大衆食堂と烏骨鶏が出会って、半年ほどたった頃の話だ。
第五世界の旅にもようやく慣れ、
骨牌の仕事も回り始め、
町から町へ渡り歩く生活が“日常”になりつつあった。
そんなある日、依頼が来た。
「学校で将棋を教えてほしい」
小さな農村の公立学校。
生徒は三十人ほど。
校長は言った。
「この町には強い大人がいなくてね。子どもたちは将棋が好きなんですが、本物の強さを知らないんです」
烏骨鶏が横でにやりとする。
「先生役か。似合ってんじゃねえか」
大衆食堂は肩をすくめた。
「まあ……得意ではあるけど」
その時の彼女はまだ知らなかった。
“指導”が、勝負以上に難しいことを。
* *
当日。
体育館に並んだ三十枚の盤。
相手は十歳から十四歳くらいの子どもたち。
町の大会ではそこそこ勝つらしい。
大衆食堂は全体を見て判断した。
――うん。普通にやれば問題ない。
第五世界ではプロ制度などない。
彼女はあくまで「将棋の強い旅人」。
校長が言う。
「今日は胸を借りるつもりでぶつかりなさい」
子どもたちは真剣な顔でうなずいた。
* *
三十対一の同時対局が始まる。
大衆食堂はいつもの調子で歩き回りながら指す。
軽く、速く、正確に。
序盤。
中盤。
終盤。
どの盤も、ほとんど同じ結末へ流れていく。
――圧倒。
読みの深さも、形勢判断も、経験も違いすぎた。
一時間後。
最初の子が泣いた。
「……うう……また負けた……」
その五分後、別の子も涙目になる。
さらに十分後には――
「もうやだあ!」
ついに一人が盤の前でしゃくりあげた。
* *
大衆食堂は内心で青ざめる。
(あれ?)
勝っている。
全部勝っている。
なのに――
会場の空気がどんどん重くなっていく。
烏骨鶏が観客席でぼそっと言った。
「おいおい……虐殺じゃねえか」
まさにその通りだった。
* *
最終結果。
三十戦三十勝。
完璧な成績。
理想的な指導対局――のはずだった。
なのに教室には、
泣きべそをかく子どもが五人。
半分ふてくされた子が十人。
自信をへし折られた顔が十五人。
校長は苦笑いで言った。
「いやあ……さすがに強すぎましたなあ」
大衆食堂は深く頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……」
* *
帰り道。
彼女は本気で落ち込んでいた。
「私、完全に間違えた」
烏骨鶏がジュースを渡しながら言う。
「勝ったのにか?」
「勝ち方を間違えたのよ」
彼女は真面目な顔で続けた。
「将棋を好きにさせるはずだったのに……嫌いにさせかけた」
* *
その夜。
宿で大衆食堂は反省ノートを開いた。
- 相手の実力を見誤らない
- 勝ちすぎない
- 手加減ではなく“加減”をする
- 勝つ喜びを一度は体験させる
- 指導対局は教育であって勝負ではない
彼女は初めて理解した。
“教えること”には、そのまま使えないのだと。
* *
半年後。
同じ学校から再び依頼が来た。
子どもたちはおそるおそる集まる。
今度、大衆食堂はやり方を変えた。
一手ごとに考えさせ、
ヒントを出し、
良い手をほめ、
時々わざと罠にかかり、
一局だけはきれいに負けてあげた。
その日は、誰も泣かなかった。
* *
帰り道、烏骨鶏が言う。
「今日は先生っぽかったな」
大衆食堂は笑った。
「前より、ちょっとだけ上手になったのよ」
第五世界で彼女が覚えたのは、
勝ち方だけではない。
人の心の扱い方だった。
* *
了
* *
最終更新:2026年05月01日 20:32