【名前】カズィクル・ベイ(ヴラド3世)
【モチーフ】ワラキア公国史実及び『吸血鬼ドラキュラ』
【危険度】A(単体)、S(ワラキア君主国の総力を挙げた組織的攻撃の場合)
【主な能力】動物使役、読心、自身の獣化など
【主な弱点】直射日光下では能力が制限される、キリスト教徒との敵対を極力避ける
【モチーフ】ワラキア公国史実及び『吸血鬼ドラキュラ』
【危険度】A(単体)、S(ワラキア君主国の総力を挙げた組織的攻撃の場合)
【主な能力】動物使役、読心、自身の獣化など
【主な弱点】直射日光下では能力が制限される、キリスト教徒との敵対を極力避ける
元々は人間なのだが、ドラゴンと融合することで不老の身体となっており、
巫女やその素養の有る人間等を捕食することで更に超常的な能力を獲得している。
巫女やその素養の有る人間等を捕食することで更に超常的な能力を獲得している。
記録上では少なくとも2度討伐されたが、その度に反巫女勢力が復活させてきた。
ただキリスト教徒(としての挙動)を目前にすると逃げ出すことが知られている。
本人が狂信的なキリスト教徒である故にキリスト教徒との敵対を避ける為である。
そもそもドラゴンとの融合も本来は異教徒を滅ぼす為であった。
ただキリスト教徒(としての挙動)を目前にすると逃げ出すことが知られている。
本人が狂信的なキリスト教徒である故にキリスト教徒との敵対を避ける為である。
そもそもドラゴンとの融合も本来は異教徒を滅ぼす為であった。
出現事例
◇1461年12月~1462年2月
記録上、初めてヴラド3世公がオスマン帝国との戦争にて竜の力を用いた事例。
自らが騎兵部隊と共に要塞へ突入し、3万人以上(周辺住民含む)を殺戮した。
この際、明確にキリスト教徒だと確認出来た周辺住民は見逃している。
記録上、初めてヴラド3世公がオスマン帝国との戦争にて竜の力を用いた事例。
自らが騎兵部隊と共に要塞へ突入し、3万人以上(周辺住民含む)を殺戮した。
この際、明確にキリスト教徒だと確認出来た周辺住民は見逃している。
◇1462年6月
史実では「トゥルゴヴィシュテの夜襲」として知られる戦闘。
当時のスルタン、メフメト2世の居た野営地を標的として襲撃を仕掛けた。
その直前にヴラド3世は自らドラゴンの姿で空を飛び、偵察を試みている。
史実では「トゥルゴヴィシュテの夜襲」として知られる戦闘。
当時のスルタン、メフメト2世の居た野営地を標的として襲撃を仕掛けた。
その直前にヴラド3世は自らドラゴンの姿で空を飛び、偵察を試みている。
◇1476年12月
ワラキアにてオスマン帝国との戦闘が発生。
この際、率いる筈のトランシルヴァニア連合軍は大半が帰還してしまっており、
約200の兵でイェニチェリの大軍と戦うことを強いられた結果、大敗。
竜の力を用いて単騎で奮戦するも、火砲の直撃を幾度となく受けて遂に討伐された。
この当時としては「ドラゴンが物理攻撃のみで討伐された」極めて珍しいケース。
※「巫女に討伐された」という異説も有る。
ワラキアにてオスマン帝国との戦闘が発生。
この際、率いる筈のトランシルヴァニア連合軍は大半が帰還してしまっており、
約200の兵でイェニチェリの大軍と戦うことを強いられた結果、大敗。
竜の力を用いて単騎で奮戦するも、火砲の直撃を幾度となく受けて遂に討伐された。
この当時としては「ドラゴンが物理攻撃のみで討伐された」極めて珍しいケース。
※「巫女に討伐された」という異説も有る。
◇1897年?
カルパチア山脈に有る古城で復活を遂げていたことが確認される。
アビゲール・ヴァン・ヘルシングを始めとする複数の巫女によって討伐されるが、
そのうち1名の巫女が死亡し捕食された他、2名が重軽傷を負った。
カルパチア山脈に有る古城で復活を遂げていたことが確認される。
アビゲール・ヴァン・ヘルシングを始めとする複数の巫女によって討伐されるが、
そのうち1名の巫女が死亡し捕食された他、2名が重軽傷を負った。
◇1989年以降
ルーマニアのニコラエ・チャウシェスク政権を打倒する為に復活させられる。
そのまま「ワラキア君主国」を建国し、国家元首の地位に就いたようだが、
国全体で反巫女組織と化した為、国際的には国家として認められていない。
そして現在に至る。
ルーマニアのニコラエ・チャウシェスク政権を打倒する為に復活させられる。
そのまま「ワラキア君主国」を建国し、国家元首の地位に就いたようだが、
国全体で反巫女組織と化した為、国際的には国家として認められていない。
そして現在に至る。