"Radical Good Speed" ◆b8v2QbKrCM




錆び付いた線路を一陣の風が吹き抜ける。
風の正体はひとりの男――ストレイト・クーガー
銀紫のアルターに包まれた脚で枕木を蹴り、異様な速度で北東へと駆けていく。
クーガーが目指すは、C-4駅から線路を北東へ辿った先、A-6エリア。
目的は、ループの実在の確認である。
C-4駅であすかと真紅に出会い、彼らが得てきた情報を聞かされた。
そのひとつが会場のループだ。
あすか達が言うには、この会場は壁や境界線で区切られているのではなく、
A-1から西へ行けばA-8へ、北へ行けばH-1へというように、
地図の南北と東西が繋がっているような構造になっているのだという。
にわかには信じられない情報だが、クーガーが相手取ろうとしているのは時間すら操ってしまう輩なのだ。
この程度で驚いていてはいられないに違いない。
とはいえ、人伝に聞くだけで済ませるにはトンデモな話であるのも確かだ。

境界に近付くとワープでもさせられてしまうのか。
気付かないうちに移動してしまうのか。
それとも不自然な繋がりになっているのか。

――これくらいは自分の目で確認しておくべきだと、クーガーは考えた。
あすか曰く、不自然さを感じない自然なループらしいのだが、それは電車で移動した場合のこと。
自らの足で駆け抜ければ、また違ったものが見えてくるかもしれない。
今までクーガーはこの世界は狭く区切られた箱庭のようなものだと思っていた。
そもそも、あの地図を見せられてそう考えないほうがおかしい。
しかしあすか達の言うことが確かなら、この世界はクーガーが考えていたよりずっと広く、柔軟だということになる。
フィールドの柔軟性、イコール戦略の柔軟化だ。
クーガーの圧倒的な速力を以ってすれば、ループ構造を利用して会場を縦横無尽に駆け回ることも不可能ではない。
それは間違いなく、クーガーの目的の殆どを達成しやすくしてくれる。
あの女を探し出すことも。
カズマと合流することも。
仲間になりうる人物を探すことも。
劉鳳を殺した奴を見敵必殺することも。
自分の助けを待っている見知らぬ誰かに出会うことも。
全ては『速さ』によって充足されるのだから、会場四辺のループというショートカットは間違いなく有用なのだ。

故にクーガーは駆け抜ける。
高架の下に広がる街並みを顧みず、鉄の線路をひたすら前へ。
河川を跨ぐ鉄橋を瞬く間に通り過ぎ、街を左手に、山を右手に、先へ、先へ。
流れる視界の隅にショッピングモールを認めたのが少し前。
そこで、クーガーは不意に眉をひそめた。

線路の先に『駅が見えた』のだ。

線路に脚を突っ張り、急激に減速を掛ける。
脚部を覆うラディカルグッドスピードの装甲が砂利を吹き飛ばし、辺りに石礫をばら撒いていく。
数メートルの減速距離を費やして停止するや否や、クーガーは片手でサングラスを持ち上げた。

「おいおい……いつの間に飛ばされたんだ?」

山中を抜ける陸橋の上から、北に広がる風景を一望する。
ここから1キロほど線路を辿った先には駅舎らしき建物の輪郭が見える。
その更に向こうには、細長い街を挟む二つの池。
もはや疑問を差し挟む余地はない。
クーガーはC-4駅から線路に沿って北上した結果、地図南端H-7エリアへと到達したのだ。
まさにあすか達から得た情報の通りだった。
境界線もしくは境界面に相当するものなど見当たらず、全く以ってシームレス。
予備知識がなければ、ループさせられたことに気付きもしなかったかもしれない。
クーガーは顎に手を当て、しばし考え込んだ。
少しばかり後戻りして境目付近を調べれば、新たな情報を見つけられる可能性もある。

「いいや! 今の俺にそんな暇はなぁい!
 高速 快速 迅速 敏速 急速 神速 最高速!
 可能な限りの速度を以って駆け抜けるまでだ!」

跳ねるように線路を蹴り、北へ向けて加速する。
会場のループを無事体感できたのだから、これ以上時間を浪費することはない。
目指す先は線路の先のG-7駅。
そこから街を縦断すればかなりの範囲を踏破できる。
クーガーの、残像すら残しかねない速度の前では、1キロ程度は短距離の範疇だ。
余分な思考を挟む間もなく、クーガーはG-7駅のホームへと飛び込んだ。
それと同時に、僅かに顔を顰める。

「こいつは……」

奇妙な臭いが風に乗って漂ってきている。
生臭さと鉄臭さ、そしてどことなく感じる甘ったるさ。
当てはまるものはひとつしかない。
クーガーは硬い表情のまま、ホームから駅舎の二階へと歩を進めた。
G-7駅、駅舎二階。
駅長室に面した廊下の奥。
薄暗い階段の傍。
そこで、想像した以上のモノを目にする。

「……くそっ」

階段周辺の床は、腐敗した果汁のような血液で塗り潰されていた。
鼻腔を突く朱色の臭気。
目も眩まんばかりの凄惨さの中央で、人間の死体らしきものが血液を吐き出し続けていた。
着衣から辛うじて男であることが分かる程度で、表情すら伺えない。
表情を伺おうにも顔がないのだ。
顔だけではなく、頭もない。
頭だけではなく、腕もない。
腕だけではなく、胸もない。
背中もない。腹もない。
上半身がごっそりと奪われていて、残された下半身から臓腑の余りと鮮血が零れている。
死因を推し量ることすら困難な『死体』であった。
クーガーは粘り気のある赤い水溜りを踏み越えてソレの傍に寄り、手の平大の残骸を拾い上げた。
十数分前までのクーガーであれば、その残骸が何物であるのか正しく理解できなかったに違いない。
靴を履いた、人形の足。
そうとしか思えなかったことだろう。
真紅と出会い、ローゼンメイデンという存在について知る前であったならば。
クーガーは名前も知らないローゼンメイデンの亡骸を、そっと廊下に置き直した。


無人の廊下に風が吹く。
それは、最速の名残。



   ◇ ◇ ◇



――とん、と。
少女は冷たい壁に背を預けた。



D-4エリア北辺、メインストリート沿いの雑居ビル。
周囲の建造物となんら変わるところのない、ごくありきたりな建造物だ。
自動化もされていないガラス扉。
バリアフリーなど考慮もされていないのだろう、大きな段差がある入り口。
窓や外壁には看板が並び、通りに雑多な彩を添えている。


――ずるずる、と。
少女は壁に背を擦りながら、座り込んだ。


ひとつだけ他と違う箇所があるとすれば、ビルの前。
ガラスとコンクリートと鉄筋で造られた小屋のようなものが、歩道の幅の半分ほどを占拠していた。
高さは2メートル、奥行きは5メートルほど。
壁の一箇所が完全に開放された造りで、がらんどうの内部が露わになっている。
そしてその内装には、本来当たり前にあるべきものが欠落していた。


――こつん、と。
少女は内壁に後頭部を軽く触れさせた。


床がないのだ。
その小さな建物の中には床が存在せず、代わりに降りの階段が口をあけているのだ。
階段はまっすぐ地下へと伸びており、薄暗い地下道へと続いているようだった。
見方を変えれば、路上にぽっかりと空いた階段を、鉄筋コンクリートの建物で覆っている状態ともいえる。


――ばちばち、と。
少女――御坂美琴の肌を風が撫でるたび、乾いた音を立てて火花が弾けた。


美琴は階段の上端付近でしゃがみ込み、声もなく天井を仰いでいた。
彼女がここに至るまでに経た出来事を俯瞰して、それでもなお彼女を責める者はいないだろう。

真夜中。
生き残ると決意した。
上条当麻の生存を知り、彼ならばこの状況を打ち破ってくれると希望を抱いた。
戦い勝ち残るという選択肢は『一方通行』の存在によって諦めた。

夜明け前。
勝ち負けには拘るまいと決めた。
どう足掻いても『一方通行』には勝ち目が無いと思っていたから。
人を殺してしまったら、上条当麻には会えないと思ったから。

未明。
見捨ててしまった。
恐怖に負け、襲われていた人を見捨ててしまった。
苛烈な時間は鑢のように美琴の心を削っていく。

朝。
全ての前提が崩れた。
上条当麻が死んだ。
負けるはずのない『一方通行』も死んだ。
それでも、いや、だからこそ、衛宮切嗣のもたらした新たな方針に縋った。
"諦めない"という旗を掲げ、砕けてしまった幻想の破片に取り縋った。
しかし哀しいかな――



ほんの少しだけ過去のこと。
美琴の心は、ほんの少しだけ方向を歪めてしまっていた。
呆気なく伝えられた、上条当麻の死。
『一方通行』ですら命を落とす現実。
彼女が抱いていた幻想は砕かれ、生き残るという決意だけが、脈絡を失ったまま残された。
そして、戦った。
作戦を確認したときに、切嗣からサーヴァントと砂男の強さについて聞き及んでいた。
もしかしたらそのせいで、簡単に死んだりしないと高を括っていたのかもしれない。
あの怪物のような相手を"倒せた"なら、『一方通行』でも叶わなかった生き残りを果たせるかもしれないと考えた。
それは慢心にも似た暗い希望だった。
けれど傾いた心の天秤は、傷ついた切嗣の姿によって再び引き戻されてしまう。
誤解を恐れず評するならば、美琴が固めていたのは"倒す覚悟"だ。
"斃す覚悟"とは似ても似つかず、それ故に、彼女は行為の結果に耐えられなかったのだといえるだろう。


ぱちぱちと、光が散る。
哀しいかな――
こんな状況下においてなお、彼女は御坂美琴であることを捨てられなかったのだ。


仮に、全てを肯定してしまえれば楽になれたことだろう。
何をしても生き残りたいのだと開き直れば、思い悩むことはない。
だから傷つけ奪うのだと言い切れば、罪に苦しむことはない。
しかし、できなかった。
他の誰が許したとしても、彼女自身がそれを許さないのだ。


そこから先は語るまでもないだろう。
彼女は逃げ出した。
それだけだ。




「――――よォ」




唐突に――それは現れた。
階段の入り口に立つ、男の影。
美琴よりもずっと高い背丈。
青い眼と色の薄い頭髪。
そして、狂おしい笑みに歪んだ口元。
美琴には知る由もないことだが、男は名をラッド・ルッソという――

「え……」

美琴は一瞬目を丸くし、すぐに表情を強張らせた。
男の存在に恐怖したのではない。
『どうして、誰にも会いたくないと願った矢先に』という思いが、美琴の思考を硬直させる。

「こんなところでかくれんぼかぁ? 違うよなぁ!」

男が美琴へ腕を伸ばす。
美琴は思わず身を起こし、一歩後ずさった。
途端、がくりと崩れ落ちかける。
冷静に考えれば当然のことだ。
美琴は階段の上に座っていたのだから、退けば段差があるに決まっている。
そんなことすら失念してしまうほど、美琴の動揺は大きかった。

「あ――」

後ろへ倒れかけた美琴の胸倉を、男は乱暴に握り寄せた。
その瞬間、閃光が迸る。

「――――――ガッ――――――!」

男の身体が、立ったままの格好で跳ねた。
想像もしていなかったに違いない。
ろくな装備も持たず佇んでいた少女が、これほどの電流を纏っていようなど。
男が、階段とは反対の方向へと倒れていく。

「……と、う」

美琴の囁きは、その途中で強烈な衝撃に遮られた。
受身すら取ることもなく、背中から階段に叩きつけられる。
鈍い打撲音と共に両の脚が浮き上がり、勢いのままに廻っていく。
左肩の骨が、ごり、と悲鳴を上げ、首を曲げながらうつ伏せに倒れこむ。
停止したのは一瞬だけ。
美琴の細い肢体は重力に曳かれ、階段の傾斜に沿って、ゆっくりと転がり落ちていく。
やがて冷たいリノリウムの床に投げ出され、壊れた人形のように動きを止めた。


   ◇ ◇ ◇


「ふむ、これは盲点だったな」

G-7駅、事務室。
家捜しを受けた直後のように散らかった部屋の中で、佐山・御言は事も無げに呟いた。
髪や服装はやけに乱れているが、表情は今までと変わらず涼しいものだ。

「な、何が……?」

事務室の中央で寝転がったままで、小鳥遊が佐山の呟きに応える。
佐山と同様、その出で立ちには取っ組み合いの痕跡が見られるものの、消耗の具合は佐山とは正反対だ。
つまるところ、すっかりバテ切ってしまっていた。
体力の温存など考えず、無駄に騒ぎながら暴れていたのだから、当然といえば当然なのだが。

「灯台下暗しとでも言うのかね。気が付かなかったのが不思議なくらいだ」

佐山は壁に掛けられていた小さなパネルを外し、小鳥遊に手渡した。
それは事務室にあっても何ら違和感のないものだった。
むしろあって当然とも言えるだろう。
――避難経路図。
駅舎全体の見取り図に、非常口とそこへの道筋、消火器や警報機の位置を記した代物だ。
真っ当な施設には必ず用意されているものであり、出来ることならお世話になりたくない品でもある。
小鳥遊は転がったままで経路図を受け取り、そして首を傾げた。

「これが何か?」
「よく見たまえ。この事務室の傍だ。
 一箇所だけ、避難経路の矢印が壁から出ているだろう」

指摘された場所を目で追って、小鳥遊はああと頷く。

「確かに……それに、壁の書き方が他と少し違うかも」
「調べてみる価値がある。私はそう思うよ」

小鳥遊が起き上がるのを待ってから、佐山は事務室の鍵を開けた。
そして廊下に出……不意に動きを止める。

「どうかした?」
「いや……なんでもない」

佐山は廊下の奥、階段のほうに視線をやりながら、経路図の示すポイントへ足を運んだ。
小鳥遊も早足でそれに続く。

「あれ? これって」

小鳥遊は持ち出してきた経路図と、実際の壁を何度も見比べた。
目の前には確かに扉がある。
しかしそれは部屋の出入り口などにあるようなものではない。
壁に埋め込まれた、長方形の蓋とでもいうべき形状。
いわゆるパイプスペースの扉である。

「カモフラージュの類なのか、それとも予算をケチったのか……。
 余人には知りえぬセンスの結晶という線もあるな。
 ともあれこれでは見落としてしまうのも無理はない」

佐山は扉の隠し取っ手を露出させ、手前に引っ張ってみた。
想像していたよりも容易く、扉が開く。
そこにあったのは、部屋でもなければパイプスペースでもない。
まっすぐ地下へと伸びる階段である。
幅は扉と同程度でかなり狭く、人間ひとりが降りるだけで精一杯だろう。
照明はなく、終着点は闇の中だ。
急な傾斜も相成って、実に入りがたい雰囲気を漂わせている。

「本当にあったよ、地下迷宮……」
「単なる地下室という可能性も否定できないが。
 蒼星石くん達も呼んでくるとしよう。未知の領域の調査になるからね。
 君はここで待機してくれたまえ」

そう告げると、佐山は自分の荷物を提げて立ち去っていった。
小鳥遊は佐山の後姿を見送って、開きっ放しの扉の縁に腰掛けた。
そして、相変わらず平和そうな顔をしている獏をぎゅっと抱きしめる。

「大丈夫かなぁ、蒼星石ちゃん」

彼の心配は、紛れもなく上階の変態の行動を懸念してのものだろう
自分自身のことは盛大かつ恒久的に棚上げして。


   ◇ ◇ ◇


「う……」

どれくらい気を失っていたのだろう。
五分? 十秒? 一時間?
口の中に厭な鉄の味が染みている。
美琴は床に腕を突き、上体を起こした。

――痛い。

頭が痛い。顔が痛い。首が痛い。肩が痛い。胸が痛い。背中が痛い。
お腹が痛い。腰が痛い。太腿が痛い。脛が痛い。足が痛い。

けれどそれ以上に――心が痛い。



美琴は壁伝いに立ち上がり、顔を前に向けた。
天井の低い通路が数十メートルほどに渡って伸び、その終端には上りの階段が見えた。
どうやらメインストリートの下を潜る地下通路のようだ。

――まただ。
また、やってしまった。

壁に体重を預け、少しずつ足を先へ進めていく。
逃げ出したかった。
離れてしまいたかった。
そうすれば、自分の犯した罪を忘れられる気がしたから。
けれどそれは間違いだ。
逃げれば逃げるほど、離れれば離れるほど、美琴の心はぎしぎしと軋みを上げていく。
砂人間を殺した。
切嗣さんを見殺しにした。
レッドという子を死なせてしまった。
さっきの外国人もただでは済まないだろう。
次々とフラッシュバックする場景から目を背けようと、瞼をきつく閉じて首を振る。
しかし心に焼きついた風景は、目を閉じても消えてはくれない。

「どうして……」

本当にどうしてなのだろう。
こんなときに、上条当麻の顔を思い出してしまうなんて――


   ◇ ◇ ◇


静かな廊下に佐山の足音だけが響き渡る。
その表情は、仲間に新発見の朗報を伝えようというときのものではない。
警戒と覚悟の色を帯びた眼差しを、絶え間なく周囲に向けている。
まるで猛獣が潜む密林を行軍しているかのようだ。
やがて佐山は角を曲がり、二階への階段に向かう道の途中で立ち止まった。
駅に併設された商店テナント街、その一角で。

「ストーカー行為に及ぶほど想って頂けるのは光栄だが、こちらにも選ぶ権利というものがある。
 せめて姿くらいは見せて貰えないかね」

佐山の言葉に対する返答はない。
代わりに、陳列棚の一角が弾け飛んだ。
一瞬早く飛び退いた佐山の足元に、壮絶な衝撃力が穴を穿つ。
前方二時の方向からの銃撃。
佐山は右手の衣料品店に飛び込んで、衣服とマネキンが織り成す分厚い幕に身を隠した。
無論それらに銃弾を防ぐほどの強度は期待できない。
どうせ隠れるなら、金属製の商品棚があるコンビニエンスストアの方がまだマシだ。
しかしあの位置から逃げ込めるのはこの店だけだった。
欲をかいて距離の離れた他の店を選んでは、逃げる前に次の弾丸の餌食になってしまっただろう。
コートを並べたスタンドの陰からそっと店外の様子を窺う。
佐山の離脱から数秒の間を置いて、奇妙なモヒカン頭の男が廊下に姿を現した。

吉良吉影が蒼星石君を置いて降りてきた……というわけではないようだな。
 明らかに説得も更生も不可能な顔だ。こうも典型的だと却って珍しい。
 人相の専門家に見せれば珍重してもらえるかも知れないな」


本気とも皮肉ともつかない言葉を呟きながら、佐山は男の様子を観察した。
得物はオートマチックの拳銃が二挺。他に所持しているかは不明。
上下共に着衣は血まみれ。両脚を負傷しているらしく、特に左脚は酷い。
しかし、歩行に支障を感じている様子は見受けられない。
男はしばらく周囲を見渡して、佐山が隠れる衣料品店に向き直った。
銃器に対してこちらは丸腰。
ここは一度退いて、小鳥遊達に警戒を促すべきだろう。
脱出経路として考えられるのは、店の奥の店員用出入口か、背後の窓。
距離としては窓の方が圧倒的に近い。
だが少々位置が高いため、陳列棚という遮蔽物から身を晒してしまう危険もある。
どちらも一長一短だ。
と、そこまで考えたとき、佐山は男が肩から提げているものを見止めた。
血濡れのデイパックだ。それも、三つ。
男が拳銃を店内に向ける。
同時に佐山は姿勢を低くして駆け出した。
これだけ邪魔物が視線を遮っていては、正確な射撃は望めないだろう。
サブマシンガンやアサルトライフルのような面制圧可能な銃器ならまだしも、拳銃二挺で張れる弾幕は高が知れている。

そのはずだった。
一発の銃声を皮切りに、佐山の目と鼻の先で異様な破壊が巻き起こる。
マネキンが、シャツの山が、高級コートが、床と壁が、巨大なスプーンで抉られたかのように消滅していった。

「――――っ」

更なる銃声が響くと同時に、店内の存在が次々と抉り消されていく。
佐山は靴底で床を鳴らして急停止した。
先ほどの銃撃とは明らかに異質。
威力の多寡という、ありきたりな比較の俎上に載せられないほどに次元が違う。
迅速に脱出経路を――


振り向いた佐山の眼前でその左腕が消え失せる。
肩から先の丸ごとが、背後の壁を道連れに。








「……つまらねぇ」

ラズロはソードカトラスをベルトに押し込み、衣料品店『であった』場所を一瞥した。
立て続けに放たれた数発のAA弾によって、店の中央付近はその面影を完全に失っている。
無論、そこに隠れていた者も同様だ。
指の一部らしき肉片がボロボロの壁際に飛び散っているのが、唯一の名残であった。
ラズロはすっかり見晴らしの良くなった店内を闊歩し、壁に空いた大穴から身を乗り出した。
駅周辺に人の気配は感じられない。
どさくさ紛れに壁の穴から脱出した、ということもないようだ。
AA弾の連射から僅か十数秒。
仮に外へ離脱していたとしても、ラズロの感覚の及ばぬところにまで逃げ遂せるには、少々時間が短すぎる。

「もっと歯応えがあると思ったんだが。無駄撃ちしちまったな」


夜半から今まで遭遇してきた相手は誰も、常人の域に収まらない能力を有していた。
やたらと速くて煩い男――ストレイト・クーガー。
それと同じくらい速く動く、人形のようなものを操る男。
離れたものでも斬る剣士。
またもや人形のようなものを操り、何でも爆発させた男――吉良吉影。
無論、ラズロは自分がそれらに遅れをとるとは微塵も思っていない。
事実それらのうち二人を殺し、手負いとはいえ剣士を完全に圧倒したのだから。
ラズロは踵を返した。
今までの男達と比べると、先ほどの男は拍子抜けと言わざるを得ない。
この身体に傷を与えることもなければ、半身を吹き飛ばされてなお反撃を繰り出してくることもなかった。
数が限られているAA弾を使うには値しない相手であった。
そうだ、と、ラズロは不愉快そうに目を細める。
ここに連れてこられてから気に入らないコトが二つも増えたのだ。
まず、ストレイト・クーガーとかいう男。
予想を遥かに上回る速度に虚を突かれ、蹴り飛ばされるという無様を晒された。
そしてもう一つが、身体の其処彼処に与えられたダメージだ。
肉体が損壊することそのものが問題なのではない。
傷の治りが遅すぎる。
本来の再生速度とは比較のしようもない低速だ。
一応、四肢の機能はほぼ完全に取り戻されているものの、不満があるのは否めない。
廊下を独り闊歩しながら、ラズロはふと下らないことを思い出す。
そういえば、あの四人の他に『そうせいせき』とか呼ばれていた人形と遭遇していた。
きっと今さっき消した男も、あの人形と同じように、殺されるために呼ばれたような輩だったのだろう。


   ◇ ◇ ◇


美琴はふらふらと歩き続けていた。
天井の低い地下通路の中を、どこを目指すでもなく、ふらふらと当てもなく。
通路は意外に広範囲へ渡っているらしく、幾つ角を曲がったのかも覚えていない。
最寄り駅から南の数百メートル圏内であれば、地下を通って行き来できてしまいそうなくらいだ。
とはいえ、美琴自身は角を曲がったのかどうかすら記憶していないのだろうが。
埃っぽい通路を彷徨ううちに、いつしか美琴は日の光も届かないところにまで辿り着いていた。
天井に並ぶ電灯のひとつがぱちぱちと点滅する。
それと合わせるように、美琴の首筋で電流がぱちぱちと跳ねた。

「…………」

不意に、美琴は無言のまま立ち止まった。
会話を交わす相手などおらず、仮にいたとしても語ることなど思い浮かばない。
ただ、言いようのない疲労感が全身に重く圧し掛かっていて、それが美琴の足を鈍らせる。
――どこか静かなところで休みたい。
身体の内側から滲み出てくる疲れに押されるように、美琴は周囲に視線を巡らせた。

「……何、あれ」

目に留まったのは、妙に不自然な扉であった。
ちょうど目の高さに『非常階段』というプレートが掲げられていて、扉の上にはお決まりの緑の表示も付いている。
扉や階段があるということ自体は別にどうでもいい。
問題は、どうしてああも奥まったところに、人目を避けるようにして設置されているのか、だ。
非常階段というくらいなら、もっと分かりやすい位置にあるべきだろう。
普通の人であれば一抹の違和感を覚えずにいられないに違いない。
だが、今の美琴の精神状態は普通とは程遠かった。
隠れられる場所があるかもしれない。
そんな、ある種見当違いの期待を胸に、ドアノブに手を掛ける。

「――――」


開かない。
いくら美琴がノブを回しても、がちゃがちゃと金属音が鳴るだけだった。
非常階段と銘打ちながら、しっかりと施錠されている。
ここまで来ると、もはや異様としか言いようがない。


こういう場合、人はどのような選択肢を選ぶのだろう。
逃亡――扉の異様さに恐れをなし、ここから離れる。
諦め――恐怖こそはしないが、扉を開けることを放棄して立ち去る。
捜索――扉を開ける鍵があるはずだと、あるかどうかも分からない鍵を捜し求める。
そして――


ガァン、という擬音をそのまま再現したような音が、地下道に響き渡る。
吹き飛ばされたドアノブが、床を飛び跳ねるように転がって、壁にぶつかって停止する。
そして今までノブがあった場所には、拉げた大きな穴が穿たれていた。
御坂美琴の取った選択、それは破壊であった。
大量に所持していたコインを《超電磁砲》の力によって即席の銃弾に変え、鍵をドアノブごと破壊したのだ。
着弾の衝撃によって扉自体も動き、僅かに隙間が出来る。
美琴はその隙間に手を入れて、強引に扉を開け放った。

扉の向こうににあったのは、更なる地下へ伸びる階段であった。

成る程、非常階段というのは「地下通路から外へ逃げる」階段ではなかった。
逆に「地下から地下通路へ逃げる」ためのものだったのだ。
美琴は迷うことなく階段を降りていく。
暗い階段の先、微かに漏れてくる光を目指して。




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最終更新:2012年12月03日 03:51