Chapter 6-1 : 可燃物

(投稿者:怨是)


プロミナさんが居なくなった?!」

 報告書を投げ捨てんばかりの勢いで、アースラウグは驚愕した。
 1945年8月12日。プロミナに放火の容疑が掛けられ、取調べが始まってから一週間が経った。専門家の話に拠ると現場の燃焼範囲や焼け方は不自然で、通常の発火では有り得ない状態である事から、ほぼ“クロ”と見て間違いないそうだ。プロミナはプロトファスマと戦闘したと供述しているが、現場からそれらしき形跡は発見されなかったという。それでもプロミナは「プロトファスマと戦った、その後、黒旗に云い掛かりを付けられた」の一点張りであり、取調べは遅々として進行しなかった。状況証拠を再び検証し、取調べの方法を見直そうとした矢先に、彼女は脱走した。

アドレーゼさん、これってつまり……」

「信じがたい事ですが、きっとそれが事実なのでしょう」

 つまり、放火は事実であり、プロミナは何かを隠している。
 いつもの笑みを、アドレーゼは浮かべていない。細めた双眸は、今にも涙が零れ落ちそうな程に潤んでいた。アースラウグもつられて泣きそうになる。

「そんな……でも、逃げたら余計に罪が重くなるんじゃ」

「その後、当局による逮捕があれば重くもなりましょう。ですが、逃げ切ってしまえば罪は誤魔化せます。例えば、他国に匿われたら……――」

「無罪に、なる……?」

 話には聞いた事がある。罪を犯した人間が国外に亡命する事で、帳消しにしてしまうといった事例が、今も尚存在するというのだ。MAIDが亡命した例は聞いた事が無いが、プロミナの逃亡を許せば、それが最初のMAID亡命事件として世界中が記憶する事となってしまうだろう。そうして全ての真実は、永遠に闇の中へと葬り去られる。
 アドレーゼが重々しく頷いた。

「然様でございます。そうなってしまえば、追跡、捜査は打ち切りに。そして彼女が本国へ戻り、罪を清算する事もまた、不可能となってしまいます」

「じゃあ、プロミナさんは!」

「先程アースラウグ様が仰った通り、逃走を計った時点で罪は重くなります。宰相派に捕獲されてしまえば、良くて再教育処分、最悪の場合は廃棄処分とされてしまうかもしれません。或いは、放火の容疑を盾に、良からぬ軍事計画へ加担させるという事も充分に有り得ましょう」

 アースラウグは気の遠くなる程の絶望感に、言葉を失った。最悪のシナリオが、眼前に今か今かと待ち伏せているではないか。アドレーゼがこちらの両肩を強く掴む。両手から伝わる温もりに助けられ、アースラウグは顔を上げた。

「アースラウグ様。今ならまだ、間に合います。プロミナを連れ戻しましょう。それが今回の任務です!」

「はい!」

 二度と会えなくなるのは御免だ。何としてでも連れ戻し、真相を解き明かさねば。全てが手遅れになる前に!
 そうと決まれば、アースラウグは自室へ駆け戻り、相棒とも云える武器、ヴィーザルを手に取った。

「プロミナさん……」

 西日に照らされながら、アースラウグは集合地点へと向かった。




 間も無く、日が暮れる。プロミナはまだ発見できずにいる。アースラウグは走った。走り続けて、息を切らせていた。

「プロミナさん、何処へ行ったのですか……」

 闇に彩られて黒々と影を落とす煉瓦の壁に、アースラウグは背を預けた。生まれてから僅か一ヶ月余りという新米MAID故の不慣れか、他の先輩MAIDのようには長々と走れない。冷え切った空気が喉を刺し、むせる。

「ここが確か……」

 アースラウグは路地裏から身を乗り出し、地図を広げた。ここは帝都ニーベルンゲの、ニトラスブルク駅付近だ。西側に国立図書館が見えるので、恐らくはオフィス地区の北端だろう。
 オフィス街は静まり返っている。この一帯はレンフェルクより下された指令によって、早々に営業を終了したのだ。逃亡の最中に能力を使われれば、被害が出るというのが理由とアースラウグは聞いている。宰相府はその方針に反対したらしいが、何か不都合でもあるのだろうか。足音を殺して歩きながら、アースラウグはふと、疑問を脳裏から掘り起こした。
 アースラウグが生まれた頃には既に、宰相府とレンフェルクは対立していた。あの如何にも悪巧みをしていそうなギーレン・ジ・エントリヒ宰相と皇室親衛隊長官テオバルト・ベルクマン上級大将を最初に見た時の、二人の凍て付くような眼差しは、鮮烈に記憶している。彼らの双眸の裏から事細かな思考を読み取る事は叶わなかったが、敵意に満ち満ちていた事だけはすぐに解った。まさか、宰相府は民間人を盾に、プロミナの動きを封じようとしていたのではなかろうか。だとすれば、何と冷酷な連中だろう。
 この作戦には、宰相派と皇帝派の両派閥が参加している。しかも、それぞれ受け渡し先まで異なっているという。であれば、アースラウグら皇帝派、ならびにレンフェルクに属する由緒正しき帝国の騎士達は、薄汚い政治的野心を持つ宰相派に先駆けてプロミナを見つけねばならない。

「お願い、この近くに居て」

 小声で呟き、無人の自動車を思わず覗き込む。まさかこの中には誰も居ないだろう。そう思いながらもまじまじと見つめてしまった。
 ……それが、全ての間違いだった。少しだけ開けられた窓から漂う濃密な鉄分の臭気に驚き、アースラウグは飛び退いた。車は人の気配こそしなかったが、決して無人ではなかった。代わりに気配の残滓が幾許かの時を経て、別の物に変質していた。

「何、今のは……」

 暫し、佇む。
 視界が二点、三転し、呼吸も苦しい。跳ね上がるような鼓動が、鼓膜を何度もノックした。目の前のこれが、死というものなのか。腐臭にも似たそれを再び嗅ぐ勇気は無いが、かといって目を逸らせば後悔するかもしれない。恐る恐る、アースラウグは車のドアを開いた。

「……!」

 ドアの隙間から――闇に紛れて正確な色は判然としないが――赤とも黒とも付かない液体が漏れ出てくる。急いで閉めようとしたそのドアを、奇妙な感触が押し返した。カラン、カランと小さな金属音と共に、小指大の筒状の物が隙間から滑り落ちる。これは何だ。何故、こんな状況が、この場所に?
 疑問が氷解するよりも先に、背筋が、尾てい骨から首の付け根まで凍り付いてしまいそうだ。誰か、誰か、代わりに確かめてくれる者は居ないのか。

「は、はッ……あ、うぐ……」

 喉元まで酸味が込み上げ、アースラウグは石畳に膝を突き、胃の中身をぶちまけた。車のドアには確かに、人の影が見えたのだ。恐らく、息はしていない。
 あれは、死体だ。しかも死んでからそれほど時間が経っていない。何故なら両手に感じる生温い感触は、ぬめりを帯びて、こちらの体温と混ざり合っている。

「ぐ、えぅ……」

 涙が頬を伝い、吐瀉物に混じった。目元を拭おうとして、目に赤黒いぬめりが入り、反射的に咳き込む。どのようにすれば目元から“これ”を取り除ける? 痛い。痒い。手袋を外して、幾ら掻き毟ろうと、視界は赤く濁ったままだ。そうしている内に、アースラウグはその、死後の世界に通ずるような様相の車が、怪物か何かのように見えてきた。恐怖は敵だ。敵は倒さねばならない。手元には武器(ヴィーザル)がある。ならば、立ち向かう。

「うわぁああ!」

 気が付けば、車に槍が減り込んでいた。真っ二つに割れるのではと思わせる程に車体は大きく陥没している。やった。ついに、やってやった。恐怖の元を断ったのだ。

「はぁ……はぁ……!」

 喉の渇きは潤せない。車体から溢れるそれを飲み干す気にはとてもなれない。空を見上げればぽつぽつと雨が降っていた。願わくば、手元にコップがあれば少しは気休めになったであろうに。

「こんな事を、してる場合じゃ、ない」

 笑い続ける両足に鞭を打って、アースラウグはもう一度、車へと近寄った。冷静につい先程までの行動を顧みると、傍から見れば狂人のように映っていたかもしれないが、あれは云わば(まじな)いだ。恐怖の対象に物理的衝撃を与える事で、精神を落ち着かせたのだ。死臭を吸い込まぬよう注意深く深呼吸し、もう一度、車のドアを開けた。

「これは、黒旗の……」

 死体は国防軍や皇室親衛隊の兵士ではなく、黒旗の構成員だ。それは、幸いと見ても良いのか。
 大方、死因は銃創による失血死だろう。教科書で学んだ。では、筒状のものは薬莢だろうか。奇妙な話だ。ガラス越しに銃で撃たれたとすれば車のガラスに蜘蛛の巣のような跡が残る。かといって、他の所で撃たれて車に逃げ込んだとしたら、薬莢は近くには無い筈だ。見た所この男は銃らしきものを持っていない。
 あれよこれよと考えている内にアースラウグは恐怖心が再びぶり返し、急激に襲ってくる悪寒から逃げる様にしてその場から走り去った。

 雨粒のひんやりした感触が、鎧を余計に重くした。早く、早くプロミナに会いたい。もしもこのどす黒い沈黙に包まれた夜をたった一人で彷徨わねばならないならば、プロミナに会うより早く、この精神が壊れてしまうだろう。自分が逃亡者なら何処へ逃げる? 抜け道のある場所だ。アースラウグは路地裏へと駆け込む。

 ――さくり。

 足元で奇妙な音が鳴り、アースラウグはうつ伏せに転んだ。ヴィーザルが手元を離れ、数十センチ先へと転がる。胸を強く打ったアースラウグは、起き上がろうとして地面に手を付こうとした。が、手に触れたのはアースラウグが想像していたものよりずっと脆く、そしてまたおぞましい何かだった。

「ひ――」

 元が何であったか――否、正確には元が誰であったのかを云い表わす事は不可能だが、間違いなく焼死体だ。それも一人ではない。何十人も、真っ黒に炭化した死体が転がっている。

「そんな、嫌だ……」

 プロミナが殺してしまったのか。信じたくはないが、焼夷弾や火炎瓶ではドッグタグや手持ちの銃器まで原形を留めぬ程に融解させる事は出来まい。十中八九、彼女がやったとしか思えない。何故ここまでする必要がある? 何故、そうまでして逃げる? 何故、このような事になってしまった? 何故、何故、何故。
 無数の“何故”が、アースラウグの胃液を逆流させ、何もかもを吐き出した。何もかもが、度を越していた。

「――お前も聞いちまったのか。この世の関節の外れる音を」

 低く、嘲うような声が路地裏に響く。はっとして振り返ると、傘を差した親衛隊の男が鼻歌交じりに近寄って来ていた。

「貴方は……?」

「エドワウ・ナッシュ。レンフェルクのメンバーさ。色々と複雑なワケがあるが、まぁ、いっぺんに語り過ぎても耳にゃあ入らないか。エディとでも呼んでくれ。今はそれでいい」

「エディ、さん」

「しかし、アイツも派手にやってくれたな。これじゃあどっちの軍の死体かも判らないじゃないか。どうせ殺すなら綺麗にやって欲しい所だ」

 綺麗に? この男は何を云っている? まるで、備品か何かを扱うような手付きで死体を物色して。

「どういう、事ですか」

「跡形も残さないか、或いは服くらいは残すかって事だよ。炭化させちまうと、処理が面倒なんだ。拾いそびれた死体の破片を後で犬とかが見つけて、大騒ぎになるかもしれない。犬の嗅覚はMAIDですら追ッつかないくらい、繊細で敏感だからね」

「人が沢山死んでるんですよ! どうして、そんな冷静に!」

 エディはあくまで、おどけた態度を崩しはしなかった。理解しかねる以前に、エディというこの男は道徳が欠落しているのではないかとさえ思えた。

「慣れちまったんだ」

「ひどい人……悲しみもしないなんて」

「最初のうちは大切な命、ちょっとしたら日常茶飯事、そっから更に進んだら、単なる数字。俺達の命っていうのはな、そういう風に見られてるんだ。恋人や家族のように親しい間柄ならともかく、見ず知らずの命にまで涙を流す必要は無いぜ。一滴たりともな。増して、黒旗なんざ押し付け病のクズばかりだ。何人死んでも心は痛まない」

「貴方のような人が居るから、戦争は無くならないんです! こんな時、お母様なら――」

 云い掛けて、エディがそれを遮った。

ブリュンヒルデが、どうかしたか。俺は知ってるぜ。ブリュンヒルデはな。腕っ節と正義感と責任感だけが取り柄の、こういう局面では誰も救えなかった無能だったよ。良かったじゃないか。お前は母親譲りの無能だ。立派に引き継がれてる」

 見下げ果てた男だ。国家への忠誠心までも、まるで無い。かつてこの国を支えたMAIDさえも侮辱してのけるとは何様のつもりか。増して、ブリュンヒルデはアースラウグの母だ。気分が良い筈が無い。
 このような輩に帝国を任せられるか。アースラウグはエディを睨み付けた。

「この国から、出て行ってください」

「出たきゃとっくに出てるさ。それが出来りゃ苦労はしないんだよ、お嬢さん。それより、いいのか? 他の区域にゃプロミナは見付からなかった。通信機の使い方くらいちゃんと覚えろよ。さぁ」

「え……」

 エディはアースラウグの腰に手を伸ばし、通信機を引っ手繰った。アースラウグが驚いて何も出来ないでいるのを尻目に、これ見よがしに通信機をぶらぶらと揺らして来る。

「いいか。俺の云った通りに報告するんだ。“こちら第22捜索班、アースラウグ。ニトラスブルク、オフィス地区、第14番街道の路地裏にて黒旗と思しき焼死体を多数確認。尚、プロミナは未だ発見出来ず”……ほらな? 簡単だろ? やってみな」

 エディに通信機を投げ渡されたアースラウグはそれを取り落としそうになりながらも、何とか掴んだ。
 通信機のチャンネルが全体に向いている事を確認し、電源を入れ、それから発信ボタンを押す。赤いランプが点灯したのを見て、マイク部分に恐る恐る口を近付けた。

「こちら……第22捜索班。アースラウグ……ニトラスブルク、オフィス地区、第14番街道の路地裏にて、黒旗と思しき焼死体を、多数確認……尚、プロミナは未だ、発見、出来ず……」

「よしよし、上出来だ」

 頭を撫でられるが、いい気分ではない。その理由は、エディに撫でられたからという事ではなかった。通信機で報告を入れた事で、プロミナが犯した罪を改めて認めてしまった事が、何か取り返しの付かない事をしたような心持ちにさせたのだ。

「……」

 まだ知り合って一ヶ月も経たぬ仲ではあったが、友をこうして“罪人”と見做す事の悲しさは、何と重く心に響くものだろう。気が付けば、涙が再び頬を伝っていた。雨に隠されてこそいるが、嗚咽までは雨音は消し去ってくれなかった。

「どうしてそこで泣く必要があるんだい?」

「誰だって、知ってる人が罪を犯せば悲しいでしょう?」

「……それが仕組まれた罪だとしてもか」

「仕組まれた罪なら、どうしてプロミナさんは逃げる必要があるのですか」

 何者かの陰謀だとすれば、無罪を主張し、戦い続ければ良いのだ。逃げれば己の罪を認める事になってしまうではないか。しかも、生き長らえる為に、敵とはいえ黒旗の兵士をこのような状態にまでして。一体何処で、道を踏み外してしまったのだろうか。

「さぁな」

 エディは答えようとしない。この空間に於いては、頼りになるのはアースラウグ自身、そしてブリュンヒルデの魂だけだ。

「プロミナさんは絶対に、私が正しい道へ導いてみせます。お母様の名に掛けて」

 しかし、それすらもエディは踏み躙るつもりだ。残念がる様な苦笑を浮かべて、じっとこちらを見つめている。何が可笑しい。

「パラノイアって奴だな。お前の心は既に折れ曲がってる」

「そういう貴方はどうなのですか。水溜りに映った顔を見てください」

 アースラウグは懐中電灯の明かりを点けた。勢いを増した雨のおかげで、丁度良い場所に水鏡が作られている。さぁ、自分の顔をもう一度見てみろ。それが他者を偏執狂(パラノイア)などと嘲える様相か。

「そんな虚ろな目をして。貴方こそ、狂っています」

「俺が、狂ってる? 傑作だ。今夜は綺麗な月が見れそうだぜ、アースラウグ。空をよく眺めてみろ」

 天気雨とでも云うのか。アースラウグは云われた通りに空を見上げた。が、黒い雨雲が空を覆うばかりで、月も、星も、何処にも見当たらなかった。

「月なんてどこにも――」

 銃声が耳を掠める。あと数ミリでも逸れていたら、耳の肉を削がれていたかもしれない。アースラウグはヴィーザルで、振り向きざまにエディの拳銃を叩き落した。

「いきなり、何を!」

「驚いた? まぁ落ち着けよ。俺はお前を殺しはしない。ただな、憎くて仕方が無いんだ。俺は、俺達は、ただ静かに暮らしていたいだけなのに。社会がそれを許しちゃくれない。どうしてなんだろうな。俺だって本当は泣きたいよ」

「何が貴方をそうさせるのですか」

 いっそ、興味が湧いた。下手をすれば命を奪いかねない程の奇行をしでかすこの男の、狂気の原因は何だ。何が憎くて、こちらに敵意を剥き出しにする。何が悲しくて、命を冗談の種にする。
 暫くして、エディは煙草に火を点け、ゆっくりと口を開いた。

「俺にもかつて、パートナーのMAIDが居たんだ。だが、スパイの容疑を掛けられて、社会的に殺された。俺は守りきれなかった怒りで周りに当り散らし、国外追放されちまった。こうして帝国には連れ戻されたが、俺の傍に居たMAIDは今も行方不明だ。名前を、シュヴェルテと云うんだがな。講義で習わなかったか? ヴォ連からのスパイだとかで」

 全くの初耳だ。そのようなMAIDも、そのような事件も、存在すら知らなかった。アースラウグはむしろ、そんな馬鹿げた同胞殺しがかつて横行していた事に驚いた。まるで黒旗ではないか。エディは吸い終えた煙草を水溜りに放り投げた。

「俺やそいつだけじゃない。他にも沢山の奴が、殺されたり、行方をくらませた。ジークフリートと肩を並べる強さになりそうだったっていう、たったそれだけの理由でだ。一体、誰がそんな事を仕組んで得をするんだろうな」

「……」

 エディは地面に落ちた自分の拳銃を、思い出したかのように拾った。それから軽くスライドを引き、制服の袖で泥を拭いた。

「思うに、プロミナも近い境遇にある。お前やハーネルシュタインのクソジジイが日頃から敵視している宰相派は、お前らの好きにさせないように、別の方法でプロミナの無実を晴らすつもりだろうよ」

「その確証はあるのですか。宰相府は軍事計画の一環でプロミナを捕獲し、先週の火事をダシにして、良からぬ事にプロミナを使うのではないのですか」

「具体的にどう使うんだ。気に入らない奴の家でも焼かせるか?」

「その通りです。事故に見せかけて、皇帝派の人達を暗殺する。その為にプロミナを……」

 エディは腹を抱えて笑い始めた。実際には声を抑えていたが、狭い路地裏の壁に反射して、本人が聞こえているであろう声量よりもずっと大きく、アースラウグの耳に入り込んで来た。

「なるほど? ガキの頭で精一杯に背伸びした割には、いいシナリオだ。だがな、宰相府ってのは馬鹿でも思い付く様な事をやる奴はあんまり居ない。レンフェルクとは訳が違うんだ」

「レンフェルクが、馬鹿の集まりとでも云うのですか」

 アースラウグの問い掛けに、エディはただ、ただ、左右交互に首を傾げて応じるだけだった。果たして、第三者にとってはどちらが愚者に映るのか。願わくば、エディが愚者であって欲しい。

「うーん、違ったかな……まぁいいさ。俺は奥まで探してみる。お前は別の場所を当たった方がいいな。それとも、今の内に死体に慣れておくか? 夜中に眠れなくなるかもしれないけど」

「私とて帝都を守る騎士です。この程度、立ち向かって見せます」

「大騒ぎして証拠品をブッ壊してまで立ち向かったもんな」

「見ていたのですか」

「ゲロを吐く音が聞こえたからまさかと思って。まぁこれで一皮剥けた訳だし、その勇気に免じてここはお任せするとしましょうか。お姫様」

 恥ずかしさではなく、怒りで耳に熱を帯びる。見殺しにするつもりだったのかは解らないが、仲間が恐慌状態に陥っていた所に手の一本すら差し伸べないとは。ブリュンヒルデがあの場に居てくれたなら、きっと抱き締めて落ち着かせてくれたに違いないというのに。

「馬鹿にしないで下さい。何故あの時助けてくれなかったのですか」

「俺はただのか弱い人間さ。貴殿が日頃から敬愛しておられるブリュンヒルデ様やらとは違うんだ。迂闊に近付いて串刺しにされちゃ、たまったもんじゃないからな。じゃ、また後で」

 そう云ってアシュレイは踵を返し、手を振りながら去って行った。足音が消えたのを聞き届けると、アースラウグは小さく毒づく。

「なんて人なの……」

 終始、癇に障る言動だった。ブリュンヒルデが彼を見ていたら、数分と経たぬ内に平手打ちにしていただろう。母の不在を心の片隅で嘆きつつも、アースラウグは捜索を再開する。死体を踏まぬよう、慎重に足を進めると、何か硬いものがブーツに触れた。

「これは……」

 アースラウグはそれを拾い上げた。青いヘッドドレスだ。少し焦げた跡があるが、同じ色のリボンも付いている。間違いなく、プロミナのものだった。

「プロミナ!」

 街灯も無い暗闇の中、アースラウグは無我夢中になってプロミナの残滓を追い駆けた。この近くに、必ず居る筈なのだ。鎧の隙間に雨が入り込んで冷たいのを無視して、闇の中を何度も目を凝らす。生きていてくれ、プロミナ。何故、ここまでの事をしたのか、会って話をせねばならない。彼女の罪を、死で償わせてなるものか。

「――」

 公園に出た。ここにも、そこかしこに焼死体が倒れている。それどころか、木々が焼け落ちている。プロミナは愕然とした。これ程の激戦が繰り広げられていたという事は、ほぼ確実に彼女は重傷を負っている。
 呆然と立ち尽くしている中、通信機のピープ音が鳴る。アースラウグは通信機を耳元に近付け、スイッチを押した。

《アースラウグ様、アドレーゼです》

「報告を……プロミナさんは、発見出来ましたか?」

 高鳴る鼓動と逸る気持ちを精一杯に押さえ込みながら、必要最低限の質問をした。

《先程、公安部隊から連絡がありました》

「何と?」

《プロミナの回収は無事に済ませたとの事です。帰還しましょう》

 ――回収、か。
 彼女が国外に逃げ延びるという最悪のシナリオは、とりあえず回避できたという事だ。問題は、彼女が生きているかどうか、それだけだ。

「彼女は、生きていますか?」

《申し訳ございませんが、まだ、確認が取れていません。問い質そうとした所、折悪く電波障害で通信が繋がらなくて……》

「そう、ですか……」

 数十分後、アースラウグは迎えの車に乗り、皇室親衛隊本部へと戻った。バックミラー越しに見える景色は、この世のものとは思えぬほどに寒々しく、あんな場所にずっと居たのかと考えたくも無かった。
 夜が明ければ、あの惨状が文字通り白日の下に晒されるのだろうか。傍らの、疲れ果てた表情で座るアドレーゼに労わりの言葉を掛けてやる事も出来ず、アースラウグは帰路の最中、ずっと黙ったままだった。


最終更新:2011年02月05日 11:50
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