手でスィルトネートの首を締め上げる。
 喉の辺りから臼の擦れたような音が鳴った。

「傲……慢……? 貴女に云えた台詞ですか。返せ! 私のアシュレイを返せ! 私の心を返せ! 返せッ!!
 私がどれだけ苦しんできたか! 私がどれだけ悲しんできたか! 信じてたのに! 私はこの国が大好きだったのに……!
 どうしてですか! どうして私達をここまで! 掃き溜めに私達を詰め込んで、みんなして蓋をして……私が何をした。私が何を間違えてしまったというのですか!」

 彼女が叫べば叫ぶほど、締め上げる力は強まって行く。


「ぐッ……あの時の、貴女、は……何も間違っていません、でした……」

「ほらやっぱり……そうでしょう? 私は間違っていない。私もアシュレイも間違っていない!
 貴方達が殺した。私達の心を殺してしまった。つまり、そうなのでしょう? 貴方達が歪んでいたという、何よりもそれが! 証拠!
 消えろ、消えろ、消えてしまえ! 火達磨になって地獄に堕ちろ! お前達はやりすぎた! イレギュラーめ!」

「ぉぇ……げゥ――ッ!」

 視界が急に回転し、またしても背中を激痛が襲う。
 今度は、後頭部の痛みもおまけとして付いて来ている。
 樹木に叩き付けられた事に気づいたのは、背中を伝う木屑がブーツを鳴らしてからだった。





「お願い……考え、直……し――」

「――だーかーら。虫が良すぎるって云ってるでしょうが。結局あなた方は、無かった事にしたいのでしょう?
 時間が過ぎ去れば、きっと元通りになるとでも? 時間は特効薬になりません」

 何度もスィルトネートを樹木に叩き付ける。
 勝利を確信したシュヴェルテの笑顔は、名状し難い憎悪と、どす黒い執念に歪んでいた。
 彼女の双眸に滾る暗い空色が、スィルトネートに教えた。後戻りできる期限など、とうの昔に過ぎ去ってしまった事を。
 何もかもが度を越していたのだ。

 脱出を試みるスィルトネートの腕を、膝で蹴飛ばす。
 蛙を潰したような小さな悲鳴がシュヴェルテの鼓膜を撫でた。その度に、笑顔に炎が灯って行く。

「これにて、お別れです」


 その笑顔に冷や水を差し込んだのはフュールケらの銃口だった。
 背中に突きつけられた幾つもの小銃が、シュエルテに縋り付く。
 もう、これ以上はやめてくれ。俺達の知っているシュヴェルテに戻ってくれ。
 ささやかな未練を、まだその切っ先に残しつつ。

「後ろがお留守なのは相変わらずだな」

「でも、貴方は撃てない。撃つ事が出来ない。何故か?
 私が元に戻ってくれる“正気に戻ってくれる”という事を期待しているから」

「……」

「ほら、そうやって嵐が過ぎ去るのを待っている」

「……一発だけ撃たせろ。当たり所さえ気をつけりゃあ、死にやしねぇさ」

 トリガーにかけられた指に、少しずつ力が入る。
 ゆっくり、ゆっくりと指が強まるところで、それは突然襲い掛かった。


 隊員達の肩や腕に、次々と銃弾が撃ち込まれる。
 この場の黒旗は全員武器を失い、取り押さえられている筈だった。
 二つの方向から、交互に咆哮が巻き起こり、硝煙の芳香が血液と交じり合う。

「ちくしょう!」

 一つ、また一つと武器が叩き落され、土埃が舞い上がると同時に右腕に激痛が走る。
 拾おうとすれば弾丸がそれを遮り、振り向けば濃厚なプレッシャーが黒々と迫り、鼻筋を撫でた。
 六十人単位の人間が取り囲んでいる。左腕には黒い腕章があり、皆、一様にこちらを見据えている。
 完全に包囲された。正規軍は黒旗を囲んでいたのではない。実は、黒旗に囲まれていたのだ。

 プレッシャーの中心に立つかのように、見覚えのある男がフュールケの眼前に姿を現す。
 先ほどの銃撃の主はこの男か。銃口から立ち上る煙がそれを雄弁に物語っている。
 ライオス・シュミットの持つファウガー拳銃の銃口と、投げ捨てられた弾倉が、それを雄弁に物語っている。


「黒の包囲網へようこそ」

 そのまま悠々と足を進め、シュヴェルテからスィルトネートをひったくり、拘束する。
 体力に秀でているわけでもなければ、特に馬鹿力が出るわけでもない。スィルトネートの取り得は鎖を操る技術力と、集中力だった。
 その双方を奪われた時、戦力としての死を意味する。

「げほッげほ……ごほ――ぁ……」

「スィルトネートは殺さん。が、暫く預かっておこう」

「待てよ!」

 フュールケが足を踏み出すよりも早いか遅いか。
 9mmの銃弾が足元の土を抉り、まだ青々としていた落ち葉が焦げる。

「動けば死ぬぞ。この包囲網を統括しているのは私ではない」

 シュミットは神妙な面持ちで続ける。

「こうしてお前を殺さないで居るのも、ひとえに私の独断によるものだ。帰れば叱責が待ち受けているかもしれん。
 “なぜ貴重な弾薬を対象の殺害に用いず、制止させる為に浪費したか”とな。
 ……だが、容赦なく屠るのは犯罪者、生きるに値しないクズだけでいい。身内に対してはより精巧に、精密にかつ綿密にこちらの真意を伝えたいと私は思っている」

 フュールケは表情を強張らせる。よく煮えたぎったスープに、生の魚を叩き込んだ、あの感覚に似ている。
 シュミットは余裕を見せたのだ。本来なら殺せるが殺しはしない、などと。
 それがまたフュールケにとっては不可解であると同時に、不快を極めるものだった。
 バベルの塔が崩壊する以前から、きっと人々は分かり合えなかったに違いない。
 共通の言葉を以ってしても心が通じ合う事は無いのだから。本人の心を写し取ったとしても、きっと理解し合える日は来ない。
 夢で何かを拾ったとしても決して現実に持ってくる事が出来ないのと同じである。
 心の中の物を掴み取る日は永遠に訪れない事を、フュールケは知っていた。

 それ故に下手に止めてスィルトネートごと蜂の巣にされる事も避け、今ここでシュミットを殴り飛ばしたりもしなかった。
 せいぜい二分隊程度の戦力が、小隊規模の包囲網に太刀打ちなどできる筈も無い。
 正義のヒーローが現れてここにいる黒旗を全滅させる事を白昼夢に描いた所で、キャンバスからその絵が飛び出る事も無い。
 現実の冷徹さをフュールケは心中で何度も怨んだ。

「連れて行け。丁重にな」

「はッ」

 満身創痍のスィルトネートが鎖に繋がれ、コア出力抑制装置を首に取り付けられた状態で、まるで警察官が犯人を連行するかのようにされている様子を見ながら。
 シュヴェルテがやや不満げな表情――それも空腹や寝不足などに近い、何らかの枯渇を訴えるような物欲しげな表情――を浮かべている様子を見ながら。


「誤解するなよ。我々はエメリンスキー旅団のように売り捌くなどという下劣な真似は一切するつもりは無い。
 まして、順繰りに輪姦するなどという愚行など……」

「てめェ、そりゃどういう……」

「シュヴェルテに関する調書にそのような記述があってな」

「何……!」

「彼女がどのような経緯で我々に協力してくれるのかは知らん。また深く詮索するつもりも無い。が、エメリンスキー旅団の悪行の一角を照らした事は評価に値する。
 十字勲章を与えても良い程にな。このお陰で我々は遠慮会釈も関係なしに彼奴らを潰せるのだからな。そう思うだろう、フュールケ」


 何かを徹底的に嘲う時、何かを強く憎む時。
 その時の自分の顔を鏡で見れば、唾棄すべき醜さが眼前に鎮座している。
 ――脱力感に溺死しそうになりながら、フュールケは空中分解する思考の中でふとそのような事を考え付いた。
 一言にまとめてしまうのなら、ミイラ取りがミイラになる、同じ穴の狢など、様々なことわざになる。
 が、この二行に込められた言葉こそが、フュールケにとっての真理であった。
 ぞろぞろと後方警戒をしながら足早に去って行く黒旗の集団を見ながら、フュールケは結婚して子供が出来たらこの言葉を伝えたいと思った。

「ランスロット隊より作戦本部へ……スィルトネートが拘束された。俺はもう駄目だと思う」

《こちら作戦本部。フュールケか。致命傷を受けたとは思えん声だ。ン、待て……今、何と?》

「スィルトネートがしょっぴかれたっつってんだよ」

《……シャンパンをプレゼントしよう。空瓶だが》

「ビンタじゃ足りねェってか」

《ここは軍隊である。それ以前に私は人間であるし、作戦本部は中間管理職だ。意味は理解できるな?》

 ――シュヴェルテがカチ切れて黒旗に寝返った理由が何となく解ってきたよ。確かにこりゃ駄目だ。

 どうせ命令違反で軍法会議にかけられた身分だから心配しろなどというのは我侭だった。
 が、どこかに――それも身内以外の人間に愚痴でも撒き散らさない限りは、毛糸の玉を焼き尽くしてしまう。

「何ァに、どうせ半年後にゃあ首切られるんだ、俺達がどうこう出来る問題じゃねぇって。せいぜい安物の酒瓶で殴るなり何なりしてくれよ。痛くも痒くもねーや」

 数の暴力には誰も勝てない。
 一発の大砲よりも、数千発の機関砲である。
 否、フュールケにしてみればランスロット隊は大砲にもならなかった。
 せいぜい口径の小さい無反動砲の一発程度である。そもそもこちらに増援を寄越す気配すら無いのだ。

 かくしてスィルトネートは眼前から消え去り、そして残るはジークフリートのみ。
 皇室親衛隊に寄生し続ける“由緒正しき皇帝派”の皆様は目出度いチェックポイントを通過するという筋書きだろう。
 今までの流れを見ればすぐに解った。あの忌々しい老害どもの中には、離反などせずに美味い汁を啜る者も数多くいるに違いない。
 しかし、フュールケはフィクションの英雄ではなかった。ただの人間であり、ただの軍人であり、二十そこらの若造である。
 八十年近い人生の、ほんの四分の一を過ごした所で何ができるか。

 社会と云う巨大な化け物にたった一人で立ち向かって――否、仲間と共に持てる力を総動員して立ち向かって、そして無残な死を遂げた人間を一人知っている。
 アシュレイ・ゼクスフォルトは惨たらしく屠殺されたのだ。精神を、社会に。
 ありとあらゆる場所に悪意と云う名の釘を叩き込まれ、やわらかくなった肉を斧で何百分割もされて、社会の食卓へと提供された。
 或る肉はスープの具として煮込まれ、また或る肉はグリル焼きで日曜日の礼拝の日に食卓に並んだのだ。
 いつかは皆、屠殺場へと連れて行かれる。猪は皆、猟銃で狙われている。

「隊長、帰ろうぜ」

「始末書の記録更新しなきゃな。“ゴール”までにどんだけ稼げるかな」

「俺も飛行隊の連中に説明せんと……騎士姫さんをしょっぴかれたのは、俺にも責任がある」

 ベッセルハイムにグリッツに、ハッセ。飛行隊のベイルアウトの達人こと、バルトナー。
 当時の仲良し仲間はご健在と来た。遠からぬ日に追い出される身分としては、彼らの処遇がどうなるのかが気になって仕方が無かった。


最終更新:2009年04月12日 13:19
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