Chapter 8-5 : 紺碧の断頭台

(投稿者:怨是)


 彼らは私を憎むだろうか。
 元より私を傀儡に仕立て上げたのは彼らの方だというのに。
 彼らは私を疎むだろうか。
 元より私を本質から遠ざけたのは彼らの方だというのに。

 此処までの道筋を振り返ってみた。
 そもそも私は、何の為に、今まで剣を振るってきた?
 最初は教官に愛して欲しかった。叶わぬ恋慕に心臓の内側から擦り切れそうになったあの感情を、何故か今でも忘れられない。
 壁を感じて、認められたくて、がむしゃらに戦い続けた。
 敵をもっと沢山、数多く、より短時間で、もっと多く。

 それから、敵がGだけではない事を知った。
 皇室親衛隊の軍閥の一つ――皇帝派の中には、私を利用しようとする輩が居た。
 それが皇帝の耳へと届き、皇帝派の多くが黒旗へと流れ出て、帝国はいよいよ混迷を極めた。
 私はそれでも戦い続けた。Gも黒旗も、戦わねばならない相手に違いは無かったからだ。

 しかし、イデオロギーの何と討ち滅ぼし難いものか……一度は滅んだ黒旗も、また立ち上がって見せた。
 親衛隊に残留し蔓延る皇帝派もまた、勢力を伸ばした。黒旗という汚点を生みながらも、彼らは国民の信頼を勝ち取っていた。
 帝都は、ついには303作戦の生き残りと称するプロトファスマから、V2ロケットとGの総攻撃を受けるに至った。
 私は瘴気の塊を吸い込んで為す術も無くなり、病院で悪夢に魘される日々を過ごした。

 ある日私は、病室から飛び出し、下らない幻想から目を覚ます様にと、人々に語った。
 暫く剣を捨て、自室に閉じ籠もった。

 そうしていると彼ら皇帝派は、アースラウグという身代わりを用意してきた。
 私にしてきたあらゆる事をアースラウグに行ない、しかも入念に教育されてきたアースラウグはそれを何ら疑問に思う事無く受け入れた。

 今年、1945年に入ってから犠牲になったのは……プロミナだけだ。
 が、それをたった一人と形容したくはない。一人でも犠牲を出したという事実は重大だ。
 生け贄を捧げ、真実をねじ曲げてまで、伝説に追い縋る必要などあるものか。

 私は剣を振るう。狡猾な逃亡者達を血祭りに上げる為に。



 ジークフリートは、廊下を歩いていた。目的は、もはや日課となっている、あの使い物にならない妹役の部屋への訪問だ。

『私の目的は貴女と同じ。大丈夫。私を信じて』

 図書館事件のあった日、シュヴェルテが耳元で囁いた言葉が脳裏から消えない。ジークは芝居を打ったつもりは無かったが、結果的にシュヴェルテに協力する形となったらしい。彼女の言葉は嘘ではない。今やそこかしこからプロミナの痕跡が消され――装備設計図、運用計画書の焼却に留まらず、彼女の名を井戸端会議で出す事も許されない――最初から存在しない事になっていた。プロミナの開発に関わった技師達は、新しいMAIDの開発に向けて準備を進めている。名実共に、彼女は“削除”されたのだ。
 その一方で、連続放火事件のからくりを仕組んでいた将校らの何名かが失脚に追い込まれている。敵対する者ら、冷笑する者らへの打撃は確実に与えている。真実への道程を、着実に進んでいるのだ。

「私も同じく冷笑家だというのに、彼らの首に手を掛けるとは」

 何とも皮肉めいている。
 時は1945年9月18日。開け放った窓から流れ込む秋風は、そこかしこに蠢く不穏な気配に対する帝都の怯えを代弁するかの様に、冷たく湿っている。

「さて……」

 ジークはアースラウグの部屋に辿り着き、扉を開く。

「アースラウグ、稽古の時間だ」

「すぐ、参ります」

 あの日以来、アースラウグはすっかり塞ぎ込んでいた。プロミナの残した手紙を眺めながら、溜め息ばかりついている。ここ数日間、ずっとこの調子だ。泳がそうにも足掛かりを追う為の足跡が無いのでは、皇帝派へ接触する機会が減ってしまうではないか。ただでさえジークの近辺は手詰まりだというのに。こうしている間にも、アシュレイやヴォルケンは皇帝派将校の首を次々と吹き飛ばしている筈だ。後れを取る訳には行かない。

「いつまで手紙と睨めっこしている」

「姉様……でも、私は……」

「悔やんだ処でプロミナはもう戻ってこない。忘れろ」

「私には無理です……! 忘れる事なんて、絶対……」

「ならば、私がプロミナの代わりを見付けてやろうか?」

 ややもすれば、かつて自分を担当していたヴォルフ・フォン・シュナイダーが自分に投げかけた「立て」という言葉などより、よほど残酷な一言をアースラウグへ掛けてみた。

「……代わりなんて要らないです。プロミナはプロミナです。あぁ、黒旗さえ居なければ……」

 元よりアースラウグの不理解と無思慮が生んだ結果である。何故、去ってしまった事自体を悔やむのか。悔恨すべきは己の浅ましさだろうに。ジークフリートもまた、手を差し伸べる暇すら用意出来なかった自分自身を、プロミナについて考える度に責め立てた。一人一人が、この十字架を背負わねばならない。責務の自覚を、アースラウグに問う。

「お前はプロミナに対する陰湿な仕打ちの数々に荷担するのではなく、いち早く察知し、やめさせるべきだった。お前は、一度でも彼女の立場に立って物事を考えたか?」

「いいえ」

「なら、あらゆる可能性を考慮したか?」

「いいえ……」

 そんな事だろうと思っていた。アースラウグは自分が何をしたか解っていなかったのだ。否、ヒントは散々与えてきたにも拘わらず、解ろうともしなかったのだ。手前勝手な使命感に燃え、Gや黒旗という目先の敵だけを倒そうとし、己と戦う事を怠った。

「浅はかなんだよ、お前の正義は……私からはもう、お前に教える事は何一つ無い。お前に甘くしてくれるアドレーゼと一緒に、仲良く幻想を追い掛けるがいい」

「姉様、待って下さい!」

 立ち去ろうとしたジークを、アースラウグが腕を掴んで止めてきた。額に冷や汗を浮かせ、目を潤ませながら懇願するアースラウグの姿は、何とも無様だ。

「私は忙しい」

「考え直してはくれませんか! 私は何も知らなかった……私の肩書きの使い方も、その影響力も……だからこんな悲劇が起きてしまった事は、反省していますから! お願いです、私を見捨てないで下さい!」

 何を云う。甘いよ。

「何故見捨てたらいけない?」

「だって、悔しいじゃないですか……これからも私が、誰かを傷付け、陥れてしまうかもしれないなんて、絶対に嫌です。プロミナはもう居なくなってしまった。その罪滅ぼしを、したいんです。私はまだ弱い。だから、誰かが隣に居ないと、折れてしまうかもしれない」

 よく解っている。そうだ、アースラウグ。お前は取り返しの付かない事をしでかしてしまったのだ。浅はかなりにそれを理解してくれたのは不幸中の幸いと見るべきか。だが、助力してやるつもりは無い。
 私がお前と同じくらいの頃には、既に戦場で独り、戦うしか無かった。背負った肩書きに驕る事無く、国と教官――最初はブリュンヒルデ。次にシュナイダー大佐――を振り向かせる事だけを想い続けてきた。無論、それらは胸の内に秘めたまま。
 口に出してしまった時点で、負けなのだ。どうしてそれを理解しない。アドレーゼの様な後ろ盾など私には無かった。求めて与えられるだけの彼女とは何もかもが違った。

「悔しければ勝ち取って見せろ」

 今度こそ踵を返し、部屋を後にする。

「戦えと、仰るのですね……」

 一瞬、アースラウグの声音の真意を測りかねた。後ろ髪に感じた風圧と、後ろ手に持ったバルムンクの受け止めた金属質な衝撃が、漸くアースラウグが何かを履き違えている事を教えてくれた。

「誰が力尽くで強引に押し通れと云った。勝負で私に勝った所で、私の心は動かない」

「私だって、何も考えていない訳じゃないんです……私なりに考えて、私の槍――ヴィーザルを通して、姉様に私の決意を伝える!」

「馬鹿馬鹿しい。血迷ったか」

 金属の擦れ合う音が、廊下に木霊する。

「姉様! 私は逃げていました……戦う事から! 軍神という肩書きを背負う事は、それに甘えて力を振りかざす事なんかじゃない……その肩書きに責任を持ち、覚悟を決め、最善の方法を考え、日々を闘争する……姉様の云いたい事が、やっと理解できたんです」

「お前の云っている事は解る。是非とも責任感を持って欲しい。だが、私は“軍神の肩書きを背負え”とは一言も云っていない!」

「きゃっ!」

 大剣バルムンクで、ヴィーザルを払い除ける。鍔迫り合いに負けたアースラウグは吹き飛び、本棚に背中を打った。その拍子に本が何冊か落ちる。

「下らん幻想を捨て、一人のMAIDとしての使命を全うし、私の信頼を勝ち取って見せろと私は云いたかったのに。愚図が。十全まで説明してやらねばその程度の事も理解できないか!」

「違うというのですか!」

「何から何まで違うよ」

「いえ、試して居られるのですね……ならば尚更、私は超えたい!」

 此処まで来ると最早、偏執狂の域だ。アースラウグは立ち上がり、再び此方へヴィーザルを構えて見せた。双眸に曇りは見られない。純粋に己の正義を信じて、彼女は刃を向けてきているらしい。滑稽であると同時に疎ましくもあった。

「立ち上がるのは結構。それ以上は云うな! 試しているのはお前が何処まで理解してくれているかの一点に尽きる。戯言を辞めないならば、斬るぞ」

 演技でも何でもない。本気で斬り捨ててやろうと思った。聞き分けの無い教え子のお守りには疲れ果てたのだ。暴走したアースラウグを正当防衛の為に殺処分した事にして、さっさと肩の荷を降ろしたい。

「斬られてでも私は立ち向かう! それが、姉様の期待に応えるたった一つの方法だから!」

「黙れ、黙れ! 私よりも寡黙になれ! 何処まで幻想の道具に堕ちれば気が済むんだ!」

「私にはまだ、幻想が何なのかは解りませんよ! でも、正義って、誰かを守る為にあるのでしょう?!」

 正義は誰かを守る為に……それは正論だ。だが今のままでは、アースラウグの云う正義とやらは誰かを殺め、薄汚い政治屋連中の私腹を肥やす為にしか使われないだろう。その様な事態がこれからも横行する位なら、いっそ潔く退場して貰うべきだ。
 それを解ってはくれないアースラウグは、気迫を込めて突進してくる。押し付けがましい信念と共に。

「姉様、私の正義を見て下さい!」

 ヴィーザルが勢い良く振り下ろされる。ジークはバルムンクでその一撃を受け止めたが、アースラウグの剣戟を打ち返すには至らず、衝撃はジークの全身に伝わる。ジークが驚く間もなく、アースラウグは更にヴィーザルへ力を入れた。

「お願い、します!」

「ぐぅ、おぉぉ――?!」

 背中に痛みが走る。完全な不覚だった。まさか足がもつれて倒れ込むとは。腕が鈍ったか。それとも、気圧されたとでも云うのか。ジークフリートの思考は空転するばかりで、結論が見出せないで居た。仰向けに倒れ、呆気にとられたジークを、アースラウグは誇らしげに見下ろした。

「姉様、どうか見守っていて下さい。プロミナを守れなかった分、これからは皆を必ず守り通してみせます。二代目軍神の名にかけて!」

「……」

 認めるものか。こんな事が有って堪るものか。

「……外の空気、吸ってきますね」

 倒れた此方を見下ろし、覗き込むアースラウグの笑顔はひどく悲しげに映った。一人取り残されたジークは、そのまま呆然と天井を眺める。

「馬鹿げている」

 全く、馬鹿げている。ジークは立ち上がる気力も失い、寝転がったままバルムンクを放り投げる。

「まだ私は、あんな奴に期待しているとでも云うのか……」

 頭でも、心でも、ジークはアースラウグの無知蒙昧な盲信ぶりに嫌気が差し、彼女を否定していた。それでもこうして身体が勝手に倒れてしまったのは、まだ何処かで彼女に絶望しきっていないという事だ。この茶番は、いつまで続くのだろうか。
 目を瞑り、先刻のアースラウグの、諦観と情熱の入り交じった表情を思い起こす。あの顔付きは何処かで見た。記憶を辿り、仲間達の表情を一つ一つ追憶する。それに近しい顔はどうしても思い出せなかった。
 ジークは立ち上がり、ふとした瞬間にバルムンクの刀身に映る己と目が合う。

「――なるほど」

 思い出した。かつての教官だったシュナイダー大佐へ思いを馳せ、振り向いて貰えない事を悟っても尚、せめて手腕だけでも認めて貰おうと躍起になっていた頃の自分によく似ていたのだ。アースラウグのあの顔は。
 捻れた螺旋構造の歴史は、恐らく一巡してきてしまったのだろう。巡り巡って、今度は自分があの人の立場になるとは夢にも思わなかった。だがジークが最も忌み嫌う暗部を、知らず知らずの内に育ててしまった事実は決して消えない。ジークは、気が遠くなる程の恥辱を感じた。
 再び仰向けに寝転がり、瞼を閉じた。窓から差し込む光は、瞼越しに網膜を焼かんとしている。

「ジーク?」

 聞き覚えのある声が呼んでいる。目を開くと、スィルトネートが屈んで覗き込んでいた。よくよく見れば、彼女も随分といい顔になったものだ。気迫を通り越して殺気を放っている。

「此処で、何かあったの?」

「よくある姉妹喧嘩。手加減したら、ご覧の有様だ」

「そう……珍しいね。普段は手加減なんてしないのに」

 手加減などした筈が無かったのだから、珍しいも何も無い。ジークは嘘をついた。アースラウグとぶつかり合った時、ジークは間違いなく全力を出したつもりだった。あわよくば斬り殺そうとすらしていた。それでもこうして敗北し、天を仰ぐ形となったのは……

「きっと私は、まだ甘えている」

「甘える相手なんて居ないのに?」

「居る。私自身だ」

 暫しの間、沈黙が訪れた。スィルトネートの眼差しは憐憫を含んでいただろうか。目を見返して確かめる勇気が無いジークは、そのまま俯き、思考を止めた。噛み締めた唇が痛い。

「アースラウグが何処へ行ったか知らない?」

 痺れを切らしたスィルトが、問い掛けてきた。

「外の空気を吸ってくると云っていた。そう遠くへは行っていないと思う」

「そっか。ありがとう」

 ジークに負けずとも劣らぬ鉄面皮のまま、スィルトネートは立ち去った。何をしに行くかを訊きそびれたが、まぁ良いだろう。追い掛けて問い質すだけの気力は、今は無い。



 瘴気に塗れ、身体の弱った私を救ったのは、死んだと思っていたシュヴェルテだった。
 彼女はコアの出力を高める薬品を私に投与し、抵抗力を高めさせる事で体内に残留した瘴気を浄化させたのだ。
 彼女もまた、真実というカードを開くべく戦っていた。

 私の目的と、恐らくは同質のものである筈だ。
 手段が異なるだけではなかろうか。
 ならば、私は私の遣り方で目的を達成するまでだ。互いの正義を検証すれば良い道も開けるに違いない。

 神々の黄昏は、間もなく訪れる。
 然るべき準備が整った後、アースラウグの耳元で真相を囁いてやるだけでいい。
 たったそれだけで、彼女の信じた世界は轟音を立てて崩れ去る。
 彼女の見た夢は灰燼に帰し、眼前には薄汚れた社会が存在するという事を知らせられる。
 一石を投じるだけで良いのだ。そうする事で彼女は伝説を疑う。疑心に塗れた伝説を信じる程、人の心は強固では無い。

 ブリュンヒルデの頃には叶わなかった。誰も疑問を挟まずに居たから。
 私の代でも駄目だった。客観視する存在があまりにも少なかったから。
 だが、アースラウグは違う。条件が全て揃っている。悲劇が余りにも多すぎた。

 記憶とは実に脆弱なもので、こうして記録しておかないとぼやけて風化してしまう。
 私は嫌だ。誓い続けながら生きねば、何の為に此処まで来たのか解らないではないか。
 何かの間違いでこの日記を読んだ者の中には「文字にせねば霞む程度の覚悟か」と嘲笑する者も居るかも知れない。

 そうではない。恐怖だ。ふとした拍子に私の決意が揺らいでしまわぬ様に、こうして書き連ねる。
 この世は恐怖で満ちあふれているのだから。
 だからこそ私は、そこから逃げ、生け贄を捧げてまで甘い汁を啜ろうとする輩が許せない。


最終更新:2011年10月15日 22:56
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