彼女たちの目には映らない稲妻(サーティファイブ) ◆John.ZZqWo
寝て、起きる。起きると寝るまでの時間は昨日になって、起きてからは新しい今日が始まる。
当たり前の、生まれてからずっと同じように繰り返してきたこと。そこに疑問は抱かない。抱かなかった。一週間前までは。
それまでは過ぎ去った昨日やこれからはじまる今日を疑うことはなかった。けれど今は違う。
三村かな子は目覚めるたびに昨日を疑い、今日を疑っていた。
「…………泉ちゃん、生きてる」
だから三村かな子は思う。
あの町役場の前で彼女を撃ったと思ったのは間違いだったのかもしれないと。
そもそもとして、ほんとにあそこに彼女はいたのか? いや、自分はあそこにいたのだろうか? 機関銃で人を撃つ? なんてばかげているんだろう。
アイドル同士で殺しあいをする。そのために訓練を受ける。拳銃で的を撃ち、重い荷物を背に山を登る。なんて荒唐無稽な話なんだろう。
プロデューサーさんが人質になって、そのために他のアイドルの子らを皆殺しにする。そんな決心がどうやってできたんだろう。
しかし、そんな思考はたった数秒で終わってしまう。
暗闇の中で腰に手をやればそこに拳銃があり、置いたはずの場所に手をのばせばそこに機関銃がある。
研ぎ澄まされた神経は自動的にあたりの気配を窺い、身体はすぐに緊張感を得る。本来の三村かな子はこんなに寝起きがよくなかったはずだ。
取り囲む冷徹な現実が、肉体の訴える実感が、疑惑を否定していた。
なによりも、三村かな子の頭の中にある記憶が昨日までと今日の全てを確かに肯定していた。
「……………………」
目を覚まして1分と半分。三村かな子は逃避への挑戦を終える。
慣れとは恐ろしい。最初の1日目は部屋に
千川ちひろが入ってくるまでベッドの上から動けなかったというのに、今はたった1分と半分だ。
三村かな子は暗闇の中で荷物を集めると、できるだけ音を立てないように屋根裏から下へ降りる。
大石泉は死んではいなかった。それは、つまり、この後に彼女を殺さなければいけないということでしかない。ただそれだけのことでしかない。
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夜雨の中を三村かな子は歩く。暗色のレインコートを被り、街灯の明かりを避け暗がりの中を選び密やかに歩く。
レインコートは隠れていた民家の傍にあった雑貨店で見つけたものだ。黒色の男性向けのレインコートは三村かな子の姿をすっぽり覆っている。
向かう先はあの町役場だった。
火を放ったのだから、あそこにもう大石泉らはいないだろう。しかし、それでも足取りを追うなら見失った場所からでないといけない。
それもうまくいくとは限らないが、他にあても――主催者からの指令もないので彼女は雨の中を町役場へと向かっている。
強い雨と夜の暗さで足取りは鈍る。けれど距離はなく、町役場へとはそれほど時間をかけずに到達することができた。
「……………………」
遠めに見る町役場の姿にこれといった変化は見当たらない。
背の低いコンクリート作りの四角い平凡で愛想のない建物のままで、たとえばどこか一部が火事で崩れ落ちているなんてこともなかった。
よく見れば煤が壁を汚しているのかもしれなかったが、夜で、しかも雨が降っていてはそれもよくわからなかった。
三村かな子はゆっくりと慎重に町役場へと近づく。最初に目に入ったのはまだ変わらず放置されたままの遺体だった。
頭と胸に短い矢の刺さったその姿は滑稽でいて、だからこそ痛ましい。今は雨に曝され、なおのことその姿は無残なものに見えた。
ポニーテールにくくられた長い髪の毛は側溝へと流れる雨水の中でゆらゆらと揺れており、服はびしょ濡れで、肌の上を雨が絶え間なく打っている。
それでも遺体となった彼女はぴくりともせず、他の野晒しになっている子らもこんな仕打ちを受けているのかと思うと、さすがに心も痛んだ。
「……………………」
これでは、さきほど自分が狙い打ちにした子らと変わらない――そう思い至ると、三村かな子は早足で町役場の玄関を潜る。
「……………………」
脇の壁に身を寄せ、油断なく中を伺う。町役場の中は真っ暗で人気はなく、物が焼けた異臭が充満していた。
熱や煙は感じられない。鎮火してから時間が経っているのだろうと察することができる。
パキリと、あるいはジャリと足元で音を立てるなにかを踏みながら三村かな子は町役場を奥へと進み始めた。
追っているのは玄関から床の上に点々と残る血痕だ。
絞ったライトを真下に向け、最低限の明かりを使い三村かな子はそれを追っていく。
血痕は玄関ロビーから廊下をまっすぐ進んだ突き当たり、『会議室』と書かれたプレートのかかっている扉の中へと続いていた。
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「歌鈴ちゃん……」
そこに寝かされていたのは道明寺歌鈴の遺体だった。下には血溜まりができており、彼女が三村かな子の放った銃弾で死んだのだということがわかる。
「でも、どうして…………?」
ひとつわからないのが、彼女が彼女のトレードマークである巫女装束を着ていないということだ。なぜか男子学生服を着ている。
そして、三村かな子は彼女らを襲う時に巫女装束を着ている子がいるのを見ている。
撃たれてからその後に着替えさせた……というのは少し考えられない。
「………………」
では、あの時以前から彼女はこの姿で、同行していた誰かが彼女の巫女装束を着ていたのだろう。その意味は全くわからなかったが。
ともかく、三村かな子はその問題を無視することにする。そんなことよりも考えなくてはならないことが他にあった。
遺体はひとつだったが、血痕は彼女のものだけではなかった。もうひとつ、部屋の反対側に大きな血痕があった。
なにかをこすった跡のような、推測するなら一度倒れて血溜まりを作った後立ち上がったような痕跡だ。
少なくともこの場所に死体が残されていない以上、歩いて、あるいは誰かに背負われるなりして出て行ったのだろう。
出血の量から見れば、もう今頃は死んでいるかもしれない。少なくとも元気に走り回っているということはないはずだ。
そんな重症を負ったのは誰だろうか? 大石泉だろうか? それとも、放送で呼ばれた道明寺歌鈴以外の5人の中の誰かだったのだろうか?
「………………ふぅ」
三村かな子は小さな溜息をつき、パイプ椅子を引いて腰掛けた。
とりあえずの追跡はここまでだ。
部屋の中にはまだ小さな血痕がいくつも残っている。だがこれが、道明寺歌鈴や重症を負った誰か、そのふたりでもない誰かのものかは判別がつかない。
そしてこの部屋へと続く血痕はあったが、この部屋から出る血痕はなかった。一度ここに避難した時に包帯を巻くなりして止血したのだろう。
とはいえもし仮に外へ続く血痕があったとしても変わらない。今、外は雨だ。多少の血痕など流れてしまっていたに違いない。
ここから逃れた、少なくとも5人以上のアイドルはその中に重傷者を抱えている。だとすれば目指すのはどこだろうか?
病院だろうか? しかしかなり遠いように思える。ならより近い場所だと考えれば消防署あたりだろうか? 消防署にも医療施設はあるだろう。
「でも……」
そんな余裕すらなかっただろうと三村かな子は想像する。そして、一度襲われたのだから心理的に言って、地図にある施設には寄らない気がする。
きっと、自分がそうしたように特になんの変哲もない民家に入り、静かにやり過ごそうとしたんではないだろうか。
あるいは、地図に載ってないような小さな診療所や薬局などに駆け込んだかもしれない。
「……………………」
三村かな子は会議室の壁にかかった時計を見る。
円形の、どこでも見ることができるシンプルなデザインのその時計の時間が正しければ、次の放送までもう時間はない。
ここで急く理由はない――と思う。
主催側が新しい指令を送ってこないのであれば、この雨の中を無理に移動する理由はないし、指令がこないのもそれが理由な気がする。
「とりあえず、雨が止むまで待とうかな」
開けたままだった部屋の扉を閉め、血溜まりを踏まないよう慎重に戻ってパイプ椅子に座りなおすと、三村かな子は情報端末のスイッチを入れた。
なにも映っていない白い画面が彼女の顔を照らす。
彼女はじっとその白い画面を見続ける。
じっと、そこに何かが映っているかのように――。
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それは、そろそろクローゼットの中にコートを用意しないといけない、そんな季節の頃。三村かな子は事務所の、彼女のプロデューサーの前にいた。
「……おまえ、また太ったんじゃないか?」
「えっ?」
「いつも、もう少し控えめにしろって言ってるだろ。そもそもなんだその菓子箱は?」
「ダ、ダイエットはしていますって! 後、これはさっき法子ちゃんにケーキと交換にもらったもので、その、いっしょにどうかなって……」
「俺は甘いものはあんまり好きじゃないんだがなぁ……」
やれやれと首を振って、彼女のプロデューサーは火のついてない煙草を口にくわえる。
年の頃は三十路半ばで、机の上や髪型、よれたシャツの襟に雑な性格が見える、よくいると言えばいる、しかし目力の強さだけは印象的な男だった。
三村かな子は事務所に入って以来、彼と二人三脚でアイドル活動をしている。地味だが、実績も積み重ねていた。
「そもそも、その毎度の交換会のせいでやせられないんじゃないのか?」
「違います。最近は、作るケーキはダイエットのためにバターやお砂糖を減らしてるんですから」
「ふんふん、それで?」
「逆に繊維質やビタミンを含んだ果物を使うようにしているんです。味を落とさずに減カロリーで、みんなにも好評なんですよ」
「でもなぁ……、そのケーキをみんなに配って、おまえが普通のケーキやらドーナツを受け取っていたら意味がないだろうが」
「……………………あぁ!?」
「ああ、じゃねーよ」
ポカリと丸めた雑誌が三村かな子の頭を叩く。彼女は両手にドーナツの入った箱を抱えていたのでガードできなかった。
「今度からはみんなにも減カロリーレシピを教えてやれ……それからな」
「はい」
「もっとやせろ。まわりのプロデューサーからも苦情が来てるんだよ」
「あ、そ……それ、どういうことですか?」
プロデューサーは口の端で煙草を噛みながら溜息をつく。
「……この前のラジオでおまえ、体重は鯖よんでるって暴露したろ。ちょっとだけどって」
「は、はい……」
「いやまぁ、そりゃそうだよ。アイドルはリアリティよりも夢の存在であるべきだからさ。そこんとこはこっちもファンも暗黙の了解というのがある」
「そ、そうですよね」
「でも、だからこそ言っちゃいけないんだよ。そういうことは」
「…………で、ですよね」
「言っちゃったが最後、夢は夢じゃなくなるの。ファンの頭の中には常に所詮嘘かもって疑心暗鬼が渦巻くことになる。
これが俺とおまえだけの問題ならいいけど、そのとばっちりを受けるアイドルもいるってわけだよ……。ほんと胃が痛くなる話だぜ……」
「あぅー……」
三村かな子は大きくうなだれる。プロデューサーから怒られるだけならいい。むしろ、自分に鞭を打ってくれたびに、彼へ頼もしさや尊敬を感じるくらいだ。
けれど、自分の失敗で彼が他から責められていると聞くと、なさけなく、とても悲しかった。
「ということで、スケジュールを組みなおすぞ。今日この後は空いてるか?」
「……は、はい。後はもう家に帰るだけです」
「だったらレッスン室使え。これから毎日ダイエットレッスンだ。目標は体重をプロフィールと同じ数字にまで減らすこと」
「そ、そんなの無理ですよ!?」
「……無理って、おまえ今体重何キロなんだ?」
「あ、あわわわわ……」
プロデューサーは三村かな子の前で頭を抱え込む。だが、諦めたというわけではないようだ。再び彼の目が彼女を見据えた時、そこには非情の炎が宿っていた。
「お菓子禁止」
「そんなあああああああああああああああああああああ!?」
その後の必死の交渉の結果、お菓子交換会だけはしてもいい(ただし減カロリーレシピで)というところまで三村かな子は譲歩してもらうことに成功した。
そして今はレッスン着姿でレッスン室へと廊下を歩いているところだ。
いろいろとダイエット方法を試みている彼女ではあったが、運動をしてダイエットするというのは一番苦手だった。それが一番効果的だというのはわかっているのだが。
「あの、かな子ちゃん、ちょっといい?」
「え?」
振り返るとそこにいたのは事務員の千川ちひろだった。
さきほど三村かな子が抱えていたドーナツは、無理を言ってレッスン室を開けてくれた見返りに彼女と事務員のみんなでと譲渡されたのだが、彼女は手ぶらだった。
つまり、取り上げられたドーナツをかわいそうな子に届けにきたわけでも、運動の前だったらひとつくらいはいいよねと差し入れにきてくれたわけでもないらしい。
「プロデューサーさんがここの仕事辞めちゃうってほんと?」
「はい?」
ぴたりと思考が停止する。頭の中にあった食べ損ねたドーナツはどこかへと消えてしまった。
なんと言ったのか。プロデューサーさんが仕事を辞める? 目の前にいる千川ちひろは神妙な顔をしてこちらを見ていた。
「どういう……」
「あ、かな子ちゃんも聞いてなかったの? あら、どうしましょう。私、余計なことを……」
「プロデューサーさんが辞めるってどういうことですか?」
「あの、それは……そのね……」
三村かな子の脳裏にさきほどのプロデューサーの発言が浮かんでいた。
他のプロデューサーからも苦情がきている――それが理由だとしたら、彼が仕事を続けられなくなってしまうのは自分のせいにほかならない。
「私も彼と社長の話を立ち聞きしただけだから、よくはわからなくて、だからかな子ちゃんに聞いてみようって思ったんだけど……」
「はい」
「彼、どうやら身体の調子がよくないらしいの。それで、いつ入院するかもわからないから、その時は後任をって……社長と」
「プロデューサーさん、病気なんですか?」
「さぁ、私もなんとも……でも、今日明日の話って感じではなかったわよ。ただ念のためというだけで社長と話してたのかもしれないし」
「……………………」
三村かな子はひどく心がざわついているのを感じていた。
そう言われてみれば、ここ最近彼の調子がよくないような気がする。ついさっきだって、営業に出ると椅子から立ち上がった時に足をもつれさせていた。
差し入れのお菓子だって、以前は目の前で食べてくれたのに、最近は受け取るだけで直接食べるところを見た記憶がない。
「ほんと、ごめんなさい。軽はずみに聞くことではなかったわよね。かな子ちゃんはもう知ってると思って……その、こんなこと」
呆然とする三村かな子の前で、千川ちひろは本当に申し訳なくする。
謝ってくれるのはいい、それどころか別に悪いとは思っていない。けれど、そんなに深刻な顔をされると、逆に不安を肯定されているみたいで嫌だった。
「このことは内密に、ね。私もこれからは変なことは言わないようにするわ。本当にごめんなさい」
最後に深く頭を下げると千川ちひろは廊下を戻って、そして三村かな子の前から姿を消した。
三村かな子はしばらく呆然とし、それからのろのろとした足取りでレッスン室へと向かった。
後日、とある週頭。事務所に到着した三村かな子はいつものようにまずはプロデューサーの机と向かう。そこにはいつもどおり彼の姿があった。
「プロデューサーさん、おはようございます」
「おう、おはようさん」
「また泊り込みしたんですか……?」
「よくわかるな」
言って、プロデューサーは笑う。彼は営業活動に熱心だ。ただ顔を売りに行くだけではなく、企画も立てるし、事務所で進めるプロモーションにも大きく口を出す。
いつも書類やデモテープなんかを大きく抱えて、だから事務所に泊り込んで仕事をするなんてのもよくあることだった。
ニューウェーブのライブコンサートにゲストとして滑り込ませてくれたのも彼の手腕だ。なので、三村かな子は彼のことをいつも尊敬し、感謝している。
「もしかして臭うか?」
「そ、そんなことはないですよ」
三村かな子が彼の泊まりこみに気づいたのは彼のネクタイが昨日と変わらないからだ。
地味なそのネクタイは三村かな子が普段のお礼にと彼の誕生日に送ったもので、だからこそ気づき、気恥ずかしくて理由は言えないのだった。
「それで、今朝の体重は?」
「えーとですね……」
あれから、事務所に来るたびにその日の体重を申告するのがルールとなっていた。
女の子に――と、ひどいことはひどいことだが、こうでもしないとダイエットが進まないのだからと、三村かな子も一応納得している。恥ずかしくはあるが。
この日は前日よりも一の位の数字がひとつ減っていた。正確に言えば100グラムにも満たない数字が減っただけだが、達成感はある。
「この調子だと、来月末までにはそれなりの数字にまで落とせそうだな。うん、感心感心」
「来月末ってなにかあるんですか……?」
「ああ、うちの事務所にな、出版社から何人かグラビアが撮れる子がいないかって話がきてるんだ」
「グ、グラビアってあのグラビアですか!?」
「そう。いわゆる水着撮影ってやつだな。だから無理なダイエットで肌が荒れることがないよう注意しろよ。若いしそんな心配はしてないけどよ」
「水着……私が、水着……」
三村かな子はぶつぶつと呟きながら身体を揺らす。
水着撮影の経験がないわけではない。何度か撮影のレッスンや宣伝材料のために事務所のみんなと水着の撮影をしたことはある。
だがそこにあったのは、自分以外の皆が華奢でスマートなスタイルの持ち主であったという事実だけで、少し以上にそれはコンプレックスだった。
「心配するな。俺はいけると思ったから仕事を取ってきたんだ。ことグラビアという話になったらうちで1番は、おまえか
十時愛梨かって思ってるぞ」
「あ、愛梨ちゃんと並べないでくださいよ~……」
十時愛梨。三村かな子より後から事務所に入ってきた子だが、現在人気急上昇中で仕事の数はもう倍以上も離れている。
お菓子作りが趣味で、趣味を同じくする三村かな子も彼女とは仲がいい。親友だと言ってもいいし、お菓子交換会の主要メンバーでもある。
そんな彼女は三村かな子の目から見ても魅力的だ。名前の通り、愛らしいというのが一番しっくりくる。
プロデューサーは以前、彼女のことを「無防備さが人気の秘訣」と評していたが、おそらくその通りで、だから男の子のファンが多いのだろう。
逆に三村かな子は男性からの視線は苦手で、だから彼女と並べられるのは恐れ多いものがあった。
「もっと俺を信用してほしいが、おまえのそういう遠慮がちなところも美点だよな」
「そ、そうなんですかね……?」
「食事に関してももっと遠慮がちになってもらいたいものだが……」
「そ、それはっ」
健康なのはけっこうだがなとプロデューサーは机の上のペットボトルを取る。CMでよく見る日本茶だった。
「今日はいつものコーヒーじゃないんですね」
「ああ、たまにはな」
彼はいつも無糖のブラックコーヒーを愛飲していて、その缶がいくつも机の上に並んでいるのが常だった。けれど、今はそれが1本も見当たらない。
そして、変化はそれだけでもなかった。
「…………煙草もやめたんですか?」
「ああ、それな」
いつも、コーヒーの空き缶と同じように見られる煙草の箱とライターも見られなかった。彼の胸ポケットの中も空だ。
「最近、喫煙所に子供が増えてきたろ?」
「ああ、そういえば」
「なんで、いっても煙草が吸えなくてよ。かといって、いちいち屋上に出るのも寒いわ億劫だわで、ちょうどいい機会なんで一昨日から禁煙」
なるほどと三村かな子は頷く。禁煙をする、それはとてもいいことだ。
喫煙で身体を壊す人もいるのだから、吸わないならそれにこしたことはない。けれど、それを素直に喜べないところがあった。
先日、千川ちひろから聞いたことが思い出される。あれがもし本当のことなら……と。
「健康は大事ですもんね」
「ああ、この商売、アイドルも裏方も体が資本だからな」
からからと笑う彼はいつもどおりの彼だ。どこもこれまでと変わりはない。なので、三村かな子はそれ以上この話を追求することができなかった。
そしてすこし月日は流れ、今度はクローゼットの中のコートをいつ仕舞おうかそんなことを考え始める季節。
三村かな子はいつもどおりに事務所に顔を出していた。
「あれ、プロデューサーさんはどこかな?」
グラビア撮影も無事に終えて、新しいファンも獲得し、今日は次の大きい企画の打ち合わせをするという予定だったのだが、彼の姿が見当たらない。
「か、かな子ちゃん!」
そこに血相を変えて駆け込んできたのは千川ちひろだった。今までに見たこともない慌てように三村かな子は心臓をドキリと鳴らす。
嫌な、悪い予感がして、その予感は的中していた。
「れ、冷静に聞いてね。プ……プロデューサーさんがね、さっき電話で、電話は営業先からなんだけど、その……彼が倒れて、救急車で病院にって」
「プロデューサーさんが……倒れた?」
ぐらりと世界が揺れた気がした。目の前が暗くなる。血の気が引いていると感じるのは気のせいではないだろう。
プロデューサーさんが倒れた。その言葉を冷静に受け止め、そして心配そうにこちらを覗き込む千川ちひろの表情を見て、そうはできていなんだなと知る。
気づけば、冷たい床の上へとへたりこんでいた。
それから、三村かな子は千川ちひろに手を引かれ応接スペースのソファへと移り、ただぼうっと時間をすごしていた。
目の前には淹れてもらった時には湯気を立てていたココアが手をつけられずに冷たくなっている。
何度か、その行為の意味もわからずに時計を見て、そしてここに座ってから1時間半ほど経った頃、三村かな子はあっと声をあげた。
「プロデューサーさん!?」
「おう、待たせたな」
応接スペースに入ってきたのはいつもと変わらないプロデューサーの姿だった。
「倒れたって……」
「ああ、まぁ倒れたって言ったら倒れたな」
苦笑し、彼は顛末を語る。聞いてみればそれは他愛もないことだった。
「階段に誰かがコピー紙を落としたままにしててよ、それを踏んでズダーっと転んで落ちたわけだ。
で、平気だって言うのに向こうがひどく恐縮してなぁ。
救急車まで呼ばれて、呼ばれた救急車をそのまま帰すわけにもってんで、一応は病院にいったってだけの話。一応は軽い捻挫だな。医者が言うには」
ピンピンしてるのに救急車に乗るのは恥ずかしかった、なんて言うプロデューサーの前で、三村かな子は胸を撫で下ろした。
てっきり、もう二度と会えない今生の別れになるのではと、そんな風にまで思っていたからだ。
「なんか心配かけたみたいだけど、心配しすぎだろ。どういう風に話が伝わってたんだ?」
「プロデューサーさんが倒れて、救急車で病院に運ばれたって……」
「間違ってはいないけど……確かに、そう聞いたら心配するのも無理はないか」
悪かったなと言ってプロデューサーは三村かな子の頭に手をのせる。ぽんとのせると、雫がテーブルに落ちる。それは涙だった。
「お、おいおい……心配しすぎだろ」
「……はい、……でも、もしかしたらプロデューサーさん、死んじゃうのかもって、……思って」
しばらく、言葉のない時間が過ぎる。ぬぐえばぬぐうほど涙はこぼれてきて、そしてそんな彼女にかける言葉を彼は持ち合わせていなかった。
「あー……、えーと、今日は打ち合わせの予定だったな」
「はい、新しいお仕事、ですか?」
「ああ、前も言ったけど大きな企画だぞ。今度、レジャーアイランド化して売り出す島があるんだが、そのキャンペーンガールに抜擢された」
おまえが“主役”の企画だ。そうプロデューサーは言う。
「ただ、CMに出るだけじゃないぞ。その開幕イベントでライブもさせるし、そこに新曲を用意してPVもそこで撮るからな」
「すごいですね。なんだかまるで一流アイドルみたいです」
当たり前だろう、そう笑って彼は三村かな子の手を引いた。
「前祝もかねて今日の打ち合わせは外に出るか。行きたい行きたいって言ってたケーキの店に連れてってやるよ」
「い、いいんですか!?」
「体重もラインより下まで落としたしな。その間はなに食べてても文句は言わねぇよ」
それに、と彼はつけくわえる。
「ちひろさん、俺らのタクシー代やなんかはケチつけて全然落としてくれないけど、アイドル絡みだとなんでもほいほい領収書受け取ってくれるんだよ」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、だからおまえといっしょなら俺も贅沢できるってわけだ。おまえに節制させて、俺もしばらく甘いものを食べてなかったからな」
彼が豪快に笑い、三村かな子もいっしょに笑う。
この後、ふたりが連れ立って評判のスイーツのお店に行き、そこではまたひと悶着あったのだがそれは別の話として、
これが、だいたい今から一ヶ月ほど前の話だった。
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三村かな子は真っ白な画面を見つめながら思い出を繰り返し反芻する。
あの後から新曲に向けてのレッスンも始め、一週間前に下見という名目でこの島に来るまでは本当に、本当に幸せだったのだ。
その間、プロデューサーさんは少し痩せて、それが少し気がかりだったが彼があんな事故を起こすことはあれ以来なく、
元気な彼を見ていたら病気だというのもなにかの間違いだったんだろう――そう思えた。
しかし、それとは関係なく今彼の命は失われる危機の前にさらされている。
三村かな子が“悪役”を全うしなければ、彼は殺される。
三村かな子は真っ白い画面を見続ける。その画面の向こうにいるはずの彼を想い続ける。
ただ、真っ白い画面を――。
【G-4・町役場/一日目 真夜中(放送直前)】
【三村かな子】
【装備:カットラス、US M16A2(30/30)、カーアームズK9(7/7)、レインコート】
【所持品:基本支給品一式(+情報端末に主催からの送信あり、ストロベリー・ソナー入り)
M16A2の予備マガジンx3、カーアームズK7の予備マガジンx2
ストロベリー・ボムx2、医療品セット、エナジードリンクx4本、金庫の鍵】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:アイドルを全員殺してプロデューサーを助ける。
0:次の放送を待つ。
1:指令がなければ雨が止むのを待って行動を開始する。指令があればそれに従う。
2:大石泉らがこの近辺にまだいるはずなので、この近くや施設を捜索する?
※【ストロベリー・ボムx8、コルトSAA“ピースメーカー“(6/6)、.45LC弾×24、M18発煙手榴弾(赤×1、黄×1、緑×1)】
以上の支給品は温泉旅館の金庫の中に仕舞われています。
最終更新:2015年12月11日 20:04