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♪町、時の流れ、人

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♪町、時の流れ、人


 行き交う人々を錯覚しそうになる。
 ともすれば自宅でもあるんじゃないか。
 彼女は自慢のツインテールを揺らしながら頭を振る。
 しかし当然そんなものはなく、見慣れぬ、だけどどこにでもありそうな閑静な住宅街であることを認めた。

 彼女は町中の一角で立ち尽くす。
 ああ、夢じゃないんだ。
 思わせるに足る静けさを前に彼女は拳を握る。
 渋面を露わにさせつつ、彼女は深く舌を打つ。
 彼女にしては珍しい行為だった。

 深い朱色が淡い藍色を打ち崩す空には、薄氷のようにたなびく雲が寂しげに浮かぶ。
 実況ライブを放映するためのヘリコプターは飛んでいない。
 何もない。朝焼けの虚空が浮かぶだけだ。
 爪先をぐりぐりと地に押しつけながら苛立たしげに地団太を踏む。
 全く意味のない行動であろうと、彼女は何度も何度も地を蹴りつける。

 夢じゃなかった。
 夢であって欲しかったのに。
 最後の悪あがきとして、頬をつねるも当然無為なものだ。
 この世にいるであろう――いなきゃおかしい悪魔を恨む。

 彼女は幾度の現実逃避を経て、膝をつく。
 呑み込みきれない現実を前に、彼女は胃の中のものを吐き出した。
 脂汗を滴らせ、息を荒くする。
 顔が自然と青く染まっていく。
 衝動は止まらない。こみ上げる嘔吐感に身を任す。
 喉が焼けるような苦悶だった。

 なんで、と。
 漏れる言葉は泡のよう。
 距離としては五十メートルといったものだ。
 血溜まりに浮かぶ彼女の姿を視認し、彼女は崩れるように腰を付ける。
 身体に込められた力が弛緩していく。
 照れも恥じらいも、当たり前のように外聞もない。
 こがねが地を覆う中、彼女はいよいよをもって眦に涙を溜めた。

 彼女が視線を下げる間も、
 物言わぬ彼女は、頑なに笑顔を形作っている。
 天海春香はうつ伏せのまま、赤黒い池に沈んでいた。



  ×



 気が付けば、彼女自慢の両の尾がしっとりと、生理的に受け入れ難く濡れている。
 涙を枯渇させた後、彼女は幽愁を秘めてゆらりと立ち上がった。
 空は悪夢のようにどす黒く、混濁とした様相を表す。
 彼女は一人空を仰ぎ、モノクロ模様の世界を孤独に歩む。
 一歩目、ぴちゃりと水が嫌な音を立て跳ねる。
 股から滴る雫が、重力に従い落ちていく。
 彼女の動きは何処までも緩慢だった。
 二歩目、光を掴むかのように、手を前に伸ばす。
 その手の中には、何もない。
 それからも、彼女は錆びついた動きで前へと進む。
 決して未来を見ぬままに、前へ前へと身体に鞭打った。

 足元には、彼女が畏敬する一人の『アイドルちゃん』が無残にも横たわっている。
 彼女は荒い息を整えることなく、足を曲げ、彼女の肩を抱き寄せた。
 音途絶える町中で、彼女一人が生命の音楽を奏す。
 擁する彼女からは何の音も聞こえない。
 心臓の音も、呼吸の音も、自らをはじめとする聴衆の数々を虜にしてきた愛くるしい声も。

 彼女は春香の頬を撫でる。
 柔らかい。
 まるで生きているかのような弾力感を有していた。
 殺し合い開幕からの時間を計算すれば死後硬直なんて起こらないのは然るべきことである。
 しかし彼女は僅かに驚いた。
 死後硬直がどれほどの時間を要するか彼女は知らない。
 それほどまで、彼女の生活に『死』という文字はかけ離れている。

 彼女はひたすらに、アイドルが立つ輝かしい『向こう側』を憧憬していた。
 ファンと言う形で、そして同じアイドルとして。
 それが彼女の全てと言っても差支えないぐらいに、彼女はアイドルの虜になっていた。
 彼女の生活の過半を統べるのは、紛れもなく『アイドルちゃん』にまつわるものである。

 そこに、どうして『死』という概念が絡んでこようか。
 むしろアイドルの仕事は、ファンのみんなを――笑顔にする、すなわち生かすことだと彼女は思っていた。

 春香の髪を手で梳いた。
 滑らかで、手入れがよく行き届いていたことを窺わせる。
 彼女のトレードマークのリボンは血に濡れ、悲しげに黙していた。

 不意に手が止まる。
 春香の死してなお笑顔である様が、目に留まった。
 笑顔でありながら、どこか後悔に満ちた顔。
 だけど、不思議と彼女の顔から怨嗟のようなものが見受けられない。
 それは彼女が春香を崇拝するがあまりの錯覚なのか、それとも。

 少なくとも、腹を裂かれた痛みはあっただろう。
 彼女にはおよそ想像が及びもしない痛苦だったに違いない。
 それでも笑顔であれた心境の理由が彼女の心に確かに秘められている。
 彼女は黙然と春香を胸に抱き寄せた。
 伝わってほしい鼓動がまるで伝わってこない。

 ただ弾かれたように。
 何も言わずに、何も発さず、静かに、そして厳かに春香を抱いた。
 それが彼女に対する敬意だと言わんばかりに。
 閑静な住宅街には一人、彼女の鼓動だけが響いている。



 ×



 静寂は麻酔のようだった。
 どれだけ時間が経ったのか分からない。
 静寂が与えるのは、確かに自分の心臓は早いリズムでなっているという事実だけだ。

 ドクン――ドクン――。
 未だ酸いの味が残る咥内を嘗める。
 無論のこと酸っぱい。彼女は感慨深く味わった。
 生きている人にしか分からない酸味を、何度も何度も噛みしめる。

 ドクン――ドクン――。
 天海春香の、女性特有の柔らかな肌を潰さん勢いで強く抱く。
 きっと擁したこの身体には痛みなんてないのだろうが、彼女は確かと身体の感触を焼き付けた。

 ドクン――ドクン――。
 こうして彼女は生きている。
 大好きな『アイドルちゃん』が死んでいるにもかかわらず、それでも彼女は生きている。

 どうして、と思わずにはいられなかった。
 死ぬなら自分が、と声を大にして言えるほど、彼女は人生を厭世的に生きていない。
 されど、どうして天海春香が死んで、自分が生きてしまっているんだろう――そう思わずには居られない。
 それほどまでに、彼女は『アイドルちゃん』、天海春香のことを愛慕していた。

 ふと、初めて天海春香と出会った思い出が蘇る。 

 彼女がアイドルに就く前の頃、765プロはテントを劇場と称して経営するほどに経営難であった。
 765プロ最初期から務めていた天海春香、如月千早星井美希、加えて事務員の音無小鳥からそう伺っている。
 今となっては良い思い出だ、と言わんばかりにあっけらかんと語る彼女たちであったが、
 その際の労苦は並々ならぬものだったろう。……いや、事実としてそうだったのだ。

 765プロというプロダクションが設立されたと又聞きして、彼女は一度、劇場を目当てに足を運んだことがある。
 かといって、彼女はさして期待を抱いていた訳ではなかった。
 回顧して見ると甚だ的外れな考えであったわけだが、まだまだ始まって日の浅い劇場。
 完成度は見劣るのが至極真っ当。他と比べるのは酷というものだ、その様に感じていた。

 とある春の晴れた日のことだった。
 彼女はテントをくぐり、ともすればサーカスの雑技団にしか見えないコンサート会場に座る。
 客足は少なく、席はガラガラだ。
 持ち合わせていたサイリウムを振るのを躊躇われるほどの閑散さに流石の彼女も唸る。

 さてはて、と値踏みするかのごとく彼女はその公演を見守った。 
 彼女は春香ら三人に加え、新たに十人のアイドルを向かい入れていた。
 とはいえ、僅か十三人の劇場である。華やかさが欠落していないと言えば嘘になろう。
 少数精鋭と言えば格好は付くだろうものだが、明らかな経験不足が見てとれて、踊りもどこかちぐはぐだ。

 普通ならば溜息をわざとらしく零し、退散してもおかしくないぐらい完成度。
 彼女自身も、数多くの『アイドルちゃん』を追いかけた身として、そのぐらいの裁断を下すことは出来る。

 だけど、彼女は不思議と魅了された。
 本当に楽しそうに踊る彼女たちの笑顔はかけがえのない宝物に見える。
 技術も資本もない弱小プロ、そんな過酷な状況下の中で心の底からファンのために躍るアイドルが堪らなく彼女の心を射抜いた。
 その劇場においてセンターを務めていた天海春香の底抜けな笑顔を彼女は今でも覚えている。
 いつしか彼女は赤いサイリウムをこれでもかと言わんばかりに振り続けていた。
 その日はとても晴れていた。
 その翌日も、抜けるほどの快晴だった。

 765プロの評価が上り詰めるのはそれから幾分か先の話。
 彼女はその経過を単なる一人のファンとしてではなく、アイドルという立場から知っている。
 当然、その隣にはいつだって天海春香の笑顔があった。
 春香の笑顔を見ているだけで、彼女は日々をハッピーに生きていられる。
 断言しても過言じゃないほどに、あの日の思い出は彼女の胸に強く刻まれ、世界が変わって見えた。

 彼女がアイドルを決意したのは、彼女のように、笑顔を振りまきたいと思ったからだ。
 アイドルと触れあえる、毎日対面できる等などといった邪な考えがないわけではなかったが、
 それは握手会などのイベントを通せばいいだけだ。アイドルになるだなんて一大決心をするほどのものではない。
 そうじゃなかった。
 彼女が『アイドルちゃん』と称し、アイドルたちに夢中になった根本はもっと単純で。
 言葉にするのも億劫なほど、明快な答え。
 ――『アイドルちゃん』の笑顔が、彼女はとても大好きだった。
 自分もああなりたいと、思えるほどに。

 ――いつかトップアイドルになる日、天海春香のような笑顔でポーズを決めるのが、夢となっていた。

 彼女は、天海春香の笑顔を俯瞰して、一度空を仰ぐ。
 空はまだ晴れない。



 ×



 自らのリボンを解く。
 二つに分けて縛られていた髪が、ぱさりと落ちていった。
 己の排泄物で汚れた、純白だったサイハイソックスを脱ぎ、水分を絞りとる。
 その後邪魔にならないように、多少躊躇いはあったもののディパックに仕舞いこんだ。
 裸足で履くスニーカーはグショリとして気持ち悪い感触をもたらす。
 スカートをパタパタさせた後、彼女はもう一度春香の死体に手を掛ける。

 安らかな笑顔に一度触れ、それから彼女の頭に手を伸ばす。
 水のように流れる髪を結いとめる、二つのリボンがあった。
 765プロ発足当初から見かけた、天海春香のトレードマークである。
 少し借りますね、と呟くと彼女はリボンを両方ともに解いた。
 そしてそのまま、自らの髪を結いとめる。先ほどまでと同じ様なツインテールだ。
 手鏡もないため多少不格好な両尾だったが、手つきは慣れたものである。

 彼女はきつくリボンを縛ると、前を向く。

 彼女は分からない。
 天海春香がどのように死んでいったかを。
 ただ一つ判断できるのは、彼女の愛する『アイドルちゃん』の内の一人が、春香を殺めたのだろう。
 彼女は行き場のない怒りを覚える。

 それでも、と。
 彼女は昂る己を諌める。

 彼女が理解できるのは、何も殺人者の素性だけじゃない
 天海春香は笑顔だったということだ。
 読みとれるものは決して希望に満ちたものばかりじゃなかったけれど、確かに彼女は微笑んでいる。
 死人に口はないかもしれないけれど、彼女はこう思いたい。

 天海春香はやっぱり仲間が好きだったっていうことを。
 殺し合いに歯向っていたということを。
 少なくとも、彼女はそう読みとった。
 崇拝の結果かもしれない。
 もしくは自分自身を誤魔化すための現実逃避かもしれない。
 あるいはそうであってほしい、という我儘な願望の結露なのだろうか。

 彼女は天海春香の笑顔を見て、踏みとどまる。
 悲しくて、悔しくて、恨めしくて、春香を殺したアイドルに偽らざる憤りを感じた。
 怨嗟の果てには、ただの憎しみ合いしか生まれないと理解していても、理性を抑えることはできなかっただろう。
 愛しい『アイドルちゃん』を殺したならば、然るべき報いだと、覚悟を決めてもおかしくなかった。

 けれど、『それは違うよ』と優しく囁いてくれる。
 歪に固まる優しげな笑顔は、殺し合いなんて駄目だといっているようだ。
 どこか悔いの陰を落とすその様には、『助けてあげて』という遺志が自ずと浮かび上がる。 
 崇拝する偶像がそう語りかけるのに、怨恨に駆られ殺し合いを助長するだなんて、彼女にはできない。

 荒くなった息を静かに整える。

 そもそも、本当に彼女自身が『アイドルちゃん』に刃を向けるだなんてできただろうか。今にしてみれば暗闇の中だ。
 屈指のアイドルファンである彼女が。
 アイドルを仲間とする彼女が。
 たった一時の気の狂いで『アイドルちゃん』を殺して、本当に満足するだろうか。

 実際、天海春香と言う尊い命が奪われている以上、平和的解決はもう望めないだろう。
 事実として自分が悲しみに暮れている中、誰も悲しまない結末なんてありはしない。
 それでも。
 それでもだ。
 誰かを笑顔にしたいという気持ちに、嘘をつくことはできなかった。
 ――ファンとして。
 ――アイドルとして。
 なによりも彼女が彼女であり続ける以上、当然の情動である。

 モノクロの世界から逃れるように、一度瞼を閉じた。
 意を決すると、瞼を開き、朝焼けに照らされる住宅街を捉える。

 どれだけ時間が経っただろう。
 彼女は抱き寄せた春香の遺体を丁寧に地に横たわらせる。
 埋葬するにはシャベルなどの道具もなければ、そもそも町中を掘り返すわけにはいかない。
 墓地などに持っていったところで、春香を埋めるような空きはないだろう。
 今の彼女には、この場に放置する以外に選択肢がなかった。
 唇を噛みしめる。悔しかった。

 血濡れた春香のリボンを指でなぞり、それから遺体に向かい合掌をする。
 これまでの礼と。力を貸してほしいと、これからの加護を期待して。
 みんなの、『アイドルちゃん』の笑顔を取り戻すために。
 プロデューサーの意図は変わらず分からなかったが、
 アイドルを何よりの至上とする彼女にとって執るべき行動は変わらない。

 『アイドルちゃん』が大好きで、大好きで、だったらアイドルたちを守りたいと思うのは然るべきことで。
 道を踏み外してしまったとしても、この場に居るみんながこれまで仲間であったみんなであるならば、言葉はきっと届くから。
 今、春香の死体の前で笑顔を見せるのは難しいかもしれないけれど、それでもいつかきっと、アイドルたちを笑顔で迎い入れる。
 それが『アイドル/ファン』である彼女のやるべきことだ。


「ありさは、やっぱりアイドルちゃんが好きですから」


 ――春香さん、必ず戻ってきますよ、と。
 松田亜利沙は緩慢と、だけど力強く立ち上がる。
 これから空は晴れていきそうだ。


【一日目/朝/G-4】

【松田亜利沙】
[状態]健康
[装備]天海春香のリボン
[所持品]基本支給品一式、不明支給品1~2
[思考・行動]
1:笑顔の力を信じる


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