バベルの夢 ◆n7eWlyBA4w



 この遺跡の名前は、なんといっただろう。


 どこかで聞いたことのある名前。遠い言い伝えに出てくる名前。


 そうだ、思い出した。『BABEL』。この遺跡の名は『バベルの塔』。


 昔、驕った人々が建てたという天まで届く塔と同じ名前。


 だけどお話の中では、その塔は神様の怒りに触れた。


 大地に満ちる人間ごときが天に並ぼう、天を超そうだなんておこがましいと。


 だから神罰は下された。塔はばらばらに崩され、人々は散り散りになった。


 かつて一つだったはずの言葉を分かたれるという、重い罰を背負ったまま。


 だけど、おかしいと思うのだ。


 人はみんな、手の届かないところへ憧れを抱くものだと思うから。


 誰よりも上へ。誰よりも高く。誰よりも遠くへと。


 憧れの先へ、少しでも近付きたくて、ただ、ただ手を伸ばし続けて。


 そうやって、天を目指したことの、いったい何が罪だったというのだろう。



   ▼  ▼  ▼



 バベルの塔の頂に、風がそよぐ。
 まるで別の世界にいるみたい。辛い現実から切り離された場所、そんな風に思える。
 私――渋谷凛は、そんな隔絶された場所で、ひとり、こうして風に吹かれていた。

 心まで大気に溶けて宙を舞っているみたいで、いつまでもこの無重量に身を任せていたいくらい。
 だけどこれは、きっと現実逃避。私らしくないな、と思う。
 でも、今日は色々なことが、本当に色々なことが、起こりすぎたのだ。
 痛いこと。辛いこと。悲しいこと。苦しいこと。
 理不尽な現実。理不尽な脅威。理不尽な、本当に理不尽な別れ。
 目にも耳にも心にも蓋をして閉じこもっていたいと思ってしまうのは、きっと自然な形なんだろう。
 それを自分で受け入れられるかどうかは、別として。

 塔の上のブロックが平らになっているところへ、私は体を横たえた。
 人ひとりぐらいは十分収まる余地のあるその空間に、ディパックを抱くようにして転がる。
 固く冷たい床すら心地よく感じるくらいに、私の体は疲れ果てていた。
 こうしていれば下から見つかることもないだろう、そう頭の片隅で考えながら、本当の心配事に思いを巡らす。


「卯月は無事みたい、かな。良かった……」


 良かった。あの放送を聞いてそう思ったのは、間違いないことのはず。
 卯月が生き延びていてくれてよかった。私にとって卯月は、掛け替えのない仲間で、親友だったから。
 もうひとりの仲間には……未央には、もう、もう二度と会うことなんて出来ないから。
 だから、卯月が生きていてくれるのは嬉しい。偽りのない私の気持ち。
 それなのに、どうしてこんなに、胸にしこりが残ったままなのだろう。


(私は、卯月が無事で嬉しい。……卯月は、私が無事で、嬉しいのかな)


 ずっと心の隅に刺さったままの、小さな小さな棘。
 いつもなら、吹けば飛ぶくらいに些細な疑念。そのはずなのに。
 卯月にとって私がそんな軽い存在なわけないって、胸を張ってそう言えるはずだったのに。
 あの後ろ姿が、私を置いて逃げていく背中が脳裏にちらついて、そのたびに心が疼く。

 未央も、それから新田さんも死んでしまった。
 一緒に逃げていった榊原さんも、どうなったか分からない。
 私も、ただ死にたくないの一心で、必死にここまで走ってきたから。
 だから卯月も、ただ必死なだけだったんだと、そう信じたい。
 でも……一度でいい、私のほうへ振り返って欲しかったと、そう思うのはおかしいことだろうか?

 そこまで考えて、改めて実感する。

(……いつの間にか、こんなに私の中で大きな存在になってたんだ、卯月)


 最初は、たまたま同じ時に居合わせてユニットを組むことになっただけの子だと思ってたのに。
 あの笑顔に癒されて、希望を感じて、居場所だと思うようになってどれくらい経つだろう。
 彼女が変わったのだろうか。ううん、私が変わったんだろう。

 そう考えて、いつか同じようなことを言われたのを思い出した。


(奈緒、加蓮……どうしてるかな)


 今も生き残っているはずの、私のもう二人の大事な存在。
 彼女達は今どうしているだろう。今の私を、どう思うのだろうか。
 卯月達と出会って変わったと言われた私の、今の姿を見て。


 駄目だ、思考がまとまらない。あまりにも頭の中が疲れ果てている。
 今すぐ考えないといけないのに、そんなにうまく体は動いてくれないみたい。   


 観念して目を閉じる。そして混濁していく意識の中で、私は私のこれまでをおぼろげに思い出す。



   ▼  ▼  ▼



 最初は、ほんの小さな約束だった。


 事務所の手違いで合格を取り消されそうになって、それから抗議とか署名とか一悶着も二悶着もあって、
 なんとかアイドル候補生という形で事務所に残ることができた私達。
 いつ来るかも分からないデビューを目指して、ただひたすらにレッスンに打ち込む日々。
 努力することは嫌いじゃないし、真っ直ぐに目標を目指すことには生き甲斐を感じる。
 だけど、出口が見えないとなると、穏やかにはいかないことも少なくはなくて。
 少し鬱屈してたそんな頃、私は彼女達とレッスン場で出会った。


 彼女達と私は同じアイドルデビューを控えた候補生だったのだけど、不思議と気が合って、
 いつの間にか一緒に過ごす時間が少しずつ増えるようになっていった。

 なんというか、すごく居心地が良かったんだと思う。
 卯月や未央といるのがつまらないとか、そういうことじゃない。
 最初は戸惑いも大きかったけど、卯月の爛漫さや未央の溌溂さには私自身惹かれるようになっていたし、
 一緒にいると楽しいと感じるようになってきたと思う。
 だけど三人は、三人それぞれがバラバラの個性の持ち主で、それが持ち味でもあったのだけど。
 だからこそ、なのかもしれない。私は、他の拠り所を無意識に欲しがっていたのかも。
 つまり、私が私らしく振舞っていられる、そんな人の輪を。

 ぶっきらぼうで無愛想な私。跳ねっ返りの奈緒。どこか斜に構えた加蓮。

 早い話が私達三人はアイドル候補の問題児で、実際トレーナーさんも手を焼いていたように見えた。
 そんなはぐれ者同士の連帯感みたいなものが、私達を引き寄せたのかもしれない。
 レッスンが上手くいかなかった時、将来に不安を感じた時、ただなんとなく一緒にいたい時。
 そんな時、私達は一緒につまらないことを話したり、話さずにただ同じ時間を過ごしたりした。

 だけど、そんな時間も永遠じゃなかった。
 だって、私達はアイドル候補生だったのだから。
 いつまでも、蛹のままではいられなかったのだから。


「私、今度、本当のデビューが決まったから」


 私がそう口にしたのは、その日のレッスンが終了してシャワーで汗を流した後の、ロッカールームでだった。
 卯月はプロデューサーに用があるとかで先に行き、未央は自主トレで居残るというので、
 私だけロッカールームに戻ってきたところで奈緒と加蓮に出くわしたのだ。
 これを口にしてしまえば、私達は今までと同じ横並びではいられなくなる。そう考えると躊躇いもあった。
 だけど、私達の間で隠し事なんて無しにしたいと思ったから、私は包み隠さず話した。

「まずは小さなイベントからだけど、ユニットとして出番があるって。ステージで歌も歌えるって」
「そっか。まぁ、オーディションあったのだいぶ前だしな」
「ホントにアイドルになっちゃうんだね。なんか実感沸かないなー」

 口調は平静を装ってるけど、二人が内心で動揺していたのは見れば分かった。
 加蓮は座ったまま二つ結びの髪の先をしきりに指先でいじっているし、奈緒に至っては空のペットボトルに口を付けてる。
 それでいながらいつも通りを取り繕っているのが、なんだか不自然で、少し寂しくも感じて。
 でも、私が同じ立場だったらやっぱり落ち着かないだろうから、余計な詮索はしなかった。

「二人も、きっとすぐだよ。レッスンの成果、出てるじゃない」

 向けられた言葉にそう返したのは、お世辞なんかじゃなく本心だった。
 自分だけ先にデビューが決まったという慢心とか見下しとかじゃなくて、私の本当の気持ち。
 いつも口をつくのは文句ばかりだけど、二人がそれぞれに努力を重ねているのはよく知っていた。
 それが思うように身を結ばない苛立ちとか不安とか、そういうものを抱えているから、
 一層真っ直ぐに夢を見るのが怖くなっていたのかもしれない。

「あ、あたしはさ、わざわざあたしをスカウトしたプロデューサーの面子を立ててやってるだけだって」
「そうそう。それにアイドルとか、改めて考えると疲れそうだし。アタシまだまだ体力ないからさ」

 ほら、素直じゃない。 
 本当は、ずっとずっとずっと、ずっと憧れ続けているはずなのに。
 悔しさに真正面から向き合うのすら怖いくらいに、夢に身を焦がしているはずなのに。
 だって、私も少し前までは、同じだったかもしれないから。
 そう、だから。

「奈緒、加蓮。私、先に行ってるから」

 私の言葉に、えっ、と声を漏らしたのは二人のうちのどっちだったろう。
 戸惑いを含んだ二人の視線から顔を背けずに、私はただ前を向いていた。 

 だって私達は本当に似た者同士だったから。
 馴れ合いと言われれば、そうかも知れない。
 傷の舐め合いと言われれば、違うとは言い切れない。
 だけど、私はそのままでいたくなかった。
 自分が上を目指すのと同じくらい、二人にも上を見て欲しかった。

「私は、先に行く。もっともっと輝いて、昨日の自分が羨むぐらいの私になるために。
 だから、追いかけてきて。私、待ってるから。先に行って、待ってるから」

 だからこうして、私は初めて二人の前で夢をはっきりと口にした。
 奈緒も、加蓮も、私がこういうことを言うなんて思ってなかったのか、呆気にとられていたけど。
 だけど、馬鹿みたいって笑ったりはしないと、私には分かってた。
 近くにいたから分かる。どんなにひねくれて見せたって、私達はずっと、同じものに焦がれていたんだから。
 だから二人が照れ臭そうに、きまりが悪そうに、だけどまんざらでもないように頷いた時、
 大げさかもしれないけど、その時本当の意味で私たちは友達になったんだと、そう感じた。


 これが私が初めてステージに立つ前の、誰も知らない小さな出来事。


   ▼  ▼  ▼


 その日から、いくらかの時間が流れた。

 『ニュージェネレーション』は無事デビューを果たして、最初は順風満帆とは行かなかったけど、
 徐々にファンも増え、知名度も上がって、ユニットとしてのアイドル活動も軌道に乗り始めていた。
 仕事が増えてからは忙しくなって、奈緒や加蓮とも昔のようには頻繁に会えないぐらいだった。
 特に私は運にも恵まれたのか、ソロCDまで出すことができて、人気も本格的に出始めて。
 自惚れるわけじゃないけど、「ニュージェネの一番人気」と見出しを付けられることも多くなった。
 嬉しいことだと思った。少しずつ私が夢見た場所に近づいているような、そんな実感が確かにあった。
 だけど、それと同時に、どこか満ち足りない気持ちもあった。
 それが何かはっきりと気付く暇もないまま、私は加速する時間の中で慌ただしさに忙殺されていった。 

 そんなある日。ここ数日、事務所の中は軒並み浮き足立っていた。
 シンデレラガールズ総選挙という今まで類を見ない大規模なイベントがまさに開催中だったからだ。
 私も中間発表が近付くにつれて、誰にも言わないけれど眠れない日々を過ごしていた。
 もっとも結果的には、その結果は予想をいい意味で裏切る形になったのだけれど。

 ――渋谷凛、中間18位。

 自分でも、思わず目を疑った。 
 ただでさえ票が割れるユニット所属のアイドルとしては、快挙と言っていい順位。 
 特に、既に人気グループとなっていたFLOWERSの面々よりも上に行けるなんて自分でも驚きだった。
 暫定一位の十時さんとは尋常じゃないレベルの差がついているけれど、絶望感は感じなかった。
 次は今よりも少しでも上を目指していけばいい。そういう実感が湧いてきていたから。
 自分のやってきたことは無駄なんかじゃなかった、それだけで震えるほど嬉しい。

 だけど、そんなことを無邪気に喜べるほど私は能天気でもなかった。

「おめでとう、凛ちゃん! 18位だって、凄いよ!」
「ありがとう、卯月。こんなのまぐれみたいなものだから」

 卯月との会話も、どこか白々しい。
 彼女の中間順位は29位。公開される順位は30位までだから、崖っぷちで引っかかっている状態だ。
 だけど、卯月の心を波立たせているのは自分のことではないだろう。卯月はそういう子だから。
 その証拠に、ちらちらと彼方に向ける視線が隠せていない。その先にいるのは、言うまでもなく。

「あはは、流石しぶりん! 私なんかじゃ全然かなわないなーっ」

 空元気でなんとか場を和まそうとする未央の姿がそこにあった。
 彼女の名前は、ランキング表にない。三人中一人だけ、30位以内に入れていなかった。
 気丈に振舞ってはいるけれど、それがどんなにショックで辛いことなのかは伝わってくる。
 そもそも、未央はまだソロCD発売の目処すら立っていないのだ。
 一人だけ大きく出遅れていることがどれだけ彼女の重圧になっているのか、想像するとやり切れない。

「いいよいいよ、二人とも! 私に気を使ったりしないでさ、もっと喜ぼうよ」

 だからこうして自分を押さえつけながら、周りに気を使おうとする未央の姿が痛々しく思えて。
 私は、そんな未央の姿は見ていたくなかった。未央には、元気でいて欲しかったから。
 自分を犠牲にするところなんて見たくないし、犠牲になるべき子でもない。

「私の友達が二人もランクインしたんだよ、私だって嬉しいよ。そもそも私の出る幕なんてなかったな、なんて」
「み、未央ちゃん、そんなこと――」
「ううん、あたしよくパッとしないなーって言われるし。そもそもあたしに取り柄なんて……」


「そんなことないっ!!」


 突然の声が、事務所のフロア内に響き渡った。

 叫んだのが他ならない自分だったってことに、最初は私自身も気がつかなかった。
 未央も、卯月も、ぽかんとした顔でこっちを見つめている。
 急に何やってるんだろ、私。そう思うと急に勢いが萎んでいって、

「わ、私は未央のいいところ、知ってるから。私だけは、ちゃんと……」

 そう言い終える前に顔が耳まで赤くなったのを自分でも感じて、

「……やっぱり知らない」

 そのまま椅子にすとんと腰を落として、真っ赤な顔のままうつむいた。
 二人の視線がなんだか痛くて、視線を所在なく彷徨わせる。
 あーあ、本当に何言ってるんだろ。こういうの、私のキャラじゃないのに。
 もっとクールなビジュアルイメージで売ってるのに、こんな簡単に熱くなるなんて。
 でも、どうしても我慢できなかったから。
 私にとって未央はそんなつまらない人間じゃない。そう思ったから。
 未央が誰よりも頑張り屋で一生懸命で負けず嫌いだってことは、よく知っているから。
 だから、他ならぬ彼女自身にだけは自分を卑下して欲しくなかったのだ。

 そんなことを考えながらちらっと目を上げたら、目の前で卯月がぼろぼろ涙をこぼしていた。

「…………」
「う、ううっ、凛ちゃぁん」
「な、なんでそこで卯月が泣くの!?」
「だ、だって凛ちゃんの優しさが心にしみたんだもん、ぐしゅっ」
「あーあー鼻水垂れてる。ほーらしまむー、ちーんしましょーねー」
「うー……」

 未央が手際よくティッシュを用意して、卯月に鼻を噛ませる。
 そのまま卯月を子供相手みたいにあやしながら、未央は私だけに聞こえるように言った。

「ありがとね、しぶりん。ホント言うと、ちょっと楽になった。
 しまむーも言ってたけどさ、やっぱりしぶりんは優しいよ」

 優しい、のかな。自分では分からないけど、二人にそう思ってもらえたのは、純粋に嬉しい。
 それと同時に、二人の好意を嬉しく感じる自分自身に、少し驚いた。
 いつの間にか、卯月と未央の存在は、私の中で凄く大きなものになっていたみたい。

 私ひとりの夢は、私ひとりでは叶わない夢になっていたんだ。
 そのことが自分でも意外なくらいに幸せに思えた。
 もう、これからずっと、私はひとりじゃない。今ならそう信じられるから。 
 だから私達は、これからもっともっと幸せになるだろう。

 この時の私は、疑いようもなく、そう思っていたんだ。


   ▼  ▼  ▼


「おーし、お待たせ。注文持ってきた」
「ご苦労さま、奈緒」
「ほら凛、ハンバーガーのピクルス抜き。加蓮のコーヒーは砂糖で良かったよな?」
「ん、ありがと。それにしても奈緒、また追加でアップルパイ? 太るよ」
「体調管理もアイドルの基本ってな。大丈夫だって」
「そんなに幸せそうな顔されたら、止められないけどね」
「な、なんだよ。笑うなよ」
「ふふ。二人とも、元気そうで良かった」

 穴場のハンバーガーショップで私と奈緒、加蓮が顔を合わせたのは、総選挙が明けた次の週。
 総選挙自体はあの後大きな波乱もなく(雑誌には『川島瑞樹、謎の大躍進!?』とか書いてあったけど)、
 むしろ私達にとっては次のステップのための決意を固めさせてくれたイベントだった。
 奈緒や加蓮はランクインを逃したけど、それで落ち込んでいる様子もない。
 むしろ前向きに捉えているその姿勢からは、訓練生時代の面影は伺えなくて。

「……変わったね、二人とも」

 ふと、そんな言葉が口に出た。

「な、なんだよ急に。気持ち悪いな」
「奈緒はだいぶ、素直になったよね。加蓮はひねくれたこと言わなくなったし」
「あ、あの頃の話はしないでよ……私だって封印したいんだから」
「いつの間にかアタシじゃなくて私って言うようになったしね」
「だーからやめてってばぁ……」
「そのへんにしとけって、加蓮泣いちゃうぞ?」

 奈緒が諌めると見せかけて追い討ちをかけ、加蓮がわざとらしくむくれる。
 久々に会ったけど、この空気はやっぱり落ち着く。
 でも、デビュー前とは同じようで違う空気。
 それぞれが目標を見据えているからこその前向きさが、一層居心地を良くしてるのかも。
 そうしてひとしきりみんなで笑った後で、加蓮が言った。

「でもさ、変わったって言ったら、やっぱり凛だよ」

 急に意外な形で振られたので飲んでたジンジャーエールを吹き出しそうになった。
 変わった? 私が? 自分では、全然そんな気がしないけど。
 戸惑う私を見て加蓮が微笑む。奈緒もそれを見て、何かを察したような顔をした。

「凛は、最近のアイドル活動どう?」
「えっ? とりあえず、今の目標は今度のLIVEかな……私達の単独LIVEは久しぶりだし」
「ほら。今、『私達』って言った」

 ようやく加蓮の言うことが飲み込めた。
 私の中のウェイトは、確かにあの時から変化していた。
 大事な仲間の存在が、いつの間にか私の中の多くの部分を占めていたから。
 そしてそのことを恥じることなく誇れるぐらいには、私は変わったのだろう。

「……ふふ。そうだね、『私達』はまだこれからだから。もっと、先に行くよ」
「なんか妬けちゃうなぁ。まぁ、私には奈緒がいるけどね」
「バカ、別にユニット組んでるわけじゃないだろ。それを言ったらアタシ達だってライバルだ」

 それもそうか、と加蓮が照れ笑いをして、釣られて私達も笑った。
 笑いながら考える。確かに私は、変わったのかもしれないと。
 今の私は、自分だけが上に行ければいいだなんて思わない。
 卯月と、未央と、それから私。三人揃ってトップアイドルにならなきゃ意味がない。
 三人で同じ夢を目指し、三人で駆け上がっていくんだ。

「私も、卯月も未央も、負けないよ。『ニュージェネレーション』は諦めない。
 三人で一緒に頂点に立ってみせる。私達になら出来るって、そう思うから」
「はは、でもアタシだっていつまでも下から見上げてると思ったら大間違いだからな?」
「私だって。いつか言われたこと、忘れてないからね」
「うん。何度でも言うよ、私達は先に行って待ってる。追いかけてきて、絶対だよ」

 誰からともなく、私達は手に持った紙コップを掲げた。
 そしてその縁と縁をぶつけて、形ばかりのささやかな乾杯をした。
 奈緒が紙コップじゃカッコつかないなと言い、加蓮が私なんて中身コーヒーだしと言い、また笑った。

 笑いながら、いつか本当に『私達』と『彼女達』が同じ舞台に立つ日が来たらいいなと、そう願った。




   ▼  ▼  ▼




 最初は、ほんの小さな夢だった。

 だけどいつの間にか、ひとりの夢は、三人の夢になっていた。

 それは、私と、卯月と、未央の、終わらない願いであり。

 それは、私と、奈緒と、加蓮の、叶えたい約束であり。

 そうして私は、私を取り巻く大事な人達の中で、少しずつ空を目指していった。

 誰よりも上へ。誰よりも高く。誰よりも遠くへと。

 憧れの先へ、少しでも近付きたくて、ただ、ただ手を伸ばし続けて。

 そうやって、天を目指したことの、いったい何が罪だったというのだろう。

 私達の目指した夢は、こうして罰を受けるほど、おこがましい夢だったのだろうか。




   ▼  ▼  ▼




 私はゆっくりと体を起こした。
 昔のことを思い出している間に、いつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。
 確かに体の疲れはいくらか取れていたけれど、そんなことよりも、
 今この瞬間が紛れもない現実であるということが、改めて私を打ちのめした。
 目覚めたら事務所のソファーで居眠りしていただけとか、そんな期待をしてたわけじゃないけど。

 無意識に顔を手でこすった私は、寝ている間に涙を流していたことに気が付いた。 

 ああ、夢を見ていたんだ。夢というにははっきりとした、今は遠い日々の思い出を。
 そしてその日々が、今や夢の中にしかないということを、私は知ってしまった。
 もうあの楽しかった日は、過去でしかないんだ。夢の中でしか逢えないんだ。

 もう、あの日の約束は、永遠に叶うことがなくなってしまった。

 だから夢が幸せであればあるほど、その夢は寂しくて。
 希望に満ちていればいるほど、その夢は絶望に覆われていて。
 願いに溢れていればいるほど、その夢に溢れるのは呪いだから。

 だから私が見たのは、本当に悲しくて寂しい夢だった。

「卯月……もう私達、元に戻れないのかな」

 独り言めいて口から漏れた呼びかけは、十年も年を取ったように疲れ果てていた。 

「奈緒……加蓮……ごめん、約束、守れなくなっちゃった」

 その酷く乾いた響きが、自分自身の心を逆撫でするみたいで。
 ただ私は、塔の頂から見える景色を視界に収めていた。

 私は、どうすればいいんだろう。

 私は、どうするべきなんだろう。

 私は、本当はどうしたいんだろう。

 未央は死んでしまった。卯月は自分を捨てていなくなってしまった。
 奈緒も、加蓮も、今はどこにいるのかわからない。
 私一人で、どうするのか決めなくちゃいけない。

 だから思い出す。私の歩いてきた道を。
 私が歩いていこうとしていた道を。


 ……ううん、違う。私じゃない、「私達」だ。
 私と卯月と未央の描いた夢の形。私と奈緒と加蓮が願った夢の形。
 私達が目指していた、天へと続く道。
 どれだけの思いを重ねて、どれだけの努力を重ねて、どれだけの日々を重ねて、
 少しずつ、ほんの少しずつ、でも確実に前へ進んで、ここまで来た。

 その全てが無駄だったっていうのだろうか。
 こうして殺し合いの泥沼に放り込んでしまえば、そんなものは沈んで消えてしまうと。
 そんな無価値でつまらないもののために、私達はずっと……

 違う。そんなこと、あっていいわけない。
 だって私達が、私達の夢が、これまでの全てが、こんな理不尽に潰されるなんて――
 嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。


「……諦めたくない」


 ぽつりと。
 言葉が、零れる。


「諦めたくない……諦めたくない……」


 ぽろぽろと。
 言葉が、溢れ出す。


「諦めたくない、わ、私、まだ、諦めたくない……!」


 そうして生まれ落ちたのは、自分でもどきりとするぐらいに、純粋な叫びだった。
 一度形を得た言葉は、自分自身を衝き動かすぐらいの力を持っていた。
 いつか卯月に、諦めないのが私らしいと言われたからってわけじゃない。
 諦めない、それが、私の心の奥底から湧いてくる、一番真っ直ぐな想いだった。


「私達の今までを、私達のこれからを……無駄だなんて、もう終わったことだなんて、
 そんなの許せない……やだよ、私は、まだ諦めない! 私達は、もう終わりなんかじゃない!」


 私は、あんなにたくさんの絆に囲まれて、ここまで来たんだ。
 あんなにたくさんの夢と願いと約束を重ねて、今まで歩いてきたんだ。
 辛いことはたくさんあった。苦しいこともたくさんあった。
 でもそれ以上に、嬉しいことがあった。楽しいことがあった。
 幸せと信じられる時間が、確かにあった。
 今の私を形作るその全てを、もう無駄なものだと切り捨てることなんて出来はしない。


 ごめん、未央。私、当分そっちには行けないかもしれない。
 だって私には、まだやらなきゃいけないことがあるから。
 確かに失ったものはある。取り返しのつかないこともある。
 もう二度と未央の笑顔を見ることが出来ない、そのことが辛くてたまらない。


 だけど、まだ手が届くものだってある。


 私はもう一度、卯月と話がしたい。
 卯月が私をどう思っているかなんて、もう関係ない。
 私が卯月から、卯月の口から話を聞きたいんだから。
 ただ、私は納得したい。納得して、卯月と一緒に前を向いて進みたい。
 私は卯月と一緒にいたい。例え卯月にとっての私がそうでなくても構わないから。


 卯月を見つけたら、奈緒と加蓮を探しに行こう。
 初めて一緒に立った「ステージ」がこんなところだなんて、悔しくてやり切れないけど。
 もう一度会うって約束したんだ。離れ離れのまま終わるなんて、絶対に嫌。
 会ったら卯月のことも紹介しよう。死んでしまった未央のことも、いっぱい話そう。
 二人の話も聞きたい。それがどんなに辛く、残酷な話だったとしても。
 一生分の話をしよう。そして、もう二度と離れ離れになったりはしない。


 私はもう一度涙の跡を拭うと、ディパックを背負い直した。
 隣に転がしていた支給品の円筒も、一瞬迷ったけれど持っていくことにする。
 そうして私は、一つまた一つと塔の段々を降りていった。
 降りるのに掛かったのはそれほど長い時間ではなかったはずだけど、
 久し振りの地面の感触は、私が今生きているという事実を実感させるに十分だった。
 私はもう一度だけ塔の頂を見上げた。長すぎるようで短い、そんな時間を過ごした場所を。
 そして、決別するように前を向く。もう、振り返らない。


 馬鹿げてるかな? 今も殺し合いが続くこの島で、友達を探しに行くなんて。

 だけど、この世の全てとも釣り合うくらいに大事な人を、私はこれから探しに行くんだ。

 下らないだなんて、世界中の誰にも言わせたりなんかしないから。

 私はバベルの塔に背を向けて、もう一度歩き始めた。



   ▼  ▼  ▼



 バベルの塔が崩れた後、人は一つの言語を失って、世界に散らばったという。

 天を追われた私たちもまた、通わない言葉を胸に抱いて、この箱庭に散りばめられている。

 それでも、届く想いがあると信じて。

 繋ぐ絆があると信じて。




【E-6・遺跡『バベルの塔』/一日目 午前】


【渋谷凛】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式、RPG-7、RPG-7の予備弾頭×1】
【状態:全身に軽~中度の打ち身】
【思考・行動】  
基本方針:私達は、まだ終わりじゃない
1:卯月を探して、もう一度話をする
2:奈緒や加蓮と再会したい
3:自分達のこれまでを無駄にする生き方はしない


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最終更新:2013年04月28日 23:59