愛の懺悔室 ◆RVPB6Jwg7w





『……前川みくがレポートするにゃ!
 ただいまみくは、飛行場の見回り中~!

『えーっと、いろいろあって、いまみくは1人なのにゃ。
 ちょっとじっくり、考えたいことが、あって……
 映ってないけど、喋りながらハンディカメラ回しながら歩いてますにゃ。
 撮られるのはもう慣れてるけど、撮影する側ってなんか新鮮~。

『それにしても、広いにゃー。
 あとこの辺はけっこう小さな建物がたくさんあるにゃ。
 こっちは……えーっと、整備の車かにゃ?
 こっちは倉庫。
 なんかよくわかんにゃいけど倉庫。中身なんなんだろ?

『で、ここは……消防車!?
 あー、飛行機事故とか怖いもんねー。
 備えあれば憂いなし、だにゃー。

『まーそんな訳で、けっこう見通せないとこも多いので、みくも足を運んで見回り中~♪

『……異常、なしにゃ。

『飛行場の端のあたりまで来たにゃ。
 このあたりからだと、ちょうどフェンス越しに海の方が見渡せるにゃ。
 北の街が右手に見えてー、海があってー、海の向こうにも島があってー。
 あのおっきいのがたぶん、みくたちが最初に居たホテル。
 で、たぶんあの辺が……。

『……あの辺が、雫ちゃんと別れた、ステージ。

『最大までズームすれば、ココからでも見えるかにゃ?
 ……やっぱりこのサイズのカメラじゃ無理っぽいにゃあ。残念。

『……雫ちゃん。

『無理だにゃ……。
 やっぱり、無理あるにゃあ……。
 あんなの、死んでる子を前にして『ドッキリだにゃ!』は、無理がありすぎるにゃあ……!

『…………。

『……ナターリアは言ってたにゃ。『辛いなら辛いと言えばいい』って。
 でも、みくがつらいのは、たぶん、ちょっと何か違うにゃあ……。

『……どう違うんだろ。

『雫ちゃんが信じてくれたみくを貫けないのが、つらいにゃ。
 ただ『つらい』って言っちゃうこと自体が、つらいんだにゃ。

『ううん、言うのが辛いんじゃなくって……言うのは、違う。そんな感じにゃ。

『みく、自分でもあんまり頭良くないって分かってるけど……
 それでも、なんかそこは譲っちゃいけない気がしてるにゃ。
 なんでだろ?

『…………。

『……綺麗な海だにゃあ。

『…………。

『……雫ちゃんが信じてくれたのって、何だっけ。

『…………。

『…………。

『……そっか。

『分かっちゃった。

『みくが曲げちゃいけないのは、ドッキリの看板じゃないんだにゃ。

『みくは――雫ちゃんがみくに『ある』って言ってくれたのは、それは――



    *    *    *



『――最期まで、頑張りなさい。』


その言葉を最後に、三度目になる放送は終わった。
広すぎる飛行場の建物内。
遠くのソファには横たわったまま動かぬ少女の亡骸、少し離れた所には乾き始めた血痕、そして――

「……外の2人、とりあえず毛布かけてきたにゃあ。
 運んでくるのは……ちょっと方法を考えないと、キツそうだにゃあ……」
「……おつかれさま」

ソファに座っていた女性が、外から帰ってきた少女にねぎらいの言葉をかける。

室内で待っていた、頭に鉢巻のように白く新しい包帯を巻いた女性が、和久井留美
外から帰ってきた、猫を模したセクシーなステージ衣装姿の少女が、前川みくだった。

「留美さんは頭の傷、大丈夫?」
「素人判断だけど、軽いコブと表面が少し切れただけ、みたいね。
 そこの医務室で鏡を見ながら、ガーゼを当てておいたわ。
 この程度でも、人間って気を失うものなのね」
「…………」
「今のところ、眩暈や吐き気はないみたい。
 目が覚めた直後は少しフラッと来たけど。大事になりそうな気配は今の所ないわ。
 本当に運が良かったんでしょうね」

淡々と語る留美。
みくは心配そうな表情のまま、留美とは別のソファに腰かける。

無造作に鞄やその他の荷物が置かれていた、ソファ。
外に転がる遺体2つに毛布をかけに行っていた間、置いたままにしていた荷物。
鞄から出されたままになっていた『ドッキリ大成功』の看板を、なんとはなしに胸の前に抱え込む。
床に看板の棒の下の端をつけたら、ちょうど看板の上の縁が座ったみくの顎くらいの高さになった。
腕と頭を看板の上に載せ、体重を預ける。

「……放送、終わっちゃったにゃ」
「ええ……」

みくがうなだれる。留美は端末を片手に、名前を再チェックする。
さらに重ねられた6名の名前。
その死を直接確認できた2名の他にも、さらに4名――
その中には、無視できない名前が、含まれている。

「私たちと別れて外に行った3人のことは、聞いてるわよね?
 それに、出ていく際の約束のことも」
「うん……。
 光ちゃんから、だいたい聞いた、にゃあ……」
「こちらでもあちらでも、死者が出てしまった……。
 こうなってしまった以上、お互いにお互いを、諦める。
 そういうことに、なってるわ」

紆余曲折の末に空港に集った、6人のアイドルたち。
3人残って、3人外に出た。

飛行場では、後からみくが加わって4人になって。
それから『緒方智絵里の襲撃があって』ナターリアと南条光が死んで、今いる2人だけが残った。

外に出た3人は、道明寺歌鈴の名前が呼ばれてしまい。
高垣楓と、矢口美羽はまだ健在なはずだが、状況を推測する材料もない。
分かっているのは『まだ』2人は死んでいない、というだけ。
負傷していたり、今まさに交戦続行中だったりする可能性さえもある。
居場所の手がかりさえあれば、今すぐにでも飛び出して駆けつけたい、そんな情報だ。

けれども、彼女たちは分かれる際、約束をした――
どちらかに犠牲が出たら、再会は諦めよう、と。

留守番担当チームに犠牲が出たら、探索組は帰還を諦める。
探索担当チームに犠牲が出たら、留守番組は探索組の帰還を諦める。

もともと2手に分かれたこと自体、全滅を避けるための策だったのだ。
数が仇となる展開を避けつつ、最悪でも彼女たちのうちの一部だけでも、想いと情報を先に繋げる。
調査と拠点確保を両立させ、限られた時間を有効に使いつつ、一部のメンバーは休息も取る。
そういった狙いに基づいた、チーム分割だった。

ゆえに、一方に犠牲が出たからといって、もう一方が駆けつけようとしては意味がない。
慌てて戻ったり探しに出たりしたところで、大量殺人者の手によって一網打尽にされる危険性すらある。
それこそまさに本末転倒、それこそまさに回避したかった事態、だから――

だからこそ交わした、覚悟の約束。
それが今生の別れとなる恐れも承知の上での、旅立ちと見送り、だったのだ。

前川みくは、直接その場にいた訳ではないけれど。
ナターリアや光が覚悟の上で同意した話を、一人で覆す訳にもいくまい。
言葉もない彼女を横目に、留美は普段通りの淡々とした態度で、言葉を紡ぐ。

「これから、どうしようかしらね……。
 智絵里も去った以上、かえってここは安全な気もするし。
 できればしばらく、休みたいのだけど」
「……留美さん」

溜息をついてみせた留美に、そしてみくは。
ゆっくりと、顔を上げる。
『ドッキリ大成功』の看板を胸に抱いたまま、看板に体重を預けた姿勢のまま――


  それでも、その視線には、予想だにせぬ意志の力がみなぎっていて。


射すくめられた留美の身体が、思わずピクリと震える。
構わず、みくは口を開く。

「留美さん、それよりも……」
「それより……なにかしら?」
「全部、話すにゃあ」

真っ直ぐな、あくまで真っ直ぐな視線のまま。
みくは真顔で、留美に告げた。

「ナターリアと、光が死んだ時のこと……。
 全部、ぜんぶ、いっそ綺麗さっぱり話しちゃうにゃあ」



    *    *    *



全部、話せ。

全部、話してしまえ。

あまりにも不意討ちの詰問に、気を抜きかけていた留美の表情がこわばる。

(まさか……勘付かれた?! それもこの子に!? 今更っ?!)

実のところ、和久井留美が『作り上げた』ストーリーは、自身でも出来がいいとは思っていない。
あり合わせの材料と限られた時間の中での、精一杯の虚構。
例えばこれが高垣楓が相手だったなら、こんな嘘は最初から諦めて、別の方法を考えていただろう。

しかし、それでも。
和久井留美は、前川みくが相手なら、この程度でも十分に通じるだろう、と踏んだのだ。

元々2人は、知らぬ仲ではない。
そうそうべったりするような関係でもなかったけれど、互いのことは良く知る間柄なのだ。

猫好きを公言しながらも、猫アレルギーのために直接の触れ合いは諦めざるを得ない留美。
けれど事務所には猫好きのアイドルは他にもいて、緩やかな関係を築いていたのだ。
猫のぬいぐるみをあげたり貰ったり、写真集をみんなで回し読みしたり。
『このイベント』に呼ばれていないアイドルも含めて、みんなで楽しく呑気に過ごしていたのだ。

そしてもちろん、前川みくと言えば、猫キャラとして売り出している、猫のような猫好きアイドル。
事務所内の非公認グループ・猫好き同好会に、加わっていない訳がない。

だから留美には、だいたい読めていた――はずだった。

理詰めの思考を展開するのが苦手な、みくの性格。
感情が先走り、怒りなら怒り、悲しみなら悲しみに浸ってしまう、そんな人格。
イヤなこと・つらいことを考えること自体を嫌がり、楽しく陽気なことに逃避しがちな、行動パターン。

だから――
勘付かれる危険があったとしても、それは最初だけ。
ありもしない「頭の傷」を確認されたりしかねない、初っ端だけ。
そこさえ乗り切れば、あとは十分に誤魔化しきれる……そう思って、いたのに。
みくさえ上手く籠絡すれば、みくが信用している、その事実でもって他の子らも騙せると期待していたのに。

  こんな『前川みく』なんて、和久井留美は、知らない。

確かに普段から、キャラを作り過ぎなくらいのアイドルではあった。
TVカメラが回っていない時でも猫言葉を常用し、軽くおちゃらけて猫のポーズ。
まさかとは思うが。
ひょっとして、事務所や仕事の場で見せていたあの姿は、全て演技だったとでもいうのか。
アイドルの仕事モードではない『前川さん』は、真面目で頭のいい論理的な少女だったとでもいうのか。

「は、話せって……何をよ」
「留美さんが胸に溜めてるもの、全部にゃ」

みくの視線は、あくまで真っ直ぐに。
留美の震える瞳を、貫いてくる。

(お、落ち着くのよ、留美……!
 何をどこまで勘付かれているのか、冷静に探りながらいかないと……!)

まだ決めつけるには早い。まだあきらめるには早い。
留美の理性はそう告げる。
あのみくのキャラが全部演技だったとしたら、彼女はとっくに演技派女優として大成しているに決まっている。
だから、たぶんぜんぶ、留美の考えすぎ。いや、きっとそうに決まっている。

「……話しづらいにゃ?
 なら、んーっと、まずは順番に、起こったことを詳しく話してみるにゃ」
「…………。
 特につけ加えることなんて、もうないのだけど」
「もう一度にゃ。
 もう一度、最初っから、ぜんぶ」

一番イヤな確認が来た。
嘘をつく者としては、一番避けたい話。
しかし元々、前川みくを利用して他者の信頼を買う計画だったのだ。
どうせ再度またやることになるのだし――ならば、このあたりで一度、練習しておくのも悪くはない。

「……分かったわ。最初から――というと、あの子が来た場面からになるのかしら」

和久井留美は、腹を決めて語りだした。



    *    *    *



みくが不在にしている間、緒方智絵里が怯えた様子で飛行場に姿を現した。
光と留美が、彼女を落ち着かせようと、とりあえず座らせた。
でも、留美がちょっと目を離したその隙に、光が頭を殴られた。
その時の血痕が、少し離れたところにあるあの血痕。
留美は意識もうろうとした様子の光の手を引いて、狂乱する智絵里から逃げ出した。
逃げるあてもなかったけれど、適当に走っていたら、外にいたナターリアとあの場所で出くわして。
ほっとしたのもつかの間、自分も後ろから殴られた。
たぶん、追い付いてきた智絵里の仕業だろう。あとは気絶していたので分からない。

淡々と、あくまで淡々と、留美は語る。
2度目になる説明。矛盾やボロは、出さずに済ませた自信があった。

「その……さっき毛布かけにいった時、手が、誰かの手が、落ちてたけど……
 あれは、何だにゃ?
 てか、誰のかにゃあ?」
「そんなもの、あったかしら……?
 ごめん、分からないわ。
 ただ、ひょっとしたら緒方智絵里の、かもしれない。
 ナターリアか、光か、どちらかが反撃して……その結果、かもしれない」
「じゃあ、血が点々と、飛行場から出ていくように残されてたのも……智絵里の血、なのかにゃあ?」
「かもしれないわね。
 直接は知らないから、残された状況から推測するなら、だけど。
 私が気絶だけで済んだのも、そのお蔭なのかも」

みくからのつっこみに、留美は表面上は動揺の色を見せずに答える。
跡形もなく吹き飛ばしたつもりだった、五十嵐響子の右腕。
しかし考えてみれば、その手に持っていた焼夷弾らしきものは、留美が無傷で回収できているのだ。
手首の原型くらいは留めていても、おかしくはない。なんともつまらない見落としだった。

しかし、これでとりあえずは、凌げるはず。
あまり整合性を求めてもボロが出る。下手に新たな登場人物・五十嵐響子などを登場させると泥沼だ。
気絶していた、知らない分からない、あくまで推測でしかないけれど。
このあたりの線を守り続ける限り、留美の主張を崩すことはできないはず。

そう、留美は考える――だが。

「…………おかしいにゃ」
「何が? 何か不審な点でもあったかしら?」

真っ直ぐな瞳のまま、前川みくは疑問を口にする。
和久井留美は、鋼の意志で動揺が表に出るのを抑え込む。
抑え込みながら、脳内は高速で回転する。ツッコミの入りそうなポイントを先回りして考え始める。

例えばそれは、襲撃者の片腕を奪うほどの反撃の手段は何だったのか、だろうか?
確かに彼女たちが持っていたはずの道具では、そんな反撃は不可能だ。少し知恵が回れば気になる所のはず。
けれども、これは知らぬ存ぜぬを貫き通せる話。
2人がかりで挑みかかって、相手の武器でも奪ったのではないか、とでも推測してやれば多分押し切れる。

あるいは、ナターリアにあれほどの傷を負わせる武器を持っていて、なぜ最初から使わなかったのか、だろうか。
光や留美を殴るヒマがあったら、最初っからそれを使えばいい――確かにその通り。
しかしこれも、留美の視点からでは分からない、で押し切れる。
弾数が限られていたのか、最初は銃声を避けようとしたのか。そのあたりをもっともらしく推測してやればいい。
実際、留美自身、そういった判断で凶器を選択したのだ。

大丈夫。いける。押し切れる。
心の内で、そう確信した留美に向かって。

「おかしいにゃ。
 だって、留美さん――」

前川みくは、完全に予想外の方向から、和久井留美を刺した。


「留美さん、なんだか、不安そうに、見えないにゃ」



    *    *    *



どんな時でも冷静さを失わないクールビューティ。
アイドルとして自分を魅せる立場に立った時から、それが和久井留美の、揺るぎなき『キャラクター』だった。

自分がそう見られがちであることは、良く知っている。
そういう印象を活用する方法も、良く知っている。
ここまでの会話でも、その印象を最大限に生かして振る舞ってきた、つもりだったのに――

(もっと動揺して語ってみせた方が良かった? 混乱してみせた方が良かった?!
 い、いえ、それはだけど、かえって不自然になる。
 これでも精一杯冷静になろうとしている、という方向でアピールしてみせないと……!)

留美は必死に軌道修正を考える。
しかしみくは、留美の言い訳の言葉を待つことなく。

「不安そうに見えない、というか……なんか、違うにゃ」
「違うって……何が」
「えーっと、留美さんの、不安の、方向性?」
「……ッ」


「留美さん、なにか隠してるにゃ? 嘘ついてること、あるにゃ?」


……もはや絶句するしかない。

論理で矛盾点を指摘されたのなら、それを上回る詭弁をもってねじ伏せる用意はあった。
あるいは、知らぬ存ぜぬで逃げ切れる自信はあった。
しかし、これは。
この真っ直ぐな視線は。

「襲われて怖かったとか、
 裏切られて悔しかったとか、
 2人が死んじゃって悲しいとか……
 そういうのより、『もっと不安なこと』を、なんか隠してる感じがするにゃ」
「それ、はっ……!」
「たぶん、留美さんにとって、それを言うのはつらいことなんだろうけどにゃ。
 それでも――全部、言っちゃうにゃ。吐き出しちゃうにゃ。
 みくは、留美さんの懺悔を受け止める用意があるにゃ」

ここまでか。
和久井留美は観念する。
『あの』前川みくに、ここまでの直観力が備わっていたなんて、完全に予想外だ――
僅かな態度の違い、ただそこだけから、ぜんぶ見抜かれてしまうなんて。

理屈に強い留美だからこその死角。
テストなどでは測りづらい人間力。
まさかそんな所から、留美を越えていくとは。

しかし、だからといって。
懺悔して、謝って、想いを曲げて――そんな選択肢は、留美には、ない。

留美は溜息ひとつつくと、一挙動で足元におかれた自分の荷物に飛びつく。
そのまま、もはや持ち慣れてしまった散弾銃を一気に引き出して、構える。
ぴたり、とその銃口を、ぽかんとした表情を浮かべる前川みくに向ける。
そのまま、反撃の余地も許さぬ勢いで、引き金に指を――

(…………え?)

そう。
ぽかんとした、表情。
前川みくは、そんな留美の動きに対して、身構えることもできず。
看板に身を預けて座った姿勢のまま、呆けたような表情で、留美の方をただ見ている。

全てを直観で見抜いていたにしては、あまりにものんびりとした、姿。

ゆっくりと、みくの表情に困惑の色が浮かぶ。
それを見守る留美にも、困惑の色が浮かぶ。

ゆっくりと、みくの表情に納得の色が浮かぶ。
それを見守る留美にも、納得の色が浮かぶ。

そしてゆっくりと、みくの表情に引きつった笑みが浮かぶ。
それを見守る留美の顔には、呆れと自己嫌悪の色が。

「……あー、そういうこと、だったのかー。
 にゃるほどー。
 なら、全部辻褄合っちゃう、にゃ」
「……あのねぇ、まったく……『まだ』あなたは殺さないつもりだったのに……」

留美は溜息をつく。
そう、それは全て、留美の『考えすぎ』。
別に前川みくは、和久井留美の嘘の全てを見抜いていた訳ではなかった。
機敏に銃口を向けられて初めて、留美が全ての犯人である可能性に思い至る。
その程度の理解しか、なかったのだ。

そして、この明らかな敵対行為は。
そんな鈍くさい前川みくにさえ、『真実』を一足跳びに悟らせるに、足るものとなってしまった。

「いったい、どんな勘違いしてたのよ」
「んんーっと、誰か、話に出てこなかった人を、庇ってたのかにゃー、とか。
 智絵里ちゃんに見逃してもらえるような、『人に言いづらい理由』がひょっとしてあったのかにゃー、とか。
 あんまり絞れてなかったけど、だいたい、そんなとこをボンヤリ考えてた……にゃ」
「まったく。的外れにも程があるわね」

溜息と共に、引き金が引かれて。
銃声が上がり、三たび室内に、鮮血が舞った。



    *    *    *



『……雫ちゃんは、最期に言ってたにゃ。

『みんなを、安心させてあげて、って。

『みくに『ドッキリだ』って言われて、ホッとして……それで、みくのファンになった、って。

『だから、みくの思うアイドルで、みんなを安心させてあげてください、って。

『…………。

『……ほんとうなら雫ちゃんだって、もっと他のことを考えていいはずの時間だったにゃあ。

『大好きな人のことを想って。
 家族のこととか、考えて。
 そういうことに使う時間だった、はずなのに。

『大事な遺言とか、言付けとか、そういうことを言うための、最期のチャンスだったはずなのに。

『そういうのぜんぶ諦めて、後回しにして、それでもみくにかけてくれた……そんな言葉。

『大切な、『ファン』の言葉。

『だから、みくは――信じるにゃ。
 みくには、みんなを安心させる力がある。
 それを、どこまでも信じるにゃ。

『…………。

『ビデオ回しながら喋ってて、良かったにゃ。
 これを見る人が居るとは、思わにゃいけど……
 ナターリアの言う通りだにゃ。

『喋ると、きっと人って、安心できるんだにゃ。

『安心できて、想いも整理できて……いろいろ、見えて来るんだにゃ。

『…………。

『……決めたにゃ。

『みくは――みんなの、話を聞くにゃ。

『トークは、ちょっとばかし得意だにゃ♪
 ううん、みくが長々と喋ったりするのは、そうでもないけど。
 盛り上げて、相手に喋らせることなら、それなりに出来る方だと思うにゃ。

『つらい話も。
 悲しい話も。
 罪の告白も、ぜんぶぜんぶ……みくが、受け止めるにゃあ。
 ぜんぶ吐き出させて、不安を吐き出させて、そして、そして……。

『そして……最後には、きっと。
 全部ドッキリだったら良かったのにね、とか、そんな話をして笑い合って、泣きあって。
 安心、させちゃうにゃあ。

『安心……させたい、にゃあ。

『…………。

『綺麗な……夕陽だにゃ。

『もうすぐ、夜が来るにゃ。

『また、夜になるにゃ。

『たぶん、きっと……みんな、不安なんだにゃあ。

『間違えた子も。覚悟きめたつもりの子も。
 たぶんきっと、みんな、みんな…………!』



    *    *    *



銃声が鳴り、鮮血が舞う。
その残酷な因果関係に、想いの強さが介入する余地など、ない。

「ぐっ…………!」
「まだ生きてるのね。看板のお陰かしら。せめて、すぐにラクにしてあげる」

留美は淡々とつぶやきながら、ショットガンのポンプ部分を操作する。
金属音が鳴り、次弾が即座に装填される。

硝煙の先には、見るも痛々しい姿になり果てた前川みくが、ボロボロになったソファに埋もれていた。

散弾の多くは、彼女がもたれかかっていた『ドッキリ大成功』の看板に直撃。
そのほとんどは、薄い看板を貫通することなく、看板の文字を吹き飛ばすに留まっていたが……
広く散布された辺縁の弾が、看板に覆われていなかった彼女の身体を、貫いていた。

看板の上に載せていた腕。
看板の持ち手を挟み込むようにしていた両足。
肩や腰にも弾が食い込んでいたし、看板が勢いよく叩きつけられた胸部は肋骨の数本も折れていることだろう。
さらには看板に当たった弾がどういう跳ね方をしたものか、被害から離れた彼女の左目も潰れてしまっている。
それでも顔へのダメージは少な目なのは、まだ幸いか。

ゆっくりと看板がずり落ちて、傷だらけのソファの上で脱力するみくの身体が露わになる。
ほぼ無傷の胴体、その中央に次弾を、今度はもっと至近距離から撃ちこんでやれば確実だろう――
留美はそう考えて、数歩分、距離を詰めるが。

ぬっ、と。
留美の動きを押しとどめるかのように、みくが右の手の平を突き出した。
中指と薬指が途中から吹き飛んでしまっている、痛々しい、血に染まった手の平。

「……なに? 命乞い?
 そうね、遺言くらいなら、聞いてあげてもいいけど」
「ちがう、にゃ……」

苦しそうな息の下、それでもみくは確かに首を振る。
そして、顔を上げると。
またあの、真っ直ぐな視線で、片目だけで、それでもしっかりと、留美を見据えて。

「みくが、聞くにゃ」
「な……何を」
「留美さんの、不安を」

口の端から血を垂らしながら、はっきりと、言い切った。



    *    *    *



不安。
またしてもそのキーワード。

留美は己の感情が急速に冷えていくのを実感する。
動揺と混乱は遠くに去り、冷徹な意志が全身にみなぎる。

自分が不安に駆られているとでも、言いたいのだろうか?
不安に怯えて、それでロクに考えもせずに凶行に走っていると、そう決めつけたいのだろうか?

この自分を、その程度の感情に突き動かされる愚か者だとでも?

「舐めるな」

留美は冷ややかに、もはや敗者の立場が確定した少女を見下ろす。
いつでもみくの命を奪える体勢のまま、吐き捨てるように言い放つ。

「罪も罰も、とっくに覚悟を決めたわ。
 アイドルという仕事を続けられないであろうことも、承知の上。
 そんな話は、もう既に終わっているの」
「そっか……。
 やっぱり動機は、担当のプロデューサーさん、かにゃ?」
「ええ。その通りよ。
 ただし、プロデューサーとアイドルとしてではなく、将来を誓いあった男と女として、だけども」

簡単すぎる答え合わせ。
この条件下では最もありふれた、しかし個々人にとっては切実な動機。
そして。

「これで満足かしら?
 私はすべて分かった上で選んでいる。
 だから、あなたなどに心配されるいわれなんて」
「なら」

そしてそれでも、前川みくは真っ直ぐな目で見つめることをやめない。
和久井留美の言葉を遮り、その中心を、短い言葉で刺し貫く。

「なんで、そんなに怒ってるにゃ?」
「っ……!?」

小首を傾げて、本当に不思議そうに。
前川みくは、問いかける。
頭を傾けた拍子に潰れた片目からどろり、と赤いモノが零れるが、みくの表情は変わらない。

留美には――なぜか、答えられない。
一度は冷えきったはずの頭に、分析不能な靄がかかる。
自分自身のことなのに……よく、分からなくなる。

「おこ……いや、私は、怒ってなんて、いな」
「怒ってるにゃ。
 留美さん、声が違うにゃ。目が違うにゃ。
 怒っているから、いろいろ喋らずには居られないんだにゃ。
 みく、そういうのは分かるにゃあ……知らない仲じゃ、ないにゃあ」

ああ。
留美がみくを知っている、それと同じ程度には――みくは、留美を知っている。
そして、ゆえに、だから。

「怒っちゃうってのは……きっとやっぱり、不安だから、にゃ」
「不安……私が?」
「それを認めたくないから……怒っちゃう、んだと思うにゃ」

ぐらり、足元が揺らぐような錯覚を覚える。
否定できない。
みくは留美が不安を覚えているはずだという。
だから、それを指摘されて怒るのだと言う。

罪は覚悟した。
罰は覚悟した。
いまさらそこに、見落としや動揺など、残っているはずもない。

では、罪でも罰でもないのなら、自分は何に不安を覚えているというのか。
自分では見通せない無意識の領域の闇、そこにいったい、何が引っ掛かってるというのか。

「そういうあなたは……どうして、平気なのよ」
「にゃ?」
「私の知る『前川みく』は……そんなに強い子じゃ、ないはず」

苦し紛れに口にしてみて、改めてそうだと思う。
和久井留美の知る前川みくは、こんなに強い少女ではなかったはずだ。
傷を負って、銃を突きつけられて、それでも揺るぎない自分を貫けるような、そんな子では。
留美の指摘に、みくは微かに微笑んで。

「『ファン』のお陰にゃ」
「……ファン……?」
「大切な『ファン』が信じてくれたから……だから、みくは自分を曲げないにゃ。
 曲げずに、居られるんだにゃ」
「…………」
「きっと留美さんにも、分かるはずだにゃ。
 ううん、アイドルなら誰でも分かるはずだにゃ。だって――」

全身傷だらけのままで、銃口を前にして、それでもみくは。
その一言を、口にした。


「だって、留美ちゃんにも、ファン、いるはずだにゃあ」




    *    *    *



留美ちゃん。

何気ない、その呼びかけに。

つたない文字で書かれた手紙が、瞬時に脳裏にフラッシュバックする。

とあるイベントの会場で、はにかんだ様子の幼い男の子から手渡された、一通のファンレター。

思い出の奥底に沈んでいた、たった一枚の紙切れ。



  るみちゃん、けっこんして。



封筒を渡して、「絶対読んでね!」と手を振りながら、母親らしき女性に引かれて遠ざかる男児の姿。

母親はパッと見に、留美と大して年の差はなかっただろう。仕事も大学進学も捨てていれば、十分にありえた人生。

冗談抜きで、親と子ほども離れた子供からの、微笑ましい好意の表明。

もちろん本気にはしなかった。

すぐにプロデューサーに見せて、一緒に苦笑しあった。

あんな年代にもウケるのね、と、新たなファン層の開拓の可能性について、軽く2人で議論してみた。

狙って伸ばせる層でもないだろう、と、つまらない結論に落ち着いてしまった。

それっきり、すっかり忘れていた。

他のファンレターと一緒に仕舞い込んで、それっきりになっていた。

それでも、あれは。

あれは、大切な――!



    *    *    *



「わたし、は……」

留美の身体が、ふらりと揺れる。
散弾銃の銃口を下げ、片手で自らの顔を覆うようにうなだれる。
みくは静かにつぶやく。

「やっぱりそうにゃ。留美ちゃんが引っ掛かってるのは、きっとそこにゃ」
「…………」
「絆は、ひとつじゃないにゃ。
 みくだって――ちゃんのこと、大切だけど……だからって、他はどうでもいいとは、思わないにゃ」
「…………」
「留美ちゃん、アイドルの仕事辞めるって言ってたけど……覚悟はあるって言ったけど。
 たぶん留美ちゃんのことだから、その覚悟は本物なんだろうけど。
 それでもきっと、ファンを『裏切る』ことに、不安があるんだにゃあ」

裏切り。
そうだ。
和久井留美は苦い思い出と共に、その単語を噛みしめる。

アイドルとしての道の始まりの時。
仕事を辞するのと、アイドルとしてスカウトされるのが、一晩のうちに重なったあの日。
和久井留美が前の職場から受けた仕打ちは、『裏切り』としか呼べないようなものだった。
組織を守るための、トカゲの尻尾切り。
体裁を整えるためだけの、人身御供。
本来なら留美を庇うべき立場にいた上司は、その留美に頭を下げて頼み込んできて……
その姿に、全てがどうでもよくなるくらいに幻滅して。

形式上は自主的な退職だったが、その本質はどう考えても――裏切り、だった。

だから、そうだ。
胸に誓ったのだ。誰にも告げずに、心に決めたのだ。
自分は決して、そんなことはしないと。
この先、誰かを裏切って、見捨てて、それで保身を図るような真似はするまい、と。

そのプライドこそが、凛と光るクールビューティ、和久井留美の根底にある輝き、だった。

ああ、これだったのか――留美は納得する。
ここまでの根底にあった、ある種の後ろめたさ。
火災現場回りで重ねた、失策の数々。
黙って撃つだけでいいはずの相手の言葉を待ち、その上で反論せざるを得なかった心理の背景。

あそこまでムキになって、
ナターリアを、
五十嵐響子を、
南条光を、
そして緒方智絵里を、
必死になって声を荒げてまで否定せざるを得なかった理由。

覚悟を決め効率を最優先させていたはずの彼女の、非効率な行動の数々。


和久井留美は、あの時ファンレターを手渡してきた男の子の、澄みきった瞳を裏切ることを、恐れている。


「留美ちゃんの言う通りだにゃ。
 昨日までのみくは、たぶん、こんなに強くなかったと思うにゃ」
「…………」
「だけど、みくの『ファン』になった、って言ってくれた子が、みくに力を与えてくれるにゃ。
 痛くても、怖くても……みくは、あの子に恥ずかしい姿だけは、見せられないのにゃ。
 この猫言葉を貫いてるのだって、その一環なのにゃ」
「…………」
「許されないような間違いは、みくも犯したにゃ……。
 でも、だからこそ、ファンを裏切れないのにゃ。
 ううん、裏切っちゃ、いけないのにゃ。
 きっと償える、そう信じて胸を張り続けるしかないのにゃ」
「償える……のかしら」
「きっと、大丈夫にゃ」

留美の唇から漏れた、弱々しい問いかけ。
前川みくは、傷の痛みに苦しそうな吐息を吐きながらも、留美を肯定する。

「これだけのことをして……ファンの前に、戻れるのかしら。
 ファンの前に、またアイドルとして、姿を晒せるものなのかしら」
「戻れるにゃ。
 いや、戻るって思うんだにゃ。
 やる前から諦めちゃうのは馬鹿だって、みくだって分かることだにゃ。
 留美ちゃんは、本当はそんな馬鹿じゃないはずだにゃ」

みくは留美を肯定する。

今井加奈ちゃんを、殺してしまったわ」
「謝ればいいにゃ。
 いや、謝って許してもらえるかは分からにゃいけど、まずは謝るとこから始めるんだにゃ」

みくは留美を肯定する。

「ナターリアちゃんを、光ちゃんを、殺してしまったわ。
 それに、たぶん――五十嵐響子も、私がつけた、傷で」
「え、なに、響子ちゃんも居たにゃあ?!」
「ええ……落ちていたという手は、たぶん、彼女のよ。
 緒方智絵里と、一緒に来て。
 ナターリアちゃんと何か争っていたところを、私が横から……。
 傷ついた響子ちゃんを、智絵里が背負って去って……」
「そうだったんだにゃあ……
 ……うん、でも、それも全部、まずは謝るにゃ。
 たくさん謝る相手が居て大変そうだけど、全ては、そこからだにゃ」

みくは真相に驚きつつも、留美を肯定する。

「あなたを、傷つけてしまったわ」
「うん、けっこーマジで痛いから、ちゃんと謝るにゃ。
 謝るべき相手は、目の前に居るにゃ。ほれほれ」
「……ごめんなさい」
「よし。赦すにゃ」

みくは留美を肯定し、即座に許してしまう。

「あの人の……愛する人の命と未来を守ろうとして、あの人が共に見てくれた夢を、捨てようとしたわ」
「よく分からないけど、それも謝るにゃ。
 それに、夢ならまた、見ればいいにゃ」
「見れるの、かしら……」
「見れるかどうかじゃなくて、見るんだにゃ。
 見れると、信じるんだにゃあ。そこからしか、始まらないにゃあ」

みくは留美を肯定する。

――気が付けば留美の頬を、滂沱の涙が濡らしていた。

このイベントが始まって以来、ずっと抱えていた不安。
強がって理論武装して、存在自体を否定していた不安。
無意識の奥底に、押し込められていた不安。

ずっと、我慢してしまっていた涙。胸の奥に溜め込んでいた涙。


それが前川みくの、この過酷すぎるイベントの中で花開いた『アイドル』の前に、洗い流されていく。


「私は、アイドルで居続けても、いいの?
 一度はアイドルを捨てて彼を選んだ、この、罪と罰を背負った私が」
「もちろんだにゃあ。
 たぶんきっと、留美ちゃんにとっても、それは捨てられるものじゃなかったんだにゃあ」

みくは全身全霊をもって、留美を肯定する。
隻眼の猫が、優しく微笑みかける。

留美はどこか清々しい気持ちで、ふっ、と溜息をつく。
自分が人前で泣くことがあるなんて、留美自身、思ってもみなかった。
ましてやそれが、殺そうとして、発砲して、傷つけた相手を前にして、だなんて。

和久井留美の顔に、柔らかな笑みが浮かぶ。
涙で頬を濡らしたまま、それでも、今までの演技の笑みではない、澄み渡った、透き通った、綺麗な笑み。

彼女は、


「ありがとう」


心からの感謝を告げて。


「そして――さようなら」


素早く散弾銃を構え直すと、そのまま、引き金を引いた。


銃声がひとつの命を吹き飛ばすその瞬間まで、留美の顔には、穏やかで満ち足りた笑顔が浮かべられたままだった。



    *    *    *



『…………。

『あんまり考えたくないことだけど……どうせだから、言っとくにゃ。

『もし、これを見る人がいたら……信じて欲しいにゃ。

『前川みくは、最後まで、『アイドル』だった、って。

『そして……雫ちゃんがそうだったみたいに、みくもたぶん、遺言なんて言ってるヒマ、ないにゃ。
 そんなヒマがあったら、きっと、違うことに時間を使ってるにゃ。

『だから……今のうちに、言っておくにゃ。
 雫ちゃんには悪いけど、みくにはチャンスがあるみたいだから……言っちゃうにゃ。

『えーっと、ここをこうすれば、みくの顔、映せるかにゃ?
 うん、おっけーにゃ。
 ちょっと深呼吸するにゃ、すーっ、はーっ、すーっ…………。

『…………。

『――ちゃん。
 みくの大切な、プロデューサー、ちゃん。

『前川みくは、あなたのことが、大好きでした。
 みくが頑張れたのは……そして、ここからも頑張れるのは。
 たぶん、2人の大事な人が信じてくれたから。
 ひとりは、及川雫ちゃん。
 そしてもうひとりは、――ちゃん、だにゃ。

『だから……ありがと、にゃ。

『…………。

『はい、みくの顔、映すのおわりー。恥ずかしいからもう終わりなのにゃ!
 引き続き、大自然の壮大な映像をお楽しみ下さい、なのにゃ~。

『…………。

『もし、みくが帰ることができたら……この動画はそっと消しちゃう予定にゃ。
 こっそり消して、誰にも言わないで、最初っから無かったことにしちゃうつもりにゃ。

『みんな、苦しんで。
 みんな、頑張ってるから。
 たぶんきっと、そうなるはずだにゃ。

『まだどうやって抜け出して、どうやって帰るのか、全然見当もついてないけど……
 きっと、そういう結末に、なるにゃ。
 ……ううん、そういう結末に、するんだにゃ!

『だから、何かの間違いで、これ見ちゃってる人が居たら……お願いだから、忘れて欲しいにゃあ。
 なんなら、黙ってそのまま、そっと消しちゃって欲しいにゃあ。

『でも、もしも間違いじゃなかったら……。
 みくが、そうなっちゃってて、この動画が必要になっちゃってたら。

『――ちゃんの所まで、なんとかして届けて貰えると、嬉しい、にゃ』

『…………。

『……綺麗だにゃあ。
 この島、ほんとに、綺麗』

『うん、綺麗なんだ、ってことにも、ずっと気がついて無かったんだにゃあ』

『みんなにも……もっと、気づいてほしい、にゃあ』

『…………。

『……あれ、今何か音した?
 ひょっとして……え、銃声?

『って、喋ってる場合じゃないにゃ! 早くいかにゃいと』

『ってことで、バイバイなのにゃ』

『ぶちっ、録画終了っ!』












    *    *    *



急速に暗くなっていく空の下、1つの人影が飛行場を後にしていた。

その表情に、もう不安の色は残っていない。
微かに微笑みすら浮かべて、歩を進める。

「どれだけ感謝しても、し足りないわね……。
 あなたを、心の底から尊敬するわ。本当よ。
 あなたのお陰で、進むべき道が、ようやくはっきりと私にも見えた」

あの時。
みくに感謝の言葉を述べて、引き金を引いたあの時。

和久井留美は、心に決めたのだ。

彼を諦めない。
ここについては、気持ちが揺らぐ余地はない。
けれど同時に、アイドル『も』、諦めない。

彼を選ぶことと、アイドルを続けることとを、二者択一の問題として捉えること自体を辞めよう、と決めたのだ。

今までは常識的な限界に捕らわれ過ぎていた。そう、留美は自己分析する。
手を血で染め上げた者が、再びあの世界に戻れる訳がない。
早々にそう判断して、見切ってしまって、それでも彼を選ぶのだ、と自らを追い込んでいた留美だったが。

不幸な事故で手を汚してしまった前川みくが、それでも『アイドルを諦めない』その姿を見て。
『やりもしないで諦めるのは馬鹿だ』という、至極当然の叱責を受けて。

和久井留美は、自分の『本当に欲しかった結末』を改めて自覚したのだ。

彼を得る。
彼の命を守り抜く。
そのために手を血で汚すことさえ厭わない。
その上で――彼と共に目指していたトップアイドルの座も、諦めない。

この島で『最後の一人』になり、その後、アイドルとしてあの世界への復帰し、再度トップを目指す。

きっと難しいだろう。それを許さないと言う者も多いだろう。
実際問題として、現時点ではどこから取り掛かっていいのかも分からない。どれほどの障害があるかも分からない。

けれど、彼を得るためなら何でもすると、既に誓っているのだ。
そこに加えて、彼と共に見た夢をも得られる希望があるのなら、謝罪だって何だってしてみせる。
あらゆる手を、尽してみせる。

それでいいのだ、と、猫のようなアイドルの少女は、留美を肯定してくれたのだ。

「まったくこれじゃ、智絵里を欲張りだなんて笑えないわね……。
 でも、いいわ。
 もう私は、彼女を前にしても臆したりはしない。
 次の機会があるならば、今度こそ、無駄な論争に時間を費やしたりしない。
 迷わず、撃つ」

飛行場を立ち去るに当たって、みくの荷物も一通り調べさせてもらった。
奥の方から出てきたのは、1挺の拳銃。
ながらく留美が求めてきた、戦力の強化がついに果たせた恰好だ。
威力も弾数も乏しい銃ではあるが、重過ぎて持て余し気味の散弾銃の隙を埋める、貴重な戦力となるだろう。

少なくとも、ロクな武器を持っていなかったナターリアに南条光。
手投げ弾1つ落としただけで逃げられてしまった、五十嵐響子と緒方智絵里。
彼女たちと比べてみれば、その戦果は明らかだ。

ほんとうに、前川みくには、感謝の気持ちしかない。

「それにしても、流石に、休みたいわね……
 街で腰を落ち着けるまで、今は誰とも会いたくないわ」

流石に、もう飛行場には留まれない。
前川みくを利用して他者に取り入る手段も諦めた以上、あの場に拘る理由は、どこにもない。

多くの迷いを吹っ切った和久井留美は、感謝と夢を胸に、夜の街を目指す。

そんな彼女の頭には、もはや意味のない偽装の包帯は巻かれておらず――
代わりに、猫の耳だけが、髪の隙間から、ピコピコ、と揺れていた。



    *    *    *



動く者のいなくなった、飛行場の一角で。
胸部に大穴を開けた前川みくは、それでも苦痛を感じさせない微笑を浮かべたまま、事切れていた。
苦痛も、混乱も覚える間もないような、そんな、即死状態だった。

その頭に、トレードマークともなっていた猫の耳はなく。

小さなハンディカメラは、その中身を確認されることもなく、近くに転がっていた。


気まぐれな猫は。

それでもきっと、最期まで、自分を貫いたのだった。








【C-3北東部・ 飛行場と北の街を繋ぐ道路上/一日目 夜】

【和久井留美】
【装備:前川みくの猫耳、S&WM36レディ・スミス(4/5)】
【所持品:基本支給品一式、ベネリM3(2/7)、予備弾42 ストロベリーボム×1、ガラス灰皿、なわとび】
【状態:健康、】
【思考・行動】
基本方針:和久井留美個人としての夢を叶える。同時に、トップアイドルを目指す夢も諦めずに悪あがきをする。
1:ひとまず市街地に移動し、休憩に適した場所を探す。
2:『ライバル』の存在を念頭に置きつつ、慎重に行動。無茶な交戦は控える。
3:『ライバル』は自分が考えていたよりも、運営側が想定していたよりもずっと多い……?
4:いいわ。私も、欲張りになりましょう



【前川みく 死亡】



前川みくの遺体は、D-4の飛行場建物内に残されています。
みくはステージ衣装姿ですが、その猫耳部分だけは和久井留美が持ち去りました。

『ドッキリ大成功』と書かれたプラカードは、散弾の直撃を受けてボロボロになり、床に落ちています。
ビデオカメラ、基本支給品一式は、みくの死体の傍に放置されています。

D-3飛行場屋外に放置されていた、ナターリア、南条光の遺体には、それぞれ毛布が掛けられ、隠されています。


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前川みく 死亡

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最終更新:2014年01月25日 19:29