彼女たちが陥ったキャッチ=トウェンティートゥー ◆John.ZZqWo
【軍規 22項】
精神に異常をきたし狂気に陥った者は自らが請願すれば除隊を許可される。ただし、自らの異常を認識できる者はこれをまだ狂気に陥っているとは認めない。
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ゆるやかな風が
島村卯月の長い髪をなびかせる。
彼女は今、島の東端を走る道路の上に立ち、下りてきたばかりの山を見上げていた。
頂点へと昇った太陽に照らされる山は青々とした緑も鮮やかで、透き通る空や白い雲とあわせて見ればまるで絵画のようでもある。
その光景にはどこも不穏なところはない。――先程聞こえた銃声を除けば。
「(………………どうしよう)」
銃声は一度聞こえたきりだ。爆竹のように連続した破裂音が鳴り響き、その後はなにも音は聞こえてこない。
本当に銃声だったのだろうか……? 島村卯月はそんな風にも考えてしまう。本当は銃声以外の可能性など思いつかないのに。
山には戻りたくない。そんな気持ちがどこかにあった。
今下りてきたばかりなのだ。時間をかけずに上れる小さな山だとはいえ、また上ってそれから下りてくることを考えると億劫にもなる。
だがそれよりも、時間や疲労なんてものは些細な問題で、本当は……戻りたくない本当の理由は怖いからだ。
あの恐怖。人が死に、死の切っ先を向けられる恐怖。
水本ゆかりは死んだけれども、だからといって癒えるでも消え去るものでもない。
「(……戻らなきゃ)」
しかしそれでも島村卯月は山に戻ることを選択した。
そこに
渋谷凛が戻ってきているかもしれない。お婆ちゃんからは迷子になったらはぐれた場所に戻るんだよとよく聞かされてもいた。
だから、それを確かめに戻る。なによりも、もう後悔はしたくなかった。
例え、山の中にいるのが彼女でないとしても、これを無視して次の放送でもし彼女の名前を聞くことになれば……。
「(凛ちゃん……!)」
それこそ今度こそ立ち直れなくなるだろう。その恐怖を思えば、今一度自らを危険に、銃口の先にさらすこともいといはしない。
もしかすれば次は
本田未央の隣に彼女の死体を見つけ、自分も殺されてしまうかもしれないとしても。
「(でも、それは……“いっしょ”だよね……)」
島村卯月は下りてきたばかりの獣道にまた踏み込み、確かな足取りと爛と輝く瞳でその先へと歩き出した。
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気分は最悪だった。
心も、身体も、悲鳴をあげて、目に映るなにもかもが理解しがたく、耳に届く音は自分を責めたてるようで、なにもかもが辛い。
それも当然のことだ。王子様は死んでしまい、灰かぶりは決して終わりのない絵本のページをずっとめくり続けなければいけなくなった。
いっそ悲劇に酔いしれ死ぬことができればどんなに楽だろうか。けれどもそれだけが残された魔法は、ただひたすらに終わることだけを否定する。
「……はぁ、……はぁ、……っ」
十時愛梨は荒い息を吐きながら山を下りる。いや、本人にはもう山を下りているのか同じところを回っているのかすら定かではない。
悪夢の中に放り込まれ、ろくな休みもなく歩き続けていた彼女の身体はもう限界を訴えていた。
けれど、止まってしまえばそれは彼の言葉を裏切るような気もして、彼女は、新しく魔法をかけなおした彼女はただひたすらに歩こうとする。
「……生きろ……生きろ……生きろ……生きろ……」
ぬかるんだ道に足をとられ、張り出した根に躓き、石や先の尖った葉でいくつも傷を負い、それでも彼女はのろのろと前へと進もうとする。
その片手に機関銃を強く握りしめ。殺意――というよりも破滅願望をその手にこめて、彼女は進む。
靴の裏が土を擦る音で、進まない時計の針を刻みながら。
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そして彼女と彼女は出会う。ただの少女だからこそ、翻弄され続ける二人の少女が。
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見覚えのある景色にそろそろ山頂かなと情報端末を確認し、そして顔を上げたところで島村卯月は目の前に十時愛梨がいることに気づいた。
驚いた――のだろう。10メートルもない先にいる彼女はまるで幽霊でも見たというような目をしている。
十時愛梨。シンデレラガール。事務所の誰もが知っている今をときめくナンバーワンアイドルで、そしてもうプロデューサーを失った女の子。
「……………………ぁ」
大丈夫?と、声をかけようとしてできない。心がちくりと痛む。
しかたがないので島村卯月は両手を広げて敵意がないことを示した。できるだけ自然な“笑み”を浮かべることを意識して。
きっと彼女はなにかから逃げてきたのだからと思ったからだ。
それくらいに十時愛梨の表情は恐怖に強張り、瞳は揺れていたから。そんな女の子をもう二度と見殺しにすることはできない。絶対に。
「こないで……!」
足を踏み出そうとして声をぶつけられる。十時愛梨は握った機関銃をこちらへと向けていた。
しかし、島村卯月は一瞬だけひるむも、そのまま足を踏み出す。
怖い。けれどももっと怖がっているのは彼女なのだと、銃口の先が震えるのを見れば理解できたから。
手を広げたまま、脅かさないようゆっくりと、もう一歩踏み出す。そしてもう一歩。彼女の顔を見つめながらもう一歩。更にもう――
「ど、どうして笑ってるの……?」
問われ、足が止まる。どうして笑ってるんだろう?
それはもう何も失わないため。もう命を失ってしまった彼女からもらった、なけなしの前向きさだから。
「卯月、ちゃんも……大切なものを失ったんでしょ……? だって、さっき未央ちゃんの……、なのに……どうして……」
その彼女の名前が出てきて、刺すような痛みが胸に走る。
身体中が痺れるみたいに、顔がくしゃくしゃになってしまいそうな悲しみが――けれど、島村卯月は微笑んだ。それを命綱とするように。
これを手放したら自分の中に残ってる彼女の思い出や元気も消えてしまいそうだとそう思ったから。
「(私……がんばるからね!)」
もう一歩踏み出す。
十時愛梨との距離はもう最初の半分もなくて、互いに手を伸ばせば届きそうなくらいで、だから手を伸ばしながらもう一歩踏み出した時、
まるでカチリとスイッチが入ったように全然震えていない銃口がこちらを向いて、それから驚く間もなく――――
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自分のものとは違う足音に気づき、顔をあげるとそこにいたのは島村卯月だった。
島村卯月。ニュージェネレーションのひとり。がんばり屋さんでよく動き、かと思えばすぐにへこたれもする。そういうのが傍から見てもよくわかる女の子。
そしてすでにもう仲間を失った子。十時愛梨がその笑顔を破壊してしまった本田未央の仲間だった子。
「……………………ぁ」
殺さないといけないと思った。殺さないと、彼女はこの先で仲間が壊されたことを知ってしまう。だから殺さないといけない。
もし知られれば、彼女はひどく悲しむだろう。そしてこちらを恨むだろうか? そうではない。そんなことではなくて――と、十時愛梨の思考は混乱する。
意識と、理性と、心とがかみ合わない。殺そう。彼女を殺すの? そうするしかない。ごめんなさい。そんなの関係ない。私を見ないで。
「こないで……!」
両手を広げ、微笑みながら足を踏み出した島村卯月を見て反射的に銃を持った腕が上がる。
一瞬、
木村夏樹を庇った“彼女”の姿が重なった。
身体が震えて、銃口が逃げるように踊る。
「ど、どうして笑ってるの……?」
島村卯月の足がぴたりと止まる。彼女をその場に縫いつけるようにもう一度、言葉をかけた。
「卯月、ちゃんも……大切なものを失ったんでしょ……? だって、さっき未央ちゃんの……、なのに……どうして……」
死んだ本田未央も、彼女を失ったはずの島村卯月もどうして笑っているのだろう? どうして笑っていられるのだろう?
だって、こんなにも失うことは辛いのに。
島村卯月は、なのにまだ笑顔で。笑顔だけで近づいてくる。それがなになのか、全く理解できなかった。
「(私は……私は……私は……私は……私は……)」
本田未央の笑顔を破壊した時と同じ感情が頭の中で膨れ上がる。それは他の感情を全て頭の中から押し出して。
あれだけあった身体の震えがその瞬間だけはぴたりと止まって。
引き金を引いた瞬間――全てがブラックアウトした。
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「…………愛梨ちゃん。…………愛梨ちゃん?」
「あ、れ……?」
目を覚ますと、いや眠っていたのだろうか?
ともかく、気づくと事務所の談話スペースにいて、テーブルを挟んだ向こう側で友達の
三村かな子が心配そうな顔をしていた。
「大丈夫?」
「あ、ごめん。ちょっと疲れてたかな」
最近忙しいもんねと三村かな子は苦笑する。
そう、確かに最近はとても忙しい。そろそろ私も『アイドル』かな?と思いきやなんだか急に仕事が入り出して、毎日毎日やることが尽きない。
けれども学業もおろそかにはしたくはなく、仕事から帰ってから勉強をすると結局、そのしわ寄せは睡眠時間によってしまう。
「ごめんね。私のほうから誘ったのに」
「いいよ。それよりもちゃんと目が覚めているうちにケーキを食べよう」
言いながら三村かな子はかわいい柄のトートバックから白い箱を取り出す。開けば、そこに入っていたのはシフォンケーキだった。
たっぷりの生クリームとアンバランスなほどの大きな苺がのっているのが実に彼女のものらしい。
「やっぱり、かな子ちゃんのほうが作るの上手だなぁ」
「愛梨ちゃんは今日は何を作ってきたの?」
私はと、十時愛梨はクリーム色の箱を取り出してテーブルの上で開いた。途端に広がる甘い香りに三村かな子の表情がゆるむ。
「わぁ、アップルパイだ。私、愛梨ちゃんの作るアップルパイが一番好き」
「ワンパターンかなって思っちゃうんだけど、最近新しいレシピを仕入れる時間がなかったから……」
こうやって作ったケーキを持ち寄って食べるのはこの事務所の中では恒例で、三村かな子を中心に週に1回か2回は行われている。
お菓子作りが趣味だと自称する十時愛梨もその常連だ。これほど忙しくなる前はこれを目当てに事務所に通っていたと言っても過言ではない。
さて、では互いに取り分けて口に運ぼうとした時、十時愛梨はテーブルの上にお茶がないのに気づいた。
それと同じタイミングで談話スペースの前を人が通りかかる。水本ゆかりと、傍目には付き添いの父親にも見える彼女のプロデューサーだった。
「あ、おつかれさま。ゆかりちゃんもよかったらケーキどうかな? 私たちで作ったんだけど」
「ケーキですか? えっと……」
三村かな子がお茶会に誘うと水本ゆかりは少しだけ戸惑った表情をし、それから彼女のプロデューサーを振り返った。
そういう姿を見ると、やっぱり彼女たちはどこかの箱入り娘とそのお父さんみたいだなと十時愛梨は思う。
彼女のプロデューサーは優しい表情で頷く。そして社長に報告があると言うと、彼女をここに置いて事務所の奥へと歩いて行った。
その後姿を見えなくなるまで追うと、ようやく彼女はこちらの方を振り向く。
「では、お相伴にあずかりますね」
お嬢様然とした彼女の笑顔に少しドキリとする。切れ長でいて優しげな目と、柔らかく癖のない髪の毛。どちらも自分にはないものだ。
「あ、お茶が出てないから私淹れてくるね」
「それでしたら私が――」
十時愛梨が腰を浮かせると、水本ゆかりがそれを制す。
「先日、お仕事先でもらったものが給湯室にあるんです。ですから、それを淹れてきますね」
鞄だけをソファに下ろすと彼女はそう言って踵を返した。
そして、十時愛梨と三村かな子が目の前のケーキに手をつけずに我慢すること数分。今度はお盆の上にポットとカップを乗せて戻ってくる。
彼女が上品な所作でそれぞれの前に出したカップには少し色の薄い、どちらかといえば赤よりも黄色に近い色の紅茶が注がれていた。
「なんでも、中国の紅茶らしいです。名前は失念してしまいましたが……」
「すごい香り。なんだかお花みたい」
「じゃあ、ケーキをいただこうか」
そうしてお茶会が始まる。ケーキはどちらも美味で、紅茶には不思議な味わいがあった。
勿論、おいしいものを食べれば会話も弾む。まずは互いにケーキやお茶の味を褒めあい。それがすむと、日常や仕事の話へと話題は移っていく。
「私、ゆかりちゃんとはあまり話したことないけど、ずっと憧れてたんだ」
「そうなんですか……?」
カップを両手で持ちながら三村かな子は恥ずかしげに微笑む。意外な言葉だったのだろうか、水本ゆかりのほうはきょとんとした表情をしていた。
「ゆかりちゃんはどこにいても存在感があるっていうか、きちんとまっすぐ立っててかっこいいなぁって……。
私はこんなに普通というか、よく『アイドル』っぽくないなぁって自分でも思っちゃうから」
「それは……私もよく思いますよ。それに三村さんの柔らかな雰囲気も、私からすればちょっと羨ましいです。
私は壁があるというのか、あまりみんなからは気安いとは思われていないみたいで……」
「なんだか二人ともないとこねだりって感じなのかな。
でも、ほんわかしたゆかりちゃんは想像できても、かっこいいかな子ちゃんってあんまり想像できないなぁ」
十時愛梨がいたずら気に笑うと三村かな子は少しだけ頬を膨らませ、それを見て水本ゆかりは楽しそうに笑う。
「でも、不思議ですね」
「不思議?」
水本ゆかりの言葉に、今度は十時愛梨がきょとんとする。
「家に帰ってTVの中で見る人とこうお話しているというのが……、なんというか、これが『アイドル』になったってことなんでしょうか?」
「愛梨ちゃん、最近ほんとによく見るようになったよねぇ。番組だけじゃなくCMも入ってるし」
「CMはまだローカルなのだけどね。でも、私も不思議かな。私がTVの中にいたり、ラジオで喋っていたり。
ああ、これが『アイドル』になったってことなのかなって思うけど、でも家でそういう自分を見てるとこれってすごいドッキリなんじゃないかなとも思っちゃう」
十時愛梨の言葉に水本ゆかりは神妙に頷く。
「私も、そういう時があります。お仕事に行って、帰ってきてみても、どうにもまだ自分は『アイドル』になったんだという実感は薄くて」
「わ、私はまだまだお仕事が少ないからそういうのもまだまだかな……。あ、そうだ。今度グラビアを撮ることになったんだよ」
「それって大丈夫なの!?」
思わず口をついて出た言葉に三村かな子の頬がさっきの倍に膨らむ。十時愛梨は苦笑すると、目の前のパイを彼女にもう一切れ進呈した。
そして、そんな風に楽しい時間は過ぎていき、紅茶が冷めた頃になって、事務員の
千川ちひろが談話スペースへと入ってきた。
「愛梨ちゃん、プロデューサーさんが下で待ってますよ」
「あっ、もうそんな時間?」
スケジュールは分刻み……というほどはまだ忙しくないが、時間単位というほどには忙しい。
十時愛梨は荷物をまとめて、忘れ物がないことを確認するとソファを立った。
「じゃあ、私は行ってくるんで後は二人でゆっくりしててね。そうだ、ちひろさんもよかったらケーキ食べてくださいね。今日のもおいしいですから」
そう言い残して足早に事務所を出る。
途中、3人いてもあの量のケーキだともてあますかなと思ったが、ちょうど事務所の出入口で仕事から帰ってきた子らとすれ違ったのでその杞憂は消えた。
「智絵里ちゃん、響子ちゃん、おつかれさま! 今日はケーキあるからね」
「あっ、おつかれさまです」
「愛梨ちゃんおつかれっ! いつもありがとうねっ!」
そのままエレベータに乗り込み1Fのボタンを押す。扉が閉まると、奥の鏡へと向いて1Fにつくまでに髪の毛や服がおかしくないかチェックする。
「クリームとかどこにもついてないよね……?」
ティンと音がしてエレベータの扉が開くと、また早歩き。
仕事に遅れるといけないから? それもあるし、そうじゃない理由もあって、そうじゃない理由のほうが彼女の中では大きい。
「プロディーサーさんっ! おまたせしました!」
事務所の入ったビルの前、会社のロゴが入ったバンの運転席に彼の姿を見つけると十時愛梨はいつものように助手席へと飛び込んだ。
プロデューサーにせいいっぱいの明るい笑顔を見せて、慣れた手つきでシートベルトを締める。
互いに慣れたもので、シートベルトの閉まるカチリという音と同時に車は走り始めた。
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プロデューサーの運転する車が道路を走る。そういう時間帯なのか道はすいていたが、しかしよく信号に引っかかってしまい目的地にはなかなかつかない。
そして、続けて赤信号に引っかかった時、気を紛らわせようとしたのかプロデューサーが口を開いた。
「みんなとは仲良くしてるか?」
「はいっ、さっきも事務所でかな子ちゃんとケーキを。今日はゆかりちゃんもいっしょだったんですよ」
そうか。と答えながらプロデューサーは車を発進させる。次の信号がもう先に見えているからだろうか、速度はいつもより少しだけ速い。
「最近、元気がないんじゃなかなって思っててさ」
「それは……、そんなことないですよっ」
元気がない……なんてことはない。けれども、彼から元気がないように見えるのだったら、それについては心当たりのある十時愛梨だった。
気づき始めた想い。
でも、それが確かなものなのかはまだ不明で、そんなうちに新しいライバル(?)も登場して、最近は彼の前では歯切れが悪いところもある。
「別に無理しなくていいからな。……って、こんなに仕事を入れてくる俺が言えたことじゃないんだが」
「ふふっ、仕事も楽しいですよ」
軽く笑うプロデューサーにつられて十時愛梨も笑う。そして仕事が楽しいというのも本当だった。
レッスンの成果がライブステージや、テレビ、ファンの視線の中という枠に収められて、それがひとつのシーンになる瞬間にはえも言えぬ快感がある。
そして仕事と仕事の合間のこんな時間。彼といっしょにいられる時間はそれと比べても変えがたい幸福があった。
「愛梨は、自由でいいからな」
前を見たまま、プロデューサーは言い聞かせるように言う。
「『アイドル』である前に、『十時愛梨』という女の子だっていうのが大事なんだ。
俺は、愛梨を既製品の『アイドル』という型にはめたくはない。……だから、つまり、そう。いい意味で『アイドル』を意識しなくていいんだよ」
「それで……いいんですか?」
「ああ。俺は『十時愛梨』って女の子の魅力を見込んでプロデュースしてるんだからな。それで――」
プロデューサーがなにかを切り出そうとしたところでまた車が止まる。つくづく今日は赤信号が多い。
「シンデレラガールを狙うぞ、愛梨」
「ええっ!?」
思わず大きな声が出る。『シンデレラガール』――それは、事務所を上げてナンバーワンアイドルを決める一大イベントだ。
もしそのトップに輝くことがあれば、それは『アイドル』の中の『アイドル』であり、そこから続くサクセスストーリーはまさに『シンデレラ』となるだろう。
けれども、十時愛梨はまさか自分がその頂を狙うだとかは全く想像すらしていなかった。
「驚いたか?」
「それはそうですよっ! だって、私なんてまだそんな……それに事務所には蘭子ちゃんとか仁奈ちゃんとか、もっと人気のある子がいるし。
かな子ちゃんやゆかりちゃんだって魅力的だし、楓さんとか…………だから、私なんて、普通の女の子ですよ」
確かにメディアへの露出は増えた。知名度という点では先に挙げた
神崎蘭子や
市原仁奈なんかと同じくらいにはあるかもしれない。
けれど、十時愛梨はやはり自分がその横に並び立つのか、彼女らほど『アイドル』らしいのかというと自信は……これっぽちもなかった。
プロデューサーの言うとおりに、ただの『十時愛梨』という女の子であるならばなおさらに。
「いや、いける。俺が愛梨を『シンデレラガール』にしてみせる」
告白めいた言葉に愛梨の頬が赤くなる。しかし、けれど疑問は消えなかった。どうしてそこまで彼は自信を持って言えるのか。
その理由は、彼がプロデューサーとして野心家だからなのか、それとも『十時愛梨』という女の子をそれほどまでに評価しているからなのか、
あるいは――と、疑問は渦巻く。そして、身体の中で渦巻く疑問がひとつだけ口からこぼれ出た。
「――『生きろ』ってどういう意味ですか?」
ぴたりと車が止まる。また赤信号だった。
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その言葉に空気も凍りついてしまったようだった。プロデューサーはずっと前を見ているだけで、十時愛梨はどんどんと不安になっていく。
その不安が、後悔が彼女に悲鳴をあげさせようとした時、ようやくにプロデューサーは口を開いた。
「……それは、もうわかっているはずだ」
それだけを言うと、彼はハンドルから手を放し十時愛梨を置いて車から下りてしまう。
「待ってくださいっ!」
追おうとして、シートベルトに阻まれる。焦った手つきで不器用に外して下りると、車の外に彼女の探すプロデューサーの姿はもうなかった。
それどこかしんと静まり返る街中の交差点には他の誰も見当たらない。人の気配どころか、どんな音すらも聞こえてこない。
「…………っ!?」
振り返るともう乗ってきたはずの車でさえそこにはなかった。
そこにあるのは十字路と、その真ん中に十時愛梨という女の子がひとりだけ。
「どこですかっ!?」
十字路の先を見る。ひとつの道の先には華やかなステージがあった。そのステージの上で十時愛梨は大勢のファンの前で歌を歌っていた。
別の道の先には自宅の机で受験勉強をしている十時愛梨の姿があった。机の上には彼とアイドル姿の自分の写真が名残のように置かれていた。
また別の道の先には誰か見知らぬ男性と手を組んで歩いている十時愛梨の姿がった。その姿はとても楽しそうで恋をしているのだなとわかった。
それだけでなく、道は進んだ先でいくつにも分岐し、その分岐の数だけ違う十時愛梨の姿があった。
道の先にいる十時愛梨の姿は、どれもが幸せそうだった。
わかっているはずだ――と、再び彼の声がリフレインする。そうなのかもしれない。しかし、けれども、十時愛梨は、十時愛梨というただの女の子は。
「いやなんですっ! 私はずっとここにいたい。ここから離れたくない! あなたを置いてはいきたくない……私ひとりでは“いきたくない”…………!」
しがみつくように地面へと蹲り、十時愛梨はただただ彼の名前を呼び続ける。そして名前を呼ぶその度に一粒ずつ涙を零した。
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目を開くと、最初に映ったのはこちらを心配そうに覗きこむ島村卯月の顔だった。
「…………っ!?」
驚き、反射的に飛び上がって距離を取る。
島村卯月? 島村卯月、そう、確かにさっきまで……、山の中で出会って、彼女が笑うから殺してしまおうと、いや、確かに銃の引き金を引いたはずだった。
なのに、彼女は生きている。それどころか自分はさっきまで寝ていて、それも彼女の膝の上で……? いや、そもそもとしてここは山の中ですらなかった。
空は赤く、世界はオレンジ色の光に包まれている。いつの間にこんなに時間が経ったんだろう? 頭は、目覚めたばかりの頭は混乱するばかりだ。
そんな十時愛梨を島村卯月は芝生に座ったまま、まるで懐かない犬を相手にするかのように見つめ、苦笑を浮かべている。
一体、あれから何があったのだろう? いやそれどころか、どこからが本当でどこまで夢、だったのか……? 夢といえばなにか大事な夢を見たような気もする。
しかしそれも思い出せない。頭は今までにないほどにクリアで、なのに思考がこんがらがって意味のあることが考えられない。
「えっと、私…………」
周りを見渡す。場所は、もう記憶より大分時間が経っているようだが、あの山頂にまた戻ってきてる。
いつの間に? どうやって? まるで今見ている光景も夢のようだ。
『大丈夫?』
島村卯月が取り出して見せた紙にはまるっこい字でそう書かれていた。そしてもう一枚紙を取り出すと、そこには今度は『もう怖くないよ』と書かれている。
一体どういう意味だろう? 十時愛梨が混乱していると、島村卯月はペンを取り出して紙になにかを書き足した。
『大変だったんだね』『でも、もう大丈夫だよ』『私がいっしょにいてあげるからね』
ますます意味がわかなかった。本当にいったい、意識を失っている間になにがあったのだろう。確かに、彼女を殺そうとしたはずなのに。
それとも、あれは夢の一部だったのだろうか? どこからどこまでが夢でなのだろうか。どうして彼女は笑っていられるのか?
『私もあいりちゃんと同じだから』
島村卯月は少し悲しげな瞳をわずかにそらす。その先を追えば、芝生の上に本田未央の死体が横たわっていた。
もしかすれば彼女の顔を破壊したのは夢だったのかもしれない。そんな“期待”をするも、しかし彼女の顔は破壊されていて、それだけは現実だとわかる。
もう一度、島村卯月の顔を見る。その顔はやはり笑っていたけれど、目元は真っ赤に腫れていた。
「…………卯月ちゃん、は」
彼女は頷く。ただそれだけでわかってしまう。紙に言葉を書いて見せられなくとも、彼女がすでに十時愛梨を許してしまっているということを。
それはつまり、十時愛梨がどんな罪を犯したのかも彼女は知ってしまっていることを意味している。
「どうして……?」
殺せばいいのに。殺してくれればいいのに。許せることじゃないのに。どうしてそんなことができるの? 十時愛梨は心の中で問う。
すると、島村卯月は後ろに手を回し機関銃を取り出した。十時愛梨が使っていたものだ。そして本田未央の笑顔を消し去った銃だ。
やっぱり殺すのだろうか? しかしそうではなく、また苦笑すると島村卯月は銃を地面に置いた。そしてまた紙にペンを走らせる。
『弾が入ってなかったよ』
ああ、と十時愛梨の口から声が漏れる。その声は安堵か、嘆きか、諦めか、その意味は本人にもわからなかった。
それから、島村卯月はこれまでのことをペンとメモを使って十時愛梨に説明した。
最初は、十時愛梨は銃を向けるとそのまま倒れて気絶してしまったこと。
それから倒れた彼女を引きずって山頂に戻ると、そこで本田未央の顔が破壊されていたのを発見したこと。
島村卯月はすぐにそれをしたのが十時愛梨だとわかり、きっと“十時愛梨はすごく寂しくて悲しいからこんなことをした”んだと思った。
でも、本田未央が“いなくなってしまった”ことはものすごく悲しくて、十時愛梨が目を覚ます直前までは泣いてらしい。
十時愛梨が聞いても、恨みを晴らそうだとか殺してしまおうなんてことは思いもしなかったという。
更に彼女は、元々3人がいっしょにいたことと今は離れてしまっていること、その原因は自分にあることも説明した。
そして、その罰として自分はもう声を失っていると。
考えなく声をあげてその結果、本田未央は殺されてしまった。だから、声を失ってしまったのはその罰に違いにないと。
十時愛梨はそれは私も同じだと思った。考えもなく声をあげ、そしてその結果、一番大切な人を失ってしまった。
十時愛梨はプロデューサーを失い、島村卯月は仲間と声を失った。
比べられはしないけれど、もしかすれば島村卯月のほうが失ったものは大きいかもしれない。なのに、どうして彼女は笑えるのだろうか?
「卯月は、どうして笑っていられるの? どうして、そんなに優しいの……?」
『私にはまだ凛ちゃんがいるから』『元気は未央ちゃんにもらった』『ニュージェネレーションもあきらめていないよ』
諦めないとは、どういうことだろう。十時愛梨はそれを問う。
『凛ちゃんと未央ちゃんとでまたニュージェネレーションをする』
「どうやって? 未央ちゃんはもう……」
十時愛梨には彼女が言ってることがわからなかった。しかし、彼女は笑顔で、ニュージェネレーションを思う時は本当に楽しそうにする。
『私にもどうすればいいかわからない』『けど、あきらめない』『また3人でいっしょになる』
そう。とだけ十時愛梨は声を出す。島村卯月は今も笑っている。けれどその笑みに黒い気持ちは沸いてこなかった。
なにか自分の中で張り詰めていたものが霧散したような気もするが、それよりもただ、本田未央の笑顔と島村卯月の笑顔は別物のように感じる。
そして、
高森藍子の前に立っていた自分もこんな顔をしていたのかもしれないと思い至った。
「(やっぱり同じなんだ。……私も、卯月ちゃんも大切なものを失って、でも……)」
似ているようでいて、それは紙一重の差で全く別物のような気もする。しかし、十時愛梨には自分と彼女のどこにどんな差があるのかまではわからない。
『お腹減ってる?』
メモを差し出すと、島村卯月は返事も待たずにバックを漁り食料を芝生の上に並べ始める。
『食べたらまた凛ちゃんを探しにいくから、あいりちゃんもいっしょにいこうね』
彼女のバックの中から出てきたのはいくつものパステルカラーの箱で、開けてみるとそれぞれに違う味のパウンドケーキが入っていた。
「いっしょにいて、いいの……?」
言外に殺すかもしれないのに、と滲ませるも、しかし島村卯月はそれをわかっているだろうにはっきりと頷いてしまう。
『私はもう誰ともはなれないって決めたから』
きっと、なにかまだ話してないことのうちにその理由があるのかもしれない。そしてそれも彼女の罪の一部なのだろうか。
「わかった……、ありがとう」
頷き、十時愛梨はパウンドケーキのひとつを手に取る。かじると、口の中に林檎の味が広がった。
涙が一粒、頬を伝う。けれど、その意味は考えてみてもわからなかった。
【E-6・山頂/一日目 夕方】
【島村卯月】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式、包丁、チョコバー(半分の半分)】
【状態:失声症、後悔と自己嫌悪に加え体力/精神的な疲労による朦朧】
【思考・行動】
基本方針:『ニュージェネレーション』だけは諦めない。
0:まずはお腹をいっぱいにするよ。
1:それから愛梨ちゃんといっしょに凛ちゃんを探して、また戻ってくる。
2:そうしたら、どうしようかな?
3:もう誰も見捨てない。逃げたりしない。
4:歌う資格なんてない……はずなのに、歌えなくなったのが辛い。
※上着を脱ぎました(上着は見晴台の本田未央の所にあります)。服が血で汚れています。
【十時愛梨】
【装備:ベレッタM92(15/16)、Vz.61"スコーピオン"(0/30)】
【所持品:基本支給品一式×1、予備マガジン(ベレッタM92)×3、予備マガジン(Vz.61スコーピオン)×4】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:生きる。
0:ケーキがおいしい……。
1:卯月といっしょにいるのかな……?
2:生きる……けど、どうしてだろう、前みたいな気持ちがわいてこない。
3:私は、どうしたいのか。
最終更新:2013年08月14日 21:28