彼女たちが後もう一手のフィッシング・サーティフォー ◆John.ZZqWo
「――なにを考えているんですかっ!!」
ダイニングに怒声が響き渡る。
その声の主は、普段は理知的で滅多に声を荒げることのない
大石泉だった。
彼女の目の前にはテーブルを挟んで、グラスを片手にぽかんとしている
高垣楓と、顔を真っ白にして傷口を押さえる
川島瑞樹の姿があり、
そして、ふたりの間――テーブルの上にはもう中身がほとんど残っていない日本酒の一升瓶が立っていた。
「なんでこんな時にお酒を飲んで…………、楓さん、川島さんは怪我人ですよ?」
「ご、ごめんなさい……、お酒は薬にもなるって…………」
「泉ちゃん、楓ちゃんを責めないで。……お酒を出したのは、私、だから……、気つけのつもりで、ぇ…………っつ!」
身体をくの字に折って呻く川島瑞樹を見下ろし、大石泉は口をわななかせる。怒り、悲しみ、馬鹿ばかしさ、色いろなものが吹き出しそうだった。
重症を負っている時に飲酒していいかいけないか。そんなことはたとえ医療の知識がなくてもわかりそうなものだ。
それを大の大人がふたりもいて、
もしこんなことで、もしもこんなことでこのまま彼女が死んでしまえば、なにに怒ればいいのか、悲しめばいいのか、もうなにもかもを投げ出したい気持ちになる。
「あ、ふたりだけでお酒飲んでたの? ずる――」
「友紀さんっ!!」
「あひゃいっ!? じょ、冗談だから、怒らないで……」
「ふたりに水を飲ませてください!」
声に気づいてやってきた
姫川友紀と
矢口美羽に大石泉はさらに怒声を浴びせる。
剣幕から逃げ出すようにシンクへと走っていったふたりがコップに水を汲むのを確認すると、大石泉は額に拳を当てて大きく息を吐いた。
あまりにも馬鹿馬鹿しい事態だが、こんな時こそ冷静にならなくてはいけないと強く念じる。冷静であることがユニットの中での大石泉の役割だからだ。
「まずは……」
大石泉は部屋をのしのしと横切ると、窓にかかったカーテンを少しだけ開き外の様子を確認する。
ついさきほどの放送でこれから雨が降ると聞かされたが、まだ降り始めてはおらず、少しは時間の猶予がありそうだった。
「ふたりの酔いを醒ましてください。川島さんは絶対安静です」
水を飲ませている姫川友紀と介抱している矢口美羽にそう言うと、大石泉はダイニングをやはりのしのしという足取りで出て行った。
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「あの、楓さん……」
大石泉が立ち去ったのを確認して矢口美羽がまだ呆けている高垣楓に声をかける。
川島瑞樹の様態も大事だが、それ以上に大事なことが彼女らにはあった。
「あ、えっと…………ごめんなさい。
ナターリアと、光ちゃんのことね?」
「はい……」
つい先ほど3回目の放送が流れた。放送が流れたということは、つまり死者の名前も呼び上げられたということだ。
矢口美羽はそれが呼び上げられるのをぎゅっと手を握って聞いていた。
道明寺歌鈴の名前が呼び上げられる。その悲しみにまた押し流されないように。
だが、そこに不意打つようにナターリアと
南条光の名前が呼び上げられた。
悲しみは、未だ心には届いていない。それはいずれ時間をおいてくるのだろうけど、今はそれよりも驚きと困惑のほうが強かった。
飛行場から離れる時を思い返しても、強く頼りになりそうなあの3人の、あれだけ心の強さを見せていたナターリアと南条光が死んでしまったなんて。
「…………これで、どっちにしろ飛行場に戻る理由はなくなってしまったわね」
「え?」
思わず声をもらしてしまう。まず第一声がそれなのか? と。
高垣楓は強い人間だと思う。自由奔放であるようでいて自分をコントロールできる人間だということを矢口美羽は彼女を観察して知っている。
そして朱に染まった頬を見れば今はいくらか酔っているのもわかる。だから、こんなにもそっけないのだろうか?
「ナターリアも、光ちゃんも、死んでしまいました……」
絞るように言葉を発する。そこには願いがこめられていた。だがしかし。
「むこうは……留美さんはこちらで歌鈴ちゃんが死んだことを知ったでしょうね。彼女も、もう飛行場を離れているはず」
そうじゃなくて! と、矢口美羽は心の中で叫んだ。
しかし、矢口美羽にはわからない。高垣楓は平静を装っているのか、それとも彼女は実は薄情な人間だったのか。
急激に心を締め付けるような悲しみがわきあがってくる。
今になってふたりの死の悲しみが追いついてきた――のではなく、このままだとふたりの死が無意味に忘れ去られてしまうのではないのかという悲しみだ。
本当なら自分が声をあげてふたりの死を嘆き、それを彼女が慰める。そういう場面なはずなのに――――と?
「楓、さん……?」
「ん?」
「…………あ、いえ、なんでもありません」
「そう」
こくこくと水を飲む高垣楓を見ながら矢口美羽は胸を押さえる。なにか、心臓をドキリとさせるよう“なにか”かが、今一瞬頭の中をよぎった。
「(なんだろう……?)」
しかし、それは覚めたばかりの夢のようで、思い返そうとしてもただただ遠ざかっていくばかりで、結局思い返すことはできなかった。
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「猶予がありません。まずは警察署まで移動しましょう」
言いながら大石泉が大きな椅子を押してダイニングに戻ってくる。少しこぶりなマッサージチェアといった感じだ。
「玄関にスロープがあったので、もしかすればと探してみたんですけど、正解でしたね」
よく見ればそれはただの椅子ではなく車椅子だった。しかもただの車椅子でもなく介護用の電動車椅子だ。操作するためのレバーもついている。
「もしかして、私がそれに乗るのかしら……?」
まだ顔は蒼白なままでつらそうな表情も変わらない川島瑞樹が尋ねるように言う。
確かに、“介護用”車椅子に乗るというのは、彼女のような微妙なお年頃の女性にとっては屈辱的なことなのかもしれない。
「なにか問題がありますか?」
「な、ないわね。……ありがとう、これなら警察署に行けそうね」
一瞥をもらうと川島瑞樹はしゅんと頭をたれる。そもそもの問題を起こしたのも歩けないのも自分なのだから文句が言える立場ではない。
もっとも、未だに眉を吊り上げ怒気を隠そうともしない大石泉にノーと言える人間はここにはいなかったが。
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隠れていた民家から前回と同じく姫川友紀を先頭に出発して1時間とすこし、大石泉の姿は警察署の会議室の中、壇上にあった。
「――それでは、ミーティングを始めたいと思います」
その声には幾分かの緊張が伺える。
それもそのはずで、今彼女の目の前には9人のアイドルの姿があり、誰もが彼女のことを注視していた。
ミーティングを主導することそのものは別に珍しいことではない。
ニューウェーブの3人の中でなにかを決めるという時に仕切りをするのはいつも彼女だったし、プロデューサーを交えていてもそうである場合もあった。
けれど、9人――いつもより3倍以上で、しかも自分より年上だったりアイドルとして活躍している人がこうもいるとやはり緊張はしてしまう。
会議室の壇上に大石泉。その正面の机に川島瑞樹と高垣楓がいて、その右隣の机には、矢口美羽、姫川友紀、そして
高森藍子の3人がいる。
事務所の中でも最大の人気を誇るFLOWERSのメンバー、そのリーダーである高森藍子と無事合流できたことにふたりは大きく喜んでいた。
反対側、左隣の机には
小日向美穂、日野茜、
栗原ネネの姿があり、そしてひとつ後ろの机には
渋谷凛がひとりだけで座っている。
高森藍子と小日向美穂、日野茜、栗原ネネの4人ははじめからこの警察署にいた面々だが、彼女だけは大石泉らと同じく後から来た人間だった。
「まずは、配ったプリントの1枚目に目を通してほしいと思います」
大石泉は配布したプリントへ目を通すことを促す。
それは彼女がこの島で最初に作った『脱出のための6つの要件』を書き記したものに、学校での発見をつけ加えコピーしたものだ。
「すごい……」
すでに同行した面々にしてみれば既知の情報なので特に反応はなかったが、これが初となる面々からはそれぞれ感嘆の声があがった。
このミーティングを始める前に各人からこれまでの経緯を聴取したが、皆この殺し合いに反意はあっても具体的なことについては考えてはいなかったようだ。
ゆえにこの反応なわけだが、大石泉からすればやや肩透かしであったこともまた事実だった。
「私たちがこの殺し合いから抜け出すには、大まかに言うと『首輪』『主催者』『脱出手段』という問題をクリアしなくてはならないのですが……」
大石泉はいったん言葉を区切って、集まったアイドルたちを見やる。
彼女らの目にはこれから大石泉が答えを言ってくれるのだろうという期待が見えた。だがしかし、あえて大石泉はそれを冷たく言い放った。
「残念ながら、どの問題に対しても解決するメドはついていません」
全員に落胆の表情が浮かび、ため息も漏れ聞こえる。
大石泉は突き放すような言い方をしたことを少し後悔し、自分の中の子供じみた感情を恥ずかしいとも思った。
苛立つ、脱力するようなことはあったが、集団の舵を切る立場にある人間がそんなことにみだりに振り回されるのは一番いけないことだとも知っている。
このままではいけない方向に進んでしまう。思いなおし、大石泉が口を開こうとした時――、
「じゃあ、これからそれをみんなで解決していくってことですね」
明るい、しかし落ち着いた声でそう言ったのは高森藍子だった。
「これだけアイドルがいるんだから不可能はないですよ!」
「そ、そうです!」
「まだまだ試合はこれからだからね!」
「そうですよね。諦めるなんて、私たちらしくもありませんし」
続けて大きな声をあげたのは日野茜だった。さらに、矢口美羽、姫川友紀、栗原ネネと続いていく。
ほんの一瞬で空気は変わり、大石泉はほっとしたため息をついた。
ここにいるのはまぎれもないアイドルたちだった。キラキラと輝く希望。圧倒的な、ささくれ立った心も優しく癒してしまう眩い光だった。
「……は、はい。それを、みなさんには協力してもらいたいと考えています」
予想外の反応に若干の戸惑いを覚えるも、大石泉は気をとりなおしてミーティングを進めていくことにする。
さきほどはあんな風に言い放ったが、なにもまったく進展がなかったわけでもない。
「この企画における主催者……少なくとも実行しているスタッフがこの島の中にいるだろうことは、学校にあった痕跡からも可能性が高いと思います」
学校の駐車場にあった大量のバン。そして中継車と、教室に残されていたモニター。
あれらを鑑みるに、少なくともこの殺し合いが始まる少し前まではあの学校とこの島にたくさんのスタッフがいたことは間違いない。
その後、彼らがどこに姿を隠したのか、それを発見することはできなかったが、捜索を繰り返し、また範囲を広げていけば見つかる可能性はある。
「脱出手段については、川島さんが船舶の免許を持っているので、港のどこかで動く船を見つけることができれば可能だと考えます」
言って、大石泉は川島瑞樹を見る。彼女はそれに親指を立てて答えたが、白いままの顔は少し不安を覚えさせた。
「…………それで、やはり一番の問題となるのはこの首輪です。これを外さない限り、他のどの問題を解決してもこの島からは逃げられません」
ふたたびアイドルたちの顔に影が落ちる。何人かは自分の首輪に触れ、はがゆさや恐怖をその顔に浮かべた。
結局、生殺与奪の権を運営側に握られていてはどんな抵抗も無意味なのだ。
首輪を爆発させるぞと脅されればそれまで。例え、相手の喉元に喰らいつくチャンスがあろうと、そこで首輪を爆発されてしまえば全てが無に帰してしまう。
「あの、夏樹さんの本は……?」
高森藍子が小さく手をあげて言う。
大石泉は彼女から経緯を聞き取った際、数冊の本を預かっていた。
木村夏樹が図書館で見つけたという爆発物に関する専門書だ。
「あれが役に立つかはまだなんとも……、このミーティングが終わった後に精査したいと思います」
「そう、ですか」
しかし、期待は薄いと大石泉は思っていた。もし、首輪爆弾の設計図でも載っていれば問題は一気に解決するが、そんなものはないだろう。
流し見した感じでは掲載されているのは主に爆薬の歴史と用途、その種類くらいだ。
それらは大石泉が持つ知識と比べてもかなり深い知識ではあるが、いくら爆薬そのものに詳しくても“この首輪爆弾”に近い情報でなければ意味がない。
「とりあえず、この殺しあいからの脱出については以上ですが、この先の方針を発表する前に見てもらいたいものがあります。2枚目のプリントを開いてください」
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紙をめくる音が会議室の中に広がる。何人かはすでにそれに目を通していたようだが、初めて見る者は皆一様に驚いた顔をしていた。
「先ほど、みなさんからこれまでの経緯を聞かせていただきましたが、それにより今現在この島で生存しているアイドルのスタンスが大方判明しました」
その言葉に皆が息を呑むのがわかった。スタンスとはつまり、この企画に対する態度――殺しあいにのっているか、のっていないかということだ。
そして、それが明らかになるということは、殺しあいにのっているアイドルの名前が判明するということに他ならない。
嘘……と、小さく呟く声が大石泉の耳に届く。
声を発したのはひとりで後ろの席に座っている渋谷凛だった。その目は見開かれ、肩は小刻みに揺れている。
動揺しているのは彼女だけではない。それほどに、殺しあいにのっていると、そう判明したアイドルの名前は皆にとって大きなものだった。
「まずは……、殺しあいにのっていないことが明らかな人から順に説明していきたいと思います」
静まり返ったアイドルらを前に大石泉は名前を読み上げていく。最初に読み上げられたのは、
向井拓海、
小早川紗枝、松永涼、
白坂小梅の4人だ。
「彼女たち4人は負傷した松永さんを治療するために北の救急病院に向かったそうです。おそらくは今もその病院にいると思われます」
「その、怪我というのは……」
栗原ネネに尋ねられ大石泉は沈黙してしまう。できれば、はっきりしたことは言いたくなかった。だが、聞かれた以上ごまかすことはできない。
「足を、切断されたと聞きました」
「…………っ!」
両手で口を押さえて栗原ネネが悲鳴を押し殺す。他の何人かも同じような反応をしていた。足を切断するというのはそれだけショッキングな事実だ。
アイドルとしての命を奪われたと言っても過言ではない。いや、そもそもとして生命の維持ができるのか、そこに疑問を抱くような負傷だ。
「松永さんの名前は放送では呼ばれませんでした。手当てが上手くいったのだと、思います。それでは――」
「彼女たちは水族館でいっしょだったそうです。予定では全員で救急病院へと向かうとのことだったようですが……」
大石泉は渋谷凛をちらりと見る。彼女はまだ食い入るようにプリントを見つめ、こちらの話は聞いていないようだった。
「……渋谷さんが水族館を離れた後、放送でいっしょにそこにいた岡崎さんと喜多さんの名前が呼ばれました」
それはつまり、水族館でなんらかの殺害行為があったということだ。4人の中で殺しあいになったのかもしれないし、外から誰かが来たのかもしれない。
「なので、今はどうしているのかはわかりません。救急病院へと向かっていることを祈るのみ、ですね」
付随する不穏な情報にアイドルたちにかかった影が濃さを増す。大石泉としてもこのような悲しい事実を明らかにするのは辛い。
心を落ち着かせるために水を一口飲むと、気をとりなおして次の――
古賀小春と
小関麗奈の名前を読み上げた。
「昨晩、この殺しあいが始まって間もなくの頃に、きらりさんが2人と出会ったそうです。
きらりさんは双葉さんを探すために2人を置いて先を急ぎましたが、この2人に対しては“大丈夫”だと判断したそうです」
その言葉に矢口美羽がうんうんと頷いていた。
諸星きらりを、そして古賀小春と小関麗奈のふたりを少しでも知っていれば、彼女らが殺しあいをするなんてのはありえないのは明白だからだ。
小関麗奈のイタズラは有名だが、そのそばに古賀小春がいるならきっと彼女はお姫様を守るために動くだろうと想像できる。
「次に、
島村卯月さん。……彼女は山頂で渋谷さんとはぐれて以来消息不明で、渋谷さんは島村さんを探して山の周りを回っていたそうです」
先ほどまで何事にも無反応でプリントだけを見つめていた渋谷凛が、壇上の大石泉を見つめていた。
すがるような視線だったが、しかし彼女はなにも答えてあげることはできない。聞き取りの際に誰の口からも島村卯月の名前は出てこなかったからだ。
「次ですが――」
続いて、大石泉は
和久井留美の名前をあげ、彼女が飛行場にいたことと、彼女といっしょにいたはずのナターリアと南条光が死亡していることを伝える。
そして、直前までいっしょにいた高垣楓らとの約束で、互いに死者が出ていれば戻らないと決めてたので、もう彼女は飛行場にいないだろうことをつけ加えた。
矢口美羽がうつむき、高垣楓がどこか遠いところを見るようにする。他のアイドルたちも一様に複雑な表情を浮かべた。
誰もがこれまでにアイドルの死に触れてこなかったわけではない。ほぼ全員が実際にアイドルの死を目にしてきた。
しかし、そういったものを超えてここにいる面々は集団を結成することに成功した。
ゆえに、そういった集団が他にいることには勇気づけられ、それがことごとく崩壊の憂き目にあっていると聞くのは堪えることだった。
名前をあげて、大石泉は栗原ネネのほうを見る。星輝子だけは誰かが直接会った相手ではない。栗原ネネが支給されていた電話で会話しただけだ。
「言われて、電話してみたんですけど……出なくて」
その答えに大石泉は表情を強張らせる。悪い想像だけはいくらでもできた。
「彼女の名前も放送では呼ばれていません。電話に出られない事情があるだけで、無事であることを祈りましょう」
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「では――」
そう大石泉が次の話を切り出すと、ぴしりと部屋の中の緊張が大きく高まった。
殺しあいに否定的なアイドルは星輝子をもって最後となる。つまり、この次に名前が呼び上げられるアイドルは“殺しあいにのった”アイドルだということに他ならない。
最初に名前を読み上げられたのは、
北条加蓮と
神谷奈緒のふたりだった。
「小日向さんが塩見さんをいっしょにいたところを襲われ、塩見さんが殺されました。……なので、2人が殺しあいにのっていることは間違いありません」
加えて、大石泉は町役場の前に放置されていた
若林智香の遺体のことも話した。
塩見周子を殺害したふたりの凶器と、若林智香の遺体に残った傷と矢がそっくり一致すること――つまりは、若林智香を殺害したのもふたりであることを。
その事実に会議室の中がざわめく。
小日向美穂は口を閉じ、ただ机だけを見つめていた。襲われた時の恐怖が蘇っているのかもしれない。
その後ろの渋谷凛も同じような反応だった。ただ、じっとして動かない。何人かが振り返って彼女のことを見ているが、それにも気づいていないようだった。
あまりの衝撃に思考停止しているのか、それとも北条加蓮と神谷奈緒が殺しあいにのることにどこか納得がいくことがあったのか、外からは伺えない。
「この2人には気をつけてください。それでは――」
渋谷凛にふたりについて話を聞くべきか、大石泉は考えてやめることにした。そんなことをしても、いたずらに渋谷凛の心を傷つけるだけだと思ったからだ。
殺しあいにのったアイドルにどんな事情や動機があったのか、それを推測したり知ることに大石泉はあまり意味がないと思う。
なぜなら、そんな理由は誰にでもありえるからだ。死にたくないから、死んでほしくない人がいるから、それはシンプルで、だからこそ否定しようがない。
その一線をたまたま超えるか超えないかでしかない。
どのアイドルも殺しあいなんかするわけがない。そして同時にどのアイドルにも殺しあいにのってしまう可能性がある。そこに論理的な納得なんてものはない。
それを“彼女”が証明していた。アイドルオブアイドル。現代のシンデレラガールである、
彼女が殺しあいにのっているというその事実が、どんなアイドルでも殺しあいにのりえるという残酷な事実を証明していた。
「
多田李衣菜さんと木村夏樹さんが彼女によって殺されました。また、木村さんの言葉によると他にもどこかで誰かを殺した疑いがあります」
皆が一様に言葉を失っているのが大石泉にはわかった。
初代シンデレラガール――アイドルの象徴が他のアイドルを積極的に殺していたというのだ。その事実が持つ意味はあまりにもはかりしれない。
さきほどはあれほどの輝きを見せた高森藍子の表情も辛さを耐えるようなものになっている。
同じトップアイドルとして、そして彼女の宣言を最初に受け、その後の凶行を目の当たりにしたのだから心中は他の誰よりも複雑だろう。
静かで、凍りついたような時間が流れる。次に口を開いたのは、姫川友紀だった。
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「十時愛梨が“悪役”だよ。間違いない」
席から立ち上がり、姫川友紀が大きな声で言い放つ。
部屋の中がざわめき――はしなかった。悪役という言葉を知っているものは固まり、知らない者は反応できないでいた。
だが、知らない者も彼女の顔を見ればその“悪役”というものが、十時愛梨が悪役だということがただ事でないということだけは理解したようだ。
「その、“悪役”って何……?」
「それは――」
「待ってください!」
隣の高森藍子に聞かれ、姫川友紀が答えようとするところに大石泉は待ったをかける。
これも出てきた以上は隠し立てはできない。疑念を残すよりも全てを話しておいたほうがいいだろう。
だが、そこで感情的になってしまってはよりよくない結果しか残さないことになってしまう。
「……待って、ください。私から話します。そもそも私が言い出したことですから」
睨みつける姫川友紀の顔が怖い。だが、彼女が了解したという風に座ると、大石泉はほっと胸を撫で下ろした。
「私は、たとえ人質を取られていたとしても、みんなが殺しあえと言われてそう簡単に言うことを聞くのか、疑問でした」
それはここにいる人なら同じように思っていたと思います。そう言って、大石泉は反応を伺う。言葉はないが様子を見れば同意は得られているようだった。
「しかし、そんな考えとは裏腹に最初の放送ではたくさんのアイドルの名前が呼ばれてしまいました。
実際に殺しあいを始めてしまったアイドルがいたということです。それは、間違いのないことです」
その時の大石泉らに知るよしはなかったが、殺しあいにのったというアイドルは何人もいた。
先にあげた北条加蓮や神谷奈緒、十時愛梨だけではなく、ニュージェネレーションを襲った
水本ゆかりや、向井拓海らを襲った何者かなど。
しかし、同時にあの時に出た死者が殺しあいではなく、すれ違い、事故の結果だという場合も判明している。
高垣楓の目の前で
佐久間まゆを殺害してしまったナターリアや、
安部菜々を結果的に死なせてしまった南条光などの場合だ。
「しかし、死者はやはり多かった。そして最初の放送でのちひろさんの口ぶりから、死者の数は主催側の想定よりも多く出ていると考えたんです。
逆に言えば、主催側は私たちが考えるとおりに殺しあいにのるアイドルは少ないと思ってたはずなんです」
そこから導き出された結論が“悪役”だった。アイドル同士の殺しあいというイベントを円滑に進めるための存在。アイドルを殺すための仕組まれたアイドル。
「あくまで、仮定の存在です」
念を押すように言う。
あくまで、悪役とはそういう者がいれば納得ができるというものにすぎない。そして、その納得が現実から目を逸らしたいがゆえの逃避でないことも証明できない。
人の心は弱く、低きに流れやすい。一瞬でも気を緩ませれば疑心暗鬼に陥り、しなくてもいい魔女狩りを始めてしまう可能性がある。
なので、大石泉はことさらにゆっくりと言葉をつむぐ。勢いがつかないように、感情が昂ぶりすぎないように。
「どうして、愛梨ちゃんなんですか?」
そう尋ねたのは小日向美穂だった。
どうしてという言葉、こちらを見つめる彼女の瞳の中の感情。そこにはなにか言葉以上に複雑なものがあるような、そんな印象を大石泉は抱いた。
「武器がいっしょだからだよ」
横から答えたのは姫川友紀だった。
武器がいっしょだったというのは、十時愛梨が多田李衣菜と木村夏樹を殺した時と、大石泉らが町役場で襲われた時とで同じだったという意味だ。
どちらも機関銃で襲われ、そして町役場では道明寺歌鈴がその犠牲になり、川島瑞樹と大石泉もそれぞれに怪我を負うことになった。
加えて、機関銃で銃弾を浴びせてから逃げ込んだ建物に爆弾を放り込むという手際が、あまりにもアイドル離れしていた。
ゆえに、町役場を襲撃したのは=主催者が用意した悪役となり、それと同じ武器を持っていたということで、悪役=十時愛梨という説が成り立つ。
すでに十時愛梨がふたり殺害していること。それ以上殺している可能性と、彼女が開始早々から殺しあいにのると宣言していたのもその説を補強することになる。
「ですが、決定的な証拠がない以上はそう決めつけるべきではないと思います。それに、悪役はあくまで仮定の存在です。本当はそんなのいないかもしれない」
説明をし、しかしそれでも決めつけるべきではないと大石泉は念を押す。だが、姫川友紀は彼女のそんな態度に食ってかかった。
「そもそも十時愛梨が怪しいって言い出したのは泉ちゃんじゃない! なんでここでそんなかばう真似をするの!?」
「それは……」
言われた通りに、そもそもは大石泉が十時愛梨が怪しいと言い出したのがきっかけだった。
あの
千川ちひろが全員に対してルールの説明をした場で、声をあげて反抗したのが十時愛梨で、そこでみせしめになったのが彼女のプロデューサーだった。
その点に対して、できすぎているのでは? と彼女が疑問を呈したのが今の悪役という存在を生み出した根本になっている。
「十時さんが悪役だと、学校に残っていたモニターの前に誰が座っていたのか説明がつきません。十時さんは私たちと同じ部屋にいたんですから」
「そんなのいくらでも説明がつくじゃない! 他の誰かが座っていたとか!」
「“他にも悪役の人っているんですか……?”」
小さく震える声が、小さくて震えているのにも関わらず全員の耳に突き刺さり、制止した。
「十時さんだけじゃ、ないんですか……?」
声の主は矢口美羽だった。否定されることをすがるような瞳で、彼女はその言葉を大石泉に、みんなに投げかけていた。
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「そこまでよ!」
大きくはないが厳しい声が会議室に響く。声の主は川島瑞樹だった。
彼女は座っていた車椅子から立ち上がり、大石泉の隣へと並ぶ。服を染め上げている血があまりにも痛々しい姿だった。
「だから言ったでしょう? むやみにこういう話をしちゃいけないって」
川島瑞樹は諭すように言う。
「正直なところ、“悪役”というのは私も存在すると思うわ」
すんなりと出た肯定に大石泉は驚いた。姫川友紀にしても彼女のそんな発言に目を見開いている。
「それが、私たちが想像するのと同じものかどうかはわからない。けれど、私たちの中に運営側の息がかかった特別な“ひとり”がいるのは多分、間違っていない」
でもね、と彼女は言葉を続ける。
「それでも、“その子”は私たちの仲間よ。今も殺しあいにのっている子。もう誰かを殺してしまった子も、私たちの仲間。……それは変わらないでしょ?」
優しい表情で川島瑞樹は問いかける。
誰もそれに対して明確な返事を返すことはできなかった。
ただひとり、高森藍子だけが「はい」と、明るく落ち着いた声で答えた。
その存在は光だった。
疑心暗鬼という霧を晴らす光。みんな昨日までは、いや今も同じ事務所の仲間であること、それを皆に思い出させる声だった。
「私たちは私たちの中に敵をつくっちゃいけない。……それだけよ。私が言いたいことはね」
後は泉ちゃんに任せる。そう言うと川島瑞樹はまた車椅子へと戻る。ふらつく彼女の身体を日野茜が支えて車椅子へと導いた。
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「十時愛梨さんがすでに人を殺しているのは変わらない事実です。なので、出会うことがあったら気をつけてください」
そう、大石泉は冷静に言い終えた。今度は姫川友紀も立ち上がって声を荒げることはなかった。
最後にスタンスが不明なままな5人の名前を読み上げる。
彼女らについては誰も接触したり見かけたという話も聞いていないので、スタンスもその行方も全くの不明のままだ。
特にFLOWERSの最後のひとりである
相葉夕美の行方が知れないことについては、高森藍子がひどく気にかけていた。
メンバーが3人まで揃い、生き残ったアイドルたちの消息も大半が判明している今だからこそ、最後のひとりが消息不明というのが気になるだろう。
大石泉にしても、この島にいるアイドルの中で唯一先輩後輩という間柄でつながっている三村かな子の行方が知れないのは不安だった。
「以上と、ここにいる10人を合わせ、そのスタンスは8割ほどが明らかになっていることになります」
その中で積極的に殺しあいをしていると断定できるのは3人。生き残ったアイドルの中から見れば1割という数でしかない。
無論、行方が知れないアイドルの中にも殺しあいを是とするアイドルがいる可能性はある。
だが、それを考慮しても殺しあいを否定するアイドルが多数なのは覆らない。
この事実と、自分たちのような具体性を持って主催者へと反抗するグループの存在。それを周知することができれば、殺しあいを止めることができる。
「私は、そう考えています」
言い切って、大石泉は顔をあげて皆を見る。皆の顔は一様に同じ、ということはなかった。明るい顔をした子もいれば、まだ暗い顔した子もいる。
不安を感じるのは彼女自身も同じだった。
目論見が成功する可能性についてはまだまだなにも言えない。未だ、手がかりを掴むための手がかりを探している段階だというのは否定できない。
それでも、選ぶ道があるのだとしたら、胸を張って仲間の下へと帰れる道があるのだとしたら、これしかない。そう思うだけだ。
ぱちぱちぱち、と小さな拍手が起こる。手を叩いていたのは涼しい笑顔を見せる高垣楓だった。
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「せめて、雨が止むまではここにいてもいいんじゃないですか?」
ミーティングを終えて少し後、大石泉と渋谷凛の姿は警察署の玄関にあった。外ではもう雨が降り出しており、ざぁざぁという音が聞こえてきている。
「卯月が雨の中で震えているかもしれないから。……それに、もうひとつ止まれない理由もできたしね」
渋谷凛はいっそすがすがしい顔でそう答える。
元々、彼女はここに留まることをよしとしなかった。後々のためにミーティングだけは聞いていってほしいと引き止めたのが大石泉だった。
「北条さんと神谷さんのことは……」
「なんとなく、わかる気がする。ふたりがもう人を殺してると聞いてショックだったけど、でもふたりが……ふたりいっしょだったならって」
もうひとつ増えた止まれない理由、それは彼女の親友である北条加蓮と神谷奈緒が殺しあいにのり、すでにもう人を殺しているということだった。
判明しているだけで犠牲者は2人。それ以上に誰かが犠牲になっている可能性も高い。
「ふたりいっしょだったなら……」
大石泉は渋谷凛の言葉を反芻する。そう、彼女たちは少し特別だ。最後の生き残りを賭ける殺しあいの中でふたり協力している。
そこに渋谷凛が納得するなにかがあるのだとすれば、それはやはり彼女たちの問題で、彼女にしか解決できないのだろう。
「これ、ありがとう」
渋谷凛は片手にぶら下げているスタンロッドを軽くふる。元々は大石泉に支給されていたものだが、彼女がまともな武器を持っていないというので譲ったのだ。
代わりに、大石泉は彼女からロケットランチャーを譲り受けている。渋谷凛はこれが武器だということを大石泉に指摘されるまで知らなかったという。
なににしろ大仰で危険する武器だ。とても護身用にとはいかない。なのでふたりはそれを交換することにしたのだった。
「いえ、お願いを聞いてもらえるわけですし」
加えて、その代償として――もし、武器の交換がなかったとしても同じくしただろうが、大石泉は渋谷凛にいくつかの依頼をしていた。
ひとつは、北の救急病院に向かうこと。そこにいるはずの向井拓海ら4人と、もしかすれば合流しているはずの面々に自分たちの存在を教えることだ。
「私たちはここを拠点にして動かないので、その旨もよろしくお願いします」
「うん、了解」
もし、警察署が禁止エリアの中に入れば消防署へ、そこも禁止エリアに入れば、図書館、学校へと移動する。そう、予定も打ち合わせてある。
「もうひとつのほうも、よろしくお願いします。こんなことを頼むのは悪いと思っているんですけど……」
「それが必要なことだっていうのは私もわかるから。さすがに絶対に叶えるとは約束できないけど、できるだけの協力はさせてもらうよ」
もうひとつの依頼。それは“首輪”のサンプルの回収だった。つまり、死者を見つければその首を刎ねて、首輪だけを持ち帰るという依頼である。
この島から脱出するには絶対に必要で、しかし今まで口にすることすらできなかったことを大石泉は渋谷凛に頼んだ。
彼女が気丈であること、そしてなにより彼女がひとりで行動するというのが大きな理由になる。ふたりだけの約束で、他の人にはなにも言ってはいない。
「渋谷さんに誰かの首を刎ねてくれとは言いません。もし、行く先に都合よく首輪を回収できる遺体があれば、その時でかまいません」
「そう、だね」
それじゃあ、もう行くよ。と言って渋谷凛はレインコートを羽織りフードを被った。
この警察署にあったもので女の子が着るには無骨なデザインだったが、不思議と彼女には似合っている。
玄関の脇に立てかけてあった
自転車にまたがり、彼女は雨が降る中へと漕ぎ出していこうとして、最後に一度だけ大石泉のほうを振り返った。
「ありがとう。みんなで帰れる方法を探してくれていて」
「渋谷さん……」
「白状すると、私は卯月や加蓮や奈緒に会った後のことは考えてなかったんだ。考えてなかった、というか……ただ、目の前だけを見ていて。
後悔だけはしたくなくて、卯月たちにもう一度会いたいって気持ちだけで、ひょっとしたらとんでもない無茶をしていたかもしれない」
でも、とフードの中で渋谷凛の唇が動く。
「帰れるんだよね私たち“みんな”で」
「ええ、そうですよ」
じゃあ、卯月たちを連れて戻ってくるよ。笑いながらそう言い残して渋谷凛はこんどこそ雨の中へと自転車を漕ぎ出して行った。
雨は激しく、夜の闇は深く、彼女の姿はすぐに見えなくなってしまう。
「“みんな”で帰る……」
呟き。大石泉は渋谷凛と彼女の親友らがここに戻ってくることを深い雨の中へと祈った。
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会議室へと戻った大石泉は机につくと、高森藍子から預かった本を開きカーテン越しに届く雨音を聞きながらそれを読み始める。
隣にはその高森藍子が座って様子を伺い、少し離れた席では姫川友紀がバットを握りながら手持ち無沙汰にしている。
彼女ら以外はもうこの部屋の中にはいない。それぞれ3人ずつに別れ、片方は医務室、もう片方は仮眠室へと移動していた。
「なにかわかりますか?」
次々とページをめくっていく大石泉に高森藍子が尋ねる。
「いえ、まだなにも」
しかし、大石泉は簡潔にそう答えるだけだ。
意識して無愛想にしているわけではないが、そっけない返事に高森藍子は声をかけたのは迷惑だったかなとうなだれる。
そんな彼女の様子に気づくことなく大石泉はまたページをめくり、そしてまた声をかけられるとそっけない返事をして――とそんなことが繰り返された。
しばらくの時間が経ち、5冊あった本の最後の一冊がぱたんと閉じられる。
大石泉の顔になにか発見をしたという喜びの気配は見られない。
結局は無駄だった。木村夏樹が遺したものだというのに、報いるような結果が出せなかったことに高森藍子は悲しみを覚える。しかし。
「木村さんはこの本を図書館で見つけたんですよね?」
大石泉がそう高森藍子に質問した。
「は、はい」
「それはこの地図に載っている“図書館”でいいんですよね?」
「そ、そうだと、思います」
ふむ、と大石泉は納得する。だが高森藍子にはその納得の意味がわからない。
「……図書館がどうしたんですか?」
「この本には“続き”があるんです。正確にはシリーズとして別の本があるということなんですけど」
言いながら大石泉は最後に読んでいた本の一番後ろのページを開く。
そこは、その出版社が出している他の本の紹介になっており、この本と同シリーズである別の本の名もずらりと並べられていた。
本の題名を大石泉の指がなぞり、ある場所でぴたりと止まる。
「『犯罪史の中の爆弾』?」
「ええ、別の広告ページにもう少し大きく載っているんですが……ここです」
「あっ!」
開かれたページを見て高森藍子は声をあげる。
その広告ページにはもう少しだけその本のことが大きく載っていた。題名と簡単な紹介、そして1枚の写真。その写真に写っているのは――。
「首輪型の爆弾です。過去に首輪爆弾をつけて犯罪を強要したという事件があったようなんです」
「じゃあ、この本を見つければ?」
「私たちがつけられているものとまったく同じというわけではないのでなんとも言えませんが、でも首輪の構造を知るヒントにはなりそうです」
「……そう、ですか」
「高森さん?」
高森藍子の顔を見て、大石泉はきょとんとした表情を浮かべた。彼女の目に涙が浮かんでいたからだ。
「あ、いえいえ。なんでもないです。じゃあ、図書館に行ってその本を探せばいいんですね」
「はい。シリーズですから同じ場所にあると思います」
涙を浮かべ、そして笑う高森藍子につられて大石泉も微笑む。
微かな可能性ではあるが、ようやく一番の問題である首輪について第一歩が踏み出せたのだ。
「では――」
大石泉は新しく予定を組みなおす。現状、この警察署にいる9人は夜が明けるまで交替で休憩をとることになっている。
日が昇れば、何人かを選抜して港に船を確認に行き、その後はもう一度学校を調査する予定だった。
その途中で、あるいはその後に――というのは遅いと大石泉は考える。
「雨が止んだら日が昇る前に何人かで図書館へ向かうことにしましょう。距離は離れていないからすぐに戻ってこれると思いますし」
「はい。じゃあ、ひと段落ついたことですし、お茶を淹れてきますね」
決定を聞き、席を立つと高森藍子は上機嫌で部屋を出て行く。
そんな彼女を見送り、十分な時間が経ったところで大石泉は未だ離れた席に座ったままの姫川友紀に声をかけた。
「図書館についてきてもらってもいいですか? 友紀さん」
「いいよ」
返事はそっけない。あれから、あの十時愛梨を悪役だと言ったあの後から彼女の様子がおかしい。
大石泉は最初、自分に対して怒っているのだと思った。場を収めるためとはいえ、同調できるはずの彼女の主張を否定したのは自分だからだ。
けれど、そうではないらしい。姫川友紀はあれから誰に対してもそっけなく、なにか自分を棘で覆っているような態度をとっている。
思えば、彼女も少しずつ考え込むことが増えていたように思う。“悪役”を突き止めることにもどこか執着していたような。
もしかすれば彼女自身に悪役に対してなにか思うところがあるのか。そう、大石泉は思った。
「その時はよろしくお願いしますね」
「…………うん」
けれど、それを問いただす勇気は今はなくて、少しだけ離れた彼女がこちらを向いてくれない。それが少し寂しかった。
@
「川島さん、肌綺麗ですねー」
「ふふ、お世辞でも嬉しいわ」
医務室では日野茜が川島瑞樹の肌を拭き血をぬぐっていた。そしてその様子を高垣楓が少し離れたところで見守っている。
「割と、動じないのね」
「んー、ラグビー部のマネージャーをしていれば怪我とか血を見るのって珍しくないですし」
手当ても覚えました。そう言いながら日野茜は川島瑞樹の服を脱がせていく。
「ちょっと、恥ずかしいわね」
「女同士なんだからかまわないじゃないですか」
下着姿で照れる川島瑞樹に、日野茜はそう言ってさらに手当てを進める。女同士でないとしても、クラブ活動で下着姿くらいは見慣れたものだ。
お腹に巻かれていたガムテープを慎重にはがすと、温めたタオルで傷口のまわりを丁寧に拭き、別の折りたたんだタオルをそこに当てる。
「息を吐いておなかひっこめてください」
川島瑞樹が言うとおりにすると、日野茜はその上から包帯をきつく巻いた。ぐるぐると何度も巻き、ギブスのように固定する。
「……これで、血はもう止まると思います。どうですか?」
「ありがと。なんだか、かなり楽になったわ」
言いながら川島瑞樹はタオルと包帯で固められたお腹をさする。言うとおりに、痛みや気持ち悪さは大分軽減していた。
傷を負った直後はもう半日も、お酒を飲んだ後はもう数時間ももたないのでないかと思ったが、どうやら日の出は問題なく見れそうに感じる。
「これなら船の運転もできそうね」
「よかったぁ……」
「心配かけたわね。この島を出る時にはこのお姉さんに任せなさい」
「そ、そうじゃなくて……」
顔を上げて川島瑞樹は驚いた。日野茜が泣いていたからだ。しかも、大粒の涙を両目からこぼして、ぽたぽたと頬から落とすほどに。
「いやだ、ちょっと……大げさよ。私が死んじゃうと思ってたの? 川島おねーさんよ?」
「今度はちゃんと助けられたって……思ったら、…………リーナも、夏樹さんも、……っ。間に合わなかった、から」
ああ、と川島瑞樹は納得する。
彼女は多田李衣菜と木村夏樹の最期も看取っているのだ。その時も、こんな風に彼女らの命を救おうと自分なりに全力の手当てをしたに違いない。
けれど、助けられなかった。そのことがきっと心の傷になっていたのだろう。彼女のことだから不甲斐ない自分をずっと責めていたのだろう。
「本当にありがとう。あなたがいなければ私は死んでいたと思うわ。助かったのはあなたのおかげよ」
「はい……! ありがとうございます!」
「お礼を言ってるのは私なのに、もう……おかしな子ね」
涙をぬぐい、頭を撫でる。素直でかわいい子だと川島瑞樹は思った。
「あ、えっと、じゃあ安静にしないといけませんよ。着替えも持ってきてるんで、まずはこれに――」
「ああ、なにかなにまでありがとう。着替えも探し……って」
笑顔で日野茜が取り出したのはこの警察署の婦警の制服だった。
別に、ミニスカポリスというわけではない。そんな扇情的なデザインではなくごく一般的なデザインの制服だ。だがしかし、川島瑞樹がこれを着るとどうか。
「な、なんだかコスプレっぽいわね……、あはは……。他にはなにかなかったのかしら?」
「道場に柔道着がありましたけど、そっちのほうがよかったですか? あんまり着心地がよさそうじゃなかったですけど」
「それはちょっと……、わかったわ。その制服を着ましょう。……いいわよ、私がなに着たって似合うところを見せてあげるから」
「はい! じゃあ、川島さんが着替えてる間にお茶を淹れてきますね」
バネのように立ち上がると日野茜は駆け足で部屋を飛び出していく。そんな姿を見送り、川島瑞樹は手渡された制服を見て、小さくため息を吐いた。
「なにか言いたいことがあったら言ってもいいのよ?」
「婦警さんがいる風景♪」
高垣楓の駄洒落に、あぁ……と川島瑞樹は天を仰ぐ。日野茜に悪気はない。けれども、これは絶対に色いろとネタにされてしまうだろうと。
「でも、瑞樹ちゃんが助かるようで本当によかった」
「彼女を泣かせないためにも、もう軽々しく死んでしまうなんて言えなくなったわ」
「長生きすればお酒も飲める」
「……ここではもう絶対に飲まないけどね」
泉ちゃんが怖いから。見合い、ハモって、ふたりは笑いあった。
@
しゅんしゅんと、小日向美穂の前でコンロの上の薬缶が口から湯気を噴いている。
「……………………」
小日向美穂は仮眠室に矢口美羽と栗原ネネを残し、給湯室にお茶を淹れにきていた。
雨が降り始め、寒くなってきたので横になる前に温かいものを――なんて、そんな理由をつけて。
「……………………」
それは半ば本当で、半ば嘘でもある。
嘘の中には色いろな理由があった。ただひとりになりたかっただとか、高森藍子と同じFLOWERSの矢口美羽といっしょにいるのが嫌だったとか。
それ以外にも色いろと、自覚していることとしていないことを合わせて無数の理由があった。
「……………………」
頭の中が処理しきれない情報で混濁し、心が麻痺して、感情が行方知れずになってしまう。
この島からの脱出に向けて具体性を持って行動していたアイドルたち。自分のちっぽけさが露にされて。
それを目の当たりにして、当然のように同調する希望のアイドル。自分を否定されたようで。
明らかにされた悪役という存在。そこには自分にはない許しがあると思えた。
最初からアイドルを殺してもいいと許されているなら、自分はこんなにも悩まなかったんだろうか――なんて、そんな想像と、羨望。
『それは今からでも遅くはない?』
小日向美穂はそんな考えを簡単に肯定することはできなかった。
ショーウィンドウのむこうにある輝くものに手を伸ばせない。小心で、臆病。だから、恋も手に入らなかった? 死ぬことすらもできなかった?
わからない。ただ、なにもかもが半端で、“今していること”も半端なことなのだと、それだけが確信できるだけだった。
@
「美穂ちゃんもお茶を淹れにきたんですか?」
「ひぇ!?」
突然に声をかけられ小日向美穂は悲鳴をあげた。振り返れば、そこにいたのは高森藍子だった。よりにもよって。
「あの、驚かせちゃったのはごめんなさい。私もお茶を淹れにきたから」
「いえ、別に……大丈夫で――」
「――あ、ふたりともお茶ですか? タイミングがいいなぁ」
そこに、ちょうど日野茜もやってくる。彼女が来るとなぜか給湯室の中が狭くなったような気がした。
「じゃあ、いっしょに淹れちゃいましょうか。茜さんのところも湯のみは3つでいいんですよね?」
「はい! じゃあ私はお盆を用意しますね」
「あ…………」
小日向美穂が呆然としている前で、高森藍子が手際よくお茶を淹れていく。
最初に用意されていた3つの湯のみの隣にさらに6つの湯のみが置かれ、そこにひとつずつ熱いお茶が注がれていく。
そしてそれをお盆を用意した日野茜が3つずつに分ける。小日向美穂が手を出すまでもなく、関与する間もなく、それは滞りなく行われてしまった。
「ゆっくり休んでくださいね」
「元気があればなんでもできる。元気のためにはまず睡眠です」
そう言い残して、高森藍子と日野茜は唖然としたままの小日向美穂を置いてそれぞれ戻っていってしまった。
小日向美穂の前にはお盆とその上にのった湯気をあげる3つの湯のみだけが残されている。
「………………戻らなきゃ」
お茶が少しだけぬるくなる。そんなくらいの時間だけぼうっとしていた小日向美穂は、ぽつりと呟き、お盆を手に仮眠室へと戻った。
誰もいなくなった給湯室。その端に置かれたゴミ箱の中に、“空になった毒薬の瓶”だけを残して――。
【G-5・警察署/一日目 夜中】
【大石泉】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式x1、音楽CD『S(mile)ING!』、爆弾関連?の本x5冊、RPG-7、RPG-7の予備弾頭x1】
【状態:疲労、右足の膝より下に擦過傷(応急手当済み)】
【思考・行動】
基本方針:プロデューサーを助け親友らの下へ帰る。
1:夜の間は3人ずる3交替で休息をとる。
2:タイミングを見計らって図書館に行き、首輪爆弾に関する本を取ってくる。
3:夜が明けたら港に船を探しに行く。そして、学校も再調査する。
4:緊急病院にいる面々が合流してくるのを待つ。また、凛に話を聞いたものが来れば受け入れる。
5:悪役、すでに殺しあいにのっているアイドルには注意する。
6:行方の知れないかな子のことが気になる。
※村松さくら、土屋亜子(共に未参加)とグループ(ニューウェーブ)を組んでいます。
【姫川友紀】
【装備:少年軟式用木製バット】
【所持品:基本支給品一式×1、電動ドライバーとドライバービットセット(プラス、マイナス、ドリル)】
【状態:疲労】
【思考・行動】
基本方針:FLOWERSの為に、覚悟を決め、なんだって、する。
0:………………。
1:FLOWERSを、みんなを守る。
※FLOWERSというグループを、高森藍子、相葉夕美、矢口美羽と共に組んでいます。四人とも同じPプロデュースです。
※
スーパードライ・ハイのちひろの発言以降に、ちひろが彼女に何か言ってます。
【川島瑞樹】
【装備:H&K P11水中ピストル(5/5)、婦警の制服】
【所持品:基本支給品一式×1、電動車椅子】
【状態:疲労、わき腹を弾丸が貫通・大量出血(手当済み)】
【思考・行動】
基本方針:プロデューサーを助けて島を脱出する。
0:じゃーん☆ セクシーポリス・川島瑞樹よ♪
1:今は身体を休める。
2:日が開けたら港に船の確認をしにいく。(その時、車を出す?)
3:もう死ぬことは考えない。
4:この島では禁酒。
5:千川ちひろに会ったら、彼女の真意を確かめる。
※千川ちひろとは呑み仲間兼親友です。
【高垣楓】
【装備:仕込みステッキ、ワルサーP38(6/8)】
【所持品:基本支給品一式×2、サーモスコープ、黒煙手榴弾x2、バナナ4房】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:アイドルとして、生きる。生き抜く。
0:なんだかんだでノリノリですね。
1:アイドルとして生きる。歌鈴ちゃんや美羽ちゃん、そして誰のためにも。
2:まゆの思いを伝えるために生き残る。
3:……プロデューサーさんの為にちょっと探し物を、ね。
4:お酒は帰ってから……?
【矢口美羽】
【装備:歌鈴の巫女装束、鉄パイプ】
【所持品:基本支給品一式、ペットボトル入りしびれ薬、タウルス レイジングブル(1/6)】
【状態:深い悲しみ】
【思考・行動】
基本方針:?????
0:?????
1:悪役って……。
【高森藍子】
【装備:ブリッツェン?】
【所持品:基本支給品一式×2、CDプレイヤー(大量の電池付き)、未確認支給品x0-1】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:殺し合いを止めて、皆が『アイドル』でいられるようにする。
0:大石泉と姫川友紀にお茶を届ける。
1:絶対に、諦めない。
2:美穂を救う。
3:自分自身の為にも、愛梨ちゃんを止める。もし、悪役だとしても。
※FLOWERSというグループを、姫川友紀、相葉夕美、矢口美羽と共に組んでいて、リーダーです。四人とも同じPプロデュースです。
また、ブリッツェンとある程度の信頼関係を持っているようです。
【栗原ネネ】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式×1、携帯電話、未確認支給品x0-1】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:自分がすべきこと、出来ることの模索。
0:?????
1:星輝子への電話がつながらないのが心配。
2:高森藍子と日野茜の進む道を通して、自分自身の道を探っていく。
【日野茜】
【装備:竹箒】
【所持品:基本支給品一式x2、バタフライナイフ、44オートマグ(7/7)、44マグナム弾x14発、キャンディー袋】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:藍子を助けながら、自分らしく行動する!
0:川島瑞樹と高垣楓にお茶を届ける。
1:川島さんの様子を見る。
2:できることがあればなんでもする!
3:迷ってる子は、強引にでも引っ張り込む!
4:熱血=ロック!
【小日向美穂】
【装備:防護メット、防刃ベスト】
【所持品:基本支給品一式×1、草刈鎌】
【状態:健康、憔悴】
【思考・行動】
基本方針:?????
0:?????
0:矢口美羽と栗原ネネにお茶を届ける。
1:藍子に対して、解りえないと確信、藍子の信じるものを、汚してみたい。
2:悪役って……?
※給湯室のゴミ箱に空の毒薬の瓶が捨てられています。
※お茶を注がれた湯のみのどれかひとつ、あるいは全部に毒薬が入っている(かもしれません)。
小日向美穂はどの湯のみに毒薬が入っているか把握しているかもしれないし、把握していないかもしれません。
@
【G-5・市街/一日目 夜中】
【渋谷凛】
【装備:マグナム-Xバトン、レインコート、折り畳み自転車】
【所持品:基本支給品一式】
【状態:軽度の打ち身】
【思考・行動】
基本方針:私達は、まだ終わりじゃない。
1:卯月、加蓮、奈緒を探しながら北上。救急病院を目指し、そこにいる者らに泉らのことを伝える。
2:遊園地や飛行場にも立ち寄る?
3:首輪を回収できることがあれば回収し、大石泉に届ける。
4:自分達のこれまでを無駄にする生き方はしない。そして、皆のこれまでも。
5:みんなで帰る。
最終更新:2013年12月26日 21:57