Chapter 4-6 : false

(投稿者:怨是)


「去年より、盛り上がってる……」

 ――1945年4月20日、午後1時。ジークフリートは西地区5番街道沿いの政治喫茶の二階にあるスタッフルームから、眼下の喧騒を眺めていた。
 ジークフリートの五年目の誕生日であり、連日開催されている催し事の本番である。祭りはこの日を以ってクライマックスを迎え、帝都ニーベルンゲは歓喜の声で埋め尽くされているようだ。
 自分がこの場所に居る事は、大衆には知らされていない。極秘裏に運搬され、裏口からこの部屋へと連れられて来た。タイムスケジュールによれば、数十分後にこの近くでサプライズを提供するらしいのだ。政治喫茶に居る客の一人一人に挨拶をし、握手を交わす。それがこの日の最初の仕事だ。

 直ぐ横で、国旗を模した色調のドレスに身を包んだMAIDが目隠しを丁寧に畳んでいる。半年ほど前に皇室親衛隊へ加わったMAIDだ。名をアドレーゼと云う。この政治喫茶を設立したヨハネス・フォン・ハーネルシュタインの保有する、直属のMAIDらしいが、ジークフリートにとってはそれ以上の事を知らないし、興味も湧かなかった。
 そのアドレーゼが視線に気付いたのか、温和な笑みに僅かながら眉尻を下げて視線を向ける。

「申し訳ございません、ジークフリート様。この光景をお見せしたくて、ついこのような手荒な手段を」

「……別に、構わない」

 ジークは冷たく返答し、再び視線を窓へと戻す。正直な所、ジークはこのアドレーゼというMAIDが苦手だ。今まで接してきたおべんちゃら使いの中でもとびきり頑固であるし、時折視界に入る瞳からは意志というものが丸々欠落してしまっているかのように、輝きが鈍い。
 外の人混みを見続けるのにも嫌気が差し、ちらりとアドレーゼを一瞥する。彼女は微笑みつつも少しだけ首を傾げ、こちらの意向を伺った。

 ――まるで人形だ。
 動きは普通の人間やMAIDと変わらない。むしろ種々の所作は極めて丁寧で、人間であったならホテルの従業員や銀行員が似合っていたであろう程に優美さを感じさせた。しかし、双眸を覗き込んでも何も見えて来ないのだ。果たしてそれはアドレーゼの精神が虚無であり、忠誠心のみで埋め尽くされているのか。それとも意志を悟らせぬよう隠し通しているのか。或いは、混沌が渦巻いているのか。
 いずれにせよ親しみの持てる類の感情が全く読み取れず、彼女が常に浮かべている微笑は実に薄ら寒く感じる。
 ジークはそれにも辟易して、とうとう目を瞑ってソファへと乱雑に座り込み、天井へと顔を向ける事にした。

「御気分が優れないのですね。お水をお持ち致しましょう」

 誰のせいで気分が悪い思っている。と、思わず激昂しそうになるのを寸での所で飲み込み、ジークは緩慢に被りを振った。ザハーラ遠征以来、どうにも気が短くなってしまっている。呼吸を整え、ジークはもう一度、アドレーゼに拒否の視線を送る。

「短時間とはいえ、悪路を車で移動しましたものね。では、医療班の者をお呼び致しましょうか?」

「いや、いい……」

 雑踏と生気を感じさせないアドレーゼを交互に見続けたせいで調子が悪くなったとは、とても云えない。
 幾ら彼女が気味の悪い性質の持ち主だったとしても、そのような事を云えばきっと彼女は深く傷付く。こちらに対し崇拝に近い感情を抱いているとはいえ、殆ど親交を深めていない相手に「お前のせいだ」などと云われようものなら、二度と立ち直れないかもしれない。持って生まれた気質を指摘された所で、それを是正する労力や時間が途方も無いものであるという事は、誰よりジークがよく理解していた。
 だからジークは、天井を向いて別の事を考える様に努めた。




「ええぃ、どうしてわたくしばかりこんな目に」

 同時刻、メディシスは皇室親衛隊営舎の仮設倉庫内に居た。ラジオは相変わらず“聖誕祭”の様子を中継している。
 当日になってもまだ、プレゼントの仕分けが終わらない。その段取りの悪さにメディシスは奥歯から火花を散らせんばかりの勢いで歯噛みした。この誕生日プレゼントの受け渡しに際して政府は、国民に対し包装は事前に行わない様に指示した。何故ならこの仕分け作業で一度開封し、中身が危険物でないかを確かめた上で何処の誰が何日に届けたもので何番目にここに届いたかを逐一分別せねばならないのだ。
 日に数万も届くそれらを、一日中仕分けする。しかもあのジークフリートの。そんな作業が三日も続けば気が滅入るというものだ。
 今までは、誕生日プレゼントは一部の政財界人からしか送られて来なかった。が、今年になって一般人からも贈呈出来るようになったのは、ひとえに皇帝の「たったこれだけでは寂しかろう」という一言によるものである。余計な事を云ってくれたものだ。お陰で領事館を留守にしてまでこんな作業に従事せねばならなくなった。

 どうやら国民的英雄と目されているらしいジークフリートに、相応しいと云えば相応しい数だ。今年になるまで贈りたくてもそれができなかった国民達が漸く悲願を達成できたのだろうか、若しくはここでプレゼントを贈らねば非国民扱いになるという恐れでも抱いているのか、帝都の外の他の街からもどんどん送られて来る。そのおかげでスタッフは数千人居るものの、一向に未処理のプレゼントが減る気配が無かった。
 中には金貨が一枚だけだったり、腐ったケーキ――生もの禁止の通達をご存じなかったのか!――まで存在する。他にも木を掘って作った手作り勲章など、貧乏な家庭の子供が一生懸命にこしらえたであろう涙ぐましいプレゼントもあった。

「とんでもない数ですよね」

 作業員の一人がメディシスに語り掛ける。冴えない男だと、メディシスは冷ややかな横目で評した。痩せぎすのその作業員は、作業の手だけは止めずに、虫眼鏡でプレゼントの中身を見ている。とりあえずその熱心さに僅かばかり感服しながら、メディシスは彼の言葉に応じた。

「国民の皆様の大半から贈られていますもの。数が増えるのも道理ですわ」

「それだけジークフリートが愛されてるって事ですね」

「そのようで。貴方はどう思われますの?」

 メディシスは溜め息混じりに、作業員に訊ねた。何となく、彼の言葉が他人事に聞こえたからだ。
 少なくとも、メディシスは愛していない。看板だけの英雄などに興味も無いし、このような馬鹿げた数のプレゼントを一つ一つ捌いて行くのも、あくまで安全を確認して国民があのMAIDに寄せる好意を無碍にしない様にしてやる為であって、自分は決してジークへの尊敬の念は向けていない。
 作業員はプレゼントから眼を離し、やや焦り気味に答える。

「もちろん、ちゃんと尊敬していますよ」

「そう。わたくしはあの女のどこが良いのか解りかねますわ。容姿も、頭脳も、あらゆる仕事も、わたくしの方が絶対に優れていますもの」

 これに関しては、絶対の確信があった。百歩譲って性格の悪さは認めよう。二面性のある言動のせいで裏表のある人物像として目されている事も、重々承知している。それに目の前の男は作業員とはいえ、ここは公衆の面前ではない。メディシスは開き直って、小声で彼に問う。

「ねぇ? 作業員さん。わたくしこそ愛されるべきではありませんこと?」

「あぁ申し訳ない、僕はその、妻がおりますので」

 誤解された。そう云う意味ではない。メディシスは別に恋愛に対して興味は無く、ジークフリートのように――否、もっと健全な形での羨望の眼差しを求めていたのだ。が、そこはメディシスとて抜かりは無い。男女関係に真面目一辺倒であろう彼の性格に合わせた返しは既に思いついている。

「あら、ごめんあそばせ。ご結婚してらっしゃるなら、そう云って下されば。指輪はお付けになられないのかしら」

「仕事の時は外してるんですよ。ほら、指先使う仕事だと指輪に傷が付いちゃいますし」

「大切にしてらっしゃいますのね」

「結婚は、人生に一度きりですからね。……それで、なんで嫌いなんですか? ジークフリート」

 急に話を戻され、メディシスの鼓動が跳ね上がった。例えるなら、静電気に触れてしまった時のような気分だ。メディシスも作業員の先程の様子に負けず劣らず、焦燥した心持で応じてしまう。

「あぁ見えて、湿っぽい輩でしてよ。ウジウジしてて。誰にも頼ろうとしなくて、一人で抱え込んで、いつも誰に対しても遠慮して。そのくせ、眼差しだけは助けを求めてる……どう見ても英雄の器ではありませんわ」

「仲良しなんですね」

「どうしてそんな結論に」

「よほど長い時間接していないと、そこまで見えて来ないものですよ。だからこそ、僕らのような“外側の人間”というのは、外側からの認識しかできない。そう、勇猛で、従順で、寡黙な英雄としか見れないんです」

 口が滑ったか、と消沈するメディシスをよそに、作業員は真剣な眼差しで語り始めた。いつの間にか、彼は作業の手を止めている。膨大な数のプレゼントに隠れている為か、監視員がこちらを見咎める事も無い。それを好機と捉えたらしい彼は、熱の篭った演説を止めようとはしなかった。メディシスもまた、久方ぶりに親しみを込めて話しかけてくれる存在を見て、悪い心地がしなかった。

「――まぁその更に外側の人々は、逆にそれを疑問視すると思いますがね。例えばベーエルデー連邦の方々はジークフリートより、ルフトヴァッフェの赤の部隊を統べるシーアのほうが良いとするでしょうし。ここまでは、解りますね」

「えぇ」

「つまるところ、中途半端に関わってしまっている人達が一番身内の本質を見抜けないんです。その点、貴女は素晴らしい観察眼をお持ちの様だし、それで尚且つジークフリートを尊敬できるなら貴女の友情は本物で――」

「――お待ちなさい。わたくしに、ジークと友人関係になれと?」

 続けさせたのが間違いか。鳥肌の立つような単語につい身震いし、思わず作業員の話を遮った。
 作業員は残念そうな苦笑を見せるだけで、会話を止められた事を責めようとはして来ない。

「おや、違いました? 相手が本当に嫌いなら、あんなに流暢に語ろうとはしない筈ですよ」

「いいえ。本当に嫌いですわ。あんな泣き虫、誰が好き好んで尊敬などしてやるものですか」

 メディシスが頬を膨らませていじけたそぶりを見せると、いよいよ作業員がくつくつと噴き出しそうなのを堪え始めた。やい作業員風情め、今の私の何が可笑しいというのか。作業員は肩の震えを何とか押さえ込むと、涙の滲んだ目尻をハンカチで拭いながら口を開く。

「何も崇拝しろとまでは云ってませんよ。好きになれる部分を見つけるだけです。強制はしませんが、今のうちに考えたほうがいいかもしれませんよ。いくら貴女がMAIDだとはいえ、いつ死ぬか判らないご時勢ですし」

 そう云うと、作業員は「じゃあ、僕はもうすぐ休憩ですので」と手を振って去って行った。
 メディシスは呆気にとられて暫く手を止めてしまっていたが、ふと彼が去り際に残した言葉を思い返し、釈然としない胸中を誤魔化すようにして仕分け作業へと戻った。



 ――同日午後1時半。ジークフリートが階下へ降りるや否や観衆が驚愕と共に沈黙してジークを迎え、程無くして軍人達の拍手に端を発して政治喫茶は歓声に包まれた。
 どうやら本当に、誰もジークがここに居るとは知らなかったらしい。事前の打ち合わせに拠れば、帝都の各所に建てられた政治喫茶の中からアトランダムに抽選された一店舗に現れるという事で、サプライズを提供する。もちろん国民にはそれを開示せず、抽選は最後まで軍人達の中で行われた。政治喫茶の客のうち、軍服を着ている者らは状況の飲み込みが早かったのはその為だ。

 彼らは口々に「お誕生日おめでとうございます!」や「この日を心よりお待ちしておりました!」と、ジークに祝辞を浴びせて来る。ジークもそれそのものに関しては黙って受け入れる他、遣りようが無かった。が、奥底から忍び込んでくるようなおぞましい感情――熱に浮かされた大衆が往々にして、英雄と呼ばれる者に対して抱くような――だけは拒否した。或いは彼らの半分でも、これまでに散って行った戦友達を偲んでくれるのなら、彼らの感情を全身で受け止めても良かった。しかし彼らが目を向けようとしている様子は微塵も感じられない。

 狂気だ。長い歴史の中で、突如として人間を丸呑みしてしまう程に巨大な害虫が現れ、それを救うとされている存在に縋り付く過程で、彼らは冷静な判断力を何処かへ放り投げてしまったのだ。ジークは鉄面皮のまま握手を作業的に消化し、彼らの表情を見てその様に断じた。
 店内の全員と握手し終わった所で、軍人の一人が場を取り仕切る。

「では、次のプログラムがございますので、店内の皆様は一旦ご着席ください。えぇ、名残惜しいのは私とて同じですとも! 守護女神、鉄壁のジークフリート様がこの場に現れ、滅多に接する機会が無いからこそ、もっと一緒に居たい! それは重々承知ですが、英雄と云うものは得てして多忙なのです。さぁ! 尊敬しているからこそ、ここはジークフリート様のご意思を尊重して差し上げねばなりません!」

 白々しい。一様に手を振って見送ってくる彼らを一瞥しながら、政治喫茶を後にする。
 外はロープで歩道と車道が区切られ、親衛隊の面々は観客がロープを超えない様に奮闘していた。既にパレードが始まっており、ジークは絢爛豪華な装飾の施された街宣車の一台に乗り込む。このまま目的地まで移動する手筈となっている。専用に用意されたこの街宣車には、愛用の大剣バルムンクが立て掛けられていた。

「……ラジオを」

 ジークは傍らに立つ親衛隊に小さくそう呟くと、親衛隊はすぐに車の梯子を降り、ラジオを取り出して持って来た。この空間にジークは堪えかねている。どうせ空虚な栄光に座すくらいなら、ラジオで客観的にどう報じられているかを知ったほうがよほど身の為になると判断した。が、ラジオ越しにリポーターが燃え盛らんばかりの勢いで報道しているだけであり、結局のところジークの心は灰色のままだった。
 ついに、あまりの人口密度にラジオが断続的にノイズを発するようになってしまった。

 仕方が無いので街宣車の運転手らの会話を上から盗み聞きする事にする。MAIDの身体能力は単純な筋力だけではなく、視力、聴力なども人間に比べると段違いに優れている。故に、この轟音とも表現できる歓声の中であってもすぐ近くの話し声が聞こえるのである。
 何やら彼らは、この後のプログラムやプレゼントの仕分けが漸く終わったなどといった内容の話をしているらしかった。

 ……不意に、彼らの会話が止む。その後、狼狽した様子で会話が再会された。隣の親衛隊の男も通信を聞いているようで、仕事上のものとはまた違った形で顔を強張らせていた。運転席での彼らの声を聞くに、どうやらこの街へ大型の飛行物体が接近しているという。

「……こんな事をやってる場合じゃない」

 ジークがバルムンクに手を伸ばした所で、隣の男が制止した。彼は声を殺して耳打ちする。

「どうか、御辛抱の程を……我々がいたずらに動けば国民が不安になります」

 耳打ちを終えて彼が離れた辺りで、ラジオのみならず街頭のスピーカーまでもがノイズだらけになった。民衆は気付いていないが、報道陣の面々は突然の出来事に眼を丸くしている。飛来する物体の影響だろうか。
 ――それは違った。電波がジャックされたのだ。しわがれた低い声が、大音量で流れる。


『ごきげんよう、人類諸君。

 ワケあって名前は明かせないが、俺はGの一種だ。

 プロトファスマと云えば解るか? 解らない奴は学校でよく勉強しな!

 今回はとっておきのサプライズを用意した。

 聞いて驚け。何とV2ロケットだ!

 もちろんジークフリート、お前宛だよ。

 お前がそこにいる場所の誰よりも高いプレゼントだぜ。

 嬉しいだろ? パーティは盛大にやってこそだ。

 これから死ぬまで俺達のパーティに付き合ってもらう。いいな?

 ……あぁそうそう。愛しの皇帝陛下殿に伝えておいてくれ。

 “真の栄光を持つ者は、それを軽蔑する者である(Gloriam qui spreverit, veram habebit)”ってな。

 じゃあな、あばよ!』


 街道は瞬く間に混乱の渦と化した。
 先程まで笑顔でパレードを眺めていた国民達は「落ち着いて非難してください」と誘導する軍人達を無視し、皆思い思いの方向へと走り去ろうとする。ジークの隣に立つ親衛隊の男はその様子を見て、顔をしかめて立ち尽くすだけだった。
 もう、他の親衛隊の面々は緊急発進しているのだろう。バルムンクの柄を握りながら、ジークは口を開く。

「……私も行く」

「V2ロケットは爆発物ですよ!」

「それでも行く」

「駄目です、死んでしまいます!」

 肩を掴む手を振り払いながら、ジークフリートは親衛隊の男を肩越しに睨んだ。無意識ではなく、意識的に。それきり、親衛隊の男は何も云わなくなった。ジークは空へ向けて呟く。

「私のせいで飛んで来たなら、私が決着を付けないでどうするんだ」


最終更新:2010年08月04日 05:19
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