港から流れてくる油の匂いと、酒と香水と、嘘をつく人間の汗。
本田圭吾はその全部を知っている。
金魚鉢みたいなヘルメットをかぶり、拳銃を脇に下げ、ショットガンを肩に吊るして歩く。
外からは顔が見えない。だから誰も、彼の目がどこを向いているのか知らない。
だが彼には三つ目がある。
額の真ん中に穴が開いているわけじゃない。
魔法の光が出るわけでもない。
ただ――人の心情が見える。
恐れ、焦り、嘘、ためらい。
言葉の裏側に貼り付いた薄い皮みたいな感情が、色つきの影になって浮かぶ。
今夜の仕事は大統領の晩餐会の警護だった。
きらびやかな会場。
笑顔だらけの招待客。
その全員が腹の底にナイフを隠している。
圭吾は壁際に立ち、グラスを運ぶウェイターの動きを目で追った。
――震えが強い。
――呼吸が浅い。
――罪悪感の色。
「おい」
小さく呼び止める。
ウェイターはびくりと肩を跳ねさせた。
それだけで十分だった。
「厨房に戻れ。今すぐだ」
「な、何のことですか」
嘘の色。濃い緑。
圭吾は静かにショットガンの安全装置を外した。
「三つ目はごまかせないんだよ」
男の表情が崩れた。
皿の下から小型の起爆装置が転がり落ちる。
会場は騒然となったが、爆発は起きない。
圭吾がその前に止めたからだ。
大統領が歩み寄り、低い声で言う。
「また助けられたな」
「仕事ですから」
圭吾は短く答える。
感謝も称賛も、彼にはあまり意味がない。
人は嘘をつく。
金は人を狂わせる。
水閘市国は毎日ぐらぐら揺れている。
その上に立っていられるのは、三つ目のおかげだ。
夜更け、警備室で一人になったとき、彼はヘルメットを外した。
鏡の中には、ただのくたびれた男の顔がある。
特別な光も、英雄の目つきもない。
「今日も世界は普通に腐ってたな」
そうつぶやき、また金魚鉢をかぶる。
外からは見えない顔。
内側だけが見える目。
水閘市国が崩れない理由はたくさんある。
金と暴力と謀略と――
そして時々、こういう男が一人いること。
本田圭吾は銃を点検しながら思う。
世界は救えない。
だが、今夜一人くらいは守れた。
それで十分だ、と。
最終更新:2026年05月03日 00:29