(投稿者:エルス)
何処にも何も無い。そんな表現がピタリと気持ちの良いくらいに当て嵌まるのが
アルトメリア連邦領の
ほぼ真ん中に広がる砂漠地帯だ。何処までも続くような平坦な地形と周りを取り囲むようにして連なっている
岩山の御蔭でGを誘き寄せて一斉砲撃で殲滅するなんて事にも使われた、れっきとした古戦場で、現在はアルトメリア連邦
陸軍の物資集積所や
補給基地が点在する、重要な拠点となっている。
そんな所で、アルトメリア連邦にはよく居るゲリラが物資集積所で弾薬を補給していた
アルトメリア連邦陸軍第1機甲師団第3旅団戦闘団所属第13機甲連隊第17小隊と今日も明日を生き残る為に弾と食料と燃料をめぐって戦っている。
「10時方向に敵兵確認!仰角12度!てぇっ!」
「オラオラオラぁっ!榴弾砲くらい避けて見やがれや!この負け犬どもがよぉっ!」
「ざまぁねぇなぁ?カッコばっか付け上がったクレイジー野朗が!」
が、しかし、この第17小隊とやら。物凄く強かったりする。口調と見た目こそチンピラそのものだが、砲撃の的確さやら運転の上手さやら
で陸軍の上位クラスの腕前なのだ。しかも、搭乗車種が数あるシェイマンの型の中でよりにもよって対人戦闘に向いている榴弾砲装備のシェイマン
であるから、ゲリラ部隊は言葉どおりの全滅一歩手前だ。
―――[◇]―――
と、そんな戦場を見つめる視線が二つ一対。M1944対戦車ライフルを構えて狙撃の体勢に入っているのは、艶の無い赤毛と鷹の目を持つ女狙撃手、
ソイリンだった。
距離は121.7m、風速は限りなく零に近く、一番気を付けなければならないのが陽炎。しかし、赤毛の悪魔は迷い無く鉄爪を引いた。
12.7mm×99弾を使用するM1944対戦車ライフルの銃口が火を噴き、徹甲弾が一番此方に近いシェイマンの右キャタピラに着弾し、地面の砂が舞い、視界を遮った。
が、ソイリンは遊底を引き排莢し次弾を装填した。砂対策としてゴーグルとスカーフを付けているからだ。迷彩効果を期待して、砂と同じ色のコートも羽織っている。
本来は射撃位置を移すのが良いのだろうが、砂漠での狙撃は専門外のソイリンには、理解できないことだった。
砂埃は風が無いために落ちるのを待つしかない。だが、それでも赤毛の悪魔は鉄爪を引いた。
銃口が火を噴き、肩に反動が来た。弾丸は先程右キャタピラを撃ち抜かれたシェイマンの戦車長の胴体を真っ二つに引き裂いて、貫通した。
またもや砂が舞い、視界が遮られるが、ソイリンはまた同じ動作を繰り返した。照準眼鏡から目を離して、確実に焦らず、必殺の弾を込める。
次に照準眼鏡を覗き込んでも、最初のような晴れた視界は無い。砂埃で良好とは程遠い視界が広がっているだけだ。
視界は晴れない。それでもソイリンは見えていた。銃口を向ける相手がクッキリと。
この一撃で決めなくてはならないと焦りが出る。一度息を吐いて、ゆっくりと吸う。
口をスカーフで覆っているのに乾いた空気が舌を乾かす。焦っては獲物は逃げてしまう、と心の中で反芻する。
榴弾砲の発砲音が響き、そんなに間を置かずに着弾音が鼓膜を震わせて、地面を揺らす。
そんなに離れた所じゃない、と大凡の考えを持ちながら当たれと念を込めて鉄爪を引く。
砲口が此方を向いていたので、
白夜戦争の際に使った策を行ったのだ。
弾丸の型は焼夷弾。狙いは砲口内部に装填されている榴弾。外れるかと思ったが、命中したらしい。
爆発音が聞こえた。ソイリンは敵戦車一両を撃破したと知る。しかし、遊底を引いて排莢し、弾を込めて移動した。
まだ敵は居る。そう考えていたからだ。
現実問題として戦車に抵抗なしえる兵力がゲリラの残存部隊に残されているとは到底思えず、全滅している可能性も否定できない。
更に物資を分捕る、と何の作戦も無しに突撃した為、敵の援軍が来る可能性だってある。
理不尽と思える程の戦力差。だが、退く理由が見当たらない。
逆に敵を撃つ理由ならある。一秒先を生き抜く為だ。生き抜く為に狙い撃ち、明日に寿命を延ばす。何時もそうしてきた。
第二地点に移動を終了すると、そのまま腹這いになって照準眼鏡を覗いた。太陽に照り付けられて熱を持った砂が熱かったが、死ぬ程も寒いよりまだ良い。
距離は117.6m、風速は変わらず零に近い。陽炎も相変わらずゆらゆらと揺れていて、変わった事と言えば残りのシェイマン二両が撃つのを止めて周辺を警戒してる事だけだ。
壊されることが無いだろうと思っていた戦車が一両壊されたのだから、当然の事なのかもしれないが、ソイリンには酷く頭の悪い行いにしか見えない。
警戒するのは良いが、戦車長がのこのことハッチから上半身を曝け出すのは、狙って下さいとお願いされている気がするのだ。
「貴方も。馬鹿だな」
ボソリと呟いてから鉄爪を引く。言葉代わりに銃弾が届き、パッと派手に赤い花が咲いた。血肉が吹き飛んで、ほんの一瞬花に見えるだけだ。
見ていても気分を害するだけなので遊底を引き排莢し、次弾を装填し、照準眼鏡をまた覗く。急いで退避するシェイマンが見えたが、最高時速40km/h程度で完全に逃げ切れる訳が無い。逃がす情も無い。
けれど、弾が無い。味方もそれ程いない。
逃がすしかない。
獲物を全て仕留められない悔しさを胸にソイリンは立ち上がり、口を覆っていたスカーフを下げ、ゴーグルを上げた。
汗が玉になって空を舞い、乾いた地面に落ちてそのまま後を残さずに吸い込まれた。一息つくと、まだやる事が残っている事に気づいた。
「帰らなければ」
ボソリと呟く声は持ち手の居ない風船と同じように軽々しく、何処か弱々しく、しかしそれでも芯を感じさせる不思議なものだった。
だが、もっとも単純な疑問が頭に浮かぶ。それは何故今まで忘れていたのか不思議なくらい重要なもので、悲しい現実の一つでもある。
「でも。何処へ」
陽炎で揺れる景色で動く人影は少ない。ゲリラが戦車小隊を撃退したという奇跡の代償か、生存できたのはたったの四名。その中で怪我らしい怪我をしていないのは、ソイリンのみ。
他は戦う為の体力も弾も残っておらず、今さっきの戦車が戻ってきたら確実に全滅するだろうという危険が目の前に出現する。回避しようにも負傷した仲間を連れて行けば、追いつかれて
挽肉にされてしまう。なら、以前したように仲間を見捨てて自分だけ生き残る。後味は悪いが、しかし、生き抜くためにはそれ以外の方法が見当たらなかった。
幾ら考えても、その答えしかない。と、人知れず苦悩していると誰かの視線を感じた。大凡八時方向、狙撃銃では無い、恐らく双眼鏡か何かだろう。
振り向いて其方を見る。大破して朽ちているシェイマンの残骸が点にしかなっていなかったが、見えた。
「誰だ。私を見ている。貴方は」
赤髪の悪魔は、その視線の持ち主を睨み付けた。
―――[◇]―――
睨み付けられたのは十歳半ばの少女だった。といっても、その身に纏う雰囲気は古参軍人と同じ緊張感と威圧感を持つもので、背後に控えている兵士達も皆しっかりとしている。
彼女―――
クリスティアは自称ステレオタイプの悪の組織を名乗る
ヴェードヴァラム師団、通称V4師団に所属しているメードであり、その背後に控えている兵士達は皆彼女の教え子だ。
そして今、クリスティアは自らに向けられた視線を受け止めて、にやりと笑みを浮かべ、砂漠に佇む、赤髪の悪魔と呼ばれる狙撃手の事を思い出していた。
「ふっ・・・懐かしいな。まさかこんな所で再会するとは・・・」
何年も前の話だが、ソイリンと彼女は一度だけ会ったことがある。ルージア大陸で活動していたゲリラのキャンプで、蜥蜴の尻尾を食べていたソイリンを見て彼女が声を掛けたのだ。
まともな食事をさせてやると言う彼女にソイリンは飢えている訳でもなく、充分食べていると反論したが、持ち前の風船のような雰囲気と彼女の兵士を思う気持ちが重なって、困った時は
私に相談しろと彼女は言ってソイリンは頷いた。
それから時が経ち、またこうして再会した事に、彼女は感謝した。よくぞ今まで生き残っていてくれたものだ。
しかし、そんな気持ちなど伝わるはずも無く、双眼鏡越しのソイリンは此方を敵視したまま動かない。瞬きをする以外、ソイリンは全く動かないのだ。
「流石は狙撃手、と言った所か。・・・ジョナサン!」
「はい!何でしょうか?」
「隊を移動させるぞ、私について来い」
「イエス・マム、おい!移動だ!来い!」
指示を出した後、もう一度双眼鏡を覗き込むとソイリンは変わらず、此方を睨みつけていた。
―――[◇]―――
睨み続けていたその点が次第に大きくなっていき、砂埃を上げながら此方に走ってくる兵隊が見えるようになると、その真ん中で含み笑いを浮かべている人物が誰なのか、ソイリンには容易に特定できた。
霞んだ記憶に残っている白髪と軍服、初対面である筈のゲリラに、まともな食事をさせてやると言ってくれた、あのメード―――クリスティア。小さい体が不思議と大きく見えたのをしっかりと覚えている。
しかし何故、そのクリスティアがアルトメリアに居るのだろうか。もしや、軍の援軍?いや、軍関係者がゲリラのキャンプに来ることなど決して無い。なら、何だ。
その場に立ち尽くしたまま考える。その結果、一つの答えが浮かんだ。
クリスティアは我々の味方である。
しかも、状況から察するにどうやら助けてくれるようで、一番遠くで這いずり回っていたゲリラ兵にクリスティアの後ろに付く兵士は手を貸し、水を与えている。
胸に圧し掛かっていた荷が下りた気分だった。緊張と過労でぼろぼろの体が今更悲鳴を上げて、脚の力が抜ける。地面に膝を付いて前のめりになった瞬間、
突然横から伸びた小さな腕がソイリンを支えた。
「こんな所で野垂れ死ぬ気か貴様は。・・・久し振りだな、ソイリン」
辛うじて動く首を回して視線を動かせば、軍服と長い白髪、そしてコートが見え、最後に幼い少女らしからぬ大人な表情をした顔がそこにあった。
前に会った時も、こんな顔をしていた。他のメードとは違う、軍を知っていて本当の前線を知っている、そんな顔だ。
古参兵のそれに似た威厳と地獄を生き抜き、それでも尚立ち向かう者だけが持つ、芯のあるその目。
明らかに違うその存在に、ソイリンは改めて敬意を覚え、そして驚いていた。
「クリスティア。どうして。ここに居る」
「単刀直入に言うなら。そうだな・・・お前を引き抜きに来たのだ」
真剣にそう言った彼女の顔を見ると、ソイリンは頷いた。誰かの為にこの命を捨てられるのなら、それが本望だ。意味も無く死ぬのだけは嫌だと、あの白い戦場でも思っていた。
だから、初対面でも私を頼れと言ってくれたこのメードに命を預けようと、ソイリンは心に決めた。
死ねといわれたら銃を咥え込んで鉄爪を引こう、殺せといわれたら迷いも無く鉄爪を引こう、彼女を心から信じ、全ての命令を忠実にこなす。短時間でその覚悟は出来た。
そして彼女の口が開く。
「ならば貴様は今から私の部下だ。私の命令以外で死ぬ事は許さんからな、覚悟しておけ」
「分かった。私は貴方の物だ。扱いは任せる」
「良い返事だ。自力で立てるか?」
「やってみる」
上手く力の入らない身体に無理矢理力を入れて、ソイリンは立ち上がろうとしたが、二三歩程よろけると四つん這いになり、嘔吐した。
「馬鹿か貴様、自分の身体を考えてものを言え。・・・もういい、一先ずアジトに帰ってからだ」
「ごめん。なさい」
「謝る事ではないが、まぁ良いだろう。それと言い忘れていた」
「?」
少しだけ首を傾げたソイリンに手を差し伸べながら、クリスティアはこう続ける。
「ヴェードヴァラム師団へようこそ。ソイリン、私は貴様を歓迎する」
差し伸べられた手を、赤髪の悪魔はしっかりと握り返した。
彼女の元でなら、どんな地獄でも生き抜ける。
そんな希望を持ちながら。
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最終更新:2009年10月29日 10:03