No.7 Till the last gun is fired

(投稿者:エルス)



  アラン・ブレイズに心から礼を言い、武器をすべてコートの内側に括りつけたりポケットに突っ込んだりして、俺は家を出た。
  片手に未開封の弾薬箱の入った紙袋を抱え、どこかの料理店で母親に言われた通り調味料を買って今から家に帰る青年を演じる。
  時折紙袋の中を覗きこんで「こんな葉っぱ何に使うんだか」とか「大体何で俺なんだ」とかブツクサ呟き、不機嫌そうに背を丸める。
  目は不良のように吊り上げて、相手を不機嫌にさせるべく目を細め、心持ち眉間に皺を寄せる。そうすることで不自然さを自然に変える。
  演技することを―――自分を偽る事を教えてくれたのは他ならぬエルフィファーレだった。私的な感情をすべて抱え込み、殺したくなるような相手でも笑って見せる。
  それが偽る事。本当の自分を殺して笑顔の仮面をつけた人形になる。感情なんか入る余地は無い。入ったら最後、殺された自分がそこでくたばってるだけなんだから。

 「…………」

  もし偽る者が偽る事を止めたら、どうなってしまうのだろうか。残っているのは自分の死体と不感症になりかけの心が一つずつ。
  今まで使ってきた仮面はぶち壊れて、今度からは本物の笑顔とやらを見せなきゃ生きていけない。
  でも本当の笑顔って何だ? そして気付く。口の端を上げて目を細くすればそれっぽく見えるってことに。
  でもそれは本物の笑顔じゃない。そんなもん自分で自分を守るために作り上げた安っぽっちの新しい仮面なんだ。
  その内簡単にぶち壊れる安物さ、きっと限界に気付いてまた仮面を作る。
  死ぬまで永遠に繰り返し、死の間際になってこう思うに違いない「はて、笑顔とはどんなものだったか?」と。
  無表情の死に顔は青白く変色し、そこで一つの物語が幕を下ろす。
  世は全て事も無し。物語の最後のページはこう締めくくられる。

 『今日、とある町で人が一人死んだが、世界は歩みを止める事は無い。同情の前に必ず何かを必要とする。無償の優しさなど存在しない。人とはそのようなものだ。』

  そして偉いインテリぶった男がこの作品をこう評価する。
  見下した笑いで「これは作者の経験談を書いているのか?」とほざくのだ。きっとそいつは頭の血管が破裂して死ぬだろうが、その事だって頭にないだろう。
  生きていると言う事は背中に死を背負っていることだと言うのに、どうして人と言うのはそれを忘れてしまうのだろうか。
  今まで死んだ人間の上に自分が立っているのだと言う自覚が、どうしてないのだろうか。
  人間と言う生き物は複雑であるが、時として単純明快で極めて愚かな生き物で、更にその欲望と言ったら獣と何ら変わりがない。
  心理学者はこう言うだろう「そんなことはない」じゃあ夜にヤってる事を言ってみろ。

 「…………?」

  さて、どうして俺はこんな事を考えているんだ? 誰に何かを言われたと言う訳でもないのに、どうしてこんな小難しいことを考えているんだ?
  ミシェル・ハミルトンとシリルが喧嘩して、こんなんなっちまってるのか?
  でかいクエスチョンマークが無限に増殖していく気がした。
  どうしたって変わらない事を批判するのは痛烈に楽しいことだが、それで何かが変わるのかと問われれば「変わらない」と答えるしかない。それはどうやったって変わらないのだから。
  気がつくと値段も手頃なホテルの前で立ちつくしていた。日も落ちかかってきていたのでさっさとチェックインしてキーを貰い、三階の二号室のドアノブを捻る。
  少し歩けば両側にドアがあり、開いてみればトイレとシャワー。逆側の両開き扉の中はハンガーだった。その先はリビングで大人が楽に二人寝転がれるくらいにでかいベッドがある。
  ベッドの他にはシンプルな長方形のテーブルと、それを挟むようにソファが二つ置かれており、テーブルの上にはアルミ製の灰皿とマッチが置かれていた。
  紙袋をベッドに放り投げて灰皿とマッチを持って床に座り込む。ズボンのポケットからロマ・ブルーの青いパッケージを取り出し、その中身を咥える。
  これはアラン・ブレイズから貰った品の一つだ。彼の自宅には見た所あと一か月は一カートンも買わなくて済むくらいに大量にあったから、二つほど貰ったのだ。
  箱からマッチを取り出して箱の横に擦りつけて発火させ、それで煙草に火を点ける。煙を吸い込んで紫煙を吐き、マッチの火を消す。
  黙々と煙草を吸い続け、回転させっぱなしだった頭を休め、ぼんやりと焦点の合っていない目で天井の染みを眺め続け、時折ふとその存在を思い出して煙草の灰を灰皿に落とす。

 「ミシェルが俺なのか、はたまたミシェルではない俺が俺なのか」

  考えていた事が口に出てしまい、俺は舌打ちする。亀が歩くような速度で頭の中は延々と回り続ける。
  できれば完全に停止させてクールダウンさせたいのだが、それは無理だと分かっていた。そういう性分なのだ。
  壁掛け時計を見ると、時刻はすでに午後9時を回っている。眠気が一向に訪れそうにないが、とりあえず室内の照明を切った。
  暗闇の中なんとかソファに座り込む事に成功し、残り三分の二くらい残ってる煙草を吸う。
  特別に上手いと感じはしないが、こうして煙草を吸っている間は心の奥底に堪った不満がごっそり削げ落ち、胸の内が軽くなったような錯覚を覚える。
  これから続けて吸う理由を挙げるとすれば、恐らくそれくらいしかない。
  他に何か吸い続ける理由は無いものかと思案していると、ドアの開く音が聞こえた。
  ノックもなしにルームサービスはないだろうから、銃弾を撃ち込まれる前に無力化できるよう、ソファから尻を上げてボクシングの構えをとる。

 「あれ、真っ暗だ……。電気つけるよ? 良いね、シリル?」
 「お前が誰だが知らないが、勝手にするといい」
 「それじゃお言葉に甘えて」

  パチッ、とスイッチが押されると同時に左足をバネにして素早く訪問者に接近する。
  まずは挨拶代わりにジャブを一発お見舞いしようかと思ったが、ちらりと見えた茶髪と見覚えのある学生服に思わず手がとまる。

 「……そんな馬鹿な」
 「馬鹿なも何もないよ。わたしは君に会いに来た。もっとも、今のわたしが現実に存在しているかと問われれば首を傾げるしかないのだけど」

  中性的と言うよりも女性的に近い顔立ち。それはにこりと微笑めば女か男かの区別が出来なくなるほどで、自分もそういう顔なのだと言う事を思い出すと、酷く憂鬱な気分になる。
  変わりもせず程良い具合に着崩した学校制服と所々糸のほつれた学生鞄を持っているが、黒のワークブーツだけは小奇麗に磨かれている、足が変に目立つ恰好。
  それでも整ったスタイルの持ち主であるミシェルは、弱々しく見えても決して弱者には見えず、また同様に中性的であっても中途半端な印象は無きに等しい。
  どこまでいっても女を、特に母性本能とやらが強そうな女を引き付けるだけにあるような人間に思え、自己嫌悪に陥りかけたが、俺はその感情に打ち勝ち、なんとか持ちこたえた。

 「幻覚だとでも言うのか? こんなにハッキリと見えているってのに? ほら、これはお前の影だぞ」
 「うん、幽霊じゃない事は確かなようだ」
 「幻覚か何かだって言うのか。ああ、そうか、"こいつ"を吸りすぎたんだな。くそ、そうに違いない。こんちくしょう」

  俺は床に落とした吸いかけのロマ・ブルーを灰皿ですり潰し、ぶつぶつと悪態を吐いた。
  手頃なストレスの発散方法を見つけたと思えば、こうして問題や災難が降ってくる。どうやら俺は相当運が悪いらしい。本当についてない。最悪だ。

 「できればわたしの身体でそれはやってほしくないな。父を思い出す」
 「ああ、すまないミシェル。悪気があったんじゃないんだ。ただ好奇心で吸っていただけだ」
 「灰皿にある吸いがらは四本だけど?」
 「それは……。あー……」
 「別に良いよ。わたしのできなかったことをやれ、といったのはわたしだし」
 「……すまない」

  くすくすと笑うミシェルから顔を逸らし、首を横に振る。どうやら幻覚が見えるくらい俺は参っているらしい。これは問題だ。早急に解決しなければならない問題だ。
  休憩中の頭を再び回転させつつ、俺はミシェルをもう一度見た。どこか浮世染みているのは、普通のホテルに似合わない陰鬱とした感情を秘めている瞳のせいだろうか。
  胸の内が晴れない思いをしたが、一日の終わりに俺を一番よく知る人物がいるのは心強かった。神経が張り詰めている状況で唯一心許せるのは自分自身であるミシェルくらいだ。

 「安心してるみたいだね」
 「心許せる相手が自分自身しかいないからな。今は誰も信じられない。誰もが敵になり、明日にはよく知る戦友が敵になってるかもしれない」
 「そうなった時、君はどうするんだい?」
 「妥協などするつもりは毛頭無い。全力で叩き潰して、再起不能にしてやるまでだ」
 「……変わったね、本当に。わたしがそうしたのだけど、本当に変わった……」
 「これが『俺』だ。お前とシリルが混ざり合い、二人分の記憶と経験と後悔が俺の子供っぽい部分を吹き飛ばしたんだ。変化することが正常で、不変は異常」
 「だから君は変わった。わたしには出来なかった事をやるために……。でも本当にそれで良かったのかい? だって君はまだ子供だろう?」
 「大人になろうとしなきゃ誰だって子供のままだ。俺は大人になる。それが万人の常識から外れたものであっても、俺はその道を戻らない。踏み外したなりに歩き続けるつもりだ」

  事実として、今の俺は道を踏み外してエルフィファーレやルルア、連隊の皆に多大な迷惑をかけているが、今更頭を下げながら基地に戻る気にはならない。
  俺の予定ではやるべきことをやったあとで堂々と戻っていくことにしている。色々と怒声を浴びせられるだろうが、それは皆が持つ当然の権利だ。耳を塞ぐ気は無い。
  ミシェルはそれを聞いて少し驚いたようだったが、すぐに表情を戻し、あの疲れきったような顔をして口を開いた。

 「それは異常だ。狂ってるよ」
 「……なんだって?」
 「道を踏み外したなりに歩き続けてみたら、崖から落っこちて死ぬかもしれない」
 「それならそれで構わない」
 「死んでしまったら意味が無いとは思わないのかい?」
 「それで構わないと言っている」
 「……その妥協しないという考えは、いつか君を滅ぼすだろうね」
 「たとえ世界が滅んでも……絶対に妥協はしない。その先が俺の死であろうと構わない」
 「………」

  これにはさすがのミシェルも閉口したようだ。髪をくしゃくしゃにしながら頭を掻いて、バツの悪そうな顔をしている。
  気持ちは分かる。世界がどうなろうと自分の信念を曲げないというのは非現実ではカッコいいだろうが、本当にいたら狂人でしかない。
  そうとも、俺は狂人になった。俺の正義が第七課をぶっ潰すまで俺はあらゆる手段で奴らを追い詰め、そして破滅させてやるつもりだ。
  不意にミシェルが溜息を吐いた。どうしたのだろうかと様子を見ていると、ぼつりと言った。

 「……驚いたなー、まさかそこまでイってるとは思わなかったよ、私」
 「…………お前は誰だ?」
 「誰、って言われると困るな。……とりあえず『ウツロ』とでも」

  ミシェルではなかった。驚きよりも裏切られたと言う考えが真っ先に思い浮かび、反射的にコートの裏側から拳銃を抜き『女』の胸に照準を合わせ、サム・セイフティを解除した。

 「答えろ、お前は何者だ?」
 「強いて言うならネーム・レス。他にもジェーン・ドゥとかライとか。エテルネだと男性名詞になるけどジャン・デュポンやポール・マーティンみたいなもの」
 「……名無し?」
 「ご名答。名前が無いから名乗れない。決して礼儀知らずと言う訳じゃないのであしからず」
 「そんな奴が何をしに来た。俺を殺しに来たと言う訳ではなさそうだが」
 「個人的な思いで君を引きとめようかと思ったけど、無理っぽいね。仕事で伝えることもあるけど、伝えなくてもいいんだよね」
 「……言え」
 「―――EARTHは君を支持する。第七課を再起不能にしてほしい。彼らはEARTHに鼻先を近づけ過ぎたんだ」
 「…………」

  俺にとってそれは重要な事柄だった。誰も信じられないこの状況下で第七課を嫌う勢力が現れたのだ。
  しかし、名無しはさも下らない話だと言わんばかりのぶっきらぼうな口調で話を続ける。

 「女王の飼い犬は優秀すぎる。EARTHは長い鎖を良い事に辺り構わず嗅ぎまわる犬に我慢し続けてきた。そんな中、悪党を退治するカウボーイかガンマンみたいに君が現れた。
  EARTHはこれを利用して第七課と言う犬の鼻を蹴飛ばそうと思った。前々から嗅ぎまわられるのにイライラしてたから、決断は早かった。
  EARTHはただの技術者集団でしかないから、お預けができない犬なんて蹴飛ばせばいいと思ってるんだ」
 「組織間のいがみ合いに興味は無い」
 「私だって興味は無い。けれど生きていくにはその片棒を担がなきゃいけない。分かる? 私はこんなこと言うの大っ嫌いなんだよ。
  EARTHがどうとか第七課がどうとか、生きてるだけ儲けものだって気づいてない奴らが死を文字で語るのが、どうしても我慢ならないんだ。
  他人の生死観にどうこう意見を述べるつもりはないけど、生きることには大きな意味があって、死ぬことにも意味がある。
  けど死ぬ時は一瞬で全然カッコ良くない。バンッ! って撃たれてバタリと倒れるだけ。それだけでも意味があるのに、奴らはそれを知らないし、知る気にもならない。くそったれだ」

  どうやら彼女は感情の整理がついていなかったらしく、一頻り不平不満を吐き出した後、しばらく床をじっと見つめ口を閉ざした。
  その目はまるで悪いことをして大人に怒られるのを待っている子供のようであり、何か気の利いた言葉を待っているただの女のようにも見えた。
  俺はサム・セイフティを掛けて拳銃を懐にしまった。警戒心を解いた訳ではないが、友好的になれるのならなっておくべきだと感じたからだ。  
  万が一暴発でもしたら、友好的どころか、全面戦争になりかねない。

 「いくつか質問がある」 
 「どうぞ、カウボーイ」
 「お前はエルフィファーレと俺を何時から見ていた?」
 「エルフィファーレを巡る騒動の時から。彼女の幸せがガラン・ハードの願いだったから、私はそれを叶えようとした。今回は君と第七課がその幸せをぶち壊しにしたんだけど」
 「……俺が?」
 「気づいてなかったのかい? へぇ……。うん、なんだか無性に腹が立つな。一端の女として許せない」
 「なにが許せないんだ? いったい俺が何をしたんだ? 何時、俺がエルフィファーレの幸せをぶち壊しにしたって言うんだ?」

  地雷を踏んだなと感じたのは、彼女の目が軽蔑の念で濁ったからではなく、被っていたカツラを壁に投げつけたからだ。

 「この冷血鈍感野郎、そんなことくらい自分で考えてみろ。良いか? いったい君はエルフィファーレに何が出来る?
  自分の思ったことが出来ない状況にあった彼女にいったい何が出来る?」
 「さあ、そんなことに俺は答えられない。仮に何かが出来たとしても、それがエルの望むこととは限らない」
 「じゃあ彼女のためなら君は何を犠牲にすることが出来る?」

  俺は自信満々といったふうでもなく、ただそれが当然のことのように自分の胸を叩きながら名無しの問いに対して、

 「俺を犠牲にすることが出来る」

  そう返した。片腕でも片足でも片目でもない。俺と言う存在丸ごと捨てられると言ってやった。
  エルフィファーレのためであれ、アイツのためであれ、どちらにしても俺は自分を犠牲にすることが出来る。
  自己犠牲とは思わない。そんな綺麗な表現が似合わないほど汚らしい理由がある。俺はその汚らしい理由に従わなければならない。
  名無しは軽蔑に満ちた目を一変させ、苦々しげに笑った。ミシェルの疲れ切ったような笑顔によく似ている、重みのある笑みだ。

 「師弟揃ってすごいな、他人のために死ねるなんて、私には絶対に出来ないよ……」
 「過大評価するな。俺は今まで他人のために死のうなんて考えたことはない。他人のために誰かを殺すことは現在進行形で考えてるがな」
 「それは誰だってそうだろうさ。人を殺すのは簡単な事だけど、自分を殺すこと以上に難しいことはない。
  おもしろいことに自分を殺すと言うことに無駄な意味や理由をつけると、一気に死にたくなくなる。ただ一つ、この世がもう嫌で嫌で仕方ないと思えば良い。
  途中でこう考えると駄目だね。死ぬ時は苦しいんだろうか、痛いんだろうかって。そう考えたら生きている方がマシのような気がしてくる。
  それでも死ぬ人って言うのは、助けてくれる人が誰一人いなかった人か、そう思い込んでたり、完全に絶望してる人くらいだ」
 「……まるで体験談みたいな口ぶりだな」
 「そうさ、これは私の体験談だよ」

  苦々しげにそう言った彼女の目は嘘を言っている目ではなかった。
  エルフィファーレがこんなふうに弱気を一瞬でも見せてくれたなら、俺はどれだけの幸福感に浸る事が出来たのだろうかと思う。
  今まで偽り続けてきた彼女が、仮面を被り続けてきた彼女が心の底から俺に自分をさらけ出してくれたのなら、どれだけ嬉しい気でいられたのだろう。
  でもそれは俺として喜んでいるだけではなく、男として喜んでいる面もある。それが許せない。純粋である事が出来ない自分自身が酷く腹立たしい。
  考えもせずロマ・ブルーに手を伸ばし、マッチでそれに火を点けて一服すると、イライラが幾分か治まった。
  その様子を少しだけ羨ましそうな目で見ていた名無しに箱を丸ごと一個投げてやると「火が無い」と抜かしたので、マッチ箱を放り投げた。

 「ありがとさん、ガンマン」

  何時から俺はワイアット・アープになったのだろうかと思いつつ、紫煙を吐きだす。
  狭くもなく苦情が来ない程度に広い部屋は二人分の紫煙で煙り始めた。




関連項目
シリル
名無し

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最終更新:2011年03月14日 23:51
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