人は人、私は私 ◆j1Wv59wPk2
見上げる程の水槽の中には、大小様々な魚が泳いでいた。
その中で特に目を引く巨大な生物は、まるで我が物顔のように水槽内を泳いでいる。
ガラスを挟んだ向こう側の世界を、何も知らずに。
「…………」
「泰葉ちゃん………」
壮大で美しい水槽を背景にして、二人の少女が邂逅する。
広いエリアの真ん中でへたり込むように座る泰葉は、ちらりと見た後すぐに俯いた。
まだ溝は深いように感じて、手を差し伸べるには何よりも距離が遠すぎるように思えた。
「………あの」
「来ないで」
その間を一歩歩み寄ろうとして、しかしそれを拒絶される。
その声に今までの凛々しさは無く、その姿ただ迷い悲しむ年相応の少女でしかない。
「来ないでください。私はもう……そこには戻れません」
心が摩耗し、疲れ切ったことを感じさせる声は、聞き取る事さえ難しいほどか細く。
その心もまた、今にも消えてしまいそうに揺れていた。
「そんな事っ」
「私は、喜多さんが思っている程綺麗な人間ではないんですよ。
私の我儘で、いろんな人が苦しんで、悲しんでしまったんです」
投げかけようとした言葉は、途中で遮られる。
自傷する言葉は悲しみに包まれていて、日菜子の言葉は届かない。
「そう…私が……私のせいで、あの人は………。
あの時、私が手を差し伸べていれば、あの人は怯えずに、死ななかったかもしれないのに……っ!」
泰葉の握る手が震える。
その声は悲しみ後悔しているようで、怒りに身を震わしているようで、何より怯えているように見えた。
(『あの人』………?)
その言葉に対して、日菜子は頭に疑問を浮かべた。
彼女がここまで取り乱してしまったのは、憧れたアイドルに裏切られたのが一番だと思っていた。
しかし、どうもそれだけではない。もっと別の何かが、彼女を苦しませている。
あの人とは、誰の事だろうか。
仁奈の事か? 日菜子には集合した後の事を詳しくは知らないが、それほどまでに責任を感じるような事をしたとは思いにくい。
そもそも泰葉が仁奈の事を『あの人』と表現するだろうか。多分、彼女ではない。
なら、誰だ。
藤原肇?
諸星きらり? 双葉杏?
そのどれもしっくりこない。詳しい事は分からないが、泰葉が追いこまれるほど彼女達に介入していただろうか。
記憶の糸を辿り、ふとあの時の反応を思いだす。
仁奈が放送で呼ばれたあの時、情報を整理していた時に見せた、彼女の少しだけ取り乱した姿。
やはりあの時に何かがあったのだ。
岡崎泰葉を揺さぶった、何かが。
死んだ八人の中で、仁奈を除いた誰かとの、確執が。
そう、つまり泰葉を苦しませている物は、日菜子の知らないものだ。
誰よりも知っている筈の少女の、知らない場所で起きた……起きてしまった何か。
日菜子にとって、知る事のできない闇が、彼女の中に存在していた。
「………『あんな世界』でも輝くアイドルに憧れて……それになれない人も、蹴落としていく人も嫌で……。
私はただ、アイドルでいたかった。私が信じた、あのアイドルになりたかった」
気付けば、目の前で震えていた少女は多少落ち着いていた。
その目は今にも泣きだしそうで、ゆっくりと上を見上げる。
そこにはフロアを最小限に照らすライトだけがあった。
下で照らされている少女は、まるでスポットライトに当てられているようだった。
「あの時輝いていたアイドルも……新田さんも、結局はただの人形でした。
滑稽な話ですよね。私が憧れたものも、結局は何も変わらない同じもので……。
ただ、私は、分かってるようなフリだけして……何も、変わってなかった……変われなかった……ッ!
絞り出すような声が、フロアに響く。
ついには涙を流して、懺悔するように気持ちを吐き出す。
彼女は、追いこまれていた。
自分の信じていたものに、その結果に、そしてこの現実……世界に。
目指したものにさえ裏切られたと『思いこんで』いる。
………ここからが勝負だ。まずはそこから、彼女を正していく。
日菜子に彼女を救えるかどうかは分からない。
大きな壁があるのは分かっている。何か無責任な事を言ってしまうかもしれない。
「泰葉ちゃん、それはね、違うんですよ」
それでも、日菜子は彼女に手を差し伸べる。
一度は救われたから、今度は、日菜子が救う番だ。
だって、日菜子は確実な事を確かに知っているんだから。それさえ分かれば、後は些細な事の筈だ。
「……違うって、何が」
「あの話には、続きがあるんです」
そう切り出して、彼女に続きを聞かせる。
泰葉を救う鍵になるであろう、一人のアイドルの生き様。
その本当の話を、少女に聞かせていく――――
* * *
「あー……みんな大変だねぇ」
二人が水族館の奥へ消えて、
渋谷凛が去った事務室の中で、杏は一人こっそり呟いた。
この事務所の中にはもう一人、さっきまで居たのだが、その人物もまた少ししたら出ていってしまった。
彼女がどこに向かったかは杏は知らない。
「まっ、杏は別にどうでもいいけどねー」
知らないし、そもそもどうでもいい。周りからの責める声も無視してソファに寝転がる。
杏は死にたくないし、面倒事にも関わりたくなかった。
あの女性に、なんとなくヤバそうな雰囲気は感じていた。
彼女の言った事には間違いなく違和感があって、つまりは嘘をついている可能性が高い。
そして何故嘘をつくかといえば、それはやましい事があるからに他ならない。
こんな場所でやましい事といえば……概ね察しがつく。
そんな人物を野放しにするのは多少なりともヤバいだろう。もしかしたら誰かが犠牲になるかも分からない。
そこまで分かっていて、なお杏は動かない。
死にたくないから。辛い思いをしたくないから。
まだまだ生きていたいし、楽をしていたい。
自分に言い訳を重ねて、杏は目を背け続ける。
『杏っち……人を殺しておいて、よくそんなのうのうと寝転がれるよねー』
『逃げようとしたって、許さないから』
そんな杏に、姉妹から容赦なく罵声が浴びせられる。
杏の罪を復唱して、一時も逃がさずに向き合わせ、責め立てる。
目を閉じても瞼の裏に写り、目を背けても常に彼女達はそこにいる。
決して逃がす事は無く、あれからずっと、杏を蝕んでいた。
「うるさいなぁ……死人は黙っててよ……」
どうあってもいつづける彼女達に、杏は苛立ちを隠さずに呟く。
単純に耳障りである以上に、確かに罪の意識がある事が、そしてそれを躊躇無く触れてくる事に不快感があった。
杏も人並みに罪悪感はある。特に莉嘉を殺したのは突発的な物だったが故に、よりその気持ちは大きい。
それがあるがために、彼女は心底滅入っていた。
『杏………』
そして、もう一人の男の声。
その声が聞こえたような気がした方向を見ると、そこには何とも言えない顔をした男性の姿があった。
杏は何気に、この声に一番まいっていた。
別に他の二人より厳しい物言いだからとか、そういう話ではない。
ただ、どうしても彼の声が一番彼女にとって堪えていた。
(プロデューサーはさぁ、まだ生きてるんでしょ?
なのになんで一緒になって煽ってるわけ? 意味分かんない………)
まだ生きている筈の男が責めてくる事が苛つく。それもある。
杏がずっとこのままのスタンスでいれば確かに死ぬだろうが、それにしたってまだ犯してない罪で責められる義理はない。
上手くいけば生き残れるかもしれないのだから。
文句は死んだ後に言え……という訳ではないが、他の二人とは違うのだから当然怒りの矛先は集中する。
しかし、それが一番では無い。この男性の声に一番苛立ちを覚えるのには、もっと別の理由がある。
「そもそもさぁ……っ!」
その想いは収まることを知らず、思わず声を荒げて起きあがった。
男――プロデューサーの姿をした幻影への怒りに近い感情が高まる。
なにより、納得のいかないことがある。なにより、怒りを覚えることがある。
そもそも、杏の知っているプロデューサーは―――
「――そんな事言わないんだよっ!
そりゃあいっつも仕事しろ仕事しろってうるさいし、騙してはむりやり仕事に連れてくし、最近は扱いだってぞんざいだけどっ!
でもっ、担当してるアイドルにはアホみたいに責任持ってて、ちゃんと仕事したらほめてくれるし飴くれる奴なんだよ!
そんな奴が、ネチネチと責め立ててくるわけ無いじゃん!」
そして杏は、気がつけば一人激昂していた。
その男との間にはさして良い思い出はない。こっちは楽をしたいのに無理矢理連れてくし、姑息(杏談)な手で騙して気がつけば後に引けない状況にされた事もある。
でも、そんなプロデューサーは担当アイドルのミスに自ら頭を下げて、そして当のミスした本人は責め立てないで、愚痴一つ言わない。
そんな光景を、もう何度だってみてきた。それくらい杏のプロデューサーは責任感が強くて、常に損してて、そして優しかった。
そんな男が、自分の命が可愛いからと杏に殺し合いを強要させるような事なんてしない。
信じるとかそういう事では無くて、そこそこ長いつきあいでもうそうとしか思えなくなっているだけだ。
莉嘉や美嘉もそんな事言わないといえばそうだろうが、ことプロデューサーに関しては特にありえない。
「あいつはっ、莉嘉が死んで笑っていられるような男じゃないんだよ!
お前はプロデューサーなんかじゃない……人のプロデューサーを、馬鹿にすんなっ!!」
あの夢の中で見た、妙に冷静に、追い詰めようとしてきた男。
杏の知ってる姿をした男が、莉嘉をネタにして詰め寄ってきたあの夢。
追い詰められて、苛ついた杏はとにかくそこが気に食わなかった。
そう、もし莉嘉が死んでしまえば、あいつは悲しむに決まっている。
傍からみればバカみたいに、まるで自分の責任であるかのように、自分を責め続けるに決まっている。
だからもう、今目の前に居る男が偽物であることが分かりきっていて、そんな姿でそんな事を言うことに杏は苛立っていた。
「はぁ……はぁ……っ」
だんだんと冷静になってきて、思わず恥ずかしさがこみ上げてくる。
今、一応周りに誰もいないのは分かっている。
ただ、もしこれが誰かに見られていたらと思うと、流石に恥ずかしがらずには居られなかった。
「………あれ?」
落ち着いて冷静になってみると、周りの存在はいつの間にか消えていた。
気付いた時には、その声も姿も聞こえなくなっていた。
静かになって、平穏になって……しかし杏は心中穏やかでは無かった。
やっとゆっくり休めると、安心する事も出来なかった。
これは、いわば一時の猶予のようなものだ。そう杏は理解していた。
あの男はプロデューサーで無い。ならば、あれは一体何なのか。
その答えは既に出ている。ただの、杏の中から出た幻覚だ。
目を逸らしたい罪を直視させようとする、言わば杏の中の弱さ。
だからこそ、これで終わりとは思えなかった。杏が罪から逃げ続ける間は、それは消えるはずもない。
この間に杏は何か行動をおこさなければ、ずっと悩まされるままだ。
(………あぁ、めんどくさい、めんどくさい………けど)
なら、どうすればいいのか。どうすれば、この幻覚から解放されるのか。
その答えも、既に出かかっていた。そして、今がそのチャンスである事も。
今この現状で、おそらく杏しか気付いていない事がある。
それを放っておけば、もしかすると誰かが犠牲になるかもしれない。
つまりそれは、逆に言えば杏の行動次第で誰かが救われる可能性だってある。
杏の行動次第で、何かが変わる、かもしれない。
杏が自分と向き合えるのは、今しかないのではないか。
その気持ちが、杏の中で少なからず存在していた。
その心は揺れ動いて、そして―――
* * *
一人の少女が去った後、相川千夏は未だに水族館で悩んでいた。
身を休め、潜めようと入った水族館では、想像以上の騒ぎが広がっていた。
錯乱した一人の少女を、もう一人が追っていって。
それから少し経って悩んでいた少女が事務所を出た。方向が違う事から、おそらくここを去ったのだろう。
さっきまでは千夏と、そしてもう一人だけ。そして今、千夏は事務所の扉を挟んだ廊下で一人思考している。
これは機転であり、絶好のチャンスだ。それを千夏は間違いなく感じ取っていた。
(要は、殺すか殺さざるか………リスクとリターンを、どう見極めるか、ね)
状況としては、全員がうまい具合にバラバラだ。
先に出た二人の少女達が合流していたとしてもあの状況では、すぐに周りに気を配るのは難しいだろう。
その隙をつけば、今度こそ参加者を減らす事ができるかもしれない。
(その分、リスクは大きい……失敗すれば、後々まで大きく響くでしょうね)
だがあの時とは決定的に違う。顔を知られているという、大きなディスアドバンテージが存在している。
故に失敗してしまえば、まず間違いなくこの集団には居られない。
そして彼女達が誰かと合流してしまえば、いずれ千夏が忍び込める集団はなくなってしまうだろう。
相川千夏が殺し合いに乗っている……という情報をおいそれと流すわけにはいかない。
やるとすれば、最後まで。つまりはこの集団を全滅させる。
見たものはすべて殺す程の覚悟で望まなければ、滅ぶのは自分だ。
(さて……そろそろ結果を残すべきか、まだ休息と様子見を取るか……時間は無い……)
どちらに決断するにしても、早く決めなければならない。
中途半端なままで良い結果が残せるはずがない。それどころか、取り返しのつかないミスをする可能性だってある。
水族館の奥にいるであろう彼女達が問題を解決するにしろ破綻するにしろ、そこまでの時間はかからないだろう。
それまでに、どうするかを決めなければ。一度失敗してしまった以上慎重にもなるし焦りも生まれる。
入り乱れた複雑な感情が、千夏をあてもなく急かしていた。
(……とりあえず、彼女達の様子を見に向かいましょうか。
どっちのスタンスを取るにしても、向かうだけなら違和感は無いはず)
心は揺れ動いて。
ただ当面の決断だけをして、曲がり角を曲がろうとして。
「――あー、ちょっといいかな?
千夏さん、だっけ? ちょっと聞きたい事があるんだけど」
その歩みを不意に止められる。
振り向けば、そこには気だるそうな少女が一人立っていた。
「……何かしら」
「いやさぁ……どこ行くの?って思って」
止めたのはいつの間にか追いついていた、事務所に残っていたはずの少女――
双葉杏。
彼女の性格的にあまり積極的には動かないとふんでいたために、ここで止められる事は意外だった。
「どこに……って訳でもないけど。
ただあの子たちが心配だから、少し様子を見に行こうと思っただけよ」
他愛もないような問いに、千夏は普通に返す。大人としては、違和感の無い返答であるはずだ。
問いかけてきた少女の意図も分からず、心中で困惑する。
もしや、自分の演じた『役』に何か矛盾が存在したのだろうか。
それにしたって、よりによって彼女のようなやる気の無さそうな子が気付くような間違いを……?
「……あのさ、そういえば千夏さんって、今まで隠れてたんだよね。
ここら辺の街で、近くが禁止エリアに指定されたから、怖くなって逃げたと」
そんな千夏の心中を知る由も無い彼女は、またも質問してくる。
ただ、それはどちらかといえば確認だ。既に説明した事に対する確認。
それをするという事は、彼女なりに何か引っかかっている事があると暗示しているようなものだ。
だから、慎重に考えて答えなければならない。ここでボロを出すわけにはいかない。
彼女が何に引っかかっているのか。それは分からないが、この『役』を崩す訳にはいかない。
「……ええ、そうね。恥ずかしい話だけど。
慎重といえば聞こえはいいでしょうけど、恐怖していたと言われれば否定はできないわ」
問題は無い。ここも今まで通りで良い。
恐怖するなんて、この場所では当たり前の感情であるはず。
そんな物を否定されてしまえば、それはもはや人間の精神を逸脱していると言ってもいいのではないか。
「ふーん……」
その言葉に、相手は少しの間沈黙する。
一体彼女は何を考えているのか。
元々双葉杏とはこういう事に積極的にならないような性格のはずだ。
積極的に話した事があるではないが、あれが演技とはとても思えない。
そんな少女が気になるような、不自然な部分があっただろうか……と思考するうちに。
「まぁ、そうだよねぇ。
特に騒ぎも無かったし、何かあるまでは隠れたいよねー。杏もそうだよ」
彼女は普通に肯定した。
結局何に引っかかっているのか分からずじまいだが、とりあえずは安堵した。
この反応ならひとまずはここを去る事ができるだろう。
「まぁ、褒められた事ではないけどね。
それより、話はこれで終わり?そろそろ行ってもいいかしら」
できるかぎり早く、この話は切り上げたい。
この反応をみれば、そこまで突っかかるような話題でもなかったのだろう。
少し怪しまれてはいるかもしれないが、こんな場所ではそれも致し方ない。
一度ここは引いて、まずは二人の様子を見に行かなければならない。
あの二人の結末がどうなるかによっては、行動を変えなくてはならない可能性もある。
とにかく、一刻も早くここから離れなくてはいけない。
返答を待たずに踵を返して、
「―――単刀直入に聞くけどさ、嘘付いてるよね」
次の言葉が、千夏に深く突き刺さった。
「………は?」
その言葉に、思考は一瞬フリーズする。
あまりに唐突な出来事で、理解が遅れた。
何故。何か、失敗した事があったか。
「先に嘘付いたのは杏なんだけどね。
騒ぎならさぁ、どでかいのが起きてたよー?それはもう、杏が飛び起きるぐらいには」
頬を嫌な汗が伝う。
大きな騒ぎ……千夏の中で把握してない矛盾が、そこにあった。
「あれに気付かないなんて流石におかしいよねぇ。
夜中で目立ってたし、音も凄かったんだよ?
それをスルーして、騒ぎが無かったなんて言葉を怪しまないなんて、やっぱり変だよね」
「何を………」
杏は言葉をどんどんと重ねていく。
そのような騒ぎに、千夏は気付けなかったのか。
ダイナーにいたうちはともかくとして、この街に来てから気付けなかったか。
―――《唯一怖いのは近くでおきている火事だけだ。》
「………ッ」
いや、気付いていた。スーパーで待ち伏せする時にも気にかけていたではないか。
あの時にはもうすでに大した火では無かったから、記憶の隅へと追いやられていたのだ。
ギリ、と歯ぎしりする。決して気付けない事ではなかった。
つまり、これは完全に相川千夏のミス。忘れた事実と選んだ配役の矛盾に、やっと今気付かされた。
「嘘をついて、この街にいることにしたかったのは、何か訳があるってことだよねぇ?
やましい事とか、隠したい事とか? こんな場所で隠したい事って言ったら、やっぱり……」
相手の言葉には、推測が多分に含まれている。妄想だと否定することも不可能ではない。
しかし、それをするには立場が弱すぎる。嘘であったのは事実だし、相手の言ってる事に無茶は無い。
そして何より、追い詰める言葉は真実に限りなく近い。相川千夏の本性を確実に突いてきている。
――口封じをするしかないか。
千夏の頭の中で、その言葉が頭をよぎる。
ここまで推測された彼女を放っておく事はできない。間違いなく広められてしまう。
だからこそここで口封じを……殺すしかないのか。
しかし、不安はよぎる。彼女が無策に追い詰めているとは思えない。
例えば今、いきなり千夏が襲いかかってきたとしても大丈夫であるような物がなければ、彼女は余りにも危険だ。
そんな危ない橋を渡るだろうか。見た感じはそのような武装は無いが、背負うバッグに何が入っているかは分からない。
ここで彼女に無策に武器を向ける事は危険な賭けのようにも思えた。
「そういえば、千夏さん綺麗な衣装着てるねぇ。
まさかそれ私服……ってわけでもなさそうだし、もしかしてここで着替えたの? だとしたら元の服は――」
「…………ッ」
だがどちらにしろ、もう後戻りはできない。
もうここで彼女を仕留めて、あの二人も全滅させるしか勝ち残るすべは無い。
ここまで追い詰められてしまった以上は、取る行動は一つしかなく、それに賭けるしかない。
自分の判断でここまで来てしまった以上、後はもう突き進むのみだ。
相川千夏は懐に隠した銃を取り出し、狙いを定めて、相手を―――
* * *
「…………?」
海の見える道で、一人の少女が
自転車を止めて振り向く。
何かが聞こえたような気がした。ただそんな気がしただけで、気のせいだったかもしれない。
結局彼女は、また前を向いて、自転車を進め始めた。
何より、ここで止まる事も戻る事もする暇はない。既に決断した事なのだから。
(とりあえずは、この山の周りを一周してみようかな…)
少女――渋谷凛は、結局水族館を去る事を選択した。
あの二人の『友達』としての想いや結末は気になったし、見届けたいとは思った。
しかし、そこから先は二人だけの、二人にしか分からない世界なのだろう。
凛には凛の関係があるし、彼女達にも彼女達の中で分かりあう物があるのだろう。
そこにもう凛が介入する余地は無いし、結果を待つだけの時間があるわけではない。
……そう、彼女には時間はない。
(卯月……一体どこにいるんだろ)
あれから別れてしまって、未だに真意も分からない彼女。
同行していたはずの
榊原里美が死んでしまった理由も分からずじまい。
どんな事があって、今彼女がどうなっているか……会わなければ話にならない。
一刻も早く探し出して、話がしたい。
(私は、こんな訳も分からないまま終わりにするつもりはないよ)
心の中で、なお決意を固める。
彼女だけではない。あの二人も、無事なら合流したい。
アイドルとして決して諦めない彼女は、どんな事も妥協するつもりはなかった。
いつだって抵抗する。最後まで足掻いてやる。こんな世界に、負けてたまるか。
こんな所で終わりにするつもりは、無い。
「――卯月も、そうだよね」
空を見上げて、この島のどこかに居るはずの探し人に問いかける。
その真意は分からなくても、抱える気持ちが違うとは思えない。
それが、凛の知っている……信じている、
島村卯月だから。
自転車はどこまでも、進んでいく。
【D-7/一日目 午後】
【渋谷凛】
【装備:折り畳み自転車】
【所持品:基本支給品一式、RPG-7、RPG-7の予備弾頭×1】
【状態:軽度の打ち身】
【思考・行動】
基本方針:私達は、まだ終わりじゃない
1:山の周りを一周して、卯月を探す。そして、もう一度話をしたい
2:奈緒や加蓮と再会したい
3:自分達のこれまでを無駄にする生き方はしない
* * *
「じゃあ………」
「はい。あの人は、最後には身を呈して逃がしてくれたそうです。
凛さんは言っていました。新田さんは……確かに、アイドルだったって」
あれから日菜子は、あの時渋谷凛からきいた出来事を一言一句漏らさずに伝えた。
目の前の少女は驚いたような、そんな表情をしている。
それは、彼女の中にこの話が間違いなく届いているあかしだった。
「……嘘、そんな都合の良い話が……」
「嘘かどうかは、泰葉ちゃん自身が分かってるんじゃないですか?」
「………ッ!」
彼女は、言葉に詰まる。
真実かどうかは、彼女達に判断するすべは無いに等しい。
ならばそれを決めるのは、彼女達の中に居る『
新田美波』という存在だけだろう。
あの時輝いていたものは偽物じゃなかった。そんな事は、本当は彼女自身が最初から知っている。
ただ惑わされてしまって、少し迷ってしまっただけ。
「泰葉ちゃんが目指していたアイドルは、確かにいたんです。
新田さんだけじゃない……この場所にはまだ、アイドルで居る人達が絶対に居ます。
きらりさんもそう。仁奈ちゃんだってそうだった。肇ちゃんだって……何か、訳があるだけです。
そして、泰葉ちゃんもそのはずですよぉ」
そう、新田美波だけじゃない。この場所には、たくさんのアイドルがいた。
喜多日菜子がこの島で見た少女達は何も変わってはいない。しっかりと自分を持って、輝いていた。
そして、それは――目の前で悩み苦しむ少女にも同じ事が言えて。
「……私は、違う。
新田さんは、そうだったかもしれません。けど、私は………」
しかし、彼女はそう言って未だ俯く。
彼女を縛っているのは、一つの罪の意識だ。
おそらく最初の、泰葉がこの島に来てからの行動が、彼女を苦しませている。
「……そうですねぇ」
日菜子には、泰葉と『あの人』との間に具体的に何があったかは分からない。
その部分に関しては完全に部外者であり、それ以上の追求もできない。
だから、この問題を無責任に否定することはできないと、日菜子は感じていた。
「確かに、泰葉ちゃんが別の行動をしていれば助かった人がいた……かも、しれません。
でも、それこそ妄想ですよぉ。絶対にそうだとは言えませんし、誰もそれを責める事なんてできません」
しかし、それでも。
日菜子の知らない彼女が居て、知らない罪があるとしても、それ以上に知っている事はたくさんある。
一緒に活動して心の底から喜んだ彼女を知っている。
自分の想いに、目指したものにまっすぐな彼女の姿も知っている。
そしてなにより今、彼女は悲しんで後悔して、苦しんでいる。
追いつめられて壊れそうな彼女は、人形である事を否定しようとしている。
それら全てが、嘘であるはずがない。今まで見てきたもの全ては、紛い物なんかじゃない。
日菜子の知っている岡崎泰葉は確かに、紛れも無くアイドルなんだから。
「でもっ」
「……それでも、泰葉ちゃんが自分を許せないのなら……やり直しましょう、これから」
「え………?」
いつの間にか縮まった距離は、もう手を握れる程になっていた。
それでも、日菜子の方からは掴まない。手は伸べても、それを握るのは彼女の方だ。
彼女は、今の言葉に呆気にとられたような顔をしている。
「日菜子は、確かに泰葉ちゃんに救われたんです。
だから、確かに言えますよぉ。泰葉ちゃんは、ずっとアイドルでした。
そして、それは今でも……そう思うんです」
「…………っ」
彼女が見せたあの一時の輝きは本物だ。
きっと彼女は今まで辛い経験をたくさんしてきて、それでも一度、彼女は輝いていた。
何よりこんな場所でも彼女はアイドルであろうとして、日菜子を救った。それはまぎれもなくアイドルでいて。
そして今、彼女はまた挫折しようとしている。昔に戻ってしまいそうになっている。
なら、もう一度立ち上がればいい。一人じゃ無理なら、あの頃のように、二人で一緒に。
「泰葉ちゃんのやり方が間違っていたかもしれない。
それで、誰かを惑わして、傷つけてしまったかもしれません。
でも、泰葉ちゃんが間違っていたって思うなら、これからやり直せばいいんです」
仮に罪を背負ってしまったとしても、それで終わりである訳がない。
罪は償える。それに気付いて、後悔していた彼女にはできるはずだから。
そして、何よりも。
「………私には、もう、そんな……」
「……アイドルは、そう簡単に諦めるものだったんですか?そう簡単に、終わって良いものなんですか?
見失って、迷って………そこで、全て終わりなんですか?」
「そ、そんな事、は……」
彼女自身が、まだアイドルである事を望んでいる筈だから。
あの夏の日に彼女が見た輝きをずっと、楽しそうに語っていた少女なら、何度だって立ちあがれる。
「日菜子も、一緒にお手伝いしますよぉ。
皆でこんな所から脱出して、あの人と一緒に、もう一度輝きましょう?
……夢は、叶う為にあるんですよ」
「―――ッ!」
びくりと、少女の体が震える。
日菜子が、あの時に言ってあげた言葉。仔細は違うかもしれないけど、意味合いとしては同じはず。
あの時の会話を、忘れはしない。今までの思い出も、否定させない。
冷たい壁に隠された、熱い思いがある事を、日菜子は何より知っているから。
「泰葉ちゃんならできます。きっと、天国にだって届くライブだってできる筈です。
死んでしまった人達の思いも受け継いで、これからやり直しましょう。もう一度、輝きましょう!」
だから、彼女はやり直せる。また、輝ける。
ここで立ち止まってなんていられない。
後悔や無念も、確かに背負って。一人が無理なら一緒に。
そうして、もう一度立ち上がろうって。そう、日菜子は優しく微笑んだ。
「………でも……あの人が……人形……私………は……」
それでも、少女は決断ができない。
日菜子を見る瞳は揺れて、声はか細く。後もう少しである事は明白だった。
過去の鎖に縛られて。心はとっくに解放されたがっているのに。
「日菜子には、その人の事はよく分かりませんけど」
その鎖の正体を、日菜子は詳しくは知らない。
しかし、そんなものの正体を知る必要なんてない。
だってそれを振り払うのは、岡崎泰葉自身なのだから。
後はただ、後押しすればいいだけだ。
「人は人。泰葉ちゃんは泰葉ちゃんですよぉ。
アイドルになるのは……自分の夢を叶えるのは、泰葉ちゃんなんですから!」
そう言って、手を伸ばす。
その一言で、きっと充分だ。
「さぁ――――叶えましょう! いっしょに!」
手を向けられた彼女は、泣きそうになりながら。
「……………っ」
でも、確かに微笑んで。
その手を、伸ばして。
「え……―――――」
力強く、まるで拒絶するように。
突き飛ばされた。
「な…………」
何で?
頭に、その疑問が浮かんで。
でも、考える間は無くて。
思考が、白く染まった。
* * *
「痛………あ、あれ……」
視界が澄み渡っていく。
天井が見える。それと体の感覚で、自分が倒れている事を認識する。
しかし、それ以上の事は全く分からない。記憶も曖昧で、混濁している。
起き上がろうとして、きしむような痛みが体中に響く。
(…………?)
その痛みが、自分が何かに吹き飛ばされた事を思い出させた。
ただ、何に吹き飛ばされたかがよくわからない。
思いだそうとして、しかし脳は何かもやがかかっているかのようにはっきりしなかった。
それでも無理矢理頭を働かせようとして、麻痺していた感覚がだんだんと戻ってきて。
そして、ある事に気がついた。
―――熱い?
肌が、呼吸が、思考がそう認識する。
だが思い当たる節は全くない。ここが水族館であるなら、間違っても熱いなんて事は無いはずだけど。
何で? というより、そもそも今何が起こっている? さっきまで一体、何をしていた?
そう、確か水族館で誰かを追いかけて、話しかけて、手を繋ごうとして――。
「あ…………ッ!」
記憶の糸を辿り、やっと全てを思い出した日菜子は反射的に起き上がる。
体の節々が悲鳴を上げたが、それらは全て無視された。
何故か。それは、そんなものが気にならないような光景が、目の前に広がっていたから。
「な、なに……これ………」
目の前は、火の海になっていた。
何で?
彼女の頭の中で理解が追いつかない。
その記憶では、ただ少女を説得していたはずで、こんな光景になるとは思えなくて。
何故こんな事になっているのか。それがまるで理解できずにただ時間だけが過ぎていく。
「あれ………泰葉、ちゃん……?」
そうだ、もう一人の少女はどこにいったのか。
方角的には、間違いなく向こう側に居るはずだ。あの炎の、向こう側に。
だが、もしも。もしもこんな炎の中心にいるとしたら、それは間違いなく死―――
「あっ、そ、そっかぁ………」
その思考が結論づく前に、彼女は呟く。
彼女はやっと理解した。そうだ、彼女は生きている。無事だ。
だって、ありえないんだから。絶対にありえない事だから。
「魔法の炎ですよぉ……泰葉ちゃん、凄いですねぇ………」
ものがたりのヒロインが、こんなところで●ぬ筈ないんだもの。
盛り上がる場面で、秘めたちからが解放されるだなんて、なかなかにくい演出じゃないか。
少しありきたりではあるが、盛り上がる展開ではある。何より、こういう王道な展開は日菜子自身嫌いじゃない。
こんなすごい能力があれば、怖いものなしだ。
そう思って、ちかくによろうとして。
「むふふ…………あれ……?」
希望に溢れているはずなのに、その手は震えている。
一歩踏み出したいのに、足はガクガクになっている。
なんでだろう、と不思議に思う。あまりの衝撃に、未だ体が言う事をきかないのか。
そういえば、謎はまだある。魔法の炎は激しく燃えているけど、肝心の彼女の声が聞こえない。
「泰葉ちゃん……なんで、返事しないんですかぁ……?」
声をかけてみても、返事は帰ってこない。
不思議に思いながら、ふらふらと立ちあがる。
ああ、それにしても、なんでだろう。
目に何かがしみたのだろうか。
なんで、涙がとめどなく溢れて来てしまうのか。
「なんで、って?」
その後頭部に、何か強い衝撃がはしって。
「――死んだからに決まってるじゃん」
そこで、彼女の全てが途切れた。
【岡崎泰葉 死亡】
【喜多日菜子 死亡】
* * *
「……とりあえずノルマは達成、といったところかしらね」
燃え盛る炎から距離をとって、相川千夏は呟いた。
彼女が背負うバッグに詰まっている爆弾の数はまた一つ減っていた。
目の前の炎は衰える事は無く、近くの物を燃やし続ける。
一人の少女を中心にして炎は広がり、倒れた少女をものみ込んで、さらに勢いは広がっていく。
「それにしても、これ……案外殺傷力低いのかしら」
そう言いながらバッグの中から爆弾を一つ取り出す。
スーパーの時は結局誰も殺せておらず、今回も一人殺しきれなかった。
勿論、投げた場所やら相手の反応やらの問題もあっただろうが、単純に爆弾自体に期待をよせすぎたのかもしれない。
「少し考えた方が良さそうね……ふぅ、しかし……」
バッグに爆弾をしまって、今度は溜息をつく。
やっとのこと二人の人間を殺す事に成功したわけだが、この状況は正直想定外だった。
いずれ殺すつもりではあったが、何も今殺す必要は無かったわけで。
だったら何故今殺したのか、といえば。
「おっ、お疲れ様ー……って、うわー……なんかさらに強くなってない?」
後ろから消火器を持って歩いてきた少女――双葉杏のせいに他ならない。
ついでに言えば、もう片方を殴り、致命傷を負わせたのも彼女である。
「もしかして、本当はドラッグストアもこれだったり?」
「……少なくとも、私では無いわ。そもそもあの時が初耳だったもの」
その問いに、もしかしたら彼女達のうちの誰かかもしれない……というのは、言わなかった。
千夏は、彼女に余計な事を呟くつもりはなかった。気を許す事はせず、最低限以外の事を言うのは避ける。
確信の無い信用が身を滅ぼす事も十分にあり得るのだから。
そう。例え、これからしばらく行動を共にするらしい表面上の仲間であるとしても。
* * *
「あっ、待って待ってちょっとまって!別に杏は非難するつもりも言いふらすつもりもないから!」
あの時、後少しで銃を構えるところで、彼女は予想外の言葉を発した。
「………?」
「というか、むしろ殺し合いに乗ってるっていうなら好都合なんだよねー」
さっきまでの追求が嘘のように変わる。
一体どういうつもりなのか、千夏はすぐには理解しかねた。
「いやぁ、ちゃんと現実見てくれてる人がいてくれて助かったよ。
杏、今多分日菜子に疑われててさー、もしかしたらこれバレちゃうかも知れないんだよね」
そういって、持っていたバッグからちらりと何かを取りだす。
その細長い塊には、赤黒いシミのようなものがべっとりと付着していた。
それを見て、成程そういう事かと、千夏はすんなり納得した。
ようするに二人は同族だったわけだ。少し意外ではあったが、ありえない話ではない。
「……はぁ。それで、だったら何が言いたいわけかしら?」
その事が分かった千夏は、『役』を被ることなく言い返す。
そんな見つかったら困るようなものをわざわざ見せてくると言う事は、何か考えがあると言う事だろう。
概ね想像はつくが、どちらにしろ事を急ぐ。杏に返答を急かした。
「察して欲しいなぁ。つまりさ、殺すつもりなら止めないからさっさと殺してほしいなー、って。そういう話だよ。
杏も出来る限りサポートするし。ほらほら、早く始末しようよ」
そしてその答えは、概ね想定通りの言葉だった。ハンマーを振り回してアピールしている。
つまり彼女は、今疑われているから彼女達を殺すために動いてほしいと、そういう話を切りだしていたのだ。
先程までの追求を弱みとして握って、殺害を要求している。
「成程ね……でも、私が乗り気とは限らないんじゃない?」
「……いやまぁ、殺さないならそれでもいいんだけどね?
ただそれだと、口が滑っちゃうかもしれないなー。杏、今言った事そのまま言っちゃうかもしれないなー?」
一応反応を聞いて見れば、この返答だ。
凄く白々しい。もしもの時は道連れにする気満々というわけだ。
さっきまでの話を彼女達が知ればどうするだろう。例え上手く言いくるめたとしても、信用はかなり落ちそうだ。
そんな集団と行動するメリットは、薄い。
「ね、どう?当分は組んでも良いんじゃない?」
「………組む、ね」
詰め寄る杏に、出来る限り目を合わさずに答える。
とはいえ、ここでの選択肢はあまり無い。
ここでNOを出しても、彼女を放っておくわけにはいかない。彼女を殺してしまえば、この水族館に居る残りの二人も結局殺さないといけなくなる。
結局は、ほとんど変わらない。余計な事が一つ増えるだけだ。
それに、そもそも今彼女を殺すのはリスキーだ。どんな策があるのか分からない以上、あまり手を出したくはない。
まだあの二人だけの隙をついて殺害する方がやりやすいような気がする。
信用はできない……が、選択肢はこれしかないだろう。
自分の判断でここまで来てしまった以上、後はもう突き進むのみ。
「……先に言っておくけど、どっちが死んでも」
「恨みっこなし、ね。それくらいさっぱりしてた方が分かりやすいよ」
交わした言葉は、同盟を組むための口約束。
本来なら信用できる相手と気軽に言いあうための言葉だったのだが。
「それじゃ、今後ともよろしくー」
「………はぁ」
何度目かも分からない溜息をついて。
こうして、ここに彼女達の同盟ができた。
* * *
「うっわー……グロっ」
彼女の思考は、もう一人の少女の呟きによって一時中断された。
どうやら、いつの間にか消火が終わっていたらしい。
彼女の目線の先には黒ずんだ人のようなものが二つあった。それが何かなんて、今更確認するまでもない。
ただ先程の炎で燃え尽きなかったのか、体は完全な炭状にはなっておらず、その姿はむしろ悲惨さを増しているように見えた。
「あら、死体を見ての感想がそれだけ?」
「いやぁ、それだけって事はないよ。ただこんな風にはなりたくないなぁ、とだけ。
とりあえずさ、場所移さない? ここ凄く臭いし」
そう言い捨てるとあっさりと踵を返した。
やはり、若い子の感性というのは理解しがたい。今も冷静を装ってはいるが、実際夢に出てきそうなほどだ。
もし一人だったなら……少し、弱さを露呈していたかもしれない。
「……そうね。それで、これからの方針だけど」
しかし、そんな感情は不要だ。
そういう意味では、ドライな彼女は有能であるといえよう。そこは見習いたいと千夏は感じていた。
そして、話はこれからに移る。場所を移りつつ、千夏が先導して言葉を切りだす。
「こうなってしまった以上、あまりここには長居できないわ。
かといって、今から積極的に殺して回るのもあなたは望まないでしょう」
「よく分かってるじゃん」
自分の言葉に、なぜか杏は自慢げに同意する。
そんな彼女の性格もそうだが、何より積極的に殺して回るのはリスクが高い。
既に二人殺して、上にこの殺し合いに参加する意思はもう見せた。なら、とりあえずは焦る事はない。
千夏と杏の間に言葉は交わされなかったが、集団に潜むスタンスは変わらなさそうだった。
「一つ気がかりなのは……凛、ね。
放送前……少なくとも放送後に彼女が誰かと合流する前に始末しておきたいけれど」
現在気がかりなのは、この水族館に居た人物の中で唯一殺し損ねた少女、渋谷凛。
彼女だけが、この水族館に誰が居たのかを知って、そして生きている。
そんな少女が次の放送で二人が呼ばれた事を聞いて、どう思うか。
千夏と杏が生き残っているのを聞いてどう思うのか。
「んー……確かに、あの二人が死んで杏達が生きてるのは怪しいかもね。じゃあ今から追う?」
できれば、今からでも殺しておきたいところではある。
しかし、それが厳しい事も千夏は理解していた。
「それも厳しいわ。彼女は自転車を使って移動しているから、私達の足では追いつけない。
まぁそこは最悪、殺し合いに乗る子から無様に逃げてきた……で通じるでしょうけど」
そう、移動手段に差がありすぎる。単純にスピードもかなりの差がある。
さらにどこに向かっているのかも検討がつかない。今から追いつくというのは、現実的では無かった。
だから、ここは妥協するしかない。
実際に現場を見られた訳ではないのだから、言い訳しようと思えばいくらでもできる。
……その時は、今回みたいな矛盾を無くすようにしなければいけない。
千夏は、声に出さず心で呟いた。
「とにかく、早くここを離れましょう」
「それは賛成だけど……どこにいくの?」
「そうね……とりあえずは、ここに」
そういって、地図を指差す。
杏もそれを覗いて、まぁ肯定と取れるようなうなずきをした。
はっきりと言わないのは少し不満があるからかもしれないが……概ね、あまり遠くに動きたくないとかそんな感じだろう。
だから、特に気に介さずに進む。彼女との付き合いは、これくらいドライな方がいい。
そうして彼女達は、水族館を去っていく。
* * *
(まさか、こんな展開になるなんて……ま、良しとしましょう)
その道中、千夏はそう思いながら歩く。
最悪の展開にはならなかった……というより、裏目になり予想外の事態が重なってこうなった。
スーパーの時も結局は殺しきれなかったし、どうも自分の作戦に慢心している事は否めない。
視点は広く持ち、引き出しは多く持たないといけない。
気をつけてどうにかなるものではないが、予想外をなくさなければ、いずれはこちらの身が滅びる。
今の状況は、運よくこうなっただけだ。気を引き締めなおさなくてはならない。
(さて……この子はいつ切り捨てるか、ね)
そうして思考を固めて、共に歩く少女を見る。
生き残るのは一人である以上、彼女はいつか切り捨てなければならない。
(単純に数は力。それに、誰かと一緒に行動すれば集団にも疑われる事なく忍びこめる可能性も上がる)
千夏のスタンス的には、人と組むというのはメリットになりえる。
誰かと一緒に行動しているというのは信用を得やすい。
もちろんそれだけで信用を勝ち取れるとは思ってないが、スタートラインが違うだけで大分安心できる。
何より彼女のような……何も考えていなさそうな少女と一緒ならば、裏がないように思われそうだ。
(ただ、油断はできないわね……あの子の残りの支給品も気になる所だし……)
ただ肝心なのは、始末する時だ。
あの時にも感じた事だが、彼女があそこで追求した時は、当人も危険にさらされる。
流石にここまでして、自分自身が有用な武器を持ってないとは思えない。
鈍器はあるようだが、どうもあれだけとは考えづらい。
あの程度の物では銃や爆弾などにはとても対抗できないだろう。それを想定していない訳がない。
だからこそ、おそらくもっと強力な物があると予測する。対抗できる手段があるからこそ、今までの行動がある可能性が高い。
あくまで予想にすぎないが、そこをおろそかにすれば手痛い反撃を食らってしまう。
そこも見極めて、彼女とは上手い付き合いをしなくてはならない。
(しかし、不思議なものね………。結局、数で対抗する事になるなんて)
不測の事態ではあるが、結局あの時思った『ヒロイン同盟』ができてしまった。
……正直、杏がヒロインと区分していいのか分からないが、そこはどうでもいい。
その間には互いに弱みを握った、業務的な繋がりでしかないけど。
いや……むしろ、それでいい。変にかかわりあいを持つ必要はない。
だって生き残るのは、一人だけなのだから。
どっちが生き残っても、恨みっこなし。
(―――ヒロイン同盟とは、そういうものでしょう?)
【D-7・水族館前/一日目 午後】
【相川千夏】
【装備:チャイナドレス(桜色)、ステアーGB(18/19)】
【所持品:基本支給品一式×1、ストロベリー・ボム×7】
【状態:左手に負傷(手当ての上、長手袋で擬装)】
【思考・行動】
基本方針:生き残り、プロデューサーに想いを伝える。生還後、再びステージに立つ。
1:杏と組む。次の放送までは様子を見つつ休息?
2:休む場所を探し、以後、6時間おきに行動(対象の捜索と殺害)と休憩とを繰り返す。
3:杏に対して……?
* * *
二人が組む事が決まって、その道を歩いている途中に、ただ一人男性の声が聞こえた気がした。
『杏……お前………』
その声は良く聞いた声だった。
この状況に良しとしないような、さながら絶望しているような、そんな声。
まさしく杏の知っているプロデューサーのようなものだった。だからこそ今回はちゃんと答える。
「しょうがないじゃん。だって逆らったら杏もプロデューサーもボン、だよ?
こんな所で死ぬのは杏もプロデューサーもごめんでしょ?だったら、ちょっとは動かないとね」
前を進む女性に聞こえないように、小さく呟く。
杏を悩ましていたのは、罪の意識だ。
どちらにもなりきれない弱さが、彼女を苦しませていた。
その事実に気付いて、そして杏なりに現実的に考えて……そうなると、答えは一つだけ。
自分を正当化できる方向に、振り切る。簡単な事だった。
『……あいつらは、どうするつもりだ』
ひねり出すような弱々しい、しかしはっきりとした声が耳に届く。
あいつら。その内容を聞かなくても、杏には心当たりはあった。
「はぁ?…………あいつら、ねぇ」
その言葉に、杏は少し首を捻る。
杏の知人達は、考えてみればほとんどがこういうのには否定的であるように感じた。
強いて言えば麗奈だが、彼女も前の杏と同じく中途半端ではないだろうか。
そんな彼女達が今の杏を見たらどう思うのか………どう、感じるんだろう。
そういえば、きらりも近くにいるんだったか。
彼女が今の杏を見ればどう思うか、どう声をかけるか。
……全く分からない。そもそも、何考えてるのかもわかりづらい。
というか、そんなのはどうでもいいんじゃないのか。
だって生き残るのは、一人だけなんだから。
「人は人、私は私。名言でしょ」
そして、もう声は聞こえなくなっていた。
彼女は気付いていない――いや、気付かないふりをしてるだけかもしれない。
その問いも、まさしく彼女自身から生まれたものであるという事を。
【双葉杏】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式×2、ネイルハンマー、不明支給品(杏)x0-1、不明支給品(莉嘉)x1-2】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:印税生活のためにも死なない。そのために殺して生き残る。
1:千夏と組み、どこかで休む。
2:人は人、私は私。
※彼女達がどこに向かうかは、後続の書き手の人に任せます
最終更新:2014年02月27日 21:22