(投稿者:神父)
知らない者は意外に思うだろうが、瘴炉はMAID関連技術の中でもそれほど新しいわけではない。むしろ初期の技術とすら言える。
しかしGの研究から始まったこの技術は、制御できない敵を利用する不安定さから早々に破棄された。
表向きのところは。
だが彼らは心底諦めなかった。
誰も彼もが忘れ去り、技術に埃を積もらせようとした。
それでも彼らは皇室の闇を利用してゆっくりと、確実に前進していった。
国防軍であるところの陸海空の三軍とは独立した存在である彼らは独自に資金を調達し、いくつもの中断されたはずの研究を継続した。
エントリヒ帝国皇室親衛隊は勇壮を以って鳴る部隊だが、それ以上に執念深い部隊でもあるのだ。
SS技術本部の倉庫は混沌としていたが、中央部にだけはかろうじて物を整頓するための空間が存在する。
ドーリーの上に、翼手竜の化石を思わせる奇妙な機械が載っていた。
二人の白衣を着た男が、機械を前にチェックシートを繰り続ける。
「マイネッケ大尉、本当にこいつを使うんですか? MAIDに搭載するなんて何年ぶりだか……」
「確かに単体試験ばかりだったからな。これを積み込む理由もなかった」
「今頃になってこんなものに興味を示す人間がいるとは思いませんでしたよ」
「彼女もこれの本当の機能は知らんよ」
ブルクハルトより頭半分ほど背の低い男の手が、止まった。
「それじゃ、どうしてこいつを使う事に?」
「彼女は翼が欲しいと言った。それにこれがどんな翼かは聞かなかったからな」
「大尉、それはまずいんじゃないですか」
「規則上は問題ない。それに、事が済んでしまえば真相を知っているのは我々だけだ」
「ははあ、大尉は俺の口さえ塞げばよいと考えているわけですか」
「いや、別に脅かすつもりはないがね、我々の手はお互い汚れきっている。今更告発も何も意味を持たんだろうよ」
ブルクハルトは微笑んだ。
倉庫の薄暗い明かりの加減がそうしたのか、その表情は悪魔の笑みとしか言いようのないものだった。
しかし彼とて、悪魔としての自覚などあるまい。
二日後、アデーレはメータとバルヴが山のように取り付けられたアクリルチューブの中で居心地悪げに身じろぎしていた。
SS本部の地下に据えられたこの小さな研究室は、ひどく熱がこもりやすい。
近くでせわしなくメータを確認する見習いスタッフにいらだたしげにたずねる。
「準備はまだなの?」
「もう少しです」
「息苦しいし、身体のあちこちに配管が当たって痛いのよ。……棺桶なんだからもう少しましにしてくれてもいいでしょうに」
棺桶という言葉に見習いが顔をしかめ、それを見たアデーレが歌うように言った。
「“アクリルの透明な棺の中から未来を見ていた若者は、もういない。アクリルを通して若者がどんな未来を見ていたか、誰にもわからない……”」
「辞世の句ですか。……介錯人にそんな言葉を聞かせるなんて、悪趣味ですよ」
「生まれ変わるんだって思えばなかなかロマンチックじゃない?」
「コアはあなたの魂を身体から放り出します。大尉から説明を聞いたでしょう?」
「私の身体は変わらないわ。コアがなんであれ、それは私の魂になる」
「……納得ずくなら、自分はもう何も言いません。次の人のために、そこを居心地よくするって案は上に提出しておきますが」
「お願いね」
見習いは基本的なチェックを終え、上司に報告するために部屋を出て行った。
暑さを我慢しながらしばらく待っていると、ブルクハルトを筆頭とした何人かの男が部屋へ入ってきた。
すかさずアデーレは口を尖らせて言った。
「大尉、少々遅いのではありませんか。移植前に死んだら呪ってやろうかと思っていたところですよ」
「済まないな、飛曹長。これでも急いだんだが」
「まあ、いいんですが。……なんだか緊張してきました」
「安心したまえ、今まで素体志願者の中で緊張のそぶりを見せないような人間はいなかった」
「大尉は何人の最期を看取ってきたのですか?」
アデーレの発言にブルクハルトは虚を衝かれた表情になり、続いて目線が遠くなった。
「何人殺してきたか……覚えていないな。最初の頃は失敗も多かった」
「思い出せるように努力した方がいいですよ、大尉。パンの枚数とは違いますから」
「遺言かね」
「そう取ってくださっても結構です」
「ならば覚えておくように努めよう。無論、君の事も含めて」
「お願いします」
ブルクハルトが周囲の技術者たちに目顔で指示を出すと、彼らは深刻な表情を顔に張り付かせたまま準備にかかった。
「他に言うべき事はあるかね、飛曹長」
「私の身体を……使う、って言うんでしょうか……MAIDの名前は決まっていますか?」
「『
サバテ』だ。無論、移植が成功したらの話だが」
アデーレは微笑んだ。
「いい名前ですね。どことなく魔女を思わせます」
「君もそう思うか」
「ええ。では……サバテに伝えてください、この身体の元の持ち主は心が弱かったから、前轍を踏まないよう努力しなさいと」
「……MAIDは、自分の身体が他人のものだったと知る事はない。通常ならば」
「そこをなんとか。一生で最後のお願いですから」
ブルクハルトはしばし黙考し、「伝えられるかどうかわからないが、努力はしよう」と言った。
「ありがとうございます」
彼女を囲うアクリルの中に、ワイアで吊られた大型のグラスアンプルが下ろされた。
アンプルの中には輝く球体が収められており、彼女はまぶしげに目を細めた。
続いて彼女の背中に、件の翼手竜の化石が押し当てられ、足元から青白いガスが噴出した。
可呼吸性のガスだと聞かされていたため、アデーレは気にする事なく足元から満たされてゆく霧を吸い込んだ。
技術者の一人が控えめに咳払いをし、二人に時間を告げた。
「マイネッケ大尉、リット飛曹長……準備ができました」
「もうお別れの時間なのね」
「……そういう事に、なります」
「あなた方は新しいMAIDを手に入れるのだから、そう悲しい顔をする事はないでしょう?」
「飛曹長!」
「私だって納得してここにいるのよ。だから誰も悲しむ必要はない。……大尉、始めさせてください」
「言い残す事は、もうないのかね」
「ありません。さようなら、今までお世話になりました」
ブルクハルトは小さくうなずくと、背後にある制御装置を振り返り、差し込まれた用心金を外して始動レバーを重々しく倒した。
「いずれ冥府で会おう、アデーレ・リット飛曹長。それまでしばしの別れだ」
グラスアンプルが砕け、内部の球体……エターナルコアが輝きを増した。
コアはしばし空中に留まっていたが、やがてアデーレの胸の中へ沈み込むように入っていった。
アデーレは安らかな表情で目を閉じ、かすかに唇を動かした。
「私の身体を使ったMAID……と言いましたけど、もっといい言葉があるのを思い出しました……」
彼女は軽い冗談でも飛ばすように笑みを浮かべた。
「……娘を、お願いします」
すべての作業が終わり、彼らは新たなMAIDを手に入れた。
サバテと名づけられた彼女は今しがた生まれたばかりで、意識すら覚醒してはいない。
周囲の技術者たちの何人かは黙って十字を切り、また別の何人かはもう幾度目か覚えていない自殺の計画へと思考を彷徨わせた。
彼らは悪魔ではない。だが悪魔の所業を以ってしか成せない事もある。
この戦争(生存競争と呼ぶべきだろうが、ともかく争いには違いない)が始まりMAID技術が世に出た後、一体何人の科学者が自殺を遂げた事か。
彼らを心の弱い人間だと非難する事は簡単だ。
だが、人間を兵器に作り変えて戦場へ送り出す仕事を毎日続けている彼らの心境が誰にわかるだろうか?
一番近いのは陸軍の訓練軍曹だろう。とはいえ、彼らは人間の魂まで奪うわけではない。
だからこそ正気を保ち、また誇りを持って自分の職務に邁進できるのだ。
MAIDの開発に携わる人間には、正気を保つために強い自我と信念を持っている事が求められた。
しかしその一方で、正気を踏み外しながらそれに気付かない人間も確実にいる。ブルクハルトは後者だった。
彼は、我知らず勝利の笑みを浮かべていたのだ。
最終更新:2008年09月14日 21:50