Chapter 4-1 : 四ツ色の石畳

(投稿者:怨是)





「こんな安っぽい展開でお涙頂戴できるほど、俺の心は潤っちゃいない」

 ホテルのチェックアウトを済ませたエディは、映画館に足を運んでいた。
 タイトルは“Outbreak and Out of the sky”――戦争映画に恋愛の要素を持ち込んだようなもののようだが、展開が唐突過ぎた。
 飛行場から戦闘中のシーンまでが矢継ぎ早に進みすぎるし、そもそも恋する理由も後付けではないか。
 何より、主役の演技が下手すぎる。これで感情移入できるわけがない。

 おい、お前だよお前。あんなので泣けるたぁ、おめでたい奴だぜ。どうせその涙もぶりっ子なんだろ?
 エディはすれ違ったカップルに即死級の眼光を毎秒六千発の速度で突き刺し、昨日の雨が嘘のように陽光の降り注ぐメインストリートへとその身を晒した。

「……一人きりになるとどうも理屈っぽくなっちゃって困るよな」

 嘘こけ。理屈っぽいのを演じてるだけで、ホントはすっからかんじゃねェか。心のうちのもう一人の自分が槍を構える。
 四色の石畳が昨日よりも鮮やかに、エディの視界を焼いている。俯いてなお、陽光から目を逸らす事すら許されないとは。
 エディにとって、この陽光はあまりに残酷であった。早朝によく発生する濃霧のほうが、彼にとってはまだ優しい。
 光が強ければ強いほど、そこに現れる影はくっきりと彼の視界に現れるのだ。
 影も、そうでない部分も、全て曖昧に包み込んでくれる濃霧のまどろみのほうがずっと優しい。ずっと癒される。

 ――助けてくれ。
 誰か、助けてくれ。涙も、何もかも乾ききっちまった心を、助けてくれ。
 俺は少し前まで戦ってきた。国を守る為に、一人の女を守る為に戦ってきた。
 戦ってあんたらを守ってきたんだ。だから、助けてくれ。

 過去の栄光にすがりつきながら歩いても、やはり心の中の叫びなど誰にも届く事は無い。
 見上げれば、どうやらMAIDらしき者らが空中でパトロールをしているようだった。

「鳥に、なりてぇな……」

 空戦MAID。そしてそれで構成された飛行隊、ルフトヴァッフェ。ベーエルデー連邦の“特産品”である。
 あれを間近で眺めさせるためなのか、ベオングラドのホテルはどれも背の高い建物ばかりだ。
 昨日道案内をしてくれたトリアというMAIDもおそらくは空戦MAIDの一人なのだろう。
 エディが知る範囲では赤の部隊、黒の部隊、白の部隊だけだったが、その中のどこかにいるか、または他の支援部隊の所属なのか。
 彼女の翼がどんな色をしているかも判らない。が、きっと悪い色ではないはずだ。

 そういえば、エントリヒ帝国にも帝都防空飛行隊という空戦MAID部隊がいた。
 帝国側でもフライ級に対抗すべく、ベーエルデー連邦からのコア供給を受けるなどして編成したというものだ。
 国外派遣などもかなりの頻度で行われていたのであまり共同作戦にあたる事は無かったが、あれの規模さえもう少し大きければと思う事はあった。
 今日もこういう空を、寒い中戦っているのだろうか。
 などと勝手な思考をぐるぐると回転させながら、行く当ても無くアークシズ通りの石畳を靴で鳴らす。


 路地裏がぽっかり口をあけている。
 いささか眩しすぎた陽光に眩暈をおこしかけながら、先ほどから左腕を圧迫しているトランクもそろそろ地面に置いて一休みでもしようと、その口の中へと歩みを進めた。

「路地裏は涼しいぜ。何故なら光があまり届かない」

 どっかりと、トランクの上に腰掛けたら、途端に空腹が脳を突いた。
 すっかり冷え切った保温弁当を開け、あまり美味しくないザウアークラウトの汁を啜る。
 ザウアークラウトはキャベツの漬物であり、調味料と共に塩漬けにして乳酸発酵させたものだ。
 この国のザウアークラウトはどうにも薄味すぎるし、それを誤魔化すためにスープが付いているようだった。
 捉えようによってはかなり健康的な味でもあろうそのキャベツを口に放り込み、咀嚼する。


「よう兄ちゃん。ランチの最中で悪いんだけどさ」

 おう! 何だ。俺のことか!
 エディは食事中で喋るほうの口が開かず、視線だけで応答する。見れば柄の悪い兄ちゃんが数人ほど、こちらに熱烈な視線を送っていた。
 まだ咀嚼も充分に済ませていないキャベツを無理矢理飲み込み、話の続きを伺う。

「まァそんなビビんなって。ちょっとお小遣いとかその辺を、ね? ほら、俺ら観光業界の人でさ。案内料とかそういうの、前払いでさ」

 リーダー格のような男が、たどたどしい口調で必死に恐喝の口実を紡ぎ上げる。
 どう贔屓目に考えても、ここまで“おっかなさ”には程遠いチンピラなどそうそういない。先ほどの映画よりも面白そうだった。

「おーおー、スゲー。かつあげの言い訳を考えてる奴なんて初めて見た。はっはっは、可愛いぞアンタ」

「……うるせぇタコ! ぶッ殺す!」

 口実を考えるのが面倒になったのか、チンピラグループがいっせいに殺気を爆発させる。

「恐いなぁ、物騒だなぁ」

 流石にこんな人数に囲まれてしまっては、元軍人のエディでも対処が難しかった。
 そうなれば自然と、懐に忍ばせた拳銃に手が伸びる。放浪を続けてむこう数ヶ月、一度も活躍した事のなかった拳銃だった。
 ヴァトラーP.38……黒い塊がするりと引き抜かれ、路地裏の据えた空気に晒される。
 一瞬にして、チンピラ達の顔が青ざめた。丸腰相手に9mmの弾丸は過剰防衛だし、こんな浮浪者風の男が実は銃を持っていたのだ。
 自衛手段すら存在しないと思って高をくくっていたチンピラは、狼狽の色を隠さずに周囲に伝える。


「ハジキだと――! おい、止まれ! 止まれ!」

「――!」

 はっはっは。チンピラどもめ、ビビっておけよ。
 そうさそうさ。下手に動いてみろ。9mmの弾丸がてめぇらの肉を抉っちまうぞ。こちとら元軍人さんだ。この距離なら外しゃしねぇよ。
 どうだチンピラども。動いてみるか。動くか! 動くか! 動かないか!



「そこまでだ! 下賎の者ども!」

 拮抗状態は、突如として天空から打ち込まれた声に、叩き割られる。
 エディの後ろから、若い男の声が高らかに響く。何と朗らかな声か。

「とぅ!」

 長身の男がふわりと黒いコートと金の長髪をたなびかせ、サーベルを片手にエディの眼前へと舞い降りてきた。
 何と、鮮やかな登場か。低くはないであろう場所から如何様にして飛び降りてきたのか。
 チンピラ連中はずっとこちら側に視線を固まらせ、呆気に取られている。そこに次なる言葉を突き刺すべく、男が口を開く。

「貴様らのような害虫が……この世の心を腐らせるッ!
 貴様らのような害虫が……この世の光を奪い取るッ! 成敗してくれようぞ! 覚悟はいいか!」

「……――!」

 何と……唐突な登場か。
 チンピラ連中は口々に何かを叫びながら撤退してゆく。
 その様子を遠巻きに眺める長身の男は、ややあってからエディに振り向いた。

「君、怪我は無いかね」

 呆気に取られるエディに、金髪長身男が手を差し伸べる。
 握手でもしようというものなのか。

「まぁね」

 差し伸べられた手を無視して足元に目をやれば、いつのまにか捨てていたランチボックスが、転がって無残な様相を呈していた。
 安くはない昼食だったのにと残念がるエディを見て、金髪男もまた、残念そうな表情を浮かべる。

「……仕方ないさ」

「そうだね」

 仕方ないと片付けるのは容易いが、なまじこの石畳の掃除が綺麗に行き届いているために、そのまま拾って喰えそうな気がしてならない。
 流石に隙間に入り込んでしまったキャベツまで拾い上げる事はままならないかもしれないが、そうこうしているうちに、水溜りに油が浮いてきている。
 油と水との最終決戦が今、この日陰の水溜りで行われようとしていた。しかし、それもまた人間には無意味で瑣末な化学反応のひとつに過ぎない。
 視点が違えば見えるものも異なる。空と海と陸とでは、見えるものが違う。
 当たり前ではないか。エディに油は“すく”えない。
 零れてしまったキャベツが、再び自らの足でランチボックスに還る事は永遠に無いのだ。

「気になるのかね」

「諦める。駄目だこりゃ。そんな事よりありがとさん。おかげで財布も無事だよ」

 拳銃を懐のホルスターに仕舞いこみ、財布を鞄越しに叩く。鞄のわずかな膨らみから、確かに効果のぶつかり合うような金属音が、小さく響いた。


「気にしないでくれたまえ。私も同じく、困った者を助けるのが仕事だ。丁度、私も行く当てが無かったのでね。ご一緒してもいいかな?」

「お好きなように。あんた、名前は」

「そうだった。紹介が遅れたな……故あって本当の名を名乗るわけには行かぬ。君の拳銃にちなんでカール・ヴァトラーとでも呼んでくれたまえ」

「……ヴァトラーちゃんか。そいつぁすげぇや」

 感嘆の言葉を口に出したのには理由がある。
 ヴァトラーP.38や、他にも沢山の銃を生み出したヴァトラー社。カール・ヴァトラーとはその創設者のフルネームである。
 本物は1915年には墓の中で静かに眠っているし、幽霊がこんな辺鄙な路地裏に遠路はるばるやってくる事は無いのだが、その名前をこの貴族風の男が名乗っているのだ。
 サインの一つでもねだってやろうかという気分にはなる。

「俺はエドワウ・ナッシュ。エディでいいよ」

 簡素な自己紹介を済ませ、早々に路地裏から立ち去る。
 喧騒のせいか先ほどのやり取りも気付かれている風も無く、表通りはやはり、昼食をとる前と同じように平和な笑顔が立ち並んでいた。
 赤、白、青、黒の四色の石畳の照り返しが、人々の笑顔をより鮮やかに彩っている。
 恨めしいし、妬ましい。それでも、妬む権利が自分にはあるのかと問われれば、エディはきっと返答に窮するに違いなかった。

 ヴァトラーは悠々とした足取りで隣を歩く。
 今のエディにとっては、彼が一番頼もしい存在だった。当てのない足踏みを、彼はどうにかして牽引してくれる。
 終わる事のないこの荒んだ灰色の旅行に、ポイントごとの目的地を設定してくれる。そんな気がする。
 もうすぐ半年間になろうとしている旅行に、ようやく随伴者が現れてくれたのだ。

「あんた、旅を始めてからどれくらい?」

「そうだな……私は五ヶ月くらいだったかな。去年の11月は寒かった」

「奇遇だな。俺も同じくらいなんだ」

 話を望めばこちらに応じ、沈黙を望めば気配さえ消えそうなほどに黙る。
 ただの沈黙は孤独であるが、お互いの了承の元に、お互いの信頼関係の元に生じた沈黙は決して孤独ではない。
 そこに存在する沈黙は、まるで密接に絡み合う指と指のようであり、無意識の呼吸である。

 ガンショップで銃の手入れをしている時も、彼はその悠々とした笑顔を止める事はなかった。
 クロッセル連合王国は同じ大陸の地続きとなっているだけあって、やはり部品の相互調達はできているようだ。
 元々地続きの隣国という事もあるが、エントリヒの銃器メーカーの流通が行き届いているのはありがたい。
 傷だらけのままだったヴァトラーP.38拳銃は綺麗に磨かれ、中身の部品も土が取り払われて新品へと交換される。
 ガンショップの店員からは、よくこんな状態になるまで放置していたなと小言を喰らってしまったが、そんなのは瑣末な問題である。
 どうせ殆ど使うようなものでもないし、今日のこの日までただの鉄の塊のようなものとして存在すら忘れかけていたのだ。

 あらゆる呪縛から解き放たれて心なしか軽くなったであろうP.38拳銃を懐に仕舞いこみ、代金を支払い終えて近くのカフェへと足を運ぶ。
 テラスからは、地下鉄の出入り口からひっきりなしに中へ外へと流れ込む人々の姿を観察できた。

「なぁヴァトラーちゃん。あんたは、何で旅をはじめたんだ?」

「ただ、悲しかっただけだよ。心の痛みを慰めるために飛び出してきた」

「そうか……」

 コーヒーを二つ注文したが、ヴァトラーは一向に手をつける様子が無い。ただ、ただ、テラスのフェンスの向こう側の喧騒を眺めるだけだ。
 風に揺れる金髪が、陽光に照らされて眩しい。彼の澄み切った青い双眸もまた、眩しそうに細められていた。
 彼も光を失ってしまったのだろうか。一度、心の光を失ってしまえば、外の光は邪魔者でしかない。
 だが、どうして彼が悲しいのか、エディはそこまでは訊かなかった。訊けば、きっとヴァトラーもこちらに同じ質問を返すだろう。
 この当てのない旅を始めてしまった理由を問われても、エディは答える気になれないし、ヴァトラーのように上手くはぐらかす自信もない。
 話題を変えよう。近しい話題のほうが誤魔化しが利く。何か無いものか。
 ――ジークだ。

ジークフリートは、知ってるか」

「もちろんだ。私は彼女をよく知っている」

 やはり全世界にその名が知れ渡っているのは間違いない。あれだけ大々的に宣伝されているのだ。
 上を見上げると“ルフトヴァッフェ VS ジークフリート! ルージア大陸最強MAID達が共闘する!”という看板が、それはよく目立つように聳え立っているではないか。
 その下に書かれている文字は“ルフトヴァッフェ……ベーエルデー最強のMAID部隊、ジークフリートの記録に挑む!”か。エントリヒ帝国内でやらかせば極刑は免れられないだろう。
 そうしてしまえば……可哀想に。死神の足音が彼女らに近寄りつつあるに違いない。
 トリアというMAIDも、あの看板に載っている空戦MAIDも、いずれは作戦中に撃墜されるに違いない。可哀想に。

「……どこまで知ってるんだ?」

「彼女が何故、最強と呼ばれているのかまでね」

「そりゃあ驚いた。何でだと思う」

「肩を並べるMAIDを根こそぎ処分して、そうして消されたMAIDのスコアまでジークフリートのスコアに統合しているから。ではなかったかな」

 同じ認識だ。このヴァトラーと名乗る男もまた、消されかけたMALEの一人ではないかとさえ思えてくる。
 つい先ほどこの男が飛び降りてきた時から感じていたエディの奇妙な一体感は、ここに来てより一層厚みを増した。

「どれくらい知れ渡ってるんだろうな」

「解らない。犠牲者は悉く歴史の表舞台から姿を消されているから、あの看板に映っている事が多くの人々にとっての真実ではないかな」

 多くの第三者にとっては、表向きの肩書きが認識の軸となる。
 その裏をいくら探ろうとして脳裏や想像力などから辞書の類、計算書の類を引っ張り出そうと、こびり付いた具体的な数字を覆すのは難しい。
 例えば百という数字があるとしたら、その百よりどれほど少ないか、または多いかという具合に“つい”考えてしまうのである。
 その百を構成するうちの“一”が“一の仮面を被った二”でない保証はどこにもないという考え方はできよう。
 だが、思考の辿り着ける限界など、人間が空の上へと辿り着けるそれよりも更に低いのだ。
 天才と呼ばれる人間でさえ辿り着けない境地を、多くの凡人が何故辿り着けると云い切れるものか。

「口を開きゃあ“最強”って言葉ばっかりだ。笑わせるぜ」

 303作戦当時とて、エディに云わせてみればそうだった。
 彼は昔にその作戦に通信兵として従事していた事があったが、その当時に“最強”の陸上戦力として期待されていたMAIDは、いとも簡単に壊滅した。
 そういえば、その中で奇跡的に生き残ったMAIDが、一体だけ居たか。

 P.38拳銃と同じように、今まで久しく忘れていたが……“彼女”は確かに存在していたのだ。
 ジークフリートが現れるまで、あのグレートウォール戦線で、エントリヒ帝国内のみならずクロッセル連合王国側にまで“軍神”として名を轟かせていた“伝説のMAID”が。
 今でこそ殆ど語られる事は無い。ジークフリート伝説に上書きされて薄れていってしまったし、関係者は一様に口をつぐむ。
 エディにとってもあまり関わりの無いMAIDであったし、彼女自身もこちらの事など覚える暇も無く機能を停止した。

「ついでに訊くけどさ――」

 笑いが込み上げてくる。何故、今まで忘れていたのだろう。
 今にして思えば、あれこそジークフリートを取り巻く現状の、大元にあたる存在だったのではないだろうか。

「……もしかしてあんた、ブリュンヒルデも知ってるんじゃないか?」

「勿論」

 喜ばしい事実である。さてこの喜びをどこへ持って行くべきだろうか。
 エントリヒ帝国の事情など、もはやエディには関係の無い話だ。今更顔を見せにいくのも億劫である。

 地下鉄から、レベルテ行きの列車にでも乗り換えようか。レベルテから、砂漠を乗り越えザハーラへと足を踏み入れてみようか。
 ザハーラは多くのMAIDが派遣される国だ。謂わば国際MAID展示会を戦場で行っているようなものだ。
 その先々での各国のMAID事情とそれを取り巻く思惑の数々を、出来る範囲で観察するのも楽しいかもしれない。



最終更新:2009年01月31日 11:15
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