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小噺-『魔人の一日』

 朝六時。
 港の汽笛より少し早く、夕凪宗一は目を覚ます。

 皇都外れ、武蔵国港湾部。
 潮風と鉄錆の臭いが混ざる倉庫街の一角。
 その中でも特に古びた備蓄倉庫の二階に、彼の住処はあった。

 倉庫番用に作られた小部屋は広くない。
 雑に積まれた漫画、脱ぎ捨てられた服、壁の落書き。
 だが生活感は妙に落ち着いていた。

「……さむ」

 白髪を掻きながら起き上がる。
 寝癖は爆発している。

 電気ケトルを回し、コーヒーを淹れる。
 食パンを焼く。
 朝はそれで十分だった。

 マグカップを片手に窓を開けると、潮の匂いが入ってくる。

「今日も平和だといいねぇ」

 誰に言うでもなく呟いて、宗一は倉庫街へ走り出した。


 朝の港町は静かだった。

 大型トラックが遠くで唸り、漁船のエンジン音が響く。
 潮風は冷たいが気持ちいい。

 宗一は倉庫街を軽く流すように走る。
 巡回と言っても半分は趣味だった。

 異常がないか。
 不審者はいないか。
 妙な臭いはしないか。

 それを確認しながら、時折、消えたような速度で角を曲がる。

 一般人が見れば、たぶん見間違いだと思う。

 それでいい。

 この倉庫街には、“見間違いで済ませた方がいい物”が多かった。


 戻ってくる頃には汗をかいている。

 シャワーを浴び、ラフな服に着替える。
 それからようやく朝食だ。

 コーヒー。
 トースト。
 ニュース番組。

 戦争。事故。政治。芸能。

「へぇー」

 軽く笑いながら眺める。

 人が死んだニュースにも、巨大企業の不祥事にも、反応は薄い。
 だが無関心ではない。

 ただ、“重さの感じ方”が普通と少し違った。


 朝八時。

 備蓄倉庫のシャッターが開く。

 昼間のここは普通の一般倉庫だ。

 作業員。
 フォークリフト。
 搬入車両。
 点検員。

 いつもの顔ぶれがやってくる。

「おはようございます夕凪さん」

「おはよーっす」

 軽い調子で返す。

 倉庫へ運び込まれるのは主に工業資材や保存物資。
 木箱、鉄箱、コンテナ。
 フォークリフトが忙しく走り回る。

 宗一は書類を見て、資材を確認して、時々自分でも運ぶ。

 小柄な体で大型木箱を軽々持ち上げる姿に、新人は毎回驚く。

「夕凪さん、それ重くないんですか……?」

「ん? まぁ筋トレみたいなもん?」

 笑う。

 だが、その笑顔のまま。
 一瞬だけ瞳が濁る時がある。

 長く見ていると分かる。

 この男は、どこか人間の側からズレている。


 昼休み。

 作業員たちは弁当を広げ、煙草を吸い、雑談をする。

 宗一も混ざる。

 適当に笑い、適当に軽口を叩き、場を回す。

 ムードメーカー。

 皆そう思っている。

 だが誰も、夜の倉庫を知らない。


 夕方十七時。

 一般倉庫が閉まる。

 作業員たちは帰宅し、港町に夜が降り始める。

 そして、ここからが「魔人」の仕事だった。


 表向き存在しない倉庫。
 地下封鎖区画。

 認証鍵。
 封印札。
 多重隔壁。

 宗一は暗い通路を歩いていく。

 保管されているのは秘匿物資。

 世界樹関連物。
 危険指定品。
 押収遺物。
 存在自体が公表不可能な何か。

 木箱の中から、時折“音”がする。

 生きているように。

 宗一は気にしない。

「はいはい、今日も元気ねぇ」

 軽口を叩きながら封印を確認していく。

 必要があれば搬出補助もする。

 普通の人間なら数人必要な重量物を、一人で運ぶ。
 瞬間的に消えたような速度で移動し、気づけば配置が終わっている。

 その時だけ。

 彼は明確に“人ではない何か”になる。


 夜二十時。

 秘匿倉庫の最終封印。

 鍵。
 術式。
 確認。

「よし、おっけー」

 これで今日の仕事は終わりだ。


 宗一は港町へ出る。

 武蔵国の港町は飯が美味い。

 海鮮。
 揚げ物。
 串焼き。
 酒。

 適当な店に入り、ゆっくり食べる。

 時には常連と話し、時には一人で飲む。

 笑っている時の宗一は、本当にただの若者に見えた。


 夜十一時。

 倉庫へ戻る。

 薄暗い倉庫街。
 波の音。
 遠くの船の灯り。

 小部屋へ戻り、ベッドへ倒れ込む。

「……おやすみ」

 そのまま眠る。

 緊急連絡がなければ朝まで。

 だが、深夜に呼び出しが来ることもある。

 秘匿品搬出。
 危険物受け渡し。
 世界樹案件。

 そういう時、夕凪宗一は数秒で目を覚ます。

 寝ぼけた顔のまま。

 笑ったまま。

 人間ではない速度で動き出す。


 これが、
 「魔人」夕凪宗一の平均的な一日である。

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最終更新:2026年05月28日 21:41