粉雪 ◆yX/9K6uV4E



――――粉雪 ねえ 心まで白く染められたなら 二人の孤独を分け合う事が出来たのかい






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇










「――――さん! 事務所、戸締りしちゃいますよ」
「……もうそんな時間なのか」
「何度もそういいましたよ」
「それは気付かなかったな……居残りは駄目か?」
「今日が何の日か知ってます? 早く帰らせてくださいよ」
「……解ったよ」

もうと呆れたように言って、事務員である千川ちひろが苦笑いを浮かべていた。
浮かべさせた張本人である、若い男はバツの悪そうに頭をかいて帰宅する準備をする。
男は別に残業をするような仕事も無く、デスクにはとっくの昔に冷めたコーヒーだけ置かれていた。
定時の時間に帰れる立場にいるのだが、男にとって帰る事すら億劫になっていた。
だから事務所に寝泊りする同僚が居るなら、意味も無く付き合っている。
けれど、今日は不幸にも残業する同僚も、遅くに帰ってくるアイドルも居ない。
そうなってしまったら、渋々帰るしかない。仕事も無い人間を警備員にする余裕はここにはないのだ。
やれやれと大きなため息をついて、灰色のコートを男は羽織った。
そして、大人の男にはやや不似合いの鮮やかなチェックのマフラーを首に巻いて、準備を終える。

「……それじゃあ、お疲れ様」
「はい、お疲れ様でした」

男はそう言って、気だるそうに事務所のドアを開けて、出て行った。
バタンと扉が閉じる音を聞いて、千川ちひろは大きくため息をつく。
隣で、同じくレッスンを終え、帰る準備をしていた藤原肇も不思議そうに見つめていた。

「……あの人、いつも遅くまで残っていますね」
「……単純に、家に帰りたくないんですよ」
「……?……なんでです?」
「辛い事を沢山思い出すからじゃないかな」
「……それは、私は聞いても大丈夫なんですか?」

藤原肇は困った風に笑って、尋ねていた。
人のプライバシーでもあるから、確認取る所が彼女らしい。
あのだらしないプロデューサーの担当とは思えないぐらいに。

「ええ……彼、此処に来る前、ある有名なアイドルを担当してた人なんですよ」
「へぇ……」
「けれど、アイドルを護れなかった。色々なものから」
「えっ……」
「死なせてしまったんですよ……それ故に、無気力になって、ある意味、絶望してる中、うちの社長が拾ったんです」
「……そうだったんですか」

男はプロデューサーとして、この会社に雇われている。
しかしながら、未だに担当アイドルはゼロで、事務の仕事を手伝っている有様だ。
社長は傷が癒えるまでそれでいいと納得しているから、成り立っているようなものだった。
彼の実力を買っている一人で、だからこそ死なせてしまった故に前の事務所に居られなかった彼を救ったのだから。
男は感謝はしているものの、未だに傷が癒えていない。

「なんだか…………せつないですね」
「ええ……」

二人して寂しく頷いて、彼がいってしまった扉を見つめていた。
彼の心はきっとその時から、何も動いていないのだろう。
まるで、何時までも解けない氷のように。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







「寒いな……」

男は独り、吹きすさむ風の中、寒さに身を震わせながら歩いている。
凍えるような風は止む事が無く、真冬だという事を告げていた。
男は大切なアイドルを死なせたあの時から、冬が何となく苦手になっていた。
あの時も、厳冬だった。何もかも氷らせるような冬だったことを思い出す。

「………………」

男はそっと首に巻かれた不釣合いのマフラーを触った。柔らかい温もりが其処にあった。
けれど、これを編んでくれた人は居ない、男が護れなかったのだから。
今でも信じられない、何故彼女が死を選んでしまったのかが理解できない。
順風満帆とは言い切れなかったが、それでも確実に進んでこれた筈だったのだ。
一体、何がそこまで彼女を追い詰めてしまったのか、男には解らなかった。
枯れた葉っぱが樹から風に吹かれて落ちるように、突然、命を絶って。
その時から、男の心は凍ってしまった。何にも、動く事が無くなった。
彼女に何も相談されなかったのが、哀しかった。
彼女を何も理解できなかったのが、苦しかった。
彼女の死を聞いて立ち尽くすだけの自分が許せなかった。

「……ああ、くそ……寒い」

今日は本当に寒い。寒空の中、雲間から、余りにも星が綺麗に輝いてるのが、憎たらしかった。
自分の家に帰るのが苦痛だ。あそこには彼女との思い出の品が一杯あるから。
別に恋人だったとかそういう訳でもない。けれど、二人三脚で歩いていった軌跡が全部ある。
一緒にとった写真、彼女が出た番組の録画、彼女から貰った誕生日のプレゼント。
それらを見るのがたまらなく嫌だった。結局あの頃から何も進めちゃいない。
自然と帰るのも億劫になるのは、当然といえば、当然だった。
男は堪らなく今、孤独だった。支えたかった人は、もういないのだから。

「……けど、寒いのもまた嫌だな」

けれど、寒いのも男には耐えられなかった。いい加減早く家に着きたいと心の底から思う。
コートのポケットに手を突っ込みながら、足早に帰り道を歩く。
やはり出来る事なら事務所から出たくは無かった、こんなに寒いのなら。
手を温めてくれる人も居ない、孤独なのだから。
男はそう思いながらも、現状事務所のごくつぶしになっているのを考えると、それも申し訳ないと思った。
担当アイドルを無理につけてくれないのは、男にとって正直助かっている。
未だにあの時の事を考えると、どうしてもプロデュースする気にはなれなかったのだから。
同僚のデザイナー上がりからは、ずるいといわれているが。
それでも、まだ彼の時は動いては居なかった。
だから、本来の仕事は出来ていないまま、今に到っている。
いい加減動かないといけないのだが、それでも、なお。


「………………ん?………………粉雪か」

ふと、彼の鼻先にちょこんと冷たい結晶が当たった。
雨かなと顔を上げると、ちらちらと舞い降りてくる白いものが。
ああ、本当に冬なんだなと男は思う。
粉雪が舞い降りてきて、そしてアスファルトの地面について、すぐに解ける。
そんなに寒い季節がやってきているのだ。
それは、あの時の事を思い出して、本当に嫌だった。

早く帰ろうと、男は跨線橋の階段をかんかんと上がっていく。
この線路を越えれば、もうすぐ家につける。
帰るのは辛いが、寒いのもまた耐えられない。
粉雪は未だに、空から舞い降りているし、男は急いで階段を駆け上った。
そして、男が見たのは

「………………あぁ」

粉雪を、切なそうに眺めながら、それでも祝福するように、雪に当たり続ける女性が居た。
白い手に、粉雪が舞いおりて、それを愛おしそうに眺めていて。
なんて綺麗な人なんだと男は思う。まるであの子のように、儚い。
一瞬で、見とれてしまった。
彼女は、微笑みながら、その目には、雫が輝いていて。

「……って、おい!」

こんなに、寒いのに、素足だった。
粉雪すら舞い降りているコンクリートの地面に、素足で立っている。
彼女の脇には、ブーツと靴下が置いてあって、更にその隣には小さな白い封筒が男には見えた。
それはつまりあの子がやってしまった事をまたこの女性がやろうとしている事だと、理解できた。

「ちょっと待て!」
「……えっ、いや、離して……ください……!」

女性が手摺を越えて、今にも、線路に飛び降りようとしたから、男は必死に彼女の手を掴んだ。
その手は、氷のように冷たくもあり、それでも、人の温もりを感じさせるものだった。
男はあの時、掴めなかった手を握ってるような感覚に襲われる。
最後にあの子の手を握った時は、人の温もりが感じられない手だった。

「死のうとしている人間の手を、離してたまるか」
「…………え……あ……う……でも……貴方は……関係ない」

彼女は揺れる瞳を男に向けて、未だに抵抗している。
男にとって確かに彼女は関係ない。今、あっただけだ。
それでも、目の前で死のうとしてる女を見るのはたまらなく嫌だった。
何より、あの時のことを想起させてならないから、二度と離すわけにはいかなかった。
この人を死なせない為にも、男は言葉をかさねる。

「死なれたら、目覚めが悪いだろ」
「いいんです……このまま……孤独になったまま……終わらせて」

そして、この女性も、孤独だった。
この粉雪が舞う中、彼女は孤独を噛み締めながら、死を選ぼうとしている。
あぁ、あの子もそうだったのかと男は思う。
孤独の中、誰にも彼女の心を解らないまま死を選んだのだろうか。
だったら、そんなもの。

「いいや、貴方にやって欲しい事があるんだ」
「……え……?」
「……アイドル、やってみないか。貴方の美しさに一目惚れしたんだ」

胸に抱えている孤独なんて、分け合えばいい。
独りで居るのが辛いなら、苦しいなら分け合う事で救えるなら、きっと。
男は、そう思った。あの時、見とれたのは嘘じゃない。
そして、その美しさを魅せる事が出来る職業についているのは、偶然でもなんでもないのだろう。
粉雪を見る空を二人とも見ていて、そして、この人を見つけられたのも、きっと。

「何を……そんな……」
「だから、死んでもらっては困る。貴方が……『必要』なんだ」
「……う……」
「どうかな……?」
「解ったから……お願いします……手を離して……痛い」
「……っと、悪いな」

そうして、男は初めてその女性と向き合う。
儚くて、脆くて、それでも、なお美しさを失わない女性が、其処に居た。
改めて男は思う。この人をプロデュースしたいと。

「俺は――――だ。すぐそこの――ってところで、プロデューサーやってるんだ」
「……はぁ」
「で、貴方にアイドルになってもらいたい。どうかな?」
「え……その……」
「そして、人前でその美しさを見せてほしい……名前は」

彼女は困ったように、苦笑いを浮かべる。けれど、其処には温もりがあった。
その笑顔は、あの子を思い出させて男は苦しいと思ったけれど、でも向き合いたかった。
ちょっと怒ってるように見えて、男も苦笑いを浮かべる。

「……三船美優と申します……いえ、怒っているわけではありません……その、人付き合いって苦手で……何を話していいのか……こんな私が……人前に立てるんでしょうか……?」

三船美優と名乗った女性は、不安そうに見つめてきた。
まるで子犬のような眼差しで、男は力強く頷く。
粉雪が舞う中、自然と寒さは感じなくなっていた。
それは、傍から見たら、孤独を慰めあう二人に見えるかもしれないのだろう。
だけど、今こうして、二人でいる。それだけでよかった。
だから、男はかじかんだ三船美優の手を握って。

「ああ、勿論……どんな時だって、俺が君を護ってみせるさ」





――それは、きっと、男にとっても、三船美優にとっても、聖夜の贈り物に、なったのだから。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







冬から、春に、そして、夏に。色々な季節があっという間に、巡って。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







あの聖夜から、どれだけの時を経ったが男は知らない。
けれど、その間に沢山の思い出が出来た。
それは全て、三船美優との思い出だったのは言うまでも無い。
彼女をアイドルにする為に、男は身を粉にして働いた。
動き出した心と時は、あっという間に何もかもを変えていくようだった。

それは、三船美優にとっても、同様で。
余りにも変った彼女の環境は、彼女を何もかも変えた。
少しずつ笑顔が増えていった。凍っていた心が解けていった。
怒ってそうな顔はまるで優しいものに変わっていた。
アイドルとして、輝くものになっていた。

二人は、そうやって歩んで、時にぶつかりあって。
笑って、泣いて、喜んで、哀しんで。
孤独を分け合って生きて。


そして、今、彼女にとって大きなステージを迎えようとしている。
舞台裏で、男と三船美優は、ステージの前にいるファンの声を聞いて、時間になるのを待っていた。
三船美優は緊張しているのか、少しだけ笑顔がぎこちなかった。
それでも、冬の頃から比べると大分、笑顔が素敵な女性になっている。
やがて、三船美優は口を開く。決意の篭った眼差しを男に向ける。

「ふふっ……人生とはおかしなものですね。私がこうしてこんな場所に立っているだなんて……でも今の私なら出来るって……信じています……
 ――さんも信じて、見守っていて下さいね……」
「ああ、ずっと見守ってるさ……護ってやる」
「ありがとうございます……」

三船美優は、はにかみながら、笑う。こんなに自信を持てるなんて彼女自身も思わなかった。
男は出来ると思っていた、それは彼女と過ごした時が証明していると思ったから。
だから、男は、今、この最高の時に、伝える事にする。

孤独を分け合い、止まっていた時と氷を溶かしてくれた、彼女に。


「美優」
「……何でしょう」
「好きだ、ずっとあの時から……これからもずっと護るから……俺の傍に居てくれ」
「それって……」
「あぁ、勿論……って……泣くなよ……どうすればいいんだ」

男は、急に泣き出した三船美優に驚き、戸惑ってしまう。
独りよがりではなかった筈だ、でも泣いている。どうしよう。
化粧も落ちるし、これからライブなのに、どうしよう。
そんな考えが男の脳裏に浮かび続けて居る時。

「嬉しくても涙は出るんです、――さん。だから心配しないで……このステージに立てて良かった。とても幸せ……ありがとう……」
「美優……」
「大好きですよ……――さんは私に光をくれた、大切な人ですからね……」

そう言って、三船美優は男の唇にそっと自分の唇をつけた。
答えなんて、もう、とっくの昔に出ていた。
あの粉雪舞う季節に、出会ったあの時からきっと、もう。
三船美優の心は決まっていたのだろう。
凍える手を引っ張ってくれた人に、変えてくれた人の傍に居ると。
未来永劫、永遠に、居ようと思っていたから。

孤独を分け合えた二人で。


「いってきます――さん……アイドルとして変わった私を、全て……見せてきます……!」
「ああ、いってこい」


握った男の手が三船美優にとってとっても温かった、祝福をくれるような温かさだった。
だから、今、最高の笑顔を、この光り輝くステージで浮かべる。





「心から笑える…………今、幸せです」






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






――そして、また聖夜が巡ってくる





     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







「もう朝ですよー?……――さん起きてください」
「んぁ……そんな時間か」
「はい、お仕事の時間ですよ……」
「……じゃあ、行くか」
「はい、朝ごはんも作っておきましたよ……」

聖夜の朝に、二人で起きて、そして二人の仕事に行く準備をし始める。
別に一緒に暮らしている訳ではないけれど、三船美優が同じ部屋に居る時間が、出来たというだけ。
あの子の思い出の品にくわえて、三船美優のものが増えただけだ。
それだけで、居るのが辛かったあの家が男にとって、居るのが幸せになったというだけだ。

「ふぁ……」
「眠たそうですね……」
「まぁ……昨日はな……」
「もう……!」

こんなやり取りすら、幸せだった、満ち溢れた希望だった。
それは男にとっても、三船美優にとっても。
当たり前のように二人で、朝ごはんを食べて。
今日の仕事は大変だぞとか、今日はレストランの予約をとってあるんだとか。
当たり前の幸せがいつものように、傍にあった。
止まっていた時は、もうずっと動いている。
凍っていた心は、冬を過ぎても、なお温かく解けていた。


「あっ……粉雪が待ってますよ」
「本当だな……そういや……」
「……去年もそうでしたね」

二人して、家を出て、歩き出すと同時に、真冬の空から、粉雪が舞い散る。
はらり、ひらりと、無数の粉雪が舞い降りていく。
去年のあの時もそんな寒い冬で、粉雪が待っていた。
去年と違うのは、手のひらに伝わる温かさだった。

「覚えてますか……――さんと初めて出会ったのもクリスマスでした……あの日から……私の運命の歯車は動き出したんです……」
「あぁ、俺もだよ」
「……私を変えてくれたのは――さん、貴方……。これは聖なる夜の贈り物だったのかしら……?
 なんてちょっと少女趣味過ぎたかしら……でも女の子はいつだって夢を見るものなんです……」

そう言って、三船美優は幸せそうに微笑んだ。まるで今のひと時が全てだというように。
けれど、男にとってもそれは同じだった、だから笑っている。
粉雪が舞う並木道を二人で歩くことがこんなにも幸せなんて思わなかった。
寒いのは二人で分け合って、温かさも分け合った。
孤独も二人で分け合って、心は満たされた。


「アイドルになって……違うことを一から始めることで……私は救われたんだと思います……」
「それは、お互い様だろ……」
「そうですね……ふふっ」
「俺も……ずっと、君を護り続けたいから……だから」
「……はい」


孤独はもう、無かった。絶望なんてなくなった。



「ずっと、幸せに、何時までも輝こうな」
「はい……!……アイドルとしても、私も、いつまでも!」



心がこんなにも幸せで――



――二人の孤独は、粉雪の舞う空にかえすから。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「また、あの二人、一緒にあるいてる……スキャンダルされたら、どうするんだろ」

千川ちひろは呆れるように笑って。
そうして、粉雪を見ながら、呟く。


「あれだけ『絶望」していた二人が、あんなにも『希望』に溢れた顔をしている……もしかしたらその逆もあるのかしれない……つまり、そう変える何かが」





粉雪が、永遠の前に、脆いように。






「――――『アイドル』と『恋』にあるってことなんですよね?」








彼女は、そう、笑っていた。


前:雨に唄えば 投下順に読む 次:11PM
前:飾らない素顔 時系列順に読む 次:ほしにねがいを
前:だって、私はお姉ちゃんだから 三船美優

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2013年12月31日 23:57