(投稿者:ししゃも)
「アリス・シレイドだっけ、その子」
朝食を済ませたアサガワは、MAIDを担当している教官に事の成り行きを説明していた。立っているアサガワの机越しに、椅子に座っている女性教官が、右手でクリップボードを持っていた。彼女らが居る部屋は、四方を本棚に囲まれており、その全てが軍事関連の書籍だったり、兵法書、戦史、ミリタリストたちの著書。それらがこの本棚に圧縮されていた。さらには、手前の机の上に
楼蘭皇国の「平家物語」がしおりを挟まれた状態で置かれていた。
昨今から、その能力が未知数なMAIDに対して、各国は慎重な判断を迫られている。そのためマイスターシャーレでも「過去の戦争、戦法からデータを取り、MAIDをどのようにして扱い、教育するか判断せよ」という方針から、MAIDを担当する教官にはこのような書物の数々を「勉強」することが義務付けられていた。
大変だな、とアサガワはつくづく思いながら、女性教官を見た。そんなことは知らずに、女性教官はクリップボードに挟んでいる十数枚の書類に目を通していた。
「黒縁のメガネをかけたMAIDだ」
アサガワの言葉に、女性教官はしかめっ面をする。何回も何回も書類をめくりながら、必死にアリス・シレイドを探そうとする。数分間、その行動を繰り返すと、手がぴたりと止まった。
「あった、あった。居ますよ、その子。班長も勤めているだけあって、面倒見もいいし、非凡な能力を持ってます」
女性教官はうんざりとした表情で、持っていたクリップボードを机に置いた。
「それはそうと、この『平家物語』でお聞きしたいことが」
彼女はそういうと、机に置かれていた平家物語を手に取り、アサガワにそれの表紙を見せた。
「すまないが、午後から実弾射撃の訓練がある。また今度に」
平家物語については子どものころに勉強したので詳しかったが、あのMAIDが見つからなかったということで少し機嫌が悪かった。彼女は適当に嘘をついて、部屋から出た。部屋のドアを閉じたアサガワは深いため息をつく。
「なんでこうも、あのMAIDに固執したがるのか」、と彼女は悩んでいた。
自分自身、あまり真面目でない。が、マイスターシャーレという環境が自分をそうさせていた。MAIDとの確執がある以上、親近感を持たれるような行動も今まで避けてきた。まるで道化を演じている自分の姿に、アサガワは内心笑った。
1942年3月30日 基礎訓練広場にて
アサガワは、ふと考えていた。彼女の視線の先は、ランニングに励む武装SS候補生だったが、思考は既にそれとはかけ離れている。
「私」が「私」に対して、何をしたいのか。それをずっと考えていた。ここに来たのは、失踪した「妹」を探すために。その目的のために、こうしてマイスターシャーレという軍部と距離が近い組織に入った。
内なる目的でマイスターシャーレに来たことは、恐らくライサやホラーツは知っているだろう。しかし、二人は何も言わなかった。それが何を意味しているか分からないが、少なくとも妹を探し出せる第一歩を踏み込めた。
「よし、整列しろ」
考え事を終わらしたアサガワは大声を張り上げて、ランニングに勤しむ候補生たちを自分の手前に整列させようとする。彼女の一言によって、どっと坊主頭の集団が駆けつけ、ものの数秒で綺麗に整列する。その中に先日、アサガワが「指導」したハンスマンが居た。あの日から、ハンスマンを含めて、チームワークに欠ける候補生たちは見違えるほど成長していた。それが自分の教育によるものだったのかは、知らない。少なくとも、それぐらいで天狗になる教官は居ないとアサガワは思っていた。
「今日の演習はここまで」とアサガワは言うと、解散させた。時刻は午後を過ぎており、まだまだ彼らに叩き込みたいことはあったが、たまには羽休めは必要だろうと思う。アサガワは静かにその場から去った
宿舎のほうへと帰る道中、彼女は誰かに後をつけられている錯覚、いや「感覚」に陥った。ちらりと顔を後ろに向けるが、そこには軍用車両が停車していたり、教官と生徒が歩きながら話していたりと、不穏な人物は見えなかった。
なにより、アサガワが歩いている道は兵舎や宿舎に挟まれた通りの真っ只中で、とても後をつけるような真似はできなかった。「気のせいか」とアサガワは、それを単なる杞憂で終わらせ、帰路へ着いた。
教員用宿舎に着くと、アサガワは昼食をとろうとした。いったん部屋で軍服を脱ぎ捨て、私服に着替える。ついでにシャワーを浴びたかったが、空腹には勝てない。部屋を出、食堂へ向かう。
「アサガワ教官。ちょっといいですか」
階段を一段一段飛ばさずに降りている途中、背後から女性の声が聞こえた。アサガワは足を止め、背後へ身体を向ける。階段を二段、踏み越えた先の踊り場に、
黒と白のメード服を着た女性が立っていた。
彼女――先日、アサガワが助けたMAIDだった。アリス・シレイド。そんな名前だった気がする。その彼女が両手を後ろに組んで、立っていた。
「何の用、いや、そもそもこの宿舎は教員以外立ち入り禁止だぞ」
昨日までの憂鬱な感情が胸を締め付ける一方で、虚勢を張るアサガワはアリスに注意をした。この教員宿舎は、マイスターシャーレに所属する戦技教官しか入ることは許されない。だが彼女は特に悪びれる様子を見せず、なぜか頬を紅潮させていた。
「あの、お弁当です」
アリスはどもりながら、背後に隠していた両手を前に突き出した。するとチェックが入った布で綺麗に包んだ物体が、アリスの両手で提げられている。アサガワは、何のことか分からずに唖然としていた。いや、ただひとつ分かることがあった。アリスがこちらに渡そうとしているものは、お弁当箱ということだ。
「その、先日はありがとうございました。それでは、これで」
その場の流れで、布に包まった弁当箱をアサガワは左手で貰うと、アリスは深々とお辞儀をした。「ちょっと、待て」とアサガワがアリスの手を掴もうとしたとき、アリスは脱兎のごとく階段を駆け下りた。それは、例え反射神経に自信があるアサガワでも捉えることはできず、風のようにアリスは彼女の横を通り過ぎた。
階段の踊り場には、誰も居なかった。あのメード服を着た女性は、颯爽と姿を消した。アサガワは、数秒ちょっと余韻――あるいは、気が抜けていたかもしれない。じっと、階段の踊り場を見ていた。
それが終わると階段を降りて、一階の食堂に通じる通路に置かれていたゴミ箱に弁当箱を投げ捨てた。鈍い音と同時にゴミ箱が揺さぶられ、その様子を見ていた職員の一人が変な目でアサガワを見る。
「誰が、要るものか」
誰にも聞き取れない小声で、アサガワは呟いた。
「撃て」
第二射撃演習場で、アサガワは銃声に負けないぐらいの大声を張り上げていた。
陸軍士官を目指す候補生たちの実弾演習にアサガワは任されていた。士官を目指すだけあって、どの生徒も上手くやれている。が、あまりにも堅実性を求めていることから、どの生徒も同じ様に――没個性――見えてしまうのが残念だった。
人を模倣した板状の標的に、名も知らぬ生徒らは黙々と的確な射撃を行う。その中に、一人だけアサガワが知っている者が居た。鼻にガーゼを巻きつけた、大柄の男。先日、「あのMAID」に暴行を加えようとした男だった。
彼はアサガワの視線に気がついたのか、一瞬だけ目が合う。が、すぐに目を逸らした。
「撃ち方、やめ」
アサガワはうんざりとした口調で、射撃を中止させた。彼らに、注意させようにも注意すべき箇所が無く、かといって野放しにさせておくには心もとない、が彼女の評価だった。やり場のない感情に、アサガワは不機嫌になってしまう。
「可もなく不可もなく、だ。班長、後の片付けは任せる」
アサガワはそう言うと、士官候補生たちは早速、使用した銃器に装填されている残弾の摘出や空薬莢の後始末に入る。アサガワはそれを見ながら、そこから少し離れたベンチに座った
そのとき、隣の第三射撃演習場でMAIDたちが実弾演習を行っていた。彼女らはMG42と、STG45を使用していた。
400メートル離れているGを模った板に、それらの銃弾が襲い掛かる。それは、アサガワがマイスターシャーレで見てきた射撃演習の中で、群を抜いていた。
それはまるで獣のように凶暴だが、剣のような鋭さを持っていた。あまりにも優雅で、荒々しい射撃にアサガワは見入ってしまう。その中に、顔色一つ変えずにMG42のトリガーを引く、眼鏡をかけたMAID―-アリス・シレイド――が彼女の目に映った。
そのとき、MAIDを指導する男の教官が「撃ち方、やめ」と叫んだ瞬間、まるで息を合わせたかのようにぴたりと銃声が止んだ。
「よし、銃器の点検及びバレルの交換を怠るな。班長はそれが終わったら、私のところへ報告しろ。以上だ」
教官の一言に、MAIDたちはざっと音を立てて、銃器の点検やバレルの交換を行う。それが素早く出来たものは、空薬莢の片付けを始めた。その中で、アリスは前々からの視線に気がついたのか、アサガワと目が合う。「やってしまった」とアサガワは思った。
アリスはにっこりと笑みを浮かべ、銃器を点検を一瞬で済ませ、さらに空薬莢の掃除を俊敏な動きで実行する。彼女と同じ班員のMAIDは、奇妙な目でアリスを見る。たった
一人で班の仕事を終わらせたアリスは全力疾走で教官に駆けつけ、報告。
その後、教官と何かしら言葉を交わすと、敬礼を行い、班の下へ戻った。
「もしかして、まさかな」
あまり的中してほしくないことを想像してしまった。しかしそれは「マーフィーの法則」なのか、アリスは班を解散させた直後、こちらに向かって歩き出した。アサガワはため息をつく。
「アサガワ教官、おはようございます」
士官候補生からの視線が嫌と言うほど突き刺さる、という感触がした。アサガワは小声で「ああ」と返事を返し、アリスと視線を合わせないようにする。
「あの、お弁当はどうでしたか」
アサガワは無言のまま、明後日の方向を向いていた。先ほどの射撃演習で不機嫌になってしまった直後に、アリスがやってきたのだ。アサガワは小さな歯軋りを繰り返し、眉をひそめる。
「お口にあっていればいいのですが」
あの弁当箱を開けてないおろか、自分はゴミ箱に叩き込んでしまった。それを知らず、アリスは少し照れた表情で味の感想を聞こうとした。今までのストレスと、アリスの一方的な会話にアサガワはとうとう感情のコントロールをできなくなった。
「あんなもの、ゴミ箱に叩き込んでやった」
アサガワは小さな声で、吐き捨てた。それを聞いたアリスは、その言葉の意味が理解できず、呆然と立ち尽くしていた。
「もう一度、言う。ゴミ箱に叩き込んだ。誰があんなものを食べるか」
アリスは両肩を震わせ、唇をかみ締める。アサガワは横目でアリスの表情を伺うその目には、深い失望と悲しみに満ち溢れていた。アリスは何も言わずに、踵を返した。彼女の背中を、アサガワは侮蔑した表情で見送った直後、銃声が轟いた。それはアサガワが担当していた第二射撃演習場からで、あり得ない出来事にアサガワはとうとう怒鳴ろうとする。
だが、声が出なかった。さらに、胸部に激痛が走る。思わずアサガワは胸を右手で押さえると、ぬめりとした感触がした。視線を右手に向けると、血が手に付着した。それは掌を真っ赤に染まらせている。
「どういうことだ」
震える声で、アサガワは自分の身に何が起こったか分からなかった。視界が不意に重くなり、自身の右手が二つにも三つにも見える。
「アサガワ教官」
薄れゆく意識の中、女性の声がアサガワの耳に入る。それが山びこのように何回も何回もアサガワの耳で反復した直後、彼女の視界が真っ黒に染まった。
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最終更新:2010年07月25日 01:03