彼女たちに奏でられるアマデウス(トゥエンティーファイブ) ◆John.ZZqWo
あれから、
藤原肇と
諸星きらりのふたりは山の中をどこに向かうでもなく歩いていた。
果樹園の端にまでたどりつけばそのまま野山の中に入り、歩けそうな場所を道なりにただただ黙々と足を進める。
先を行く藤原肇にも、後をてくてくと追う諸星きらりにも言葉はなかった。
藤原肇には内から発する思いがなく、諸星きらりにはそんな彼女にかける言葉は思いつかない。
なので、ただふたりは黙々と無為に、見えないなにかに引かれて連れ去られてしまっているような、そんな足取りで山の中を歩いている。
けど、彼女らがそのままどこかへ消え去ってしまうかというとそんなことはなく、ほどなくして新しい光景がふたりの目の前に開けた。
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「……………………」
「キャンプ場だにぃ」
諸星きらりの言葉の通り、ふたりの目の前にあるのはキャンプ場だった。山のなだらかな場所に沿って歩いていった結果、たどりついたということらしい。
「……………………」
「……………………」
張られたテントが点在する中へと無感情に踏み入っていく藤原肇だが、その後ろを歩く諸星きらりは同じ無言でも表情は全く違った。
色とりどりで形もさまざまなテント。木を切ったり、組んだりロープを渡して作られたアスレチック。
諸星きらりの顔からは好奇心と大きなわくわくが読み取ることができる。
それはそうだろう。キャンプ場とは本来そういう場所だ。そして、藤原肇もこんな状況でなければ、こんなことになっていなければ同じ顔をしたに違いない。
藤原肇はただ黙々と歩く。できるだけなにも考えずに。早く通り抜けてしまおう。そして今度は山の深いところを目指そうと。
少し早足になっていたかもしれない。
だが、その足がぴたりと――いや、がくりと揺れて止まった。
「肇ちゃん、こっち」
何を……と言う間もなく藤原肇の身体が引きずられる。何に? 言うまでもなく諸星きらりにだ。
一瞬、抵抗しようとするも靴の裏が土の上を滑り、次の瞬間には抵抗は無意味だと悟る。それほどに彼女は力持ちだった。
ではどこへ? なんらかの意味を見出そうと、あるいはなにかに覚悟を決められるようにと、藤原肇は引きずられてゆく先を見る。
「ここに入ろ」
それはキャンプ場の奥――山側から入ってきた彼女らからすれば奥だが、本来は入り口近くにある一軒の大きなログハウスだった。
引きずられるままに木の階段を上り、諸星きらりが開けた扉を潜って中へと入る。
まず目に付いたのはカウンターをその向こうの事務机。おそらくはここでキャンプ場を借りる手続きや支払いをするのだろう。
そして――
「うっきゃー☆ かわうぃー♪」
それ以外のスペースは土産物屋と売店を兼ねたスペースになっているようだ。
木彫りの人形に、石のアクセサリー。このキャンプ場のキャラクター(?)のぬいぐるみや、それが描かれたクッキー缶などが並べられている。
イニシャルで選べるストラップや、誕生日ごとのクマのぬいぐるみ。どこでも見かける定番のお土産なんかもある。
さらにはお菓子やカップ麺なんかもあり、ご丁寧なことにそれを食べるためのテーブルも奥には用意されていた。
こんなところまで来て誰がそんなものを食べるのかと藤原肇は思ったが、しかし野外での調理に失敗する例も少なくないのかと思い至る。
一瞬でそんなことを考え、そして販売スペースのさらに一番奥にある扉の、そこにかかったプレートを見て、彼女はびくりと身体を震わせた。
そこにはただ『陶芸体験』とだけ書かれていた。
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「じゃあ、教えて☆」
なんでこんなことに――藤原肇の頭の中はその言葉で埋め尽くされていた。
『陶芸体験』と書かれていたプレートを諸星きらりも見逃すわけがなく、そしてまさかとは思ったがその部屋の中に連れ込まれた。
これは彼女が自分をはげまそうとしているのか、それとも彼女特有の好奇心からくるものなのか。
なんにせよ、こんな状況で土をひねっているなんてそれこそ頭がおかしくなったと思われてもおかしくない。
「……………………」
諸星きらりの顔から目をそらすように部屋の中を見渡す。
小さな部屋の真ん中に作業台がひとつあり、端にある棚には見本となる器がいくつかと手回しのろくろ、模様をつけるための型などが置かれている。
反対側は手洗い場になっており、ここにも器がひとつとそこに一輪の花が活けてあった。
そして、視線を戻すと自分の目の前には湿った布に包まれた男性の拳大の土の塊がある。
「きらり、粘土遊びはしたことはあるけど焼き物を作ったことはないんだにぃ」
もちろん、諸星きらりの目の前にも同じものがある。
彼女が自分に何を教えてほしいのか? そんなことがわからない藤原肇ではないし、誰であろうとその言葉の意味に疑問などもたないだろう。
けれど、藤原肇はなにも答えなかった。
それは怒りからくるものではなく、ただ、心の中から正しい感情をくみ出す――その方法を見失っていたからだった。
「んー……、じゃ、じゃあきらりはいろいろやってみるから間違ってたらおしえてね」
無言であることにどう思ったのか、諸星きらりは粘土を布のくるみから取り出すとぐにぐにと潰してなにかを形作ろうとしはじめる。
ああ、あんなやり方じゃおじいちゃんに怒られる。最初はよく練って、ならしと空気抜きをしっかりとしないといけないのに。
ふとそう思い、藤原肇は身体がわずかに震えるのを感じた。
自分が死ねば、悲しむのはここにいるアイドルの仲間たちだけではない。プロデューサーも、おじいちゃんも、家族のみんなも。
それだけでなく自分を知る人はみな悲しむ。悲しみはどこかでとどめることなんてできずに、波のようにどこまでも伝わっていくだろう。
誰かがどうして藤原肇は死ななければなかったのか、どうして死んでしまったのかと、どうしてこんなことになったのだと声を荒げるだろう。
どうしてなのか。それは藤原肇にもわからない。ただ、大きな悲しみからくる憤りを誰かが受けないようにと、そう思っただけなのに。
しかし、それはあまりにも不器用なやり方で、けれどどうすれば正しかったのかなんてわからなくて、これからどうすればいいのかもわからなくて。
諦観したはずだったのに、今更に湧き上がる恐怖が足の裏からくるぶしまでを濡らしているような寒気を感じた。
じっとこらえるように、目の前にある土を見ながら今までのことを思い浮かべる。
小さい頃からおじいちゃん子でいつも土をひねっていた。
とても女の子らしくないなんて言われて、そんなのは平気で、おじいちゃんは完全に自分が後を継いでくれるものだと思い込んでいて、
だから、『アイドル』になりたい――なんて言った時は正気を疑われたものだ。
今でこそ一端のアイドルだが、その時は気持ちは真剣でも本当にアイドルになれるかなんてことはわからなかった。
おじいちゃんの後を継いで陶芸家になってもよかった。けれど、他のなにも知らずにそのまま後を継いでもいいのかという不安があった。
自分に他の可能性があったかも……などという不安ではなく、このままでも立派な陶芸家になれるのか? という不安だ。
だから一度別のことをしてみようと思った。
それがアイドルだというのは周りからすれば突拍子もなく見えただろうが、身ひとつで表現者になれると考えた結果でもある。
そして、アイドルとしての藤原肇は成功した。おじいちゃんに取れと言われたてっぺんはまだ遠いが、着実に満足する結果を得られている。
陶芸もアイドルも違いはなかった。心の中の想いを形にする。それが表現者だということが確認できたのは大きな成果だった。
「……………………」
けれども、今は土を目の前にしてなにもできないでいる。
包んでいる布をはがしてひんやりとした土の上に手を置いても、なにも心の中から湧き上がるものがない。
あたたかな希望でなくとも悲しみがあれば悲しみの形が、怒りがあれば怒りの形が作れるのに、そんな気持ちすら湧き上がってこない。
ただ静かな不安と、自分が間違えているという確信だけがあって、それは決して形にはならなくて、心の中は空洞のまま。
土と向き合えば、ただただ己の空虚さを実感するばかりだった。
「……………………」
ふと、藤原肇は土から目を離し、なにかを作っていたはずの諸星きらりのほうを見やる。
同じアイドルとしての表現者がこんな時にどんな器を作るのか、そこに好奇心を抱いたのは彼女が生粋の表現者だからではあるが――、
「…………っ!?」
そこにあったのは完全に予想外のものだった。
いや、もし彼女が平時のような冷静さを保っていたなら予測はできたかもしれない。けれども、そんな仮定に今は意味はない。
「きらりさん……それは……?」
そこにあったのは湯のみでも皿でも茶碗でもなかった。ましてや壷でもなく、だから藤原肇にはそれがなんなのかがわからなかった。
「あぅ……、きらり間違えちゃったかにぃ……?」
いつの間にそうしていたのだろう。彼女の目の前にあった土は最初にあった何倍もの大きさになっていて、一抱えもある塊になっている。
そこにいくつもの突起や曲線を描く部分があり、ひょっとすれば古墳時代の埴輪のようなものだろうか。
「きらりは、杏ちゃんを作ってるの」
藤原肇は絶句した。それと同時に納得もする。おかしなことではあるが、おかしなことでもない。
創作がその人の心の内から現れるのだとしたら、その心の中にあるものを形にすることを創作と呼ぶのならば、これはおかしなことではない。
あまりに陶芸という枠を超えているために、にわかには受け入れられるものではないが。
「あのね……、きらりは楽しいことをするの」
「楽しいこと……?」
「そう。悲しい時は楽しいことを見つけて、それをいっぱいするの。そしたらまたハピハピになるんだよ」
「…………………………」
そんなこと……と、藤原肇は思った。それは正しいことなのかと。それはただ嫌なことから顔をそむけているだけなんではないかと。
それは、悲しみに対して真摯な態度とはいえない、それどころか冒涜するような真似ではないかと。
おそらくその思いは顔に出ていたのだろう。
諸星きらりは藤原肇の表情を見て苦笑すると、土で作った杏をぺしぺしと叩いて整え、それから神妙な顔をして「ないしょの話をしてもいい?」と言った。
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「きらりはね、こんなだからよく馬鹿にされる」
諸星きらりは指先で土をいじりながらとうとうと語り始めた。
「頭はよくないし、身体もこーんなに大きいから、きらりが『アイドル』になるって言ってもみんな無理だって言った。
でもきらりはかわいいものが好きだし、きらりもかわいくなりたいから絶対なるって思ってたの。
そしたらそんなきらりをPちゃんが見つけてくれて、あっという間にこんなきらきらでハピハピなアイドルにしてくれたの」
きらりのPちゃんはすごいんだよ。そう諸星きらりは笑ってみせる。
「でもね、まだまだきらりのことをおかしいって言う人はいっぱいいるの。だからね、きらりは時々悲しくてしかたなくなっちゃう。
もうアイドルもやめちゃったほうがいいのかなって思ったし、泣くのをがまんするのももうできないって思ったこともあったの」
藤原肇はなにも言えなかった。
彼女はそんな感情とは無縁だと、どこか思っているところがあった。本当はそんなことあるわけがないのに。
「そんな時にね、Pちゃんが言ったの。『そんなめそめそして楽しいのか?』って。
なんだかひどいよね。だからきらりは本当に泣きそうになったの。でも、Pちゃんの言ってることは違った」
もう一度、諸星きらりは笑った。
そして、藤原肇はようやく気づいた。その笑顔の裏側に強い悲しみがあるということに。彼女の笑顔はただの無邪気ではないということに。
「Pちゃんはね、悲しい時に悲しんだらもっと悲しくて悲しいことしか考えられなくなっちゃうって言ったの。
だから、悲しい時は楽しいことをする。そしてハピハピの元気になったら、それから悲しいことがどうして悲しいのか考えればいいって」
笑う諸星きらりは、同時に今にも泣きそうに見えた。
どうして気づかなかったのだろうと藤原肇は思う。自分が感じた悲しみを、皆も等しく感じていて、それを奪い取ることなんかできはしないことに。
「そしてきらりはみんなをハピハピにするアイドルだから、自分の悲しいこともハピハピでのりこえるの。
それでね。みんなもハピハピ……きらりのことが嫌いな人のこともみーんなハピハピにすれば、いつか世界は全部ハピハピになるって。
だから……だからきらりは"泣かない”よ。
悲しい時にはハピハピなことするし、他の悲しい人の分もきらりがハピハピする。そしてきらりのハピハピをみんなにわけて、みーんなハピハピにする」
それがきらりなの――彼女はそう言った。
@
諸星きらりの話を聞き終えて、藤原肇は自分とは逆だと思った。
自分は悲しい時に悲しみを自分に集めて、自分がその悲しみを背負い持ち去ってしまえば、その悲しみはなくなると考えた。
そして、それは最初からわかっていたように正しくない。ただ悲しみや怒りの矛先を変えたところで、悲しみや怒りそのものがなくなるわけではないのだから。
今も
岡崎泰葉や
喜多日菜子は悲しんでいるだろう。
自分も悲しんでいるし、
市原仁奈を殺した誰かもこんなことになっているとは知らないはずだ。だから、彼女の重荷を実際に受け取ったわけでもない。
ただのわがままでしかない。正しさに向き合うことなく、ただみんなから背を向けて無理やりに話を終わらせようとしたにすぎない。
けれども実際にはなにも終わっていない。
市原仁奈を殺した誰かは今も誰かを殺そうとしているかもしれないし、他にも誰かを殺したり殺そうとしている子はいるはずで、
その毒牙にかかるのが岡崎泰葉や喜多日菜子や自分かもしれなくて、そして自分は道を見失っていて、この殺し合いがどうなるのか見当もつかなくて……。
「……………………」
手元の土を見る。なにものにも姿を変える土。その形は心を写し取る。だから空っぽの心ではなににも形を変えることはできない。
このままでいいのだろうか? そんなわけがない。
藤原肇が土に手をのばす。力をこめて丁寧に練る。形はすぐには現れない。だから初心に戻り、おじいちゃんに教わったことを思い出しながら土を練る。
なにを作るかは考えない。ただ純粋に今の心の中を形にするように。まだ心の中に残っているなにかを探すように、土を練る。
そして、しばらくの後、藤原肇の前には土でできた小さな羊があった。
「きゃわうぃー☆ これほすぃー☆」
小さな羊を見てきらりが喜ぶ。複雑な心境だったが、単純に作ったものを見て喜んでもらえるのは嬉しかった。
「だめですよ。これから完成させるのに乾燥に半月、それから焼いて……一ヶ月くらいはかかります」
「えっ、そうなの? ……うー、だったらきらりの作った杏ちゃんも持っていけないのかにぃ」
肩を落として残念がる諸星きらりに藤原肇はくすりと笑う。
もっとも、たとえ時間があったとしてもきらりの作った杏ちゃんはまともに焼けないだろうし、ああも練りが甘くては焼いたところで釜の中でバラバラになってしまうのがオチだ。
藤原肇はできあがった羊を置いたまま立ち上がる。持っていく必要はない。ただ心の中に残ってるなにかを確かめるためのものだ。
そして、それはこの形として現れた。一番大事なこと。根本。"彼女”に対して答えを出していない――それが心残りだった。
「あなたの真似はできませんけど、私もまたもう少しだけ歩けるようになった気がします」
「じゃあ、きらりといっしょに水族館に帰る?」
藤原肇はゆるゆると首を振った。
「まだ、私は自分がどうすればいいのかわかりません。だから、それを確かめるために一度戻ろうと思います――仁奈ちゃんのところへ」
そこでまた泣けばいいのか、懺悔するのか、または決別するのか。どうすればいいのかまでは藤原肇もまだわからない。
けれど、これからまた仲間の元に戻るにしても、孤高を貫く、あるいは死を選ぶにしても、そこで答えを出さないといつまでも無為にさまようだけだろうという確信はあった。
「きらりさんは水族館に戻ってください。言い忘れてましたけど、そこに杏さんがいますよ」
「ええっ! 杏ちゃんが!?」
驚く諸星きらりを背後に藤原肇は部屋を出て、また歩き出す。
あそこに戻ることに対しての恐怖はあった。なにか破滅的な運命が待ち受けている――そんなとりとめのない予感めいたものもゼロではない。
けれど、希望にしろ絶望にしろ、それを決定づけるには避けられない場所であるというのもまた確かなことだ。
外に出てみれば、いつの間にかに日が傾こうとしていた。思いのほか、土に没頭していたということらしい。
確かな足取りで藤原肇は地面を踏む。希望にも絶望にも続くその道を――
「まって!」
「きゃっ!?」
と、腕をつかまれて藤原肇はのけぞる。誰が?と振り返る必要もない。
「ど、……どうして?」
疑問を率直に言葉として浮かべる。探していた
双葉杏の名前を出せば諸星きらりは飛んで帰るだろう、そんな風に思っていたからだ。
けれど、振り返って彼女の顔を見れば、それは間違っていたんだなと簡単にわかってしまう。
「まだついてきてくれるんですか……?」
うん。と諸星きらりは大きくうなづく。
「だって、『アイドル』のきらりのお仕事はハピハピじゃない人をきゅんきゅんぱわーでハピハピにしちゃうことだから☆」
それは、目を細めたくなるようなまぶしさをもつアイドルの輝きで。
「これから、とても悲しくなるかもしれませんよ」
「大丈夫☆ そしたらもっともーっときゅんきゅんしてハピハピにしちゃうから☆ なんたって、きらりとPちゃんの目標は――」
ハピハピの世界征服だから――と、そう言う彼女はとても大きな『アイドル』だった。
【D-5 キャンプ場/一日目 夕方】
【諸星きらり】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式×1、不明支給品×1】
【状態:健康、疲労感】
【思考・行動】
基本方針:つらいことや悲しいことに負けないくらいハピハピする。
1:肇ちゃんを、ひとりには、しないよ。
2:杏ちゃんのことは気になるけど…………今は我慢だにぃ><
【藤原肇】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式×1、アルバム】
【状態:絶望(?)】
【思考・行動】
基本方針:誰も憎まない、自分以外の誰かを憎んでほしくない。
1:仁奈ちゃんのところに戻り、そこでなにかを決める。
最終更新:2013年10月20日 09:14