13.CYLINDER

(投稿者:めぎつね)


(まったく。相変わらず酷いな)

 そう思うのが何度目かはもう分からずとも、それを酷いと思えるだけまだマシなのだろう。慣れてしまえば楽なのかもしれないが、それと引き換えに失くすものはきっと自分の想像以上に大きく重い。
 だとしても、噎せ返る臭気と目を覆わんばかりの惨状に吐き気を覚えなくなるとするならば、その取引はどうしようもなく魅力的だ。軽く頭を振ってその誘惑を振り払い、アルハは味方の捜索に専念した。自分の部隊は既に後退したが、戦線が広がり過ぎて指揮系統も完全に崩壊している。援護どころか撤退の指示すらまともに伝達されているか怪しい状況で、最終的に味方の援護に走り回れるのは空戦か単騎駆けのできるメードに限られてくる。自分の立ち位置は後者だ。
 化物の主力は既に追い返したようだが、それでも残党はそこかしこに残っている。例え相手が残り粕といえど、主戦力の迎撃に力を使い果たしていればメードであっても危険であるし、通常の歩兵にとっては尚更だ。メードの数が限られている以上、人間の歩兵の動員はやむを得ないのだろうが、食い荒らされ八つ裂きにされた死体を数え切れぬほどに量産する価値がそこにあるのかどうか。アルハには判断をつけられなかった。
 そういった原型も残らぬ肉塊が、すぐ側で尚更にその形を崩している。

「…………チッ」

 舌打ちして、アルハは目に入った残党と思しきワモン級数匹に斬りかかった。まず一匹を一刀に伏せ、二匹目を剣の峰で打ち払い返す刀で三匹目を斬り捨てる。そして改めて向かい合った二匹目を制して、その怪物どもが群れていた中心へと足を向けた。
 予想通りのものがあったことに、腹立たしさを通り越して虚しさが沸き上がってくる。あったのは肉の塊だった。それ以上的確に言い表す言葉は思いつかない。贓物が露出して衣服の元の形状も判らず、顔面の半分が喰い千切られ割れた頭蓋骨の隙間から脳漿を零れさせている物体に対する的確な表現など他にあるものか。
 更に最悪なのは、その横に血塗れ体液塗れで転がっている武器が、明らかに人間の扱うそれではないことだった。メードの専用武器だろう。持ち主はこの残骸か。
 軽く舌を噛んで胃のむかつきを幾らか制してから、アルハはその元人間に刃を差し込んだ。所属する国によって、コアを埋め込む場所はある程度決まっている。エントリヒは最も実用的、或いは普遍的と言われる心臓に、グリーデルはコアを女性の象徴としてか子宮に置く場合が多い。エテルネはメードにある種の神性を見てか、コアは十字架を模して主に肺と肺の間、人体の中心に置く。それによってどういった差異が出るかは今の所EARTHからも各国からも何の発表もない。まぁ何か特別な意味が発見されたからとて、それを自分が知ることなど無いのだろうが。
 何度か突いて明らかに骨や内臓とは違う手応えを見つけると、てこの原理でそれを剣先を使い弾き出す。血の塊と一緒に舞い上がったそれを空中で掴み取り、アルハは毒づいた。

「どいつも、こいつも……」

 摘出したエターナルコアは赤黒い血で覆われ、その本来の色彩など見るべくもない。筋繊維が絡みつき糸を引いたその塊がメードの魂だというのだから、これは笑うべきなのか嘲笑うべきなのか。
 回収は普段は顔も見せないようなお偉方が通信機越しに残した命令だった。命令違反を黙認する為の対価として要求された。これで三つ、暗黙のノルマとしての数字は達成した。これで文句もあるまい。幾度となく繰り返しはしてきたが、この作業だけはどうしても慣れないのだ。旧友を思い起こす。

「……さて」

 ぱらぱらと、銃撃の音が聞こえてくる。まだ何処かに生存者はいるようだ。もう命でも力でもなんでもない塊をポーチに押し込んで、アルハは音のした方角へ足を向けた。悼んでいる時間は無い。



「姉さん!」

 呼び声が耳に届いた頃には土砂を踏み散らす重低音が、すぐ隣から響いていた。軍用ジープの運転席に座る相手に関しては、今となっては確認するまでもない。アリウスは至って気楽げな普段通りの調子で、片手を挙げて挨拶してきた。

「や、どーも」
「本当、都合よく出てくるわね」
「それだけが取り柄でしてね。とりあえず、どーぞ」

 促されるまま、ジープの助手席に飛び移る。車体は何処ぞから拝借したものだろう。後部座席には血痕が散っているどころか、肉が幾らか張り付いている。一応尻の下には血糊が付着していないのを確認してから、アルハはシートに腰を下ろした。

「それで、あんたは何をしてるの?」
「それはこっちの台詞ですね。公国軍は既に撤退を開始していますが、姉さんの向かっている方向はまるで逆だ。何処行こうってんです?」
「死にそうな連中のいる場所」
「相変わらずですね。で、そんなもん分かるんですか?」
「まぁ、それなりにね……10時方向」
「あいさ」

 こちらの要望に素直に従い、アリウスがハンドルを切る。そのまま数分は何事もなく硝煙と腐臭の広がる戦場跡を走り抜け、更に進んだ先でアルハは目的のものを発見した。Gの一団と撤退途中らしき連合軍の一隊。遠めで見る限りでは、形勢はG側に傾いているか。連合軍側にはどうやら、Gの一群を押し返せるだけの火力が無いらしい。

「おぉ、ビンゴ。流石熟練者」
「囃しても何も出ないわよ。それと、付き合う義理も無いでしょ?」
「いやいや、わたしは装備の宣伝しないといけませんから。機会は逃せませんね」
「実に商魂逞しいことで。……仕掛けるわよ」
「了解です、と。では足は向こうにもありそうですから、こいつは潰しますわ」

 言うが早いか、アリウスは片手で砲兵装の収納部を軽快に開き始めた。最終的にハンドルからも手を離して、彼女が収納部から引っ張り出してぶちまけたものに、とりあえず息を詰まらせる。正方形、円筒形など形状は様々だが、全て一言で括られる。爆薬。

「……あんた、今後私には近づかないで」
「うわぁ、今更それを言いますか。遅すぎませんかね」

 僅かに悪口を交わし、ほぼ群れの只中に飛び込む形で軍用車を乗り捨てる。どうにか受身を取って地面を転がっている間に、盛大な爆発音が聞こえてきた。顔を起こした頃には周囲には黒煙が立ち込め、群れも幾らか散っている。近くから銃撃音、遠くからは怒号も聞こえてくる。そして、眼前にはワモン級。
 躊躇なく、アルハは地面に突っ伏したままで腕を振り上げた。肩の力だけで左腕を、正確には鉤爪状に曲げた指先を相手の複眼に叩きつける。薄いプラスチックでも突き破るような感触を得てから中身を少しばかり引き千切って投げ捨てるまでに数秒とない。
 Gをその外見、生態と同様に昆虫の類として判断するなら、連中には痛覚は存在しないという。肉体の欠損に吼えるのは威嚇行為の延長だとか。僅かばかりの傷ではその動きを止めることすら叶わないが、動き出す前に視界の一部を奪えば多少は変わる。
 そうしている間に振り下ろされてきたウォーリア級の鉄槌を転がって躱し、その勢いのままにアルハは跳ね起きた。即座に抜剣し、目に入った各種Gの脚を、届かなければ頭を片端から断ち割っていく。軍勢を内から相手にする上では相手を数多く無力化するのが先決だ。基本的に剣ならば脚、銃ならば頭を狙う。但し剣は単純に複数を相手取るには向かず、短機関銃は数を抑えは出来ても威力が足りない。小銃は威力こそ申し分ないが、給弾の余裕が簡単には確保できず接近戦で使うのは愚策と言っていい。乱戦となれば尚更だ。
 そういった辺りを鑑みると、アリウスの防具はこういった場面こそ本領を発揮するものなのだろう。弾の切れた小銃をマウントパーツの収納口に押し込んで、それから暫くを短機関銃と拳銃で凌ぐ。短機関銃の弾倉が空になるやそれを別の収納口に叩き込み、改めて抜いた小銃には弾丸が補充されている。

「それ、かなり便利なのね」
「油断は禁物、と言いまして。精密機械はよく壊れる。信じるものじゃあない」
「あら。それにしては、有効に活用していない?」
「そう見せるのがわたしの仕事と申します。装填が成功しているか、抜く時の重さで判る位には極めましたよ」

 お互いに相手の位置を頭の隅に置いているからか、数分の乱戦を経て自然と背中合わせの形へと移っていた。無論それは、周囲を完全に敵に囲まれたという意味でもあるのだが。
 十数匹辺りなら二人もいればどうにかなると踏んでいたが、これは数十はいると見て間違いない。残党といったレベルではない軍勢にぶち当たったのは致命的な不運だが、だからといって今更泣いてどうなるものでもない。
 賭けとしては余り分のいいものではないが、他に選択肢も無いようだ。左手で腰の拳銃を抜き、背後の相手へと告げる。

「アリウス」
「へい」
「あれ使うから、三分以内に出来るだけ距離を取って」
「ふむ、やりますか。了解ですわ」
「それと、負傷兵の奴らが手を出そうとしてる筈だから止めてきて。邪魔だ」
「成る程。ま、努力はしますよ」

 相手の返答を合図にその場を離れ、群れの只中へと切り込んでいく。閃光という能力に繊細な面は一切無い。敵味方の区別すらなく、ただ圧倒的な殲滅力を意識の届く何処かへと打ち下ろすだけの力だ。破壊できぬものなど無いが、同時にそれ以外の利用法も無い。
 剣を振るいながら、閃光を撃つべき立ち位置を見繕う。可能な限り、寧ろ全てのGの注意をこちらに向けねばならない。拳銃は早々に撃ち尽くし左手には代わりのナイフを握り、アルハは疾駆した。打撃は敵の体表を掠る程度に留め、連中の意識を引くことにのみ執心する。四方を囲まれては間隙を縫って包囲から逃れ、僅かな打撃を通り過ぎる全ての相手へと打ち込む。三度ほどそれを繰り返して、恐らくは上出来という結果を得られた……ように見える。そう自己完結したのは、単純に通り抜けられる隙間が完全に消滅したからだったが。まぁ閃光を撃ち込むには、十分な量は引き付けられただろう。
 但し、今日は既に二度使っている。これ以上は間違いなく身体を削る結果となるが。

(…………知るか)

 範囲に大凡の見当をつけ躊躇無く、打ち込む刃の数を限界まで設定する。閃光は出現する位置も方向も全く制御できないが、アルハの身体だけは避けて発生する攻撃だ。そして爆心地の距離限界ぐらいはどうにか調整が利く。確実性を求めるならその距離限界よりも内側を、閃光の刃で埋め尽くしてしまえばいい。地面に長剣を突き立て、意気と共に放つ。
 当然、それだけ消耗も激しい。視界がほぼ全て埋まるだけの光の奔流の只中に立ち、頭を揺さぶった眩暈にふらつきながら四方から吹き荒れる衝撃波の荒波に耐えるのは冗談にもならない苦行だったが、これに負けて弾き飛ばされれば自分の力に殺される。あくまでもアルハの身体を避けた位置にコアエネルギーの塊が叩き込まれるというだけで、衝撃に吹き飛ばされてその残滓に飛び込んでしまえばどうなるかは考えるまでもない。支えとした長剣に殆ど凭れかかるようにしてしがみつき、防風が過ぎ去るのを只管に耐える。
 嵐が止んで、絶え絶えの息で顔を上げてみれば、無傷で立っている害虫が視界の内に三匹。あの数を考えれば、十分な戦果と取っていい。そもそもが狙いの曖昧な攻撃だ、外れることに不思議はない。
 だがこれだけの数を残して力尽きたとなれば、余りいい結果とはいえない。確認できないが、まだ背後に残っている可能性もある。本格的に力が落ちたのが、それともツキに見放されたか。なんにせよ、こちらは今暫く身動きが取れない。Gの残党も今の一撃に怯んでか警戒し近づいてこないが、動き出せば数秒と待たず自分は殺されるだろう。

(痛みは一瞬、とはいきそうにないか)

 視界に入った残党は全てワモン級だった。ウォーリア級やシザース級であればその豪腕の一撃で即死、というのも期待できたが。
 視界までは奪われていないが、頭痛は最早悪夢のような域に達し脳を締め上げている。いっそ意識を手放してしまうほうが楽かもしれない。尤もこのまま気絶などしようものなら、突き立てた自分の剣の刃へと倒れ込みそうではある。死に様としては実に不甲斐ない。Gに喰われるのとどちらがマシか、判断には首を傾げた。
 などと自分の悲惨な結末を予想していたところへ、変化は前触れもなく現れた。まずワモン級の下半身が粉々に吹き飛ばされ、別のもう一匹の背中に根元まで剣が突き刺さる。害虫が鳴いた。悲鳴かもしれない。
 よくよく見れば、Gの背に刺さったのは剣などではない。斧だった。飾り気のない無骨なもので、農耕用と言われても信じそうなものだ。勿論その柄の長さや肉厚な刃を見れば、それが戦闘用の武器であるのは容易に見当がつく。同時に、その持ち主が人間ではないというのもだ。
 何かが身体に触れた。

 誰かに肩でも叩かれたかと。最初はそう勘繰った。だがそうではない。というより、物理的に何処かに触れられた、という感覚ではなかった。
 眼前を疾る薄緑の光の存在を理解したと同時、その疑問も解けた。
 ベーエルデーの空戦メード。それが恐らく自分が投擲したのだろう斧を回収し、その刃を最後の一匹に叩き込むのを、アルハは動かない身体で呆然と眺めていた。僅かに間を置いて、アリウスがこちらの視界に顔を出す。『終わりましたよ』などと口にしながら。言葉を返す余力は、こちらには無かったが。手を取られてどうにか立ち上がるものの、突き立てた剣を引き抜いただけで足元がふらつき、アリウスに支えられる。

「流石に、これ以上は無理そうですね」
「さて……どうかしらね」

 長剣を鞘に収め、アリウスを身体から離しながらそう嘯くのが手一杯である程度に消耗してはいたものの、努めて平静を装ってアルハは返した。
 それ以上何か言うよりも先に、ベーエルデーのメードがこちらに歩いてきていたのが目に留まった。形成翼は消してしまっていたが、それに近しい髪と瞳の色。素体の年頃は自分よりも少し上ぐらいか。目元や雰囲気からは何処となくおっとりとした、悪く言えば緊張感に欠ける、といった印象を受ける。携えた獲物が斧、という時点でそういった感想は色々とぶち壊しになっているが。
だがそういった容姿のどれよりも、肩に担いだ縦長のコンテナが目に付いた。一見して鉄製であると知れ、彼女の体格と同程度となれば下手な武装よりも重量がありそうなものだが、特に苦もなく担いでいる様に見受けられる。見かけほど重くはないのか、或いは彼女の膂力が並大抵ではないか。
 後者と考えるのが自然だろう。彼女はコンテナを背負ったほうの腕を軽く挙げて、やはり印象通りのゆったりとした声を発した。

「有難う。助かった」

 謝辞には片手を上げるだけで返答とし、アルハはそのまま数歩後ずさった。身体が言うことを聞かない。地面が無事ならばそれだけで済んだかもしれなかったが、閃光はすぐ近くの地面も大きく抉っていたらしい。踏み止まれる筈も無く、削り取られた地面へ転がり落ちる。
 その後に待っていたのは苦痛だった。やはり運が悪い。感覚の喪失ではなく明確な激痛として身体を壊しに来た反動に、アルハは身悶えした。肺を締め上げ、肋骨を砕き、心臓を握り潰すその激痛にただ嬲られる。

「あらら」
「ちょっと、大丈夫!?」

 大丈夫なものか。今にも死にそうだ。
 頭に浮かんだ皮肉を言葉として返すには、意気を空気も何もかもが足りなかった。気絶でもしてしまえればどれほど楽だったか。尤も、閃光を放った直後の反動で意識を持っていかれた記憶は殆ど無い。つまりはそういうことなのだろう。これが出過ぎた力を行使する上での代償だというならば、楽をさせて貰えないのは当然か。
 暫く……と表現しても問題ないと思えるだけの時間を責め苦に耐え、どうにかアルハは息をついた。いつの間にか目も閉じていたらしい。開いてみれば、仰向けに倒れた惨めな自分を、二つの顔が覗いている。
 嗚咽が混じらぬよう注意しながら、どうにかアルハは声を絞り出した。

「……ええ、見ての通り健康よ」
「その冗談は流石に笑えませんね、姉さん」

 返答をしたのはアリウスだったが、手を差し出してきたのは空戦メードのほうだった。あれだけ身体が悲鳴を上げていたにも関わらず、既に身体の痛みは微塵も無い。相手の手を掴み、立ち上がるのも、閃光が破壊し尽くしたエリアから離れるのも容易だった。一つだけ、尾を引くように残った頭痛だけが未だにアルハを責め立てている。
 閃光の反動は、往々にしてそんなものだった。気がついた頃には跡形も残さず消え失せている。残された疲労も、閃光の所為なのか連日の戦いによるものか判然としない。
 それでも、本当に奇麗サッパリと消え失せているなどという話もあるまい。何れはこの身体を完膚なきまでに破壊するだろう。それが半年後か、或いは明日の話か。それは判らない。

「本当に大丈夫なの?」

 呼びかけに黙想を途切れさせ、アルハは声のほうを見やった。ベーエルデーのメードが、何やら心配そうな顔つきでこちらの様子を窺っている。それに答えるよりも先に。

「貴様!」

 いつの間にそんな所に居たのか。連合軍の兵士と思われる男に、アルハは胸倉を締め上げられた。
 成すがままに掴み掛かられたのは単純に、頭痛に行動が阻害されたからだった。だが幸いでもあった。疲弊し消耗したメードは往々にして、コアエネルギーの制御にブレを生じさせる。反射行動で相手の手を打ち払うだけで、腕ごと吹き飛ばす結果を招きかねない。

「貴様、どうして! なんで……何てことをしてくれやがった! この糞野郎めが! 殺す必要が何処にあったってんだ!」

 意味を理解できない罵倒は言葉だけを頭に残すに留め、激昂する兵士の感情そのものは聞き流していった。青年が後続に取り押さえられて引き剥がされてから、軽く首を傾げてこちらの不理解を示してみせる。視界の中には十数人ほどの兵員が集まっていたが、皆遠巻きにこちらの揉め事を眺めるだけだった。疑問に答えを出してくれる者もいない。尤も、そんな気力すら残っていないのだとしても不思議はないが。
 幾らかして、前に歩み出てきたのは壮年の男だった。大分汚れてはいるが他よりも多少は立派なその身なりからしてみて将校の類だろう。敵意が無いことを見せる為か、両手を頭の横辺りに挙げている。

「先程の光を放ったのは、君だな?」
「ええ」
「仲間が一人巻き込まれた。彼の友人だ」
「ああ」

 合点がいって、アルハは得心の声をあげた。男は片手を振って、順に二つのものを示した。地面にへたり込み、数人の兵士に囲まれて慰められているように見える先程の青年と、閃光の破壊跡の一つと。そこで巻き込まれたという意味だろうが、血痕一つ見当たらない。完全に消し飛んだようだ。

(糞、久しぶりにしくじったな)

 顔には出ない程度に歯噛みして、アルハは胸中のみで臍を噛んだ。驚く話ではない。こういう事態が在り得るからこそ、アリウスにこの連中の制止を頼んだのだ。間に合わなかったか。或いは手を抜かれたか。どちらもありそうな話であるし、どちらであっても大した問題ではない。よくある話だ。
 そして、返す言葉も常に同じものだ。

「御免なさいね。悪気はないのよ」
「いや、責めるつもりは無い。我々が救われたのは事実だ。そちらの彼女の制止を無視した彼らにも非はあったろう。だが彼の胸の内も、分かってやって欲しい」
「そういうのは苦手で」
「……そうか」

 何かしら、それらしい反応を期待していたのだろう。彼の目に浮かんだ失望や落胆、そして恐怖。そういったものを把握するのは得意ではあった。それは有り体に言うなら、化物を見る目という奴だ。それがどんな状況であれ、閃光とその威力を目の当たりにした『人間』は、ほぼ必ず瞳にその色を浮かべる。
 それ以上何を言うでもなく、男は踵を返し離れていった。声を張り上げ、残った部下達に指示を出していく。

「すいませんね、姉さん。若いのが先走ったもんで」
「まぁ、若いってそういうものなんでしょうよ」

 耳打ちするような囁きで話しかけてきたアリウスに、注視していなければ分からない程度に肩を竦めてみせる。外見上は同じ二十代程度の人間、加えて培った経験ならば圧倒的に彼らの方が多い筈だが。
 それでも、彼らは未熟だと、甘いと感じることは往々にある。それは自分が極端に狂っているからそう映るというだけではあるまい。何故か。

(幸せな頃を知らないから、かもね)

 荒野だ。
 初めて目を開いてから三年弱、この荒野ばかりを見続けていた。くすんだ空、硝煙と血の臭いに、雨と空気、息絶えた肉の冷たさと。そんなものばかりを学んできた。友人と呼べたものを無為に失い、虚勢に振り回され憎悪に狂い、あの耄碌どもの首を掲げてやりたい誘惑に駆られもしたが。
 それを致命的な域まで達する寸前で押し留めた彼女の遺言は、やはり偉大なのだろう。或いは、それしか縋るものがないからか。自分はどう足掻いた所で壊すだけの存在でしかない。決戦兵器。誰がそう呼んだのだったか。渾名とも蔑称ともつかないその呼び名は、それでも自分には似合いのものに感じられた。
 そしてだからこそ、私は恐ろしいものである事を選んだ。それが一つの理想であり、自分と彼女との妥協点だと。錆付いて壊れかけた今となっても、それは何も変わっていない。

「姉さん。あーねーさん」
「……ん」

 アリウスの声に、物思いが途切れる。彼女は柄にもなく、心配でもするような曇った表情で問いかけてきた。

「本当に大丈夫ですか? だいぶ反応が鈍くなってますよ」
「大丈夫、気にしないで。疲れてるだけよ」
「です、か。まぁ、他の連中もそうでしょうしね。そりゃカッカしますよ。喧嘩腰にもなりますわ」
「構いやしないわよ、全部事実だもの。寧ろ、あれを見ても突っかかってこれる気概は称えるべきだわ」
「それ、きっと本心で褒めてるんでしょうけども。皮肉にしか受け取れませんよ」

 アルハが閃光の破壊跡を指差しながら告げると、アリウスが呆れた調子で頭を掻いた。皮肉、だろうか。言われてみれば、確かにそう感じるかもしれない。そもそも、人を誉めるようなことを言った経験も殆ど無かった。やはり慣れないことはするべきではない。
 それは兎も角として。

「私みたいな疫病神に関わってると怪我するわよ。貴方も」
「え、私?」

 唐突に振られたのが余程意外だったのか、ベーエルデーのメードは目を丸くしてみせた。ずっと隣にいたのだが、状況が状況だけに口出しは控えていたのだろう。アルハは軽い嘆息を零してから、

「身内を吹っ飛ばした糞野郎と話していれば、それだけで貴方の心証も悪くなるでしょうに。いいことないわよ」
「皆、そこまで心狭くはないわよ」
「そう? まぁ、貴方が言うならそうなんでしょうけど」
「それにどう言い繕ったって、あなた達が助けてくれたおかげで私達はこうして無事にいる。そんな相手を悪くは言えないわ。……さっきの彼以外にはね」
「殊勝だこと」

 それが嫌味に近い振舞いに相手に映っただろうというのにはすぐ気付いたが、やはり自分はこういった斜に構えた態度しか取れない。
 割って入ったのはアリウスだった。

「恩を感じるなら、少しそちらのお偉い方にでも口聞いてくれたりしませんかね。お宅の国は件の商会が強すぎて、うちの製品がさっぱり売れない」
「あー、いや、私はそういうのはちょっと……」
「いやいや、一人か二人でいいんですよ。何なら連邦議会の肩でも構いませんよ? や、大丈夫ですって。損はさせませんから」
「あ、あはははは。今度、お婆様に聞いてみましょうか。はは」

 乾いた、というよりは引き気味の笑顔を張り付かせながら少しずつ距離を取る空戦メードにアリウスが摺り足で近づいていくのを横目に。
 僅かな違和感を覚え、アルハは辺りの様子に目を向けた。荒野である以外は何もない近辺には、憔悴した兵らを除けば動くものもない。風はなく、後方では閃光の海に呑まれ構造の大半を消し飛ばされた軍用車の残骸が燻っている。
 誰かが何かを気にしたという様子もない。それでも一瞬、妙な空気に触れた気がする。構えた覚えはなかったが、手は剣の柄に触れていた。

「あれ。急にどうかした?」
「いや……なにか聞こえなかった?」
「? いいえ、私は何も」
「そう。なら、いいの」

 軽く頭を抱えながら、アルハはかぶりを振った。頭痛が酷さを増している。瞼の奥で鳴り響く鐘の音が脳を揺さぶっている。そんな状態で聞いた異音が現実のものかどうかも疑わしく、それ以上考えるのは止める。空戦のは不思議そうに首を傾げるだけだったが、アリウスのほうは何やら目を鋭くして周囲に気を配りだしていた。

「あんたは何か聞いた?」
「いえ、何も。気のせいじゃないですかね」

 話す内容に反し、態度は明瞭な警戒を示している。その様子に嫌なものを感じたか、空戦のほうも辺りを気にし出した。自分のそれは予感というほどのものでもなかったのだが、彼女らが警戒してくれるならそれで問題あるまい。実際、その頃にはアルハはもう別のものを見ていた。こちらへ歩いてくる数人の兵の姿。その中には、先程の将校らしき男や掴みかかってきた青年も混じっている。
 彼らが手の届く距離まで辿り着くその間、アルハはその青年を眺めていた。一言も喋らず、俯き気味で顔はよく見えない。彼に連れ添っていた――いや、実際は逆なのだろうが――将校らしき男が何かを口にしようと咳払いなどした直後、青年が顔をあげた。
 彼がどういう行動を起こすかには、何となく予想がついていた。
 将校を押し退けて、青年が一歩踏み込んでくる。一気に振り上げ、同程度の勢いで振り下ろされた拳を、アルハは無抵抗で受け止めた。拳骨が頬を打ち顎を歪ませて脳を揺さぶるその衝撃をまともに受けて、恐らく一瞬は意識が飛んだ。それでも、よろめきこそすれど倒れるまで達しなかったのは、自分がメードだからなのだろう。コアエネルギーの緩衝作用は、どれだけ磨り減っていようと常人が素手で打ち破れる代物ではない。

「おや、豪胆」
「うわ」

 アリウスが惚けた声で呟いたのは耳で、空戦メードが反射的に顔を覆ったのは目で理解した。
 騒ぎ出したのは人間だけだ。

「軍曹、貴様何をしている!」
「こいつが! こいつが奴を殺した! こいつさえいなければ!」
「やめろよ! そいつがいなかったら、俺達全員が死んでいたかもしれないだろう!」
「知るか! 離せ、離せぇ!」

 将校ともう一人の兵士に押さえつけられながら、それでも青年は喚き立てるのを止めようとしない。暫く、アルハはその茶番を軽く腕など組んで眺めていた。殴られた痛みはまだ引いていないが、じきに治まるだろう。それは特に気にするべきものではない。
 将校としては、状況が何であれ自身の部下が他国のメードに手を出したなどという話は公にはしたくない。故にせめて青年に頭を下げさせて、穏便にことを済まるつもりだったと見るのが自然か。青年も理屈では理解していたのだろうし、それで納得もしていたのだろうが、いざ相手の眼前に立ったら衝動のほうが勝った、という辺りか。

「気は済んだ? それとも、まだやる?」
「……怒らないのか?」
「経緯はどうあれ。大事なものを奪われたなら、怒りは吐き出すべきよ」

 押し倒された彼に、手を差し出すほどには無神経ではないつもりだった。暫く彼は呆けた顔をこちらに向けていたが、やがて『大丈夫です』と将校らに伝えた。青年を取り押さえている二人は一度こちらの顔色を伺ったが、アルハが促すと慎重に青年から手を離し身を引いた。

「ただ、女の顔を殴るのは感心しないわね。次は腹にでもしなさい」
「女の腹は、もっと駄目だろう」
「別にガキ作るわけでもなし、それ以前に大して効くわけでもない。ただ、メードも精神上は人間の女に近いんだから、顔をぶたれたくはないでしょ」
「……そんなものなのか」
「そうなのよ。……実の所は、私にもよく分からないのだけどね」

 そこで青年に手を差し伸べられるほど自分の人格はできたものではなかったし、そんな行動は彼の怒りを煽るだけとも思っていた。彼が自分で立ち上がるのを黙して待ち、次の行動への警戒を置く。あと二、三発貰う程度の憤りは、まだ彼には残っているとアルハは目算していた。
 だが彼より先に、別のものが動いた。

「姉さん!」

 アリウスも気付いたようだったが、声を上げる以上のことは出来まい。アルハにできたのも一番近かったその兵士を抱き抱え、もう一人を蹴り飛ばして後ろに跳ぶことだけだった。次の瞬間には巻き上げられた土砂が眼前を覆い尽くす。

(何が来た!?)

 Gであることは疑いようもないが。噴き上がった土の壁は視界を遮るだけでなく、一拍と置かずこちらを押し潰そうと崩れてきた。その場を離れる為に更に背後に跳び、着地で足場を見失い青年の身体を抱えたまま落下する。どうやら丁度、先程閃光で抉られた際にできた溝に足を突っ込んだようだ。運がない。一メートルはあろう溝に受身も取れず転落して、無事で済んだのは一応幸運ではあるが。

「せ、センチビートだ!」
「糞、冗談だろ! こんな馬鹿な話があるか!」

 誰かの罵声を耳にしながら、アルハは青年の身体を押し退けて溝から這い出した。だがその頃にはセンチビート級とやらは再び地中へと潜り始めており、見えたのは噴き上がる土塊と尻尾のようにうねる結合部の終端ぐらいしかなかった。地響きは僅かなもので、直後には音も振動も纏めて失せる。

「ったく、これは厄日だな。とびっきりの厄日だ」

 それなりに短くはない時を戦ってきたが、センチビート級との戦闘経験は記憶の中に見当たらない。未見のものを相手取るというのは、ただそれだけで致命的な危険を孕んでいる。唯一幸いなのは、害虫連中は手管を隠すことを知らないという事実だが、当座凌ぎだけでどこまで通用するか。
 服の裾を掴まれ、アルハは思索を中断させた。振り返る――というより見下ろせば、青年兵士が何とも言い難い表情でこちらを見上げている。

「何故俺を助けた」
「死ぬ数は少ないほうがいい」

 取るに足らない話ではあったし、答える時間も惜しかったが、アルハは一応返答した。
 彼以外の二人は距離からして、蹴り飛ばす以外の方法が思いつかなかった。それも、一人が手一杯だ。そして青年には手が届いた。見捨てる理由もない。それだけの話だ。
 言葉にしたのは伝えるべき部分だけだったが、相手は納得しなかったようだった。反駁の意気を見せ口を開く。
 声が形になる前に、アルハはそれを遮った。問答の暇はない。

「そして、可能な限り助けたいならあと一人死ねばいい。ここは私が受け持つから、あいつらを下がらせろ」

 感情を排した声でそう告げて、アルハは遠くに見える歩兵らに指を向けた。彼らも短機関銃や車載の機関砲等で応戦の構えを見せているが、それらがまともに役に立つ相手とも思えない。その証拠とも取れるだろう、装甲車の一台が土中から這い出たセンチビート級にほぼ真下から高々と打ち上げられた。十数メートルは跳んだだろうか。轟音と一緒に地面に叩きつけられ、ただのスクラップと化す。

「一人? まさかお前のことか? 馬鹿、そんなことが出来るか!」
「恨めしい相手の命一つで仲間が助かるなら安いでしょう? 問答の時間が惜しい、行け。放っておくとまだまだ死ぬわよ」

 必要分だけを返し、アルハは彼を溝の外へ乱暴に引き摺り出した。青年はそれでも幾らかの躊躇に悶えたようだったが、やがて腹を決めたか近くに倒れていた将校を引き起こして、仲間達の下へ走っていった。
 空戦とアリウスも、他の人間達を庇う形で彼らの前に立っている。だが地中を移動するセンチビート級にどの程度の意味があるかは疑問だ。兵員らが集中するエリアの真下から顔を出すような状況だけは避けねばならない。

(なら、後はこいつがどれだけ賢いか、って話かしらね)

 辺りを一週見回してから、アルハは青年の向かった側、アリウスらが構える側とは逆方向に駆け出した。地中を移動するなら、こちらの足音ぐらいは掴んでいる筈だ。獲物が一匹になったところを狙うのは定石だが、害虫風情が素直にそれを理解してこちらの目論見通りに動くかは賭けだった。一帯の地盤は閃光で粉砕されており、無事な場所を飛び移りながら移動せねばならないのも誘導としては不安が残る。この成り行きを想定していなかったとはいえ、状況としては最悪だ。一つ判断を誤れば即刻食い殺されかねない相手を前に、頭痛も未だ止まないことが焦燥に拍車をかける。
 それでも一応、上手くはいったのだろう。すぐ背後で土砂が巻き上げられたのは、音ではなく肌で理解した。振り返る余裕はなく、轟音の形と響きで相手との距離を測り、機を見て真横に身体を投げ出す。巨体が地面を引き裂きながら通り過ぎて痛んだ地盤を更に致命的に損傷させるのを横目に、アルハも無事に見えた地面にどうにかしがみ付いた。しがみ付いたというのは文字通りで、踏んだと同時に崩れたからだ。這い上がって体勢を直し、漸くその化物と対峙する。
 とぐろを巻いて小さい頭をこちらに向けている、見上げるほどに巨大なそのGはざっと見て蛇のようであり、だが決して蛇とは似ても似つかない。その名の通り百足のようだと形容するのが最も正しいのだろう。砂を被ったような緑黄色の体躯が頭頂から尻尾の先まで続き、体は節々で微妙にサイズが異なっている。その全てが独立して脚を動かしている様は、悪寒が走るばかりで言葉としては形容し難い。確か、ワモン級の亜種が数十匹単位で連結しているのだったか。そのサイズにしては随分と頭が小さいことにも納得できる。問題は、だ。

(剣で戦うような相手じゃないってことよ、あんなものは)

 他の鈍重な大型ならいざ知らず、細長い躯体をしならせ、或いは分割して機敏な動作を可能とするこんな個体には、近接武器は少しばかり相性が悪い。人によってはそんなものは瑣末事でしかないのだろうが、この巨大な怪物を真正面から一刀に縦割りするような芸当は、残念ながら自分には出来ない。そもそもこんな無数の化物が闊歩する戦場に刀剣などぶら下げてくること事態が狂人の発想としか呼べぬ悪夢でしかないが。この戦争に最も必要とされるのは重火器だと、アルハは心の底から信じていた。取り回しに難があり、供給も不安定で、一部のメードの刃のほうが遥かに高火力である現状があるとしてもだ。
 運よく、と言うべきかどうか。銃火器であればそこら中に転がっている。閃光の直撃を免れたエリアでは、Gの死骸と人間の躯が散り散りになって一緒くたにされている。そうでなくとも、アリエスに頼めば幾らでも動作不良の不安がないものを貸してくれそうではあったが、残念ながら今は隣にいない。
 センチビート級が動き出したタイミングを見計らって、アルハは目についた小銃のほうへと身体を投げ出した。一拍置いてそれまでアルハのいた場所に、センチビート級が図体の割には可愛らしい口蓋を目一杯に広げながら食らいつく。轟音と土煙を上げながら百足が土塊にかぶりついている間に小銃を拾い上げ、その状態に目を通す。血がこびり付いているが外見上損傷は見当たらず、弾も入っている。だがグリップを握り締めている人間の腕を払いのけようとして、アルハは閉口した。外れないどころか指一つ曲がらない。彫像の腕でも相手にしているように硬く、重かった。
 いつこの腕が持ち主の身体と亡き別れたのかは知らないが、普通に考えれば半日も経っていない筈だ。人間の死後硬直というのはここまで酷いものなのか。答えを求める相手はおらず、また求めている時間もない。

「――悪いね」

 掠れた声で一言だけ呟き、アルハは躊躇無く死体の掌を握り潰した。握力も硬直もへったくれもなくなった肉と皮の塊をグリップから剥ぎ取って、小銃を両手で構える。反転し正確な照準も定めずに放った一撃は、予想外の精度を発揮してセンチビート級の頭部を直撃した。
 粉砕された頭が多量の体液を撒き散らしながら節から零れ落ち、その奥からまた新しい頭部が顔を出す。再度の突進を土煙を被りながら避け、こちらが再度引き金を絞るより先に今度は別方向から銃弾の群れが飛び出した。先頭集団の数匹が短機関銃の弾丸に蜂の巣にされ、ぼろぼろとセンチビート級の体躯から零れ落ちる。続けざまの砲撃がセンチビート級の節一つを爆散させたが、泡を食ったのか不利と見たか、本体はモグラか何かのように地面に潜っていった。暫くは地響きが続いたが、やがてそれも途絶える。

「馬鹿が、どうしてこっちに来た」
「いや、その反応はおかしいですわ。流石に」

 呆れ顔のアリウスに、アルハは口腔に混じった土を吐き出してから、頭を抱えつつまくし立てた。

「残存兵の無事を確保するのが最優先。こんな形でセンチビート級なんて冗談みたいな奴が顔を出す以上、この一帯は明らかに危険だ。そんな場所で護衛対象をメードの一人もついていない状態で放り出す奴があるか」
「けれど、じゃああなたはどうなるの」

 これは空戦メードからの問いだ。口の中に残った土を唾と一緒にもう一度吐き出してから、アルハは迷いなく答えた。

「運が良ければ生き残るし、悪くてもまぁ、私一人が死ぬだけだ。大した問題じゃない」
「駄目よ」

 即答され、思わず口篭る。何かが彼女の癪にでも障ったのか、それまでの様子からは一転して表情は厳しい。
 尤も、だからといって自分の答えが変わることもない。アルハは肩を竦めた。

「ただの行き摺りでしょうに。それが死んだからといって、どうという話でもないでしょ」
「そういう話じゃないわ」
「他にどんな話になるっていうの」
「はいはい、喧嘩はそこまで。アホやってると喰われますよ」

 相手は何故か拳でも飛ばしてきそうな形相をしていたが、アリウスに首根っこを掴まれてその顔も吹き飛んだ。そのまま空戦のを引き摺って後ろに跳んだアリウスの意図を察する頃には、アルハも身体を投げ出していた。地表を抉ってセンチビート級が顔を出し、そしてまた地面の奥へと姿を消す。

「とりあえずは、この騒がしいグソクさんを片付けましょうか。言い争いならその後で存分にどうぞ」

 多少距離は空いたが、声は届く。そんな距離からアリウスが呼びかけてくる。センチビートはグソクとは違うだろう、と反論しかけたりもしたが、意味がないと気付いてアルハは言葉を呑み込んだ。脅威はすぐそこにあって、与太話に勤しむ余裕はない。
 それでも、毒だけは僅かに零れた。

「ったく、厄介なもんね。あんたらも」
「わたしらは所詮他人ですから。姉さんの意を完全には汲めませんよ。まぁ、彼らとて軍人だ。一般市民なら兎も角、ただ守られるだけというのは癪でしょう。これだけお膳立てしてやったのですから、後は自分らの身ぐらい守ってくれますよ」
「ああそう。なら勝手にしなさい」
「ええ、そうしますよ。いつも通りにね。そちらもご承諾頂けます?」
「そうね。まずはこいつから。異論なんてないわ」

 距離がある所為で、そう答えた空戦の表情はよく見えなかった。もう少し突っかかってくるかとも思ったが、これはこれで構わない。

「では、問答はここまで。それではお二人様、共に御武運を」

 それらしい一礼などして見せてから、アリウスは一人賭け出した。空戦メードのほうも、形成翼を出現させて上空に昇る。
 アルハも小銃を構え直し、適当な方向に走り出した。敵が常に死角から襲ってくる以上、極力足は止めるべきではないし、一箇所に固まるべきでもない。
 敵は今度はアリウスを狙った。姿を現し、暫し銃撃に晒されるが堪えた様子はない。散開している為に、こちらからは大分距離がある。手出しできない内に、センチビート級はまた土の中に潜っていった。

「ったく、馬鹿の一つ覚えだな。真下からしか来れないのか」

 悪態をつくのは簡単だったが、有効な対応策がないのも事実だった。郡体である以上、どこを破壊しても致命傷としてカウントされない。その上であの巨体、且つ見掛け以上に素早くて、地中を移動する為に攻撃できる機会も限られている。

(地道に数を減らすしかないか……)

 他に選択肢もないが、だがそれはそれで小銃の弾が足りないという問題もある。装填されている数発を撃ち尽くせば、剣で相対せざるを得なくなる。冗談ではない。
 アリウスに借りるべきだろう。センチビート級が姿を見せた直後に銃弾を当てられる程度には距離も詰めておいたほうがいい。

 油断はしていた。
 それは疑いようもない。直前に敵はアリウスに仕掛け、また再度攻撃してくるにはもう幾許かの時間があると踏んでいた。頭痛が未だに止んでいないのもある。兎に角警戒を怠っていた。
 故に踏み締めた足元が崩壊したのは、完全に虚を突かれる形となった。顔を見せたのは当然ながらセンチビート級だ。体勢を崩してしまっている。まともな回避など出来ない。
 それでもどうにか身体を捻り重心を傾け、頭から食い千切られる事態だけは避けられた。だがセンチビート級が勢いよく這い出す只中へと転げ落ちるのは変わらない。車に引き摺られアスファルトに擦り付けられる様なものだ。ある程度肉が削り落とされるのは覚悟して、アルハは奥歯を噛んだ。敵の甲殻に肌が触れると同時、燃え上がるような高熱が触れた左半身を蝕む。
 唐突に、身体が跳ねた。脚の一本に服が引っ掛けられたのだと気付いた時には、地上から十数メートルは跳ね上げられている。小銃を手放さなかったのは奇跡か、或いは性分か。何にせよ、引き金を引けば当たる距離ではあった。至近距離の一匹を粉砕し、そのまま中空に投げ出される。
 足元を確認する余裕はあった。無ければ話にならないが。

(目算、十メートル弱ってところかしら)

 それなりに冷静に、アルハは胸中で独りごちた。メードの身体能力は永核の齎すエネルギーに大きく依存している。当然、それを消耗すれば消耗に見合う分だけ身体の力も低下する。
 余程極端な消耗の仕方をしなければ、そのエネルギーが磨り減る前に体力が尽きるので殆ど影響しない。が、今の自分は現実問題として、極端にそのエネルギーを消費してしまっている。平素であればこの高度、着地をしくじることもそうあるまいが、今はそれを成功させる自信がない。
 この状況で足まで折れたら、流石に殺されるだろうな、などとぼんやり考えながら落下に構える。数秒して姿勢制御は諦めた辺りで、唐突に落下感が失せた。その代わり腹に得体の知れない衝撃を貰う。
 数秒ほどの意識の混濁の後、空戦メードに空中で受け止められたのだとアルハは理解した。地上に降ろされて、とりあえず軽い礼を口にする。

「悪い、助かった」
「いや、そんなことよりも大丈夫!?」
「何の話よ」

 急に凄まじい剣幕でそう聞かれ、訳も分からずアルハは左手で頭を抱えた。抱えてその感触に違和感を抱き、次にその手にべったりと赤い液体が付着しているのに気付いて、アルハは左手を引っくり返した。甲のほう――こちらに血はついていなかった――を口元になぞ当てながら、尋ねる。

「……骨とか見えてない?」
「いや、そこまでは酷くない……と、思うけど……」
「そう。耳とか残ってる?」
「ええ、大丈夫……いや、痛くないの?」

 こちらの反応が相当に予想外だったのか、何やらしどろもどろに尋ねてくる空戦に、とりあえずアルハは首肯した。痛みはない。感覚もないが。恐らくは余りの激痛に永核が痛覚を閉じたのだろう。元々死体には無用のものだ。その御蔭か、頭痛も失せている。併せて見える範囲で自分の被害を確認すると、腰の鞘が半分ほど抉られて刀身が露出している。手を伸ばして長剣のぐらつきを確認していると、左手が指の先まで赤く染まっているのにも気がついた。先程は気付かなかったが、左腕の肉をそこそこに持っていかれたらしい。抉られたのは二の腕から肘の辺りまで。だが出血は酷いが骨は見えていない。腐る前に治療すればどうにかなりそうだ。
 だが砂や土が混じるのは不味かろう。アルハは小銃を脇に挟み、腰のポーチから取り出した包帯を腕に巻きながら(あっという間に真っ赤になって余り意味がなさそうではあるが)、なるたけ平然とした調子で空戦メードに言葉を返す。

「ああ、痛くはない。だから大丈夫よ」
「その理屈おかしいわよ、絶対」
「そう? 生きているなら、それだけで十分に儲けものじゃないかしら」

 どうも、彼女とは価値観がかなり合わないらしい。そもそもの話として、自分が大分浮世離れした頭の造りをしているというのもあるだろうが。大分前から自覚はしていたが、あえて矯正する理由もなくそのままだ。
 暫く、彼女は腹の底から呆れたような顔をしていたが。一度顔を伏せると、今度は何か腹を決めたような決然とした表情を見せた。もしくは何かを諦めたと言うべきか。納得できないものを無理に呑み込んだとも取れる。

「ええ、もう。分かったわよ。さっさと終わらせましょう。それが一番良さそうだわ」
「そうね。そう上手くいけばいいけど」

 相手はこちらの皮肉に感情のない視線を返してきたが、その意味はすぐに理解してくれたらしい。彼女の回避動作に併せてこちらも地面を蹴ると、まさに直前まで立っていた場所からセンチビート級が這い出してくる。
 包帯を巻くので両腕が塞がっていた為、反撃の機会は殆ど傍観に徹した。空戦が構えた大筒からの砲撃でセンチビート級の一角を爆散させるのを横目に、アルハは早々に包帯を巻き終えて小銃を構えた。既にセンチビート級は退避動作に入っている。
 それでも一撃は加えられるか。可能性に賭けてトリガーを絞るが、それ以前の話としてそんな判断に頭を悩ませるまでもなく弾倉は空だった。乾いた音だけが虚しく響く。

「もう弾切れか。糞」
「ちょっと待って」

 小銃を投げ捨てようとしたところに制止の声をかけられ、アルハはそのまま動きを止めた。隣に降りてきた空戦が肩に担いだコンテナ――というよりは大筒と呼ぶべきだろうか。先程それをそのまま無反動砲として使っていたような気がするが――に片腕を突っ込むと、小箱を一つ取り出した。渡されたそれを開けてみると、確かにライフル弾が一ダース詰められている。

「……そういう物理法則を無視したような収納って、最近何か流行ったりでもしてるの?」
「さぁ。それより、また来るわよ」
「糞、慌しい奴だな」

 指先の感覚が消失している所為で、給弾にすらかなり手間取る。結局弾込めは二発で中断し、アルハは薬室を閉じた。足元にはセンチビート級の移動する地響き。どういう手品か相変わらず地面の揺れは軽いものだが、これだけ何度も飛び掛られればその微細な揺れの変化でも大体の距離は把握できる。実際飛び出してきたタイミングは予想通りだった。
 但し前後から同時に二体と、しっかり想定外の事態は起きていたが。

「ご冗談!」

 洒落にならないものを目にしてはいたが、お互い反応は早かった。ライフル弾と斧の投擲。先頭を潰して体当たりの軌道を逸らせる。それは上手くいったものの、胸を突いた違和感にアルハは眉根を寄せた。

(数が少ない?)

 吹き飛んだ分を換算しても、連結していたのは四~五体ほど。あからさまなほどに短くなっていた。慌てて振り返れば、斧に先頭二匹が頭から両断された側も連結数は四匹しかいない。そして同じ違和感を感じたのだろう。同様に振り向いていた空戦メードと目が合った。
 悪寒は、当然のように現実として現れた。周囲を完全に取り囲んで、センチビート級を形成していた小型が一斉に地中から飛び出してくる。

「なんだ。害虫風情とは思えない程度に、あんたら頭がいいじゃないの」

 悪口を呟く程度の余裕はあった。賛辞に関しては正直な部分もある。戦術としては素晴らしい。蟲と侮った。
 同時に、所詮蟲だなとも思っていたが。この状況は、アルハが最も得たいものそのものだ。
 小銃を手放し、右腕で空戦メードを無理矢理に引き寄せる。相手を殆ど抱き抱えるようにして、アルハは意識を尖らせた。最大設定で閃光を叩き込めば、恐らくは大半を片付けられる。。アリウスの居場所を把握していないのが気掛かりではあるが、この状況では止むを得ない。

「待った!」

 制止が声だけであれば、問題なく無視できた。だが身体を持っていかれてはそうもいかない。タイミングを完全に逸し、気付いた頃には十数メートルはあろう空中へと舞い上がっている。眼下では獲物を取り逃がした害虫共がこちらを見上げながらキィキィと耳障りな音を発していたが、すぐに全てが地中へと姿を消した。それを見送ってから――
 アルハは不機嫌に吐き捨てた。

「どうして止めるかしらね。機会を無駄にした」
「それでさっきみたいに死にそうな喘ぎ方されたら、たまったものじゃないわ」
「なんで」
「なんでって、当たり前でしょう」

 何の疑問も持たないような顔で問い返され、逆にアルハが口篭った。気がつけば、今度はこちらが彼女に抱えられている。薄緑色の形成翼に半身を炙られるのは気分的に心地のいいものではなかったが、感覚として覚えるものは何も無かった。熱くも冷たくもなく、ただ陽炎のように視界を埋め尽くしている。
 その羽が生物のように撓り広がるのを見て、アルハはとりあえず長剣を外れかかった鞘ごと捨てた。
 再連結されたと思しきセンチビート級の巨躯が、こちらとほぼ同じ高さまで追いかけてくる。空戦メードが高度を上げるが、センチビート級は先端の節を弾き飛ばして更にその上から仕掛けてきた。避ける動きで高度が落ち、そこに百足の巨体が滑り寄って来る。突進を避けた空戦メードの動きは空を泳ぐような、戦闘ヘリですらまず不可能であろう異様な軌道に思えた。尤もアルハ自身は振り落とされないことに必死だった為、あくまでも感覚としての話だが。
 こちらが左腕にしがみ付いている所為で、空戦のは上手く反撃の糸口を掴めないでいる。そんな状況だけは、相手の横顔から容易に読み取れた。いつまでもこのままでは分が悪すぎる。空中を振り回されて舌を噛みそうになりつつも、口にした言葉はどうにか意味のある形を成した。

「降ろしてくれない?」
「嫌」
「矜持は邪魔でしかないわよ」
「それでも、嫌」
「強情ね」

 そんなやり取りの間にも、彼女はアルハを抱えたままセンチビート級の突貫を避けながら飛び回り続けていた。それなりの高度だ。無理矢理に拘束を解くのは難しくないだろうが、奇麗に着地する自信もない。
 それ以前の話として。こちらの平衡が既にかなり危うい。失せた筈の頭痛がぶり返したような感覚、眩暈もする。経験したこともない不規則な三次元軌道に中てられたのか、形成翼のコアエネルギーなど浴び続けたからか。どちらであっても大差無いが。
 割とヤバイ。

「いや、ちょっと。本当に降ろして?」
「なによ、急に落ち着きのない……というか情けない声出して」
「や、ほんと無理。うっわ吐きそ」
「ちょっと、やめてよ!?」

 悲鳴じみた声をあげて――そうしたいのはこちらであったが――空戦が勢いをつけて害虫の湧き出す位置から距離を取った……のだろう。視界が大分霞んでいたので判らなかったが、直後に殆ど投げ出されるように降ろされたのだからその筈だ。眩暈は失せたが吐感は無くならず、感覚の大部分が吹き飛んでいる影響か足元も覚束ない。あっさりと何もない地面で蹴躓き、アルハは地面に突っ伏した。幾らか悶えてから、どうにか身体を起こす。

「あらまぁ……顔真っ青じゃないの。大丈夫?」
「誰の所為よ、ちっくしょうめ」

 どうにか上体を起こし、アルハは嗚咽と一緒に毒を零した。思い返せば吐くようなものが胃に残っていない。背中などさすって貰ってもどうにもならない。

「……あんたはいい奴ね」

 ふと、そんな台詞が口をついた。
 不意を突かれたように瞠目した空戦に、更にもう一言告げる。

「長生きできないわよ?」

 私の友人は、大体そうだったからね。と。そこまでは言葉にせず、アルハは軽くにやけただけで終わりにした。
 戦場で良い奴は死んだ奴だけだとも聞く。そう考えれば、初期ロットで残ったのが自分とウルザの二人だというのも納得できる話に思えた。間違いなく、自分ら二人は善人ではない。寧ろ悪人の筈だ。
 こんな戦いを心の奥底では楽しんでいるような、自分達のような輩は。

 見えたというよりは直感に、或いは自分の経験則に従って。
 アルハは空戦の腕を掴み一気に引き寄せると、その勢いのまま周囲に閃光を叩き込んだ。眼球を灼く光の奔流に地面が捲れ上がり、その下に潜んでいたセンチビート級の多くを挽肉に変えて蒸発させる。見えたわけではない。だがその映像は鮮明に頭の奥に浮かんだ。
 暫しして。土煙が晴れた先に居たのは、人並のサイズまで落ち着いたセンチビート級の残り粕だった。僅かに残った数匹が連なって、どうにかセンチビート級としての体裁を成している。一瞬で大半の節を失い動揺でもしているのか、飛び掛ってくる気配は無いが。

「……私の羽が吹き飛んじゃった」
「あー、そいつわは悪いことしたわね」
「いや、大した問題じゃないけど……あなたこそ大丈夫なの?」

 眼球だけを動かして彼女の顔を覗き見ると、本当にこちらに気を使っているらしく心配以上に焦りの色が濃く見受けられた。考えてみれば先程、あれだけ彼女の目の前でのた打ち回ったのだ。その反応は当然なのかもしれない。
 勿論、何の影響もない、などという幸運は存在しない。アルハは自嘲気味に鼻を鳴らした。その程度の動きはどうにか可能だった。

「やー、駄目ね。もう動けそうにないわ。首すら動かないもの。指も動かないから、私が掴んでる場所は貴方が自分で引き剥がして」
「え、ええ……」

 空戦がぎこちなく、いや過剰なまでに慎重にこちらの拘束から離れる。それでも、やはりと言うべきか自然とバランスが崩れ身体が傾いた。当然ながら成す術などなく、そのまま崩れ落ちる。

「あ! ご、ごめん!」
「いやぁ、本当、気にしなくていいわよ。慣れてるから」

 口だけは回る――寧ろそれしかできない――のを幸いと気楽な調子で答えてはみるが、あまり様にはなっていないらしく、こちらを覗く空戦メードの顔色が益々曇るだけだった。彼女に身体を起こされたりもするが、全身の感覚が失せてしまっている為に維持のしようがない。結局仰向けに倒れたまま、瞳だけで相手を促す。
「先に片付けるものがあるでしょう。あんなボロ雑巾、貴方一人でお釣りがくるだろうし。私は見てるから、先に安全を確保して貰えるかしら」
 彼女は答えず、幾許か迷った後にただ小さく頷いただけだったが。

 実際に、決着はものの数秒で片付いた。



「おやまぁ、随分と酷い有様で」

 アリウスの嫌味じみた呼びかけにはぐうの音も出ず、アルハはとりあえずそっぽを向いた。
 多少――といっても十分程度――の間を置いて、体調は身体を起こせる程度には回復していたが、それが限界である。立ち上がれそうにもない。空戦メードに傷の手当ても受けていたが、こちらの感覚が無い所為で彼女もどこまで手を出していいのかが掴めず、結局消毒などの簡素なものだけに落ち着いている。

「そっち、一人で倒しちゃったんだ」
「やー、幾ら半分に減ってたとはいえ、酷いもんでしたわ。助けて欲しかったものですが」

 やれやれと自分の肩を揉み解しながら、空戦の問いにアリウスがくたびれた調子で答える。彼女の側が片付いたのが何時だったのか。それは判然としなかったが、気付いた時には戦闘の起こす騒音は掻き消えていた。アリウスの姿を見つけ、こちらに歩いてきていると教えてくれたのは空戦メードだったが、これだけかかるとなると相当離れた場所でやり合っていたらしい。或いは歩速そのものは通常の人間と変わらないのだから……いや、それでも十分に距離がある。
 彼女が肩を竦めたのは気配で知れた。

「……その有様だと、そうゆう状況でもありませんでしたか」
「どうも最近は、こんな目に遭ってばかりだわ」

 顔は向けぬままアルハが毒づくと、アリウスはからからと笑った。

「貴方はいつだってそんな調子でしょうに。わたしからすれば、どうして未だ生き残っているのか不思議でなりませんよ」
「そうね。運が悪いのよ、きっと」
「……それは良い方なんじゃないの? 運」
「悪いのよ」

 きっぱりと否定して、アルハは一つ大きく嘆息した。空戦メードが大筒から出してきた新しい包帯を、手で制し断る。

「大丈夫よ、もう」
「信じろというほうが無理な話よ。第一、出血止まってないでしょ」
「そうね。でも、あんたにはお迎えが来てるわよ」
「え?」

 目を丸くした相手に、その背後を指差して教えてやる。空に浮かぶ幾つかの光。色取り取りの輝きを放つそれが空戦メードの形成翼であるのは遠目からでも明らかだった。ほぼ間違いなく彼女の仲間だ。事実、彼女もその光を見ただけで凡そを察したようだった。
 それでもやはり自分の状態が気になるらしく、相手は躊躇いがちにこちらに顔を向けた。

「私は大丈夫だから。一応、そいつもいるしね」
「でも」
「なんだかんだと言い繕っても、私みたいな危険物と一緒は嫌でしょう?」
「……またそんなことを言う」
「素直じゃありませんからねぇ、この人は」
「今の私に体重をかけるな。倒れる。というかまた血が滲んできたからやめて」

 寄りかかってきたアリウスに毒づいて、肩を押さえつけてきた手を振り払う。アリウスは特に悪びれた様子も見せず、空戦メードのほうへ顔を向けた。いつの間に取り出したのか、片手に持った通信機など見せびらかしながら。

「ちゃんとわたしが連れ帰りますよ、ご心配なく。車もさっき呼びましたからね」
「ん……そっか」

 彼女はもう少し何か言おうとしたようだったが、自分なりに納得したのか、一度頷いてから踵を返した。
 ただ、最後に肩越しに振り向いた。

「また会えるかしら」
「長生きすればね。お互いに」

 別れの挨拶代わりに、軽く手を上げた。相手もそれを返す。それで終わりだった。形成翼を展開し、仲間のほうへと飛び去っていく。
 そういえば、結局名前を聞いていなかったか。尤も、聞いた所でまず憶えてもいないだろうが。薄情な奴だと、今更ながらに思い知る。

「見えなくなりましたねぇ」
「そう」

 気のない返事を返す。それが限界だった。
 腹に沸き喉を競り上がってくる何かに、反射的に手で口を覆う。胃液なら先程吐いた。だが量が違う。吐けるものなど無かった筈だと僅かに混乱するが、実際に吐瀉したそれが赤黒い色をしているのを理解すれば、納得も容易だった。
 何が傷ついたのか、それとも、最早そんな問題ですらないのか。動脈でも破れたかのような量の血液を吐き出して、それでも足元にできた血溜まりに頭から崩れ落ちなかったのだけは僥倖といって差し支えないだろう。眩暈がして、視界が濁る。感覚が失せているにも関わらず指先が痺れ、脳髄を直接打ち鳴らすように頭痛が響く。悲鳴を上げようにも声が出ず、喀血だけが暫く続いた。
 やがて。

「――動けます?」

 問い掛けられて、ようやく意識が戻った――そう感じられた。震えの止まらない腕で、どうにか口元を拭う。そんな簡単な動作ですら、かなりの時間を必要とした。
 そして口にした返答も、同様に震えていた。

「暫くは無理ね。何もできそうにない」
「成る程」

 彼女の得心の声に、それまでと何か変わった部分があるわけでもない。
 それでも何か致命的な危険を感じたのは、直感や経験則、そういったものだったのだろう。事実として、後頭部に散弾銃の銃口が押し付けられたのは理解できた。だからといって、どうすることもできないのだが、
 今更驚くものでもなく、軽く咳き込みながらアルハは相手の反応を待った。一分弱ほど経ったか、背後から投げやりな嘆息が響く。

「……少しは、驚くかと思いましたが」
「驚いてはいるわよ。顔に出す余裕がないだけ」
「それはそれは」

 肩でも竦めたか、銃口が傾いたのは音で知れた。だが狙いを外してはいないのも気配で判別できる。落とした剣は空戦メードに拾ってきて貰っていたが刃向う気も起きず(そんな余力も無いが)、状況の改善は一旦頭の隅に追いやって、アルハは相手を促した。

「理由を聞いてもいい?」
「『決戦兵器の永核が手に入る』というだけで、理由としては十分でしょう」
「こんな磨り減って無様な女の永核に価値があると?」
「永核の再利用を考える上で、特殊能力保有の永核を複数確保しておきたいというのがうちのお上のお考えでして」
「再利用、ね」

 相手の言葉を一度咀嚼し、アルハはそれを鼻で笑った。そんな動きだけで倒れそうになる。アルハは鞘から半分以上零れた長剣を抜いて地面に斜めに刺すと、その柄に寄り掛かった。一連の動きに、アリウスからの静止はなかった。

「成功したという話は聞いたことがない。本気で使えると思っているの?」
「生憎と、うちのこれはそれなりの確証があっての作業でして。ただ何となくで集めているお宅らの国とは違いますよ」
「へぇ、余程自信がおありのようね。永核技術に関しては遅れを取りっ放しの後進企業が」
「さてどうでしょう。うちもこれで、有力な情報源を抱えておりますので」
「情報源?」
「ええ。但しこれ以上は機密に触りますので、お話は出来ませんが」

 そう彼女が口にした頃には、アリウスはアルハの視界の届くところ、ほぼ真正面まで位置をずらしていた。血溜りを踏んで顔を顰めたりもしたが、隙を見せることもない。相手の姿を冷静に観察してみれば、その身には傷一つないどころか足回り以外には汚れすらない。いや、思い返してみれば彼女が手傷を受けた場面などというものが、今まで見てきた中で一度としてあったろうか。
 成る程、彼女も十二分に化物ではないか。今更ながらにその事実を理解し、アルハは胸中で苦笑した。彼女は有数の実力者だと評価していたつもりだったが、それでも何処か心の奥底で侮っていたのだ。切札を放てば相手が誰であれ道連れには出来るという驕りもあった。
 結果として、完全に詰んだわけだ。また咳き込み、血の混じった唾を吐きだしてから、アルハは呻くような声で尋ねた。

「で、撃たないの?」
「……ったく。裏切られて窮地に立たされたなら、それらしい態度というものがあるでしょうに。何も変わらず何時も通りとか、流石に恐れ入りましたよ。肝が据わってるんだかなんなんだか」

 アリウスはそう悪態をついて態度を崩すと、くるりと拳銃でも回すように散弾銃を半回転させて銃身を握った。そのまま腰の武装マウントに押し込み、両手を広げて無手であることを仰々しくアピールしてから、聞き慣れた軽薄な口調で続けてくる。

「一つ、お頼みしたい話があります」
「ものを頼む態度じゃなかったわね」
「受けなきゃ撃つってことです。一々言わせないでください。まぁ、そちらの『国』にとっても悪い話では無い筈ですよ」

 国という部分をわざわざ強調して、アリウスは口元に軽く人差し指なぞ当ててみせた。表情も緩いが、その頼み事とやらがどうしようもなくろくでもないだろうことは容易に想像がつく。

「内容は」
「試作メードの処分」
「何故私に振った」
「他に理想の候補がいないからですよ」

 語りながら腕を組み目を伏せる。その動きもやはり芝居がかったものだったが。アリウスはすらすらと続けた。

「わたし以上に強力で、軍の主戦力からは外れた融通の利く立場にあり、且つ只の狂人ではなく、そして同じメード相手でも躊躇無く殺しにかかれる存在。こんあ条件に当て嵌まる変人、他に誰がいるっていうんですか」
「随分買い被られたわね」
「わたしは、そうは思わない」

 きっぱりと断言され、逆にこちらが吃驚させられる。こちらが反論の言葉を見出せない間に相手はアルハの目線まで身を屈めると、それまでの軽い調子を一掃し、僅かに語気を荒らげた。

「ええ、この際はっきり言いますよ。うちの試験機が壊れた。化物と呼んで差し支えない個体で、わたし一人では十中八九処分できない。だから協力してくれって話なんですよ」

 迫真に迫った声音で詰め寄られ、だが別段気圧されるでもなくアルハは暫し黙考した。選択肢など最初から用意されていないのは理解していたが、それでもたっぷりと間を置いて。

(騙された上で頼まれたら、それは信じていい、か)

 誰が言ったのだったか。記憶の底に沈んでいた声と顔は判然とせず、そも自分はその言葉そのものを信用していなかったように思う。
 それでも最終的には、アリウスの視線を見返しながら嘆息を交えて承服した。

 首を縦に振ったのは。彼女の瞳の奥に見えたのが恫喝でも愉悦でもなく。怒気でも覇気でもなく。
 それまで見せたこともなかった、追い詰められた小動物の縋るような。そんな怯えの色だけが、色濃く映っていたからだった。
最終更新:2013年02月09日 01:35
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