アットウィキロゴ

小噺-『三つ目の夜』

水閘市国の夜は、金の匂いがする。

港から流れてくる油の匂いと、酒と香水と、嘘をつく人間の汗。
本田圭吾はその全部を知っている。

金魚鉢みたいなヘルメットをかぶり、拳銃を脇に下げ、ショットガンを肩に吊るして歩く。
外からは顔が見えない。だから誰も、彼の目がどこを向いているのか知らない。

だが彼には三つ目がある。

額の真ん中に穴が開いているわけじゃない。
魔法の光が出るわけでもない。

ただ――人の心情が見える。

恐れ、焦り、嘘、ためらい。
言葉の裏側に貼り付いた薄い皮みたいな感情が、色つきの影になって浮かぶ。

今夜の仕事は大統領の晩餐会の警護だった。

きらびやかな会場。
笑顔だらけの招待客。
その全員が腹の底にナイフを隠している。

圭吾は壁際に立ち、グラスを運ぶウェイターの動きを目で追った。

――震えが強い。
――呼吸が浅い。
――罪悪感の色。

「おい」

小さく呼び止める。

ウェイターはびくりと肩を跳ねさせた。
それだけで十分だった。

「厨房に戻れ。今すぐだ」

「な、何のことですか」

嘘の色。濃い緑。

圭吾は静かにショットガンの安全装置を外した。

「三つ目はごまかせないんだよ」

男の表情が崩れた。
皿の下から小型の起爆装置が転がり落ちる。

会場は騒然となったが、爆発は起きない。
圭吾がその前に止めたからだ。

大統領が歩み寄り、低い声で言う。

「また助けられたな」

「仕事ですから」

圭吾は短く答える。
感謝も称賛も、彼にはあまり意味がない。

人は嘘をつく。
金は人を狂わせる。
水閘市国は毎日ぐらぐら揺れている。

その上に立っていられるのは、三つ目のおかげだ。

夜更け、警備室で一人になったとき、彼はヘルメットを外した。
鏡の中には、ただのくたびれた男の顔がある。

特別な光も、英雄の目つきもない。

「今日も世界は普通に腐ってたな」

そうつぶやき、また金魚鉢をかぶる。

外からは見えない顔。
内側だけが見える目。

水閘市国が崩れない理由はたくさんある。
金と暴力と謀略と――

そして時々、こういう男が一人いること。

本田圭吾は銃を点検しながら思う。

世界は救えない。
だが、今夜一人くらいは守れた。

それで十分だ、と。

タグ:

第二世界 小噺
最終更新:2026年05月03日 00:29