Chapter 5-2 : 薔薇の残り香

(投稿者:怨是)


 このエントリヒ帝国には、一つの伝説が存在する。
 その昔、帝都には二人の戦乙女(ワルキューレ)が居た。
 うち一人がブリュンヒルデという名の、金髪の美しい戦乙女。彼女の武器はヴォータンという槍だった。
 もう一人がジークフリートという名の、銀髪の勇ましい戦乙女。彼女の武器はバルムンクという剣だった。
 二人は親子の様に仲良く暮らし、共に悪魔と戦った。
 ブリュンヒルデは己の技をジークフリートに授け、ジークフリートは己の力でブリュンヒルデを支えた。
 ある日、死期を悟ったブリュンヒルデはジークフリートに決闘を申し入れる。
 薔薇園での決闘で、ジークフリートはバルムンクを真っ二つに折られてしまった。
 しかし、二度目の決闘に於いて、再び打ち直されたバルムンクによって、ジークフリートはついにブリュンヒルデに勝利した。
 ブリュンヒルデは皆に見守られながら、安堵と共に息を引き取る。

 やがて、長い月日を経て、ジークフリートが一人前に成長した時、ブリュンヒルデは再び生まれ変わった。
 前世の魂をその身体に、前世の技をその槍に、そしてジークフリートの力をその心臓に秘めて。



「ここが、母様と姉様が決闘した薔薇園なのですね」

 ――1945年、7月22日。
 アースラウグはしゃがみこみ、中庭のようになっているこの薔薇園に咲き誇っている薔薇を見つめた。連日の豪雨はすっかりなりをひそめ、花びらから断続的に滴る水滴が、陽光を反射して煌めいていた。生まれて初めて太陽を見た時、アースラウグはその眩しさに思わず顔を背けたか。ほんの数日前の事を回想する。

「きっと昔は、雨の降り続けた辛い辛い時代だったのでしょう。お母様と姉様が決闘しなきゃいけないなんて。私は姉様と決闘しないようにしないといけませんね」

 アースラウグは生まれて直ぐに大きな夢を持った。それは、ジークフリートと二人でこの帝国を守るというものだ。思い立ったように懐中時計を見ると、時刻は15時を回っている。そろそろ休憩時間が終わる。アースラウグは塀を飛び越え、立ち入り禁止となっている薔薇園を立ち去った。

「姉様!」

 訓練場に鈴の音のような声を、りんと響き渡らせる。背を向けて窓を見るジークフリートは、いつもの剣ではなく、アースラウグの槍『ヴィーザル』を模した槍を持ち、アースラウグを横目で見た。
 凛々しい顔立ち、静かに燃え上がる熱い魂を象徴するかのような、凛々しいつきと青々とした瞳。重厚な青色のワンピースに、鋼鉄製の銀色の鎧、そしてそれらを飾る赤い前掛け。嗚呼、ジークフリート! アースラウグはジークフリートをこの上なく尊敬している。

「……アースラウグ」

「アースラウグ、只今休憩より戻りました。訓練の続きをお願いします」

「ああ」

 ジークが背を向けたまま槍を勢い良く振り下ろし、訓練場の床と槍の穂先がぶつかり合う。これが訓練開始の合図だ。両者の距離が一瞬にして縮まり、剣戟が響き渡る。アースラウグは飛び散った火花に驚きながらも、両腕でヴィーザルを支え、ジークの槍を押し返さんとする。
 金属同士が強く擦れ合い、視界が少しだけ白む。アースラウグは怯まずにヴィーザルを何度も振り回し、ジークを後ろへと追いやる。僅かな隙を突かれ、ジークの槍がこちらへと向かってくる。

「っと……!」

 アースラウグは身体を横に反らし、その一撃を寸での所で回避した。避けなければ矛先が触れるかそうでないかの所でジークは槍を留め、もう一歩踏み込んで横薙ぎに振り払う。これもアースラウグはしゃがんで遣り過ごし、下からヴィーザルで突く。ジークはそれを腕ではたき、横にずらした。

「この!」

 体勢を立て直したアースラウグはヴィーザルを構えて突進し、再び振り回す。が、その尽くが防がれてしまう。やがて、振り回したヴィーザルは受け止められ、鍔迫り合いへと持ち込まれる。

「……焦るな。目をよく見て打ち込め」

「相手に目がなかった場合は?」

 槍を押し返す。アースラウグは知っている。ジークは手加減をして押し返されたのではない。目が本気であると物語っていた。

「目の代わりを探すだけだ」

 ジークフリートが身を引き、アースラウグは前のめりに倒れそうになった。そこをすかさず、ジークフリートは抑え付ける。アースラウグは受身を取り損ね、床に膝を突いた。ヴィーザルが重低音を立てて地に着くが、アースラウグは決してそれを手放さなかった。
 まずは一本。動き回っていた反動で、汗が額から滴り落ちる。

「……まだまだ、姉様には勝てませんね」

 ヴィーザルを杖にして立ち上がる。こちらが既に肩で息をしているのに対し、ジークは平然としていた。ジークは槍を静かに床に置いてアースラウグのもとへ歩み寄り、頭を撫でる。

「私はここまで辿り着くのに5年掛かった。アースラウグなら、3年も掛からないだろう。だから、勝つ事を決して諦めないように」

「はい、姉様」

 ジークの右手から伝わる温もりが、アースラウグをいつも勇気付けてくれる。これがあるからこそ、アースラウグは前へ進める。窓から降り注ぐ陽光が辛く苦しい時代の終焉を物語っていた。アースラウグはこの太陽のようになりたいと思っている。そうして、苦しみに喘ぐ人々を救い、帝都に蠢く闇の尽くを照らし尽くすのだ。
 ――そう、私はこの世界を救ってみせる。かつてこの地を守るべく戦ってきた母様(ブリュンヒルデ)のように。
 数々の伝説を遺したブリュンヒルデ。アースラウグはその生まれ変わりなのだ。

「もう一戦、お願いします」

 顔を上げ、ヴィーザルを再び構える。

「いいだろう」

 ジークはそれに笑顔で応じ、アースラウグと同じ構えで槍を持つ。背丈によって先端の向きこそ違えど、相手に向けているという点では同じだ。瞬時の判断で身体に発破をかけ、己の全力を以って勝利を手にするのだ。

『目を見て打ち込め』

 ジークが日頃から云っている言葉だ。目の動きで、相手がどのような事を考えて攻撃に移るかを見抜けるという。だが、Gにそれほどの高度な思考を持ち合わせている手合いが居ただろうか。アースラウグにとって、それだけが唯一、腹に落ちない言葉なのは、人間やMAIDを相手にする機会が訪れる気配も無く、また自分やジークと云う存在がそれを起こさせないだろうという確信があったからだ。
 それでもこうして訓練を積んでいるのは武器の使い方を学ぶ為、そして何より一歩でも近く軍神ブリュンヒルデへと近付く為に他ならない。

 刃がぶつかり合う。振り回したヴィーザルの切っ先が白銀の軌跡を描き、ジークフリートの槍を薙ぎ払わんとする。先程の鍔迫り合いにならないように、一度距離をとる。ジークフリートは向かって来ない。こちらの出方を伺い、迎撃の姿勢を取っている。

 互いに一歩も動かず、訓練場の空気は二人より発せられる体温で僅かに熱を帯びている。場所こそ違えど、かつてブリュンヒルデもジークフリートとこの静かな灼熱を共有していたのだろうか。アースラウグはふと、得物を相手に向けたままそのような事を考えた。時が止まったかのような錯覚はしかし、ジークフリートの一言で掻き消された。

「遠くを、見ているのか」

「ちゃんと目を見ています」

「私の目を通して、ブリュンヒルデを見ているように感じたんだ」

 ジークフリートが微笑む。が、その微笑は何処となく哀しげなもののように感じられる。亡き軍神を偲んでいるのだろう。兵士らの話に拠れば、ブリュンヒルデは誕生しておよそ二ヵ月後には、既に一線級の活躍をしていたという。その偉大なるMAIDを師と慕っていただけにジークはきっと心の穴を不意に思い起こしてしまったのではないだろうか、とアースラウグは推測した。
 ならば、その穴を埋めるのはこの自分の役割である。

「絶対に母様に追い着いてみせます。姉様の期待は裏切りません」

「……心強いな」

 ジークが僅かに視線を落とす。その瞬間をアースラウグは見逃さなかった。例え昔話に差し掛かろうとしていても、今は訓練の最中である。どのような場面であろうと戦いは忘れない。ヴィーザルをジークへ向け、アースラウグは突進した。

「――!」

 ジークはヴィーザルを振り払おうとする。アースラウグはそれを見越して訓練場の床にヴィーザルを突き刺し、ジークの槍を阻んだ。その上で、ジークの胸へと飛び掛る。かくして、視界は横転した。

「見事だ」

 ……アースラウグの勝利という形で。
 アースラウグは、ジークフリートの四肢を押さえつけたまま彼女を大の字に押し倒していた。受身を取らせない体制で背中を打ち付けたのには若干の罪悪感があるものの、勝利したという事実は決して覆さない。

「姉様。私は母様に追い着けましたか?」

「判らない。これがもし、一対多数であった場合は?」

「代わりの戦法を探すだけですよ」

 ジークを解放し、アースラウグは起き上がる。汗ばんだ髪を指で弄び、横を見やると、先程の訓練でヴィーザルに跳ね返されたジークの槍が、拉げて転がっていた。アースラウグに合わせて、ジークもその槍へと顔を向ける。

「……今日はこの辺りでやめにしよう」

「再戦はまた明日、ですね」

「ああ」

 ふわりと風が吹き、香水の香りがアースラウグの鼻をくすぐった。振り向くと、桃色の髪をしたMAIDが柔和な表情で、小さく拍手していた。

「まぁ。まるで軍神様がお二人になられたかのよう。わたくしアドレーゼは嬉しゅうございますわ」

 彼女の名はアドレーゼ。アースラウグよりおよそ10ヶ月程前に生まれ、護衛対象のヨハネス・フォン・ハーネルシュタイン名誉大将と共に、この帝国を影から支えているというMAIDだ。あまり話をする事は無いが、何かの拍子で出会った時は決まって優しくしてくれる。軍神ブリュンヒルデの残した伝説や、帝都にまつわる面白い噂話などを聞かせてくれるので、アースラウグは何とはなしにこのアドレーゼに親しみを持っている。

「アドレーゼさん、ご覧になられていたのですか」

「えぇ、誰の追従も許さない戦いぶり、お見事でございました。生まれてから一ヶ月も満たない間にこれ程の成長、ジークフリート様の教育の賜物であり、またアースラウグ様も先代軍神様の片鱗を早くも覗かせておられますわね」

 アドレーゼは拍手を止め、にっこりと頷いた。アースラウグも、吊られて照れ笑いを浮かべる。ここまで褒めちぎられたら、誰でも良い気分になるものだろう。そう思ってジークフリートに同意を求めるべく顔を向けるが、ジークの表情はアースラウグの予想に反して曇りきっていた。

「……姉様?」

 一度、訊ねるも反応が無い。帯を軽く引っ張りながら、もう一度耳元で訊ね直す。

「姉様」

「……あぁ、どうした?」

「考え事をしていたのですか?」

 ジークの表情に覇気が無い。むしろ、くたびれきったような、この世の終わりを遠くから見つめているような、死相そのものだ。

「大丈夫だ。何でもない」

「でも」

「少し訓練で張り切りすぎて疲れただけだ。私は帰って休む」

 足早に退室するジークフリートを横目に、アースラウグは立ち尽くしていた。何処をどう考えても、つい先程の状況にジークの機嫌を損ねる要素など一つも見当たらない。良い戦いが出来たではないか。なのに何故。アースラウグは俯いてアドレーゼに問い掛ける。

「姉様、どうしたんだろう……」

「わたくしにも量りかねますわ。もしかしたら、アースラウグ様が将来背負われるであろう重責を案じておられるのかもしれません」

「まさか……将来的に決闘しなくてはならないとか?」

「ご安心を。そのような悲劇は繰り返されてはならないと、帝都の多くの方々が思ってらっしゃいます。かつて実行されたという303作戦のような悪夢は、わたくし達が起こさせません」

 303作戦は、今から7年前の1938年に行われたG殲滅作戦だ。ヤヌスと名乗るMALE、そして黒旗の前身である国防陸軍参謀本部の裏切りにより作戦は失敗に終わったという。軍神ブリュンヒルデも参加しており、散り散りになり孤軍奮闘する味方をたった一人で救おうとしたが、結局は孤独なまま生き残ったと聞かされている。仲間を救えなかった罪滅ぼしとして、ブリュンヒルデは国内のMAIDが殆ど居ない状態でグレートウォール戦線を戦い抜いた。
 ようやく生まれたジークフリートに望みを託し、己の技術を全て分け与えてブリュンヒルデは死んでいった。薔薇園での決闘の後に。その跡継ぎとしての重責だろうか。ジークフリートは滅多に笑わない。そこまで考えて、アースラウグはとある結論に辿り着いた。

「……褒められるの、実は苦手とか」

「それは有り得ますわ。ジークフリート様は生まれてからずっと厳格な環境で育ってきたと聞いております。もしかしたら」

「照れてるだけ、と」

「えぇ。“照れる”という感情と上手く付き合えない、生真面目な方なのでしょう。何と可愛らしい……」

 アドレーゼは自らの肩を抱き、頬を幽かに赤く染める。悩ましげに吐き出される溜め息が、何処と無く恋する乙女を思わせた。
 ともあれ、ジークの急な雨模様がそういった気質に由来するものだとしたら話は早い。アースラウグは比較的そういった感情との付き合い方が生来から備わっているという自負がある。素直になるためにはもっと会話が必要である。それが自分の姉であるなら、尚更であろう。

「姉様はきっと肩がこってると思います。ちょっと、肩揉みをしてきますね」

「わたくしも混ぜてと申し上げたい所ですが、お仕事があるので残念ながらお邪魔する事は出来なさそうです。行ってらっしゃいませ」

 寂しげに手を振るアドレーゼを何度か振り返りながら、アースラウグは小走りでジークフリートの個室へと駆け足で向かった。
 もうすぐ午後の5時へと差し掛かろうとしている7月の廊下は、煌々と照る太陽が黄金色に染めていた。


最終更新:2010年09月24日 21:19
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。