プロヴィネシア=クラムアン戦争

プロヴィネシア=クラムアン戦争

遠因・背景

さかのぼればww1にまで行き着くプロヴィネシアとクラムアンの亀裂が原因だといえるだろう、だが、それぞれの開戦理由は全く異なっており、プロヴィネシアは異教徒のクラムアンを浄化することを掲げ、一方のクラムアンは、失われた旧領土の奪還を掲げていた。
戦闘の発端はSE3021,3月21日のクラムアンの定例となっていた演習での流れ弾であった。
これにクラムアンのバルカン方面軍司令部が攻勢命令をかけたことが決定的になり、以降クラムアン軍による大規模攻勢が始まった。
当時プロヴィネシア軍はローマ方面へ軍を展開しており、クラムアン軍に対する有効な防御を採る事は出来なかった。

開戦

開戦はクラムアンから正式にプロヴィネシアへSE3021,3月22日に布告された。

クリパルティア帝国の蛮行

SE2022,1月10日クリパルティア帝国が突如プロヴィネシア、クラムアン両国へと宣戦を布告、両国はこれに対し、そもそもそのような国が存在したか?と驚愕した。
最終更新:2019年11月29日 12:08