Chapter 7-1 : Guest of false

(投稿者:怨是)


 ――1945年8月26日。
 アースラウグアドレーゼと共に、空き部屋を借りて地図を広げていた。

「つまり、変装を見破って、黒旗のアルトメリア支部から派遣されてきたその空戦MAIDを捕まえるという事ですね」

 アースラウグが地図に鉛筆でバツ印を書き込みながら尋ねると、アドレーゼが頷く。

「然様で御座いますわ。既に現場には協力者の方が応援に来て下さってます」

「協力者はどなたが?」

「わたくしが聞き及んだ範囲では、皇室親衛隊からはバルドルシャルティが。国防陸軍からはグレゴール・フォン・シュタイエルマルク中将、テオドリクスが来て下さいますわ。そして、空には帝都防空飛行隊が」

 バルドルはザハーラ帰りのMALEだ。智謀に優れ、激変する戦況を冷静に分析し、迅速に動ける。シャルティはアースラウグの師であり姉でもあるジークフリートよりも僅かに先に生まれたMAIDで、多芸を旨とする高速戦闘型だ。どちらも機動力に優れ、空を逃げ回るであろう目標を正確に捉え切れる筈だ。純粋に戦力として考えると、実に心強い。
 ただし、この二人とはあまり関わり合いが無く、身近な様に見えて遠い存在であった。如何に連携をとるべきだろうか。バルドルは冷たい雰囲気を漂わせ、会話を躊躇わせる。ザハーラから帝国へ戻って来たのはかなり最近で――アースラウグが生まれてすぐらしい――顔を合わせた事も殆ど無い。シャルティはバルドルに比べればずっと身近だが、それでも稽古をつけて貰った事は一度も無い。ジークフリートと会話している所を横から見ているくらいが精々だ。稀に話しもするものの、その内容はと云えば、事務的なものであったり、挨拶と併せた一言二言だけだった。元々、あまり口数の多い方でもないらしく、彼女と会話するMAIDの姿を見る機会は少ない。
 対する国防陸軍からの応援であるシュタイエルマルク中将は、アースラウグが生まれたての頃からちょくちょく様子を見に、訓練所へ来てくれた。戦場で出会う時も、指揮官である立場でありながらも勇猛果敢に敵へ立ち向かい、その勇姿で味方を鼓舞する存在として、まばゆく映ったものだ。非常に親しい間柄である。テオドリクスは寡黙でこそあるが、怪我をした時に運んでくれた事もあり、威圧的な出で立ちに反して印象は悪くないどころか、寧ろ頼もしくすら感じる。いつかもっと長く話したいと思っていただけに、今回応援に来て貰えると聞いて嬉しかった。

「これだけの味方が居れば、きっと上手く行きますよね」

「えぇ」

 プロミナの時とは違う。今回の作戦は突発的な夜間における捜索ではなく、入念な偵察と調査の元に白昼堂々と行われる。たとえ目標に空へ逃げられても、帝都防空飛行隊が待ち構えている。勝率は限りなく高い。アースラウグの心には一点の曇りが介在していた。

「ジーク姉様は?」

 ジークフリートは今回も居ない。訓練中も休暇中も、就寝時にベッドに潜り込む時でさえ疎んじる事も無く受け入れてくれた優しい姉の姿が見当たらない。ここ数週間はろくに顔も合わせていない。プロミナの一件以来、ずっとだ。

「別の作戦に出撃中ですわ。残念ですけれども、今回もご一緒して頂けそうにはありません」

「そう、ですか……」

 最近はいつも別行動だ。一人前として認めてもらった証だとしたら、幾らか心も晴れやかなのだが、そういう事でも無い。ここ数週間の彼女の様子は、明らかにこちらを避けている。かといって何も咎められたりしない所から、ジークに悪い事をした訳でも無い。むず痒い毎日を過ごす中で、時間だけが無慈悲に進んで行った。

「……ですが、ここで成果を見せれば、アースラウグ様の功績は、遠く離れたジークフリート様の耳にも届きましょう」

「ならば、何としてでも成功に導かねばなりませんね」

「えぇ」

 アドレーゼは笑顔で頷き、地図を畳んだ。さぁ、間も無く出撃の時間だ。一度滅びた悪が再び集結する前に、打ち砕かねばならない。



 目的地に到着したアースラウグは、通信内容に耳を傾けながらアドレーゼに目配せする。通信機は、統率を失った黒旗達が既に次々と捕縛されていると伝えて来た。さらば、過ちの民よ。後ろ盾が意味を為さなくなった時、終焉は大きく口を開けて彼らを呑み込むだろう。彼らにとって生憎な事に、こちらは正しく優勢そのものだ。

「この調子で行けば、すぐに炙り出せそうですね」

「間違いありません」

 遠くで護送車が行列を作っている。捕縛された黒旗があの中に詰め込まれているのだ。その内の一台からMAIDが飛び出るのが見える。つむじの後ろで結んだ黒髪から、シャルティである事が直ぐに窺えた。

《こちらシャルティ。車輪52号と名乗る奴から目標の居場所を聞き出した。中央公園付近をうろついているらしい。近場の人員はそれらしい奴が居ないか探し回ってくれ。あくまで泳がせるのを邪魔しない程度にな》

《こちらバルドル、了解しました。月の狼(マーナガルム)と呼ばれる貴女が日中でもその辣腕を活かせるのか。お手並みを拝見すると致しましょう》

《……その口ぶりは、好かないな。私を試すというのか》

 シャルティの声音が低く、唸る様なものへと変わる。アースラウグの背筋が凍り付いた。声だけで人を殺せる。そんな殺意を彼女は孕んでいた。味方であるアースラウグにその刃が向けられている筈が無いというのに、死の恐怖がよぎる。

《この作戦の前夜から極秘裏に奇襲を行い、この近辺に潜む軍正会コロニーのおよそ半数を壊滅させたと聞き及んで(・・・・・)おりますから。それが信用に足るものか疑う事を、誰が咎めましょうか》

《相変わらず意地の悪い御仁だ。亡きブリュンヒルデ様が悲しまれるぞ》

 ため息混じりに発せられた言葉は、一言前のものよりも和らいではいたが、それでも威圧する様な、怒りを含んでいる点では変わりは無い。

《貴女には荷が重いと判断させてもらったまでです》

《たとえザハーラ帰りの貴殿に実力で劣るとしても、私とて矜持と決意、そして帝国への忠義で負けるつもりは無い。あまり侮辱が過ぎる様であれば――》

「――こちらアドレーゼです。積もる話は後にして頂けると助かりますわ。今は団結すべき時ではありませんこと?」

 アドレーゼはアースラウグの顔色を見て、この遣り取りを遮った。

《……そうだな。すまなかった》

「バルドルさんも、あまり意地悪を仰らないで下さいませ。アースラウグ様のご気分に差し障りますので」

《では、その様に致しましょう》

 バルドルもシャルティも、それきり何も話さなくなった。悪びれている様子の無いバルドルの態度が気になったが、一先ず助かった。アースラウグは胸を撫で下ろす。

「バルドルさんは、その……あまり、人好きのする性格では無さそうですね」

「バルドルは皇室親衛隊を信用していない節が見受けられます。猜疑心を隠しきれないのは、何らかの憎悪ゆえのものでしょう」

「悲しい人……それって、まるで、黒旗みたい」

「根本で共通する部分があるからこそ、彼は“黒旗”ではなく“軍正会”と呼んでいるのかもしれませんね」

「……」

 この皇室親衛隊は、いつから欺瞞と敵意の渦巻く組織になってしまったのか。少なくともアースラウグが生まれる以前から、このような状況だったのだろう事は間違いないのだろうが、すれ違う同僚達の中にも敵が居るのかと何度も憂うのは、この上なく悲しい事だ。誰もそれを咎めない。プロミナの時もそうだ。初めは利用されていただけだと思っていた。が、火を放つのは己自身の意思で行っている。その気になれば彼女の云う“あいつら”など、すぐにでも焼き殺せただろう。しかしそれをしないのは、やはり、彼女の中に黒旗の心があるからだ。何かを攻撃し、優越感に耽溺せずには居られない、どす黒い心が彼女にそうさせるのだ。

「アドレーゼさん、私達にはいつになったら、仲間達を疑わず、裏切りを恐れず、笑い合える日が来るのでしょうか」

「いつになるかはわたくしにも……ですが、憎悪を生み出す黒旗、そして猜疑を生み出す宰相派を打ち倒せば、きっとその日が来るに違いありません。それに、わたくしはアースラウグ様を心より慕っております。何があろうと、わたくしとジークフリート様の力でお守り致しましょう」

「ありがとうございます」

 傍らで心強い仲間が居てくれる。それが、今のアースラウグの支えだ。外部、内部に拘わらず数多の敵に囲まれた皇帝派にとって、結束と信頼こそが最大の武器となる。利害の一致だけで結ばれた者達の安い絆とは違う。あらゆる困難に打ち勝てる、鋼の絆だ。アースラウグはアドレーゼの手を握った。いつも遠くに居て、手を握る事も叶わないジークフリートの代わりに、アドレーゼはしっかりと握り返してくれた。
 手を繋いだまま、裏通りの坂道を上る。緩やかな左カーブを描く坂の上から車が何台も向かって来るのを、その都度縦に並び直して避けた。この道は狭いのだ。公園の東門に辿り着く所で、通信機がピープ音を発した。

《シャルティだ。勘付かれた。奴は商店街の方角へ向かっている。今なら挟撃すれば退路を塞げるかもしれん。協力を》

《想定の範囲内です。しかし、よく目標だと判りましたね。変装していたのでは?》

《負傷した黒旗兵と会話して、明らかに動揺しながら逃げていたからな。しかも病院を素通りした。どうやら今回の相手はとびきりの間抜けらしい》

《我々もそのとびきりの間抜けに仲間入りしない事を祈りましょうか。では、私は先回りして退路を塞ぎますので。追跡は任せましたよ》

《了解。そういう事だ。アドレーゼ、アースラウグ。私は大通りから軍用バイクで追う。二人は小道を利用して上手く追跡してくれ》

「かしこまりました」

 公園から商店街へ行くべく、東門に面した道を走り抜ける。そうしている間にも、空からはプロペラと大気の擦れ合う重低音が鳴り響いていた。目標が空へ逃げてからでは遅いという理由から、作戦中は戦闘機を常駐させておくのだ。そうすれば、広大な帝都の空域から目標を包囲できる。
 前途洋々であると踊った心は、眼前の光景によって完全に冷やされた。

「……!」

 白昼の出来事で良かった。これが夜であったなら、真っ白に凍り付いた背筋を解きほぐす事もままならないかもしれなかった。フロントガラスの割れた軍用自動車が閉店した衣料品店の横で静かに止まっており、半開きになったドアから、だらりと下りた手が覗いていた。あの時と同じ光景がフラッシュバックし、呼吸が止まった。

「ご安心下さいアースラウグ様。あれは敵の車で、わたくし達が追っているのは見ず知らずのMAID……怖がる事は何もありません」

 両手で目隠しされ、違う方角へと向き直る。肺に溜め込んだ驚愕を、安堵に変えて大きく吐き出す。そうとも。相手はかつての友ではない。刃を振り下ろす事を躊躇う必要は何処にも無い。まして、裏切る以前から素行に問題のあったMAIDだと聞いている。

「それにしても、静かですね。目標はもう通り過ぎてしまったのでしょうか」

「えぇ。目標がここに来る前に戦闘があったのは間違いないのですが……っと、アースラウグ様」

 アドレーゼは自身の口元に人差し指を立てた。即座にアースラウグはそれに従い、沈黙した。よく耳を澄ませば、大破した戦車の陰から声が聞こえる。まだ生き残りがこの付近には居るらしい。敵か味方かは判然としない。二人はガラスの破片を踏まぬ様よくよく注意しながら、忍び足でその戦車へと近付いた。

「車輪33号より空挺部隊のキング・ラプチャーへ。そっちの被害状況はどうです? ……そうか。まぁ、援護には期待しませんが、お互い頑張って生き残るとしましょうぜ」

 声の主は敵だった。彼はこちらに気付くと、妙に人懐っこい笑みを浮かべた。気分を逆撫でされたと云うよりも、気味が悪くて怒る気にもなれない。

「やぁどうも、親衛隊のMAIDさん達。俺ん所の車輪小隊が世話になってるらしいが、俺本人はこのザマだ。仲間はみんな、そっちにお邪魔してるんだろ?」

「……」

 シャルティが捕縛した黒旗兵の事だろう。アースラウグは黙ったまま、男の双眸を見つめた。何を思って、彼はこの様な態度を取るのか。アースラウグには皆目見当が付かない。

「恐い顔だ。そうカリカリすんな。俺は元々、皇室親衛隊の所属でね。お前のお母さんとも会った事がある。ブリュンヒルデは立派なMAIDだったよ。死に損ないの俺達を逃がす為に囮になって、それで彼女自身が怪我を負っても俺達を責めないで居てくれた。彼女は――」

「それ以上、お母様の事は語らないで下さい」

「どうしてだい? 同じ帝国の生まれで、俺は元皇帝派だってのに」

「貴方が敵で、救い様の無い裏切り者だからです」

 アースラウグのこの言葉に、車輪33号と名乗るその男は漸く化けの皮を自ら剥ぎ取った。煙草に火を点し、歪に吊り上げた口元から紫煙の漏れ出る彼の表情は、悪鬼そのものと云える程の闇に塗れている。

「陛下は俺達を見限った。俺達は上から命令された事を文句も云わずにやってきて、それが帝国の為になる事だと信じていた。なのに、陛下は俺達に云ったのさ。“ジークフリートを愛する資格など無い”とね。だから俺達もまた、陛下を見限った。当然の結果じゃあないのか?」

「見返りを求める忠誠は、真の忠誠ではありません。怪我を負ってでも仲間を助けようとする、それが忠誠と同時に、絆を生む愛でもある。それを貴方は忘れてしまったのですか」

「……忘れざるを得なかった。何故なら、そいつがまやかしである事に気付いちまったからな。結局ブリュンヒルデは死ぬまで、いや、死んでも利用され続けた。救われない話だよなぁ……お前はその利用されたブリュンヒルデの代わりさ。偶像なんだよ、お前は」

「それ以上語るなと云った筈です!」

「軍神様を愚弄するなら、わたくし達が容赦致しませんよ」

 アースラウグは憤怒を堪えきれずにヴォータンを男に突き立てる。アドレーゼもそれに続いて険しい形相で目を細め、義憤を刃に乗せた。男は全く相手にせず、寧ろ両手を叩いて侮蔑的な態度に終始した。

「おぉ、恐い恐い! ジークフリートが俺にそれを吹き込んだと知っても、俺にその刃を振り下ろせるのかい? ちなみに一週間くらい前だったかな」

「……ッ! 嘘だ!」

「嘘なんかじゃねぇさ。お生憎様。お前は生まれたその日から、見捨てられ――」

 云い掛けた所で、黒旗兵はアドレーゼの刃に喉を貫かれて絶命した。口から吐き出された血液に言葉が乗せられるが、それを聞き取る事はできなかった。人が死ぬ瞬間を目の当たりにする事は、こんなにも精神を掻き乱すものなのか。加速した鼓動に堪えきれず、アースラウグはその場にへたり込む。

「悪しき戯れ言はこれで絶たれました。先を急ぎましょう」

「はい……」

 アドレーゼに抱き抱えられる事でようやく立ち上がれた。彼女の助力が無ければ、他の黒旗兵に撃ち殺されるまでここに座っていたかもしれない。

「ジーク姉様は本当に、あんな事を……?」

「アースラウグ様を欺く為の策でしょう。ジークフリート様が、あの様な事を云う筈がありません。忘れるべきですわ」

 アドレーゼの云う通りだ。自分はブリュンヒルデの代替ではなく、後継者であり、娘だ。独立した一個人でありつつも、伝説の軍神の軌跡を追い続け、帝国の栄えある未来を担う新たなる光で無ければならない筈だ。今では敵の傀儡に成り下がったプロミナを、自分は彼女に裏切られる寸前まで信じていたではないか。ここで挫けては先代軍神たるブリュンヒルデに申し訳が立たない。動け、この躯。生まれた時に胸に刻んだ決意は、何者にも折られてはいけない。

「……そう、ですよね。姉様を信じなくては、誰を信じるのか。ありがとうございます。私、アースラウグは目が覚めました」

「そうです。さぁ、行きましょう。わたくし達はこの帝都を守る剣であり、盾でもあるのですから」

 風のざわめく音が聞こえた気がした。不穏な気配に屈してなるものか。ヴィーザルを構え、周囲を警戒する。気配の在処を辿るべく、神経を研ぎ澄ませる。何処からでも掛かってこい。悪鬼羅刹を相手取ろうと、もはやこの刃は鈍らない。槍の切っ先から風の流れを感じ取った。


最終更新:2011年05月06日 13:06
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