彼女たちが塗れるサーティー・ライズ ◆John.ZZqWo
彼女は静かな時間の中にいた。思考すらない、だからこそ静かな、静止した時間の中に。
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とんとんと軽いノック。そしてドアの開かれる音に
十時愛梨は伏せていた顔をあげる。目の前の時計を見ると時間はもう9時を回っていた。
音がしたほうを見れば、ドアを開けて戻ってきたのは
輿水幸子、それと
星輝子のふたりだ。
「ふたりともおかえりなさい……と、降られちゃいました?」
十時愛梨の言葉に輿水幸子が髪の毛についた水滴を払って苦笑を浮かべる。
「ええ、今しがた降り始めたところです。これから少し強くなりそうですね。……卯月さんはどうですか?」
「卯月ちゃんはまだ寝てる。しばらくは起きてきそうにもないかな」
十時愛梨は部屋の奥のドアを見ながらそう言い、輿水幸子も同じようにそちらを見ながら頷いた。
「それで、幸子ちゃんらのほうはどうだった?」
「それはですね――」
4人が山中で邂逅しそして同行すると決めたあの後、東屋で放送を聞き終えた彼女らは決めていたとおりに
渋谷凛を探すため山を下りた。
輿水幸子と星輝子からすれば遊園地から出てすぐに戻ってきたというのはいささかばつの悪さを感じるものではあったが、それはともかく
まだ3人組だった頃に遊園地の中を一通り見ていた分だけ内部には詳しかったのは事実で、彼女らふたりは渋谷凛の捜索を買って出る。
渋谷凛を探している当人である
島村卯月は反対したが、その当人の衰弱ぶりは他の3人から見ても目にあまるほどで、
押し問答の末に遊園地を捜索している間だけは休憩してもらうとなんとか決めて、輿水幸子と星輝子のふたりは捜索に出たのだった。
だが、遊園地の中には渋谷凛はおろか人っ子ひとりの姿も見つけられず、更には雨も降り出してきて――そして、今へと至る。
「残念ながら。……動物園のほうにも誰もいませんでしたね。隠れていたらと思って、凛さんの名前を呼んではいたんですけど」
「ど……動物たちは、……元気、だった……けど……」
「そっか……」
今、彼女らがいるのは山側のゲート傍にあった救護センターだ。
ドアをくぐって目の前に受付があり、部屋の中にはくつろぐためのテーブルと椅子、簡単な給湯設備などが備え付けられている。
更に奥には、貧血や日射病などで倒れてしまった人が休むためのベッドルームがあり、島村卯月は今そこで眠っている。
休むことを散々しぶった彼女ではあったが、横になってしまえば眠るまでは一瞬のことだった。
「“予報”ではすぐにやむということでしたし、しばらくは卯月さんの休息もかねてここで休憩ですかね」
輿水幸子は手に下げていたビニール袋をテーブルの上に置く。
「晩御飯の時間だと思って、途中で食料も調達してきたんですよ」
言って広げ始めたのはそれこそ色いろなものだった。お弁当からパンからお土産用のお菓子やら色いろな飲み物まで。
「あ、温まると……ほっと、するから……みんなで食べよう」
言いながら、星輝子も持ち帰った食料をテーブルに広げていく。彼女が持ち帰ったものは主にインスタント食品の、特にきのことついたものが主だった。
きのこのみそしるに、きのこのパスタ。きのこの炊き込みごはん。きのこのお菓子に、なぜかきのこのぬいぐるみやキーホルダーまで。
そんな、どこか楽しそうにしている彼女の前で十時愛梨は吹き出し、肩を震わせる。
「あれ? なにか、おかしかったかな……?」
「ううん、そうじゃなくて……いや、ちょっとおもしろかったから」
「……よく、わかんないけど、愛梨さんが笑ってくれて私も嬉しいかも……フフ」
「輝子さんは案外トークの才能があるんじゃないですか? 楓さんみたく」
「トークは、まだ苦手……だけど、そう言ってくれるなら、今度からはがんばろう、かなって……思う、かも」
そして彼女らはそれぞれに食事を選び、ささやかながら温かい夕食をとることにした。
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「……みんなはどうしてるんだろう」
壁越しにも聞こえてきた雨音に、きのこのパスタを食べ終えた十時愛梨がだれとなしに呟く。
「もう暗いですし、こんな雨だし、ボクたちみたいにじっとしてるんじゃないでしょうか」
ドーナツをくわえながら言う輿水幸子のトーンはどこか低い。
見やる真っ黒な窓の外には色とりどりの明かりが雨でにじんでいて、身体を包む雨音のホワイトノイズは全てを茫洋とするようで、
そんな光景はどこか現実味がなく、この部屋と外の世界とか隔絶されているような、外の世界が別物になったような、そんな錯覚を覚えさせる。
だからこそ、現実的に考えてというのとは別に、この雨の中に外を出歩く人はいないだろう――と、そんな風に思わされた。
時折、風に流された雨粒が窓を叩く。けれど、そんな変化すらも次第に気にならなくなっていき、感覚はただただ鈍化していく。
ざぁざぁと夜の中に雨が降っている。
時間を忘れさせる夜の雨が。
「プロデューサーは、ちゃんと……ごはん、食べさせてもらってるの、かな……」
言ったのはみそしるの器を両手で抱えた星輝子だった。
なんということのない、答えも求めていない呟きで、ただ温かい食事をして、だから思ったことを口にしただけのことだった。
「ちょっと、輝子さん!」
「え? …………あ! そんな、別に、そんなつもりじゃなくて……」
輿水幸子の怒った顔を見て星輝子は自分が失言していたことに気づく。
ここにいる少女たちは皆、彼女らのプロデューサーを人質としてとられている。けれど、その中にも例外が、しかもこの場にその例外が存在するのだ。
「ううん、大丈夫だよ。輝子ちゃんがプロデューサーさんのことを心配するのは当然でしょ。それと、私のとは別の問題だし、ね」
けれど、その例外――十時愛梨は冷や汗をたらすふたりに向けて微笑んでみせた。
「あの、せっかくだから輝子ちゃんや幸子ちゃんのプロデューサーの話を聞いても……いい?」
そして、微笑みながらふたりに向けてそう言った。
夜の雨が降っていて、だからそんな話をする時間は十分にあった。
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星輝子は元々引っ込み思案で、誰かと争ったりすることも苦手で、なので人と話したり深くつきあうことにも抵抗があった。
趣味はキノコを自宅で栽培すること。なんとなしで始めたそれだが、今では押入れの中は育てたキノコでいっぱいになっている。
日陰の中で物言わずにじっとしているところに共感したのかもしれない。
しかしそんな趣味は一般的でもなければ、人が羨んだり惹きつけるどころかまったくの逆で、彼女はより孤立し、遠ざけ、忘れられていく。
キノコだけが彼女の友達だった。
それだけなら、彼女はどこにでもいる根暗な少女でしかなかっただろう。けれど、彼女の中には相反するもうひとつの性分があった。
「……だから、私は“アイドル”に、……なろうって思った、んだ」
星輝子は目立ちたがりだった。日陰に隠れようとする性分とは真逆だが、確かにそんな願望が、しかも強く彼女の中にはあったのだ。
その欲求は今の根暗な自分に対するカウンターなのか、それともこれこそが本性だったのか、
あるいは奇抜な毒キノコのような二律背反こそが彼女の性質なのか、それは彼女自身もよくわからない。
そして、彼女はこのアイドルの時代にアイドルを目指す。
アイドルは目立てる。けど、テレビの画面越しだから人付き合いが苦手でもいける……んじゃないかなと思った。
いくつもの事務所に応募し面接を受ける。けれどどこでも結果はでない。面接は大の苦手だったし、存在感のなさから無視されることすらあった。
今更ながらにアイドルになるためには色んな人とのコミュニケーションが必要だと気づき、挫折しようとしていた時、
最後に受けたのが今の事務所で、その時に星輝子を“発見”してくれたのが今のプロデューサーだった。
「キノコーキノコーボッチノコーホシショウコー♪ ……あ、はい、い、いましたけど……いや、さ、さっきからいましたけどー……。
で、でも……わ、私に目をつけるとはいいセンスですよー。なる、アイドルでも何でもなりますよー……フフ」
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「――だから、私はプロデューサーの、……親友のおかげでアイドルになれたんだ」
そう言う、星輝子の顔は誇らしげで、真っ白な頬もこの時は紅潮していた。
「ライブも、開いてもらったし……超目立った、し。でも、まだ、MCは苦手だけど……、親友はファンが喜んでるぞって、私の歌と、声で……」
だから、“アイドル”としての喜びも知ることができた。
もう目立つためだけの自分じゃなくて、誰かのための“アイドル”でいること。それもわかった――と、星輝子は笑ってみせる。
「親友には、すごく、感謝してる……んだ。私を、名前のとおりに、輝かせて……星のように輝く子にしてくれた、から……フフ」
そんな彼女の話を聞いて、輿水幸子はよかったですねと微笑み、十時愛梨は同じですねとしんみり呟いた。
「私も本当はただの女の子でしかなかった。見つけてくれたのは、やっぱり私のプロデューサーさんで、彼が私を輝くステージに立たせてくれた。
私は“アイドル”になることができて……、シンデレラに……、彼は魔法使いで、そして……私の――。」
十時愛梨は目じりをぬぐい言う。彼からもらった喜びは抱えきれないほど、だと。
「そうだよ! だから、プロデューサーの想いも、背負うんだよ。
プロデューサーのために、生きよう? 最後まで……抵抗、して、この島から脱出して、……“新しいステージ”を目指す……のが、いい!」
「ちょ、ちょっと輝子さん。なんだか話が飛躍してませんか?
ほんと、テンションが上がると変わっちゃうんですから……、まぁ、ボクもだいたい同意見ではありますけどね」
彼女らの言葉に十時愛梨は両手で顔を伏せ、肩を震わせていた。
「……でも、きっと……、それを愛梨さんのプロデューサーも願ってると、思う、から。それが、“生きろ”って言葉の、意味だと……私は、思う」
星輝子はそう言い、輿水幸子も同じように十時愛梨を励ましたいと思った。彼女の深い悲しみを少しでも癒すことができれば、と。
しかし、気づく。顔を覆う指の隙間から覗く彼女の瞳の色に。
その黒色はまるで熱せられたタールのような、ドロドロで重たく、とても熱い――怒り、それ以上の感情。炎をあげない熱量の塊――黒色の絶望。
「あっ……、あ……!」
ガタガタと椅子の足が震えた。席を立とうとして(――なんのために?)輿水幸子は足を無様にもつれさせる。
それは、絶対に正解してはいけない正解。辿りついてはいけない答え。
「愛梨さ――」
「幸子!」
遠くから届く雨のホワイトノイズに包まれた部屋の中で、全ての調和を破壊するデタラメな音が鳴り響いた。
銃声か、絶叫か、それともそのどちらもが幾重にも混ざり合ったような、そんな酷く耳障りな音が鳴り響いた。
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なにもかもが掻き乱された後の部屋で、輿水幸子は壁を背に、床にへたりこんでいた。
十時愛梨の姿はない。彼女はひとしきり絶叫すると、後ろを顧みることなくそのままどこかへと、悲鳴をあげながら走り去ってしまった。
「……幸子、大丈、夫?」
輿水幸子に覆いかぶさるように抱きついていた星輝子が言う。小さく、ぬくもりがあって、そして軽い身体だった。
「ええ、ありがとうございました。おかげで、ボクは……なんとか」
「……よかっ、た。守れて」
星輝子の口の端から血が垂れる。
輿水幸子がおしりをつける床には血だまりができて、赤く濡れていた。
星輝子の身体は震えていて、抱きかかる手の力は儚い。白い顔は更に白くなり、赤い血がまだらと全身をメイクしていた。
「なんで、……どうして、こんな馬鹿なまねをしたんですか?」
震える声で輿水幸子は問いかける。ぽつりと、見上げる星輝子の顔に雫が落ちた。
「さ、幸子は、友達……。友達を、助ける、の、は…………当たり前、…………だ、から……」
雫が交わり、彼女の頬を伝う。
「…………ありがとう、ございます。輝子さんは、ボクの親友ですよ」
「うん、…………親、友。……ずっと、幸子の、こと、……見守って、る。……ファン……だから……、フフ……フ」
「はい……、はい…………」
「頑張っ、て…………幸子、は…………かわ、……い…………ぃ…………」
震える瞼が輿水幸子の見ている前で下りて、長く息を吐き出すと、彼女は二度と動かなくなった。
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「………………………………………………ガハッ!」
とうとうこらえきれなくなり、輿水幸子は口から血の塊を吐き出した。ぬるりとした赤色が顎を垂れ、胸元までを真っ赤に染める。
「ヒュー、ヒュゥ…………、ほ、本当に、……ヒ、……馬鹿なんです、から……、そんな、細い身体で、弾丸を、…………受け止めきれるわけ……」
赤く染まっているのは胸元だけではない。
星輝子と同じく、彼女もまた無数の傷を――いや、星輝子と裏返しに全く同じ場所に同じ数の傷を受けていた。
床に広がっていく血だまりも、女の子ひとり分だとすると大きすぎる。それは、おおよそふたりの女の子が死ぬに相当する量の血だった。
「でも、……フゥ、……もう少しだけ、生きて、いられそうです、ね……。そこは、……感謝しない、と」
輿水幸子は視線だけを動かして部屋の中を伺う。やはり十時愛梨の姿はもうない。
どこへ行ってしまったのだろうか。もう動くことはできないが、“なんとしても助けないといけない”と思う。
「ハッ……、ハ…………、ほんと、失敗、ばかり、で……かっこが、つかない、ン、です、から……ボクたち……」
彼女を行動させてしまったのは自分たちだ。そう輿水幸子は理解している。
どうして彼女が殺しあいにのったのか――どうして彼女が未来に進むことを拒否して、時計を止めてしまったのか。
その答えに触れてしまったがゆえに、こんなことになってしまった。もし、そんな真似をしなければ、こんな結末にはならなかったはず。けれど――。
「誤魔化しちゃ、だめな……ん……。じゃない、と、……きっと、また、ひどい失敗を…………しちゃ、ぅ……から」
答えには辿りついた。けれど、輿水幸子には彼女を助ける方法はまだわからなかった。追っても、どう声をかければいいのかわからなかった。
そして、彼女を追う時間も、追うことすらももうできないということだけは確実だという残酷な理解だけがあった。
「ハ……、ハッ……、…………ヒュゥ」
時間がない。自分では達成できない。それなら――輿水幸子は島村卯月が眠っている部屋の扉を見る――託すしか、ない。彼女に伝えるしかない。
「しまむ……ヴェッ! ゲ……、ゲェッ…………! …………ヒ、ヒッ、……ヒ、…………ィ」
けれど、声を出すのももう難しいようだった。そもそも銃声が鳴っても起きてこないほどの睡眠だ。多少の声が出たところで起こすことはできないだろう。
どう伝えよう? どう言葉を残そう? なにかを探そうと輿水幸子は震える手を動かす。その時、床をこすった指先が赤い線を引いた。
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「ボクが事務所に来る時は下でお出迎えくらいしてくださいって言ってるじゃないですかー……って、無視しないでくださいよ!」
「おう、幸子か。おはよう」
それはある日の事務所での光景だった。
「このカワイイボクの呼びかけを無視してパソコンでなにを見てるんですかー? まさか、いやらしいものじゃないでしょうねぇ」
「馬鹿なことを言うなよ。ここは職場だぞ? 仕事に関係するものに決まってるだろう」
「もー、嘘でも見てるってところから否定してくださいよ。ボクの年齢を考えてください。セクハラですよ? で、これはなんなんです……?」
輿水幸子がデスクの上のモニタを覗くと、そこに映っているは巨大な滝だった。
「ナイアガラの――」
「――やりませんよッ!」
輿水幸子のかわいくも大きな怒声が事務所に響き渡る。けれど、別に珍しいものでもないのか彼女らのほうを見る人間はひとりとしていなかった。
「まだ、全部話してないだろう?」
「どうせ、飛び込めって言うんでしょう!? 無理に決まってるじゃないですか。死にますよ!」
「いやいや、それが案外そうでもないんだ。あの清水の舞台だって、実際には飛び降りてもそうそう死にはしないって話があるだろう?」
「でも、こっちは明らかに落ちたら死ぬ高さじゃないですか」
「そりゃあ、生身じゃまず助からない。助かった例もなくはないが、うちのかわいい幸子にそんな危険な真似はさせないさ」
「お、お、おだてても無駄ですからね……? それで、なにか方法があるんですか?」
プロデューサーがマウスをクリックするとまた別の画像が画面に映し出される。
「ワイン樽……?」
「そう、樽だ。世界で初めてナイアガラに挑戦した人もワイン樽に入って滝を下ったんだ。それで、生還している」
「……いや、すごく乱暴な。それにこれだと、樽の中で洗濯物みたいになりませんか?」
「それはそうなんだが、実は樽に入ってナイアガラに挑戦したって人物は多くてな」
「はぁ……。一種のエキストリームスポーツ化してるんですねぇ。だったら、今は本当は安全なんです?」
「ああ。だいたい2/3の確率で生還できる」
「――やりませんよッ!」
「おい、幸子よ」
「いやいやいやいやいやいや……、それって1/3で死ぬってことじゃないですか! なにがうちのかわいい幸子に危険な真似はさせないさですか!」
「生還に万全を期すというのは本当だぞ。幸子樽の製作に当たってはあの池袋博士にも協力を願おうと考えているところだ」
「いやそこはNASAに、とか言ってくださいよ。それに幸子樽ってやめてください」
「まぁ、樽の名前は博士に一任するとして……、問題はロケを含む費用の捻出だよなぁ。この企画が入る番組も作ってもらわないといけないし」
「ちょっと! だから! いつもそんな勝手に話を進めないでくださいってば!」
輿水幸子はプロデューサーのネクタイを引っ張って抗議する。これまでに何回も怖い目にはあってきた。けれど、怖い目と危険な目は似ているようで全然違う。
いくら万全を期すと言われようが、蓄積されたノウハウがあり、いざという時のための救出要員もいたダイビングやスキューバなんかとは別の話だ。
「もう、ボクを危険な目にあわせて受けを狙うとかやめてくださいよぉ! 普通にかわいい仕事ばっかりでいいじゃないですか!」
「それは心外な発言だな」
プロデューサーが怒った顔をすると、輿水幸子は恐れるようにネクタイを放す。彼がこんな顔をするのは本当に珍しいことだった。
「ち、違うんですか……? うら若いボクの残り寿命で視聴率を買おうとしてるんじゃ…………?」
「幸子」
「にゃ、なんですか?」
「お前は“カワイイ”か?」
「……………………と、当然じゃないですか。ボクは、カワイイですよ」
「それじゃあ、駄目なんだ」
プロデューサーはこれみよがしに大きなため息をつく。明らかな失望。輿水幸子はちょっと泣きそうになった。
「な、なにが駄目なんですか? ボクはこんなにカワイイんだから、カワイイに決まってるじゃないですかぁ」
「幸子はかわいいよ。それは俺が断言する。輿水幸子は誰がなんと言おうとこの事務所の中で一番かわいいアイドルだ」
「や……やっぱり、そうじゃないですか。だったら――」
「けど、それはあくまで幸子が完璧であったなら……という話だ」
完璧? と、輿水幸子の頭の上に?マークが浮かび上がる。
「ようは、カワイイという自負――自信だ。
かわいいか? と問われたら、いつ何時でも『ボクはカワイイですから!(ドヤァ』って言える自信こそが幸子のかわいさの根源であり、まだ足りてない要素なんだよ」
「ドヤァ……は口で言わないんですけど……」
それはともかく。
「俺の言いたいことはわかるだろう?
幸子には自信が足りない。いつもビクビクおどおどしている。幸子はダイヤモンドの原石だ。けれど、成長しなければ所詮、自称・カワイイ止まりだ」
「……自称……かわいい」
「幸子がシンデレラになるには絶対の自信が必要なんだ。誰よりもかわいくて当然ッ! 負けることなど想像もしない! というな。
途中で負け惜しみを言って引いてしまうような半端さがあるうちは決してテッペンには辿りつけない」
「だ、だから、プロデューサーさんはボクにあんな無茶ばっかりさせるんですか……?」
不安げな顔の輿水幸子に、プロデューサーは神妙に頷く。
「ビュジュアル、ダンス、ボーカル……どれも幸子には十分に備わっている。欠けているのはメンタルだ。そこを補えば、“カリスマ”が生まれるようになる」
「カリスマ……」
「“死線”を潜れ、幸子」
「…………いや、やっぱりおかしいと思いますよ。この話」
結局、『輿水幸子☆ナイアガラ・決死のダイブ!?』は予算の都合で実現はしなかった(代わりに『輿水幸子のブラック・アイスバーン極寒レポート』が実行された)。
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今わの際の輿水幸子の心は、不思議なことに彼女を包む雨音のように静かで落ち着いたものだった。
「(――さん。ボクは今、アイドル同士で殺しあいをさせられて、でももう死んじゃうところです。でも、怖くありませんよ。どうしてでしょうかね?)」
こぷ……と口からまた血の塊が垂れる。これが床につけばもう死ぬ。どうしてか、それがわかった。
「ボク……、失敗、ばかり……でした、けど……、殺しあ、いには、負けて、い、な……ぃ……………………」
輿水幸子は最期の力を振り絞って星輝子の身体を抱きしめる。か弱い力で、精一杯に。
「(ありがとうございます輝子さん。あなたの約束は守れましたよ)」
最後の息を吸って――
「ボクはカワイイですからね」
――そして彼女の赤い命は流れきった。
事切れたふたりのすぐ傍には、ふたりの交じり合った血で 『愛梨さんの魔法を解いてあげてください』 と、そう書き残されている。
【星輝子 死亡】
【輿水幸子 死亡】
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ざぁざぁと夜の中に雨が降っている。
十時愛梨は深い闇の中で泣き叫んでいた。明るく輝く遊園地から逃げ出し、深い闇の中を走り、草むらの中に伏せてただただ大声で泣いていた。
その泣き声は降りしきる雨音を逆流させたようながらがらと濁った、聞いてるものが耳を塞ぎたくなるような悲痛な泣き声だった。
全てを理解した。いや、彼女は最初から理解していた。誰もが思うとおり、誰もが言うとおり、“彼”は死んだ。
だから諦めなくてはならない。過去に送らなくてはいけない。全てを認めて、ここに置き去りにし、新しく時計の針を進めなくてはいけない。
わかっている。誰に言われなくともわかっている。わかっている。わかっている。わかっているけど、できない。
諦めない。過去にしない。認めない。ここにしがみついて、時計の針は進めない。
絶望でもいい。絶望だからこそいい。
それでまだ彼とつながっていられるならそれでもいい。彼が死んだ瞬間で時間を止めていられるならずっとこの島で殺しあいをしていてもいい。
殺しあいをしている間だけは、心の中にある文字盤のない時計の透明な針が回り、安らかな絶望を感じていられる。彼のために生きていると感じられる。
辛くても痛くてもいい。なにを犠牲にしたっていい。
彼を置き去りにするくらいなら、心が砂のように乾いてしまうくらいなら、血を、涙を流していたい。
この島にしがみついて、最後の希望に殺されるまで、ずっと泣いていたい。
血を吐くような叫び声が夜空へと立ち昇り、それを鎮めるように雨が彼女の身体を叩く。そして、彼女は地の底へ沈んでいくようにただただずっと泣いていた。
【F-5 草原/一日目 真夜中】
【十時愛梨】
【装備:ベレッタM92(15/16)、Vz.61"スコーピオン"(0/30)】
【所持品:基本支給品一式×1、予備マガジン(ベレッタM92)×3、予備マガジン(Vz.61スコーピオン)×3】
【状態:絶望・ずぶ濡れ】
【思考・行動】
基本方針:ずっと生きている。
1:絶望でいいから浸っていたい。
2:終止符は希望に。
【E-5 遊園地・救護センター/一日目 真夜中】
【島村卯月】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式、包丁、チョコバー(半分の半分)】
【状態:睡眠中、失声症、後悔と自己嫌悪に加え体力/精神的な疲労による朦朧】
【思考・行動】
基本方針:『ニュージェネレーション』だけは諦めない。
0:………………。
1:凛ちゃんを見つけて、戻ってきて……そうしたら、どうしようかな?
2:もう誰も見捨てない。逃げたりしない。愛梨ちゃんとも幸子ちゃん達とも分かり合えたんだ!
3:歌う資格なんてない……はずなのに、歌えなくなったのが辛い。
※上着を脱いでいます(上着は見晴台の
本田未央の所にあります)。服が血で汚れています。
※救護センターの中に、輿水幸子と星輝子の遺体。そして彼女らの支給品が残されています。
※輿水幸子の支給品。
【基本支給品一式×1、グロック26(11/15)、スタミナドリンク(9本)、
神崎蘭子の首輪】
※星輝子の支給品。
【基本支給品一式×2(片方は血染め)、鎖鎌、ツキヨタケon鉢植え、コルトガバメント+サプレッサー(5/7)、シカゴタイプライター(0/50)、予備マガジンx4】
【携帯電話、神崎蘭子の情報端末、ヘアスプレー缶、100円ライター、メイク道具セット、未確認支給品x1-2(神崎蘭子)】
※床に『愛梨さんの魔法を解いてあげてください』という血文字が残されています。
※テーブルの上に園内で集めたいろいろな食料が広がっています。
最終更新:2014年02月11日 14:48