Nox Occulta
カーマスートラを読む。(たた)
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hNox Occulta第四回勉強会。
カーマスートラを読む。
はじめに。
たたです。おひさしぶりのかたもそうじゃないかたも。今回は『カーマスートラ(愛経)』を取り上げます。勉強会は、話題のブラウズや書誌の確認といった事項を押さえることを中心とします。
ここ一巡して会員たちの共通認識となった「勉強会に手間がかかりすぎて、開催が三ヶ月に一回とか無理。存続が危うい」的状況は、ひとえにみんなの気合の入りすぎによるものでしょう。レジュメと勉強会における継続性のバランスを適正化してみようという試みも含んでいます。ということで、発表者にとっては上手に手を抜くことを求められる勉強会、という側面があるわけですね。言い訳ではありませんよ。もちろん。ただ、言い訳を許してもらえるならば、僕はこのレジュメを切りながら京アニ版の「Kanon」を特殊なPC環境によって観賞しています。今真琴が死ぬところです。もう涙でいろんなものが曇って見えません。誤字とか脱字があったらそのせいだからそこんところは許してほしいなと以下略。
たたです。おひさしぶりのかたもそうじゃないかたも。今回は『カーマスートラ(愛経)』を取り上げます。勉強会は、話題のブラウズや書誌の確認といった事項を押さえることを中心とします。
ここ一巡して会員たちの共通認識となった「勉強会に手間がかかりすぎて、開催が三ヶ月に一回とか無理。存続が危うい」的状況は、ひとえにみんなの気合の入りすぎによるものでしょう。レジュメと勉強会における継続性のバランスを適正化してみようという試みも含んでいます。ということで、発表者にとっては上手に手を抜くことを求められる勉強会、という側面があるわけですね。言い訳ではありませんよ。もちろん。ただ、言い訳を許してもらえるならば、僕はこのレジュメを切りながら京アニ版の「Kanon」を特殊なPC環境によって観賞しています。今真琴が死ぬところです。もう涙でいろんなものが曇って見えません。誤字とか脱字があったらそのせいだからそこんところは許してほしいなと以下略。
カーマスートラの作者とかその他 今回取り上げる『カーマスートラ』は東洋文庫本をテキストとします。
まず、『カーマスートラ』はマッラナーガ・ヴァーツヤーヤナ(Mallanaga Vatsyayana)の作になりますが、著者についてはよくわかっていません。西印度地方の記述が多く見えるところから、たぶんそっちらへんの人? ぐらいなものです。ですので『カーマストーラ』に関する資料もよくわかっていません。ただ、内徴をとるかぎりでは、西暦300年前後かと推測されるようではあります。 本文上、また文献学上に様々な問題があり、ヨーロッパやアメリカでは「バートン版」での抄訳が流通しました。いくつもの問題がありますが、あまり深いりはしません。
まず、『カーマスートラ』はマッラナーガ・ヴァーツヤーヤナ(Mallanaga Vatsyayana)の作になりますが、著者についてはよくわかっていません。西印度地方の記述が多く見えるところから、たぶんそっちらへんの人? ぐらいなものです。ですので『カーマストーラ』に関する資料もよくわかっていません。ただ、内徴をとるかぎりでは、西暦300年前後かと推測されるようではあります。 本文上、また文献学上に様々な問題があり、ヨーロッパやアメリカでは「バートン版」での抄訳が流通しました。いくつもの問題がありますが、あまり深いりはしません。
カーマスートラの話題と読者。
短く説明する。『カーマスートラ』は成立当時までに相当な蓄積があったと思われる「性学」(カーマ・シャーストラ)の短縮概説版、あるいは教科書と考えてもよいかもしれない。「性学」は三つの努力目標「法」(ダルマ)「利」(アルタ)「愛」(カーマ)における、「愛」の追求によるものと考えると分かりやすいかもしれない。この三の徳はそれぞれ連関があるので簡単には説明できないが、古くは「マハー・バーシア」という書物にも見られる。
短く説明する。『カーマスートラ』は成立当時までに相当な蓄積があったと思われる「性学」(カーマ・シャーストラ)の短縮概説版、あるいは教科書と考えてもよいかもしれない。「性学」は三つの努力目標「法」(ダルマ)「利」(アルタ)「愛」(カーマ)における、「愛」の追求によるものと考えると分かりやすいかもしれない。この三の徳はそれぞれ連関があるので簡単には説明できないが、古くは「マハー・バーシア」という書物にも見られる。
ダルマ(法)アルタ(利)及びカーマ(愛)に礼し奉る。これらは本書に繰返し述べられるているからである。)
とあるとおり、まずはこの三つの努力目標を達成するための知識と技能の一翼を、この『カーマスートラ』によって授けられる、というわけである。
こうした教科書の存在は、「性学」の研究蓄積が膨大となり、それを端的に説明できるものが求められたとはいえる。
こうした教科書の存在は、「性学」の研究蓄積が膨大となり、それを端的に説明できるものが求められたとはいえる。
斯くの如く、この論典(カーマ・シャーストラ)は多くの学匠によって部門別に編述され、その相互の脈絡は中断された。かくてダッタカなどによって編述された論典の章説は一部分のみを扱ったものであり、またバーブラヴィヤの書は浩瀚で学修が困難であるので、余は全項目を総括して小冊子となし、茲にこのカーマ・スートラは編述された。
というわけである。教科書として『カーマスートラ』を考えるならば、「誰に、何を」教えるのかという問題がついてまわるだろう。
それを考えるキーが、「ナーガラカ(都人士)」である。「ナーガラカ」とは端的にいうと都会の男性の意味、即ち生活が安定した上でアルタの獲得を目指す者ぐらいの意であろうか。
それを考えるキーが、「ナーガラカ(都人士)」である。「ナーガラカ」とは端的にいうと都会の男性の意味、即ち生活が安定した上でアルタの獲得を目指す者ぐらいの意であろうか。
耳・皮膚・眼・舌・鼻という自我に属する感覚によって夫々の対境に於いて正しく起される五感の活動がカーマ(愛)である。併し、特に、(性交という)男女の特殊な接触の結果、我執に基づく快楽を伴う効果的な快感の感受がカーマである。人はそれをカーマ・スートラから、またナーガラカ(都人士)との交際によって習得すべきである。
家計の基礎を堅めた後、ナーガラカ(都人士)の生活を送るべきである。
と述べられる。即ち、ナーガラカを目指す男性のための性の教科書というのがまず一点。
もう一つの対象は、女性である。
もう一つの対象は、女性である。
ダルマ及びアルタ並びにそれに付随する学問のために時間を浪費することなく、カーマ・スートラ及びそれに付随する学問を、男子は学修すべきである。思春期以前の女も、夫の許しをえて結婚した女もこれを学ぶべきである。
とのこと。その他、女性に対して教導的な文章がいくつかあるが、割愛。
{
話題} 『カーマスートラ』は全七篇、六四部に分けられている。六四は神聖な数字という印象もある。
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話題} 『カーマスートラ』は全七篇、六四部に分けられている。六四は神聖な数字という印象もある。
第一篇 総論
第二篇 性交
第三篇 処女との交渉
第四篇 妻妾
第五篇 人妻
第六篇 遊女
第七篇 秘法
第二篇 性交
第三篇 処女との交渉
第四篇 妻妾
第五篇 人妻
第六篇 遊女
第七篇 秘法
第一篇はカーマ・スートラの概説及び理想の生活について、第二篇が性的な技巧についての具体的な指導。第三篇は結婚するための技術、もう一つは処女や少女に言い寄る方法、結婚の方式。第四篇は妻としての態度、後宮における生活、多くの妻妾をもつものの務め、第五篇は男の良し悪し、求愛、交際、略奪愛に冠すること。第六篇はプロを相手にするときの心得。第七篇は媚薬や精強材についての記述である。
通常、第二篇における赤裸々な性的技巧ばかりが注目される。しかし、そこにおける男女の区分にはもう少し細かな違いがある。『カーマスートラ』には、「男性」はナーガラカを目指す者という曖昧な人物設定しかされていないようだが、女性は幼女から処女、人妻、後宮の女性、遊女までのさまざまな階層を想定している。ここがちょっと面白くないかね。という話題を提供してみることにしようと思う。
今ならロリコンではすまない「少女に言い寄る方法」をためしに引いてみよう。
(然らば、少女の心を如何にして自らに惹きつけるか。)彼女と一緒に、花集め、花編み、人形遊び、ままごと遊びなどを親しさの程度に依り、また彼女の年齢を考慮して、行うべきである。賭事、編もの、ジャンケン遊び、小指遊びなど、また中指つかみ、お手玉など、更に種々の地方の遊びを、彼女の好みに応じて、彼女と一緒に遊んでいる奴隷や奴婢ともどもに、また(親密さが増せば)彼女のみと遊ぶべきである。(中略)
他の人より優れた知識を有している場合には、多くの人々の居る前で、彼は彼女の乳母の娘に六十四芸を教えるべきである。これを教えることに依って、彼は自分が性愛の技巧に長じていることを誇示すべきである。 p175、p176
他の人より優れた知識を有している場合には、多くの人々の居る前で、彼は彼女の乳母の娘に六十四芸を教えるべきである。これを教えることに依って、彼は自分が性愛の技巧に長じていることを誇示すべきである。 p175、p176
この記述は幼女に対する男性の取り扱い方と見てよいだろう。ここには男性が女性をどのように、とりあつかうべきか、男性への教育的側面が見られる。
こうした女性への扱い方を述べるのは、カーマスートラにおいて基本的な記述であるということはできる。
他、遊女はまたこのように述べられる。
遊女は、その本来の性質上、男が彼女を相手とすることに依って性欲の満足と財貨の獲得とを得る。性欲の満足のためにする彼女等の行動は自然であって(一般の婦女子と変わるところはないが)金銭のためにする行動は不自然である。蓋し、金銭のための場合でも、(その不自然な行動を)自然であるかのように装うべきである。何となれば、愛欲に耽る女たちに男は深く打ちこむものであるから。而して、彼女の行動が自然であることを男に示すために、無欲であることを装うべきである。また、将来の生活の保証をうるためであるとしても、なお邪悪な手段によって金銭を獲得すべきではない。遊女は常に化粧をして、大通りを見下ろして人目を惹き、また余りに衣服をまといすぎてはならない。遊女は実に商品の如きものであるから。
遊女がどうあるべきか、遊女が男をどのように扱うべきかの記述が目立つ。女性に向けての記述が多いのもカーマスートラの記述であるが、どのような層にどのようなモデルを求めているのかの分析はユニークな指摘を可能にするだろう。
求める究極の人間像
ごくあっさりした分析をするならば、男性にあるべき理想は一つだが(ナーガラカ)、女性はそれぞれの階層(分類)に応じて複数存在するのではなかろうか、それらの分類は当然恣意的なものであるが。もちろん、文化的な影響は強くあるにせよ。
彼女らの基本的な分類があるものの、それらの女性に対して、基本的な技芸を持つことが望まれている。「六十四芸」と呼ばれるものもそう考えるべきではかろうか。ガニカーというある種の理想の女性像が、総論では多少触れられる。ガニカーが遊女や処女や後宮の女性や遊女と背反する関係にあるのかはよくわからない。p83参照。
ごくあっさりした分析をするならば、男性にあるべき理想は一つだが(ナーガラカ)、女性はそれぞれの階層(分類)に応じて複数存在するのではなかろうか、それらの分類は当然恣意的なものであるが。もちろん、文化的な影響は強くあるにせよ。
彼女らの基本的な分類があるものの、それらの女性に対して、基本的な技芸を持つことが望まれている。「六十四芸」と呼ばれるものもそう考えるべきではかろうか。ガニカーというある種の理想の女性像が、総論では多少触れられる。ガニカーが遊女や処女や後宮の女性や遊女と背反する関係にあるのかはよくわからない。p83参照。
とはいえ、ある種、人格者の育成を目的とするカーマスートラであるから、こうした理想の者の提示はある種当然のことかもしれない。
最後にまた述べるが、カーマストーラは性欲を自我の支配下に置くようにする、という目的もあるようである。
最後にまた述べるが、カーマストーラは性欲を自我の支配下に置くようにする、という目的もあるようである。
秘法
性技においては実践的な記述が多い『カーマ・スートラ』の中でもひときわ目立つのは、なんといっても最終章「秘法」である。
性技においては実践的な記述が多い『カーマ・スートラ』の中でもひときわ目立つのは、なんといっても最終章「秘法」である。
カーマ・スートラは(以上を以て)論述せられた。併し、上述の規則に依って所期の目的を達しえない人は、この秘法篇を行うべきである。 p293
というわけで、事実上のバイアグラ。カーマ・スートラの第六篇までの実技実践でさえ不十分な場合に使用する最終奥義という立場が与えられている。
逆にいえば「性学」の立場からして、「カーマスートラ」が志向する人格形成(ナーガラカとしての振る舞いを見につける)にはある種の限界があることを知っていたといえる。つまりどうしようもなくなったときには薬(など)に頼るというケースまで想定していたのかもしれない。
逆にいえば「性学」の立場からして、「カーマスートラ」が志向する人格形成(ナーガラカとしての振る舞いを見につける)にはある種の限界があることを知っていたといえる。つまりどうしようもなくなったときには薬(など)に頼るというケースまで想定していたのかもしれない。
具体的にはテキストを見てほしいが、「秘法」の章は『カーマスートラ』全六十四部のうち五九~六四に展開されている。
(五九)魅力を増す方法
(六〇)情人の歓心を得る方法
(六一)強精剤
(六二)減退した精力を回復する方法
(六三)陰茎を大きくする方法
(六四)特殊な技術
(六〇)情人の歓心を得る方法
(六一)強精剤
(六二)減退した精力を回復する方法
(六三)陰茎を大きくする方法
(六四)特殊な技術
これらの章に展開されている秘法の数々は、考えたくもなければやりたくもないと思うようなものの数々であるが、大きくは、他人に好かれるようになるか、嫌わせるようにするか、精力などの回復によって自尊心を回復させる技術であるとまとめられる。
また、さまざまな地方、噂話、諸学匠、慣習など、情報のソースが雑多なところも特徴的である。
もう一つ、その対象が男性、女性の諸階層全般にわたることも特徴としてよいかもしれない。
また、さまざまな地方、噂話、諸学匠、慣習など、情報のソースが雑多なところも特徴的である。
もう一つ、その対象が男性、女性の諸階層全般にわたることも特徴としてよいかもしれない。
さまざまな薬物による特効が記される秘法篇であるが、以下の頒から効果が疑わしいもの、異様な効果を発揮するものもあったらしい。
恋の喜び増す術は
医学の書より、ヴェーダより、
呪法の書より、更にまた
技に通ぜる人より学ぶべし。
医学の書より、ヴェーダより、
呪法の書より、更にまた
技に通ぜる人より学ぶべし。
身体の苦悩を惹きおこし、
生けるものの死もたらし、
不浄の物より製りたる
疑わしき薬をば用うるなかれ。
生けるものの死もたらし、
不浄の物より製りたる
疑わしき薬をば用うるなかれ。
儀式によりて身を聖め、
学識ある人の難ぜざる、
婆羅門、さては友人の
認むる技術を用うべし。 p300~301
学識ある人の難ぜざる、
婆羅門、さては友人の
認むる技術を用うべし。 p300~301
いくつか不明なところがあるが、「不浄の物より製りたる疑わしき薬」があったことが知れる。その薬を飲んでどうなるかは知りたくもないが。
今回はそれほど触れないが、性や結婚に関して、友人や技術に優れた人との交流を重視するのも『カーマスートラ』の特徴ではあります。
現代の享受。
今回の勉強会では「性技」についての記述は概ね省きました。もっとも有名な箇所であるにも関わらずそうしたのは、この「性技の書」としての側面の強調こそ、現代のカーマスートラ受容における歪みを示していると思います。
今回の参考文献でもある『性愛奥義』にせよ、カーマスートラの人格形成、あるいは恋愛の技術や秘術に関する記述らが「エロ」に回収されることに問題があります。
その端的な例は、「エロ・オリエンタリズム」とも述べるべき性的な桃源郷/異郷として古代インドが表象される危険性および、カーマスートラの現代代的理解の西洋化にあります。
つまり、AV化するカーマスートラの問題です。以下はamazon.comからの紹介を引用。
今回の勉強会では「性技」についての記述は概ね省きました。もっとも有名な箇所であるにも関わらずそうしたのは、この「性技の書」としての側面の強調こそ、現代のカーマスートラ受容における歪みを示していると思います。
今回の参考文献でもある『性愛奥義』にせよ、カーマスートラの人格形成、あるいは恋愛の技術や秘術に関する記述らが「エロ」に回収されることに問題があります。
その端的な例は、「エロ・オリエンタリズム」とも述べるべき性的な桃源郷/異郷として古代インドが表象される危険性および、カーマスートラの現代代的理解の西洋化にあります。
つまり、AV化するカーマスートラの問題です。以下はamazon.comからの紹介を引用。
『カーマスートラ 悦楽の聖典』竹書房、2003/10/18
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
性愛教典“カーマ・スートラ”の教えを描く官能ドラマ。美人女医・ダリアが古代インドの性の秘伝書を基に、愛と性の悩みに苦しむ患者を救っていく。「自分を飾る術」「三角関係」「妻の務め」の3つのエピソードが大胆な性描写を交えて展開する。
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
性愛教典“カーマ・スートラ”の教えを描く官能ドラマ。美人女医・ダリアが古代インドの性の秘伝書を基に、愛と性の悩みに苦しむ患者を救っていく。「自分を飾る術」「三角関係」「妻の務め」の3つのエピソードが大胆な性描写を交えて展開する。
『カーマ・スートラ 欲望の聖典』竹書房、2003/11/20
内容紹介
高級コールガールのカミーユは、結婚後も仕事を辞める気はなかった。その意志を婚約者のアンドリューとは話し合っていないと聞いたダリアは、彼に他の女性と性交渉を持たせて二人の立場を逆転させる。それまではカミーユの仕事に口を出さなかったアンドリューだが、本音をぶつけるようになり、二人は本当に理解しあうようになる。
内容紹介
高級コールガールのカミーユは、結婚後も仕事を辞める気はなかった。その意志を婚約者のアンドリューとは話し合っていないと聞いたダリアは、彼に他の女性と性交渉を持たせて二人の立場を逆転させる。それまではカミーユの仕事に口を出さなかったアンドリューだが、本音をぶつけるようになり、二人は本当に理解しあうようになる。
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
古代インドの性愛教典“カーマ・スートラ”の教えを描く官能ドラマ。美人女医・ダリアが愛と性の悩みに苦しむ患者を救っていく。結婚を控える高級コールガールにダリアが真実の愛を教える「愛咬の術」の他、「ハーレムの女達」「妻と引き換えに」を収録。
古代インドの性愛教典“カーマ・スートラ”の教えを描く官能ドラマ。美人女医・ダリアが愛と性の悩みに苦しむ患者を救っていく。結婚を控える高級コールガールにダリアが真実の愛を教える「愛咬の術」の他、「ハーレムの女達」「妻と引き換えに」を収録。
『カーマ・スートラ 禁断の聖典』竹書房、2003/10/18
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
古代インドの性愛教典“カーマ・スートラ”の教えを描く官能ドラマ。美人女医・ダリアが愛と性の悩みに苦しむ患者を救っていく。カーマスートラ診療所に、有名女性キャスターが取材しに来る「スペシャル・テイスト」の他、2つのエピソードを収録する。
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
古代インドの性愛教典“カーマ・スートラ”の教えを描く官能ドラマ。美人女医・ダリアが愛と性の悩みに苦しむ患者を救っていく。カーマスートラ診療所に、有名女性キャスターが取材しに来る「スペシャル・テイスト」の他、2つのエピソードを収録する。
『カーマ・スートラ 愛の聖典』竹書房、2003/09/20
内容紹介
男と女が最高の悦びを得る古代インドの性愛の秘伝書…史上最古のセックス教典“カーマ・スートラ”の教えを美人女医のセックス・カウンセリングを通じて、激しく官能的に描いたエロティック・シリーズ最新作! アメリカン・エロティックドラマの伝説的プロデューサー“マーク・L・グリーンバーグ」と『チャタレイ夫人の愛人』のスタッフが放つエロティック巨編最新作!『エステ・ド・ロワイヤル』のタマラ・ランドリー主演。
内容紹介
男と女が最高の悦びを得る古代インドの性愛の秘伝書…史上最古のセックス教典“カーマ・スートラ”の教えを美人女医のセックス・カウンセリングを通じて、激しく官能的に描いたエロティック・シリーズ最新作! アメリカン・エロティックドラマの伝説的プロデューサー“マーク・L・グリーンバーグ」と『チャタレイ夫人の愛人』のスタッフが放つエロティック巨編最新作!『エステ・ド・ロワイヤル』のタマラ・ランドリー主演。
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
性愛教典“カーマ・スートラ”の教えを描く官能ドラマ。古代インドの性の秘伝書を基に、愛と性の悩みに苦しむ患者を救う美人女医・ダリア。ある日彼女の元に、撮影されていないと勃起しないという症状に苦しむポルノ俳優・デビッドがやってくる。
性愛教典“カーマ・スートラ”の教えを描く官能ドラマ。古代インドの性の秘伝書を基に、愛と性の悩みに苦しむ患者を救う美人女医・ダリア。ある日彼女の元に、撮影されていないと勃起しないという症状に苦しむポルノ俳優・デビッドがやってくる。
『カーマ・スートラ 最後の聖典』竹書房、2003/11/20
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
古代インドの性愛教典“カーマ・スートラ”の教えを描く官能ドラマ。美人女医・ダリアが愛と性の悩みに苦しむ患者を救っていく。ダリアが内気な青年・マークにインターネットでの恋人探しを進める「女の子をゲットする方法」他、全3話を収録する
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
古代インドの性愛教典“カーマ・スートラ”の教えを描く官能ドラマ。美人女医・ダリアが愛と性の悩みに苦しむ患者を救っていく。ダリアが内気な青年・マークにインターネットでの恋人探しを進める「女の子をゲットする方法」他、全3話を収録する
他にフランスや印度でつくられた作品もおおいが紹介はしない。
「性愛教典」とか、「史上最古のセックス教典」とかもはや意味不明であるが、こうした紹介がある種の売り文句となり、「カーマ・スートラ」の解釈項となっていることは否定できない。そして、古典文学とはこのようなイメージの流布によって「本文」よりも内容が知れ渡ってしまうものである。
また、ひるがえってわが国に照射すれば、そのような「西洋の視座」がまたカーマスートラの解釈格子として強力に作用していることもいえるかもしれない。
「カーマ・スートラ」の諸アスペクトは「性愛」に限定されるものではなく、むろんそのようなものもあるが「性愛」がどのようなアスペクトをもつものなのかより多面的に考究するべきではなかろうか。
なお、テキストの解説には世界のエロ聖典が列挙されている。
「性愛教典」とか、「史上最古のセックス教典」とかもはや意味不明であるが、こうした紹介がある種の売り文句となり、「カーマ・スートラ」の解釈項となっていることは否定できない。そして、古典文学とはこのようなイメージの流布によって「本文」よりも内容が知れ渡ってしまうものである。
また、ひるがえってわが国に照射すれば、そのような「西洋の視座」がまたカーマスートラの解釈格子として強力に作用していることもいえるかもしれない。
「カーマ・スートラ」の諸アスペクトは「性愛」に限定されるものではなく、むろんそのようなものもあるが「性愛」がどのようなアスペクトをもつものなのかより多面的に考究するべきではなかろうか。
なお、テキストの解説には世界のエロ聖典が列挙されている。
【参考文献】
(1)ヴァーツヤーヤナ著、岩本 裕訳著『東洋文庫版 完訳 カーマ・スートラ』平凡社、1998.
(2)植島啓司『性愛奥義 官能の『カーマ・スートラ』解読』講談社現代新書、2005.
(1)ヴァーツヤーヤナ著、岩本 裕訳著『東洋文庫版 完訳 カーマ・スートラ』平凡社、1998.
(2)植島啓司『性愛奥義 官能の『カーマ・スートラ』解読』講談社現代新書、2005.
【サイトにあげるための補記】
- 原則として勉強会にしようしたレジュメをそのまま掲載する。
- ボールドや目次立てがうまくいってない可能性もあるけれど、それはおいおい訂正する、