星を知る者 ◆wgC73NFT9I



 赤みを帯びてゆく街道の両側に、街灯がともり始める。
 夕暮れの日差しを受けて、前を歩くきらりさんの背中はとても大きかった。

 最初は自分が、仁奈ちゃんのところへ行こうと歩みだしたはずなのに、いつの間にか自然ときらりさんが先になっていた。
 闊歩、というべきなのだろう。
 歩幅の大きな彼女の歩みは、こんな状況でもスキップを踏むかのようだ。
 道の砂が、その着地を無音の歌にする。
 軽やかだ。
 きらりさんは、どんなところにでも楽しさを見つける方法を知っている。そんな風に感じた。

 藤原肇は自嘲する。

 一方の私は。
 まだ、どうすればいいのかわからない。
 足取りの重さは自分でもわかる。
 仁奈ちゃんを残してきてしまったケーキ屋への道。
 踏み出すたびに、迷いが大きくなっていく。
 きらりさんに追い抜かされるのは当たり前だ。

「肇ちゃん! みてみて~☆ すっごくきれいだにぃ☆」

 きらりさんが唐突に上空を指差す。
 足を止めて、つられて空を見上げた。

「あ」

 そこに広がっていたのは、透き通るような赤。
 柿釉をかけた器をうちの窯で焼いたら、こんな発色になるだろうか。
 薄く見え始めた星々と月が釉の色彩に濃淡を浮かべ、口を縁取るような雲の裾は紫の絵付けで赤を締める。
 雨雲にも見える低い雲底の暗さが、きらめくような夕日の空を一際輝かせているのだ。

 一人では気づくことのなかった美しさが、天には広がっていた。

 気づくわけもない。
 今まで私は自分自身のこと、そして目の前にいた人々のことしか見ていなかった。
 私の土は、乾ききっていた。
 乾いた土くれで作った嘘は、展示された水族館でどんな評価を受けているのだろうか。

 潤いは、どこにでも湧いていたはずだ。
 晴れた空。
 畑の鍬。
 渋谷凛さん。
 きらりさん。
 あの小さな羊。

 日頃、イメージすることの大切さを自他へ言い聞かせているはずなのに、どうしてもっとその思考を広げることができなかったのだろう。

 あの暗い雨雲は、私たちを取り巻くこの凄惨な企画か。
 それにも負けず輝こうとする星たちは、懸命に生き抜こうとする私たち自身か。

 誰も憎まず、誰も殺さず、そんな解決を探したくて。
 でも私は、こんな近くにあった美しさも見つけられなかった。
 自分が器をひねりきる前に、自分から潤いを、放棄していた。
 土作りも練りも不十分な作品が、人に感動を与えられるはずもないのに。

 ――こんな気の抜けた器じゃ、おじいちゃんに叩き壊されちゃいますね。

 イメージの揺らぎは、そのまま私たちの運命を決定付けてしまう。
 陶器になぞらえても、イメージの大切さは土をひねる時に限ったものではない。

 器を焼き上げるとき、私もおじいちゃんも焼成過程と完成形の全てをイメージする。
 施釉を行なわない備前焼では、特にそれは重要だと思う。

 器を並べる位置によって、灰の被り方が違う。それは胡麻と呼ばれる凹凸になって現れる。
 火の入れ方のわずかな違いで、炎が酸化焔となるか還元焔となるかが分かれる。備前焼の文様はその焔に委ねられている。
 棧切り(さんぎり)、緋襷(ひだすき)、青備前――。
 意図した発色を得るにはその微妙な違いを肌で感じなくてはいけない。

 もちろん、器の全てを完璧に思い通りにできるわけはない。
 だから、イメージするのだ。その理想に少しでも現実を近づけるために。
 完成を、過程を、手段を、天候を、温度を、人の動きを、私の一挙手一投足を。
 イメージするためには、見ることだ。感じることだ。
 より理想に近い良い物を知らなければ、自分の理想すら描けない。

 ――あなたは、良い『器』ですね。

 目の前で朗らかに笑っている背の高い逸品を見て、そう思う。
 この殺し合いが始まったとき、佐城雪美さんを見て思ったはずだ。
 この閉ざされた島にいる全員が、私と同じ、アイドルなのだと。
 私たちは、皆一様に、アイドルとして焼き上げられる『器』。
 完成を待つさなかに、こんなところに連れ出され、『器』同士がぶつかって砕け散る。
 そんな冒涜を防ぐ答えの一つは、きっと彼女のような『器』だ。

 大きく優しく皆を包み込み、揺らいで倒れそうになる他の『器』を支えてくれる。
 それはきっと、今まで彼女自身がイメージし続け、磨き続けてきた理想なのだ。

「……肇ちゃん☆ なんだか元気に出てきたみたいだにぃ?」
「ふふっ……、そうですね。きらりさんのおかげかも知れません」
「うっきゃ~☆ 良かったにぃ! じゃあ早く行って、もっと元気にハピハピするにぃ☆」

 明かりを強めた街灯の下で、きらりさんは更に明るい笑顔で歩き始める。

 ……ひょっとすると、私の気を少しでもほぐそうと、あの空を指したのだろうか?
 でも、そのおかげで私がここまでの考えに至るなんて、そんなことは思わないだろう。
 単に彼女は、「きれいなものを見つけたから、知らせてあげたい」と思ったのに違いない。
 その実直な思いの発露が、たまらなく素敵だった。



 藤原肇は、そうして歩き始めたとき、周囲の風景のある違和感に気づいた。
 恐らく以前の彼女であったならば気づかずに通り過ぎていただろう。
 そして、ここを通ったのが仮に彼女以外のアイドルであったとしても、気づかなかっただろう。
 それほど僅かな違いであったが、それは明らかにこの街道の“あるべき”イメージには存在しえない事柄であった。




「……きらりさん、ちょっと止まって下さい」
「ん? どうしたんだにぃ?」

 振り向いた諸星きらりの目には、こちらに静止するよう手を差し向ける肇の姿が映った。
 藤原肇の目は、街道の脇に立つ一軒の家屋に注がれていた。

「あの家の門、……開いています」

 二階建ての一軒家。一階に広々とリビングを取り二階に寝室を設けた構造。大体3LDKほどの間取りだろうか。雨戸が閉まっており詳細は窺えないが、平常時なら肇でも「将来のマイホームはこれぐらいの家が良いなぁ」くらいのことを思ったかもしれない。
 玄関の前には小さいが手入れされた庭があり、黒塗りのアルミ柵にイチゴか何かのつるが絡んでいる。なるほど平常時ならきらりでも「うきゃ~かわゆい☆ イチゴもおいしすぉ!」などと言い出していたかもしれない。
 問題はそこではない。
 そのアルミ柵で出来た入口の門。
 戸のレバーを柵の出っ張りに引っ掛けるだけでロックする簡単な門であったが――。

 そのレバーが、外れていた。

 その意味するところを考えるに至り、きらりは素早く身構え、肇はうっすらと背に冷や汗をかいた。

「……いや、たぶん大丈夫です」

 一瞬自問自答したあと、肇はきらりに向けてそう呟いた。



 門が開いているということは、少なくともそこにアイドルの誰かが立ち入ったことになる。
 今までに見たその他の家屋は、基本的に全ての門扉が閉まっていたはずだ。
 だが、今も誰かが中にいるとするなら、間違いなく今までの話し声は家屋の中まで聞こえている。敵対するアイドルがいたなら、発見されたのを察して狙撃するなり逃走するなりするだろうし、仲間を求めているアイドルがいたなら、こちらに呼び掛けがあってもおかしくはない。
 どちらにしても、中に人がいたなら何らかの動きがあるべきなのだ。

「杞憂でした。変なことを言ってしまいましたね」
「ううん。肇ちゃん。気づいてくれて、ありがと」

 緊張を吐いた私の呼び掛けに、きらりさんはじっと地面を見たまま指をさしました。
 その指を追い、私は自分の見落としに気がついたのです。




 庭先は、玄関までの道に玉砂利が敷き詰められていたが、門の近くは庭土がそのままであった。
 そこに残るのは、かすかな二人分の足跡。そして、僅かに土に濡れた足跡が出て行くのは、一人分だけだった。




「……中に誰か、いる?」
「……行ってみるにぃ」

 きらりさんの表情は硬かった。
 足跡はどちらも私の靴よりふた周りは小さい。身長は150cmもないのではないだろうか。
 子供の足跡だ。
 ……そんな子供たちのうちの誰かが――。

 バン。と大きな音をたてて、きらりさんは玄関のドアを開けていた。
 陽の沈みかけた赤黒い光の中に、その先の廊下が照らし出される。

 その臭いには、きらりさんの方が先に気づいたようだった。
 ばっ、ときらりさんは廊下の先に顔を振り向け、靴を脱ぐのも忘れて奥へ駆けて行ってしまう。

 ――錆びた鉄のような、生臭い臭い。

 脳の痺れるような酸鼻な刺激臭を追って、私もその家の中に入る。

「莉嘉ちゃん!!」

 リビングの明かりをつけた。
 小さな女の子が、酸化鉄の赤釉を床にぶちまけてしまったのだ、と思った。

 目に飛び込んできたのは、黒ずんだ赤い水溜りと、そこに横たわる女の子の姿。
 きらりさんは、その大きな水溜りを気にかけることなく女の子へ駆け寄り、その体を抱え起こしていた。
 べりっ。と、ガムテープでも剥がしたような音がした。
 女の子の体は、倒れていた形そのままで持ち上がった。乾ききった粘土のようであった。
 淡い金色の髪が潤いなく垂れ下がり、赤黒い染みが無残にその頭部へ散りばめられていた。

 喉の奥からすっぱいものがこみ上げる。

「……う、う……げっ……」

 すんでの所で吐き気を飲み込みつつも、私は現実を理解した。
 あれは、第一回の放送で呼ばれた、城ヶ崎莉嘉ちゃんという女の子だ。ここで、誰かに殺されてしまったんだ。同じような年頃の女の子に。あんなにも頭を滅多打ちにされて。

 血だまりの脇には、細長い血痕が残っている。
 金槌の形に見えた。
 うちで使っているようなゲンノウではない。釘抜きのついた小さなハンマーだ。
 争ったような跡はない。……後ろから不意に殴りかかった?
 彼女が倒れた後も、何度も何度も、ハンマーを振りおろした?
 殺してしまった後、我に返ってハンマーを取り落としたのか、それとも単に血で手が滑ったのか。
 どちらにせよ。
 この所業は、とてつもない憎悪や激情の表れに見えた。
 決してその場かぎりの感情や、プロデューサーを思って殺害に走ったようには思えない。隠れていたもっと根深いものを、ここでぶちまけたにちがいない。
 その寸前まで、彼女の隣で一緒に笑っていただろう人物が、だ。

 こんな思いを抱いた人が、私たちの中に。
 アイドルの中に。
 いるのか。

 ふらつく体をリビングの壁で支え、私はきらりさんに歩み寄る。


 彼女は切なそうな顔で、抱えた女の子をじっと見つめていました。


 涙の跡が残るその死に顔は、血が降りてしまったのか右半分が紫色に、左半分が真っ白に変色していて、苦しげな表情を一層凄絶にしていた。地面に張り付いていた頬と唇は歪められ、固まった血液から無理やり剥がした時に、皮膚が一枚むけて垂れてしまっている。

 ――きっと、死体ってみんなこうなってしまうのだ。
 あの雪美さんも、仁奈ちゃんも、こんなアイドルらしくない色に染め上げられ、練り固められ、無残に潰される。周子さんも、美波さんも、だれが美しいアイドルのままでいられただろうか。
 炎の前で見たあの小さな体など、一体誰だったのかすら解らないほど。
 殺した者も、殺された者も、だれもアイドルではいられない。
 ――『器』は粉々にされる。



 市原仁奈以上の惨殺死体。
 単純にその少女の死のみならず、その前後の状況まで藤原肇にはイメージできてしまったことが、却って彼女の受けたショックを強めた。
 見ようとしていた理想の『器』。
 描こうとしていたアイドル像。
 途端にそれらが色褪せていく。
 地続きで繋がっていると思ったアイドルたちの思いが、あまりに遠い場所に思えた。

 ――誰にも、憎しみや悲しみを抱いてほしくない。
 ――でも、その答えが、見えない。

 動揺が、早くも彼女の視野を狭めていた。
 彼女はそのまま、立ち直ることはできなかっただろう。

 ――ここに、諸星きらりという『器』がいなかったならば。


     ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「ねえ、肇ちゃん」

 諸星きらりの声で、藤原肇は沈痛な顔を上げる。
 軽くなってしまった城ヶ崎莉嘉の体を抱えて、きらりの笑顔は優しかった。
 眠る子供をあやすかのようにそっと、きらりは莉嘉を抱いていた。

「きらり、莉嘉ちゃんも一緒に連れて行こうと思うの。いいよね?」
「……なんでそんなことを? ……それに何の意味があるんです」
「……一人だと寂しいにぃ。莉嘉ちゃんも、仁奈ちゃんも」

 捨て鉢になったような肇の吐息を受けて、きらりは答えた。

 白坂小梅と共に弔った二人の子供のことが思い出されていた。
 見つけてあげられて、良かった。
 ほんの少しだけでも、あの二人のことがこの心に留まったから――。

「きらりはね、死んじゃった人は、生きてる人の心の中に行くんだと思うの」

 光の鈍い肇の目が、わずかに動く。

「死んじゃうって、とーっても辛くて、悲しくて、寂しいことでしょ?
 それなのに、だーれもそれを知らずにいたら、きっと、その子たちはもっともっと辛くて寂しいと思うの。
 だから、きらりも、『頑張ったね』って、言ってあげたいにぃ!
 そうしたら、その子たちは、きっとずーっと、きらりたちの心の中で『頑張って!』って応援してくれると思う!」
「あ……、は……あぁあっ」

 きらりは一気に語りかけた。
 肇の喉から、喘ぎが漏れた。


『遠くにいても、思ってくれる。頑張れって、応援してくれるって』


 肇には、確かにあの時の仁奈の言葉が聞こえた気がした。




「に、仁奈ちゃん……」
「肇ちゃん! 心の中で、みんなでハピハピするんだにぃ! この子たちのためにも、きらりたちのためにも、ハピハピで頑張るんだにぃ!」

 嗚咽と共に顔を上げた。

 きらりさんは、眼に涙を溜めていました。

 眩しかった。部屋の蛍光灯も、きらりさんの熱情も。
 きらりさんが本当に大きく見えた。

 ――この人は、どれだけ多くの思いを背負うつもりなの?
 ――もうすでに、彼女の背中にはどれだけの思いが載っているの?

 涙でぼやけた蛍光灯の光が、きらりさんの背に円のように広がる。
 いうなれば、神様に描かれる後光のように。
 彼女の『器』の深さと大きさが、如何に長大であるのか。私のイメージはまだそこまで及ばなかった。

「は……ぴ、はぴ……!」

 ――だけど私も、仁奈ちゃんにもう一度会うには、もっとこの『器』を広げなくては、ならない!

 口の中で、おまじないのように声を紡ぐ。
 私は自分のデイパックを下ろして、中から一冊のアルバムを取り出した。

「うゅ……、なんだにぃ? それ」
「私の支給品です。たぶん私たち60人全員を含めた事務所のアイドルが載ってます」

 ページをめくりながら答える。
 きらりさんは、眼に涙を溜めたままゆっくりと覗き込みに来る。
 ……あった。

アイドル名 : 城ヶ崎莉嘉
フリガナ : じょうがさきりか
年齢 : 12
身長 : 149cm 体重 : 36kg
B : 72 W : 54 H : 75
誕生日 : 7月30日 星座 : 獅子座
血液型 : B型 利き手 : 左
出身地 : 埼玉
趣味 : シール集め

 お姉さんよりも先にCDデビューして、アイドル活動もこれからという時に。
 12歳なんてまだまだ遊びたい盛りで。本当なら今だって、きらりさんや同年代の子と、無邪気に遊んでいただろうに。楽しく、この遊園地の写真のように、快活な笑顔を振り撒いていただろうに。

 アルバムを持つ腕が震えていた。
 奥歯を噛み締めて、次のページへ指をかけた。

「くぅぅ~~~~ーーーーッッ!!」

 探す。
 私たち60人のページを。
 今も懸命に生きているアイドルを。亡くなってしまったアイドルを。

 放送で呼ばれてしまったのは23人。
 残りの37人も、いつまで無事でいられるのか。

 ページをめくるたび、今この瞬間にも、この笑顔が潰されているかも知れない。
 そんな認識が静かに心に芽生える。

「……この笑顔のためにも、私たちはハピハピでいなければいけないんですね」

 アルバムを閉じ、私はゆっくりと立ち上がった。
 一緒にアルバムを覗いていたきらりさんへ、そして彼女に擁かれた莉嘉ちゃんへ、振り返る。
 血のこびりついた金髪をそっと撫でた。

「もう、誰にも悲しい思いはさせたくありません。そのために、私、頑張りますから……。応援していて下さいね」
「……うん。莉嘉ちゃんは、すーっごく頑張ったにぃ! あとは、きらりんたちに、ぜーんぶ任せるにぃ!!」

 きらりさんの腕は、震えていた。
 それでも、きらりさんは。

「それじゃ、出発するにぃ☆」

 底抜けの笑顔で、先を歩き始めた。


     ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 明かりを消して、門を閉めて。外に出れば、陽はわずかな残光を上に投げているだけだった。
 空は雲がかかり、街灯の光を吸って黒々としている。
 きらりさんの背はアシンメトリーのパステルカラーを輝かせて聳える。
 その服が踏む足取りは、先ほどよりも重いように見えた。
 私の歩みが速まったからだろうか。
 莉嘉ちゃんを抱えているからだろうか。

 ……たぶん最大の原因は、過積載だ。
 60人のアルバムを読み通し、私の脳裏にも様々な思いが去来した。
 美波さんや周子さんの写真を見て、めまいを覚えた。
 華々しいイベントや事務所での笑顔。それらがもう増えることはない。
 きらりさんの聳え立つ背には、すでに23人分の応援が、想いが積まれているはずだ。
 いや、もしかすると、私と一緒に見た60人分、全員かも知れない。

 いくら彼女の『器』が大器であっても、それは、一人の少女には余りに重過ぎる積荷ではないだろうか?

 彼女の腕には、もう動くことのない莉嘉ちゃんがいる。
 どれくらいの力なら莉嘉ちゃんを壊さずに済むか、きらりさんは知っているはずだ。
 どれくらいの優しさで、子供たちの頭を撫でればよいか、知っているはずだ。
 どれくらい屈みこめば、子供と同じ目線になるか、知っているはずだ。
 電車のドア枠におでこをぶつけない首の傾げ方だって、知っているだろう。


 でも、自分がどれだけの想いを背負えるのか、あなたは知っているのですか?


 その問いが音になる前に、私たちはケーキ屋のショウウィンドウを見ていた。
 暗い店内の隅に、ぽつんと羊が落ちている。
 ガラス戸を押して店内。羊の傍らに、仁奈ちゃんが眠っていた。

「仁奈ちゃん……」

 きらりさんの呟きを後ろに聞きながら、私は仁奈ちゃんを抱え起こす。

 見開かれた目には、ぽつぽつと血の滲んだ点が浮いている。あえぐように開いた口にもだ。
 息を詰まらせながら、意識を落としながら、どれだけ苦しんだのだろうか。
 確か仁奈ちゃんは、目を閉じていたはずだ。
 瞼が縮んで、開いてしまったのかもしれない。
 はだけさせていた胸は、内出血で紫色になってしまっている。
 私が無理矢理、できもしない心臓マッサージなんかをしたせいだ。あばらも何本か折ってしまっているだろう。

「……ごめんなさい。仁奈ちゃん。
 私がもっと色んな可能性をイメージできていたら、仁奈ちゃんはこんなに苦しまなくて済んだかも知れませんよね。
 ……でももう、あやまりません。
 仁奈ちゃんの頑張りを、無駄にしたくはありません。
 遠くに行ってしまった仁奈ちゃんの分まで、私、みんなをハピハピにして見せますから!」

『大切な人なんだから、絶対いつでも応援してくれるんでごぜーますよ』

 仁奈ちゃんの声が聞こえる。私が都合良く思い出した記憶に過ぎないのは、わかってる。
 ただ、彼女が私にその言葉を託してくれたのは確かだ。
 ――その想いくらい、『器』に汲み上げられないでどうする。
 私が潤いを失い、アイドルを放棄することは、仁奈ちゃんを裏切ることになる。
 おねーちゃんと呼んでくれた彼女のような笑顔を、もう潰させたくはない。

 羊のきぐるみを仁奈ちゃんに着せて、その瞼を優しく落としてあげる。


 でも、口を閉じてあげることはできなかった。


 仁奈ちゃんの顎はもう硬くなってしまっていた。
 確かな死の感触に、背中が粟立つようだった。
 どうあがいても、“安らかな死に顔”になんかならない。
 こんなことも想像できず、慮ることもできず、なんで私はここを立ち去ってしまったのか。

『――友達に、背を向けるな。たぶんきっと……後で、死ぬほど後悔するから』

 凛さんの言葉が浮かぶ。その通りだ。
 だからこそ、ここでもう一度背を向けることはできない。
 仁奈ちゃんの想いから逃げたりは、しない。
 もう自分を責めたりは、しない。
 二度と踏み誤ることのない道を、イメージしてみせる。

 苦い唾を飲み込んで、きらりさんに向き直った。

「莉嘉ちゃんと一緒に、どこかで寝かせてあげましょう」

 一瞬、雪美さんの眠るログハウスが思い浮かんだが、やめた。
 あそこには彼女の決然たる想いがある。雪美さんが『器』として形作った一つの完成品だろう。
 この冒涜的な企画を考え出した者たちに提示すべき業に、私たちが手を加えるべきではない。

 莉嘉ちゃんと仁奈ちゃんには、ただこんな辛い殺し合いから離れた場所で、休んでほしかった。

「……うん。そうしよ? でもねでもね、このままじゃ、ちょっとかわいそぉ」

 きらりさんは静かにそう言って、そっと仁奈ちゃんの口元に手をかざす。
 仁奈ちゃんの口が、閉じていた。
 寝顔のようだった。

「えっ!? ど、どうやって」

 見れば、きらりさんに抱えられていた莉嘉ちゃんの体は、いつの間にかお姫様だっこをされているかのように丸くなっている。あんなにも硬く、こわばって倒れていた莉嘉ちゃんが。

「きらりんぱわー☆だにぃ。あんなに苦しそうなの、いやだもんねぇ」

 暖めながら、その腕力で固まった関節を動かしたとでもいうのだろうか。
 なんという、繊細で強い力なんだろう。

 きらりさんの微笑みは、全てを包む母親のようだった。
 この人は、支える気でいる。この島に連れてこられた60人のアイドル全員を。
 どんなにおもい積荷でも、その背中で支える。
 それだけのパワーを自分の奥から奮い立たせようとしているのだと、私は直感した。

 『器』の大きさが知れているなら、もっと大きくなればいい――。

 そんな言葉を、私は自分の中から聞いた。


     ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「こんばんは!
 そろそろ夜になりそうですが、準備はできてますか?」

 ちひろさんの声が静けさを引き裂いたのは、ちょうど私たちが二人の体に毛布をかけてあげた時だった。

 ケーキ屋の二階は、恐らく店主の住居と思われた。
 狭いなりに整頓の行き届いた室内のベッドを借り、莉嘉ちゃんと仁奈ちゃんを寄り添って寝かせてあげていた。
 そのさなかに読み上げられた新たな死者の名前に、私は自分の耳を疑った。

「――希望を忘れないでくださいね。
 貴方達が信じるもの。
 そして、その『正しさ』を貫く事が。
 なによりも、輝いて見えるんだから。
 それこそが、『命』で。
 生きる証なんだから。
 最期まで、頑張りなさい――」

 放送の声が止むと同時に、私たちは見開いた目を合わせた。

「肇ちゃん! 泰葉ちゃんと、日菜子ちゃんって……!」
「聞き間違い、なんてこと、ありませんよね……」

 しかし、私の耳もきらりさんの耳も、嫌になるほど正常だった。
 取り出した端末には、岡崎泰葉喜多日菜子の名前が、発表された死者の最初に連なっていた。

 ぐらぐらと視界がぶれる。
 ――私が、あんな嘘をついて二人を置き去りにしたから……?

 崩れそうになる私の右腕を、きらりさんが掴んだ。
 力の加減を忘れているのか、指が食い込んで、痛い。

「肇ちゃん、水族館に行かなきゃ! 急ごっ!」

 そのままずるずると、私をひきずったまま、走り始める。
 でも、その足は、三歩も進まないうちに止まった。

「だ、だめッ……!」

 ――私が、止めた。
 フローリングに自分の全体重を踏ん張らせて、彼女の勢いを止めた。
 きらりさんが、驚いて振り返る。
 今にも泣き出しそうな顔だった。

「どうして!? 二人とも死んじゃって、水族館には杏ちゃんもいるんでしょ!? みんな危ないにぃ! 助けに行かなきゃ!」
「……杏さんは、たぶん無事です。この放送で呼ばれませんでしたから、逃げられたんだと思います」

 岡崎さんたちが呼ばれたのは、死者の一番最初だった。
 この死者のリストは、恐らく第一回からずっと、死亡時刻順に並んでいる。
 6人とは言えその初めに死んだのなら、私がお昼に水族館を去った、その直後ないし遅くとも1~2時間後が関の山だ。
 その時、何者かが水族館にやってきて二人を殺害した。
 4時間近くたった水族館には、残っているとしても彼女たちを殺した犯人しかいないだろう。
 一緒にいた杏さんが、発見されないまま留まっているとは考えづらかった。
 時間的に、あの時出合った凛さんがいてもおかしくはない。一緒に逃げたのかもしれない。
 慌てたままで水族館に向かえば、私たちが殺されかねない。

 私はそんな考えを、訥々ときらりさんに語った。
 こんな少しの時間で、そこまで考えが至ったことに、自分でも驚く。
 ちひろさんの放送は、確かに私の心を大きく波立たせた。でも、私の水底の土は平坦さを保っている。
 何度も他の人の死を受けて、揺らいでいた自分が、壊れて沈んだのかもしれなかった。

「杏さんのためにも、今は私たち自身のことを考えましょう」

 静かに、諭すように呼び掛ける。

 きらりさんは、顔を伏せて震えていた。

「……肇ちゃんは、どうしてそんなに強いんだにぃ……?」

 返ってきた呟きは、予想外のものだった。
 私が、強い?

「莉嘉ちゃんも、仁奈ちゃんも、他の子たちも死んじゃって……。
 きらりは、こわいにぃ……。
 きらりが、ちょっとでもハピハピじゃなくなっちゃったら、もうハピハピにはなれない気がするの。
 だから、大丈夫、大丈夫って、ずーっと自分で言ってたにぃ。
 肇ちゃんは、すごいにぃ。一緒にいると、どんどん違うハピハピが肇ちゃんの中におっきしてくるのが、わかるの。
 きらりには、そんなすごいこと、できる気がしないの……」

 きらりさんは、膝から崩れ落ちた。
 とてつもない寂しさと不安が、繋いだ手から感じられる。
 きらりさんが莉嘉ちゃんに感じた寂しさは、きっと、きらりさん自身のものだったのだ。

 きらりさんが『すごい』と言ってくれた、私を思い出す。

 きらりさんと出会った時。
 炎の前で岡崎さんたちに出会った時。
 仁奈ちゃんが死んでしまった時。
 嘘を決心した時。
 羊を作った時。
 空を見上げた時。
 私の中には、全く方向性の違ういくつもの考えが起こっていた。でも、それらは全部私だ。今の私の素地を固めてきた確かな土。
 ――焼き物は、初めに小さく作ってしまえば、大成できないと言われる。
 だから。

「……一度、自分を壊すんです。土に戻して、不純物を選り分けて、もう一度新しく、大きな『器』を作るんですよ。今まで見知ってきたもの全て、載せても潰れないような、『器』を」

 ようやく、言葉として見えた。

『私は脆くて、弱い。だけど、私は十分、泣いたから。違いがあるとしたら――きっと、それだけ』
『たぶん、ちゃんとしっかり、泣いておいた方がいいと思うよ――2人とも』

 凛さんの言葉が、ようやく自分の土になった。
 目の前のきらりさんは、とても小さかった。
 膝をついて、えづくように丸めた背中に、莉嘉ちゃんを抱えていた時の輝きはない。
 でも彼女は、一度ならずその輝きを宿していたはずだ。
 ならばその土は、もっと大きな輝きを宿した『器』を作れる。

「よしよし……、怖かったんですね。きらりさんも……。
 泣いて良いんですよ。それで、見えてくるものが、あるはずですから」

 膝立ちをした胸に、暖かい重みが乗ってくる。
 背中に、熱い雫を感じる。
 私の頬にも幾筋か、熱さが走っていた。

「……できますよ。ハピハピの世界征服。
 きらりさんは、もっと大きくなれる。私も、大きくなります。
 ――一緒に、みんなで、やりましょう!」
「うぇへへ……☆ 肇ちゃんも、ハピハピするんだね……。
 じゃあ、狙う? 狙っちゃう?
 ……一緒に……、やっちゃうぅ~ッ?」


 きらりさんの鼻声は、最後には子供のように大きな泣き声に変わっていました。


『怖いですよ。それは。……でも、怖いから泣いてるんじゃないです』

 目の前には岡崎さんの顔が映る。
 炎の前で笑っていた彼女は、きっと最期まで大きな『器』であらんとしただろう。

『二人でいってきたらどうです? 折角ですし』
『だから、ここから立ち去りなさい』



 あなたの優しさも怒りも、受け止めます。
 あなたたちを殺してしまったのが、私の愚かな嘘だったとしても。それを受け止められる『器』であります。
 きっと、あなたもそれを望んでいると、私は思っています。



『仁奈もありがとうごぜーます、肇おねーちゃん』



 岡崎さんの隣で、仁奈ちゃんが笑っている。
 二人が、私に手を振ってくれていた。



 備前焼は、『落としても割れない』丈夫さで、古の武人に愛された。
 そして『入れた水を腐らせない』通気性の良さで、古の茶人に愛された。
 ――備前を焼くものとして、アイドルとして、こんなところで、腐りも砕けも、しません!

「食べて、飲んで、休んで、体力を取り戻しましょう。
 行き先は水族館よりも、小梅さんたちが行ったという病院のほうがいいかもしれません。
 私たちは、生きて、みんなをハピハピにさせるんです――」





 諸星きらりの涙は冷めなかった。
 冷たくなっていく城ヶ崎莉嘉と市原仁奈の隣で、自分たち二人は湧き起こる熱を感じている。
 莉嘉を抱いたときに感じた寂しさは、もうない。
 死者に投影されていたその氷を、溶かしてくれた人がいる。
 今までは自分がしていたような暖かい抱擁を、してくれる人がいる。
 潰されそうに感じた60人の想いが、羽のようだった。
 どれだけでも背負える。
 おんぶができなければ、だっこでもいい。
 肩車だってしてあげられる。

「……病院までなんて、きらりんタクシーがひとっ飛びだにぃ☆
 杏ちゃんも、小梅ちゃんも……。死んじゃった子たちにも!
 みんなに、きらりんぱわー☆、ちゅーにゅーしてあげるにぃ!!」

 月も見えなくなった夜の、迷いを消すように、諸星きらりの目は輝いていた。



【諸星きらり】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式×1、不明支給品×1】
【状態:健康】
【思考・行動】
 基本方針:つらいことや悲しいことに負けないくらいハピハピする。
 1:肇ちゃんと一緒に、みんなをハピハピにする。
 2:杏ちゃんが心配だにぃ……。どこにいるんだろ?
 3:水族館のことが気になるけど、病院に行ったほうがいいのかなぁ?
 4:きらりん、もーっとおっきくなるよー☆



     ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



 器を焼く前の土作りとして、粘土を大量の水にさらす、という工程がある。
 小石やごみをよなげて洗い、より質の良い粘土のみを残す手法だ。

『偽物じゃ、ないですよねぇ?』

 藤原肇の目の前に、首を傾げた喜多日菜子がいた。
 妄想に捉われがちな女の子だったが、それ故に、鋭い観察眼があったように肇は思った。

 喜多日菜子の像が見ていたのは、双葉杏だった。

『や、やっぱり辛いんじゃないかなー。人殺しはいけないことだし、ほら、良心のカシャクとかさ』
『そんなの嘘ですよぉ』

 なぜ、自分の記憶が今この二人を思い出してきたのか、肇には思い当たった。

 岡崎泰葉と喜多日菜子が放送で呼ばれた時に、双葉杏が呼ばれなかったことに、違和感を感じたのだ。
 逃げられたのだろう。と、一度は推測に結論をつけた。
 だが、岡崎泰葉と喜多日菜子が逃れられなかった相手から、双葉杏だけが逃れるイメージが、湧かない。
 ニートアイドルとして売り出した彼女が、かなりの要領の良さを持っていることはわかる。
 それでも不自然だった。

 頭の中で、藤原肇は彼女のアルバムのページを思い出す。

アイドル名 : 双葉杏
フリガナ : ふたばあんず
年齢 : 17
身長 : 139cm 体重 : 30kg
B : ? W : ? H : ?
誕生日 : 9月2日 星座 : 花も恥らう乙女座
血液型 : B型 利き手 : 右
出身地 : 北海道
趣味 : なし

 身長139cm。
 ――あの家から出て行った足跡は、藤原肇のものよりふた周りは小さかった。

 身長150cm未満のアイドルで、この島に呼ばれた者は15人。
 その内死んでしまった者が8名。
 生き残っている人たちの中でも、小関麗奈小早川紗枝、白坂小梅、古賀小春には、諸星きらりが会ってその安全を確認している。
 残ったのは、輿水幸子星輝子、そして――。
 双葉杏。

 双葉杏や城ヶ崎莉嘉は、諸星きらりと共に、事務所でも良く触れ合っていたはずだ。
 輿水幸子や星輝子は、彼女たちには申し訳ないが机の下でキノコを育てていたりスカイダイビングが中継されていたりした映像しか藤原肇には思い浮かばない。

 そして、城ヶ崎莉嘉と家屋の中に入るまで、その殺意を見せなかったような人物が、既に死んでいるとも思えなかった。


『それに人殺しってバレちゃったら、きっと誰も信用してくれなくなるしね。
 誰にも言い出せずに一人で悩むんじゃないかなあ。ほら、杏はこう見えて根が繊細だし』


 ……。
 あの時、藤原肇は、単なる例え話として双葉杏に話を振っていたし、杏もそう捉えていたと思われた。


『ほら、杏はこう見えて根が繊細だし』


 ではなぜ、自分の話になる。



 ――杏さん、あなたの背中には、一体誰が載っているんですか……?



 星の輝きを持つ目と抱き合いながら、涙で洗われた藤原肇の目には、もう少しでその土が見えるような気がした。





【C-6 ケーキ屋の二階/一日目 夜】

【藤原肇】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式×1、アルバム】
【状態:健康】
【思考・行動】
 基本方針:誰も憎まない、自分以外の誰かを憎んでほしくない。
 1:きらりさんと一緒に、みんなをハピハピにする。
 2:殺人犯がいるかもしれない水族館よりも、病院に行って小梅さんたちと合流した方が良い気がする。
 3:双葉杏さんには警戒する。
 4:一度自分を壊してでも、そのショックを受け止められる『器』となる。


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最終更新:2014年01月04日 20:32