VG・FRE戦争

VG・FRE戦争
参戦国 ヴィリニュス公国
ユークバニア連邦共和国
干渉国 Yaholinsk
亡命先 プシェミスル朝チェキア王国
蒼星連邦国
シェラルド王国
スミトラント連邦王国
ノビリオル朝トラキア・ローマ帝国
戦闘地域 VG・FRE国境周辺地域及びVG領
被害状況(VG)
被害状況(FRE)

概要

VG・FRE戦争は統一歴152年5月に勃発したヴィリニュスとユークバニアで発生した戦争である。
事の発端は過去発生したヴィリニュス・ユークバニア国境紛争で深まった両国の禍根である。
ヴィリニュス側としては東方方面軍司令官および領軍への懲罰出撃等で納めた形はとっていたが作戦司令部としては、
東方方面軍だけで押し切れると思っていた紛争で押し切れなかったのが上層部を刺激した。
その鬱憤がたまった結果が戦争を引き起こした。
一方、ユークバニア側としてはヴィリニュスに紛争の発端の責任を負わせる形で戦闘を終結することができたものの、期待された領土の獲得または実効支配を達成することができなかった。

背景

ヴィリニュス東部のムスツィスラウを始めとしたヴィリニュス-ユークバニア国境付近では多くのユーク系住民が居住していた。しばしば民族的問題からこの地域では衝突が繰り返されてきたが、様々な歴史的経緯からその帰属はヴィリニュス側のものとされていた。しかし第4次欧州大戦の勃発により領土問題が再燃することとなる。
大戦後半、フランス軍によるロシア遠征戦にて、ユーク軍が敗走するフランス軍を追撃する際に各所に補給拠点や前哨基地を設営していったため、東欧には一時的にユークバニアの支配する地域が生まれた。戦争終結後、ユーク軍は撤退し、国境は戦前のものに戻されたが、ユークバニアは領土返還を主張し始めた。

ヴィリニュス・ユークバニア国境紛争

上記の民族的対立や政治的対立、係争地の存在から国境紛争が勃発した。ユークバニアの領土返還請求以来微妙な緊張関係にあった両国だったが、統一歴年より小競り合いが頻発していた。銃撃の応酬は徐々にエスカレートし、ついに統一歴年にはヴィリニュス軍による大規模砲撃にまで発展した。ユークバニア政府は「一方的な攻撃であり、明確な戦争行為」として激しく非難した。

カティニ航空戦

一連の戦闘はヴィリニュス空軍によるユーク空軍カティニ基地襲撃をはじめとした大規模航空戦と、それと同時に行われた宣戦布告により発生した。
ヴィリニュス空軍は8月11日の早朝、多数の戦闘機・攻撃機を同時にユークへ浸透させ、いくつかの前線飛行場や基地を襲撃した。当時、国境紛争以来ユークバニア軍は警戒態勢にあったものの大規模な戦闘は予想しておらず、紛争地域を中心とした対ゲリラ・砲兵に重きを置いていたため、この攻撃への対応が遅れた。
結果、国境に一番近い大型滑走路を持つカティニ基地は徹底的に破壊され、いくつか前線飛行場も機能不全に陥った。これにより、ユークバニア空軍はヴィリニュス側攻撃機・爆撃機の侵入阻止に手一杯となり、国境の航空優勢を一時的に手放すことになった。
ヴィリニュス軍は攻撃の成功を確認すると航空支援のもと、次々と国境を突破した。
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掩蔽壕ごと撃破されたユーク空軍機、カティニ基地で撮影

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炎上するユーク攻撃機。カティニ基地は機材・滑走路ともに大損害を受けた

クリンツィ攻勢

航空優勢を確保したヴィリニュス軍は国境紛争地域とモギリョフからスモレンスク方面へ、ホメリからブリャンスク方面へと侵攻を開始した。ブリャンスクへと突き進むヴィリニュス軍に対してユークバニア軍はクリンツィに防衛線を敷いて食い止めようと展開し、激しい攻防戦が繰り広げられた。
陸軍部隊の火力ではユーク軍がヴィリニュスのそれを凌駕していたが制空権のない状況では部隊の移動すらままならず厳しい戦いを強いられていた。また、ヴィリニュス軍の電撃戦により充分な準備ができておらず、侵攻を鈍らせはすれど止めることはできなかった。


ヴィリニュス軍は疲弊し、停止を余儀なくされた。

ユーク軍の反攻


トゥハチェフスキ作戦


その後

ユークバニアの攻勢を前にヴィリニュス軍は各個に撃破されていき、崩壊した。
最終更新:2021年09月26日 18:45