Chapter 2-3 : 全ての掃き溜めの国

(投稿者:怨是)


 1944年1月24日正午。エメリンスキー旅団は、部下の脱走と作戦期間中の飲酒による作戦活動の失敗に関して、上層部より叱責を受ける事となる。
 通常ならば消耗率12%以内に収まる予定だったものが、20%の損失。
 しかも保護する筈の難民が行方不明となってしまったのである。

 同月30日。ライオス・シュミットは風の噂に聞いたその叱責の内容を思い出しつつ、目の前の友人アロイス・フュールケと会話を続ける。
 場所を食堂より移して、雪の降り積もるバルコニー。コートを羽織りながらとはいえ、この季節の夕暮れ時は途方もなく寒い。

「下らぬ人間の集まりも、ここまで来ると害悪でしかないな」

「っていうか明らかに実害が出てないか? 難民が行方不明になったんだろ?」

「元々そこまで助かる見込みも無い上、どこの都市も受け入れ体制が整っていなかったそうだ。大方、ザハーラ共和国辺りにでも押し付けるのだろうが」

 裕福な国家に属する多くの人間にとって、ザハーラという“地域”は体のいい植民地候補である。
 ここに上手く恩を売れば石油資源も独占できる。資源の不足に悩まされるエントリヒ帝国にとって、これほど美味しい餌場は無い。
 更にGの猛攻によって外国からの支援に頼らざるを得ないこのザハーラ共和国は、諸外国に対しての発言権が非常に低い。
 つまるところ、何をやっても殆どは見逃されるのである。難民を労働力代わりに売りつけたとて、殆どの場合は「ありがとうございます」と笑顔で受け取るだけなのだ。

「あのザハーラ共和国は、私が最近読んでいる本に登場する国家によく似ているな……」

「へぇ。新しく買ったのかい。タイトルは?」

「“全ての掃き溜めの国”だ。近年は治安も安定しているから、どうしても暇になってしまってね。まったく、休暇が増えても碌な事にならん」

 “全ての掃き溜めの国”……アドルフ・カーツが1939年に発行した伝奇小説であり、シュミットが好奇心から購入したものである。
 この本のタイトルにもなっている“全ての掃き溜めの国”というのはまさしく、ザハーラ共和国がモデルだという。
 本書曰く、
『我々が棄ててきた穢れをこの国の民は喜々として拾い集め、なにやら黒く禍々しい壷へと押し込んだ。
 そうして彼らは新しいものを作ろうとする。民は錬金術と呼んでいたが、科学の発展した今の世において、私にとっては滑稽な何かにしか見えなかった』
 とあり、シュミットはこのフレーズを読み返すたびに何とも云えない既視感に襲われる。

「まぁ、かいつまんで述べると、つまるところは難民でさえ彼らにとってはありがたい存在なのだろう。使用用途いかんに関わらず、な」

 シュミットには別段、人種差別をする気などは無い。
 確かに人を小ばかにする時などのネタとして血液や民族を挙げる事はあれど、得てしてそれは単なる軽口であり、彼なりのブラックジョークである。
 アドラル民族がどうのという崇拝も無い。むしろ彼はそういう民族とは無縁である。金髪でもなければ、碧眼でもないのだ。
 確かに皇室親衛隊長官テオバルト・ベルクマン上級大将の持つ、魅力的な金髪とひんやりとしたブルーの瞳は紛れも無くアドラル民族である。
 ベルクマン上級大将は“皇帝派”にとって忌むべき存在であるらしいが、時代が許せば名将として称えられていたのだろう。
 だが、シュミットはそういうものは迷信の類か何かだとして、常にどこか遠くから冷笑するように心がけるようにした。
 金髪碧眼である事が名将の条件などではない。牙を剥きさえすれば髪の色も目の色も無しに人を恐怖させる事ができる。
 ――何故なら私は“鋼の大蛇”とも呼ばれた男なのだから。

「いずれにせよ不幸な話だ。“単なる行方不明”なら生き延びる為の道筋もあるかもしれんが」

「難民だぜ。武装してないなら、生き延びるのは難しいんじゃないか」

 フュールケの懸念は尤もなものであり、実際、歴史と数多の作戦記録がそれを証明してきた。
 だからこそ、シュミットはここで一つのスポットライトのスイッチを入れねばならない。

「確かに容易くはない。だが、家畜にされるよりは幾分かましだとは思わないか。フュールケ」

「家畜って……そんなまどろっこしい例え方されてもイマイチ要点がつかめないな。つまり、どういう事だよ?」

「難民をMAIDの素材に用いるという蛮行がまかり通っているかもしれんという事だ」

「あ……」

 難民は本来、国によって保護されてしかるべき存在である。
 シュミットにとって軍隊とは騎士団のようなものとほぼ同義であった。
 彼らが国家への忠誠や人類の誇りを忘れて暴れたりするのならばいざしらず、一同に拳を振り上げるのでもない限りは絶対に彼らを守り通さねばならないと考えている。

「穢れた死を通じて生み出されたMAIDなど、国を守らせるに足る人材か? 断じて違う。薄汚れた欲望の果てに生み出された“豚”に過ぎん」

 豚とは、イノシシを品種改良して家畜化したものである。
 彼の云うところの“家畜”とは、国家の資本や人類の未来という名の餌を欲しいがままに貪り食い、鼻の曲がるほどの臭気を漂わせる害悪という意味である。
 そして、それを生み出す、欲望にまみれた技術者や夢想家こそが彼にとっての真の害悪なのだ。
 雪の降りしきるバルコニーにて、シュミットは重く静かな声音を染み渡らせる。

「然るに我々の使命をたった一行にまとめるのならば。害をなす危険な欲望を刈り取ることにある。そうは思わないか」

「まァ、そこは解るんだけどさ」

 フュールケが手を差し出して留める。

「実際どうなのよ。難民をMAIDの素材に使ってるっていうのは」

 フュールケの内心は複雑だった。身体能力に優れない人間が素体になった所で、優秀な素体には結局の所敵わないのではないかという考えがあるのだ。
 確かに訓練次第で伸びしろは大きく上下する事は理屈でよく解る。が、しかし。
 長期的なものの見方をすれば、初期能力が高いほうが即戦力にもなるし、死亡率も抑えられるのではないだろうか。
 身体測定や能力測定など、やり方次第ではどこかに研究機関を丸ごと設けるなりしてやってもらえばいい。

「私も全ての情報を耳にしている訳ではないし、立場上あまり大きな声では云えんが……
 特殊能力の開発の実験体という使い道もありうるからな。アレの場合、身体能力は特に必要とされていない。
 更に、MAIDの容姿も関係――いや、忘れてくれ」

「何だって? 容姿?」

 303作戦。MAID開発におけるエントリヒ帝国最大の汚点であり、消し去るべき恥部である。
 壊滅的な被害を受けたMAID部隊を補うようにして、極秘裏に“偽MAID”が用いられたという事をシュミットは知っていた。
 無論この件は最高軍事機密とされており、彼も偶然耳にしただけであって、それを上層部に悟られてしまっては彼の人生の先は想像に難くなかった。
 偽MAIDは、その言葉の通りMAIDに似せた普通の人間である。
 容姿に優れる難民女性を集め、プロパガンダの為にMAIDの服装をさせて暫く軍事作戦に従事させたのだ。
 その後の処遇までは詳しく知らない。何名かは本当にMAIDにされたらしいが、当時のシュミットの身分では軍機を知らされる事は無かったのである。
 焦りを悟らせないように、敢えてとぼけるようにして話を戻す。

「よくよく考えてみると、容姿はあまり重要ではなかったな。とにかく特殊能力だ。そして実験兵器のテスターにも使える」

「特殊能力と実験兵器か……他の国に比べると、ここのMAIDは確かにちょっと少ない気がするな」

「当然だ。あんな前時代的かつ欺瞞的な魔術まがいのものに頼るようでは、国の威信に関わる」

 きっぱりと断ずるシュミットの態度に、フュールケの眉間に皺が寄った。

「ちょっと云い方キツいんじゃねェのかな、ライオス」

「これくらいが普通だ。むしろ胸を張って云えるが、私の云い方はこれでも甘いほうだ。
 そも、我々エントリヒ帝国のMAIDは正統派の至近距離格闘を売りにしている筈なのだ。それを非人道的な実験で浪費するなどと……」

 シュミットの騎士道精神がそれを許さない。
 何より、そこまでして強さや力を求める事に何の意味があるのか。戦争が終わってから他国を侵略でもするつもりだろうか。
 それらのMAIDを用いて。

「日が暮れてきたな」

「もうそんな時間なのか」

 腕時計に目をやる。時間は何故、かくもあっという間に過ぎ去って行くのか。
 明日からはまた仕事をせねばならない。それぞれの職務を全うすべく、各々の戦場へと赴かねばならない。
 階段を降りつつ、後ろの友人へと声をかける。

「MAIDは人を守る為に生まれた。つまり、騎士の従者でなければならない。この意味が理解できるか、フュールケ」

「……何となくは、ね」

 いまいち要領を得ないといった表情のフュールケに、シュミットは残された時間で伝えねばならない事を纏めた。

「MAIDを他国への侵略、そう……人を殺める道に追いやるなど、私は言語道断と考えている。
 誇り高きエントリヒ軍人たる我々は、MAIDを正しき道へと導いて行かねばならないのだ。確固たる秩序に守られた、人類の未来の為にな」

「ちょっと理想を見すぎじゃないか? 何だか途方も無い事になってるぜ」

 確かに理想主義でもあり、人々はこの考え方を嘲うかもしれない。
 シュミットはその嘲う人々を数多く目の当たりにしてきた。

「――だが、為せば成らん事でもあるまい」

 階段を降りきった所で、二人は向き合う。
 次に顔を合わせるのはいつごろだろうか。

「まぁそれだけの根性を見せるにャあ、そうとう腹くくらないといけないかもな」

「毎日のように死地に赴く軍人ならば、あるいは可能かもしれん」

 薄暗い通路に影が伸びる。
 お互いの微笑が蛍光灯に照らされ、この冷たい空間に僅かばかりの温もりをもたらした。

「忘れちゃいけないぜ。軍人だって人間だろ。それじゃあまたな」

「……ああ」



最終更新:2009年01月10日 03:57
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