小噺-地蔵-01
「懐かしい人」
あの頃のことは、よく覚えていない。
夢を見ていた気がする、という感覚だけが残っている。
とても長い夢だったような、
それでいて、目を閉じた一瞬だったような。
ただ、
胸の奥がひどく冷たくて、
それでもどこか懐かしかった。
孤児院は、あの日も静かだった。
いつも通りの朝で、
子供たちは騒がしくて、
私は背が高いから、棚の上のものを取って回っていた。
警察が来た。
乱暴でもなく、
声を荒げるでもなく、
ただ、淡々と。
私は少し身構えた。
正直に言えば、
警察が来ること自体が怖かった。
けれど、
その人を見た瞬間、
理由の分からない安心があった。
初めて会ったはずなのに、
ずっと前から知っている気がした。
夢で会った人、
と言われても、
きっと否定はできなかったと思う。
彼は多くを語らなかった。
子供たちを一人ずつ見て、
院内を見て、
それだけだった。
後になって、
私は色々な話を聞いた。
何が起きたのか。
何が起きなかったのか。
私は、
「ありがとう」と言った。
それ以上の言葉が見つからなかった。
彼は、
それで十分だと言うように、
小さく頷いただけだった。
今でも時々、
あの時のことを思い出す。
けれど同時に、
何かを取り戻したような気もしている。
はっきりしない記憶だ。
顔も、声も、
輪郭がぼやけている。
それでも、
彼を見ると、胸が少しだけ温かくなる。
懐かしい人だ。
理由は分からないけれど、
きっと、大切な人だったのだと思う。
最終更新:2026年05月01日 19:47