No.16 They demanded blood for blood

(投稿者:エルス)



  Dレーションという、スナックバーのような物体がこの世にはあるのだが、俺はまず一口食って、なんでこんなものがあるのか疑問を感じざるおえなかった。
  神が今でも食い物を創造し続けているというのなら、俺はその神の頭を疑い、軍のお偉い方がこの物体を必要だと信じているのなら、俺はそのお偉方の頭を疑うだろう。
  それほど、Dレーションは不味かった。石のように硬いし、柔らかくしようにも無駄に耐熱性を重視したので火を使わなければ溶けそうもなく、
  運のないことに隠密作戦中であるので火は使用禁止ときた。
  アルファの連中はDレーションの頭文字、すなわちDとRで言葉遊びを始め、その優秀賞に輝いたのはパーシーの「Devil Rod」だった。
  他にも「Death Ration」だの「Dead man Rest in peace」だとか、色々と候補があったりしたが。

 「知ってるか兄弟。このレーションはな、非常時以外に誰も食わねえようにわざと『茹でたジャガイモよりマシな味』にしてあるんだ。
  だからどこの部隊に行っても、こいつだけは絶対に山積みされてるんだ。そこが最前線じゃない限りな」

  にやにやと笑みを浮かべながらDレーションを食い続けているパーシーが酷い話だとでも言いたげな声音で言った。
  一つ辺り600キロカロリーも摂取できるこのDレーションは、アルファじゃ珍しくもない主食であるという。
  作戦行動中はよほどの事がない限り正体を明かしてはならないという部隊の特性上、贅沢な食事を楽しむ幸福が味わえるのは数少ない休暇と、訓練が休みの日だけだ。
  だから作戦行動中の食事は『食う』のではなく、必要なエネルギーを『摂取』していると思い込むことが大事だと、陽気な狙撃兵は続けた。
  俺は思わず顔をしかめて、こんなもの食っていられるかと言おうと思ったが、パーシーがそっと、

 「言っとくが、こいつは最低一個食わなきゃならねえんだ。こいつも命令でね、戦うためのエネルギー補給ってやつさ」
 「なんだって? ふざけてるな。こんな神に見放されたような食い物を食うのを強制させられてるってのか? こん畜生め」
 「俺だって食いたかねえよ。あーあ、Cレーションが懐かしいぜ……」

  不評を言いながらもDレーションを食べることのできるパーシーやアルファの連中はまだ良い。
  俺はこのカロリーの塊を、正直に言って、食うことを諦めて捨ててしまいたかった。こんなところでエテルネ人としての美食意識が目覚めたとは思えないが、
  ともかく、これは食えたもんじゃないと思った。
  だが食わなければならないのだ。他に食うものはないし、なにより、これを食えば600キロカロリーも摂取できるので、
  戦闘を乗り越えるためのエネルギーとして、これを食うということは必要な行為なのだ。

 「……はぁ」

  溜息しか出てこない自分が少し情けない。以前の俺なら不平不満をぶつくさと呟いていただろうに、今の俺は溜息一つで言いなりになるのだ。
  だがしかたない。言われたことに従順で、黙って行動するのが大人というものだ。命令は聞くもの。そう思いながら、Dレーションを齧ってみるが、
  やはりとうぜんのごとく、神に見放されたような食い物の固さと、味わう楽しみを廃絶した微妙な味しかしないのだった。



  二時間ほどの休憩が終わると、パーシーを含む狙撃班が移動を始め、それから三十分ほどしてから、突撃班こと残ったアルファの連中が腰を上げた。
  作戦は簡単なものだ。建設途中に廃棄された三階建ての商業ビルを包囲し、突撃班が裏口から突入。トラップの存在に注意しながら進み、一部屋ずつ制圧していく。
  メードが現れた場合は即座に後退、多数の銃器により飽和攻撃を行い、殲滅する。また、逃走部隊は狙撃班に任せ、必要であるならば追撃し、これを撃破する。
  こうしておさらいして分かることがいくつかあることに俺は気づいていた。
  まず、アルファはメードを特別扱いしない。したとしても、それは戦術上、強力な歩兵としてであって、それ以上を求めない。
  そして敵を過信しない。どんな相手であっても装備は念入りに点検し、作戦を立て、トラップの存在を頭に叩き込んでいる。
  堅実で地味だが、成功確率の高い方法を選ぶ、まさに精鋭だった。
  その精鋭たちが今、裏口に集まっている。全員がバラクラバかバンダナで顔を隠し、身元が分からないようにしている。
  声は出さない。出す場合も必要最低限にだ。今は先頭に立つマッキンリーとその後ろのキングフィールドの声が、最後尾の俺に微かに聞こえてくる程度だ。

 「準備は?」
 「OKです、大尉」
 「よし、ドアを開けろ、軍曹。紳士的に行こうじゃないか」
 「了解。紳士的にお邪魔させてもらいましょう」

  キングフィールドが壁から離れ、ベルトに差し込んだ棒状のもの、GREMを一本取り出し、それを銃口に装着する。
  側面が白で塗られたクリップを装填し、ドア目掛けて銃口を向ける。

 「スリー……トゥ……ワン……撃て」

  マッキンリーの命令にキングフィールドが頷き、引金を引いた。
  夜の街にM3半自動小銃の発砲音が響き、そして間をおかず、くぐもった爆発音が轟き、ドアが吹き飛んだ。
  一秒ほど間をおいてマッキンリーとその後ろに立つ隊員が煙の晴れきらない裏口から建物内に突入し、

 「―――クリア。進め、角に注意しろ。キング、マークス、シリルは私について来い。他は右の制圧。やれ」

  俺はマークスマンの後ろにつき、左側にあるドアの前で立ち止まった。
  おかしな建物だと、作戦前に見取り図を見て思ったが、本当におかしな建物だった。
  裏口から入ってみると、建物内を左右に分けるように仕切りがあり、それぞれ左右に一つずつ小部屋がある。
  その先にL字型の角があり、その角を曲がって5メートルほどの直線の後、急な階段。
  二階は仕切りはなく、中央に大きめの会議室のような部屋がある。その部屋を囲むようにして、廊下があり、向かい側には三階へと通じる階段がある。
  そして最上階の三階は何も無く、遮蔽物と言えば鉄筋コンクリート製の柱が幾つかある程度だ。ちなみに廃墟であるから、全階に渡り窓ガラスというものはない。
  設計者が頭のおかしい奴だったのだろうと思いつつ、壁に背をぴったりとつけたマッキンリーを見た。
  マッキンリーはすでにドアのノブに手をかけており、反対側にいるキングフィールドは目で俺になにかを伝えようとしていた。
  なにを伝えたいのか分からず、数秒を無駄にしたが、マークスマンが俺をドアの真ん前に立たせたので、ようやくそれを理解した。
  トレンチガンはその使い方によって、連続射撃の出来る凶悪な化け物に変貌する。狭所戦闘では短機関銃並みの脅威であり、時には短機関銃以上の制圧力を発揮するのだ。
  マッキンリーが三本指をたて、一秒刻みで指を折る。そして彼女が拳を作り、親指をドアに向けて突き上げた瞬間に、彼女はノブを回した。
  ドアが少し開き、彼女がノブから手を話したのを見て、俺はドアを蹴り開け、部屋の中にいた作業服の男二人を手早く射殺した。

 「クリア。二つ仕留めた」
 「よくやった。次は階段だ。行くぞ」
 「了解、大尉」

  音を立てずに低速で移動しながら、俺は二発のショットシェルを装填し、高鳴り出した鼓動を抑えるために深呼吸をした。
  発砲時の反動と硝煙の臭い。視界に飛び散った赤と白。碌なものが入っていない筈の胃が反応しかけたが、なんとか込み上げてきたそれを飲み下す。
  こんなところで弱さを見せてたまるものか。まだ先は長いのだ。出だしで胃の中身を晒す事はないだろう。集中力を高め、冷静になれ。そうすれば、死ぬことはない。
  角に差しかかり、先頭のマッキンリーがじりじりと、少しずつ死角をクリアにしていく。こういう技術を見て覚えろというのだから、酷いものだと思う。

 「クリア。階段まで突っ切るぞ」
 「了解、大尉」

  三人分の了解の言葉を背に、マッキンリーは言葉そのままに階段までの一本道を突っ切り、トラップの有無を確認すると、ハンドシグナルを出した。
  俺とマッキンリーが右側、キングフィールドとマークスマンが左側、という配置になる。ゆっくりと、足音に注意して階段を上がり、待ち伏せに注意する。
  耳を研ぎ澄まし、感覚を鋭敏化する。アドレナリンが分泌され、鼓動が高鳴る。だが、そんな身体状況でも、冷静でいなければならない。

 「フリーズ」

  マッキンリーが静かに告げた。後方の警戒をしていた俺とマークスマンは両足を地につけて停止し、次の指示を待つ。

 「前方、ワイヤー確認。シリル、ボルトカッター。キング、そのまま動くなよ」
 「了解、大尉。シリル、さっさと動け」
 「もう動いてますよ軍曹」

  コートの内側から撲殺用のハサミと表現しても誰もが頷くようなゴツイ外見をしたボルトカッターを取り出し、注意して疑って初めて見えるようになるほど細いワイヤーを切断する。
  このワイヤーを切断した瞬間、なにか別のトラップが発動して俺が蜂の巣になるなんて危険性を、切断してから思いついたもんだから、何だか後味が悪かった。

 「クリア。進むぞ」
 「了解」

  再び階段を昇り、壁伝いに移動する。そして、曲がり角で停止する。
  マッキンリーが角を覗き込み、俺とキングフィールドを指差した後、向かい側の壁を二度指差した。
  向かい側へ素早く移動しろ……ということらしい。キングフィールドが走り出し、向かい側で安全確保した後、床を蹴る。
  滑り込むようにしてキングフィールドの後ろにつき、次の指示を待つ。

 「妙だな」
 「……なにがだよ」
 「右の制圧に当たった部隊は、こっちの階段を昇ってくる筈なんだ。だが、まだ来ない」
 「……ってことは?」
 「制圧する筈が制圧されたのかもしれん」
 「不味いな、そりゃ」
 「ああ、ゲロ不味の状況だ。背中を任せたぞ、警戒を怠るな」
 「了解、軍曹」

  背中あわせで全周囲を警戒する。360度、そのうちの半分を他人に預けるのは少し気が引けたが、そうするしかなかった。
  信頼することが大事だとアイツは言っていたが、確かに味方を信頼する分、こういった無駄な感情を抱くこともないだろう。
  ほどなくして、マッキンリーが決断し、

 「クリア。お前たち二人は会議室に突入しろ。私とマークスマンはお前たちの背中を預かる」
 「了解、大尉。俺に続け、ガキ」
 「続きます、軍曹」

  キングフィールドがまたあの棒状のライフルグレネードを装着し、スリーカウントでドアを吹き飛ばす。
  今度は安全確認の前に、ベルトにビニールテープでピンを固定した催涙弾をあるだけ投げ込む。
  ガスが広がり切るまで少し間があるので、その間にガスマスクを被り、ガスが入口から漏れ出した瞬間、突入する。
  少しずつ死角をクリアにしていく途中、発砲音と共にやってきた弾丸が、俺の髪を数本食い千切った。
  あまりに突然のことだったので、俺は少しの間ぼーっと突っ立っていたが、ハッとして柱の後ろに隠れる。

 「畜生……」

  こんなところで死ぬわけにはいかないってのに、どうしてこう上手くいかないんだ。
  自分で自分を殴りたくなる衝動がふつふつと込み上がってくる。だが、そんな馬鹿をやっている暇はない。
  銃声は四方の壁に反射して響いているから、音で敵の位置を察知するのは不可能だ。なら、目視するしかない。
  ドアはマークスマンかマッキンリーが締めた。一時退却ってのは無理だ。そうすると、選択妓はほぼ一択しかない。

 「軍曹! 援護射撃頼む! 俺が突っ込んで奴らを黙らせる!」
 「了解だクソガキ! だがM3じゃ限界がある! そっちでなんとかしろ!」
 「なんとかしてやるさ」

  思わず口元を緩めてそう言い残し、俺は敵に向かって突撃する。
  安全なんて糞喰らえと、何時も決死の覚悟で駆け抜けていた黒旗時代を思い出す。それほど時間は経っていないが、感覚的にもう三年は昔の事のように思える。
  火の塊のような弾丸が頬を引き裂き、生温かい体液が流れ出す。前からも後ろからも銃声が聞こえる中、何時死ぬかも分からない恐怖で顔が引きつった。

 「ひぃっ!?」
 「……そこか」

  一人の馬鹿が奇声を上げた。その建物が建築途中で破棄された時、一緒に捨てられたと思われる角材の後ろに、作業着姿で短機関銃を乱射している男がいた。
  どうやらヴォ連製のガスマスクに黒いコートとトレンチガンという、なるほど並べて見ると悪者にしか見えない恰好の俺を見てビビったのだろう。もしくは、戦闘慣れしていない素人か。
  どちらにしても、俺には関係ない。考えられる必要最低限の動きで短機関銃の射線から逃れ、弾切れになった瞬間、男に跳びかかり、至近距離でトレンチガンを顔面に押しつけ、引金を引いた。

 「ぐげっ」
 「ちっ……」

  瞬間、舞い上がった血煙が左のレンズを赤く染めた。片目を潰されたのと同じ状況ってことだ。
  思わず舌打ちをした。左右の違いはあるが、なんでこんなところでアイツの真似ごとをしなきゃらなないんだろうか。
  ガスマスクを脱ぎ去りたい衝動を抑え、視界に入った二人の敵に襲いかかる。射線を避け、至近距離まで接近し、引金を引く。
  吹き出た血飛沫を被り、手がべたついた。大切に使ってきたこのコートにも、大量の血が染み込んでしまった。

 『もう少し考えて行動したらどうなんですか?』

  アイツがよくそう言っていたのを思い出す。まったく、その通りだ。自己中心的で独り善がりで、おまけに失策とくれば世界も笑う大バカ者の出来あがりだ。
  コートが無茶苦茶に汚れて使い物にならなくなっただけで、胸が痛むようじゃ、この先いつ死ぬか分かったもんじゃない。

 「……馬鹿だな、俺」

  前々から自覚はしていたが、根本的な問題だから直そうと思っても直せない。エルフィファーレに馬鹿馬鹿言われるのも、しょうがなかったのかもしれない。
  どうしてか分からないが、戦闘中は自分のやったことに後悔しっぱなしのような気がする。アドレナリンの作用……ではないだろう。
  冷静さを失うのが普通なのに段々と冷静に、そして、自分のことなのに第三者視点から見るようになる。これはきっと、俺自身が心の深層で、戦いたくないとか思ってるからなんだろう。
  だから現実逃避の一手段として自分の視点ではなく、第三者の視点で戦い、それを評価し、判定する。我ながら、よくできたもんだと思う。

 「クリア!」

  三つの死体を背に、俺は言った。部屋を満たしていた催涙ガスはどこかにある換気扇の穴とドアの隙間から出ていってしまったのか、もうほとんど機能していない。
  M3にクリップを装填し、キングフィールドが立ち上がった。そのまま左右をキョロキョロと確認しながら歩いてくる。それを見ながら、俺はガスマスクを脱いだ。

 「まったく、エテルネ人にしちゃ戦い上手だな」
 「舐めんじゃねえよ、アルトメリアン。やるときゃやるのがエテルネ流だ。特に若い内はな」
 「ははっ、そうかよ」

  ガスマスクを脱ぎ、キングフィールドが高揚感でにやけている顔を晒した。
  俺の顔もそうなっているのだろう。俺の場合は恐怖で顔が引きつって笑ってるように見えるだけだが、キングフィールドはきっとコンバットハイになっているからだ。
  いつもは単純で愚純な考えしかできないのに、どういうわけか、戦闘中はいつもより複雑で、どこか専門家然とした考え方になる俺からしたら、羨ましい限りだ。

 「その意気でドアも開けて欲しいもんだな……」

  キングフィールドがやれやれといったふうに両手を振る。
  俺の突撃行為にほとほとあきれたと言ったところだろう。普通の人間は、あんな無茶しないのだ。
  互いに拳をぶつけ合い、再度制圧を続行しようとした矢先、背後から声がした。

 「ドアならもう開いているぞ?」
 「な……っ!」

  瞬間、俺はトレンチガンを構えて振り返った。だが、遅かった。
  振り返る動作が終わる前に、左の脇腹にハンマーを叩きつけられたかのような衝撃と、肋骨が砕ける音を感じた。
  蹴られたと分かったのは、背中から壁に叩きつけられた後だった。

 「か、はっ……!」
 「小僧、引っ込んでいろ」
 「……クリスティア

  キングフィールドの目が見開かれ、口元の笑みも消え去る。代わりに、殺人鬼と形容しても間違いはないだろう、憤怒の形相が浮かび上がる。
  そしてその目線の先に居たのは……一人の少女だ。身体は小さく、まだ幼い。だが、自信満々といった顔ときっちりと着こなしている軍服がその幼さを打ち消している。
  床をのたうち回ることしかできない俺は、身体をどうにかして仰向けにしようと、足掻いていた。内臓がやられたのか、動くたびに激痛が襲ってくる。
  芋虫のような俺など見向きもせず、コツ、コツと軍靴を鳴らしながら、少女がキングフィールドに歩み寄っていく。
  キングフィールドはホルスターからリボルバーを抜き、銃口を少女に向け、指を引金にかける。

 「なぜ裏切ったのか、今ここで聞かせてもらおうか。裏切り者」
 「………ルイ・ガルヴァーニのことを覚えているか? 軍曹」
 「ああ覚えているとも。第一海兵師団第二大隊……お前の戦友だった男だ」
 「そいつのことを、お前と私、そして第一海兵師団の奴ら以外に、誰が覚えている?」

  淡々としているクリスティアに対し、キングフィールドは明らかに迷っていた。銃口はぶれていないが、顔に汗が浮き出ている。
  俺はと言えばやっとの思いで仰向けになる事に成功し、なんとか身体を治そうとするが、コアエネルギーの使い方が下手なので、上手くいかず四苦八苦していた。

 「兵を損耗品にしか扱わない祖国に私は絶望した……私は違う。私は決して見捨てない。私を信じ、信じた戦友らのために、私は私自身に忠を尽くす」
 「……だから海兵隊も裏切ったのか」
 「違うな……死人がどうして裏切れるというのだ?」
 「頭に蛆でも湧いちまったのか? 死人は喋らないだろ? 立っていられないだろ? その言葉は死人に対して失礼だってのに、どうして気づけないんだ?」
 「そう、死人はしゃべらないし、立ってられない……紙の上では私は死んだことになっている。海兵隊の私はあの砂漠で死んだのだ。
  ここにいるのはV4師団の幹部、烈将クリスティアだ──遠慮は要らんぞ。お前はお前の正義と忠義の下に、撃鉄を下ろせばいいのだ」

  無骨な斧を構えて彼女が言った。こいつの言うことは正論だ。だが、キングフィールドが引金を引く気配はない。

 「撃て……軍曹、そいつを撃てば、終わるんだ」
 「はて、私は引っ込んでいろと言ったのだが。聞こえなかったのか小僧? 発言する権利はお前にないんだぞ?」
 「くっ……」

  殺気に満ちた目を気圧され、俺は口を閉じた。思い出したのはマッキンリーのあの目だ。こいつの目は、マッキンリーによく似ていた。
  人を見る目じゃない。地面に落ちている塵を見る目だ。お前など簡単に踏み潰せる。八つ裂きに出来ると無言で語る、殺人鬼の目だ。

 「……それで良い。さて、キングフィールド。どうリアクションをとってくれるのかな?」
 「ざけんなよ糞ったれのチビガキ……お前が連邦を敵に回すなら、お前は過去のお前も敵に回したんだ。それだけじゃないぞ、お前は戦死したすべての海兵隊員を敵に回した。
  何故なら、俺たちは骨になっても海兵隊だからだ!」
 「―――ははっ、敵か。そうか、敵か……死人が敵に回るか……それであいつらが戻ってくるなら、どれほどよかったか」

  ギリッと歯を軋ませ、クリスティアが足を踏み出した。
  手に持つ斧をキングフィールドに突き付け、殺気で乾燥しきった目で彼を睨みつける。
  その目の中にはどんな感情が隠されているのか、それすら分からない。だが、殺意があるというのは明確だ。
  俺はさっきから四苦八苦しながらコアエネルギーを操作して、少しずつ自分の怪我を治しているが、まだまだ上手くいきそうにない。
  治療系の特殊能力ではなく、自然治癒力を増幅させるだけの、基礎的な技術だったが、それすら俺には難しいのだ。

 「……動くな、リトル・ビッチ」
 「お前に私が撃てるのか、軍曹?」
 「動くなと言ってるだろう!」

  シリンダーが回転し、撃鉄が降りる。
  銃声が部屋中に響き渡ったが、クリスティアの足元を削っただけだ。ただの威嚇射撃でしかない。

 「……何故私を撃たない? 貴様のいう海兵隊というのは、元仲間だったという理由だけで連邦の明確な敵を見逃すほどの腑抜けなのか?」

  発砲にも臆せずに、小さな殺人鬼は一歩一歩、キングフィールドに歩み寄っていく。
  このままではきっと、キングフィールドが殺される。懐のマッチモデルを取り出そうと腕を伸ばすが、身体の内側を焼かれるような痛みがそれを拒絶する。
  大事な時に限ってアドレナリンはその役目を発揮してくれない。痛みを忘れて、ボロボロでも良いから、立ち上がってこいつと戦わなければいけないのに……身体は惨めにも動かない。
  自分の身体だというのに、どうしてこんなにも役に立たないのだろうと、ぶつけようのない怒りが湧き上がってくる。ぶつけるとしたら、自分の身体に他ならないだろう。
  スキルもなにもない、丈夫でも力が強いわけでもない。ただただ凡庸で、顔立ちが良いだけの顔を乗っけただけの身体―――。

 「──―貴様こそ海兵隊だろうが! キングフィールド!」

  クリスティアが吠えた。幼さを残した少女の声は、まるで金管楽器のように澄んでいるが、そこに孕むのは純粋な怒りと殺意だ。
  俺もそこまで単純になれば良いのだろうか? 復讐心と執念で身体を無理矢理にでも引きずって、銃を撃って人殺しをすれば良いのだろうか?
  ……いや、それは違う。それは俺じゃない。ミシェルが望んだことでもない。俺が望む事でもない。なにより、エルフィファーレが喜ばない。

 「海兵隊だからこそだ! 死人だろうが、気違いだろうが、仲間は必ず連れ帰る! お前は今でも海兵隊なんだ! 一度海兵隊に入ったら、死んでも消えても、最後まで海兵隊だ!
  裏切ったって構わない、敵前逃亡しても構わない。どんな馬鹿野郎でも、決して置き去りになんかしない! それが俺たち、アルトメリア連邦海兵隊だ! 分かったか!」
 「……三年前のあの日にお前がいたら」
 「分かったのか! 分からなかったのか! どっちか言ったらどうなんだ!」
 「──―いや、もう遅いな。……生憎、弱者の罵詈雑言など聞く耳持たん。私は私だ。海兵隊と言う鎖を、勝手に巻きつけないでもらいたいなあ!」

  肉食獣の如く、クリスティアがキングフィールドに襲いかかった。振り上げられた斧の軌跡が白く染まり、血の赤がそれを彩る。
  左肩に重い斬撃をもらったキングフィールドは、それでも逃げずに立ち向かう。片手でリボルバーを突き付け、その引金を引く。
  9.65ミリの弾丸が少女の右肩を貫き、血の花を咲かせたが、猛獣はそれだけで止まるものではない。
  斧を手放し、左手一本でキングフィールドの襟首を掴み、そのまま投げ飛ばす。放物線を描いて飛んでいったキングフィールドは床に叩きつけられ、動かなくなった。

 「キングフィールド!」
 「黙っていろと言ったはずだ。小僧!!」

  もうお前には興味がないといった目で、クリスティアは俺を見下ろす。
  反射的にその目を睨みつけるが、そうしたところで俺が戦えるようになるわけじゃない。
  だったらどうするんだと自問自答し、考えついたのは決死の足止め。つまり、会話だった。我ながら馬鹿だと評価するしかない。
  殺人鬼相手に会話だって? 馬鹿らしくて失笑されるのがオチだ。
  そう思いつつも、俺は口を開いていた。

 「……仲間だったんじゃないのか? それをあんなにも簡単に打ちのめして、楽しいのか?」
 「では逆に聞くが、私が戦闘を楽しんでいるように見えるかね?」
 「十分見えるぜ、まるで獲物に齧り付く獣だ」
 「そうか、傍目にはそう見えるか。しかし、存外、私も甘いな」
 「うんうん、確かに甘いねぇ」
 「……地元の協力者は足止めにもならないのか」

  クリスティアが吐き捨てるように言うと、ドアを蹴破って入室したマッキンリーは破顔した。
  手に持っていた短機関銃を放り投げ、ベルトのシーフからマット・ブラックに塗られたマチェットナイフを抜き放つ。
  ジャングルで進むべき道を切り開くために使われるはずの大柄なナイフが、今は死神の鎌に見えた。
  だがよく見れば、クラウ・マッキンリーの今の形相といい、身に纏う殺気といい、まさに死神だ。
  その死神を目の前にしても、クリスティアは斧を片手に笑っていた。
  直感で悟った。こいつら二人とも、正気じゃない。人間の根本の部分で、どこかがイカれちまったんだと……。

 「クラウ・マッキンリー中尉……いや、今は大尉だったか? 貴様は私が甘いと言うが……どれほど甘いのだ?」
 「私には楽しめないくらいにスウィートだねぇ……まるで練乳を一気飲みしたくらいに」
 「それは流石の私も遠慮したくなるほどの甘さだな。だが、実際の私はそこまで甘くはないぞ?」
 「過小評価してるって言いたいのかなぁ? そうだとしたら、ちょっと……ううん、すんごくイラッとくるなぁ。ぶっ殺したくなるくらいに」
 「やれるものならやってみるといい。マッキンリー」
 「あっそ。じゃあ遠慮なく殺してやるよ!!」

  獲物に跳びかかる猫のように、マッキンリーがクリスティアに向かって駆けだした。人間がメードと対等に戦おうとするなんて無謀だと思ったが、その思い込みもすぐに消えた。
  振るわれるマチェットナイフは壁の黒ずんだ灰色と同化し、その軌跡ははっきりとしない。そして滑らかに繰り出される斬撃一つ一つが、致命傷を与えるための一撃でもあった。
  首とつくあらゆる箇所、そしてあらゆる関節を両断せんと、黒い刃が疾駆する。それを銀色の刃を持つ無骨な斧が防ぎ、金属音を響かせ、火花を散らす。

 「はは、いいぞ……私を殺したいのか! その手で……この私を殺したいのか!!」
 「ははははは!! お互い、狂ってるねぇ! ああ、そうさ! 殺してやる! 殺してやるとも!!」

  斬り合いなんて言葉は似合わない。ここで行われているのは、純粋な殺し合いだった。
  一歩間違えば相手が死んでいようとなかろうとお構いなしに身体をバラバラにするような、暴力的で狂った戦いだ。
  だが、考えても見れば戦いというのは何時だって暴力的で狂っている。この二人は……それに適応してしまったのだろう。

 「ふふっ……そういえば、何とかは死ななければ直らないと、どこかの誰かがいったな?」
 「知ったことじゃないね。ああ! お前みたいなヤツは最高だ! 喰い殺してやりたい! お前を滅茶苦茶にしてやりたい!
  血と肉の塊にしてやる! そして喰らってやる! お前のすべてを! そうすれば満たされる、この私が!!」
 「そうだなっ! そんなことは知ったことではない!」

  二人は笑っていた。目は血走り、瞳孔が散大し、犬歯を剥き出しにして笑っていた。
  狂っているとしか言いようがなかった。耳障りな金属音が耳を貫き、床を蹴るブーツの音がリズムを刻む。
  そこで俺は、知らぬ間に子供のように震えている自分に気づいた。目の前で繰り広げられる戦いが、そんなに怖かったのか?
  いや、そんなことはない。そんなこと……あってはならない。この程度で怖がってどうする。馬鹿か、俺は。

 「っ、ぁ……!」

  激痛を無視してマッチモデルを懐から引きずり出す。セーフティを外し、狙いを付ける。
  互いに攻めを譲らない熾烈な殺し合いを続ける二人の内、一人を狙うというのは、負傷者に対するいじめだなと思いつつ、引金を引くことのできる瞬間を待った。
  涙で視界が霞み、痛みで腕が震える。止めておけばいいのに、どうして俺は余計な事ばかりするのだろうか。そんなどうしようもない考えが、ふと浮かび、そして沈んだ。
  クリスティアの動きが止まった。思い切って引金を引き、45口径のマイルドな反動が身体を突きぬけ、同時に神経を完膚なきまでにぶちのめす激痛が火花を散らした。

 「ぐあ、ぁっ……! っ……!」

  情けない悲鳴を上げまいと歯を食い縛る。口の中に錆びた鉄の味が広がり、目から流れ出す涙が止まらない。
  治れ治れと念じて治るのなら医療メードはいらないのだ。畜生、糞喰らえってんだ。スキル持ちじゃないからとか、そんな理由で妥協して堪るか。
  涙で霞んで良く見えない目を見開き、完全に動きを止めた二人を睨みつける。二人からすればさぞ滑稽だろうが、俺は死ぬ気でやっているんだ。笑ったら、殺してやる。

 「この小僧の所為で興が醒めたな」
 「そうかぁ。んじゃ、逃げてよ、クリスティア」
 「貴様は馬鹿か? 今、ここで、私を仕留める気ではなかったのか?」
 「なに……より善き友、強き敵、ってさ。私は狂人だ。けどね、同時に根っからの第一海兵師団の海兵なのさ」
 「……お互い、甘いのか馬鹿なのか、分からんところだな」
 「同感。ああ、私が殺すまで死なないでね、マセガキ」
 「そのままそっくり返してやる。この死神め……それと、小僧」

  にやりと笑ったクリスティアが、俺を見た。
  俺はその目を見返した。悔しいが、それ以外何も出来ない。

 「良い根性だ。称賛に値する。まあ、根性だけの馬鹿だがな」

  ふざけるなと叫びたかった。だが、俺の体力はそこまで残っていない。
  三階から迷いもなく飛び降りたクリスティアと、回収班と思われるトラックのエンジン音を聞くことしか、俺には出来なかった。

 「大丈夫か?」

  何時の間にか、マークスマンが俺を見下ろしていた。俺はなんとか笑って見せて、首を横に振った。
  キングフィールドはどうなったのか気になったので、首と目だけを動かして探すと、マッキンリーがあの巨体を担ぐところだった。
  やっぱり人間離れした女は怖いな……なんて、どうでもいいことを思いながら、途切れがちになった意識の中、これからの予定を考える。
  ……もう、覚えるべき事は覚えきったような気がした。これ以上、知識を得たところでなにも始まらない気もした。
  トラックの荷台に運ばれたという記憶を最後に、俺は眠った。疲れたのだ。これ以上無いだろう恐怖と、激痛の所為で……。






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最終更新:2011年04月23日 01:17
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