Chapter 7-7 : Blaze of Blame

(投稿者:怨是)


 スィルトネートは息を切らせながらシュヴェルテを睨んだ。テオドリクス程の強敵ではないかもしれないが、その能力は未知数だ。隠し球をどれだけ持っているのか、スィルトネートはそれを量りかねていた。

「私が恐いの? スィルト」

「えぇ。正確には、貴女の後ろに控える何者かが」

「存分に恐れればいい。黒は未知であり、恐怖の象徴だものね」

 大火事で熱い筈なのに、身体の奥底が冷え切りそうだった。何がこれ程までの本能的な恐怖を呼び起こすのか。単純な威圧感だけでは計り知れない物を、スィルトネートは恐れた。

「全ての色は黒に通ず。何もかもを受け入れた色……それは、全てを奪う色。覚悟の差という奴だよ」

「そんな憎しみに塗れた覚悟、叩き割ってやる!」

 スィルトネートは本棚に鎖付き短剣(グレイプニール)を飛ばし、巻き付ける。

「何処を狙って――」

「本命はいつも正面粉砕が私の鉄則ですよ!」

 本棚を引き寄せると同時に、駆け抜けた。目標はシュヴェルテ。狙うは四肢の拘束だ。シュヴェルテが軍刀を構えると、すかさずメディシスが横から滑り込み、シュヴェルテの武器を押さえ込む。その間にスィルトネートは二本目、三本目の鎖付き短剣を放つ。メディシスが頃合いを見て後ろに跳躍した。後は本棚とスィルトネートに挟まれたシュヴェルテの醜態を見せつけてやるだけだ。
 しかし、それは叶わなかった。シュヴェルテは背後より飛来する本棚に両手を付け、両足でスィルトネートの放った鎖を蹴り落とした。更に、本棚をバネ代わりに懐へと飛び込まれ、蹴りを見舞われる。シュヴェルテのブーツが、スィルトネートの臓物を圧迫した。

「そん、な……!」

「……。プロミナ、彼女らに違いを見せつけてあげようか」

「そうですよね! そうするしかない。道を譲れよ、お前ら! 日曜日の昼食に並べられたくなけりゃ、私に道を譲れ!」

 青い炎が撒き散らされる。スィルトネートはメディシスの鎌に庇われ、ジークフリートはバルムンクで迫り来る炎を両断し、シュヴェルテは盾を用いてそれを防ぐ。アースラウグだけが反応しきれず、炎をまともに浴びる。

「ぐ、あ、熱い!」

「アースラウグ!」

 火達磨になったアースラウグに駆け寄り、炎を手で振り払う。よろけたアースラウグを、メディシスが支えた。

「ふん、何と無様な。先代が泣きますわよ」

「スィルトネートさん、メディシスさん……!」

 尚もアースラウグは飛び出さんとしていたのを、スィルトネートはやめさせた。

「下がって。君だけじゃ、今のあの子には勝てない」

「下がるものですか。私だって、プロミナを嫌いになんてなりたくない! 一緒に戦場に立って、背中合わせに戦って、生き残って……! 一緒に笑い合えたら、きっと幸せになれる筈!」

 嘘をついている顔には見えない。アースラウグは周囲に流されやすい嫌いこそあるものの、正直者で、曲がった事は絶対にしない性分だ。今後の育て方次第で、良い方向へ導けるかもしれない、が――。スィルトネートは複雑な内心を上手く片付けられずに居た。

「……その気持ちは本物だって、信じてもいいんだよね?」

「信じて下さい……! 疑った事もあった。憎いとすら思った事だってあった。でも、私はやっぱり……プロミナを失いたくはないんです!」

「解った。じゃあ、連れ戻そ」

 瞬く間にアースラウグの表情が明るくなる。

「はい!」

 演技では此処までの事は出来まい。スィルトネートは確信と共に頷き、グレイプニールを構える。この鎖の本分は攻撃に非ず。或る時は迫り来る敵全てから守る為であり、或る時は暴力そのものを拘束し無力化する為である。

「さぁ、プロミナ! 家出なんてさせないからね!」

「これは家出じゃない。自殺……私は消える! 自らの放った炎に巻き込まれて! もし私によく似た誰かを見掛けても、それは私の記憶を持っただけの、全くの別人! お願い、私に私を殺させてよ! スィルトネートなら解ってくれると思ったんだけど、残念!」

 プロミナが炎の塊となり、スィルトネートに掴み掛かってくる。グレイプニールを地面に刺し、スィルトネートは高く飛んで回避した。背後を取りつつ、もう一本のグレイプニールで縛る。

「……こんな事になる前に、助けてあげたかった」

「騒いだところで後夜祭! 囃し立てるのは果たして誰であったか! 聴衆か! 官憲か! 選べよ、脚本家! 戯曲の時代に終わりを告げよう! 喜劇の時代がやってくる! 悲劇を求めて猛り狂う!」

 馬鹿げた力で鎖を引き千切ったプロミナは、残った鎖を伝わせて炎をスィルトネートに向かわせる。メディシスが急いでその炎を叩き、掻き消した。

「お黙りなさい! もう喚き散らす歳でもないでしょうに!」

「高圧的だなぁお前! あんたは私に何をしてくれたよ? フロレンツに引き籠もったり、スィルトネートと密談したり、私は知ってるんだぞ! そうですとも! 答えは何もしていない! 欠伸が出るよ! 活躍の場をそこの軍神様に何もかも奪われてる! 書類整理でもしてな! クソ年増!」

 メディシスはその発言が逆鱗に触れたのか、ずかずかと歩み寄り、形成能力を用いて杖から刃を発生させる。

「ほう、わたくしを年増と仰りますのね。宜しくてよ……その胸に付いた邪魔な肉塊、右と左のどちらから削ぎ取ってさしあげましょうかしら」

 そのまま、両手で杖を勢い良く回転させ続ける。メディシスが前へ進む度に、図書館の床に真一文字の傷が幾つも刻まれた。対するプロミナも、刀を青白く光らせている。どう見ても、殺し合いが始まってしまう状態だった。それでは駄目なのだ。凄まじい形相のメディシスに触れるのは躊躇われたが、勇気を振り絞り、肩に手を置いた。

「メディ。挑発に乗っちゃ駄目」

 杖の回転が止む。それは即ち、メディシスが手足を止めた事を示していた。

「だって……」

「大きな憎しみを同じ量の憎しみで返したら、あの子は誰が受け止めてあげるの?」

「……仕方ありませんわね。お手本を拝見しても?」

 メディシスはまだ腹に落ちていないのだろう。全く、困った同輩だ。メディシスを下がらせ、スィルトネートはプロミナの前へと出た。展開していた武器を全て仕舞い込み、何も持たない右手を差し出す。危害を加えるつもりは無いという事を示唆した。

「プロミナ。戻ろう。こんな事しても、虚しいだけだよ。こうして私達が戦っている間にも、世界中の戦線では、兵士達がGと戦っている。私達は何の為に生まれてきたの? Gと戦う為だよね?」

 横合いから拍手が割り込む。シュヴェルテだった。

「ご高説、恐れ入るね」

「シュヴェルテ。茶々を入れるのはやめて」

「これは失礼。じゃあプロミナ、君の云い分を」

 プロミナは、スィルトネートの呼び掛けに応じてはくれなかった。彼女の刀が、炎に包まれる。

「私はやめないよ。だって、あの虫けら共よりも、もっとおぞましい物がこの図書館にあるって知っちゃったから。私の戦場は此処だ」

 炎を纏った刀を、スィルトネートは掴み返した。骨髄まで焦げる程の熱量に心が折れかけたが、此処で手を離せば、きっと気持ちが伝わらなくなってしまう。己に循環する全てのコア・エネルギーを両手に集中させた。

「ぐ、う……!」

「そもそも私はね。Gと戦いたいのに戦わせて貰えないから、こんな事になってしまったんだよ。どうしてそれを解ってくれない! 私が私を取り戻し、私が私として戦える場所へ行く為に、今、戦っている! 下敷きや礎を無理矢理作ろうとする、その悪意そのものと! だから私は消えなくてはならない!」

「誤解、しないで欲しいのは、少なくとも私達だってその悪意と戦っているって事……! プロミナ、私達は敵同士じゃないよ。お願い、戻ってきて……!」

「戻るもんか、絶対に戻ってやるものか! 本当は私だって消えたくない! 出来る事なら、プロミナとして、炎の能力を持ったまま、みんなと一緒に戦いたい! でも無理でしょ? 無理だよ! “あいつら”が私の命を狙っている。背中合わせに戦った、かつての仲間達は、私の居ない所で私を追い出そうとしている! そして私は、黒旗だけじゃなくて、親衛隊の兵士達まで沢山殺してしまった! 今更、後戻りなんて、出来ないよ……」

 炎は更に勢いを増す。それでもこの手を離すものかと、スィルトネートは握る指の力を強めた。負けてはならない。小さな身体から生まれた巨大な憎悪を、受け止めてやらねば。

「それを何とかするのが、私達先輩の仕事だから……お願い、プロミナ! もう一度、私達に手を差し伸べさせて!」

「軍神じゃなくて、一人のMAIDとして、私にも助けさせて下さい!」

 気付けばアースラウグも、プロミナの刀を握っていた。そして、メディシスも。

「ほら、身体を張って助けると申していますのよ。もう、許してやっても宜しいのではなくて?」

 炎の勢いが僅かに弱まった。後一押しだ。

「お前ら……騙されないぞ、こんな茶番があるか! そこの鉄面皮の言葉を借りるとしたら、どうしてもっと早く助けに来なかった! 折角、決意したのに尚も私を悩ませるというの? どうすればいい!」

「さ、戻ろう? もう一度みんなで、一緒に戦おう?」

「……」

 ついに、プロミナの刀から炎が消えた。スィルトネート達三人が刀から手を離すと、プロミナは力無く腕を降ろし、後ろへと下がる。

「そう。武器を置いて。ゆっくりと深呼吸して」

「待って、プロミナ! 今更やめるの? 遠路はるばるお礼参りに来た私の立場は?」

 プロミナへ近付こうとしたシュヴェルテを、ジークフリートが阻む。それでいい。解り合う時間が今は必要なのだ。

「……ッ、でも! 私は、どうすれば……」

「よく考えて。私達は、貴女を信じるから」

「私は……」

 ――お願い。戻ってきて。
 静寂の中、スィルトネートは祈った。まだ余熱の残る両手を手当てしようともせず、プロミナを見守る。彼女は俯いたまま答えないが、誰も返答を急かしたりはしなかった。

「私はもう一度、みんなと……」

 地面が揺れたと思うと、背後から烈火の如き気配が襲い掛かった。驚いて振り返る頃には、既に遅かった。戦闘不能に追い込んだ筈のテオドリクスが、メディシスの首を片手で掴み、持ち上げていた。かなりの深手を負っていたのに、何故こうも動けるのか。

「ぐぁ――ッ! あ、あぁ!」

「メディ!」

 助けに向かうも、メディシスは地面に叩き付けられ、一言も喋らなくなった。目を閉じ、天を仰いでいる顔からは、まだ僅かながら生気が感じ取れる。

「詰めが甘いんじゃない? こっちは決死の覚悟で戦ってるのにね」

「メディを、離しなさい!」

「俺はメディシスを掴んだままでも戦える」

「く……!」

 絶望的と云っても良い状況だった。ジーク、アース、そして自分の三人に対して、相手はシュヴェルテ、テオドリクスの他に、確実にまだ誰か残っている。それに、プロミナも戦意を喪失したとはいえ、戻る決心をした訳ではない。彼女がまた心変わりすれば、間違いなく敗北するだろう。

「卑怯な真似は止しなさい、テオドリクス!」

「今まで姑息な手段を行使してきた口が、今更何をのたまうか……勝つ為ならば、俺は同じ道を通るぞ」

 呼び掛けは届かない。メディシスを人質に取られては、手段も限られてしまう。

「架空の罪を背負わせ続け、プロミナまで謀反に誘う……最早、貴様らは生かしておけん。骨の髄まで砕ききってくれる! 俺は軍事正常化委員会へと身を移し、この国を破壊し尽くすだけだ!」

 スィルトネートの苦悩などお構いなしに、テオドリクスは吠えた。苦し紛れにグレイプニールを交互に放つと、テオドリクスはその鎖の先端に付けられた短剣へとメディシスを向けた。メディシスを盾の様にして、攻撃を防ぐつもりだ。味方に突き刺す訳には行かない。咄嗟にグレイプニールを引っ込めた。
 ……スィルトネートは困窮した。テオドリクス程の稼働年数とあらば、騙されて寝返ったという事はまず無い。何らかの事由が、彼にこの様な決断をさせたのだろう。

「貴方とあろう御仁が……そんな真似をして、どういう影響を与えるかも解らない訳ではないでしょうに!」

「解っている。だが、他に手があるか! 奸臣共の権謀術数に翻弄され、魂がひび割れた同胞達を、貴様らはどれだけ救えたというのだ! 答えろ、騎士姫!」

 テオドリクスの巨大な斧は隣の柱を薙ぎ倒し、尚も勢いはそのままでスィルトネートに迫った。

「プロミナや貴方を救いきれなかったのは確かに私の責任ですが……それでも、誰も救えなかったとは云わせない!」

 斧の向きに合わせて鎖を張り詰め、滑らせる。鎖を斧に巻き付け、引っ張った。

「ジーク、今です!」

 シュヴェルテを退けたジークが、テオドリクスの懐へと向かい、バルムンクによる重たい一撃を腹部に見舞う。

「ぐおぉ?!」

「救う事を諦めた訳じゃない……私達で今すぐに出来る事、それを何度も試してきた! まだ結果も解ってないのに、勝手に諦めるな! 貴方はその程度の器じゃなかった筈だ!」

「俺は、俺の方法で試している。それがお前の遣り方とぶつかっただけだ。どちらが正しいかはこの戦いで決める!」

「結論を早く求めすぎるなよ!」

 拳を構え、勇み足で踏み込んでくるテオドリクス。スィルトネートは即座に、彼の足下へと鎖を張り巡らす。見事に引っ掛かったテオドリクスは、勢い余って転倒した。両足を強く縛ると、テオドリクスはそれきり起き上がれなくなった。

「違うね、スィルト。全然違う……結論はもう出ているよ。宰相府代理執行権とやらではまだ足りない。もし、君にもっと力があったなら、こうなる前にハーネルシュタインを摘発し、皇帝派の息の根を止められた。それが出来ないから私達が代わりに動いてやってるんだ」

 散弾銃を取り出して此方に構えてみせるシュヴェルテに、ジークが立ち塞がった。一際大きい発砲音は、弾丸が金属へぶつかる音に掻き消された。ジークのバルムンクが、散弾を防ぎきったのだ。

「黒旗はプロミナを殺そうとしていた! 彼女を亡命させたとて、亡命先で身元が判ってしまった時に命の保証は出来るのか!」

「あるとも。MAIDを一人育てるのには金と時間が必要。だけど、そのどちらも安く済ませられるとしたら、これ以上の話は無いと思わない?」

 シュヴェルテが狼狽する様子は無い。彼女は常に、二手三手先を想定した論理を持っているらしかった。わざわざ盾から手を離し、人差し指を立てるシュヴェルテの表情は、こちらを絶望させるには充分な程の余裕が感じられた。話を続けながら、シュヴェルテは残りの指も一本ずつ立てて行く。

「嫌われ者である事を強要される国から居なくなり、新しい環境で再出発出来るプロミナ。暴走したMAIDを処分する手間が省ける帝国。最も犠牲の少ない手段で修正が行える黒旗。そして手軽に戦力が一人増やせる亡命先。皆が幸せになれるというのに。それを感情論で邪魔しようというのだから、訳が解らないよ」

「まだ処分されると決まった訳では――」

「――決まってたんだよ。何も知らないの? もう既に、決まっていた。アースラウグが涙ながらに断罪し、国民の皆で罪を悔やむシナリオが組まれていた。だから私は強行突破した」

 それまでの微笑とは打って変わり、両目をよく研がれた刃物の如く細めるシュヴェルテ。

「何ですって……?」

「知ってると思ってたのに、そっか。知らないのか。呆れるよ……やっぱりお前達は無能だ」

 殺意はそのまま、軍刀の一振りへ込められる。スィルトネートは見切り損ねてグレイプニールを砕かれた。打撃は骨にも届いたらしく、左手の痺れる感覚が抜けない。何度も叩き付けられる軍刀を、空いた右手のグレイプニールで受け流すのが精一杯だった。

「く……!」

「シュヴェルテ、刃を下げろ!」

「嫌だ。馬鹿げたシナリオだけどね、連中は着々と準備を進めている。だから云ったじゃない……時間はあまり無いって。プロミナ、どう思う?」

「……私は」

「プロミナ、騙されるな!」

「そいつの言葉を信じちゃ駄目! 一度は殺そうとしたなら、きっとまた、君を殺そうとする! 黒旗はそういう組織だよ!」

 軋む左腕を押さえながらも、スィルトネートは懸命にプロミナへ呼び掛けた。

「喧しいなぁ。私がいつ騙した? 無知故の希望的観測程、愚かしい物は無い。知り尽くした上での対策を講じた私の側に付けば、きっと君は生き残れる。彼女らの側に残るよりも、確実にね」

「私は、生きたい」

「そうでしょう。嘘に塗れたまま死ぬなんて、私は真っ平御免。君にも同じ思いをして欲しくはない」

「シュヴェルテは実際に破壊活動に仕向けられた訳じゃないだろう!」

「ジークは解ってないなぁ。ディートリヒの件を思い返してみようよ。私はその頃には娼婦だったけど、ちゃんと情報を仕入れてたんだよ? 彼らダリウス大隊は内輪揉めに付き合わされた挙げ句、処分された。ほら一緒だ」

「自分達が経験した事を、同じ苦しみを、プロミナにも体験させる……そうやって仲間意識でも感じているというのですか!」

「全く解ってないなぁ。私達が介入する前から、プロミナは同じ体験をしていた。違う?」

「そもそも黒旗が生まれていなかったら、プロミナが黒旗に利用される事だって無かったのに!」

 アースラウグでは全く歯が立たなかった。黒旗側のMAID達は、顔を見合わせて呆れている。どうやら、アースラウグが見当違いをしているとでも云いたげだった。

「その前提からして違うんじゃない? 黒旗はニトラスブルク区での一件以来、プロミナには全く関わってない。放火事件の犯人捜しに奔走していた」

「嘘だ!」

「黒旗を騙った何者かが事件を起こして、罪を着せたとは考えられない? 或いは個別の放火事件を“そういう事”にしてしまうとか」

「そんな事が可能だとでも云うのですか!」

「スィルトやジークは想像付くでしょ? ある程度の権力と影響力さえあれば、それはすごく簡単な事」

「まさか……」

 スィルトネートの脳裏にハーネルシュタインの顔がちらつく。憎むべき政敵ではあるが、そこまでの外道じみた真似はすまいと思っていた。が、しかし……真相が解らない以上、何も云えない。どうすれば良いのか。

「いずれの場合でも、プロミナはこの図書館以外は自分で燃やした事なんて無かった。本人に訊けば解るよ」

「思い出した。アースラウグ……私、最初に云ったよね? 私は確かに云ったよね? 建物に広がった火を、抑えてるって。この際、“あいつら”に命を狙われる心配も無いから何もかも吐き出すけど、私は……皇帝派の将校の人からそういう指示を受けて、やってたんだよ。危うく感情に流されて、忘れかけたけど、思い出した。この、憎悪……やっぱり私はこの国には居られないよ。だって、気が狂ってしまうから! あっははははは!」

 折角穏やかな心を取り戻しつつあったプロミナはまた、悪鬼へと戻った。スィルトネートもアースラウグも、愕然とする他にどうすれば良いのか解らなくなってしまっていた。

「プロミナ!」

「嘘だ、嘘だ……そんなの嘘だ、どうして……」

「お前がそう仕向けたんだろうがよ! 軍神の名にかけてだぁ? 笑わせる、温室育ちのお嬢様が一端の口を利きやがって! お陰で私はこのザマだ! 手前を哀れむ涙すら、既に枯れ果てた! 殺してやるよ、アースラウグ!」

 再び蜻蛉を鞘から抜き、プロミナは振り下ろした。炎の柱がアースラウグへと一直線に向かって行く。アースラウグは間一髪でそれを避けきったが、壁に激突した炎の柱は、図書館に風穴を開けた。

「プロミナ、駄目!」

「もっと詳しく話してやろうか! うちの教官、ゼクスフォルト伍長はな、レンフェルクのボスに扱き使われてたんだよ! 私が事件を起こした“という事”になって、いつしか私はあの人の所有物になった! そのまま所有物の私まで扱き使われるようになった! 此処までは解るよね?」

「……えぇ」

「私は云われるままに火事の現場へと連れられ、その近くで“予告通りに火事が起きる”のを待った。黒旗に変装した奴らが建物から出て行ったのを見計らって、建物に飛び込んで、それから火を操って小さくして、火事が収まる頃に、指示された通りにレンフェルクの連中を呼んだ。細かい命令書は全部、教官が持ってる。解ってるんだ。私がこうして口で説明した所で、証拠が無かったら信じてなんて貰えないって」

「私は信じる」

「私もです! もう、あんな酷い事は云いません! だから、許して下さい!」

「嫌だ。許すもんか。私の名誉は墓の下で腐りきった。ゾンビになって戻るだなんて、どうしてそんな残酷な事をすらすらと云えるのかな? 誰も私を抱き寄せて、私の為に泣いてはくれなかった。私の手を握って、大丈夫だよって云ってくれなかった!」

「そう……」

 スィルトネートの胸中は、穴が空いた様な痛みで満たされた。プロミナのがなり立てる演説じみた声は、いつしか悲痛な叫びへと変わっていた。彼女は求める物を長らく得られなかった事を嘆いているのだ。

「在り来たりな正論なんて要らない。私は、たった一度だけでいいから抱きしめて欲しかっただけなのに」

「ごめんね……辛かったよね」

 ――答えは本当に簡単な事だったのだ。彼女が望んだのは事件の解決よりもまず先に、その感情を理解する存在だった。
 誰だって、冤罪で汚されながら、この巨大な組織で生き抜くには孤独が伴う。忙しさは口実になどならない。答えを理解した瞬間、両目から涙が溢れた。今からでもいい。この胸で泣いてはくれないものか。ゆっくりと、プロミナへと歩み寄る。

「スィルト! 後ろだ!」

 ジークに呼ばれて振り返ろうとするも、襟を後ろから掴まれた。

「――?! うあッ!」

 足の裏から地面の感覚が無くなる。振り返り、テオドリクスがまだ動けた事に驚いたのも束の間、背中に激痛が奔った。気が付けば、スィルトネートは地面に叩き付けられていた。

「元より貴様らには成し得ぬ事だ。そこで見ているがいい」

 体勢を立て直そうと上半身を起こした所で、両足を斧の柄に押さえられる。斧は床に深々とめり込み、スィルトネートの腕力では到底抜き取れない状態だった。直ぐさま、テオドリクスに両腕を後ろへと回され、グレイプニールの鎖で幾重にも縛られる。鎖が絡まって、スィルトネートの操作系能力では動かせない。文字通り、手も足も出ない構図が出来上がってしまった。

「い、嫌です……やっと答えが、見付かったかもしれないのに……!」

「身の丈に合わぬ矜持と共に、朽ち果てろ。それが似合いだ」

 ジークはスィルトネートにのし掛かる斧を取ろうとして時折視線を寄越してはくれるが、シュヴェルテとテオドリクスの猛攻に阻まれ、何も出来ない。
 ジークとアースラウグだけでは、もう彼女らを止められはしないだろう。やっと此処まで辿り着けたのに、こんな結末があってたまるか。誰も救えないというのか。プロミナもシュヴェルテも、テオドリクスも。
 しかし、その絶望を打ち破るべくこの場に現れたのは、意外な人物だった。

「やっと見付けたぜ。こんなだだっ広い所で戦いやがって」

 それまで少しも狼狽えなかったシュヴェルテが、初めて明らかな揺らぎを見せた。隙を見たジークが斬り掛かるも、テオドリクスがバルムンクの刀身を両腕で掴み、それを阻む。

「――! アシュレイ、下がって。此処は、人間が来るべき場所じゃない! アドレーゼを見ておけって云ったのに、首を突っ込まないでよ!」

「お前なぁ。元教育担当官として見過ごす訳には行かないだろ。お偉方もMAIDに任せておけだなんて云ってたけどな。俺が日和見を嫌ってるのを、お前は誰よりも知ってる筈じゃないか」

「だからって……!」

「……シュヴェルテ。あれは、手出しすべきではないのだな?」

 バルムンクを押さえたまま、テオドリクスがシュヴェルテに目配せした。

「絶対に駄目」

「善処する」

「昔の教官の前で戦うのは気が進まないけど……仕方ない」

 剣戟は止まない。時折飛ばされる炎の柱が、ジークの体力を著しく消耗させている様に見えた。

「私はね、ジーク。プロミナだけじゃなく、他にも困っているMAIDが居たらあらゆる方法で助けるつもり」

「遣り方というものがあるだろう!」

「親衛隊の遣り方じゃあ手ぬるいんだよ! 今まで何度も同じ危機があったというのに、今回も及び腰……いい加減にしてくれる?」

 ――何処まで早計な奴なんだ。手ぬるくない遣り方で困るMAIDが居るという事を、少しでも考えた事はあるか。しかし、胸の内に秘めたこの困惑を、焦燥を、言葉に出すには肺活量が足りない。今すぐにでも止めさせたいというのに、両足を巨大な斧の柄に押さえられ、両腕も後ろ手に縛られ、悪夢の様な光景を見ているだけしか出来なかった。
 煙に揺れる視界の中、アシュレイが正確な照準でシュヴェルテの足下を狙い撃つ。

「待ちな。戦略的に考えたらどうだ? お前の遣り方はな、その時は救えても、結局は根本的解決にならないぜ」

「アシュレイは黙ってて。これは私達の問題なの」

「黙るもんか。MAIDだけで解決出来ると思うな。社会はもっと複雑だぜ」

「テオドリクス。アシュレイを取っ捕まえて、安全なところに」

「承知した」

 テオドリクスの太い腕は、アシュレイなど造作も無く持ち上げてしまう。為す術も無く摘まれたアシュレイは精一杯の抵抗を見せるが、拳銃弾が命中しようとも、テオドリクスはびくともしなかった。

「ありがと。これで残すは役に立たないMAID二人だけ」

「私はまだ、行ける!」

 硬直した戦場は再び氷解する。崩れた氷河が水面を乱す様子に似て、ジークの剣さばきは焦りにも近しい暴力的な軌道を描いていた。却ってそれが読み易いのか、シュヴェルテはのらりくらりと避け続ける。やはりジークもあれだけの戦闘経験を持ちつつも、心を埋め尽くす程の敗北の予感に、押し潰されそうになっているのか。

「結論は既に出ているというのに、まだ足掻くの? ねぇ!」

「此処で結論を出されては困るんだ、シュヴェルテ」

「此処で結論を出さないと困るのは誰だと思ってるの?」

 お互いの刃が欠ける。鍔迫り合いはより粘着質に、そして長時間になる。

「お前だけだ」

「それは違う。本当に時間が無いの。解ってよ」

 腕力ではシュヴェルテより勝るジークが鍔迫り合いを制した。軍刀を押し退け、すかさず入れた一撃がシュヴェルテの盾を完全に粉砕する。強烈な攻撃に吹き飛ばされたシュヴェルテは、それでも両足で踏み留まった。

「断固として断る!」

「この解らず屋! 思考の硬直は死んでるのと大差ない!」

「硬直ではない! 信念だ! 守り損ねるのはもう沢山だ! 私は運命を変えてみせる!」

 行けるか。テオドリクスとプロミナは今の所、静観している。シュヴェルテだけが相手をしているなら、押し切る事も無理ではない筈だ。バルムンクが何度も風を切る。シュヴェルテは応戦するべく散弾銃を取り出し、左手で構えた。銃口より放たれる無数の鉛の粒を、ジークはバルムンクで弾き飛ばす。

「運命を変えるのはいつだって、悪魔の都合! 数人でどうにかできると思うなよ! プロミナを見ろ! あんな事になってでも帝国に残すつもりなのか! 消えない憎しみが彼女の胸には渦巻いている! 癒えない傷が彼女の魂に刻み込まれている! お前の覚悟でそれをどうにか出来ると、本気で思っているのか!」

 シュヴェルテは中折れ式散弾銃の煩わしさを、軍刀を片手に装填する強引さでカバーしている。距離は少しずつではあるが詰めているものの、ジークの方から攻撃できる気配は無い。寧ろ、シュヴェルテが敢えて接近していた。

「思っているからこそ私は戦うんだ!」

 バルムンクに銃口を押し当て、散弾で吹き飛ばす。コア・エネルギーの乗算された散弾は至近距離であれば途方も無い威力となる。この場を制したのは、シュヴェルテだった。

「煩わしいんだよ……お前、正直に云ってないだろ。此処で諦めたら次も頑張れないから、無理矢理にでも押し通そうとしてるだけだろ!」

 ジークフリートの身体に、斜めに赤い線が引かれる。人間が受ければ即座に絶命したであろう傷は、ジークフリートにとっても激痛となって襲ったらしい。守護女神の異名を持つジークであろうが、無慈悲な刃には抗えはしないのだ。

「ぐ、あぁぁ!」

「喚けよ。惨たらしい傷に顔を歪めて、泣き叫んでおけよ。それが本当のお前の姿だ。お前が助けたいのはプロミナなんかじゃない。お前はプロミナを通して、自分を助けようとしているだけ。だから、誰も愛せない。違うか!」

 傷口に手を突っ込み、指で掻き回しながらシュヴェルテは問い掛ける。ジークは顔を背け、苦悶の表情を浮かべるだけだった。

「……!」

「答えられないか。違わないって事でしょ?」

 ジークの長い髪を引っ掴み、シュヴェルテは意地悪げに問う。耳元で何かを囁いた後、シュヴェルテはジークを投げ捨てた。もう、立ち上がる気力さえ残っていないジークを見て、アースラウグは血相を変えた。

「姉様――ッ! よくも姉様を!」

 その突進は無謀極まるものだった。ただ、ただ、怒りに任せてシュヴェルテへと立ち向かうアースラウグ。両手に握られたヴィーザルの切っ先は、しっかりとシュヴェルテへ向けられているが、それを待ち受けるシュヴェルテは、悠々と軍刀を振っている。両者のぶつかり合う瞬間、軍刀がヴィーザルを叩き伏せていた。

「やめようよ。君だけじゃ無理でしょ?」

「無理なものですか……せめて引き金の貴女だけでも!」

「この絶え間ない憎悪の引き金こそ、皇帝派の亡霊共に他ならない」

 軍刀の重みでヴィーザルを持ち上げられないらしく、アースラウグは両足を開いて悪戦苦闘していた。即座に刺し殺そうとしないシュヴェルテは、その様子を見て楽しんでいる風にも見える。

「貴女がどう思おうと、あの人達は私の大切な家族なんです! もう、誰にも憎ませない!」

「亡霊は墓場が似合いだよ。――消えて」

 虐めるのにも飽きたのか、シュヴェルテは漸く軍刀を持ち上げた。好機とばかりにアースラウグは床にめり込んだヴィーザルを引き抜く。シュヴェルテの一振りを屈んで回避するアースラウグ。それを追って軍刀を床に刺し、散弾銃を撃ち込むシュヴェルテ。散弾を蛇行しながら後退して避け続け、遠距離から構えてみせる。

「消えるのは……貴女だ!」

 二度目の突撃は、僅かに切っ先を上へと向けていた。距離が縮まるにつれ、構えが変わる。片方の手を後ろへ引き、強く突き刺す事を意識している。変化はアースラウグだけではなかった。シュヴェルテが微動だにしないまま、驚愕していた。

「何、これ……動かない……?!」

 芝居でも何でもなく、本当に動けない様だ。視線があちこちへ散り、呼吸も荒くなっている。想定外の事態に混乱しているのだろう。スィルトネートは傍観しながらも、何となく生き延びる希望を見出せた。が、一体何が起きたのか解らない。アースラウグに眠っていた力が発現したとでも云うのだろうか。いよいよ喉元へと刃が突き刺さらんという、その時。

「――うあぁあッ! あッ、あぁぁああ!」

 悲鳴の主は、アースラウグだった。攻撃は間一髪で届かず、炎の壁に遮られたのだ。その場に倒れ込み、のたうち回るアースラウグを見るシュヴェルテが、誰よりも目を丸くしていた。拘束を解かれて自由になったシュヴェルテはすかさずその場から離れ、辺りを見回して深呼吸する。

「……いやぁ、先輩方。邪魔されちゃ、困るんですよ」

 シュヴェルテの探る様な視線の先には、プロミナが冷ややかな面持ちで立ち尽くしていた。

「私はこの国から居なくなる。それは誰にも変えられたくないの。恥ずかしくて、退屈で、息苦しくて、報われない所から居なくなる事が、どんなに幸せか解らない?」

「騙されちゃ……駄目!」

 スィルトネートは痺れる喉から、精一杯の声で呼び掛けた。何度目かはもう覚えては居なかったが、それでも、一筋の希望が何処かにある筈なのだ。心折れて諦めるのは誰にでも出来るが、そんな事はしたくはない。戻ってきてくれ、プロミナ。

「うるさい! 騙したのはどっちだ! すぐに良くなるって云われて待ち続ける間、どれだけの視線が私の心を蝕んだか!」

 プロミナがジークを掴み上げ、傷口に炎を噴射する。最早誰にも止められはしない。人間のアシュレイでは無力だった。

「やめて! お願い! もう誰も戦えない! どうして?! これ以上どうして、痛め付けるの?!」

「お前らが憎いからに決まってるだろうがよォ、先輩方。……さぁ、シュヴェルテさん。シンデレラを馬車へ」

「そうだね。でも、連中、諦めてないみたい。燃やす?」

 シュヴェルテの提案に、プロミナは乗り気だ。そこに一石を投じたのは、怪我を庇いながら立ち上がるジークの懇願する姿だ。

「もう言及はしない。だから、皆の命だけは……頼む」

「そのなりでまだ言葉が話せたんだ。流石に頑丈だねぇ、守護女神様ってのは。で? 見逃してくれるの?」

「あぁ。お前は自由の身だ。好きな所へ行けばいい」

 スィルトネートは、ジークの突然の諦観に疑問を隠せなかった。身体に纏わり付いていた炎を消したアースラウグや、漸く降ろして貰えたアシュレイもそれは同じらしい。

「ジーク! 何故! 確かに望み薄かもしれないけど、此処で諦めたら何もかもが無駄になるんだよ? 私達が命を賭けて戦ったのに、どうして!」

「だからだよ。私達が命を賭けても、彼女の決意に負けてしまった。元より、私達がどうにか出来る問題では……」

「テオドリクス、斧を退けてあげて」

「承知した」

 身体を拘束していた斧が抜き取られる。少ししてから、両腕を縛っていた鎖も、テオドリクスが引き千切った。スィルトネートとアシュレイは急いでシュヴェルテに近付こうとするも、プロミナの構築した炎の壁が阻む。壁の向こうで、シュヴェルテは穏やかな口調で告げる。

「私達の要求を飲む代わりに、私達は今この場で君達の命を狙わない。これで契約は成立した。話が早くて助かったよ、ジーク。ありがとう」

「まだ他に要望は有るか」

 壁を物ともせずに越えて行くテオドリクスは、振り向き様に問うた。その場――壁の手前側でただ一人、ジークが口を開く。

「たった一つ、私が望むとすれば……シュヴェルテ。プロミナを無事に亡命させてくれ」

 シュヴェルテが物云わず頷く。それから彼女らは「急ごう」というシュヴェルテの合図で、中庭へと消え去った。
 外に包囲網が出来ているとは思えない。彼女らの余裕がそれを教えてくれた。確実に逃げる手段を有するからこそ、プロミナの件についてのみ焦っていたのだろう。そうでなければ有無を云わさず連れ去っていたに違いないのだ。スィルトネートは遠い目で思考した。

「こんなのって……!」

 アースラウグが泣き崩れたのを、ジークが支える。アシュレイは未だ意識を取り戻さないメディシスを背負い、回廊側出口を目指していた。誰もが次に発すべき言葉を見失っていた。姉には従順なアースラウグも、どうやら今回ばかりは納得しかねている。報告の為に満身創痍の身体を引き摺る一行の中、アースラウグの双眸だけが、この状況に対する怒りを隠さずに居た。
 1945年9月11日のこの日、帝国は二人のMAIDを失う。プロミナとテオドリクスの離反は、皇室親衛隊と国防陸軍の双方に波紋を呼ぶ事となった。


最終更新:2011年08月11日 19:49
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