彼女たちを悪夢に誘うエイティーン・ヴィジョンズ ◆John.ZZqWo



ガチャリ、そしてバタン。事務所のドアが開いて閉じる音に、事務員である千川ちひろは書類から顔を上げる。
フロアはプロダクションの規模の割りに狭く見通しがいい。彼女はドアを潜って入ってきた女の子の姿を見ると顔の表情をゆるめた。

「ただいま戻りましたっ」

元気よく声をあげて戻ってきたのは佐々木千枝だ。
11歳と幼いがもう立派なプロで、アイドル暦はまだ短いながら歌やモデルなどと仕事もそれなりに増えてきている。
入社した頃はまさに大人の中に混ざった子供という風で、事務所の中にいるだけでおっかなびっくりといった風だったのだが、
今ではまったくそんなことを感じさせず、むしろこちらがどきりとするような大人びた面も見せ始めている。

「おつかれさま。千枝ちゃんひとり?」

彼女からタクシーの領収書を受け取りつつ、千川ちひろは尋ねる。

「はい。プロデューサーさんは打ち合わせがあるから、また事務所でって」
「なるほどね。じゃあ。莉嘉ちゃんは? いっしょの仕事だったわよね」

頷き、もうひとつ問いかけながら千川ちひろは壁際のホワイトボードへと歩み寄る。
そこに書かれた予定表によると、彼女は城ヶ崎莉嘉といっしょにティーン向けアパレルブランドの撮影モデルに出ていたはずだ。

「莉嘉ちゃんはお姉さんとそのまま帰るって言ってました」
「ああ、そういえば今日はお姉さんのほうも同じスタジオで撮影だったわね」

千川ちひろは赤色のペンを取り、スケジュールの佐々木千枝と城ヶ崎莉嘉の欄に『了』と書き込む。
そして城ヶ崎莉嘉の欄には更に『直帰』と書き足した。その上、姉の城ヶ崎美嘉の欄にはもうすでに『了』『直帰』と書かれている。
彼女からは直接連絡を受けていたが、おそらくその後で妹と合流したのだろう。

「千枝ちゃんはここでプロデューサーさんを待つのかしら?」
「えぇと……はい、そうです」

仕事場で大人相手にハキハキと応答できるようになった彼女も、ことプロデューサーのこととなると途端に舌足らずになる。
確認するまでもなく、プロデューサーに直接家まで送ってもらうのは彼女と彼の間の約束だ。
どうして彼女と彼の間で、そして彼女がその約束をとりつけたのか、それも今更あえて推測するものでもない。

千川ちひろは顔を赤らめる佐々木千枝にくすりと笑い、受け取った領収書の額を確認して状差しに刺した。
彼女が直接自分で家に帰るようになればこのタクシー代金も浮くわけだが、千川ちひろは事務員であって経営者ではない。
だったら、たとえ経費の無駄であろうと、プロデューサーを待つ間そわそわとする女の子を見れるほうがいい。
むしろ彼女が女の子として、そして結果として『アイドル』として輝くのならば、この機会と時間は十分に経費に見合ったものだとも言える。

「じゃあ、なにか飲みながら待ちましょうか」

そう言って、千川ちひろは佐々木千枝をソファに座らせ、給湯室へと入った。


 @


窓の外の風景は夕方の茜色から少しずつ夜の深い藍へと色を変えつつある。
プロデューサーからの連絡がメール一通すらこないことにやきもきしながら、佐々木千枝は千川ちひろとソファの上でテレビを見ていた。

「今日はなんだか人がいないですね」
「そうねぇ、みんな忙しくなっちゃってきたし、たまにはこういう日もあるわね」

あれから後、誰か他のアイドルが顔を出すということもなく、佐々木千枝はずっと千川ちひろと事務所でふたりきりだった。
普段だと必要以上に個性的なアイドルが何人かはいて、それぞれに賑やかにしているものだが、今日は誰もいない。
それどころかプロデューサーや事務員の姿も千川ちひろ以外は見えず、広いフロアはがらんとしていて――どこかそら寒い。

「(プロデューサーさんまだかな……)」

テーブルの上の生八つ橋を一口食べて、自分用のマグカップに注がれた緑茶を飲む。
マグカップに緑茶というのはおかしいが、かといって飲み物にあわせてカップを用意できるほど給湯室の棚は広くはない。

生八つ橋は事務所の中でじみーに定番化しているお菓子で、今では事務所の毎月のお菓子代の中に八つ橋枠が設けられていたりもする。
最初に持ち込んだのは京都出身の塩見周子だが、大阪でも割りと定番らしく主に関西出身のアイドルを中心に食べられていた。
味や食べ方にも色々なバリエーションがあり、佐々木千枝は川島瑞樹が八つ橋をオーブンで焼いて食べているのを見たことがある。
今、佐々木千枝が食べているのは定番のニッキ――いわゆるプレーンな生八つ橋と、これも定番の抹茶の生八つ橋だ。

余談はさておき、今テレビの中ではサバンナに生きるライオンがインパラを襲い、食べようとしているところだった。
メスのライオンが鹿のような生き物であるインパラの群れにそっと近づき、間近までくると猛然と飛びかかる。
インパラの群れは散り散りに逃げ出しライオンとの決死のおいかけっこが始まった。
ほとんどのインパラは無事に逃げ切るも、しかし一頭の、しかも子供のインパラがライオンに噛みつかれ地面に押さえつけられている。
おそらくは母親なのだろうインパラが遠巻きに伺うが、間もなく子供を見捨てて逃げ出してしまった。
後はもうライオンにつかまった子供のインパラが食べられてしまうだけ――というところで番組は区切られCMが流れ出す。
口の中に入れた生八つ橋を噛むのも忘れるほどの緊迫した光景だった。

「よく言われることだけど、自然の中というものはやっぱり怖いものね」
「はい、子供のインパラもお母さんのインパラもかわいそう……」

佐々木千枝の頭の中にはライオンに噛みつかれて血を流すインパラの子供の姿が残っていた。
もし自分があんな風にと想像すると背筋が寒くなるし、母親のインパラのことを考えるとやはり同じように悲しくかわいそうだと思える。

「――じゃあ、ライオンがインパラを襲って食べることは悪いことかしら?」
「え?」

千川ちひろはテレビの方を向いたまま問いかけてくる。テレビの中では『TERRAZI』という車メーカーのCMが流れていた。

「ライオンは悪者だって思う?」
「それは……、しかたないことだと思います。ライオンだって食べないと死んじゃうし、それが自然だってことだから」
「そうよね。生き物はなんだって他のなにかを奪ったり食べたりしてるわけだもの。かわいそうだけど、しかたないことよね」

じゃあ、と千川ちひろは言葉を続ける。

「人間が他の人間を襲ってお金や食べ物を奪うのはどうだと思う?」

どきりとするような、いつもの彼女らしくない物騒な話だった。

「それは悪いことだと思います。他の人を叩いたり、お金を取ったり……そういうのは、社会のルー……法律に違反してますから」
「そうよね。千枝ちゃんの言うとおり。人間はルールを作って自分達の世界からできるだけ嫌なことを取り除いているわ。
 だから私は勝手にみんながさしいれしてくれたお菓子を食べないし、千枝ちゃんのプロデューサーさんをデートに誘ったりしません」
「ち、ちひろさんッ!」

冗談よと笑う千川ちひろに佐々木千枝は「もうっ!」とふくれてお茶を飲み干す。
いつの間にかにCMは終わっていて、今度は一面真っ白の氷の世界でペンギンの群れが海に飛び込んでいる光景が流されていた。

「でも、もし……そのルールがなくなったら千枝ちゃんはどうする?」
「…………え?」

千川ちひろはテレビではなく佐々木千枝のほうを向いていた。そしてその顔にはいつもの彼女からは想像できない厳しさが浮かんでいる。

「ある日、戦争とか、もしくは大きな“災害”が起きて、この人間の社会が一瞬で壊れちゃうの。
 もしそうしてこの世界からルールが消えてしまったら、千枝ちゃんは誰かを襲ったり、奪ったりすることができるかしら?」
「そ、そんなこと……しません。ルールがなくなって、お巡りさんが見てなくても、悪いことは悪いことだし……」
「社会が消えるってことは自然に戻るってことよ。自然の中だったらそれは悪いことじゃないんじゃなかったかしら。
 それに自然の中じゃ、なにも奪わずに生きていくことはできないし、家族や大事な人を守ることだってできないかもしれない」
「…………でも、そんなの、……怖い」

世界がグラグラと揺れ出す。
千川ちひろの言葉に揺さぶられて? いや、そうではなく、また比喩でもなく佐々木千枝の世界は――視界はぐらぐらと揺れていた。

「よく覚えておいてね千枝ちゃん。あなたはライオン? それとも食べられた子供のインパラ? それとも子供を食べられた母親の――……」

全ての感覚がしだいにぼやけ、そして薄まって遂には消え、佐々木千枝の世界は闇の中へと落ちていった。






 @


そして、闇の中から二度目の覚醒を経て、佐々木千枝は見覚えのない夜の街(ステージ)へとその身を現していた。
街灯が作る小さなスポットライトの中に彼女の小さな姿はあり、そしてその小さな手には、ただ無骨な手榴弾だけが握られている。
わけのわからないことばかりだ。だがしかし、彼女はただひとつのことだけは強く理解していた。

自分達を守る世界(ルール)は崩壊し、自然(サバイバル)の中に落とされた。



「……………………千枝、プロデューサーさんを守らないと」

手榴弾を強く握る。それは彼女にとってライオンの牙だった。






【B-4/一日目 深夜】

【佐々木千枝】
【装備:US M61破片手榴弾x1】
【所持品:基本支給品一式×1、US M61破片手榴弾x2】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:プロデューサーさんを守る。
1:やらなくちゃいけないんだ。


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最終更新:2013年04月22日 23:36