空から降る一億の星 ◆RVPB6Jwg7w
見上げてごらん
夜の星を
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いよいよ準備も大詰めといったところ。
彼女を乗せた小型飛行機は、早朝の日差しの中、とある小空港にゆっくりと着陸した。
地方都市のさらに郊外に作られた、税金の無駄遣いとも罵られることの多いその空港。
緑豊かな景色だけは、一級品である。
心急かすような用事がなければ、のんびり眺めて深呼吸のひとつでもしたくなるような風景だ。
偽装の都合がなければ、事務所まで帰るのにこんな寄り道をする必要はない。
けれど今はまだ、ほとんどの者に対して真実を伏せておかねばならない段階。
チャーター機からタラップを降りた彼女は、待ち構えていた黒塗りの車にそのまま飛び乗る。
「……交通機関に遅れなどないですよね?」
「大丈夫です。予定の新幹線には乗れるでしょう」
運転手と短く言葉を交わす。車が静かに発進する。
芸能事務所の一介の事務員には過ぎた乗り物、過ぎた待遇。
だが、運転手も彼女も、当たり前のような顔をしてその境遇を受け入れている。
別に彼女が特別な人物だから、という訳ではない。
秘密を守るには、どうしても金がかかる。
どうしても「それなりのもの」を使う必要がある。
そして、彼女にしかできない仕事が沢山ある。ただそれだけのことでしかなかった。
例の『島』からカバンひとつ提げて戻ってきた彼女の名は、
千川ちひろ。
事務所のホワイトボードの上では、とある地方都市に出張に出かけ、今朝戻ってくることになっていた。
この空港に降り立ったのも、これから新幹線に乗るのも、その偽装の一環であった。
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計画の「実行」まで秒読み段階に入ったこの日、彼女の予定はかなりキツいものとなっている。
新幹線のホームで列車を待ちながら、手帳を片手に再度計画を確認する。
その中でもやはり重要なのは、6人……いや、5人のアイドルとの面談か。
同じプロデューサーの下、恋心を秘めた5人の少女たち。
ちひろはこれから、彼女たちに接触し、TV番組の企画の説明、という形で計画の一端を彼女らに伝え。
5人には、計画の中でも「特別な役割」を担ってもらうことになっている。
「……でも本当に、『あの役目』は誰に任せるべきですかね……」
予告のベルの後に、スマートなボディの車両が滑り込んでくる。
手帳を仕舞い込むと、荷物を片手に指定席を確認して座り、動き出した窓の外を眺めつつ思索に戻る。
5人の少女に与えられる予定の役目――企画の積極的な進行役。
それはいい。
たぶん今日これからの「TV番組の企画の話」で、十分な動機と自覚は与えられるはず。
ただ、彼女が悩んでいたのは、その中のさらに1人を選んで与えられる「特別な役目」。
出張の偽装をしてまで直接見に行った、現在『島』で「訓練中」の少女にも関わる役目。
これを、誰に割り振るのか。
「スペシャルなトレーナーさんも言ってましたね……
『どんなに訓練を重ねても、最初の引き金を引けるかどうかは不確定だ』、って」
訓練を受け持つことになったプロフェッショナルは、訓練中の少女の技量については保障した。
ちひろが直接見てみた限りでも、そこは大丈夫だろうと思う。
しかし肝心の部分。
実際にその場に立った時に、人の命をちゃんと奪えるのかどうか。
こればかりは、どうやっても保障はできない、ということだった。
どんなに銃器の扱いに習熟しても。
どんなに戦場の心得を叩きこまれても。
一定の確率で、土壇場になって動けなくなってしまう者が、存在する。
殺人という究極の禁忌を前に、金縛りにあってしまう者が、出てしまう。
こればかりは、実際にその場に立たせてみなければ誰にも分からない。
いま現在、訓練の最後の仕上げを行っているはずの「
三村かな子」――果たして彼女は「どちら」なのか。
ちひろたちにとって重要なその答えは、実際に状況が始まってみなければ分からないのだ。
そして万が一にも、早い段階で三村かな子が企画を否定する側に回ったとしたら……
多くのことを知り過ぎている彼女の裏切りは、計画の進行に深刻なダメージを与えることになる。
少なくともそれだけは、序盤での転向だけは、回避せねばならない。
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新幹線の車窓を、景色が高速で流れていく。
市街地を抜け、山あいに入る。
昨日見て来た『島』の風景にも似た、深い山の景色。
早朝の日差しの中、青い木々の葉が映える。
これに似た風景の中、1週間の訓練期間を与えられた三村かな子が『役に立たないかもしれない』。
それどころか、施した訓練と教え込んだ数々の情報が『仇となるかもしれない』。
その可能性は、千川ちひろたちの側にとって悪夢である。
だが、ただ憂いてばかりもいられない。
望ましくない可能性であっても、十分に予想される展開の1つだと言うのなら。
それを踏まえた上で、対策を考えておくしかない。
三村かな子には、早々に試練が与えられなければならない。
開始直後に、試されなければならない。
実際に獲物を前にして、引き金が引けるのか、引けないのか。
早い段階で、見極めなければならない。
そのためには――彼女の近くに1人、参加者を配置する必要がある。
三村かな子の、いわば『試金石』として、速攻で狙われる役目の人物が必要になる。
そして、また。
もしも万が一、三村かな子が「引き金を引けなかった」場合。
その人物には、三村かな子を速やかに返り討ちにしてもらう必要がある。
その人物には、三村かな子に期待されていた役割を担ってもらう必要がある。
その人物には、三村かな子が築くはずだった屍の山を、代わりに築いてもらう必要がある。
その人物は、『生贄』候補であると同時に、三村かな子の『代役』候補でもある。
相反する2つの要請。
両極端な2通りの展開。
これに合致する人材と言ったら……
これから『シンデレラ・ロワイアル』の話をする予定の、5人の誰かしか、ない。
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さて、では誰にその過酷な役目を割り振るべきか。
千川ちひろは、流れる風景を眺めながら、5人の人柄を思い返す。
相川千夏。
5人の中では最も知的で冷静で、慎重な行動が期待できる年長のアイドル。
しかし同時に、彼女の慎重さは臆病さと表裏一体だ。
強みを発揮できるようなら、それはそれで良し。
だが出遅れてしまうようなら、三村かな子に早々に排除してもらうのも手かもしれない。
大槻唯。
交友関係の広い、陽気な現代っ子。
直接間接に他のアイドルたちのことを良く知っている、というのは優位の1つになりうる。
しかし同時に、それがためらいに繋がるのであれば……。
このあたり、吉と出るか凶と出るか、いまいち読みづらい要素だ。
緒方智絵里。
内気で人見知りしがちな、大器晩成型の少女。
正直、彼女が普段のままであれば、その戦果にはまったく期待はできないだろう。性格的に向いてない。
けれど、秘めた潜在力は実は相当なもの。
窮地に追い込まれることで覚醒するような展開があれば、一気に化けることが期待される。
若林智香。
明るい前向きな性格と、高い身体能力。
チアリーディングで磨かれた瞬発力とバランス感覚は、参加者の中でも随一である。
真正面から向き合った状態からの反射神経勝負であれば、おそらく最も高いスペックを誇るだろう。
もっとも同時に、それだけの才能が宝の持ち腐れとなる危険もあるのだが……。
五十嵐響子。
家事万能の家庭派アイドル。
つまりは現実的な実務家であり、要領の良い子であり、地に足のついた考え方のできる人物であり。
うまく波に乗れれば、確実に結果を出してくれそうな気配がある。
そうなるとやはり、最初の一歩こそが重要になってくるわけで……。
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「どの子も一長一短……ってところですよね」
窓の外の風景はいつの間にやら山を通り過ぎ、住宅地の中へ。
終着駅は近い。考えていられる時間は、もうそれほど残っていない。
というか――実は既に、暫定的にではあるが、決められてはいる。
三村かな子を初期配置することになっている『学校』、その『屋上』。
そこからスタートすることになっているのは、現時点では……
緒方智絵里。
即戦力としては最も期待できず、同時に、試練を与えることで大きく化けるかもしれない人材。
このままいけば彼女が、『生贄役』として三村かな子の銃口の前に立たされることになっている。
何といっても、一番望ましい展開は「かな子が引き金を引ける展開」なのだ。
だから、まずはそれを前提に計画は立てられる。
次善の可能性は、あくまで次善でしかない。
それに他の場所からスタートしていれば戦果を挙げたかもしれない子を『生贄役』で浪費するのは惜しい。
だから、そこで緒方智絵里を選ぶのは妥当でもある……のだが。
アイドルたちを最も良く知る企画運営側の人間として、千川ちひろはそこに「待った」をかけた。
言葉に出来ない違和感。
何か見落としをしている、という直感。
とりあえずその配置計画は暫定とし、まだ一部を変更できるような余地を残した上で。
ちひろは、今日の5人との面談に臨むことにしたのだ。
そう、今ならまだ、何人かの位置を入れ替えるくらいの融通は利く。
緒方智絵里に割り振られるはずのポジションを、他の4人の誰かと交換することも可能だ。
残る4人はある程度の間隔を置いて、マップ上に記載のある施設に配置していくことになっている。
選択の余地はまだ残されていて……だからこそ、ちひろは悩む。
実際に5人と話してみてから考える、ということになってはいるけれど。
さてしかし、どういう基準で判断を下すべきか。
どういう心構えをもって、5人と語り合い、5人を観察していくべきなのか。
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新幹線を降りて、在来線へと向かう。
通勤通学の時間帯とぶつかったこともあり、周囲は馴染みの都会の喧騒だ。
「基本に立ち返って考えてみましょうか……」
人ごみの中、声にならない声でちひろはつぶやく。
人の波に流されるようにして、電車の中へ。
流れに逆らわず奥へと歩を進め、つり革を掴む。
窓の外には、ごくごく平凡な平日の都会の光景。
周囲のサラリーマンも、学生たちも。
まだ誰も、アイドルたちの集団失踪なんて事件が起こるなんて露ほどにも思っていないであろう日常。
少しだけ愉快な気分になって、ちひろは小さく微笑む。
基本に立ち返って考えよう。
リズミカルな振動に揺れながら、声に出さずにもう一度繰り返す。
そもそも、この企画。
全ての参加者に、自分で考え、行動を決めるチャンス、生き残るチャンスを与えるのが基本だ。
ある程度の誘導はする。
そもそも、誘導しなければ状況は始まらないだろう。それくらいの無茶を押し通そうとしている。
今日これからの『シンデレラ・ロワイアル』の話にしたって、露骨過ぎるほどの誘導の1つである。
公平とも言い難いかもしれない。
身長・体格・年齢、過去の経歴に
現在の状況、いろいろな意味で幅のあるアイドルたち。
何をどうやっても、平等になんてできはしない。
いま『島』で訓練の真っ最中の彼女に到っては、語るまでもない。
それでも。
それでもなのだ。
参加者たちには、自分で生き方を選んでもらわねば困る。
参加者たちには、悩み苦しみ迷い、時に過ちを犯しながらも、自分の手で選んでもらわねば困るのだ。
少なくとも、最後まで生き残るような人物には、そうであって欲しいと願っている。
だから、チャンスだけは、それがどんなに細く厳しい可能性であっても、与えたい。
それが、基本の願い。
ちひろたちの、どこか矛盾も孕んだ基本の姿勢。
では。
三村かな子のすぐそばに配置され、最も危険な状態からの開始を強いられる『生贄役』。
運営サイドの第一の想定通りに行けば、最速で最大の危機に遭遇し、そしてそのまま脱落する存在。
そんな存在がチャンスを掴むのに必要な条件とは、必要な能力とは――何だろう?
冷徹な知性と知識? 違う。
交友関係の広さ? 違う。
秘めた潜在力? 違う。
純粋な身体能力? 違う。
現実的な判断力? 違う。
想定される危険を察知し逆転するのに必要な能力、それは。
「カンの良さ……かな?」
千川ちひろは、小さく声に出してみて、ようやく垣間見えた感じを掴む。
勘の良さ。
直感力。
第六感。
理屈を超越して一足跳びに真実に辿り着く、そんな人間力。
なるほどそういう能力こそが、状況を覆し『代役』に成り上がるために一番大切なものだろう。
では、あの5人の中、「それ」に長けているのは、誰だろう?
やがて電車はゆっくりと減速し、事務所の最寄り駅へと到着する。
乗客が吐き出され、千川ちひろも人の波に流されつつ、「出張」からの帰還を果たす。
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『シンデレラ・ロワイアル』についての説明は、無事に順調に終了した。
話の切り上げ方がやや強引だったかな、とも思うが、しかしその場で突っ込むものは誰も居なかった。
千川ちひろは廊下に出ると、ほっと一息ついた。
多少の違和感はあえて狙ったところでもある。
違和感があればこそ、印象にも残るだろう。
印象に残れば、必ずや彼女たちはこちらの真意に気が付くはず。
千川ちひろは、そう確信――あるいは、信頼していた。
「でも困りましたね……けっきょく、絞れてない」
楽しい話はいろいろ聞けたけれど、肝心の人選については新たな判断材料は得られなかった。
窓の外を見上げながら、ちひろは軽く嘆息しながら、歩き出す。
やはり、緒方智絵里で行くべきだろうか。
それとも……。
「あ、いたいた。
ねー、ちひろちゃーん」
「はい?」
唐突に声をかけられる。
一瞬で思考を現実に引き戻し、ちひろは即座に普段通りの完璧な笑みを浮かべる。
振り返ってみれば、そこに居たのは……
さっきまで話をしていた、5人のうちの1人。
未だこの日常が儚く崩れ去ることを知らないはずの、アイドルたちの1人。
大槻唯は、そしてあけっぴろげな笑顔のまま、軽い調子で言い放った。
「そういやさっき、ひとつだけ言い忘れててさー☆」
「……なにを、ですか?」
「ちひろちゃん――なにか、たくらんでるでしょ?」
悪戯っぽい口調でささやかれた一言。
それは質問でさえなかった。
確認ですらない。
断言。
完璧なスマイルは、なんとか維持しつつも。
しかし流石に咄嗟の反応のできないちひろに、唯はさらに畳みかける。
「このごろ多い出張とか、さいきんちょっとおかしいもんねー。
あ、別に言えないなら言えないでいいんだ♪ 何が何でも聞きたいって訳じゃないから☆
きっと理由があるんだろな、ってのも分かるしぃ。
ちなったんやプロデューサーちゃんに言いつける気もないから、安心して」
「…………」
「ちひろちゃん、アイドルのみんなのこと大好きだもんね~♪
ゆい、そこは信じてるんだー」
満面の笑顔で言い切った唯は、そして、一瞬だけ真顔になって。
「ただ……たださ。
もし、――ちゃんを泣かせたり困らせたりしたら。
ゆい、死んでもちひろちゃんのこと、許さないから」
それだけ。
じゃねっ。
小さく言い捨てると、金髪の少女はそのまま身を翻し、小走りに立ち去る。
彼女の走り去った方向には、彼女を待つもう1人のアイドルの姿。
「ちひろさんと何の話?」「んー、なんでもなーい」と、声を交わしているのが見える。
2人連れ立って、そのまま遠ざかっていく。
……きっとそれは、深く考えての言葉でもなかったのだろう。
子供っぽい、ナチュラルな感情の発露でしかなかったのだろう。
たぶん数分もすれば自分の吐いたセリフも忘れてしまうような、そんな、ちょっとした気まぐれ。
それでも黙ってその背を見送った千川ちひろは、そして少しの間を置いて――
「唯ちゃん……でもね。
死んでしまった人は、もうそれ以上、何もできないんですよ」
静かに、深く、大きな笑みを浮かべたのだった。
@ @ @
結論から言うと。
大槻唯は、まさに開始の直前になって、緒方智絵里と予定の配置場所を入れ替えられて……
その勘の良さを発揮する間もなく、また、自らが千川ちひろに投げかけた言葉を思い出す間もなく。
最速最短で浴びせられた無慈悲な凶弾の前に、倒れることになった。
三村かな子は、「引き金を引けた」のだ。
あったかもしれないチャンスを、ありえた微かな可能性を、大槻唯はとうとう、掴むことができなかった。
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雨雲が去り、星空の下、動かぬ彼女の身体が再び照らし出される。
倒れてからおよそ24時間。
血も雨に流され、冷えきり硬く硬直したその身体は、どこか非現実めいたオブジェのようで。
表情さえも失われた彼女には、その想いを推しはかる材料すら残されてはいない。
そんな彼女の居る場所から、ふと周囲に視線を巡らせば、見えるモノがある。
それは、三村かな子が引き金を引けなかった「次善の展開」において、彼女が知るべきだった情報。
彼女をその場所に配置した者が、意識して与えるつもりだった知識。
三村かな子の「代役」を果たす上では、欠かせない要素。
三村かな子が学校に配置された「理由」でもあり。
「学校に戻れ」という指示があった際、かな子が真っ先に思い浮かべた「もの」でもある。
ただ感傷のままに星空を眺めていた彼女は、ついぞ最期まで気づかなかった。
生前の彼女は、「それ」が「そこ」にあることにさえ気づかなかった。
けれど、今は。
「偶然」その片手が「そちら」を指差すような形のまま、固まっている。
カットラスを手から引きはがされた際の、意図せぬ動きでそういう風になってしまっている。
それをした当のかな子自身は、その後に行った死体の損壊行為に気を取られて、気付きもしなかった。
降り注ぐような満天の星空の下、深い沈黙に包まれて。
彼女はひとり、無人の屋上に横たわっている――。
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見上げてごらん 夜の星を
ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを 祈ってる
最終更新:2016年04月20日 00:33