流れる風は紅く、追う風は蒼く

(投稿者:刃神氷雨)


それはひとつの出会い。
少女の進む道を照らした、出会いの話。



A.D.1943年 グレートウォール戦線 最前線。

MAID-メード-。人類が造り出した、その人類の天敵たる「G」に対抗するための存在。
人の形でありながら人を遥かに上回るその戦闘能力は、今や世界に必要不可欠な存在、に近いものと化していた。
だがそのメードも、造り出されたその瞬間からGを圧倒できるわけではない。
様々な教育・教練を施され、十分な教育期間を以てして初めてそれは兵器として成り立つ。
例え力があろうとそれを操る術を持たなければ、単なる宝の持ち腐れというものだ。
そしてその力も教育も未熟で不十分ならば。過酷な戦況下の中では、そのような状態で駆り出されるメードも少なからずいるのである。
彼女―――エチルもまた、その一人であった。
「はっ、はぁっ、ハ―――!!」
初めて降り立つ戦場。
初めて戦う人類の天敵。
初めて感じる戦場の空気。
その全てが、エチルを疲弊させ、混乱させ、気付けば孤立していた。
人間が狩りをする時は、基本的に集団で狩りを行うケースが多い。
一人が危険な状況に陥れば助けが入る。常に自分達は『狩る者』の立場で居られる。
そう言った心理的な面においても、人は集団で行動する、という考えを心の根底から持っているのである。
ならば一人になればどうなるか。未熟な者が単独で狩りに出ればどうなるのか。当然の帰結だ。

『狩る者』と『狩られる者』の立場は、その瞬間逆転する。

その結果、エチルはGを『狩る者』から、Gに『狩られる者』へとその立場が変わってしまっていた。
手持ちの武装は片刃の西洋刀と、クロッセル連合陸軍に正式に支給される拳銃のみ。
たったこれだけの武器でGの大群を相手にできるのか? 当然無理だ。それがまともな訓練すら積んでいない新兵なら尚更のことである。
とはいえ、彼女も唯々逃げ続けただけではない。如何に場慣れしていなかろうとそこはメードとして生を受けた身だ。
孤立してから既に十数分が経過し、当然その最中に数度Gに補足され、そしてこれを全て退けている。
地形を使い、技を用い、あらゆる手段を駆使して、その全てを凌ぎ撃退してきたのだ。
だが既にその精神は混乱と衰弱の極致に至り、剣を握る腕すら、震え始めていた。
先程から地形に身を隠しながらGをやり過ごしてはいるものの、見つかるのは時間の問題。
今の状態で見つかればその結末は火を見るよりも明らかで、確実なものであることに相違はない。
肩が震える。
眼尻に涙が溜まる。
瞼を閉じれば涙が零れ落ちた。
死の恐怖を直感していた。

その時は唐突に、しかし必然に。

影が落ちる。
振り向けばそこにはGが居た。
ウォーリアと呼ばれる、半ば人の形を模したような外観を持つG。
ワモン型から進化した種と推測されてはいるが、その戦闘力は本来のワモン型と比べ物にすらならないほど飛躍している。
単独ではワモン相手にやっとこさ勝てるレベルまでに実力が落ち込んだ精神状態である今のエチルに勝ち目等、万に一つもあり得ない。
だがその状況下で、エチルは絶望しきっていなかった。
半ばやけくそ気味ではあった。だが、黙って死んでやるつもりはないという意志が、その双眸からは確かに感じ取れた。
震える手を強く固く握りしめる。
恐怖と不安を、勇気で塗り潰す。
「―――ッあああああああああああああああ!!!」
一閃。振り向き、回転する力を乗せた、今のエチルの全力の一撃。
その剣閃はウォーリアの胴体を見事に掻っ捌き、グロテスクな体液を撒き散らす。だが、絶命には至らない。
瞬時に空いた左手で拳銃をホルスターから抜く。銃口を先程の斬撃で付いたウォーリアの傷口に、全力で捻じ込む。そしてトリガーを引く。
一発。
二発。
三発。
四発。
五発。
六発。
銃口が火を噴く都度に醜い体液が噴き散る。
リボルバーの弾倉が空になってもまだ狂乱したかのようにトリガーを引き続ける。事実狂乱していた。
死にたくない、ただその一心が今の彼女の原動力になっていたのだから。
しかし、どの世界に於いても現実とは非情であり、残酷なものである。
全力で放った剣風と弾丸の風を一身に受けておきながら、目の前のGはまだその命を燃やし続けていた。
絶句したエチルに、一撃が入る。重い、重い、痛烈な一撃。
「っご、ハッ―――ァ……!?」
前肢から繰り出されるボディーブロー。
咄嗟に剣を盾代わりにして衝撃を受け止めようとするも、剣は容易く砕け、そのままエチルの腹に抉り込み、彼方へ吹き飛ばす。
もしも反応が遅れてそのまま喰らっていようものならば腹部を貫通し、そのまま絶命まで一直線だっただろう。
ボウリング玉のように転がり続け、激突した岩肌に小さなクレーターを作り、ずるりと倒れこむ。
今の一撃で内臓器官をかなりやられた。咳き込むごとに多量の血液が口から吐出する。四肢に力が入らず、立ち上がることすら叶わない。
そもそも力が入ったところで、その心が再び恐怖と不安といった黒い感情に塗りつぶされ、戦意を喪失していたので意味はなかったのだが。
一歩。また一歩。ウォーリアが近付いてくる。
先程エチルが与えたダメージは決して軽いものではない。あと数分もすればこのGも物言わぬ亡骸と化すだろう。
だがそれより先に自分が殺される方が早いだろう、と皮肉交じりにエチルは思う。
目と鼻の先まで近づいたウォーリアの前肢が振り上げられ、その矛先がエチルを捉える。
エチルは目を閉じる。
あぁ、私は死ぬんだ―――と。
頑張ったから、いいよね―――と。
全てを諦めるように、現実を放棄した。

「オイオイ、どこまで後ろ向きなんだお嬢さん」

自らの死を覚悟していた。
数瞬の後、それが杞憂に終わったことをエチルは知ることになる。
頭上からかけられた一言。その言葉に反応して目を開いた彼女が見た光景。
恐らく彼女は、その光景を一生涯忘れることはない。
それほどまでに、その背中は印象的だったのだから。
迫っていたはずのウォーリアは縦一文字に斬り砕かれ即絶命。
代わりに眼前に立っていたのは紅蓮の衣服を身に纏い、側頭部に束ねた黒髪を靡かせ、悠然と立つ一人の女性だった。

「うひゃー、危ない危ない。あと1秒遅れてたらアウトだったわ」
エア。クロッセル連合陸軍が保有するメードの一人であり、メードの中でも古参に部類される歴戦の戦士。
そして『大虐殺の暴風(カーネイジ・テンペスト)』の異名を持つ、対殲滅戦の切り札。
即ち、エチルの目の前にいる女性その人。
手に握る身の丈ほどもある大剣を軽々と振り回し、担ぎ直す。そのまま振り向いて屈み、目測でエチルの傷を確認する。
「ふーむ……肋骨数本逝ってる上に内蔵もやられてるなぁ。 肺が潰れてないのが救いかねぇ」
うんうんと一人で納得し、立ち上がるエア。
「相方が救援も呼んであるしそれまでは保つっしょ。 もう暫くの辛抱だから痛みの方は我慢ねー」
エチルは安堵しながらも戸惑っていた。というよりは困惑のほうが正しかった。
仮にも戦場であるというのにこの楽観ぶり、というか軽すぎるノリ。少なくとも自分がメードという存在に持っていた価値観を引っくり返されるどころかバラバラに引き裂かれたくらいの次元の心情。
戦場に長く身を置いていればこういう考えもできるようになるのか、はたまた目の前の彼女がおかしいのか。……まぁ、言うまでも無く正解は間違いなく後者なのである。
何せ日頃から「毒電波を受信している」だの「まともな会話が成立することを期待してはいけない」だの「むしろ会話が成立したら負け」だの言われてる類の、そういった人種だからしょうがないとしか言えない。
だがそれは今のエチルにとっては些細な問題だ。目の前の女性に命を救われた。それは紛れもない事実であるのだから。
「ぁ……あなた、は……?」
絞るように声を紡ぐエチル。内臓を損傷している為、喋るという行為自体でも現時点では苦痛でしかない。だが、それでも聞かずにいられなかった。
「私? んー……そうだねぇ……」
そうやって少しだけエアは唸り、その回答は―――

「通りすがりの空気さんと呼ぶよろし」
寧ろ空気が凍りついた。

そんなテンションで話し続ける彼女を見てエチルは毒気を抜かれた、というか完全に緊張の糸が切れてしまった。
それがいけなかった。
エアの背後にいつの間にか近付いていた4体のウォーリア。その全てが今まさにエアの命を貪らんと牙を剥けていたのだ。
エチルは後悔した。戦いの場で一瞬でも気を緩めた自分自身に。自分が気付いていれば、このような事態にはならなかったかもしれないと言うのに―――
「……っ! 逃げ―――――」
声を振り絞る。間に合えと強く祈りながら。

エチルが言葉を紡ぎ終えるのと、エアが手にする大剣が振り抜かれたのは、ほぼ同時だった。
「―――ぇ」
信じられなかった。
完全に死角を取られ、しかも相手は既に攻撃動作に入っていた。
その上で尚。瞼を閉じているどころか相手を見ることなく、さも後ろを取られていることが当然のように。
背面に居たはずのウォーリアの頭部が全て消し飛んでいた。
その全てが生命を断たれ、力無く倒れていく。
「……はぁ。ちょっとくらい空気読まないかなぁ、私のように」
溜息を吐きながら、聞く人が聞いたらどの口が言うかという返答が即座に帰ってくるであろうエアの発言。
「……エア……それ、妄言」
小さくも透き通った、しかしグサリという擬音が付きそうな一言がエアに突き刺さる。
「うわっ、こりゃまた手厳しい。純真無垢なグラスハートを持つ空気さんになんて物言いを」
声の主が煙草の煙を纏わせながらエアに近づく。
栗色のショートボブに黒いコート、片目に十字架の装飾が施された眼鏡、そして何より印象的なのは。
右目を中心にした大きな傷跡と両手に携える拳銃と思わしき大型銃器、その背に背負う2メートルはあろう巨大な黒十字だった。
「……1匹仕留め損ねてた」
「どうせカナは撃ってたでしょ? なら斬る必要なかったしねぇ」
若干困ったようにエアが笑う。
カナデ。エアと同じくクロッセル連合に所属するメード。
エアの良き理解者兼パートナーであり、そして親友。
先のカナデの言葉が意味する通り、エアの背後に迫っていた4匹のウォーリアの一匹だけが、その頭蓋を『斬り砕かれた』のではなく、凄まじい威力の何かに『抉り取られた』ような傷跡を残していた。
その両手の銃からは弾丸を撃ち出したであろう証拠だろう、微かながら未だに煙が上がっていた。
「救援ってどれくらいで来そう?」
「…………私は、先行したから……少なくても……あと10分」
僅かに唸り、ある程度の予想を立ててカナデが答えを返す。
「10分、ねぇ……」
そういってエアは地平線を見やり辟易する。
「しっかしまぁ、こうも数が多いと見ただけでげんなりするなぁ。 ……カナ、先にその子連れて逃げ切れそう?」
「……怪我人を連れて逃げ切るには数が多すぎる。それに―――」
「それに?」
煙草の煙を少しずつ吐きながら呟く。
「殲滅した方が早くて安全で確実」
「……でっすよねぇー」
どちらともなく微笑する。
「んじゃカナ、あの子のこと任せるよ」
こくりとカナデが頷き、臨戦態勢と言わんばかりに吸い終わった煙草を地に捨て、踏み躙り残り火を消す。
「今回もまーた百鬼夜行クラスかぁ、百匹……んー、いや四、五百匹は下らないかも」
地平の彼方から去来するGの群れ。
ワモン、ウォーリア、タンカーヨロイモグラ……ワモン種のG総出とも言える、騒然たるラインナップ。
当然その数も凄まじく、肉眼で確認できるだけでも百匹はゆうに超え、その総計はもはや数百以上程の数の命が並んでいた。
「さぁて、救援が来るまで最短10分、か」
だが。それだけの大軍を目の当たりにして、彼女は一言放つ。
「―――5分で終わらせますかね」
そう、まるで「いつもと同じだ」と言わんばかりに。
カナデが反応し、口元に僅かな笑みが浮かぶ。
その一言を皮切りに、

エアの足元が土埃を巻き上げ爆裂し、おぞましいとも言えるほどの速さでGの群れへ疾駆した。
その様は正に弾丸。迷いも躊躇いも一切排除された、余りにも無慈悲な死の閃き。
僅か一足、1秒足らずで相対距離に入り、まずワモンの群れが動きを見せる。
最前方にいた4匹のワモンがエアを敵対因子と見なし、一斉に飛びかかりエアを喰らわんと襲う。
否、襲いかかろうとした。

次瞬、身長大もの巨大な剣が振り抜かれ、4匹のワモンは物言わぬ肉片となり飛散する。
バラバラに『切り裂かれた』のではない。バラバラに『砕け散った』という表現が適切と言えるような次元でその命を断絶されていた。
放たれたのは一振りではなく四振り。しかもその全てが確殺の一撃。ワモンはおろか、ウォーリア級のGであろうと一撃命奪の鋭く重い斬撃だ。
多目的複合兵装『オンスロート』。彼女が己が手足のように操る剣。
形態という数多の顔を持つ、物言わぬエアの相棒から放たれる斬撃が敵対するもの全てを砕く。
一足目の踏み込みが高度を失い着地する。着地した足が地に深く突き刺さり大地を抉る。その足を軸に前身のバネを使い一回転し、
「ぜいやぁっ!」
猛撃の刃がGの群れのど真ん中に向かって凄まじい回転をしながら投げ込まれた。
一迅の旋風、いや、暴風となった刃が十数体のワモンを命の消えた挽肉に変え、最終的にウォーリア級の頭部に深々と突き刺さる。
だがそれだけでは終わらない。
二足目を踏み出し跳躍したエアの蹴りがオンスロートの柄にその勢いのまま命中。
縦に回転しながらオンスロートが真上に飛び、当然突き刺さっていたウォーリア級の頭部は柘榴のように吹き飛んだ。
蹴りの反動で回転するオンスロートを掴み、体制を崩れ倒れたウォーリアだったものの上に着地。息つく間もなくGが殺到する。
そこから始まったのは一方的な虐殺だった。ただし、一が多を圧倒するという不条理な形で。

オンスロートの一振りが眼前のワモンを絶死させ、振り抜いた勢いのまま体を捻り、死角のワモンの頭部を跡も残さず蹴り飛ばす。
そのまま流れに逆らうことなく、背後に迫ったワモンの頭部を肘打ちで打ち潰す。
その一連の動作の中でまた、数体のワモンがオンスロートに斬り砕かれる。
一瞬の間もなく次に迫るはウォーリアタイプ。だがエアは眉一つ動かさず袈裟掛けでオンスロートを振り抜く。
単純な生命力ならワモンを遥かに凌ぐ。だがエアの前ではそれは無意味。
ウォーリアの首筋から胴体にかけてオンスロートが食い込む。
その、刹那。

「散れっ!!」
爆風と硝煙がオンスロート先端の銃口から巻き起こり、ウォーリアの上半身部分を文字通り『消し飛ばした』。
オンスロートの銃口からは未だ黒煙が噴き上がり、生命を保つ術を失ったウォーリアの下半身が未だ黒煙を巻き上げながら力無く倒れこむ。
彼女の持つ『多目的複合兵装』。
それは「あらゆる状況で最大の戦闘効率を発揮する」ことを目的として作られた、正に彼女の為の武器。
外殻が固ければ、リーチ差があれば変形させる。生命力が高ければ内臓火薬を発破させ爆殺する。
使い手の技量次第で如何様な相手であろうと対等以上に渡り合える、という謳い文句で開発された……のだが。
諸々の都合の結果射撃機構は実質オミット、その上でさらに要求される技量のハードルが非常に高く、扱えるメードはごく少数に限定されてしまった。
つまりはというと、生産当初はほぼ産業廃棄物扱いとも言える武器だったのである。
そしてそれを己が身体の一部の如く操るエアの戦闘技術もまた推して知るべきものであった。
「はい次ぃっ!!」
エアの快進撃はもはや止まることを知らず、既に百体を超えるGを屠っていた。その間僅かに1分。
ウォーリアの数は既に半数を切り、タンカーも多くが頭部を吹き飛ばされて絶命している。
ワモンに至っては秒針を刻むより早く、対G無反動砲を急所に撃ち込むよりも確実に、まるで風のように世界からその生命が消えていく。
正面に並べばオンスロートを槍にして団子の如く串刺しに、横に並べば鎌に変形させ、豪風でも起きたかのように粉微塵に切り砕かれて逝く。
戦斧に変形させたオンスロートを全身の捻りを使ってタンカー級のGに叩きつけ、頭部を粉砕した。
爆炎が暴風に乗り、炎の竜巻を形成しGの死骸を焼却していく。
誰の目で見ても分かるであろう、双方の圧倒的なスペックの違い。だがその程度でGの進軍の勢いが止まるかと言えば、当然NOである。
縦横無尽に暴れ回っているとはいえど、今のエアは四方どころか全方位を囲まれた状態。
戦略・戦術面に於いて最大の失態とも呼ぶべき状況下の真っ只中なのだ。
質で劣るならば数で攻め立てればいい。そしてGにはそれを可能にして余りあるほどの数がある。
跳躍。突撃。殴打。飛翔。持ち得るあらゆる攻め手を行使し、その全てがエアへ向かう。
それは避ける事も防ぐ事も叶わない、絶対的なまでの『死』。
そう、そのはずだった。

だが現実は違った。
数十匹のGによる、時間差込みの全方位一斉攻撃。その全てを彼女は捌き切ったのだ。
攻撃方法・相対距離・タイミング・迎撃手段。それら全てを予測・理解・把握・構築し、行動に移す。
それこそ刹那より速く、針に糸を通すよりも正確に。まるで360度全てを見通す目があるかのように。
否。あるかのように、ではない。あるのだ。
生前、MAID共にいつ死んでもおかしくない状況下の中で培われた、異常とまで言える生存本能。
極限まで研ぎ澄まされたその生存本能は、いつしか如何なる状況からでも生を掴み、勝利を捥ぎ取る狂的な意思へとその本質が昇華された。
そしてその結果がこの状況だ。自分自身に向けられる『死』の概念を瞬時に桁外れの生存本能で知覚し、生き残るための方法を理解してその条件を把握。そのための手段を光速を超える速さで構築し、この一連の動作を自然に、無意識のまま実行する。
結末は、襲いかかった全てのGが破砕し、死滅。対するエアは全くの無傷という、余りに圧倒的なものだった。
この生存本能に支えられた知覚能力と、「数」という概念を破壊するほどの実力があるからこそ、一対多の殲滅戦で真っ先に彼女が駆り出されるのである。
どれだけの規模の敵を相手にしようと必ず殲滅し、必ず生還する、という確信の下に。
放たれる斬撃が暴風を巻き起こし、新鮮な挽肉と変貌していくGの体液が豪雨の如く周辺一帯に降り注ぐ。
「小出しなんざ結構。貴様等全部、丸ごとでぶっ潰すつもりで来なさいな」
『大虐殺の暴風-カーネイジ・テンペスト-』。敬意と畏怖を込めて付けられた二つ名は、彼女の闘争そのものをこれ以上無く表していた。

メードは兵器、と称す人間はそれこそ有象無象のように居る。無論その認識は間違ってはいない。
如何に人の形をしておりその身に唯一無二の命を宿そうと、コアを埋め込まれ、最初から戦うことを前提として構築されたメードと人間とでは、生命体としての規格が根本的な部分で違う。
とはいえ、メードと一纏めにしてもピンキリと云うものは存在している。帝国最強と呼ばれるジークフリートがその頂点であるように。
では、彼女―――エアを見て人々は何と称すだろうか?
兵器―――否。そのような生易しいものではない。
化物―――否。それならばどれだけマシだったであろうか。
轟炎。嵐。暴風雨。戦いにおける彼女を形成するキーワードそれら全てを一括りにして、畏怖の念を以て彼女はこう呼ばれる。

抗いようのない災い……『天災』と。

エチルは目を離さない、否、離せなかった。
眼前で行われている荒々しくも完成された死の舞踏。
虐殺の嵐を巻き起こす、暴風の如き剣の技。
風に乗って靡く、黒曜石のように美しく、長い髪。
その全てを、エチルは瞬きする間も惜しみながらその瞳に焼きつけていた。

とはいえ相手もただの無能の集いではない。
どの世界・どの生命体の狩りに於いても、弱った相手を襲うのは常套の手段。
エアと交戦しているワモンの群れの一部は、当の昔に離れた場所にいるエチル目掛けて侵攻を開始していた。
が、それは全て未遂に終わっている。
その理由、それは漏れたGの群れを全てカナデが処理していることに他ならない。
カナデの得物は二挺一組の超大型拳銃『ゴスペル』。50口径徹甲弾という本来無反動砲等に用いる弾頭を拳銃サイズで撃ち出せる、化物じみた兵器。
オンスロートとは異なり、並外れた膂力のみを必要とする、単純明快且つそれ故に使い手を選ぶ武器である。
コアエネルギーが流し込まれたその弾頭は、唯の一撃でGの生を奪い、その体を新鮮な挽肉へと調理していく。
銃声という『福音』が響き、硝煙の匂いが蔓延し、地に薬莢の落ちる音が響く。
トリガーという鐘を鳴らす度に迫り来るGは生を毟り取られ、触れることなく爆ぜ飛ぶ。
漆黒のコートの内側にびっしりと詰められたマガジンが宙空を舞い、流れるように、神速の疾さで装填・射撃を繰り出す。
淡々と作業をこなす機械のように。さらに悪く例えるならば、血の通わない屍人の如くカナデはGを屠り続ける。
その隻眼に、確かな澄んだ光を灯しながら。
そしてゴスペルのみで捌き切れなくなれば、彼女が持つ対軍兵器が黒く重い顎を開き、その咆哮を轟かせる。
『エクスキューショナー』。執行者の名を冠する、黒十字の姿を模した『携行型戦略兵器』でありカナデのもう一つの得物。
中央部から伸びた十字架を成す棒のそれぞれに大量の兵器を搭載し、単独で一個師団を相手にするという馬鹿げたコンセプトで作られた超重量兵装。
その中で最も伸びた下段の棒に仕込まれた連装重機関砲が大地を穿ち空気を引き裂きGを滅却していく。
それもそのはずだ。何せ本来なら対重戦車用のバルカン砲を、それも三門も内蔵した上でのトリガーハッピー。
エターナル・コアのエネルギーでさらに威力が上乗せされていることもあり、弾丸飛来一触即発で挽肉どころか原形を留めず散り散りになる。
その戦いぶりはまさに、Gという大罪を執行する処刑人―――否、死神。
圧倒的大火力の体現者。カナデはその内の一人といっても差支えない、十分すぎるほどの実力を持っていた。

そして丁度5分。
「はい終了ー」
全てが片付いたという確証を持って、Gに背を向けエアが歩きだす。
カナデもその様子を見ながら煙草を取り出し、火を点ける。
消し炭と成ったヨロイモグラが倒れる地響きが5分経過の合図かのように、その跡にはおびただしい数だったGの軍勢が生命活動を永久に停止していた。
それを行った当人たちは至って涼しい顔なのがこの上なく恐ろしい。
エアがカナデ達の処へと歩を進め、地平線を再び一瞥する。
「まだ来ると思う?」
その質問にカナデは言葉で答えず、首を横に振る。
「まぁ来たとしても救援の方が早いだろうしね、これで安心かな」
互いに安堵の表情を浮かべ、カナデに守られるように倒れていたエチルの下にエアが辿り着く。
「あ……」
「ふーむ、成り立てつってもやっぱメードだねぇ。 もう峠越えてるとは流石だわ」
目測で損傷具合を確認し、再生力に感嘆するエア。自分自身も極めて高い再生能力を持ってはいるが、他人の再生能力の度合いを直接見るのは珍しいのだろう。
「カナー、救援まだー?」
「…………ん、もうすぐ」
反対側の地平線から恐らくカナデの言った救援が到着しつつあるのだろう、人影がぽつぽつと見え始める。
「そっか。 んじゃキミ、今のちゃんと聞いてたと思うけどさ」
その場に座り込み、エチルと目を合わせる。
「もうすぐ救護が来るからゆっくり休んどきなさいな」
前髪を退け、額を撫でる。
その顔に穏やかな笑みを、まるで子供を寝かしつける母親のような笑みで、エアは静かに呟いた。
「……お休み」
―――待って。
まだ私は何も伝えていない。
聞きたいこと、伝えたいことが沢山ある。それが聞けなくともただ。ただ一言だけでも、感謝の辞を述べたいのに。
たった一言、紡ぎ出そうとしたその瞬間。
そこで、エチルの意識は途切れた。

「……珍しいね」
「何が?」
「……初対面の相手に、そこまで優しくするの」
おかげでその分埋めるのに時間がかかった、と付け加えるカナデ。
「何を言うかね、これがいつもどおりの空気さんじゃありませんか……という冗談は置いといて。 まぁ、気紛れかな」
エアらしい、と答えカナデが微笑う。
くしゃりと髪をかき分け、再度エチルの頭を撫でる。
「……たまにはこんな救いがあるのも、悪くないでしょ?」
そう言ったエアの瞳は、何処か酷く淋しげで。まるで過去を振り返り、思いに馳せているようでもあった。
……救いから見放された、過去の自分を眼前の少女に重ねながら。
「あ」
素っ頓狂な声をエアが上げる。
「何?」

「名前、聞くの忘れた」
ちなみにこの後結局聞かず終いで帰ってしまい、後から調べる羽目になったのはまた別の話。



A.D.1945年 クロッセル連合陸軍宿舎。
その一室にて。
「うーん……弾倉のダメージがやっぱり激しいなぁ……」
傍から見れば鈍器やら鉄塊にしか見えない、大剣らしきものの手入れをしている少女が一人。
蒼く長い髪を右サイドに纏め、真紅のジャケットに身を包んだ少女が数分前から唸り続けている。
その姿は他でもない、エチルだ。
「……そんな手入れが面倒な武器をよく使っていられるね、エチル」
そして大剣を挟んでエチルの目の前に、木細工の椅子に腰掛け、バタフライナイフを磨く女性が皮肉交じりに呟く。
金色の髪をショートカットで整え、水色のコートを纏い、その外見に何よりも特徴的な狐の耳を持った女性だ。
「むっ……それは確かにスグリの武器と比べたら面倒だけどさ、その分の働きはするんだから」
エチルがぷすーと頬を膨らませ反論し、スグリと呼ばれた女性が軽く「すまない」と返事をし、苦笑する。
当然、という言い方は不適切かもしれないが、スグリもまたメードである。
ベーエルデー連邦のエターナルコアを用いて生み出され、その右腕に飛べない翼を宿すメード。
飛翔能力の代替といえるのか、その翼から雷光を発生させるという特異なレアスキルを身に付けている。
エチルにとってはチームメイトであり、そして心を許せる親友だ。
「でも何でそんな扱いにくい武器をわざわざ自分から使おうとしたんだい? その手の武器を使えるのは珍しいとは聞いたけれど」
素朴な疑問をスグリが投げかける。
エチルが手にしている武器…回転式弾倉搭載剣「バックドラフト」。
無骨かつ耐久性の高い大剣に回転式……つまりはリボルバータイプの弾倉と、それを激発するトリガーを取り付けた得物。
銃剣という用途で用いるのではなく、弾倉の火薬を発破させることで斬撃の威力を大幅に上乗せするという意匠を凝らした武器である。
その仕組み故に刀身や弾倉に負担がかかりやすく、小まめなメンテナンスが必要という扱いにくい代物になってしまったのだが。
スグリの言うとおり、この類の武装を扱えるものは少ない。厳密に言えば扱おうとする者が少ないと言った方が正しい。
何せトリガーがありながら遠距離攻撃に対応できないだの、激発させるタイミングがシビアだの、衝撃が強すぎるだの、問題点を挙げるとキリが無いのだ。
確かに威力こそ評価できるが、それくらいなら別々に使用したほうが汎用性や効率的にもそちらのほうが自然と上になる。
それでもエチルはこの武器を敢えて使うことを決めたのだ。
「やっぱり、例の人絡みかい?」
「うん……少しでもあの人に近づけるかなって思って。 あはは、単純な理由でしょ?」
笑顔を作りながら自嘲気味にエチルは語る。
そう。それは2年前のあの日。
かつて自分を助けてくれた女性が操っていた巨大な銃剣。エチルはこの武器に、その面影を見たのだった。
自分もあの人のようになれるだろうか―――そんな希望を抱いて。
ホルスターに吊り下げた拳銃も、二挺に増えている。こちらも自分を救ったもう一人の女性に、おそらくは無意識に感化されたのだと思われる。
「いや、そうやって何かに真剣になれるっていうのはいいことだと思うよ、僕は」
フォローを入れるようにスグリが口を出す。皮肉を言う傾向が多い彼女がこう言うのも、エチルが親友であるから故なのだろう。
「しかし、エチルがそこまでご執心とはね。 僕も一度その人に会ってみたいよ」
「私も早く会いたいんだけど、あれ以来ずっと会えず終いなんだ。 避けられてるのかなぁ」
そんな話を続けているうちに、スグリがバタフライナイフをしまい立ち上がる。
「さぁ、そろそろ行こうエチル。隊長を待たせたら面倒だからね」
一足先に装備を整え、足早に部屋を出て行くスグリ。
「あ、うん、私もすぐに行くよ」
一通りのメンテナンスを終え、エチルも後へ続く。
同じく支度を整え、部屋から出ようとする。が、その歩は廊下の一歩手前で止まる。
窓から見える、蒼く澄み渡る空。その空を満たす大気。いつしか自分の命を救ってくれた、彼女の名前。
目を閉じ、少しだけ、ほんの少しだけ感慨に耽る。
この剣も、服も、髪型も、全てはあの人への憧憬。
もう一度逢いたい。
話したいこと、聞きたいこと、伝えたいことが沢山ある。
ゆっくりと目を開く。その瞳に濁り無い光を宿して、一言。
「……逢えますよね、必ず」
そしてエチルも部屋を後にする。
彼女との邂逅を夢に見ながら、エチルはまた戦場へと発つ。
強い意志と決意をその胸中に秘めて。いつかあの人と同じ場所に立つために。



「……だってさ?」
「むぁー。柄じゃないことはするもんじゃないなぁ、やっぱり」
宿舎外の、丁度エチル達の真下にある小さな庭。
一部始終を隠れる形で聞いていた二人は静かに語り合う。
「照れてる?」
「黙らっしゃい」
小さく、細く、それでもはっきりと通る声でカナデがここぞとばかりにからかい、珍しく不貞腐れてエアが反論する。
もちろん、音量は上階のエチル達には聞こえない程度まで抑えている。仮に窓から下を見ても木陰が邪魔をして特定はできないだろう。
カナデがエア『で』遊ぶことなど、この先二度あるかどうかの貴重な経験なので仕方がないといえばそれまでだが。
ついでに当の本人はというと、まさかそこまで感謝されていたとは知らず、表面上は平静を繕っているつもりだろうが、口の端が微かににやけていたりほんのり顔が赤くなっていたりと、周りから見れば照れているのは一目瞭然である。
「……白馬の騎士様は、柄じゃない?」
くすくすと笑いながらカナデは問い掛ける。
「カ○ーの王子様なら大歓迎なんだけどねぇ。煮ても焼いても食えないじゃないの」
年代的に少なくとも数十年先のインスタント食品的な名前を出しつつ話を曲解させるのはやはりエアである。どこから毒電波を受信しているのかはわかったものではないし、多分これからも永久に謎のままなのだろう。
他人に感謝することもされることも慣れていない。生来からそういう生き方を送ってきた彼女にはそれがひどく新鮮だった。
そんな電波チックなエアの返答にまたくすりと笑うカナデ。
「……会わないの?」
「……ま、あの子も前線で戦えるようにはなってるんだし、いつか肩並べて戦う日も来るっしょ」
遠回しに今は会わない、というエアの返答。
「……捻くれ者」
「黙らっしゃい」
二人どちらともなく笑う。
その様は、長年連れ添った『親友』のようにも見てとれた。



近い未来、彼女たちは再び邂逅する。
これは、その礎となる一つの話。
彼女たちの物語を彩る、出会いの話。




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最終更新:2009年11月20日 14:01
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