Chapter 3-2 : 悩める鎖・後編

(投稿者:怨是)



 午後の部はまだ続いているのか。
 専属のMAIDを全て取り払って行う程のものだから、よほど疚しい内容に違いない。

「私が守りたいのは、こんな事ではなかった筈なのに……」

「だって、国を作るのは人間ですからね」

 ふと、視界の雪が銀から暗い灰色へと変化した事を悟り、スィルトネートは顔を上げた。
 周囲の空気などまだ暖かいと思えるような、冷たい視線がこちらを見下ろしている。

「どっどっど、ドーンと参上ですよっと」

「……ドルヒ、ですか。いかがなされましたか?」

 ドルヒ。SS長官テオバルト・ベルクマンの護衛を担当するMAIDであり、スィルトネートより9ヶ月程度後に配属となった。
 それまではスィルトネートがギーレン・ジ・エントリヒ宰相とテオバルト・ベルクマン長官の両者を護衛する事になっていたので、それに関して若干語り合ったりもしている仲である。
 確かにベルクマン長官の高圧的な態度を間近に見る事に辟易してはいたが、それを護衛するMAIDまで高圧的になるとは。精神や霊魂の皮肉を笑うしかない。
 飄々とした調子で、表情も変えずにドルヒが問いに答える。

「ただの散歩ですよ。そしたら道端に何だか面白い物が落っこちてたので、ちょっと近くで眺めてみようかなと」

「奇遇ですわね。私も外の空気を吸いに散歩に出ていたら、少し気分を悪くしてしまいまして。そろそろ部屋に戻ります。気温もこの通りですし」

「その程度で吐き気を催すようではお酒も美味しく呑めませんよ。はい、笑って笑って」

 リープフラウミルヒ。スィルトネートの好きな酒の銘柄である。
 が、喉を通るあのアルコール飲料がほのかに甘いという事を思い出し、なおかつ未だ押し下げることも叶わない側頭葉の釘と四角い塊が脳裏で混ざり合ってしまった為に、口の中に酸味が溢れるような錯覚に見舞われた。

「……笑えません」

 緩慢な動作で、しかし背にしていたいかにも汚いといった風情の壁には決して触れようとせずにスィルトネートは立ち上がる。
 長らく血流が“屈む”という姿勢に適応化されていたせいか、頭の中の痺れに伴ってふらついた。

「あら大変。吐くなら私の見えない所でどうぞ」

「……吐きません。貴女の服を汚したら、長官がお怒りになられますし」

「あー」

 ドルヒの視線が空へと飛び、その後足元へと降りる。
 考え込む姿勢に移っているようだが、内容のほうは普段のスィルトネートにとっては取るに足らないものだった。

「でも怒っている長官もちょっとコワいけど中々……」

「……」

 はいはい、いつもの妄想ね。くだらない。
 などと口にしてはまた嫌味が数分ほど返って来る上に、それに反論しても別の屁理屈による応酬となってしまう。
 不利益な時間の使い方をした挙句本当に“吐いて”しまうよりは、無視して去ったほうが幾らか楽ではないかと思った。

「ああそうそう。無視しても私の話は続きますので、そのつもりで」

 神経を逆なでするドルヒの宣言に、スィルトネートは舌打ちで答えて背にした。
 付き合っていられるか。そもそも目的意識も無くここまで来るのか。わざわざ尾行していびりに来ただけではないのか。このいけ好かないMAIDは。
 ざくざくとしたやや硬質な足音が横に並ぶ。落とした顔をそのままに視線だけを左に向けると、ドルヒが追従して来ていた。

「付いてこないで頂けませんか。貴女もただの散歩なのでしょう?」

「ええ、散歩ついでに、先ほど舌打ちしてくれた面白い物体の見物でもと」

「……」

 ただでさえ普段は寄らせない眉間の皺が、この瞬間は先ほどまでの三倍ほどは寄っているように思えた。
 きっと鏡を見ればその形相に自分でも仰天してしまうのかというほどに、両目を剥いてドルヒを凝視する。

「おお。怖い。眼力だけで人が殺せそうな顔ですね」

「……失せろッつってんだよ、糞チビ」

「おやおや、顔芸の次はチンピラの真似ですか。いいんですか? 折角散歩がてらに大事な書類とか持ってきてあげたのに、見せてあげませんよ?」

「でしたら早々に書類を渡して頂けませんか。見れば解ると思いますけれど、私は死ぬほど機嫌が悪いので」

「見ても解りませんが、いい事思いつきました。そういう時はいっぺん死ねばいいんじゃないでしょうか。私はいつもそうしてます。クセになりますよ」

「ハイハイ、おもしろいおもしろい」

「お世辞なら結構ですよ。表情からして解りますもん。正直に面白くないって云えばいいのに。素直じゃないなぁ全、く」

 我慢の限界か、スィルトネートはドルヒの襟を乱暴に掴み、雪にしっかりと跡が付くようにして力任せに引き寄せた。
 額と額をぶつけ、間近でその能面を睨みつける。睨みつけるついでに押し殺した声をドルヒに浴びせかけんとすべく、小さく息を吸い込む。

「――お前いい加減にしろよ。そろそろ殺すぞ」

「別にいいですけど、殺しても死にませんよ私。まぁ詳細は軍事機密という事で、ここはひとつ」


 両目を見開きドスをきかせて凄むスィルトネートなど意にも介さないといった面持ちで、ドルヒは唇を尖らせて反撃した。
 その態度がまた、スィルトネートのフラストレーションを過熱させる。喉から顔のふちに熱が溜まり、それがまた彼女の声のトーンを落とす。

「存じ上げておりますよそんな事は。いいから黙れ。すぐ黙れ」

「丁重にお断りしつつ喋りますね。いやはや、今日はいつもに増して荒々しいようで。私はGじゃありませんよ。もしかしてアノ日ですか?」

 男性諸君に“あれ”の痛みを伝えることは難しいが、そもそもそういった類のものはMAIDには訪れない事を、スィルトネートは思い出す。
 何故そのような知識があるのかと訊かれれば返答に困窮するが、女性も積極的に参加する国防軍などでは医学知識も心得ておかねばならない。
 スィルトネートもエントリヒ帝国の四つの軍隊の一つである皇室親衛隊に属している以上、また比較的高い立場に置かれている以上はそのような知識も学んでおかねばならないのだった。

「来るわけ無いでしょう。私は人間ではなく、MAIDですので」

「おおそうでした。私は誤解してましたよ。貴女もMAIDでしたっけ。まぁいいや。これ以上やると云い付けられそうで怖い」

 しれっとした態度や何ともカチンと来るドルヒの言動に、スィルトネートの眉がピクリと動く。
 ――云い付けねぇよ!

「云い付けません。全く……早く書類を出して頂けないでしょうか。本当に汚物まみれにしてしまうといけませんし」

「嫌だと云ったら?」

「職務怠慢で訴えますが」

 反撃するスィルトネートを尻目に、ドルヒは心底うんざりした表情で真っ黒な革製の鞄を漁り始める。
 うんざりしたいのはこちらのほうだと云わんばかりに、スィルトネートはその様子に目をやった。全体像は見ない。鞄だけを見る事にしよう。
 程なくして、乱雑に取り出されたせいで四隅が欠けたり皺が寄ったりしている書類が目の前に差し出される。

「いつも思うんですが、受け答えにユーモアが足りてませんよね貴女。とりあえずハイどうぞ。次のパーティの予定ですよ」

「……ご苦労様です」

 普通、こういった書類は丁寧に取り扱うのが常識だし、欠けた書類など以ての外の筈だった。
 なのにこの目の前のMAIDは乱雑に引っ張ったそれを、指に力を込めて手渡してきたのだ。これが嫌がらせでなければ何だというのか。
 更に、受け取ろうとして書類を持とうとするも、ドルヒがその書類を固く掴んでいるせいで取れない。

「ちなみに昨日お渡ししようと思っておりましたところ、生憎ど忘れしておりまして。ごめんなさいというか」

「解りましたから、帰って頂けませんか……それと、指の力を弱めてくださりませんと、書類が破れてしまいます」

 ドルヒは思い出したかのように指の力を緩める。
 静かな攻防の爪痕が、文字通りの爪痕が、書類にくっきりと残っていた。ああ、これをギーレン宰相に見られては、どのような咎めを受けてしまうのか。

「はいはい。だからこうして帰ってるじゃないですか。大丈夫ですか? 無理そうなら休みましょうねー。遠足というのは帰るまでが遠足ですしねー」

 ドルヒの訊ねるところの大丈夫かどうかというのはおそらく、身体ではなく頭のほうを指しているのだろう。

「そのようなユーモアなら要りませんよ」

「駄ー目駄目。全然解ってませんよその発言。世の中、四角四面では進まない事もありますし」

「でしたらその前に、貴女の減らず口を真っ二つに斬り離しておきましょうか」

 武器は倉庫に預けていない。つまるところ、そのままいつでも取り出せるのだ。鎖を少し揺らして威嚇する。
 そうこうしている内に出入り口に辿り着き、こんなやり取りを他の者が見ていたら、きっと慌てて仲裁に入るのだろう。
 だが、幸か不幸か周囲には誰もいない。ああ、誰か周りに人でもいたのなら、愚痴の相手としては最良のものだったろうに。

「うーん、全然駄目ですね。脅し文句はもうちょっと迫力が無いと。それに何だか長ったらしいし。長官の脅し文句は単刀直入で凄いですよ。おっかないですよ。傍目に聞くだけでゾクゾクしちゃいますよ」

 目の前のこの黒髪の小さなMAIDの頭蓋骨を、一握りでざくろのように砕け散らせる事が出来るのならどんなに良かったろうか。
 煮えたぎる殺意は鍋の蓋から吹き零れを起こし、くべられた薪に滴り落ちて炭をパキッと云わせていた。
 吹き零れはそのまま溜め息へと形を変え、炭の奏でる乾いた破裂音が関節を鳴らす。

「――はァ……」

「改善点が一杯で大変でしょうけど、次から頑張りましょう」

 突き当たりに差し掛かったところで、ドルヒはスィルトネートの肩に手を置く。背伸びして手を置く仕草が少し笑えたかもしれないが、そういった余裕も今は無い。
 ドルヒが「では私はこっちですので」と云って去って行くのを見ながら立ち尽くしている所、不意に彼女が振り返る。
 まだ何かあるのか。

「あっ、云っておきますけど、付いてきちゃ駄目ですよ」

「そんな事を申されましても、私は貴女の顔をもう見たくありませんので」

「なら、そっぽ向いて話せばいいと思いますよ。それでは、また」

 ああ云えばこう云う。こう云えばああ云う。
 口の減らない相手との会話はひどく疲れさせるものだったが、それに増して今日のやりとりはスィルトネートを苛立たせた。
 こちらは余裕が無いのだ。それを察してさっさと書類を渡して消えてくれれば良かったものをと、煮え立った怒りが再び沸点を迎える。

「……あのチビ、さっさと挽肉にでもなればいいのに」

 きっとこの両腕の震えは寒さのせいだけではないのだろう。
 否、寒さなど久しく忘れていた。むしろ背中が脂汗で蒸してしまうほどだった。
 多方面の苛立ちに挟まれて臨界点を迎えた精神というものは、何かきっかけさえあれば容易く爆発する。
 割と常識人の側面を持つスィルトネートは斯くの如き非常識なMAIDの非常識な目的による非常識な振る舞いに怒りを隠せない。

 嗚呼、苛立ちが止まらない。どんな戦友や知り合いであろうと、心の奥底で責め立てようものなら枚挙に暇が無い。
 無口で主体性の無いジークフリートも、普段はお高く纏まっているくせに二人きりになると口調の割に俗っぽいメディシスも筋肉バカで前に進む事しか考えていないディートリヒ(そもそもMAIDは皇室親衛隊の特権では無かったのか! 忌々しい!)もよく解らない技術の塊で出しゃばって来る竜式とやらも、根暗で何を考えているか解らないキルシュも、表情も察せないガスマスク女のスルーズも頭にモノが詰まっているかどうか怪しいベルゼリアも、ロクなモノが詰まってないと解ってて扱き使われてるアイゼナも、ロクでなしの根性を更に腐らせた登録番号Xも口を開けば恋愛沙汰しか話さないシュヴェルテも、普段何をやってるかちっとも解らないレーニも、その妹のクセに無駄に能天気なシルヴィも、言葉使いが荒っぽくて本部勤務でもないくせに先輩風吹かせまくって調子こいてるイェリコもどいつもこいつもドイツもコイツも――etc……etc、etc……etc!

 雑念と無意味な怒りと敵意を振り払うべく、手頃なコンクリートの壁に頭を打ちつける。
 左右に束ねた髪が揺れるや、脳裏に流星群が光の如く疾走し、ややあって冷たい痛みが吹き出て来た。

「あぁ、あッぁぁあぁぁ……! イライラする、イライラで死んでしまう……! いや、頑張れ私。あんなやり取りは夢か何かだと思うんだ、私はまだ行ける、私はまだ行ける、まだ行ける……」

 打ち付けられた釘を反対側に押し出すかのように壁に頭を叩き付ける。何度かそれを繰り返せば火花が脳裏の痛みを焼いてくれるのではないか。そんな淡い期待を胸に抱きつつ何度も叩き付ける。
 そこそこの数の脳細胞がこの一度の衝撃で死滅するなどと云われているらしいが、知った事か。既に死んだ身だ。MAIDを馬鹿にするな。

「……私は、まだ行ける、良し、もう大丈――」



最終更新:2009年01月24日 07:17
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